東方幽棲抄 ~ 今日も今日とて、ツンデ霊夢に殴られる   作:風鈴.

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第27話 戯言談義 その4

 

「これで、茶を楽しむ準備は終わりました。茶葉が湯の中で開き、成分を湯に広げるまで待つだけですわ。それまで楽しくお話しでもしながら、ゆるりと時の経過を待ちましょう」

 

「そう……ですね。それまで何か適当に話でも」

 

 俺は曖昧に首肯した。

 

「ええ、何か世間話でも。――さあ、どうぞ」

 

「え? 何……がですか? もしかして、俺が話題を振れと?」

 

「当たらずといえども遠からず。あなたが話題を振ることに違いはありません。あなたが話題として触れたい内容があるから、会話の主導権を委ねたのです」

 

 女性は微笑みを浮かべる。笑みに細くなった彼女の眼は、こちらの胸中を見透かすような霊異な力が感じられる。

 

「……すみません、ちょっと発言の意味するところが分らないです」

 

「あら、そうなのですか? 意外ですね、落ち着いて会話していたように見受けられたのですけれど、まだ緊張しているのでしょうか? ……まあ、茶の席を設けているとは言え、対談者は私、場所はこのスキマの中なのですから。無理からぬことでしょう」

 

「……え? ここ、スキマの中なんですか?」

 

「ええ、そうです。ここは私が作り出したスキマの中の空間ですわ。ほら、周りをご覧下さいな。暗闇に紛れ、雑多なものが宙を漂っているように見えましょう」

 

 改めて暗紫色の空間をじっくりと観察してみた。果てしなく広がる暗闇の空間――そのところどころに、何かが浮かんでいた。

 

 目を凝らして見ると、それは道路標識であり、何かの看板であり、カラーコーンであり、人間の眼のようなものも存在する。

 

「え、えっと……あれ、なんなんですか!? なんか人の眼のような物も浮いてますけど!」

 

「あら、気付いていなかったのですか。私はてっきり、すでに気付いていたものかと」

 

「いや、全く気付いてなくて……というか、あれ、本当になんなんですか?」

 

「見ての通りのものですわ。けれど、そこに本当にあるわけではありません。飽くまでも、それはイメージ。像として具現化された概念」

 

「概念……? なんの概念ですか?」

 

「世界の概念ですわ。詳しい説明は割愛させて頂きます。その話題は、今は適さないでしょうから」

 

「話題……ああ、そうでした。俺にどんな話題を振れって言うんですか? あまり婉曲に言われると分からないのですが」

 

「ふむ……遠回しな言い回しの意味するところを考えることも一興。しかし、今は適さないのかもしれませんね。残念です。では、率直に申し上げましょう。あなた……私に対して質問したいことがあるのでは? 特に自身についてのことなど」

 

「……ああ、そう言うことですか」

 

 この女性は婉曲な言い回しを使ってくるが、その実、こちらを気づかっているのだろう。

 

 確かに、女性に尋ねたいこと――尋ねなければならないことは多い。

 

 俺は居住まいと正すと、真剣な面持ちで女性に向き直る。

 

「……あら、随分と凛々しい表情が出来るではありませんか。年若くとも1人の男と言ったところでしょうか。まるで気持ちが若やぎそうですわ。……おっと、今は茶々を入れる場面ではありませんでしたね。どうぞ、あなたの胸に浮かぶ疑問を私に投げ掛けるとよいですわ」

 

「分かりました。では……最初の質問です。ここは、どこですか? あなたが言うスキマという空間の裂け目ではなく、今、俺が存在している世界のことです。俺は現実の世界にいるのですか? それとも……死後の世界にいるのですか」

 

「やはり、その質問を投げ掛けますか。……当然ですね。あなたにとって、最も重要な事柄でしょうから」

 

「ええ、その通りです。……俺は生きているのですか?」

 

 自分の生命の有無――質問に心臓が大きく鼓動する。

 

 果たして、眼前の女性が口にする答えは――

 

「生きていますよ、間違いなく。その肉体も心臓の鼓動も――全て本物です。ここは霊界ではありません」

 

 俺は生きて存在している。

 

 女性は柔和に微笑みながら、そのことを断言してくれた。

 

「そう……ですか。俺は……確かにここに生きて存在しているんですね……!」

 

 顔の表情筋が一気に弛緩した。胸の中が穏やかな安堵に満たされる。

 

 良かった……俺は死んでなんかいないんだ……!

 

「……あ、でも、どうして俺は生きていられたのですか。俺、電車の車輪に轢かれる間際だったはずなのに。もしかして、あれは現実ではなかったのですか? まさか、夢か空想ですか」

 

「いえ、それは現実に起きたことです。あなたはここに来る前、車輪に体を切断される寸前でしたわ。紛れもない事実です。体に付いた傷と衣服の土埃――それが確かな証拠ですわ」

 

 俺は自分の手のひらや衣服に付いた傷と砂埃を眺めた。それは、線路に落下した事実を示す確かな痕跡だ。

 

「……現実にあったことですか。俺、本当に死にかけていたんですね。でも、どうやって生還できたのでしょうか」

 

「面白いことを尋ねますね。自分で推知できることだと思いますけれど」

 

「ということは、やはりあなたが……」

 

「ええ、あなたの考えている通り。私がスキマの中に落として窮地を救いました。本当に驚きましたよ。自分の眼を疑いましたわ。虫の知らせ――とでも言うのでしょうね。不意に胸騒ぎが起きまして、あなたの様子を見に来ましたら……。何か私に不可思議な力でも作用したのでしょうか? あなたを守る祖霊の働きかもしれませんね」

 

 女性は視線を横に向け、頷に手を添えた。

 

 どうやら、彼女自身も、間の良すぎる胸騒ぎを訝しく思っているらしい。

 

「あなたの言うことが本当なら、俺にとっては、奇跡としか言えませんね。……それにしても、まるで以前から俺のことを見守っていたような口ぶりですね」

 

「まるで、ではなく……その通りですよ。訳あって、私はあなたを見守っていましたから。……ご安心下さいな。私も道徳を持ち合わせていますから。安否の確認程度です」

 

 女性は、気後れもなく朗らかに言ってのける。

 

「は、はあ……。まあ、それは……安心しましたと言っておきます……?」

 

 背筋に妙な寒気を覚える。自分の知らない人物が見守っていたとなると、それが女性であっても、不気味に思える。ストーカー被害者の心境は、こんな感じなのだろうか。

 

 そもそも、どうしてこの人は、俺の安否を心配していたのだろうか。知人でもなければ、親戚でもないはずだ。

 

 もしや、記憶が消えてしまった幼少期に出会っていたのだろうか。

 

「気になる点はありますが……ひとまず礼を言っておきます。命を助けてもらい、ありがとうございました」

 

「いえ、礼に及びません。私が行いたくて行ったことですから。言わば、自己満足です。……それでもあなたが恩返しを望むなら、別に断りませんけれど」

 

 その発言は――暗に恩返しが不本意と言っているのだろうか。

 

「分かりました、考えておきます。それはそれとして、どうしてあなたは俺を見守ったりしていたのですか? 何か深いわけでも?」

 

「いえ。ただ、私は……幼い時のあなたと面識のある者ですから、見守りたい、助けたいという気持ちを抱いていたというだけです。そのことに関する話は――また別の機会にしましょう。その話はとても複雑で……長い話になりそうですから。日を改めて話しますわ」

 

「日を改めて……? ということは、また俺に会うつもりですか?」

 

「ええ、そのつもりです。近いうちに、こちらから出向かせて頂こうかと。……その必要が出来てしまいましたから。あなたは、常識から外れた存在があると知りましたから」

 

「常識から外れた存在……」

 

 無限の広がりを持つ暗紫色の空間。

 

 眼前に座る、常人と次元を異にする人物。

 

「もともと、いずれあなたの前に現れ、非常識の存在を教えるつもりでいました。けれど、予定では、あと数年後――あなたが高校を卒業する頃にでも。……しかし、あなたを助ける必要性が出来てしまった。それでしたら、この機会に接触しても良いだろう。だから、こうして姿を現しました」

 

「……理由を教えてもらっていいですか? どうして、いつかは非常識の存在を教えようとしていたのか」

 

「……その話もまた、あなたを見守っていた理由を教える時にでも。その方が理解を促しやすい。今はただ、常識から外れた存在があるという事実を知ってもらえれば充分です」

 

「……そうですか」

 

「おや、問い詰めないのですか?」

 

「いや、まあ……。問い詰めたところで、今は教えてくれないのでしょう? それとも、問い詰めたら教えてくれるのですか?」

 

「どうしてもと言うなら、吝かではありません。しかし、好ましくはありません。それらのことは、後日、まとめて話した方が分かりやすいので」

 

「だったら、それでいいですよ。近いうちに教えてもらえるなら。焦る必要はありません」

 

「ふむ……」

 

 女性は思わしげな声を漏らすと、眉根を顰めた。こちらを観察するかのような視線を向けてくる。

 

「……何か?」

 

「いえ、なかなかどうして。器量が大きいというか、鷹揚な性格をしていると思っただけですわ。こちら側の存在を抵抗なく受け入れるであろうことは予想していましたが、こうも滑らかに話が進むと、少しばかり奇妙に思えまして。もっと混乱してもいいと思っていたのですけれど、どうも素直に話を聞き過ぎている節がありますから」

 

 これが意味するところは――と、女性は独り言のように呟く。

 

 女性のいう通り、確かに自分は順応しすぎている気がする。こんな突拍子もない話、普通なら、もっと戸惑ってもいいものだ。信じなくたって、全くおかしくない。

 

 けれど、胸の内に広がる感情の水面は、静かに揺らいでいるだけだ。

 

 何故だろうか。

 

「いえ、もしかすると……。なるほど、そういうことかもしれません。それはそれで好都合――いえ、刷り込みが生み出した結果の表れか」

 

 女性は腑に落ちたと言わんばかりに頷く。

 


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