ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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産声

 事の発端は、何だったろうか。

 

 (ミコト)が「春姫(ハルヒメ)殿を救いたいのです!」と頭を下げたからだろうか。

 リリルカが「他派閥に不用意に関わってはいけません!」と止めたからだろうか。

 ヴェルフが「勿論協力する。なんたって家族だからな」と笑ったからだろうか。

 ポックは「お人好しの団長め」と呆れ半分、好ましさ半分だった。

 ポットは「気持ちは分かりますけども……」とリリルカに近しい立ち位置だった。

 ルアンは「本当にしないよな? 大派閥に喧嘩を売るなんて……!?」と怯えていた。

 ヘスティアは「いざとなったらボクの渾身の土下座で……!」と気持ちだけは一人前だった。

 

 そして、ベルは。

 「あの人を――春姫(ハルヒメ)さんを、助けたいです」と、純粋な眼差しで誓った。

 

 ああ、きっと“灰”ならば。それは少年の意志によってのみ成立したのだろう。

 けれど、それがアスカなら。今ばかりは少しだけ、違うのかもしれない。

 ほんの、少しだけ。家族を想うその心が、不死の裡に芽生えたのかもしれない。

 

 ――どうでもいい事だ。己の変容、精神の変質。そんなもの、“灰”には何の興味もない。

 ただ、己が掲げた使命を全うするために。“灰”は、ヘルメスを呼び出していた。

 

 

 

 

「やあやあ、アスカちゃん。遅くなってごめんね」

 

 複雑な隘路(あいろ)の一角に建つ、喫茶店『ウィーシェ』。

 待ち合わせの場所をそこに指定された“灰”は、帽子を取って正面の席に座るヘルメスに眼を向けた。

 

「遅かったな、貴公」

「これでも忙しい時くらいある身でね。でもアスカちゃんのお誘いなら断らないぜ?

 それで、用件は何だい? いくらでも聞こうじゃないか」

「【イシュタル・ファミリア】と、その眷族と思しき狐人(ルナール)、サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)についての情報が欲しい」

「――やっぱりそれかぁ」

 

 「あちゃー」とヘルメスは天を仰ぐ。両手で顔を覆う男神は、すぐに前へ体を乗り出して指を組んだ。

 

「情報はある。それもアスカちゃんが欲しがってる情報(もの)がピンポイントで。

 ただ……教えたくない。というか教えられない。

 これを口にしたら、俺は君に殺されてしまうからね」

「……ベルの『試練』に関わるか」

「残念だけど、そうなる。

 俺も腹黒い神だからさ。『誰』に『何』を渡すかで、舞台裏から糸を引きたがってしまう。今回の件に限って言えば、君に――『ベル君』に『春姫(ハルヒメ)ちゃんの情報』を渡して、不穏分子の【イシュタル・ファミリア】を排除する、みたいな筋書きはどうしても考えてしまうんだ。

 だから、教えられない。俺の望む望まざるに関わらず、事態はとっくに俺の予測通りに動いてしまっている。ここで情報を渡すのは、ベル君に『試練』を課してしまう事になるし――何より、君を傷つけてしまう。

 それだけは、絶対に避けたい。ごめんね、アスカちゃん――『不死狩りの鎌剣(ハルパー)』ちゃん。

 たとえベル君に、『英雄』になって欲しいと願っていても。それだけはもう、絶対に出来ないんだ」

「……」

 

 儚い笑みを纏うヘルメスは、隠さず全てを開示した。

 己の思惑、ベルへの願い、“灰”への想い。それを一切飾らぬ言葉で、眼前の不死に差し出した。

 

 気に入らない。“灰”はつくづくそう思う。最近の神はどいつもこいつも、同じ目でこちらを見る。

 悔恨、憐憫。そして、■情。“灰”には理解出来ぬ感情で、“灰”には理解出来ない行動をする。

 本当に、忌々しい事だ。ずくりと、胸に蠢く感情(なにか)を無視して、“灰”は深く、嘆息する。

 

「分かった。ならば契約だ。

 私は貴公に手を出さない。貴公は私に手を貸すがいい。

 ベルへの『試練』――それを()()()()()()()()()()()()()()()()()

 報酬は払おう。()()()()()()。貴公の謝罪の()()()をもって、この契約を()()()()()

「……いいのかい?」

「そうしなければ、貴公は情報を吐かんだろう。実に、実に癇に障る話だが……ベルのためだ。ならばこの程度は、呑み込んでやる」

「…………分かった。この契約を受け入れよう。済まない、そしてありがとう、アスカちゃん」

 

 自分本位に提案しておきながら、それで手を打ってやると傲岸不遜に言い放つ“灰”であったが、ヘルメスは真摯に、それを受け入れた。

 その態度に腹が立って仕方ないのだが、“灰”に手を出す事由はない。胎の底を曝け出す眼前の神の醜さに反吐が出そうになりながら、“灰”は情報を受け取った。

 

 

 

 

「何だって!? 狐人(ルナール)の子が、『殺生石』の生贄にされる!?」

 

 『竈火(かまど)の館』に戻ったアスカは、ヘルメスから聞き及んだ情報を話していた。驚愕するヘスティアに、灰髪の幼女は言葉を続ける。

 

「【イシュタル・ファミリア】の目的は、おそらくサンジョウノ・春姫(ハルヒメ)の持つ【魔法】だ。どのような魔法かは知らないが、極東では【妖術】とも称されるそれを団員全てに与えようとしている。

 その代償は、サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)の『(ソウル)』。その『儀式』が行われるのは、満月の夜――つまりは、今夜だ」

「そんな……!? だってもう、()()()()()……!?」

 

 窓から空を見上げる(ミコト)が、愕然と口にする。迷宮都市(オラリオ)にはもう、夜が降りている。満月が天高く昇るまで、時間はない。

 その事実に皆が閉口した。情報を集めるため援軍としてやってきた【タケミカヅチ・ファミリア】の千草(チグサ)は、さあっと青くなって倒れそうになり、桜花(オウカ)に抱き止められる。そうする巨漢の青年も、とても平常心とは言えなかった。

 

「一体、どうすれば……! 時間があまりにもない……!」

「タケミカヅチ様……今すぐにでも、助けに行かなければ!」

「ちょ、ちょっと待てよ(ミコト)!? そんなの出来るわけないだろ!?」

「無理です、無茶です、ありえません!? 相手はあの【イシュタル・ファミリア】ですよ!? 私達にどうにかなる相手じゃない……そんなの分かり切ってるでしょう!?」

「じゃあ何だ!? 俺達に見捨てろって言うのか!?」

「落ち着いてください、ヴェルフ様!? ポット様に当たっても何も解決しません!? 何か、何か方法を考えないと……!」

「……もう無理だよ……こんなの、助けられねえって……オイラだって、見ず知らずでも見捨てたくねえけど……どうしようもねえよ……」

 

 狂乱する彼らの怒号に、弱々しいルアンの呟きが、いやに大きく零れ落ちる。それに一同は、沈黙するしかない。

 あと一時間もない状況。相手は屈指の巨大派閥。そんな有様で、何処にいるかも分からない狐人(ルナール)を助け出す?

 不可能だ。そんな事、分かり切ってる。けれど、それでも――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 沈黙する皆の視線が、一箇所に集まった。そこに佇むのは、無表情の幼女。時代の『頂天』に立つ力を秘めるアスカは――その凍てついた太陽のような眼を、呆然とする少年に向ける。

 

「ベル。貴公は、どうしたい」

「え……?」

「私は貴公の家族だ。貴公が行くというのなら、私は常に側にいる。

 だが、貴公も、私も、家族が増えた。もはや我々だけの責任はなく、行動全てが、家族に重くのしかかる」

「っ……」

「その上で、あえて問おう。ベル、貴公はどうしたい。

 貴公のためなら、私は()()()()()。貴公のために、全てを尽くせる。

 だから貴公が、選ばねばならんのだ。私はそれを、待ち続ける」

 

 そう口にして、幼女は沈黙した。託された少年――ベルは、震える体で周囲を見渡す。

 

「神、様……」

 

 ヘスティアは、呻くように名前を呼ぶ少年に、笑みを浮かべた。

 君を信じる。そこにはベルへの、全幅の信頼があった。

 

「リリ……」

 

 リリルカは、駄目ですと叫ぼうとして、思い留まった。

 誰も手を差し伸べてくれない辛さを、少女は知っている。少年に助けられたリリルカは、ベルが手を差し伸べないのは、嫌だった。

 

「ヴェルフ……」

 

 ヴェルフは、無言で己の胸を強く叩く。

 俺達に構うな。突っ走れ! 【ヘスティア・ファミリア】の兄貴分は、少年の背中を後押しする。

 

(ミコト)さん……」

 

 (ミコト)は、縋るようにベルを見ていた。眦に涙を溜める少女の希望は、少年ただ一人しかいなかった。

 

「ポックさん……」

 

 ポックは、苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 常識では不可能な、ありえない選択。それをしそうな少年を前に、彼は拳を握りしめている。

 それでも――団長はお前だと。ポックは試すように、ベルを見ていた。

 

「ポットさん……」

 

 ポットは、青い顔で首を振る。

 それは紛れもない彼女の本心だ。巨大派閥に喧嘩を売るなんて、馬鹿を超えて自殺行為でしかない。如何に例外がいるとはいえ、この恐怖は拭えない。

 けれど、だからこそポットは涙を堪え。貴方に託しますと、ベルを見た。

 

「ルアンさん……」

 

 ルアンは、俯いていた。

 この中で諦めているのは、ルアンだけだ。誰もが一縷の望みをベルに向ける中、ルアンは少年を信じる事が出来なかった。

 ルアンが信じるのは、ただ一人。ベルではなく、アスカに顔を向けるルアンは――その銀の瞳に映る少年を、確かに見た。

 

「みんな……ごめんなさい……」

 

 少年の唇から、言葉が零れ落ちる。広がるのは安堵か、諦念か、絶望か。

 それが場の空気を支配しようとした瞬間。少年は――ベル・クラネルは、眦を決した。

 

「――それでも僕は、助けたい」

『――!』

 

 決断したベルの表情に、目を瞠る一同。

 代表するかのように、アスカが問う。

 

「【イシュタル・ファミリア】は、サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)を諦めないだろう。どうする?」

「強くなる。春姫(ハルヒメ)さんを守れるくらい、強く」

「時間がない。『敵』は、それを許しはしないだろう。どうする?」

「逃げる。逃げて、逃げて、強くなって――いつか必ず、迷宮都市(ここ)に戻ってくる」

「私ならば、全ての禍根を断てる。どうする?」

「アスカ。僕は、みんなで助けたい」

「そうか」

 

 アスカは眼を閉じ、薄く微笑み、それを消し去って振り返る。

 

「そういう事らしい。さて、貴公らはどうする?」

「――たくっ、マジでダメダメな団長だな、あんた! バカじゃねーの!?」

「あたっ!? ポ、ポックさん!?」

 

 ベルの足をポックは容赦なく蹴った。ついで、皮肉げにニッと笑う。

 

「でもま、アスカ様が家族だっていう団長様なら、それくらいが丁度良いや。ダメでも、バカでも、頼りなくても――あんたみてーに真っ直ぐなヤツは、嫌いじゃないぜ。()()

「……! ポックさん!」

「……フフッ。ええ、そうね。私も、ポックと同じ意見。

 行きましょう、()()さん。とっても、とっても怖いけれど……私達は、家族だから。

 それに、万が一傷物になっちゃったりしても……責任、取ってくれますよね?」

「ええっ!? ポ、ポットさん!?」

「ウフフッ! 冗談ですよ! 冗談! ベルさんったら、カワイイ人ね♪」

 

 悲壮感は、もうなかった。賑やかになる家族の姿を、アスカはただ見続ける。

 ポットに食ってかかるヘスティアとリリルカ、桜花(オウカ)と拳をぶつけ合うヴェルフ、千草(チグサ)と共に(ミコト)がベルへ涙ながらに感謝する。

 ルアンだけは、不安そうにこちらを見つめていた。それに応えないアスカは、一つ手を叩いて注目を集め。端的に『作戦』を口にした。

 

「時間もない。速攻で方を付けるぞ」

 

 

 

 

 アスカの提案した『作戦』はシンプルだった。

 全員に【飛翔】を施し、空を飛んで歓楽街に『侵入』。

 上空から『儀式』の場所を見つけ出し、奇襲によって『殺生石』を破壊するというものである。

 

 『殺生石』の詳細はヘルメスから聞き、タケミカヅチが補完した。

 原料である『鳥羽の石』は、月の光に左右される。ならば『儀式』の場所は空を仰げる、天高き場所である可能性が高い。

 ならば上空から探索すれば、闇雲に走り回るより『儀式』の祭壇を見つけられるだろう――その予想は当たっていた。

 

「発見した。あそこだ」

 

 水平移動を止め、滞空するアスカが静かに指差す。

 女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)、その別館にある『空中庭園』に、多くのアマゾネスと一人の狐人(ルナール)の姿があった。

 狐人(ルナール)――春姫(ハルヒメ)は既に鎖に繋がれ、青白い光に満ちる祭壇は、次第に赤く発光していく。

 時間は、もうない。だからアスカは、一言のみ発した。

 

「行くぞ」

 

 古鐘のような声を同時に、【飛翔】を施された者ともども一気に速度を上げる。

 誰かの悲鳴が漏れる。当然だろう、空を飛ぶなんて行為に慣れていない彼らには、自由落下より速い高速移動なんて恐怖に等しい。

 それを無視して、アスカはただ一点を目指していた。

 

 『殺生石』。それが柄頭に取り付けられた儀式剣を狙い、襲撃。

 

「!? なんだぁ、一体ぃ~~!?」

 

 それを唯一察知したのは、第一級冒険者、Lv.(レベル)5のフリュネ・ジャミール。

 春姫(ハルヒメ)に被害が及ばぬよう、最低限の威力として《レイピア》を装備したアスカの一撃を、フリュネの大戦斧が弾く。

 

「なっ……!?」

「【焼尽者(スコーチャー)】!?」

「――敵襲だ!! 全員、構えな!!」

 

 着地するアスカ。驚倒するアマゾネス。それを一喝して統制するのは【麗傑(アンティアネイラ)】、アイシャ・ベルカ。

 次々と空中から現れる、【ヘスティア・ファミリア】と【タケミカヅチ・ファミリア】。

 剣が、ナイフが、戦斧が、大朴刀が。刃を交え、火花を散らす。

 月が満ちるまで、ごく僅か。短い攻防戦が、始まった。

 

 

 

 

 詠唱(ウタ)が聞こえる。

 フリュネと真正面から打ち合うアスカは、ヒキガエルのようなアマゾネスの向こう側で鎖に繋がれた狐人(ルナール)が紡ぐ(うた)を耳にする。

 美しい詩だ。儚い詩だ。彼女の瞳に映る、絶望の世界に捧げる祝詞のような。

 アスカには何の感動もない。ただ、その詩は確かに不死の『未知』であり。

 遂げられてはならない。行動指針に詠唱の中断を追加する幼女は、だがフリュネに阻まれ動けないでいた。

 

「ゲゲゲゲゲゲゲッ!? 行かせないよォ、【焼尽者(スコーチャー)】!」

 

 フリュネが嗤う。想像よりも遥かに弱い手応えに、第一級冒険者は明確に幼女を見下している。

 対し、アスカは。ただ執拗に、フリュネ・ジャミールという『初見』の敵を見定めていた。

 

 必要なのは、確実なる『殺生石』の破壊。

 一刻を争うこの戦いにおいて、僅かであろうと不確実な手段を行使する訳にはいかない。

 だから、数十秒。月が満ちる限限(ぎりぎり)まで、アスカはフリュネを観測した。

 その強さ、癖、戦法と策略。全ての『未知』を『既知』に変え、絶対の『排除』を敢行するために。

 

 数十秒で十分だった。それだけの時間武器を交えれば、『致命の一撃』を叩き込むだけの猶予は捻り出せる。

 フリュネが油断している状況も良い。闇雲に飛び込んで『殺生石』を破壊するより、よほど勝算のあるやり方だ。

 

 ――それは“(アスカ)”の悪癖だった。本来であれば、圧倒的な地力の差に任せた暴力を振るう事こそ、この場における『最適解』。

 襲撃以前に、空中から弓矢か魔法による破壊でも十分だっただろう。第一級冒険者(フリュネ)の感覚を欺き、春姫(ハルヒメ)を危険に晒さない。その対処法は確かにあった。

 だが、不死たる“灰”はそれを選ばない。選べない。無数の敗北を積み重ねた膨大な経験が、『手段』を有する不死の手足を縛る。

 “灰”は只人だった。凡人だった。卑小で、弱く、愚かしかった。そんな『凡愚』の判断が、『最適解』を導き出せる道理などないのだ。

 

 そして――春姫(ハルヒメ)は。

 

「【大きくなぁれ】――【ウチデノコヅチ】」

 

 旋律の果てに生まれた魔法を、()()()()()()()()()()使()()()

 

 時の歯車は、無情に回り続ける。

 

 もしも春姫(ハルヒメ)が、もっとベルと話していたら。(ミコト)の言葉を聞いていたら。

 諦め、秘めて、水面に沈めた本当の願いを、口にする事が出来たなら。

 こんな事は起こらなかったのかもしれない。

 

 けれど、狐人(ルナール)の少女は。

 我が身を省みず、助けに来てくれた少年の姿に。こちらへ手を伸ばす、少女の涙に。

 ()()()()()()()()()と、()()()()()()()()

 薄汚れた娼婦の身には、たったそれだけで十分だと。

 最期は、笑おうと決めた少女は――自らを殺す者へ、魔法を明け渡してしまった。

 

 歯車は、回り続ける。

 

 フリュネの解析を終え、『致命の一撃』を叩き込もうとしたアスカの攻撃は、春姫(ハルヒメ)の魔法によって強化されたフリュネの速度に引き千切られる。

 春姫(ハルヒメ)を巻き込まぬよう、力を最低限に抑えていたのが仇となった。隙を晒したアスカは、耳障りな哄笑を上げるフリュネの大戦斧に抉り抜かれる。

 

 宙を飛ぶ、灰髪の幼女。壁に叩きつけられ、絶命する不死の末路。

 その最期。意識を手放す一瞬に。

 アスカは、胸を貫かれる春姫(ハルヒメ)を、ただ見ていた。

 

 

 

 

 雨が降っている。

 数秒か、数十秒か。瓦礫の中で蘇生したアスカは、曇った空を見上げていた。

 いつの間にか、分厚い曇天が空を覆っている。あんなにも輝いていた月の光は、もう見えない。

 それに何の感慨もなく、むくりと、幼女は体を起こした。ガラガラと音を立てて崩れる瓦礫を押しのけ、空中庭園へ帰還する。

 

 全ては、もう終わっていた。

 アマゾネスの姿はない。仲間は倒れ伏している。おそらくは、第一級冒険者(フリュネ)の暴威に一蹴された家族は、ただ一点を見つめている。

 涙を流す者がいた。やり切れないと拳を握る者がいた。ああ、やっぱり無駄だったと、諦めている者がいた。

 その間を歩きながら、アスカは一箇所をただ目指す。役目を終えた祭壇の、中央に崩れ落ちた一人と一つを。

 

 少年は、泣いていた。己の無力を噛み締めながら。

 少女は、最期に微笑んでいた。それでも救われたのだと、慰めるように。

 

 ありふれた、残酷な物語の結末だ。仮に「もしも」を願ったとしても、それで結果が覆る事はない。

 時は無情に、進み続ける。歯車はただ、回り続ける。

 

「ベル」

 

 ――そうだとも。まだ、回っているのだ。

 まだ何も、終わってなどいない。それを悟っている不死は、厳然たる事実を口にした。

 

「私ならば、サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)を黄泉帰らせる事が出来る」

 

 僅かな間の後。少年が、顔を上げる。

 暗い目だった。涙でぐしゃぐしゃになり、潰れそうな心が映っている。このままでは、きっとベルは折れてしまう。

 それでもいい。そうでなくともいい。アスカには、どちらでも構わない。

 

「だが、そのために。私はこの歓楽街を、炎で焼き尽くすだろう」

 

 これは、きっと『天秤』だ。

 少年に課する、価値の『天秤』。少女か、それ以外かを問う不死の瞳に、少年以外は映っていない。

 きっと、ベルには分からない。これからアスカが為そうとしている事の、その暗き業の果てを。

 それでも問うのは、残酷な事なのだろう。選ぶのは、貴公(ベル)だと。アスカはただ、押し付けているに過ぎないのだから。

 だからこそ、これはベルが決めなくてはならない。

 アスカが――“灰”が、全てを捧げるのは、ベルただ一人。

 それ以外を救う事に。“灰”は、何の興味もないのだから。

 

「……けて、ください……」

 

 嗚咽を漏らす少年は、絞り出すように声を上げる。

 

「……助けて、ください……!」

 

 少年の心に影を落とすであろう選択を、不死はただ見続ける。

 

「――春姫(ハルヒメ)さんを、助けて……アスカ……!」

 

 その言葉に。絶望であろうとも縋るしかないベルの声に、アスカはただ眼を細め。

 

「分かった」

 

 それだけを口にして、“灰”は空中庭園から消失した。

 

 

 

 

 女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)、その最上階。

 宮殿の主たる女神の神室(しんしつ)で、イシュタルは沈黙していた。

 報告を受けたその表情には、イシュタルらしからぬ憂いが秘められている。

 

「……そうか。『深淵の子(アブズ)』が現れたか」

「はっ。如何なさいますか?」

「……放っておけ。『儀式』が終わったのなら、フレイヤとの抗争も目前だ。お前達が構う必要はない」

「畏まりました」

 

 窓から歓楽街を見つめるイシュタルは、青年従者(タンムズ)を下がらせる。神室(しんしつ)に一人、窓辺に近づくイシュタルは、降り注ぐ雨をただ眺めていた。

 

「……なあ、『深淵の子(アブズ)』。お前は、私の愛を受け入れるか?」

 

 問いかけるように独り言を呟き、否、とイシュタルは否定する。

 あの子供が、神の愛を受け入れる筈がない。あれ程までに傷つけられ、神々を憎む子供には。

 受け入れられるのはきっと、最初から寄り添い、暖かな心で照らし続けた悠久の聖火(ヘスティア)だけだ。己に資格などないと自嘲しながら、それでもイシュタルは想う事を止めなかった。

 

「……ん?」

 

 だからだろうか。イシュタルの視界に、小さく灰色が翻る。

 窓の外、降り注ぐ雨の中、別館の頂上に――誰かいる。

 生まれより伸びる灰色の髪。闇に浸したような長衣。

 彼方を見つめる、凍てついた太陽のような眼。

 

「『深淵の子(アブズ)』……?」

 

 イシュタルが呟く。その手は無意識に伸ばされ、触れようとしているかのようだった。

 同時に、佇む小人の手も、前方に伸ばされる。

 

 

 

 

「さて……」

 

 ベル達の前から消えた“灰”は、歓楽街を見下ろしていた。

 夜に咲き誇る淫蕩の園。それを眺める灰色の小人は、漂うソウルの匂いを嗅ぎ分けている。

 『殺生石』に封じられ、砕け散った春姫(ハルヒメ)の『(ソウル)』。それは百以上に分裂し、歓楽街の方々へと現在進行系で散っている。

 取り戻す事は出来る。“灰”個人であろうとも、それは達成できる事項だ。

 

 問題なのは、()()だ。

 “灰”のみであれば、おそらく年単位の時間を要する。上手く行けばもっと短いだろうが、“灰”は己の能力を過小評価しかしない。

 百以上にバラけた、それぞれがLv.(レベル)3以上の冒険者。その上でフリュネが纏ったのと同じ、絶大な強化をもたらす春姫(ハルヒメ)の『妖術』を扱える。

 その全てを倒し、集め切るのは苦労するだろう。元より不死とは、何度でも繰り返す化け物。

 何度でも、何度でも。時間が許す限り死合輪廻(トライ・アンド・エラー)を続行するのが、不死の強みである故に。

 限られた時間の中で、最大の結果を得る。それを苦手とする“灰”は――己の持つ大いなる二つの『手段』、その片方を切る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヨーム」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソウルを振るい、解き放ち、従える。

 小人の狂王の伝承は、ただそれのみが伝わっている。

 

 ソウルを振るい――それが小人の狂王の半身、《折れた刃の一振り》ならば。

 解き放ち――それが小人の狂王の咎、深淵を広げる闇術たる【反逆】ならば。

 従えるとは、一体、何を指すのだろう?

 

 『火の時代』は、知っている。

 何処(いずこ)かより現れ、放浪し、啜り続けた蚕食者。小人の狂王が、何をしたのかを。

 その下卑た笑みを浮かべる口で、喰らい続けたソウルどもを、どうしたのかを。

 

 【青教】【青の守護者】【狂王の烙印】【法官の契約】。

 汚染され、歪められた【誓約】は。それを刻まれたソウルどもを、【狂王の侍従】とした。

 

 ――――()()()()()()()

 

 それこそが、小人の狂王の――暗い業の正体である。

 

 

 

 

 地響きが、迷宮都市(オラリオ)を襲った。

 都市を揺るがす文字通りの震え。大地の上げる唸り声に、眠りについていた者達は飛び起きる。

 何事かと、まだ夜に蠢いていた者達も外に飛び出し――絶句する。

 

 都市の南東、歓楽街が、燃えている。

 炎がまるで壁のように、歓楽街を囲っている。

 ()()()()()()女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)のすぐ側で。

 

 ――『火の時代』を繋いだ『薪の王』は、全身を焼かれながら『産声』を上げた。

 

 

 

 

「――――ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 

 

 

 その咆哮に、都市中の人類の(ソウル)が震えた。

 

「な、何だ……この叫び声……!?」

 

 立ち上がる、炎の影。女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)をも超える身の丈を、目撃者は恐れた。

 

「巨人!? モンスター!?」

「何だありゃあ……『ゴライアス』、なのか……?」

 

 冒険者は足を止める。炎の先、咆哮する『巨人』。歓楽街で今、ただならぬ事が起こっていると。

 

「ウラノス、これは!?」

「……ああ。動いたようだ。もはや、誰にも止められん」

 

 都市の創設神、ウラノスは静かに、愚者(フェルズ)へただ『事実』を告げる。

 

「……アスカ君……」

 

 そして。『竈火(かまど)の館』で、眷族の帰りを待つヘスティアは。

 吹き上がる炎の中に、確かに愛おしい小人の姿を見て。

 また、一人だけ傷つくつもりなのかい、と。己の拳を握り締めた。

 

 

 

 

 歓楽街は大混乱(パニック)に陥っていた。

 突如として現れた、燃え盛る『巨人』。女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)を超える全長の巨大な()()は、その手に塔ほどもあろうかという巨大な大鉈を握っている。

 燃え盛り、炎を撒き散らすその威容。装備を纏い、頭部に王冠を掲げるその異様。

 何もかもが既存の怪物と違うその姿に、けれど人々は逃げ惑った。

 

 ――何よりも、その咆哮と。燃える炎の奥に宿る、『薪の王』たる証の瞳に。

 

 その『巨人』が、何かに『敵意』を向けていると分かってしまうから、彼らは怯え、逃げるしかなかった。

 

 しかし、それは叶わない。

 歓楽街を囲う炎の壁――それが人々を一人たりとも逃さない。

 炎上覚悟で飛び込んだ冒険者も、ことごとくが()()()()

 外界を断つ、拒絶の炎。

 ()()()()()()と、人々が悟ったその時に。

 『巨人』の咆哮は、再び大地に轟いた。

 

 

 

 

 今は遠き『火の時代』。消えかけた『最初の火』を再び灯すために、『王』となった者達がいた。

 『最初の薪の王』――「太陽の光の王、グウィン」より続く、薪の系譜。

 その身に『王』たる力を宿し、その『器』をソウルで満たす。その資格があろうがなかろうが、望もうが望むまいが、彼らは焚べられ、『火』の安寧を保つ贄となった。

 

 『薪の王』。そう呼ばれる者達は、『最後の薪の王』たる“灰”に至るまで幾人も現れた。

 

「罪の都の孤独な王、巨人のヨーム」

 

 歓楽街の中心で、「巨人ヨーム」は咆哮する。

 巨人の呼び名に相応しく、その体はただただ巨大だ。歓楽街で最も高い建物である女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)を超える体躯は、それだけで見上げる者を睥睨し、圧倒する『力』がある。

 その巨腕が、振り被られる。傍目にはゆっくりと、しかし信じられない速度で上昇する二つの巨腕は、塔ほどの大鉈を両手で握り、大地へ振り下ろす。

 瞬間、爆砕。巨人から溢れ出る炎が、その体躯に身を任せた一撃が、巨大な地震となって歓楽街に襲いかかる。

 『夜の街』を満喫していた冒険者も一般人も関係なく、ただの娼婦も戦闘娼婦(バーベラ)も見境なしに、歓楽街中の人々は炎の熱に炙られた。

 広がっていく、『開戦の狼煙』。『最初の火』に焼かれる「巨人ヨーム」は、雄叫びを上げ続ける。

 

「ファランの不死隊、深淵の監視者たち」

 

 歓楽街の南で、突如として棺が溢れ出た。

 百以上を超える、棺の波。それは建造物を破壊しながら積み上がり、やがては一つの塚の如く、山となって沈黙する。

 朦々と吹き上がる煙、さらなる事態に追い打ちされる人々。狂乱の最中にある彼らは、その瞬間だけは狂乱(それ)を忘れ、ただただ目を見開いた。

 立っている。(けぶ)る向こう側に、無数の人影が。

 彼らは皆、燃えている。音を立てて炎に巻かれながら、無感動に立ち上がっている。

 大剣と短剣の二刀流。風にはためく薄汚れた血錆の外套。不吉を象徴する、不死隊特有の長兜。

 「深淵の監視者たち」は続々と棺の中より立ち上がり、狼のように疾駆した。

 四方八方へ飛び、屋根伝いに翔ける監視者たち。彼らは一様に、深淵の兆しあらば異形と戦ったかつてのように、ある物を探して奔走する。

 春姫(ハルヒメ)の『(ソウル)』を秘めた、『殺生石の欠片』。それを持つ戦闘娼婦(バーベラ)は、突然の事態に順応する暇を与えられぬまま、不死隊との交戦を強いられた。

 

「深みの聖者、神喰らいのエルドリッチ」

 

 歓楽街の東側が、暗い深みに沈んでいく。

 地より染み出し、溢れ()で、広がっていく深みの泥。それは深海より鳴り響く音のように押しては引き、触れた建造物を引きずり込んでいく。

 人も、例外ではない。一度でも足を取られたら、逃れる事はもはや出来ない。悲鳴を上げ、助けを懇願しながら、彼らはゆっくりと深みに沈んでいく。

 その中から。どろりと、それは現れた。

 溺れた豚のように膨れた、(とろ)けた汚泥の巨塊。もはや形なく、蛭かナメクジにしか見えないその物体は、ずるずると真黒の体を引きずって地上へと這い上がる。

 その節々には明らかに、人の骨が紛れていた。蛆が湧き、深淵に食い荒らされ、残骸となった成れの果て。大量の人骨と同化した深みの汚泥は、無音のまま進軍を開始する。

 「神喰らいのエルドリッチ」の動きは緩慢だ。見境なく万物を飲み込みながら進むそれに、無謀にも挑戦しようとする者もいた。

 『殺生石の欠片』を使用した戦闘娼婦(バーベラ)。一時的にLv.(レベル)の壁を超え、より高次の、()()()()()()()()()()()()()()()()彼女は――即座にエルドリッチに捕食される。

 響く絶叫は、徐々に小さくなって消えた。捕食の瞬間のみ人類の認識(げんかい)を引き千切るエルドリッチは、己の使命を遂行し続ける。

 

「血統の末、王子ロスリックと兄王子ローリアン」

 

 歓楽街の西の屋根に、いつの間にか彼らはいた。

 街中に燃え盛る火を、中心に聳える女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)を見上げるローブの男。5(メドル)はあろうかという体で小さく(うずくま)る彼の肌は青白く、痩せ細っている。

 明らかに病人のそれである姿をローブの陰に隠す彼を、逃げ惑う人々の幾人かが発見する。中には戦闘娼婦(バーベラ)も含まれ、明らかに歓楽街に馴染みない存在を、敵かと即座に判断した。

 しかし、飛びかかる戦闘娼婦(バーベラ)は――炎の一閃によって全員弾き飛ばされる。

 ローブの男の足元、街路に現れたるは、デーモン殺しの刃。「王子ロスリック」の剣にして、分かち難い呪いの半身である「兄王子ローリアン」は、炎の剣を地面に突き立て、声なき声を張り裂ける。

 直後、ローリアンの足元が光り輝いたかと思うと、鎧を纏う6(メドル)の巨躯が()()()()し、デーモンの燻る残り火を宿す大剣が振り払われた。

 周囲を建物ごと両断し、焼き払う一撃。それは連続で振るわれ、破壊の波を広げていく。

 兄王子が倒されぬ限り、王子の出番はない。ロスリックは首を擡げ、女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)別館の頂上に立つ灰髪の不死を、倦んだ瞳で見上げていた。

 

 

 

 

 “灰”は、その光景を眺めている。自らも『薪』となり、燃え盛りながら。

 その右手に折れた刃の姿はない。火を起こすのに、闇は邪魔だ。燃え続ける限りは、遥か彼方でひっそりと、消える時を待っていればいい。

 だから握るのは、《最初の火の剣》のみ。左腕が燃え、装いも狂王のそれとなり、『薪の王』として君臨する“灰”は――背後の存在へ声をかける。

 

「王たちの化身」

 

 螺旋の大剣が燃え立つ篝火の前に鎮座する、焼け熔けた鎧の『王』。

 

「貴公は、好きにしろ」

 

 そう言って飛び降りる“灰”にまるで反応せず、『化身』と呼ばれる存在は、不動と沈黙を貫いていた。

 

 

 

 

 霊体の、強制召喚。

 “灰”の持つ大いなる力、絶望を覆す最も強力な『手段』、その二つの一つ。

 もう一つの『手段』とは、戦争遊戯(ウォーゲーム)で見せた『火の時代』を顕現する力だ。

 火と闇を統べる『王』となり、万象を焼き尽くし、飲み干す力。それは平時に振るうには余りにも強力で、故に使い勝手が悪く、早々用いられる事はない。

 

 『霊体の強制召喚』も同じである。如何に“灰”が『火の時代』の蚕食者であり、その身の裡に無数のソウルを蓄えていようとも、それを一つ一つ強制召喚するのは面倒極まる。

 

 何より、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という一点においても、安易に使うべき力ではないだろう。

 

 それでも“灰”は、この手段を選んだ。外界を断絶する炎の壁で歓楽街を『檻』に変え、そこに『薪の王』達を解き放つという暴挙を。

 “灰”の全ては、ベルのために。()()()()全ての『殺生石の欠片』が集まりさえすればいいと考える不死は、自らも蒐集するべく動き始めた。

 

 

 

 

「……駄目です、フレイヤ様。突破出来ません」

 

 炎の壁に渾身の【魔法】を撃ったオッタルは、眉間に亀裂を刻みながら苦く言った。

 

「そう。貴方でも無理なら、しょうがないわね」

「申し開きも有りません。この罰は、如何様にも」

「いいわ。きっと、あの子の仕業ですもの。だから、私は赦す。貴方自身が赦さなくてもね」

「…………」

 

 柔い風のようなフレイヤの言葉を受け止めるオッタルの表情は暗い。普段、巌のような鉄面皮を保つ武人の顔には、僅かだろうと苦渋が滲んでいる。

 フレイヤ率いる眷族達が立つのは、歓楽街の()()。彼らは足を踏み入れたとほぼ同時に炎の壁で外界と遮断されてしまった。

 同行している【女神の戦車(アレン)】、【白妖の魔杖(ヘディン)】、【黒妖の魔剣(ヘグニ)】、【炎金の四戦士(ガリバー兄弟)】がそれぞれの武器、魔法で炎の壁を攻撃するも、まるで通じていない。

 

「やめておきなさい。その炎は、一種の『理』よ。

 空に雲があるように、花が風に散るように……『現象』そのものを書き換える力なんて、個人が持ち得るものじゃない。

 あの子くらいになれば、話は別なのでしょうけど……少なくとも『今』の貴方達に叶う事ではないわ」

『ッ……!!』

「だから、前を向きなさい。『彼ら』をその目に焼き付けなさい。

 この時代に、神に依らない『本物の英雄』がいるとするのなら。それはきっと、()()()()()()よ」

 

 フレイヤは、眼前に広がる光景を見つめながら呟く。燃える歓楽街、屋根を走る狼の影、彼方に広がる深み、女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)を超える巨人、ひっそりと紛れる双子の魂。

 綺羅びやか、などという言葉さえ焼け落ちる炎の中で、それでも彼らは動き続ける。()(こころ)も焼き尽くされながら、消えぬ意志(ソウル)でそこに在る。

 その『色』を、悲痛に暮れる銀の双眸で、決して目を逸らさず。

 

「行きましょう」

 

 己の罪を受け入れる美の女神は、眷族と共に歩き出した。

 

 

 

 

 気に入らない。気に入らない。気に入らない。

 アレン・フローメルの機嫌は最悪だった。

 ここ最近、彼を苛立たせる事柄が多すぎる。

 

 この歓楽街もそうだった。生来の狩人、獣人であるアレンにとって、歓楽街の甘ったるく生臭い空気は鋭敏な感覚を刺激し過ぎる。

 今は焼け焦げて多少マシになっているとはいえ、それで根本が変わるわけではない。今にも唾を吐きそうな猫人(キャットピープル)の青年は、だがもっと気に入らない事があった。

 

「ぎゃああああああああああああああああっ!?」

 

 耳障りな悲鳴と共に、何かが眼前の建物へ激突する。当然のようにフレイヤを庇うアレンは、剥がれ落ちるように倒れるアマゾネスに眉間を決裂させた。

 

「ぐっ……クソッ、チクショウッ! 何なんだ、()()は……!?」

「おい。今すぐ失せろ、糞」

「え――ひぃっ!? 【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】ッ!? 【フレイヤ・ファミリア】ッッ!?」

 

 血を流すアマゾネス、戦闘娼婦(バーベラ)は突き出された槍の持ち主と、その背後に驚愕する。

 遅い。あまりにも遅過ぎる。認識も危機感も、まるで足りていない。

 率直に言って、アレンは切れていた。些細な事でも逆鱗に触れるほど、彼の意識は荒んでいる。

 ああ、もういい。数秒も時間を無駄にした戦闘娼婦(バーベラ)に、これ以上の慈悲をアレンは与えなかった。著しい殺気、Lv.(レベル)6の本物の殺意。

 それをようやく察知した戦闘娼婦(バーベラ)は、這う這うの体で逃げ出そうとするが――()()()()()()()()()()()()()()()()、狼の牙が戦闘娼婦(バーベラ)を食い千切る。

 

 それは()()()()()現れた。彼方から炎の軌跡を残し、滑空するように、()()()()()()()()()()()()()()()()飛来した。

 大地に短剣を突き刺し、アレン達の眼前に着地するまでに一度。吹き荒ぶ火の粉が消えるまでに一度。

 瞬く間に二度の連撃を食らった戦闘娼婦(バーベラ)は、その剥き出しの腹を燃える大剣で貫かれ、意識を手放していた。

 ずるりと、大剣が引き抜かれる。血も内臓も零れ出ない。()ごと焼かれた戦闘娼婦(バーベラ)は、Lv.(レベル)故に絶命に至る事はなく。

 その手に握り締められた『殺生石の欠片』を、長駆の不死隊、「深淵の監視者」はゆっくりと奪い取った。

 そして。その長兜をアレン達に向け、淀んだ瞳でじっと見つめる。

 

 暫しの後。「深淵の監視者」は興味を失くしたように、彼らから離れていった。

 

「…………ッッッ!!!」

 

 ギシリと、アレンの剥き出しの歯から軋む音が響く。

 侮られた。()()()()()。確かにアレンを、【フレイヤ・ファミリア】を認識しながら、「深淵の監視者」はそれを障害と見なさなかった。

 銀の槍を握るアレンの手が震える。柄を砕きそうな程の力が込められた腕に宿るのは、()()

 都市最大派閥にして冒険者達の最上位に君臨するアレンには無縁である筈の、恥ずべき人の弱さ。それをたった一度の対峙で強制的に思い出させられたアレンは、『恐怖』を力づくで抑え込みながら、誓った。

 

 ――俺は必ずてめーらを超える。女神に捧げしこの槍で、必ず血祭りに上げてやる……!

 

 アレンは立ち去る「深淵の監視者」を射殺さんばかりに睨む。その背は確かに、『階層主』のそれを遥かに超える『本物の英雄』の後ろ姿であり。

 最も憎むべき、殺さなければならない灰髪の小人と被るその背を、アレンはずっと睨んでいた。

 

 

 

 

 ヘディンとヘグニは、燃える歓楽街を気ままに歩くフレイヤの護衛に徹していた。

 殲滅する対象は、錯乱して襲いかかってくる有象無象と、崩壊する建築物。常人では逃げ惑う事しか出来ない状況下で、二人は文字通り露を払うが如く平然と歩き、対象を沈黙させる。

 だが、その二人を持ってして全力で当たらなければならない『現象』が、今まさに歓楽街に轟いた。

 

「【永伐(えいばつ)せよ、不滅の雷将】――【ヴァリアン・ヒルド】」

 

 ヘディンは超短文詠唱の【魔法】を解き放つ。ヘグニは既に人格改変魔法(ダインスレイヴ)を使用している。

 燃える歓楽街を光で塗り潰す一条の迅雷が、最強の『己』を召喚した黒妖精の連撃が、迫り来る炎の衝撃波とぶつかり合い、()()()()()

 

「ッ――たとえ我が(つるぎ)が及ばずとも、我が身を呈すに一切の怯懦(きょうだ)なし!」

「【永争(えいそう)せよ、不滅の雷兵(らいへい)】! 【カウルス・ヒルド】!」

 

 魔法と斬撃を散らしながらなお衰えぬ衝撃波にヘグニは躍り出た。その身が傷つくのも構わず、防御無視の渾身の連撃を叩き込む。

 その背後で、ヘディンの魔法が炸裂する。正確無比な操作(コントロール)によってヘグニを避け、その『魔眼』により見極めた炎の衝撃波の弱点に攻撃を集中。

 ()()()()()()()()()()、衝撃波に僅かな隙間が生まれ、フレイヤに被害を及ぼさない領域を確保出来た。

 フレイヤの両隣を素通りし、等しく破壊を撒き散らす衝撃波を見送って、ヘディンとヘグニは前を見上げる。

 

 そこでは、勢い衰えず燃え盛る『巨人』が、心胆が震える程の咆哮を轟かせていた。

 

「……ヘディン」

「分かっている。皆まで言うな、ヘグニ。――あれは、『王』だ」

 

 それはかつての、悪鬼羅刹の如き『戦王』の勘か、はたまた苛烈なる『理王』の叡智が導き出したのか。

 どちらともなく、二人は同時に、巨人が『王』である事を悟っていた。

 

「――――ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 「巨人ヨーム」の咆哮が轟く。それが嘆きか、怒りかは分からない。確かなのは、巨人は未だ留まる事を知らず、動き続けているという事だ。

 その体は焼け爛れている。炎に焼かれ、吹き曝し、伽藍堂となってなお、「巨人ヨーム」は止まらない。その瞳に宿る赫、己が定めた使命のままに、燃える巨人は猛り狂う。

 

 ヘグニは目を見開く。その姿は古い過去、民草に強いられるままに戦い続けたヘグニに似て、誰かの盾となり、ついには盾を捨てた成れの果てなのだと。

 ヘディンは目を眇める。その背中は遠い過去、『王』の責務を捨てる無能にだけはなれなかったヘディンに似て、愚民の罵倒を受け続け、ついには裏切られた痕が刻まれていると。

 

 今更、彼らに感傷はない。それは唾棄すべき過去であり、女神に解放された奴隷の記憶だ。フレイヤがいなければ二人はあの島で、どちらか一人になるまで、あるいは互いに刺し違えて息絶えていただろう。

 だからこれは、感傷ではない。巨人を見つめる二人の双眸に宿るのは、評価と羨望。

 経緯はどうあれ、二人は最後に『王』である事を捨てた。互いの国が憎しみの果てに絶滅した戦争の跡地で女神に拾われ、その責務から解放された。

 

 だが。あの巨人は、()()()()()()

 その背に石を投げつけられて。孤独な王とまで呼ばれて。それでも最後まで、『王』の責務から逃げなかった。

 そんな義理はなかった筈なのに。「巨人ヨーム」はその身を薪に変えてまで、『王』で在り続けたのだ。

 だから、ヘディンは評価する。だから、ヘグニは羨望する。

 あのような(ざま)は望まないが、それでもあの巨人のように在れたのなら。

 二人が『王』であった過去も、少しは違っていたのかもしれない。大鉈を振り上げる巨人を見上げる二人は、次の衝撃波に備え、それぞれの武器を(しか)と構えた。

 

 

 

 

 ガリバー兄弟の長男、アルフリッグ・ガリバーには、弟達との確かな絆がある。

 確かに四人は似たり寄ったりだ。四つ子である事も影響しているのか、互いの考えている事は大抵分かる。

 ドヴァリンもベーリングもグレールも生意気な弟だが、その分だけ損をする長兄の役割を、アルフリッグは不幸だとは思わなかった。

 先に生まれた兄が、後に生まれた弟を助けるのは当たり前。幼い頃は、女神に拾われるまでは、卑屈な小人族(パルゥム)でしかなかった彼は、だからこそ弟達との絆を大事にした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。時にはそんな思いさえ抱くアルフリッグは、きっとそうであるからこそ、その『英雄』に目を奪われたのだろう。

 

 歓楽街を自由気ままに歩くフレイヤは、西への道を進んでいた。

 当然、警護は眷族達が務める。屋根に登り、周囲を警戒する【炎金の四戦士(ブリンガル)】は、先の広場で繰り広げられる戦いに見入っていた。

 

「デカいな」

「ああ、デカすぎる」

「何だあの鎧男。デカすぎんだろ」

小人族(パルゥム)ナメてんのか」

 

 示し合わせたように口々に言い合うガリバー兄弟が見ているのは、炎を纏う大剣を振るい続ける王子の一人。

 「兄王子ローリアン」は、数十のアマゾネスに囲まれながらも、それを鎧袖一触に斬り払っていた。

 

『ぎゃああああああああああああああああっ!?』

 

 光の粒を纏うアマゾネスの複数の悲鳴が重なる。『殺生石の欠片』を使用する戦闘娼婦(バーベラ)は、【イシュタル・ファミリア】が保有する戦力を明らかに超えた動きで戦っている。

 だが、相手は更に桁が違った。何処までいっても途上でしかない彼女らでは、一つの極みに至った「兄王子ローリアン」の一撃を視認する事さえ叶わない。

 一方的な蹂躙劇は、ローリアンが解き放った光り輝く聖光によって終焉を迎える。歓楽街西の中心近くから炎の壁まで優に届く光の斬撃は、光の壁と見紛う聖光を立ち昇らせ、戦闘娼婦(バーベラ)達を完全に沈黙させた。

 そこにぽつぽつと、淡い光が灯っていく。戦闘娼婦(バーベラ)の握られた手、その内側から上へ昇る光の中には、『殺生石の欠片』が浮かんでいた。

 それはゆっくりと、徐々に速度を上げ、屋根の一つに集中する。両手を天に差し出したローブの男、「王子ロスリック」の(てのひら)へ集まった。

 

「あのローブ、鎧男の弟だな」

「ああ。顔と(なり)が似ている。病人っぽいけどな」

「それを言うなら鎧男もだろ。足と喉、使えないみたいだぞ」

「……なあ。やっぱり、そうなのか?」

「「「…………」」」

 

 グレールの一言に、他の三人は沈黙する。それは彼らが兄弟だから察知した事だ。

 あの兄弟は、呪われている。ガリバー兄弟のそれとは違う、歪で不幸な形の結びつきによって、分かち難く繋がっている。

 きっとそれは、兄が病弱な弟を想うが故に、足と喉を差し出したのだろう。生涯弟の剣となり、その身を守り続けるために。

 けれど。それで救われたのは、果たして誰だったのか。アルフリッグは思う。

 

 兄は弟を助けるもの。けれど弟が救うのは、いつだって兄だ。

 

 「王子ロスリック」を背負い、一度こちらを見て、路地へと消えていく「兄王子ローリアン」。その二人の背中を見つめ、四人兄弟は戒めとして、それを記憶に刻むと決めた。

 

 

 

 

 オッタルはただ、フレイヤに付き従っていた。

 気ままな風のように歓楽街を歩く女神。けれどその瞳は憂いに満ち、綻ぶような美しい微笑みはなく、表情に影を落としている。

 歓楽街を駆ける狼の如き戦士達。中心で今も暴れ狂う巨人。静かな場所へ消えて行く双子の王子。

 そして、西に広がる深みにさえ、女神は痛苦の色を浮かべる。まるで彼らの存在が、女神の犯した罪そのものであるかのように。

 普段のオッタルならば、迷いはなかった。オッタルにとって世界とは、フレイヤのみ。己が何者かも分からぬまま、寒々しい夜に震えていたあの日にその手で抱かれた時から、オッタルが報いようと思えるのはフレイヤしかいない。

 都市最強、『頂天』、Lv.(レベル)7。そう讃えられる力をもって、オッタルは女神に仇なす全てを取り払い、どうかまた微笑んで欲しいと願った筈だ。

 

 だが、それは出来ない。オッタルの意志が薄弱になったのではなく……この地に現れた誰も彼もが、オッタルの遥か『格上』だからだ。

 それはここにいる仲間達……いや、女神の寵愛を争う同士にして敵も理解している。

 彼の『王』達は皆、凄まじく強い。それこそあの小人、迷宮都市の『頂天』を塗り替えた灰髪の小人族(パルゥム)にも迫るか、凌駕する力を、どの『王』であっても秘めている。

 それはオッタルにとって許し難い事だ。許せないのは『王』の強さではなく、呪わしい程に弱い己の力。

 

 なんたる脆弱。なんたる惰弱。

 この脆すぎる身で、一体何を掴もうと言うのか。

 

 今のオッタルでは、あの『王』達に挑んでも戦いにすらならないだろう。道端に転がる戦闘娼婦(バーベラ)のように、有象無象の如く敗れ、打ち捨てられるだけだ。

 だからこそオッタルの目は、一点に向けられていた。

 

 炎の檻と化したこの地で、最も強力であろう者。

 見えずとも、そこに在るだけで太陽の如き存在を誇示する――『化身』へと。

 

 その気配が一瞬で、オッタルの眼前へ迫った。

 

「――――ッッッ!!!」

 

 オッタルは反応した。辛うじて、であろうとも、ただ女神を守るために。

 そして向こうは、その気すらなかった。ただ目の前に立ちはだかる。それだけで、()()()()()()退()()()()

 突如として吹き荒ぶ、炎の圧力。アレンを、ヘディンを、ヘグニを、ガリバー兄弟を押し退ける火炎の轟圧。

 彼らが数(メドル)単位で押される中、オッタルだけは数歩に留まっている。その数歩が、オッタルの追う背中が果てしなく遠い事を今一度理解させられ、巌のような武人の顔に亀裂が走る。

 

 ――弱いこの身が呪わしい。この程度で、己は何を掴もうとしているのか。

 

 炎の圧を防ぐので手一杯のオッタルは、それでも渾身を込め、斬撃を繰り出す。

 大一閃。そう呼ぶに相応しい斬撃は、けれど圧力を跳ね返す事すら出来ず。

 眼前に立つ炎鎧(えんがい)の『王』――「王たちの化身」は、ただじっと、彼らを(うろ)の瞳で見つめていた。

 

「――あら。ひょっとして、迎えに来てくれたのかしら?」

 

 そんな中。炎の圧力が弱まった瞬間に、するりとフレイヤは前に出る。

 止めようとするオッタルを手で制し、『化身』の前に立つ女神。神々の罪、その果てを映す銀の瞳を瞬くフレイヤは、眉を下げ、悲しそうに微笑んだ。

 

「……そう。ごめんなさいね。――いいえ、ありがとう」

 

 傍から見れば、フレイヤの独り言。けれど会話しているように振る舞うフレイヤは、女神を守らんと前に出る眷族達に告げる。

 

「あの子のいる場所まで案内してくれるみたい。ついていきましょう」

「……お言葉ですが、フレイヤ様」

「いいえ、聞かないわ。だってこれは、神々(わたしたち)の罪。

 いずれ必ず、向き合わなければならない(もの)。なら、私は逃げないわ。

 たとえその果てに、この命を手放すとしても。あの子から逃げるなんて、私にはできない」

『ッ……!!』

「ごめんなさい、貴方達。だから、一緒に行きましょう?

 この地で最期を迎えるのなら。私は、貴方達と一緒がいいわ」

「…………御身の、御心のままに」

 

 骨が軋む程拳を握る八人は、オッタルは、誓う。

 たとえこの身が滅びようと。女神だけは、必ずや守り通す。

 その誓いだけが、オッタルにできる全てだった。

 

 

 

 

「駄目っす!? 歓楽街に続くどの通路も『炎の壁』で通れないっす!?」

「そうか……住民の避難誘導は?」

「【ガネーシャ・ファミリア】が率先して対応してるっすけど、歓楽街内には逃げ遅れた住民が多数との情報が……! そ、それと【フレイヤ・ファミリア】の目撃情報も上がってるっす!」

「【フレイヤ・ファミリア】……この状況を予見していたのか?」

 

 ラウルの報告に考え込むフィンは、有り得ないと判断する。

 如何に神の視座が人智を超えていようとも、全く由来の分からない『未知』を見通す力はない筈だ。

 この光景こそ、その『未知』の一つ。背後を一度振り返るフィンは、外界を拒絶する『炎の壁』を見上げる。

 

「ラウル、引き続き情報収集と避難誘導を頼む。特に【ガネーシャ・ファミリア】との協力は惜しまないようにしてくれ」

「は、はいっす!」

「アキ、【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)の様子は?」

「足の速い数人で調べに行きましたが、神ヘスティア以外は誰もいませんでした。不可思議な力で、内部に踏み込む事はできませんでしたが……」

「十分だ。余計な不興は買わない方がいい。アキは部隊を率いて『見物』に来た神と【ファミリア】を牽制してくれ。誰もが経験した事のない事態だ、何が起こるか分からない」

「分かりました!」

 

 その他、必要な指示を出したフィンは、改めて歓楽街の正門を見据える。

 変わらず立ち上る、『炎の壁』。それは燃料もないのに燃え盛り、一向に衰える様子がない。

 フィンの親指が囁く。お前はこれと同じ物を見た事がある筈だと。

 ああ、そうだ。フィンは見ている。戦争遊戯(ウォーゲーム)開戦前、シャクティ・ヴァルマを交えた密談をした折に見た『霧』と、これは同じ物だ。

 

「やはり、君なのか。“灰”」

 

 その呟きは独り言に近く、反応する者はいない筈だった。リヴェリアもガレスも、別の場所で対処に当たっている。

 

「ああ、その通りだ。我らが“灰”と呼ぶあの不死が、この事態を引き起こした」

 

 だから。突如として降ってきたその言葉に、フィンは目を見開き。

 つられるままに正門の上を見上げ――高い門柱に座る、一人の老人と目が合った。

 

「やあ、君。こんな場所から済まないね。見ての通り、簡単には動けない身だ。だから召喚されたこの場所から、失礼させてもらうよ」

「……それはどうも。ところで、貴方は何者かな?」

「「クールラントのルドレス」。あるいは「追放者ルドレス」。

 君達に馴染み深い名前で言えば……『薪の王』。信じられないかもしれないが、私はあの“灰”と同じ、『最初の火』を継いだ王の一人だ」

「――!」

 

 その言葉に、フィンは目を瞠る。

 『薪の王』『最初の火』。それは“灰”の語る物語にも出てきた言葉だ。

 古い時代、『火の時代』にまつわる、偉大なる火とそれを継ぐ王の物語。門柱の老人は、その英雄的な業を為した王の一人だという。

 

「その証拠は? ――なんて、尋ねるだけ無駄だろうね。この状況下で平然と第一級冒険者(ぼく)に話しかけられる老人というだけで、尋常でない事は理解できる。

 何より貴方の体に燻る『火』……それは“灰”の体を焼いていたあの『火』と同じものだ」

「ほう、目が良いのだね。それに冷静で、賢くもある。君はきっと素晴らしい勇士なのだろう」

「……それで、貴方がここにいる理由は? どうして僕に話しかけてきた?」

「前者は足止め。後者は私の自由意志だ。

 私はただ、「歓楽街に侵入しようとする輩の足止めをしろ」と言われ、召喚されただけでね。それに従う理由もないし、それをするだけの力もないんだ。

 だからこうして、君に話しかけている。願わくばこの老人の戯言が、君の足を止めるようにとね」

 

 ルドレスの言葉に、フィンは黙考する。

 確かに、門柱の老人は力ある『王』には見えない。あの“灰”とは比べるべくもなく、か弱い力しか持たないのは明白だ。

 けれどそれは、あくまで“灰”と比べてだ。この迷宮都市最強や、それに準ずるフィン達と比べれば、それは全く違う話になる。

 如何にか弱く見えようとも、老人もまた『王』なのだ。その卑小に隠された力の一つや二つ、あってもおかしくはない。

 

「……どうして貴方はここにいられる? なぜ“灰”は貴方を召喚できる?

 教えて欲しい、「クールラントのルドレス」。“灰”と同じ、『薪の王』よ。

 “灰”が一体、どのような『手段』を行使したのか。“灰”とは一体、何者なのか」

 

 だからフィンは、核心を尋ねた。

 老人の口車に乗り、この場に足止めされる事を選択した。

 それしか選択肢がないとしても。だからこそ、フィンはこの機を逃さない。

 “灰”の知らぬ、“灰”の真の姿を知るであろう、『火の時代』を生きた老人に。“灰”が何者なのかを尋ねる、この機会を。

 

「……すべては、遅すぎたんだ。我々がただ惑い、それを利用しようと企む間に、“灰”はずっと啜っていた。

 闇の中に潜み、深淵を広げながら、ずっと力を蓄えていた。もう後戻りできなくなるまで、彼女は隠れ続けていたんだ。

 だからもう、遅すぎた。どうしようもなかったんだよ……」

「……」

 

 嘆きのような老人の独白を、フィンはじっと聞き続ける。ルドレスは首を擡げ、火の粉が燻る暗い夜に、在りし日を思い浮かべるように言の葉を紡ぐ。

 

「『火の時代』は、繰り返される。その最初と、最後を繋ぐ、闇の因果が崩壊したからだ。

 それは等しく、『火の時代』を生きる全てにもたらされた。神も、人も、例外なく。ありとあらゆる存在が、繰り返される『火の時代』に囚われてしまったんだ。

 それが一度か二度であれば良かったのだろう。神も人も、より良い時代にするために邁進できたのだろう。

 けれど、繰り返しに終わりはなく。限り無い時代の果てに残ったのは、ただ絶望だけだった。誰もが終わりを望み、終わらぬ日々に暮れていくしかなかったんだ。

 そう……“灰”に啜られた、ごくわずかな存在を除いてはね」

「……」

「“灰”はすべてを啜る。闇の化身たる「小人の王」は、底なしの闇へと繋がっている。

 彼女は啜った。すべての火を。彼女は呑んだ。あらゆる存在を。

 ……そうして、今も眠っている。結局、我らに終わりは訪れなかったけれど、永遠の微睡みに身を委ねることはできたんだ。

 だから私はここにいるんだよ、小さな勇士。“灰”を知らんとする君の前にね」

「……まさか……!?」

「“灰”は、すべてを啜り尽くした。なにもかも、跡形も残らないほどに。

 そして彼女は、闇に繋がっている。その闇の中には、あらゆるものが眠っている。

 

 ……もう、分かるだろう? あの子は、『火の時代』そのものなんだ」

 

 

 

 

 燃え盛る“灰”は、女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)の階段を登る。

 一歩一歩、踏みしめるように、その歩みは緩慢だ。柱で区切られているだけの階段からは、その外側、歓楽街で起こっている出来事の全てを一望できる。

 それを流し見ながら、“灰”は最上階に到達した。女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)内に存在する、最後の『殺生石の欠片』。そのソウルの匂いが漂う神室(しんしつ)に。

 

「……来たか。『深淵の子(アブズ)』」

 

 そこには、窓辺に佇むイシュタルと。

 

「ゲゲゲゲゲゲゲッ、アタイに負けた不細工が、また挑みに来たのかいぃ?」

 

 ヒキガエルのような巨躯のアマゾネス、フリュネ・ジャミールが立っていた。

 “灰”は無言のまま、神室(しんしつ)に足を踏み入れる。

 

「おや、アタイに向かって来るんだねぇ。力の差は分かっているだろうに、これだから不細工は頭が足りないんだよぉ!」

「……」

「無視かい? まあいいさぁ。

 ゲゲゲゲゲゲゲッ! さあどうする、イシュタル様ぁ? またアタイがぶっ飛ばしてあげようかぁ?」

「逃げろ、フリュネ」

「は?」

「逃げろと言ったんだ。お前では『深淵の子(アブズ)』に敵わない」

 

 べちゃりと嗤いながら女神を伺うフリュネに、イシュタルははっきりと言い放った。一瞬呆然としたフリュネは、次の瞬間には額に血管を浮かべてひくひくと唇の端を蠢かせる。

 

「……面白い冗談だねぇ? イシュタル様ぁ~? アタイがあの不細工に負けるってのかいぃ?」

「そう言ってるだろう。分かったらさっさと逃げろ。お前まで犠牲になる事はない」

「…………ゲゲゲゲゲゲゲッ!! 上等じゃないかァ! だったら証明してやるさ、アタイの方が上だって事をねェ!!」

「そうか。なら好きにしろ」

 

 言い聞かせるようなイシュタルの言葉に激高して、フリュネは突貫する。それを目を閉じて見送ったイシュタルは、眷族の最期を目に焼き付けるべく眺める。

 

「死になァ、不細工ぅ!! 小人族(パルゥム)如きに、アタイが負ける筈ないんだよぉ~~~!!」

 

 ドスドスと神室(しんしつ)を揺らしながらフリュネが迫る。その体は光の粒を纏い、力を昇華していた。

 けれど。それはもう、一度見た『既知』だ。ましてやここに至るまで、多くの戦闘娼婦(バーベラ)がそうするのを眼にしてきた“灰”は、ただ《最初の火の剣》を握る左手を前に突き出し――払う。

 

 爆光、炎伐。

 “灰”の、ただそれだけの動作で、炎に焼き尽くされたフリュネは骨と化し。

 佇む幼女の三歩手前で灰となり、勢いよく床に撒き散らされた。

 その灰の中から、『殺生石の欠片』を拾った不死は。ゆっくりと、窓辺へ歩を進める。

 そしてイシュタルの前で立ち止まり、“灰”は虚空を見上げた。

 

「――私を殺しに来たのか?」

「……ああ」

「『殺生石の欠片』を集めているな。よもや、春姫(ハルヒメ)を救うためか?」

「そうだ」

「そうか……そうか。フレイヤへの切り札のつもり、だったんだがなぁ。お前に目をつけられてしまうとは、運がない。

 いや……そうでもない、か。こうして話し合う機会を与えられたんだ。あながち不運とは言い切れないな」

「……?」

 

 自嘲気味に笑うイシュタルに、“灰”は首を傾げる。ややあって、不死の幼女は、思い至ったように唇を動かした。

 

「ああ、貴公。私と話しているつもりだったのか?」

「……何だと?」

「私は別に、貴公と話していた訳じゃない。ただ、頭の中が(うるさ)くてな。それに答えていただけだ。

 貴公の事など、どうでもいい。どうでもいいのだよ、イシュタル」

「……『深淵の子(アブズ)』、お前は何を言っている……?」

 

 困惑するイシュタルは、“灰”の瞳を覗き込む。だがそこには虚空が映り込むばかりで、初めからイシュタルなど眼中にない。

 無意識に、イシュタルは一歩引いた。“灰”を恐れたのでも、忌避したのでもない。ただその銀の瞳が、限り無い闇の底を映しているようで。

 その暗い眼に、冥界の兆しを見たイシュタルは。自分に『死』の危険が迫っている事を、はっきりと自覚した。

 

「ああ、だから、その、なんだ。……――喰っていいぞ。エルドリッチ」

「――――ッ!?」

 

 暗い影が覆う窓辺を、イシュタルは焦燥と共に振り返る。

 そこには、蕩けた汚泥の巨塊があって。それははっきりと、イシュタルに口腔を向けていた。

 

「あ――ああっ!? 『深淵の子(アブズ)』! 『深淵の子(アブズ)』ッ!!」

 

 一瞬で汚泥に飲み込まれたイシュタルは、まだ無事な上半身を捻り、“灰”に腕を伸ばす。

 

「私は、お前を愛して――――!!」

 

 その言葉は、最後まで言い切られる事はなく。

 大量の(のこぎり)のような歯を露出した汚泥は、一息にイシュタルを飲み込んだ。

 噛み千切られた至極色の髪が、ぼとりと床に転がる。

 

「……」

 

 床に散らばる髪を見つめ、拾い集める“灰”は青白いソウルへとそれを溶かした。

 直後、背後に何者かの気配を感じる。

 

「あら、こんなところにいたの、『死せる女神(ヴァルフレイヤ)』。いいえ、アスカと呼ぶべきかしら?」

「……私に名前はない。ただ“灰”と呼ばれている。

 貴公こそ、こんな場所で何をしている。フレイヤ」

 

 神室(しんしつ)に現れたのはフレイヤとその眷族だった。

 八人の第一級冒険者に守られる女神は、心底おかしそうに清笑を零す。

 

「フフフッ、どうしてここにいるのか、ですって?

 そんなの簡単よ。貴方と彼が空を飛んで、歓楽街に向かったんですもの。あんなに目立つ真似をして、(わたし)の興味を引いておきながら、どうしてそんな事を聞くのかしら?」

「貴公がここにいる事が意外だった。ソウル自体は探知していたがな」

「そう」

 

 心底どうでも良さそうに対応する“灰”に、フレイヤは微笑む。そして“灰”の向こう、湿っぽい音を断続的に鳴らす汚泥の巨塊を見つめた。

 この場では()が、最も危険だ。特に神であるフレイヤには、()は一切の情け容赦を持たないだろう。

 それでもフレイヤは、留まる事を選ぶ。とうに覚悟を終えている美の女神は、再び灰色の幼女を瞳に映し。

 

「――フ、フフフ……アハハハハハッ!」

 

 燃える歓楽街、佇む不死。そして神喰らい。そのどれにも似つかわしくない、少女のような笑声を響かせた。

 フレイヤは、笑う。銀の半眼を細める“灰”に構わず、動きを止める汚泥の巨塊に目もくれず。

 ただ、炎を纏う灰髪の不死が、心底おかしいと言うように。フレイヤは“灰”を、笑っていた。

 

「――広い、広い『世界』が見えるわ」

 

 やがて。笑声を収めたフレイヤは、風を紡ぐように語りかける。

 

「美しいものがある。醜いものもある。それは全てを内包した、一つの『時代』の景色。

 その中心に、荘厳な城は聳え立っている。『王』を迎える『玉座』が待つ、ただ一人のための城が。

 それは貴方のための城。貴方のための『玉座』。フフフ……笑ってしまうわ。

 ()()()()()()()()()()――貴方はたった一人なのね」

「……」

 

 フレイヤはその『眼』で、“灰”の魂を見定めていた。

 常ならば、万象の嵐のように色を変える巨大過ぎる魂。フレイヤをして見通せぬ、剥き出しに過ぎる魂の奔流は、けれど今だけは存在しない。

 そうだろう。『最初の火』は(ソウル)を燃やし、継がれるもの。『最後の薪の王』として君臨する“灰”の魂が、今まさに焼かれているのは想像に難くない。

 だからこそ、その魂は痩せ細っている。フレイヤの『眼』が見通せる程に――神々が、その魂の持ち主が普遍の子供である事が理解できる程に、小さくなっている。

 

「滑稽だわ。それだけの『時代』を秘めながら、それだけの立派な『玉座』が在りながら、貴方はずっと、たった一人。

 治める民も、(かしず)(おみ)も、誰もいない。孤独な『玉座』の上で、被る事も出来ない王冠に囲われている哀れな小人(こども)――それが貴方」

「だから、何だと云う」

「おかしいでしょう? だって貴方は、ずっと歩き続けてきた。神々(わたしたち)に呪われようと、人々(こどもたち)に忌み嫌われようと、何一つ顧みず進み続けた。

 その果てに手に入れたのが、誰もいない『世界』だなんて。喜劇にしても出来の悪い、悲劇にしても行き過ぎている。

 ――貴方が欲しかったものは、本当にそんなものなの?」

「……」

 

 沈黙する“灰”に、フレイヤは微笑する。その美しい(かんばせ)には、心の底から“灰”を想う、慈しむ思慕で溢れていて。

 “灰”の理解出来ぬ■で、一杯になっていて。

 

「だから、笑ってあげるわ――それが私の『愛』」

 

 フレイヤははっきりと、“灰”への■を告白した。それを不死が、理解出来ぬと知りながら。

 それでも“灰”は、不変の神などではなく。いつだって神々を驚かせる、変わり続ける子供だから。

 いつかそれを理解した時、神々の■が届くように。フレイヤはそれを、捧げたのだ。

 

 “灰”は沈黙する。眼前の『美の女神』は、“灰”の理解の範疇を超えている。

 ■は、“灰”には未だ理解出来ぬもの。どれほど見続けようと、その一片すら、心に留まらぬもの。

 それでも、だからこそ、“灰”は観察を続行する。いつの日か、■を理解して――神の生首を、その折れた刃で斬り落とすために。

 

「――――――――フレイヤぁああああああああああああああああああああっっっ!!!」

 

 一人と一柱の対峙する時間は終わった。ぱちりと、目を瞬くフレイヤの前で。振り返る“灰”の眼前で、汚泥から褐色の腕が突き出される。

 蠢き、飲み込もうとする汚泥にその腕は抵抗する。蕩けた肉を掴み、さらに腕を突き出し、這い上がるのは――深みに塗れるイシュタルだった。

 

「あら、イシュタル。貴方、そんなところにいたの?」

 

 前に出て、“灰”と並ぶフレイヤは、本当に意外そうにそう口にした。その『美』を、灰色の幼女と仲睦まじそうに並ぶ姿を、限界まで目を見開くイシュタルは睨み、歯噛みする。

 

「~~~~~~~~っ!? どうしてだ!? どうしてお前がそこにいる!?

 私でも良かった筈だ!! 『深淵の子(アブズ)』を愛するのは、私でも良かっただろう!!

 それなのに何故、お前がそこにいる!!! 答えろッ、フレイヤァッッッ!!!」

「……哀れね、イシュタル。この子がそれを受け入れないなんて、百も承知の上でしょうに」

「関係あるものか!!! たとえ『深淵の子(アブズ)』に殺されようと、構うものか!!!

 

 私はッ、『深淵の子(アブズ)』を――アスカを愛している!!!

 

 この想いだけは、決して手放さない!!! 一万年の時を経て、再び舞い戻る事があろうとも――私はアスカを愛し続ける!!!」

「それが哀れだと言っているのよ、イシュタル」

「なっ……!?」

「貴方は普段からそうであるべきだった。同じ『美』と『愛』を司りながら、私達を分かつものがそれよ。

 貴方もまた、愛深き女神……その心をアスカだけではなく、万人に明かしていたのなら、私と争う事もなかったでしょうに」

「――――ッ!?」

 

 心底憐れむフレイヤの言葉を、イシュタルは理解出来ない。「神喰らいのエルドリッチ」に侵食される女神は、もはや思考の半ばまで奪われている。

 だから、フレイヤは。イシュタルへの最後の手向けを、その手から撃ち放った。

 イシュタルの喉に、《月光の矢》が突き刺さる。

 

「あ――」

「さようなら、イシュタル。これは、私からの慈悲よ」

「フレ、イヤ――――」

 

 喉を撃ち抜かれ、致命傷を負った(イシュタル)の体が、死ぬまいと『神の力(アルカナム)』を発動させる。

 衝撃と共に鳴り響く、凄まじい轟音。拡散した光の粒が、天を貫く大光柱(はしら)となって下界に屹立する。

 その光景を、《暗月の長弓》を降ろして見つめるフレイヤは。

 

 目も眩む『神の威光』に照らされる陰で、禍々しい、下卑た嘲笑を浮かべる「小人の狂王(だれか)」を、確かに見た。

 

 フッ――と、光の柱が消え去っていく。キラキラと美しい、光の粒が降り注ぐ中。

 フレイヤは“灰”に、借り受けた《暗月の長弓》を返した。

 

「ありがとう。助かったわ」

「そうか」

「そうよ。……フフッ。ねえ、アスカ」

「何だ」

「私達、お友達になりましょう?」

「……?」

 

 “灰”は一瞬、フレイヤの言っている事が理解出来なかった。『美の女神』を見上げる小人は、全てを魅了する極上の笑みに何も感じない。

 

「言っている意味が分からないな、フレイヤ。貴公も神ならば、私がそうしないと分かっているだろうに」

「ええ、分かっているわ。けれど世の中には、蓋を開けるまで分からない事もあるでしょう?」

「……私が神を友とするなど、有り得ない」

「それでいいわ。いつまでも、それでいい。貴方は貴方であってほしいから。

 でも、だから、覚えていて、アスカ。

 

 貴方がそれを許してくれる限り。私はずっと、貴方の友達よ」

 

「…………」

 

 “灰”は、何も答えなかった。代わりに、《最初の火の剣》を握り締め――「神喰らいのエルドリッチ」に(きっさき)を向ける。

 

「止まれ。エルドリッチ。この神は、喰われると困る」

 

 “灰”は私的な理由で言葉を発した。まだ『既知』に変えていない■を観察できなくなるのは、困ると。

 対し、「神喰らいのエルドリッチ」は止まらない。聖者たる彼は、それが遥か長い苦行と知ってなお、喰らう事を誓っている。

 だから、“灰”は一つ瞬き。「神喰らいのエルドリッチ」と殺し合わんと、《最初の火の剣》を構え。

 

 直後。エルドリッチは、無数の刃に貫かれ。最後には巨人の一撃によって、『神時代』から退場した。

 膨れ上がる、エルドリッチのソウル。それを全て吸収した“灰”は、集結する『薪の王』達の呼び名を口にする。

 

「ヨーム」

 

 幼女が見上げる巨人は、無言だった。言葉もなく、ただ、“灰”を見つめている。

 

「深淵の監視者たち」

 

 百以上もの隊列から、一人の監視者が前に出る。その手には、『殺生石の欠片』が握られている。

 

「ロスリック、ローリアン」

 

 部屋の隅で、双子の王子は項垂れていた。“灰”に頭を下げているようにも見える双子の片割れ、ロスリックは魔法によって『殺生石の欠片』を届ける。

 

「……『化身』」

 

 一人、フレイヤ達を案内した「王たちの化身」だけは、突き刺した《螺旋の大剣》の前に座っている。まるで全てが終わったかのように。

 最初から最後まで己の意志で動き続けた者達に、“灰”は告げた。

 

「すまんな、貴公ら。手間をかける」

 

 言葉は、たった一つだけ。それでも『薪の王』達には、それで十分だったらしい。

 そのまま沈黙する彼らの前で、“灰”は『殺生石の欠片』を宙に浮かべる。分かたれたソウル、砕け散った魂を修復するため、“灰”は“ソウルの業”を行使した。

 

「ふぅん。貴方、そんな事もできるのね」

「ああ。砕かれたままのソウルでは、役に立たん事も多いからな。……む。この記憶は、要らないな」

 

 興味深そうに眺めるフレイヤに適当な返事をして、“灰”はソウルの修復に集中する。そのために春姫(ハルヒメ)の記憶の全てを眺め、不必要な記憶――この場合は『殺生石』に魂を吸われる際の苦痛の記憶――を消去する。

 『殺生石の欠片』が一つに集まる。渦巻くソウルが一へと還る。砕け散った欠片達は、やがて一つの影となり――『殺生石』は傷一つ無い完璧な姿を取り戻し、“灰”は修復された『春姫(ハルヒメ)のソウル』を手に入れた。

 

「さて。それでは、私も行く。霧も……あの炎の壁も解除しよう。後は好きにするがいい、フレイヤ」

「あらそう。なら、貴方と一緒に外へ出ようかしら」

「何のつもりだ?」

「何のつもりって、貴方、ここまでの事を仕出かして、ただで済むと思っているの?

 歓楽街の外では、きっとたくさんの【ファミリア】とギルドが待機しているわ。だから、私がついていってあげる。その方が余計な手間がかからないわよ?」

「……奇特だな、貴公は」

「そうかしら? 友達の背負うものを一緒に背負ってあげたいって、そんなに変なこと?」

「…………勝手にしろ」

「ええ。勝手にさせてもらうわ――アスカ」

 

 楽しそうに振る舞うフレイヤを、“灰”は呆れ果てた眼で見上げた。それも直に消え、“灰”は落ち合う場所を指定した後、その場から消え去るのだった。

 

 

 

 

「ベル」

 

 『空中庭園』に舞い戻ったアスカは、いつも通りの声で呼びかける。

 少年は、少女の遺体を抱えていた。その体は傷つき、側にはアイシャ・ベルカが転がっている。

 きっと、春姫(ハルヒメ)の遺体を回収しようとしたアイシャと衝突したのだろう。そう予測して、歩を進めるアスカは。

 

「待て……【焼尽者(スコーチャー)】……! あんた、何をするつもりだい……!?」

 

 辛うじて上体を起こすアイシャを一瞥して、立ち止まらずに答えた。

 

「何を、と言われてもな。私はただ、サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)を黄泉帰らせるだけだ」

「なっ……!?」

「黙って見ていろ。『殺生石』はここにある。……ああ、そういえば、貴公だけは『欠片』を持っていなかったな。

 最早、どうでもいい話ではあるが」

 

 目を見開くアイシャの驚愕を捨て置いて、アスカは春姫(ハルヒメ)に近づいた。その胸の傷を魔法で治し、そっと『殺生石』を押し当て――万が一が起こらぬよう、“ソウルの業”で調整する。

 ポウ、と『殺生石』の中に浮かび上がる『春姫(ハルヒメ)のソウル』が、主の体に還っていく。それを見届け、用済みとなった『殺生石』をしまったアスカは、一歩下がって観測に移行した。

 

 止まっていた春姫(ハルヒメ)の胸が上下し、少女はゆっくりと目を開く。茫洋と、自身に起こった出来事を理解し得ない春姫(ハルヒメ)は、精一杯の力でベルに抱きしめられた。

 

「こんっ!? ベ、ベベベ、ベル様……!?」

春姫(ハルヒメ)さんっ……春姫(ハルヒメ)さんっ!!」

春姫(ハルヒメ)殿っ!!」

春姫(ハルヒメ)ちゃんっ!!」

「皆様!? これは、一体……?」

 

 黄泉帰った春姫(ハルヒメ)は、固唾を飲んで見守っていた皆に囲まれた。

 純粋に喜ぶ者もいる。燃える歓楽街を見つめ、苦い顔をする者もいる。アスカの所業に、心底畏怖する者もいる。

 その全てを瞳に捉え、ベルを見つめ続ける幼女は。ただじっと、銀の半眼で眺めていた。

 

 時の歯車は、回り続ける。運命の筋書きは変わり、されど不死に変わりはない。

 “灰”はこれからも、少年を見続けるだろう。その道の果てを眺め続けるだろう。

 

 それこそが、“灰”の尊ぶ。たった一つの大切なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美神の至極髪

限りなく黒に近い紫、至極色の髪

美しく長いそれを束ね、ムチとしたもの

 

美を司った女神は、同じ美の女神を呪った

だが最後に敗れ、神喰らいの餌食となった

 

噛み千切られた髪は呪詛の象徴であり

奇跡の触媒としても使用できる

 

戦技は「呪詛のムチ」

引き絞る事で一時的に呪詛を纏う

呪詛は生命を蝕み、癒えぬ醜い傷を残す

美神の嫉妬とは、まこと醜悪な愛である

 

 

 

 

契約の証

巨人の法官が召喚に用いる、契約の証

異端の銀騎士、レドを一時的に召喚する

 

法官の契約は、幾つかの事由で交わされる

その多くは一方的な執行にすぎないが

稀に友誼であり、取引であることもある

 

これは友誼の例であり

それ故に、唯一つ形を残したのだろうか

 

 

 

 

暗い契約

小人の狂王が課した契約の闇術

霊体を強制的に召喚する

 

大王に遣わされた巨人の法官は

闇の魂を求める者を屠り

輪の都を守る契約の一部とした

 

だが、輪の都は狂王に飲まれ

契約は汚染され、暗い歪みとなり

狂王の意のままに蠢く成れ果てとなった

 

それはかくもおぞましき、人の業である




はい、やっちまった作者です。
これまで気をつけていたバランスが完全に崩壊しました。正直これで負けろという方が無理な状況です。
ですが作者は、こうした方が絶対に面白いと思い、書き起こしました。

色々書きたいことも多く、全く満足いってない文章ですが、お届けを優先し投稿させて頂きます。

質問や疑問点などあれば感想をください。たくさんください。励みになります。

ここまで読んでくださった読者の皆様に尽きぬ感謝を。
そしてできることなら、最後までお付き合い頂けることを願います。

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