東方幽棲抄 ~ 今日も今日とて、ツンデ霊夢に殴られる 作:風鈴.
「……そうですね、じゃあ、茶の席を設けて、俺とティー・タイムはどうですか?」
「ティー・タイム、ですか」
女性は片眉を跳ね上げ、興味深そうに尋ねてきた。
「ええ、ティー・タイムです」
「……ひとつお尋ねしてもよろしくて? どうして、私がティー・タイムをした方が良いと思ったのでしょうか」
「それは――」
俺はそこで言い止すと、噛み殺せなかった笑いを少し漏らし、言葉を継ぐ。
「それは――その体勢が会話をしていると疲れそうに見えたからです。どういう意図を持って俺の前に現れたのかは知りませんが、もし俺と世間話をしたいのなら……その体勢で喋り続けると疲れるのではないですか? それに、こうも距離が開いていると、何かと喋りにくいでしょうし」
「……なるほど、理に適っていますね。あなたの言う通り、少々肩と腕が疲れてきました。それに、こうも距離が開いて話すのも、何かと不便です。けれど――本当にそれだけかしら?」
女性の視線が鋭くこちら射抜く。
「――と、言いますと?」
「あら、皆まで言わせるつもりなのですか? 気の回らない方ですね。いえ、それとも……。まあ良いでしょう。あなたはこんな気味の悪い空間を見ても微塵も物怖じもせず、ましてや窓から気軽に顔を出すように、空間の裂け目から姿を覗かせているこの女が――不気味ではないのですか? 恐ろしくはないのですか?」
「いや、それはまあ……。正直な心情として、不気味にも恐ろしくも感じては……います」
もしかすると、殺されるのではないか……そんなことも憂惧している。
「それはそれは、随分と失礼な感想ですね。正直なことは褒められる美徳かもしれませんが、しかし、それでは偽りと裏切りに満ちた人の世を生き抜くことは出来ませんよ。人間である以上、誠実でありながらも、したたかさを持たなくては。それに、言葉の棘が少ない言い回しもありましょうに。不気味で恐ろしくはあるが……だからこそミステリアスで妖しい魅力に満ちた美しい女性である、という言い回しに途中から変えることも出来ましょう。女性と対談するのですから、甘言の1つや2つ弄さなくては、退屈に思われてしまいますよ?」
「……気を付けることにします」
失礼な発言は認めるけれども、こんな状況でも女性の歓心を買おうとする奴は、単なる色情狂だと思うのだがなぁ……。
「よろしい。人は間違いを犯して成長するもの。己の過ちを素直に認める者は嫌いではありませんよ――その生真面目さを好きになるとは限りませんけれど」
女性は双眸を閉じて首肯すると、片目だけを開けて尋ねてくる。
「……それで、あなたの真意は何なのかしら? もしあなたが私に対して善からぬ奸謀を講じているのなら、迂闊に隙を見せるわけにはいきませんから」
「……立場上、むしろ俺があなたに善からぬことをされるのではないかと心配する側だと思うんですけれど」
「確かに、その通りですね。先の発言を真に受けたのなら、訂正しておきましょう。単なる冗談、会話を楽しむ為のスパイスですわ。……さて、あまりにも話頭を転じて会話が先に進まないのも困りますから――私はそれで困りませんが、あなたが困るでしょう。改めて問いますけれど――あなたの発言の真意は?」
「…………」
なんだろう。最初は正体不明の女性に強い警戒心と緊張を抱いていたのだけれど……。この寄り道や遠回りの多い悠長な会話を続けていたら、すっかり緊張が削がれてしまった。
もしかすると、俺の緊張を解きほぐそうとする思い遣りとして、あえて無駄の多い会話を続けているのだろうか。
それとも、こんな言葉の遣り取りが好きなだけか……だな。
「真意……ですか。それは……この訳の分からない、気味の悪い空間から脱する手立てを掴むためです」
「脱出手段の確保、というわけですか。まあ、順当に推論すれば、その結論に至るでしょう。私なら、あなたがここから脱する手段を知っているのかもしれない――もしくはその手に有しているかもしれませんから。たとえば――私が寄り掛かっている『これ』などですか」
女性はそう言うと、空間の裂け目を指先でなぞった。
「しかしながら、その為には、私に助力させる必要がある。好感を得るか――対価を払う交渉を行うか。どちらにせよ、じっくりと語り合う場を設けなければならない。だから、茶の席を設けてみては……と提案したわけですよね?」
「……御名答です。見事なロジカル・シンキングです」
「お褒めに与り光栄ですわ。しかしながら、その発言は、女性はラテラル・シンキングしか秀でていないのに意外……だという皮肉と受け取れるわけですが、これは邪推でしょうか」
「……少なくとも、俺はあなたの機嫌を損ねるようなことは、絶対にしないと思いますよ。……あなただけが頼りなのですから」
「私だけが頼りと。中々に嬉しいことを言って下さるではありませんか」
女性はくつくつと笑いを忍ばせると、体を起こし、裂け目に対して撫で上げるように指先を振った。
突如、空間の裂け目が跡形もなく閉じてしまった。
この場から女性の姿が消える。
「なっ……!?」
俺は瞠目して、その場で立ち上がった。
まさか、まさか――彼女は立ち去ってしまったのか? 上機嫌にすら見えていたというのに、何か彼女の癇に障るような発現をしてしまったのだろうか。
強烈な焦燥感と不安感が胸の中を駆ける――が、それは杞憂であった。
「そもそも、私があなたの前に現れた事実を推し量れば、目的は分かるでしょう。偶然に通り掛かったわけでもなく、救援信号を受け取ったわけでもなく。意図的に空間を裂いて現れた事実から。そうでしょう?」
眼前の空間に謎の直線が走るや否や、次の瞬間には、直線が楕円形に広がった。先ほどの裂け目よりも、一回りも二回りも大きい。まるで、人ひとりが通れる程の大きさだ。
空間の裂け目が広がると同時に、眩い光が零れ出してくる。
「――元より、大切な長話をするために、あなたの許へ来たのですよ」
光の中から、白色のロングソックスに包まれた足が伸びてくる。ついで、襞の多い紫色のスカート。上腕まで覆い隠す白色の手袋に収まった腕も現れ――その姿の全てを現した。
「これもまた運命の定め。もしくは運命の悪戯。早まった世界の交叉は偶然か、はたまた必然か――。ようこそ、異なる世界の交叉路へ。私はあなたの水先案内人として、真実の話を致しましょう。話は長くなると思うけれど――それこそ茶の席を設けて、のんびりとお話ししましょうか。茶菓子の好みはあるかしら?」