ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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ふと投稿した日時を見返してみると、過去三年で投稿した文量を今年一年で投稿していた。
やるじゃん、私。と思いつつ、来年には完結させたいなと考える所存。


原作六巻分
雷鳴の塔、落日の火


 そして卵は、目覚めを告げる。

 

 逃れるなかれ、抗うなかれ、戦いなど以ての外。ただ震え、倒れ伏すしか道は無し。

 

 太陽に命じられ兎を追いし時、暗黒は現れる。

 

 血の(わだち)を引き摺りて、厄災の権化と成り果てる。

 

 やがて暗黒は幾許(いくばく)を眠り、(なんじ)は輝ける破滅を知るだろう。

 

 寵童は雷鳴に焼かれる。

 

 (ともがら)は嘆きをも奪われる。

 

 友は灰に塗れる。

 

 光を啜られ、太陽は墜ちる。

 

 そして廃滅の城は墓標へと変わり、以て全てを許される。

 

 忘れるな。太陽が兎を求めるのなら、汝に他の道は無い。

 

 手綱を引き、喉を()らし、気紛れを請え。

 

 心せよ。揺籠(ゆりかご)の卵はまだ、目覚めぬ――

 

 

 

 

 それはとある少女の『夢』。

 神さえも知らぬ、少女だけが知る『夢想の真実』。

 声なき悲鳴を上げ飛び起きた少女は、(つい)ぞその『夢』の『正体』に辿り着けなかった。

 幾度の『悲劇』を見届けるしかなかった少女。“悲観者”となった彼女をして、初めて見る『悪夢』。

 それはこの世の物とは思えぬ、たった一人の“小人”を描いていて――

 

 全てが終わるその時まで、少女は『夢』を言葉にすら出来なかったのだ。

 

 

 

 

「よぉ〜やく帰ってきたねぇ、アスカくぅ〜ん? ロキとの「旅行」は楽しかったかぁ〜〜〜い?」

 

 港街(メレン)でのいざこざを片付けて(ようや)く帰還したアスカを出迎えたのは、間延びした主神の声と満面の笑顔だった。

 時間は夜もとっぷりと更け、深夜に差し掛かろうという頃。朝帰りならぬ隔日帰りを果たしたアスカは、青筋を浮かべヒクヒクと口元を痙攣させるヘスティアに、素直に頭を下げる。

 

「置き手紙一つで勝手な真似をしてしまい、謝罪する。これは土産だ。港街(メレン)の特産品らしい」

「わー、新鮮な海産物だー、嬉しいなー。ボクが君と話したがってるの分かってる癖に、ここ数日姿を消した事も謝ってくれればもっと嬉しかったんだけどなァ!」

「それも含めて謝ろう。済まなかったな、ヘスティア。諸々の反省を込め、貴公と対面する所存だ」

「うんうん、偉いよーアスカ君! 興味のない事と素直に向き合うなんて中々出来る事じゃない! これで主神(ボク)より仲の悪い神(ロキ)を優先したりしなければ鼻を高くして自慢出来たのになー!」

「本当に申し訳ない」

「…………うがーっ! 通じないイヤミなんか言ってられるかーっ! 今日はとことんボクに付き合って貰うぞアスカくーんっ! まずはお説教だーッ!!」

「ハァ……やっぱりこうなりましたか。ほっといてさっさと寝ましょう、ベル様」

「アハハ……」

 

 ツインテールを逆立ててアスカに飛びかかるヘスティアに、リリルカは溜息をつく。就寝を促されたベルも流石に擁護できないのか苦笑していた。

 ベル達が18階層から帰還して既に四日目。待てど暮らせど一向に帰ってこないアスカに悶々(もんもん)と不満を溜めていた神様(ヘスティア)を見ていただけに、ベルは自分の思いを引っ込める。

 邪魔しちゃいけない。アスカとは話したい事が一杯あるけれど、まずは神様にお任せしよう。

 そんな風に考える少年は、無事に帰ってきてくれたアスカに喜びつつも寝る準備に入る。リリルカが【魂業小箱(スキル)】でしまったお土産を見て、明日のご飯はちょっと特別かもしれない、なんて小さく微笑むのだった。

 

 

 

 

「……ベル君達は寝たかな? アスカ君、【魔法】の効き目はどうだい?」

「【湖の霧】を存分に吸わせた。朝までは双方とも起きぬだろうよ」

「そうかい……なら、話し合いを始めようじゃないか」

 

 ベッドとソファに目配せをするヘスティアにアスカは古鐘の声を擦り鳴らす。そのまま一人と一柱は階段を上り、隠し部屋の外に出た。

 廃教会の割れた天井から月光が降り注ぐ。屋根越しに青い月を見上げるアスカに、ヘスティアはまず謝罪する。

 

「先に謝らせてくれ。ゴメン、アスカ君。

 あの日ボクは焦るあまり、ベル君を出しにして君を脅してしまった。ベル君を引き合いに出せば言うことを聞くだろうなんて、浅はかな間違いをしてしまったんだ。

 本当に、ごめんなさい。ボクは主神失格だ……」

 

 沈痛を堪え、真摯に頭を下げるヘスティア。それにアスカは凍てついた太陽のような瞳を向け、唇を動かす。

 

「気にするな。私が貴公に見せたのはベルへの献身がほとんどだ。離別を暗示すれば、止まると考えるのも無理はない。

 貴公に非はないよ、ヘスティア。元より私は、貴公に何の期待もしていないのだから」

「っ…………」

 

 アスカの残酷な言葉にヘスティアは涙を溜めた。それをゴシゴシと腕で拭って、主神(おや)として、眷族()と向き合う。

 

「アスカ君、君にとってボクは……神は何なんだい?」

「嫌悪すべき存在。信仰に値しない汚物。憎悪が沸き立つ豚。

 私は神が嫌いだ。その理由は定かではないが、ひどく腹立たしく癪に障る。

 ()()は、人を辱める。偽りの安寧を与え、甘やかな夢に浸し、己が時代の供物とする。

 多くの不死(どうほう)が、その為に死んだ。多くの人が、神の礎となった。

 ああ……だからなのだろうか。私が神を嫌悪するのは。

 結局の所、貴公らは――人など、唾棄すべき道具程度にしか、考えていないのだろう?」

「――違うっ!」

 

 ヘスティアを静観するアスカの右眼。それが暗く明滅する様を見ながらもヘスティアは叫ぶ。

 

「ボクは子供たちを愛している! 他の神だって同じだ、たとえ絶対悪を司る神が居たとしても、子供を愛さないなんて事はない!

 愛しているんだ……! 君の事だって! だからっ、だから……」

 

 ヘスティアの声は続かなかった。青みがかった神の瞳は、全知零能の身で何を見ているのか。

 それはアスカには分からない。今なお理解できない慈■の眼差しに映る自分の姿を覗くのみだ。

 深く歪んだ己の表情。それの意味する所など、アスカにはどうでも良かった。

 込み上げる感情は、全て闇に消えていく。正も負もなく深海に溶けたアスカの心は、波紋一つない静かな水面を取り戻す。

 

「この話はもう良かろう。何処まで行っても平行線だ。

 それよりもヘスティア、他に話はないのか? であれば、私は戻らせて貰うが」

「…………あるよ……話したい事なんか、一杯ある……」

 

 俯くヘスティアは、途切れ途切れに話を紡ぐ。

 君にとってベル君は何なのか。

 本当にベル君が大事なら、どうして彼の望まない事をするのか。

 サポーター君、リリ君の事をどう思っているのか。

 アスカ君にとって、家族とは何か。

 もしボクが君を止めたとして、君は聞き入れてくれるのか。

 

 アスカは滔々と答える。

 ベルは家族だ。私が唯一尊ぶ、たった一人の導きだ。

 全ては私の我儘だ。ベルの為に、すべきと思った全てを行う。

 リリルカは家族だ。ベルが望み、貴公が許した。ならば家族に相違ない。

 家族とは、互いを信じ、助け合う者達だ。血と絆で結ばれた(えにし)だと、私は知っている。

 場合によっては、聞き入れもするだろう。貴公もまた、私の家族なのだから。

 

 アスカの(ソウル)は強大だ。剥き出しの魂は神には見え過ぎて、その本質を悟らせない。

 だからヘスティアは根気強く、疑問を一つ一つ紐解いてアスカを知ろうとした。

 それはある種の贖罪だろう。ベルにばかりかまけて、少年の側に影のように付き従うもう一人の眷族を蔑ろにしていた罪。

 本人からそれで良いと言われても、甘えてはいけなかった。ヘスティアは、向き合わなければならない。それが主神(おや)の務めであり――何よりもアスカを想う一柱の神として、このまま放っておくなんて出来る筈もなかった。

 

「――アスカ君は、子供たちを殺した事があるかい?」

「ああ。山ほど、という言葉が霞む程度にはな」

「……ボクの眷族(かぞく)になってからは?」

「百以上は殺している。ベルの祖父に人の在り方を教えられ、驚くほど少なくなった」

「…………君は、殺し(それ)をやめろとボクが言ったらやめられるかい?」

「難しいな。私は既に慣れ切っている。如何に貴公が慈愛を司ろうとも、その時が来ればいくらでも殺すのだろうさ。

 ずっとそうしてきた。これからもそうするだろう。それだけしか、私には出来ない」

「………………綺麗事ばかりで、下界を生きていけないのは分かってる。でも、ボクは嫌だよ……

 悪い事や汚い事を全部君に押し付けて、自分たちだけ綺麗に過ごそうなんて、絶対に嫌だ……」

「ふむ。優しい事だ。それは、ベルのために取っておけ。

 私には必要ない。全ては私のわがままだ。私の行いは、私が背負う。貴公にも、ベルにも、譲らない」

「アスカ君……君は、それで良いのかい?」

「ああ。これで良い。良いのさヘスティア――

 ベルが、その物語を全うしてくれるのなら。

 私は――灰に埋もれても構わない」

「……………………」

 

 ヘスティアは沈黙した。長い沈黙だった。言葉を失ったかのように、目を伏せてぎゅっと拳を握る。

 やがて顔を上げたヘスティアは、泣いていた。その瞳から透明な涙を流しながら、じっとアスカから目を逸らさなかった。

 

「君の考えは、よく分かった。これからボクの言う事は、きっと君を変えられないと思う。

 それでも言うよ、アスカ君。君は、ボクの大切な家族だ」

「ああ」

「君がどんなに嫌がっても、君のした事を一緒に背負う。もしもベル君が君を拒絶して、君がボクたちの前からいなくなろうとしても、絶対に見つけて無理やり引っ張り戻してやるんだ。

 叱りつけて抱きしめて、仲直りさせるんだ。君も、ベル君も、リリ君だって、ボクの大事な眷族(こども)だから。

 誰一人離さないよ。皆で泣いたり笑ったり、色んな事を一緒に分かち合える――そんな「皆の帰る家」に、ボクはなる」

「そうか」

 

 ヘスティアの覚悟を聞いて、けれどアスカは淡白だ。神に何の期待もしていない不死は、己の主神でさえ微塵も信じない。

 それを知って、なおヘスティアは。垂れ下げられた小さな手を取って、両手で握りしめて誓った。

 

「だからアスカ君、約束だ。

 何があっても、君の手を離さない。ボク自身に誓って、絶対に」

 

 青い月光の下、その約束は交わされる。

 涙に濡れ、神秘的に輝くヘスティアの瞳。そこに溢れる慈■を、アスカはただ見つめ。

 

 「分かった」と、ただ一言。興味なさげに呟くのだった。

 

 

 

 

 朝。

 常日頃と違い、日が昇ってから目覚めたベルは、やたらと質の良かった眠りに首を傾げながらも周りを見渡す。

 ベッドで眠る神様。朝ご飯を作っているリリ。そして、壁にもたれ掛かっているアスカ。

 

「ああ、起きたか。おはよう、ベル」

「おはよう、アスカ」

 

 ソファから降りたベルは寝起きの挨拶をリリルカとも交わして、ベッドで眠るヘスティアに近づく。

 少し魘されながら眠るヘスティアの目は、涙の跡があった。驚いたベルは、側にいるアスカに問い掛ける。

 

「ねえ、アスカ。昨日神様と何を話したの?」

「謝罪と、約束。私は私の事を話し、ヘスティアは私を離さないと言った」

「そっか……アスカ、僕も話したい事があるんだけど……」

「済まない、ベル。私はこれから出掛けなければならない。

 野暮用が出来た。場合によっては、一日かかるだろう。だから今日は、話せない。

 ……そんなしょぼくれた顔をするな。明日もある、時間はこれからいくらでもある。

 今日は、『神の宴』に赴くのだろう? ならば存分に楽しんでこい。行けぬ私やリリルカの分まで、それが務めというものだ。

 私と話すのは、それからでも遅くはあるまい」

「……うん、分かった」

 

 少年の頬に手を伸ばしてアスカが微笑むと、どうにか納得したベルは眉を下げて笑う。

 「朝餉(あさげ)が出来たらヘスティアを起こしたまえよ」と言い残すアスカに頷いて、ベルは朝食を作るリリルカの手伝いに向かった。その後ろ姿を見ながら、アスカは隠し部屋の扉を閉じる。

 廃教会に上がり、正門から外へ。廃墟の立ち並ぶ区画の奥へ進み、アスカは人目につかない路地裏に入る。

 そこには剣呑な空気を纏う、犬人(シアンスロープ)の少女が立っていた。

 

「待たせたか?」

「……時間ぴったしだよ。厭味(いやみ)ったらしいくらいにさ」

 

 鋭い表情の裏に警戒と怯えを隠す少女は、調子の悪い軽口を叩いてアスカと――“灰”と顔を合わせる。

 

「来てくれたって事は、話を聞く気はあるって事でいいんだよな?」

「ああ。そのつもりだ」

「じゃあ、ついてきなよ。私らの本拠(ホーム)の場所、知らないだろ?」

「いや、知っている」

「……あっそ。じゃ、案内はいらない?」

「いや、万が一もある。私には必要だ。

 だから貴公に任せよう。頼んだぞ――ルルネ・ルーイ」

 

 暗い半眼の奥底から、“灰”は告げる。

 【ヘルメス・ファミリア】所属の【泥犬(マドル)】、ルルネは全身の毛が逆立たないよう必死に抑えながら、“灰”を先導していった。

 

 

 

 

 【ヘルメス・ファミリア】本拠(ホーム)、『旅人の宿』。

 ルルネの案内に従い建物内に通された“灰”は、大広間にて待機していた。

 中央に立つ灰髪の幼女を囲うように、【ヘルメス・ファミリア】所属の団員達が壁際に並んでいる。

 見知った顔、見知らぬ顔。冒険者にさして興味のない“灰”は、中堅派閥の詳細情報までは集めていない。主神(ヘルメス)団長(アスフィ)、それ以外は共に冒険者依頼(クエスト)をこなした連中くらいしか“灰”の知識にはなかった。

 そしてその差異は、団員達の視線に表れている。“灰”が知る者は、その強さ故に警戒と畏怖を。知らぬ者はその威圧感に負けじと圧を発していた。

 まるで『抗争』寸前の派閥同士のようにひりつく空気。それに“灰”はどうとも思わない。

 ただ静かに、ここに至るまでの過程を思い返していた。

 

 ルルネから手紙を受け取ったのは昨晩、港街(メレン)から廃教会に至るまでの帰り道だった。

 闇に紛れるように路地裏から現れたルルネは、懐から手紙を取り出し、“灰”が受け取るや否や早々と立ち去った。

 その背が消えるまで眺めていた“灰”はその場で内容を閲覧する。

 

『当方、謝罪の用意あり。願わくば『旅人の宿』に来られたし』

 

 ヘルメスの名が刻印された手紙を読んだ“灰”は、一先ずルルネの去った方向へ放っていた殺気を潜めた。そして廃教会に帰り、ヘスティアとの対話を経て今に至る。

 

 これが本当に謝罪なのか、それは“灰”にはどうでも良い。たとえ罠だとしても、それこそ考慮の余地がない。

 ただ、『敵対者』であれば殺す。()()()()()()()一日通しの作業になるだろうと幼女が当たりをつけていると――

 

「……よお、久しぶりじゃねえか“灰”野郎……!」

 

 見知った顔の、一人の例外。警戒と畏怖ではなく、堪え切れぬ憤怒を煮え立たせる人間(ヒューマン)――キークス・カドゲウスが“灰”の前に歩み出てきた。

 

「貴公か。冒険者依頼(クエスト)以来だな」

「ああ、あん時はクソほど世話になったぜ。その礼が言いたくてよお……!」

「その割には、随分と剣呑だな。何か気に障る事でもあったのか?」

「――ッ!」

 

 他人事のような“灰”の物言いにキークスは歯を食い縛り、胸座(むなぐら)を持ち上げて“灰”を宙に浮かせる。「キークス!?」と何名かが叫ぶが構わず、銀の半眼を睨む男は煮え立つ怒りを吐き出した。

 

「ブッてんじゃねえぞテメエ……! アスフィさんにやった事忘れたのか!?」

「アスフィ? ……ああ。確か私は、アスフィ・アル・アンドロメダの四肢を斬り落とし、喉を潰した。

 そう記憶しているが、それがどうかしたのか?」

「どうかしたのかじゃねえっ! 何とも思わねえのかテメエは!?」

 

 まるで(とぼ)けている“灰”にキークスは激昂する。

 仮にも同じ冒険者依頼(クエスト)で生き残った仲だ。知らぬ相手じゃないだろうに、どうしてそんな(むご)い真似ができる――キークスはそう問い質している。

 しかし両手で胸座を掴まれ揺さぶられる幼女は、何の感情も指し示さない。

 淡々と言葉を返すだけだ。それがキークスの堪忍袋の緒を切ると知って、なおも。

 

「特に何も思わない。必要だったからやった、それだけだ」

「必要だった!? ヘルメス様への仕返しにか!?」

「何だ、知っているのか。ならば話は早い。

 私は私の家族、ベル・クラネルに襲撃をけし掛けたヘルメスに報復しようとした。

 アスフィ・アル・アンドロメダは、ヘルメスの護衛として側にいた。そのままでは、報復が出来ない。だから行動を封じるため、手足を断ち切り喉を潰す必要があった」

「そこまでする必要はねえだろうが! ヘルメス様だけぶん殴りゃあいいっ!」

「駄目だな。ヘルメスに報復するためには、邪魔の入らない環境が望ましい。その最大の障害はアスフィ・アル・アンドロメダだった。

 だから、()()()。それだけだ。仕方のない事だ」

「どけた……? ……ふざけんな、ふざけんなよ……! 仕方ねえだと!?」

 

 人間(ヒューマン)の男は怒りに震える。片手を離し、振り被り、“灰”目掛けて振り抜こうとする。

 

「じゃあ、俺がてめえを殴んのも仕方ねえよなあっ! やり過ぎたんだよ、てめえはっ!!」

 

 キークスにとってアスフィは敬愛の対象だ。それは団長と団員という立場を超えて、男と女の関係を望む程に強い。

 そのアスフィが、傷付けられた。自分の手の届かない所で、惨たらしい真似をされた。

 許せない。それをやった“灰”も、守れなかった自分も。爆発するキークスの感情は、理屈をどこかへ吹き飛ばしてしまっていた。

 

「――やり過ぎ、か」

 

 だから、キークスの拳は寸前で止まった。

 暗く翳る銀の瞳。その凍てついた太陽のような輝きに、射抜かれたが故に。

 キークスの激昂を――“灰”より滲み出る恐怖が、上回っていた。

 

「では、聞こう。我らがどれ程傷付けば、貴公は私の行いを許せた?」

「……何、だと……?」

 

 硬直するキークスは、辛うじて喉を動かす。宙に持ち上げられたままの“灰”は、ただ古鐘の声を擦り鳴らす。

 

「ベルが、私の家族がどれ程の悪意に晒されれば、貴公は私の報復を許せた?

 やり過ぎというのだ。適切な範囲を、きっと貴公は知っているのだろう。だから尋ねよう。

 私の家族が腕を失くしていれば、私は腕を千切り取っても良かったのか?

 私の家族が二度と立ち上がれなければ、私は脚を砕いても良かったのか?

 私の家族が、死んでいれば――貴公は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、受け入れられたのか?

 報復が超過しているというのなら、言えるだろう? なあ――キークス・カドゲウス」

「――ッ!?」

 

 目を見開くキークスは、答えられなかった。

 ――当然だ。仮にアスフィが何かに巻き込まれ、命を落としたとして、キークスはアスフィの死を受け入れられない。

 頭では分かっていても、絶対にアスフィの死を許容できない。現実を許せず、キークスは手を尽くしてアスフィの命を奪った全てに報復するだろう。

 だからキークスは、答えられない。もしアスフィが傷付けられたら、相手を許すつもりなんて毛頭なかったから。

 今まさに――“灰”を許すつもりがないように。

 

「貴公と私は、同じだ」

 

 暗い銀眼に、キークスの顔が映る。眼前の男を静かに眺める“灰”は、古鐘の声を擦り鳴らす。

 

「私もベルを傷付けた者を、許す事はない。それをベルが望まぬ限り、私は『敵対者』を必ず殺す。

 そう決めている。ずっと前に。私はずっとそうし続けてきた。

 程度はどうあれ、私と貴公に違いはない。立場が逆であったとしても、私は貴公と同じ事をする。

 理屈ではないのだ。大切な物を抱く限り、私はそうする。

 

 ――きっと、貴公もそうなのだろう?

 ああ、だから。忘れるな。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 その暗い瞳に、真実キークスは気圧された。

 震える腕から“灰”を取り零し、どさりとキークスは尻餅をつく。無音で着地した“灰”は、大量に発汗する人間(ヒューマン)を捨て置いて皺の寄った襟を伸ばす。

 

「――手を上げるつもりはないけど、心情的にはキークスと同じよ」

 

 周囲を囲む団員の一人、エリリー・ビーズが声を上げる。“灰”の強さを知るドワーフの女性は、それでも幼女と視線を交わす。

 

「ヘルメス様が柄の悪い人達を(そそのか)して、貴方の【ファミリア】は被害を受けた。だから貴方が報復しようと思うのも分かるわ。でも、だからこそ、私はアスフィを傷付けた貴方が許せない。

 だから聞くわ、“灰”。他に方法はなかったの?」

 

 自分の胸に手を当てて、エリリーは訴えかける。

 

「話し合う余地はなかったの? アスフィを傷付けなくても、言葉で訴えればヘルメス様だって……」

「その仮定は無意味だ。エリリー・ビーズ」

 

 心優しいドワーフの言葉を、“灰”は斬って捨てる。

 

「どのような過程を辿ろうとも、最後には殺す。必ず殺す。私はそれを、曲げられない」

「っ……なら! どうしてアスフィとヘルメス様を見逃したの!? とても無事とは言えないけど、二人とも生きてるわ!」

「さてな。どうにも、アスフィ・アル・アンドロメダの喉を潰した辺りから記憶があやふやでな……本当にヘルメスを殺したかどうか、確証がなかった。

 ここに来たのは、確認のためだ。殺し(そび)れていた場合、ベルにまた被害が及ぶとも限らない。

 故に私は、()()()()()。ヘルメスが二度と、ベルに試練など課せないように」

『なっ……!?』

 

 その言葉に、エリリーだけでなく他の面々も驚愕した。“灰”は堂々と言い放ったのだ。

 お前たちの主神を、殺しに来たと。

 

「……本気?」

 

 戦慄を抑えてタバサ・シルヴィエが言う。腰の得物(ムチ)に手を伸ばす猫人(キャットピープル)の美女は、銀の瞳を揺らめかせる幼女にゴクリと喉を鳴らす。

 

「当然だ。貴公らはヘルメスの眷族、故に私の『敵対者』。邪魔立てするならば、容赦はしない」

 

 『敵対者』という言葉にルルネを筆頭とした“灰”を知る面々が真っ青になる。以前『敵対者』に何をしたか、彼らはその目で見ていたが故に。

 そして“灰”を知らぬ団員は、「神を殺す」と豪語する小人族(パルゥム)に敵意を向けた。“灰”の真実を叩き込む瞳が、いやそれがなくとも、団長を傷付けられ主神を殺すなどと言われては、戦わない理由がない。

 膨れ上がる、一触即発の空気。悲壮な程の覚悟を決める者と、敵対を決意する者とに分かれる【ヘルメス・ファミリア】の面々を前に。

 “灰”はただ、眼を細め。

 

「――はいはいそこまで。物騒なものしまってしまって」

 

 嫌に響く軽薄な声が、緊迫した場面に割って入った。

 

「いやーごめんごめん、すっかり遅くなっちゃったよ。待たせちゃったかな? アスカちゃん」

「ヘ、ヘルメス様!?」

 

 右手に美女、左手に美少女を侍らせて大広間に入ってきたのはヘルメスだった。やっと顔を出した主神にルルネは涙目で抗議する。

 

「何やってたんだよ! こっちはもうちょっとで“灰”と戦う羽目になるとこだったんだぞ!?」

「おおっと、そりゃまずい。せっかく招待したのにお客様の機嫌を損ねちゃ、ヘルメスの名が廃るってもんだぜ」

「こんな時までキザったらしくしてんじゃねーっ!? そもそもアンタのせいでこんな事になってんだからな!?

 早くどうにかしてくれよ! 体調が悪いんだか何だか知らないけど、【戦場の聖女(デア・セイント)】まで呼んで治らないなんて絶対仮病だろアンタ!?」

「あははー、バレちゃったかー」

「〜〜〜っ!? ふざけんなよこのバカ(がみ)ぃ〜っ!?」

 

 ヘルメスの貼り付けた笑顔にルルネは本気で激怒する。今すぐにでも飛び掛かって来そうな犬人(シアンスロープ)の少女に慌ててヘルメスは両手を上げた。

 

「ごめんウソウソ! 今のナシ! ホントマジで体調悪いから! 仮病だったら真っ先にアスカちゃんとこに足運んで謝ってるから!

 だから許してくれルルネぇっ!?」

「がるるるるるるるるっ……!」

「……はあ、本当にもう……止めなさい、ルルネ。これ以上は時間の無駄です」

 

 ヘルメスの右側に侍る美女、アスフィが疲れたように言う。やや(やつ)れているが美貌を損なわないアスフィは、ちらりと一瞬“灰”を見て、ぶるりと体を震わせ、必死に悲鳴を噛み殺した。

 そんなアスフィを安心させるように頭を撫でて、ヘルメスは前に出る。それを押し留めたのは左側の美少女、アミッド・テアサナーレだった。

 

「いけません、ヘルメス様! まだお体が……!」

「ごめんよ、アミッドちゃん。こればっかりはオレがやらなきゃならないんだ。それにこれ以上は、アミッドちゃんの()()()()()()

 大丈夫、アスカちゃんは話せば分かる良い子だから。心配してるような事は起こらないよ」

「……」

 

 アミッドは不承不承というようにヘルメスから離れる。アスフィの腰を抱く腕を離した男神は「っとと」と若干ふらつきながらも、堂々と“灰”の前に立った。

 

「さて、と……じゃあ早速だけど、アスカちゃん――」

 

 暗い銀眼で見上げる“灰”と、視線を合わせるヘルメスは。

 

「――オレが悪かった! どうか全部水に流してくれぇっ!?」

 

 ガバッと勢い良く頭を下げ、頭上で両手を合わせ。

 謝罪と言うには、あんまりにもあんまりな言い草を言い放った。

 

 あんぐりと口を開ける団員達。額を押さえるアスフィ。アミッドでさえ瞠目する。

 流石にそれはないだろ……!? と、ほとんどの心中が一致する。

 

 対し、“灰”は。

 

「分かった。許す」

 

 ただそれのみを、擦り鳴らした。

 

 静寂が、大広間を包み込む。

 

((((……………………えっ!? 終わり!?))))

 

 たっぷり数十秒ほど停止していた団員達は、思い思いに同じ言葉を浮かべ再起動した。

 

「いやー、助かったー! アスカちゃんが良い子で良かったよー!」

「贖罪があれば、私は許す。私はそう、決めている」

「いい心掛けだ! オレも見習いたいくらいさ! ところでアスカちゃん、言葉だけってのもアレだし、お詫びの品を贈りたいんだけど……何か欲しい物はないかな?」

「貴公に欲する物はない。これ以上の詫びは不要だ」

「まあまあ、そう言わずに! たとえば英雄譚なんかはきっとベル君が喜んでくれるぜ?」

「……む。それは、確かにそうだろう」

「だろう! 実は極東に足を運ぶ予定があるんだけど――」

 

 そのまま雑談に突入する“灰”とヘルメスに、周囲は俄然混乱する。

 さっきまでの緊迫は一体? 自分達の怒りはどこ? そもそもこんな簡単に終わっていいのか?

 『神殺し』すら宣言してのけた“灰”が呆気なく許してしまい、団員達の心情は混乱の最中だ。あまりにも乱高下する会話の温度差について行けてない。

 

「体調が悪いそうだな」

「そうなんだよ、18階層から戻ってからずっと悪くてさー。アミッドちゃんに診てもらったんだけど、流石にどうしようもないみたいだ」

「そうか……ふむ、そうか」

 

 男神と幼女の閑談は続く。詫びの話から体調の話に切り替わる二人の会話に打ち解けてんじゃねーよ! と団員から内心のツッコミが入る。

 しかし悲しいかな、心中なので届かない。ようやく立ち直ったルルネが、開口一番ツッコミを入れようとしたその時。

 

「――ヘルメス。服を脱げ」

 

 “灰”の放った一言が、立ち直りかけた団員達を再び混乱の渦に叩き込む。

 

「おおっと、これは大胆な発言だ。まさかアスカちゃんからアプローチをくれるなんて、さしものオレも予想できなかったよ!」

「貴公の予想はどうでもいい。脱ぐのか、脱がないのか、どちらだ」

「ああ、勿論脱ぐよ! 脱ぐに決まってるじゃないか! ただ、本当に体調が悪いからさ……アスカちゃんが脱がせてくれないか?」

「良いだろう」

 

 凍結する団員達を他所に、あれよあれよと話は進む。

 “灰”は手早く動いた。ヘルメスの襟巻(マフラー)を剥がし、ベルトをスリ取り、スルリと旅装束を脱がす。妙に手慣れた手つきでシャツのボタンを外し、“灰”はヘルメスのあられもない上半身を衆目の面前に晒した。

 

 均整の取れた、子供たちならば誰もが羨む神の肉体。

 その筈が、そこにあったのは――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………え?」

 

 誰かの声が、ぽつりと落ちる。

 表面を取り繕った笑みに、一筋の汗を流すヘルメス。眷族に悟らせぬ、だが“灰”には一目瞭然の痩せ我慢。

 何よりも、ヘルメスから匂い立つ()()()。それが“灰”に、ヘルメスの現状を教えていた。

 

 胴体には(あばら)が浮き出ている。老人のように皺だらけの皮膚、痩せ細った筋肉、その上に蠢く黒色の(まだら)

 上半身にくまなく広がるそれは、おそらく下半身にも広がっているのだろう。顔だけが免れているのは偶然か、はたまた意図されたものなのか。

 それはおそらく――“灰”にしか、分からない。

 

「ヘ……ヘルメス、様……? その、体は……?」

「言っただろ? 体調が悪いって。たった数日でここまで広がっちゃって……このままじゃ死んじゃうだろうなあ、オレ」

 

 呻くように問いかける虎人(ワータイガー)、ファルガー・バトロスにヘラヘラと笑いながらヘルメスは答える。

 しかし男神の回答は衝撃的だ。死ぬ? ヘルメスが、自分達の主神が、いなくなる?

 声が出ない。喉が干乾びたかのように呻きも上げられない団員達は、ヘルメスの萎びた肉体を凝視する。

 明らかに、尋常ではなかった。病人の末期を思わせる手遅れの体。不変である筈の神の変容に、皆が言葉を失う。

 

「……ふむ。ふむ」

 

 その嫌な静寂の中で、“灰”の声だけが聞こえてくる。ヘルメスの体を眺め、首を左右に振って検分し、黒い斑に小さな手が触れる。

 途端、斑は脈動し“灰”の指を侵蝕した。白い指がずるずると黒く侵されていくのを見ながら、“灰”は手を離す。

 黒く染まった“灰”の指。増殖し広がろうとする斑は、不思議と小さくなっていき――最後には吸い込まれるように消え、指は白さを取り戻した。

 

「……驚いたな。確かにこれは、『深淵の呪い』だ」

 

 一人得心が行ったように“灰”は呟く。軽薄な笑みを保つヘルメスは、予想していたようにその答えに追従した。

 

「やっぱり、アスカちゃんは知ってるのか」

「ああ。古い人に有り触れた、『闇の魂(ダークソウル)』の一形態だ。

 深淵とは、原初の闇。最初の火によって分かたれた、生まれたばかりの深い底だ。

 それは何物でもなく、不定形で、故に全てを喰い荒らす。そうやってただ広がり、広がった果てに、最初の人は産まれたという。

 しかし、奇妙な事もあったものだな。『深淵の呪い』は、人より這い出で呪うもの。今や火も無きこの時代に、闇はここまで育たない。

 故に私以外、この業を扱う者などいないと思っていたのだが……貴公、これを何処で拾ってきた?」

 

 不思議そうに問い掛ける“灰”に、ヘルメスは無言で見つめ返した。笑みを湛える橙黄色の瞳は、暗闇の幼女を映している。

 

「そうか。私か。記憶にないが、貴公が神であるのなら、そういう事もあるのだろう」

 

 ふむ、と一つ頷く幼女は、そのままヘルメスを見上げる。暫し見つめ合う、神と人。交わされる無言の交流を打ち切ったのは、“灰”であった。

 

「さて……用件はこれで終わりか? であれば、私はもう立ち去るが」

「――ちょっと待てよ!?」

 

 ヘルメスに背を向けて本当に立ち去ろうとする“灰”を止めたのはルルネだ。混乱の極みにある犬人(シアンスロープ)の少女は、とにかく言葉を繋いで物を言う。

 

「それはあんたの仕業なんだろ!? だったらどうにかしてくれよ!?」

「何故?」

「なぜって……全部あんたの責任じゃんか! このままだとヘルメス様は死んじゃうんだぞ!?」

「別に私は構わない。死んだとて、特に困る事もないのでな。

 それにもう、私の責任ではない。何故ならばヘルメスは、「全てを水に流してくれ」と言った。

 私はそれを許し、受け入れた。ならばどちらにも通用する贖罪だ。この呪いは、もはや私の手を離れている」

「けどっ、【戦場の聖女(デア・セイント)】にも解呪できなかったんだろ……!? そんなのっ、かけたあんた以外どうしようもない!

 ――そうだ、アスフィ! あんたはアスフィにあんなひどい事をしたんだ、だからあんたも償うべきじゃないのか!?」

「私はヘルメスの姦計によって傷付いたベルを癒した。救助に来た、他の『協力者』も同様だ。

 ならば貴公らも、同じようにするべきだろう。こちらは治療に支払った対価を要求するつもりもないのでね。

 それとも貴公、贖罪のやり直しを望むか? 私がそれを受け入れると思うなら、言ってみるが良い」

「かっ、神を殺すのはご法度――!?」

「それこそ、私には関係ない」

 

 ルルネの言葉は、それ以上続かなかった。理屈以上に、“灰”を説得する言葉が尽きたからだ。

 そもそもがヘルメスを発端とした結果だ。ルルネとて自分の言っている事が道理に適っていないのは重々承知している。それでも何とかしようとして、不条理な台詞を吐き出しただけだった。

 そして言葉で言い包められないのなら、どうする事も出来ない。“灰”はこの場にいる誰よりも強力で、無慈悲である故に。

 

「――アスカちゃん。オレの呪いを解いてくれないか」

 

 その“灰”に、不死の、化物の如き人に、ヘルメスは言う。

 

「アスカちゃんがどうしても解きたくないって言うなら、オレも素直に諦める。

 でもまあ、本音は死にたくないんだ。まだまだやりたい事は一杯あるからさ。

 だから、もし引き受けてくれるなら依頼したい――オレの呪いを、どうか解いてくれ」

 

 再び見上げてくる“灰”に、ヘルメスは強がった笑みを纏う。

 

「君は冒険者だ。理由はどうあれ、冒険者ってのはそれに見合っていると判断すれば大抵の事は引き受ける。

 アスカちゃんがそうだとは言わないよ。でもオレの見立てじゃ、君は他の何よりも冒険者らしい気質を持っている。

 だから、『深淵の呪い(この呪い)』の解呪に見合うだけの対価を、オレは用意するつもりだ。

 それでどうか、頼まれてくれないか。アスカちゃん――」

 

 はっきりと、不死を臨んで神は言った。それをどう受け取ったのか……深海に溶ける“灰”の心は、既に凪いでいる。

 

「先にも言ったが、貴公に欲する物はない。だが私には、望む物がある」

 

 “灰”は青白いソウルを手に収束させ、見せつけるように持ち上げる。

 小さな頭蓋の溶け込んだ、灰色の石。呪いを吸い込み、蓄積を減らす呪物――『解呪石』を。

 

「それを用意出来るのなら、私は『深淵の呪い』を解呪しよう」

「必ず用意する。オレの、ヘルメスの名に懸けて」

「良いだろう――冒険者依頼(クエスト)成立だ」

 

 差し出された『解呪石』ごと、ヘルメスは“灰”の手を握った。ヘルメスに巣食う『深淵の呪い』が僅かばかり石に吸い込まれ、石の崩壊と共にヘルメスを延命する。

 

「アスフィ・アル・アンドロメダ」

「――――ひゃいっ!?」

 

 ヘルメスの体を痛ましそうに見つめていたアスフィは、突然の指名に心底震え上がった。

 ブルブルとビビり散らす【万能者(ペルセウス)】。

 後にアスフィは――

 

「私が望む対価だ――貴公には、【魔術】を覚えて貰おう」

「…………へ?」

 

 ――“灰”と共に、地獄の七日間を過ごす事となる。

 

 

 

 

「いよっしゃあ! 治ったぞおーっ! ビバ☆健康な肉体(KA・RA・DA)! もう一生病気になんか罹らないよう予防するぞーっ!」

 

 ――そのような事を宣って、完全復活したヘルメスは走り去っていった。

 「ちょっ、どこに行くんですかヘルメス様ーっ!?」と叫んだアスフィはヘルメスを追いかける。残された“灰”は、一度だけ瞬きし、片付けに入った。

 

「――あの、よろしいですか」

 

 砕け散った『解呪石』の残骸やら何やらを掃除する“灰”に、一人の少女が声をかける。

 

「何だ。アミッド・テアサナーレ」

「アミッドで構いません。貴方は……“灰”、様? それともアスカ様? どちらでお呼びすればいいのでしょうか」

「私に名前はない。ただ“灰”と呼ばれている。

 貴公がどう呼ぼうとも興味はない。好きに呼べ」

「……では、アスカ様と」

 

 視線もくれずに作業する幼女をそう呼んで、アミッドは傍らを見上げた。

 積み上がる、頭蓋、頭蓋、頭蓋。おおよそ人の大きさではない巨人の如き頭骨から、赤子のような小さな髑髏(どくろ)まで。融けて歪み、一体となった頭蓋の山は、巨大な墓石のように聳え立っていた。

 『解呪の碑』。“灰”がそう呼んでいた石碑を、アミッドは厳しい目つきで見つめている。

 (まなじり)を鋭くする迷宮都市(オラリオ)最高峰の治療師(ヒーラー)は、それが作り物の類ではなく、紛れもない()()であると見抜いていた。

 

「――アスカ様。貴方は、呪詛師(ヘクサー)なのですか?」

 

 少女の唇から零れ落ちる声は気迫に満ちている。

 ()()は、呪いだ。解呪と名がついていようと、その本質、製法は呪詛で溢れ返っている。

 窪んだ眼窩、大口を開ける頭蓋は今にも悲鳴を吐き出しそうだった。人を救う事を第一とするアミッドにとって、それは許せない。許すべきではない。

 だから、問う。『解呪の碑』を出現させ、ヘルメスの呪いを解いた――その呪いの元凶でもある、灰髪の小人族(パルゥム)に。

 

闇術師(ヘクサー)? 確かに私は闇術師(ヘクサー)だが、これに闇術は関わっていない。

 救いを求め、縋りつき、寄り合わさった人の成れ果て。人の縮図、人の摂理に則って自然とこうなっただけの代物だ。

 元より闇の存在である人をあえてそう呼ぶのなら、闇術の産物とも言えるだろうが。さしたる意味はないだろう。

 呪いなど、押し付ける他に手段もない。その意味でこれは、実に有用な置物だ」

「……」

 

 時代の違い故、ズレている回答を返す“灰”にアミッドは沈黙する。『解呪の碑』より目を離し、清掃を続ける幼女を見つめる蒼い瞳は、如何ばかりの感情が宿っているのか。

 視線を感じる“灰”には興味がない。【戦場の聖女(デア・セイント)】と賞賛される治療師(ヒーラー)の少女にも、なんら関心を示していなかった。

 価値がない。アミッドを見定めた“灰”の判断は、それだけだ。

 

「アスカ様。『深淵の呪い』は、私が必ず殺します」

 

 だから。

 その、思いもよらぬ宣言を聞いた時。“灰”は手を止め、振り返った。

 そこにいるのは、決然とした表情の『聖女』。人を癒し、全ての傷を癒す。そのような光溢れる世界に立つ少女に、不死は銀の半眼を向け。

 

「――――クッ。フフッ、ハハハ」

 

 (かす)かに。だがはっきりと。“灰”はアミッドを、()()()()

 

「……何がおかしいのですか」

「いや……いや。貴公が随分と、大層な夢を(さえず)るのでな。思わず、笑ってしまった」

「私には、『深淵の呪い』を殺せないと?」

「さあて……それはやってみなければ分からんだろうが。だが貴公、己の無知を知らぬと見える」

 

 唇を僅かに、だが卑しく歪める“灰”は銀の右眼の奥に闇の魂を揺らめかせる。

 

「先にも言ったが、『深淵の呪い』とは『ダークソウル』だ。それは今や枯れ果て、意識する事もないが、確かに人の系譜に受け継がれるもの。

 それを殺すと(すだ)くのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……!?」

「血を抜けば、血の病は断たれるという発想さ。手段はどうあれそうすれば、血の病に苦しまずにも済むだろう。尤も、血を失くして生者が生きられるかどうかは、別の話だがな。

 そういう事さ。『深淵の呪い』を殺すなど、人殺しとそう変わりはない。

 闇は、誰にでもある。それがほんの些細な、一滴ばかりの魂だとしても、それを失くして人は生きてはいられない。

 端から闇を持たぬ身、神でもなくば、『深淵の呪い』を殺されて無事で済みはしないだろうよ。それでも貴公、殺すなどと、なおも囀るつもりなのか?

 ならば貴公は、聖人だ。それもこの時代()に珍しい――人間性溢れる聖女なのだろう」

 

 笑みを潜めた“灰”の言葉には、まだ嘲りが含まれていた。

 それはアミッドの知らぬ火の時代の摂理。だがソウル渦巻く銀の瞳が真実であると突き付けてくる。

 アミッドは気圧されていた。自らが呪詛師と呼んだ、その実呪いの塊に。あらゆる物を呑み干し、最後に残った呪詛の怪物に、しかし聖女はなおも立ち向かう。

 

「それでも私は、殺します。このような呪い(もの)――この世にあってはいけない」

「そうだな。そうだろうとも。貴公のような生者は、そうあって然るべきだ。

 だが貴公、アミッド・テアサナーレ。そんな様では、とても無理だ。

 ヘルメスより受け入れた『深淵の呪い』。その断片すらも殺せぬのであれば、受け入れるしかない。しかし人間性溢れる聖人とて、限度はある。

 いずれ取り殺されてしまうだろう。私にはどうでも良い事だが……まあ、ここには『解呪の碑』がある。

 私が仕舞う前に使うくらいは許そう。なに、どうせ貴公にはどうにもならない。

 であれば、押し付けたまえよ。貴公のような聖人が、ただ呪い死ぬのは惜しいのでな」

 

 大言を吐いた聖女への気紛れか、“灰”にしては珍しく利益のない提案をする。しかしアミッドは固い表情を崩さず、前に添える両手の力をグッと強めるのみだった。

 “灰”とアミッド。不死と聖女。ある意味で背中合わせの、されど決して交わらぬ両者を、『解呪の碑』が静かに見下ろしていた。

 

 

 

 

「待てよ、“灰”」

 

 【ヘルメス・ファミリア】における全ての雑事を終え、帰ろうとした“灰”を呼び止めたのは小人族(パルゥム)の姉弟だった。

 

「何か用か。ポック・パック」

 

 玄関口を出て、都市の外壁に沈む夕陽を眺めていた“灰”は声の主にそう返す。畏怖、緊張、妙な熱意。瑠璃色の瞳にそういった意志を乗せるポックは、ゴクリと喉を鳴らし、尋ねた。

 

「“灰”……あんたは、『神様』なのか?」

 

 瞬間、ポックの視界は反転した。

 地面に叩きつけられる体、締め上げられる喉。ギリギリと音が立つ程に、ポックの首を握る力は強い。

 「ポック!?」と叫ぶ姉の声が遠い。首に噛み付く白い手を掴み、藻掻いても、取れる事は決してなかった。突然の苦痛に喘ぐポックは、自分の周囲に落ちる灰髪と、己を見下ろす銀の瞳を見る。

 見開かれた、“灰”の眼光。その右側は暗く、底なしの闇に炎の輪が燃えていた。

 

「――二度と私をそう呼ぶな。さもなくば、貴様の細首、引き千切る」

 

 おどろおどろしい古鐘の声に震え、かろうじて頷くポック。するとゆっくりと手は引き離され、呼吸を取り戻したポックにポットが駆け寄った。

 

「ポック、大丈夫!?」

「げほっ、ごほっ……」

 

 ポットが必死に呼びかけるも、咽るポックは答えられない。姉の助けを借りて何とか上体を起こすポックは、こちらをただ見続ける“灰”を見上げる。

 落ちゆく夕陽を背にする、暗闇の化身。灰髪に隠れた影の中で、常と同じ銀の半眼が光っている。

 

「貴公、何を座り込んでいる。私に用があるのではないのか?」

「え……?」

 

 “灰”の発言に、ポットの声が落ちる。たった今弟にやった行動を鑑みれば、その発言はおかしい。

 しかし“灰”は、何の疑問も感じていないようだった。小人族(パルゥム)の姉弟を見続けるだけの幼女は、しばらくして踵を返す。

 

「用がないのなら、私は去る。ではな」

 

 そのまま歩いていく“灰”に、二人は何も言えなかった。ただ去っていく灰髪を、見つめるだけだ。

 ポットとポックは思い返す。【ヘルメス・ファミリア】と対話する“灰”は、己の所業を覚えていなかった。ヘルメスに、神に呪いをかけるなど、それこそ神をも恐れぬ所業をやっておきながら、それを忘れていたのである。

 そして、今しがたの出来事。それは二人に、“灰”が神に関する事物に何かを抱いている証明となった。

 その何かは、想像も出来ない。けれどポックとポットは、“灰”がいなくなった後も、ずっとそこを見続けていた。

 

 

 

 

「あ、おかえりなさい、アスカ様」

 

 本拠(ホーム)に戻ったアスカを出迎えたのは、一人留守番をしていたリリルカだった。

 18階層の一件もあり、【ヘスティア・ファミリア】は少し長めの休養を取っている。その間に失った装備やアイテムを買い揃えたリリルカは、そういった諸々の点検をしていた。

 

「ただいま。リリルカ。ベルとヘスティアは帰っていないのか?」

「まだお帰りではありませんね。二時間ほど前に出発されたので、今頃は『神の宴』を楽しんでいるんじゃないでしょうか?」

 

 薬液の詰まった試験管を振りながらリリルカは言う。多少はサポーターのイロハを理解しつつあるアスカも手伝いに入る。

 

「しかし、『神の宴』か。私には縁遠い代物だな」

「リリだって同じですよ。神様であるヘスティア様であれば違うのでしょうが……きっとベル様も慣れない環境に戸惑ってるでしょうね」

「だろうな。ベルは、故郷の村落から出た事がない。『神の宴』に限らず、オラリオで見る全てが新鮮に映った事だろう」

「リリとは真逆ですねぇ。前に『セオロの密林』に行った時が初めてのオラリオの外でしたから。次はあのような冒険者依頼(クエスト)形式ではなく、ベル様達ときちんとした旅行に行きたいものです」

 

 暗い過去を感じさせない様子でリリルカは笑う。それはアスカが尊ぶべきものではないが、家族であればきっと喜ばしいのだろう。

 (かす)かに微笑む幼女は、時折リリルカにサポーター業について指導されながら談笑する。

 そうしているとリリルカが、ふと思い出したように言った。

 

「それにしても、【アポロン・ファミリア】ですか。変に拗れなければいいんですが」

「? 【アポロン・ファミリア】がどうかしたのか?」

 

 こてんと首を傾けるアスカに「ああ、まだアスカ様には言ってませんでしたね」とリリルカは続ける。

 

「実は二日前、ベル様が酒場で【アポロン・ファミリア】と喧嘩したんです。詳細は省きますけど、最終的にベル様がやられてしまって、傷だらけで帰る羽目に……」

「――ほう」

 

 何気ないリリルカの話に、平素半眼のアスカの瞳が僅かに細まる。何時になく冷たい相槌にぎょっとしたリリルカは、自分の足を斬り落とした時と同じ眼をするアスカに慌てて釘を刺した。

 

「だ、駄目ですよアスカ様!? いくらベル様が怪我をしたからと言って、それだけで他派閥に喧嘩を売らないでくださいね!? 下手に抗争にでも発展したらベル様やリリ達が危ないんですから!」

「問題ない、リリルカ。――バレないようにやる」

「それが駄目だと言ってるんですよ!? ええい、リリじゃ埒が明きません、ベル様が帰ってきたら駄目だって言ってもらいますからね!」

「む……それは困る。ベルが望まぬなら、私は何も出来ない」

「それでいいんです! そもそも今日の『神の宴』の主催は【アポロン・ファミリア】なのですから、神様同士で話をつけてくるはずです! アスカ様がやるべきことなんて何もありませんよ!」

 

 「ですから本当に大人しくしてくださいね!?」とリリルカは必死に念を押した。「ベルが私に言うならな」と素知らぬ顔で宣うアスカにリリルカは告げ口を決心する。

 しかし帰ってきたヘスティアが「全くアポロンのやつ〜! まさか戦争遊戯(ウォーゲーム)を企んでいたなんて〜!」と触覚(ツインテール)を逆立てるのを見て、リリルカは真っ青になった。

 凄まじい悪寒と嫌な予感。少女を襲う不穏な未来視は、隣で異様な威圧感を発揮する不死の所業の前触れだ。

 慌ててベルに頼み込み、アスカを諭してもらうリリルカ。少年に「喧嘩は駄目だよ」と言われた幼女は「分かった」と頷いていたが、果たしてこれで丸く収まるのだろうか。

 拭えぬ不安を抱える小人族(パルゥム)の少女は、「どうか何事も起こりませんように……!」と祈るのだった。

 

 

 

 

 翌朝。

 昨晩は『神の宴』に参加した疲れからか、アスカと話し合う時間がなかったベル。ダンジョンに出向く準備をした少年は、本拠(ホーム)を出る前に家族である幼女と向き合うつもりでいた。

 

「――囲まれているな。それも数十ではない。恐らくは、百に近いか」

 

 しかしそれは、鋭い眼つきで呟いたアスカによって実現しなかった。驚くベルやヘスティアよりも早く、不安が的中したリリルカが呆然と言う。

 

「まさか……【アポロン・ファミリア】の襲撃……!?」

「おいおい……! 抗争でもおっ始めるつもりなのか、アポロンは!?」

 

 にかわに慌ただしくなるヘスティアとリリルカの横で、ベルは話についていけていなかった。冒険者としては着実に成長していても、体験の欠如、特に対人経験なんてベルにはない。

 神と少女の意見が飛び交う最中、少年が見つけたのは幼女だった。部屋の扉に触れ、集中するように眼を閉じているアスカにベルは話しかける。

 

「ア、アスカ……これからどうなるの?」

「十中八九、【アポロン・ファミリア】との抗争になる。そして狙いは、貴公だ。ベル」

「僕の、せい……?」

「履き違えるな。責任は仕掛けてきたアポロン(あちら)側にある。()()()()()()()()、貴公の背負うべき責にはならない」

「……アスカは、どうするつもりなの?」

 

 アスカの言葉に18階層での既視感を覚えたベルは、眉を下げて問う。対する不死は平然と、最も簡単な手段を提示した。

 

()()()。それがどのような相手だろうと関係ない。私の家族に手を出すものは――根から全て殺し尽くす」

 

 幼女はいとも簡単に殺人を宣言した。

 それは、人の世界において最も忌避すべき悪行。されど不死の旅路にあって、最も有り触れた日常。

 立ちはだかる敵は、討ち殺す。そう決めている“灰”の眼が、少年を貫いた。

 

「……駄目だよ、アスカ。そんな事しちゃいけない」

「何故?」

「僕が、そうしてほしくないから。もしアスカが人を殺したとしても、僕はずっと一緒にいるよ。でもそれは、許されないことかもしれない。僕とアスカが引き離されるかもしれない。

 そんなの、僕は嫌だ。だから――戦うなら、皆で戦おう。アスカ」

 

 ベルははっきりと、己の心を言葉にした。

 感情的な台詞だ。理屈や戦略の上にはなく、ただ家族を想う心ばかりが溢れている。

 ああ、そうだ。ベル・クラネルは、アスカの導きだ。少年がそう微笑むのなら、不死に否はない。

 

「分かった。であれば、我らの取れる手段は三つに絞られる。

 逃走か、迎撃か、逆襲か。ベル、貴公は団長だ。ならば我らに、指針を示したまえ」

 

 戦局の直前故、無表情を保つアスカはそう提案する。ヘスティアが、リリルカが、【ファミリア】の視線がベルに集まる。

 

「――逃げよう」

 

 それを受け止めたベルは、自分の責務から逃げず、決断した。

 

「まずは神様とリリの安全を確保しなくちゃ。行動するのは、それからでも遅くないと思う」

 

 ベルの団長としての発言にリリルカが真っ先に反応する。

 

「賛成です。リリはともかく、ヘスティア様の身に何かあれば【ファミリア】は終わりです。神質(ひとじち)にされないためにも、安全圏へ避難して頂くのが一番です」

「……分かった。悔しいけど、この状況じゃボクは足手まといにしかならない。せめて君たちが心置きなく動けるよう、身を隠すよ」

 

 ヘスティアは悔しそうに拳を握りながらも頷く。それを見渡したアスカは、己の考える最適な配置を提示する。

 

「ならばヘスティアを中心に、リリルカ、ベルが前後につけ。

 リリルカ、貴公は先導だ。まずはギルドへ向かえ。そのままヘスティアが保護されるのが望ましいが、そうでなければ『ダイダロス通り』の小部屋へ案内しろ。あの場所は、そう容易くは見つからない。

 ベル。貴公は護衛だ。ヘスティアとリリルカの安全は貴公にかかっている。必ず守り通せ」

「うん、分かった。アスカは、どうするの?」

「私は、陽動だ。敵の注目を集め、包囲網を穿つ。必要があれば敵の数を()()

 ……大丈夫だ、殺しはしない。多少は傷つけるが、一人も殺さないと誓おう。貴公らがギルドに到着したと判断すれば、すぐに離脱する」

 

 嘘を含まないアスカの瞳と見合い、ベルは頷いた。そして皆が手早く準備をする中、ヘスティアは幼女に囁く。

 

「アスカ君……くれぐれも、くれぐれも子供たちを殺さないでおくれよ。ボクが言っても、無駄かもしれないけど……」

「いや。分かっている。私はベルと約束した。人の不殺は、必ず果たされるだろう」

 

 その時、リリルカは言い様のない不安に襲われた。思わずヘスティアとアスカを見るが、目につく異常は何もない。

 それでも背筋に這い寄る、言葉に出来ない違和感。リリルカは何とかそれを突き止めようとするが、その前に時間が来てしまった。

 

「準備はいいな? まず、私が正門から出て注意を引く。その隙に貴公らは裏口から脱出しろ」

「了解! ……アスカ、怪我しないでね」

「――ああ、勿論だ。それも、約束しよう」

 

 微笑んで、アスカは地下室から出る。それを追って三人は、裏口付近に待機する。

 壊れかけた廃教会。その正門から堂々と出ていく灰髪の幼女。生まれより伸びる灰髪と、密やかな髪飾りばかりが見える後ろ姿に、リリルカは不吉の予兆を幻視した。

 

 

 

 

「出てきたぞ――撃て」

 

 廃教会の正門に人影が現れた瞬間、リッソス・レスピアは片手を掲げ、合図を出した。

 途端、放たれる攻撃魔法。十数人の魔道士による同時攻撃は寸分違わず正門に直撃し、多量の光と爆音を轟かせる。

 ガラガラと崩れる、廃教会。兎一匹逃さぬと巻き上がった煙を注視するリッソスは――そのまま意識を刈り取られた。

 煙を貫き、閃光の如く驀進した灰色の砲弾。有無を言わさぬ、認識すら許さない真っ向からの不意打ちによって。

 

「っ!? 隊長!?」

 

 威力を余す事なく叩き込んだ蹴りによって、リッソスがその場に崩れ落ちる。驚愕するリッソスの小隊の目に飛び込むのは、気絶したエルフを足蹴にする灰色の幼女。

 妖しい光を揺らめかせる刃を握る小人族(パルゥム)――“灰”は、両手で長い柄を掴み。

 十秒後。リッソスの率いる小隊は、抵抗も許されず全滅した。

 

 

 

 

 敵の五割を戦闘不能にする。足止めを考えるのなら、それが最良だと“灰”は考える。

 優先順位は治療師(ヒーラー)、魔道士、『敏捷』に長けた者。後衛を潰し、健脚(あし)を断ち切る。そうすれば組織は目に見えて(のろ)くなると、“灰”はよく知っている。

 だから最初に狙うのは最も後ろにいる者だ。SL(ソウルレベル)によって(いびつ)に強化された速力を以て、敵を翻弄し背後を取る。

 そして確実に、喉を潰す。魔道士の詠唱を潰せば魔法の脅威は軽減され、救助のためにアイテム、人手を浪費させられる。

 到って凡庸な、足止めの手法。それを実践する“灰”は、当然敵に見切られる事も勘定に入れていた。

 

「来たぞ! 囲め!」

 

 “灰”の狙いは既に看破されている。魔道士を守るように立ちふさがり、敵は複数人で襲い来る。

 多対一。“灰”にとって、最も苦手な数の暴力。

 しかし不死は、灰髪を翻し――鎧袖一触に斬り払った。

 斬られ、吹き飛び、倒れる敵。それを踏みつけて“灰”は経験則による速攻を決める。

 怪我はしない。そう、ベルと約束したのだから。(けん)を捨てる“灰”の力は、全力には程遠くとも敵にとって十分過ぎる脅威だった。

 襲い来る敵も、守られる敵も、片っ端から蹂躙する。殺しはしない、それもベルとの約束だ。しかし後遺症程度は覚悟して貰う。

 最後の一人を斬り捨て、“灰”は瞬く間に小隊を全滅させた。移動するベルらのソウルを確認し、次の敵を探す幼女。その灰髪に、鋭い短刃(ダガー)が投擲される。

 当然の如く避ける“灰”。廃屋の上に立つ幼女を攻撃したのは、【月桂の遁走者(ラウルス・フーガ)】――ダフネ・ラウロスだった。

 

「やってくれたね……リッソスのとこをやったのもアンタ?」

「だとしたら、どうする」

「【ヘスティア・ファミリア】にはバカみたいに強い小人族(パルゥム)がいる……本当じゃん。ヒュアキントスの奴、大事な情報を誇張だなんて斬り捨てて……」

 

 「その結果がこれだよ」と、戦闘態勢を崩さないダフネは言う。“灰”を警戒する短髪(ショートヘアー)の少女は、小隊を預かる指揮官として命じた。

 

「カサンドラ! 治療師(ヒーラー)から順に治して! ウチが相手してる間に、頼んだよ!」

 

 ダフネは抜剣し、“灰”に仕掛けようと走り出し――

 

「――ダメぇ! ダフネちゃん!!」

 

 後ろから抱きついてきたカサンドラによって、体勢を大きく崩した。

 

馬鹿(ばっか)……!? 何やってんのカサンドラ!?」

 

 命令無視、挙句の果てに味方の邪魔。いくら親友とは言えあまりの行動にダフネの頭に血が上る。

 

「う、うぅ……」

「!?」

 

 しかし上った血は、一気に引いた。カサンドラを無理やり引き剥がした自分の手に、べっとりと血がついていたからだ。

 膝から崩れてまま動かないカサンドラを見れば、広がった長髪の間に見える華奢な背に深い斬傷が刻まれている。そして前にいたはずの小人族(パルゥム)が、カサンドラの背後に立っていた。

 滴る血が巻き戻って纏わりつく、異邦の刃――《アーロンの妖刀》を握る“灰”は、静かに二人を眺めている。

 

「このっ……!? よくもカサンドラを!」

「ダメッダフネちゃん……! この人に手を出しちゃダメッ……!!」

 

 激高するダフネを、息も絶え絶えのカサンドラが必死に押し留める。自分を庇った親友の訳の分からない言動に、思わずダフネは声を荒げた。

 

「さっきから何言ってんのカサンドラ!? ウチらから仕掛けたんだよ、戦うしかないでしょ!?」

「そしたらダフネちゃんが死んじゃうっ……! だからダメッ、死んじゃうよぅ……!」

「カサンドラ……?」

 

 涙に塗れ、痛苦を堪えなお縋るカサンドラの表情に、ダフネもようやく微かな異常を悟った。それでも『呪力(まりょく)』が、ダフネに信じさせまいとするが――

 

「……お、お願い、お願いします……! 私は、ど、どうなっても、いいから……ダフネちゃんだけは、助けてください……!!」

 

 必死に動き、頭を屋根に擦り付け、カサンドラは懇願する。

 それに意味はない。分かっている。それでもカサンドラは、喉が嗄れ果てても願うしかなかった。

 どうか暗黒の気紛れが、大切な友達を奪い去らないでくれますようにと。

 「お願いします、お願いします……!!」カサンドラは懇願を続ける。自分の傷も顧みず、友人の助命を願うカサンドラにダフネの思考は乱された。

 

「……ヒュアキントス・クリオは、向こうか」

 

 その間に、“灰”は動く。都市の北西、家族が逃げた方向に視線を投げる銀眼の不死は、そこに誰もいなかったかのように、一瞬で掻き消える。

 残されたのは【悲観者(ミラビリス)】と、彼女に守られた大切な人。それを自覚しないダフネは「どうなってんのよ、もう……!?」と髪を掻き回して、カサンドラの治療を優先した。

 

 

 

 

 ヒュアキントスは苛立っていた。

 彼を満足させる報告は一向に入ってこない。兎狩りを命じた筈の団員はいつの間にかやられ、現場は混乱を加速させている。

 栄えある太陽神の眷族であるというのに何という体たらくか。命令一つ満足にこなせない仲間にも、崇拝する主神の願いに応えられない自分にも苛立つヒュアキントスは、不甲斐ない団員に指示を飛ばして一際高い鐘楼に登る。

 

「――聞こえているか、ベル・クラネル!」

 

 小賢しく逃げ回る兎に吠え立てるヒュアキントスは、気付かなかった。

 鐘楼の最低層。彼の登った塔の真下にへばりつく、影の如き小人に。

 

 ――そして雷鳴が、晴天の空に響く。

 

 

 

 

 時間は少し(さかのぼ)る。

 廃教会の裏口から脱出したベル達は、曲がりくねった裏道を走りながらギルドを目指していた。

 土地勘は襲撃者よりこちらが優れている。散発的な襲撃にベルが対応しつつ、リリルカが先導して道を指し示す。

 

「この道を抜ければギルドまであと半分です! アスカ様のおかげで思ったより相手の数も多くありません、このまま逃げ切りましょう!」

「そ、それはいいけどサポーター君!? も、もうちょっとボクに気を使ってくれてもいいんだぜ!?」

「背負われている身で文句言わないでください!」

 

 《スキル》、【縁下力持(アーテル・アシスト)】に加えて『指輪』を多数装備するリリルカの能力はLv.(レベル)2相当だ。ヘスティアを背負っても十分に速く走り回れる。

 二人を守り、追いかけるベルは今も戦っているであろうアスカを心配した。いくら強いと分かっていても、胸に巣食う不安は消えない。どうか無事でいますようにとベルは願い――

 

『聞こえているか、ベル・クラネル!』

 

 晴天に響き渡る声が聞こえたのは、その時だった。

 

「この声……! ヒュアキントスさん!?」

 

 一際大きく反応するベルに叩きつけるように、大音声は辺り一帯に広がる。

 

『どこに隠れようと、どこに逃げ込もうと、我々は貴様を追い続ける。一時を凌ごうが無駄だ!』

 

 執念深いアポロンを象徴するかのような警告。ギルドに逃げても終わらない、決着をつけなければどうにもならないと悟るベルは、歯を食い縛る。

 ――こうなればもう、逃げる道はない。戦うしか――

 そう考える、少年の耳に。

 

『地上でも、ダンジョンでも同じことだ! この先、お前に安息の日々はないと――』

 

 ――その雷鳴は、底知れぬ怒りのように轟いた。

 

「「「――――っ!?」」」

 

 轟音が、席巻する。ヒュアキントスの発した大音声を遥かに超える、(いかづち)の悲鳴。

 思わず音の発生源を見た三人の目に映ったのは――鐘楼に降り注ぐ、太陽の光の如き雷霆(らいてい)

 【落雷】。そう呼ぶには力も範囲も桁違いの暴力が、鐘楼を砕き、崩壊させた。

 ガラァン、ガラァンッッッ――と、落下した大鐘の音が耳に突き刺さる。

 

「な、なんだぁ!? 『神の力(アルカナム)』!?」

 

 足を止めるリリルカの背で、驚倒したようにヘスティアが叫んだ。『神の力(アルカナム)』、その言葉を拾ったベルは、バッとヘスティアに顔を向ける。

 

「か、神様のどなたかが『力』を使ったってことですか!?」

「い、いや……違う。一瞬それっぽかったけど、今のは『神の力(アルカナム)』じゃない……

 けれど、あれだけの力……まさか、アスカ君……!?」

「っ!」

 

 ベルははっとして視線を戻す。既に崩れ落ち、ベル達からは影も形も見えない鐘楼の方には、きっとベルの家族がいる。

 アスカは強い。けれど体は、そうじゃない。もしも今のが、追い詰められての行動だったら……反射的に向かいそうになる体を、ベルは抑える。

 

「……急ごう! ボクらがギルドに到着すれば、アスカ君も離脱するはずだ!」

 

 同じ結論に達したヘスティアは、皆を急かした。しかし、動かない。ヘスティアを背負うリリルカは、崩れ落ちた鐘楼を見遣ったまま、棒立ちになっている。

 

「何をしてるんだ、サポーター君!? 早く行かないと、それだけアスカ君に負担が……!」

「『神の力(アルカナム)』……神の力……神……?」

 

 ぶつぶつと呟くリリルカは、動かない。ただずっと抱いていた不安が、その不吉な正体を現そうとしている。

 それを少女は必死で解き明かそうとした。そうしなければ、()()()()()()()()()()――そんな漠然とした思いが、ずっと伸し掛かっていた故に。

 そしてリリルカは、ついに気付く。アスカ、神、忘却――ソーマ。あの時“灰”が、何をしようとしていたのか。

 それが、ただ一回の過ちでない事に、小人族(パルゥム)の少女は気付いてしまった。

 

「まさか……!? ヘスティア様、【アポロン・ファミリア】の本拠(ホーム)はどこですか!?」

「な、何だい、薮から棒に!?」

「いいから早く答えてくださいっ!」

「せ、西南だ!? ギルドとは反対の方向だよ!」

「――っ!!」

 

 唇を噛んだリリルカは、走り出す。

 都市の北西、ギルドの方角――ではなく。

 都市の南西、ヘスティアが言った【アポロン・ファミリア】の本拠(ホーム)へと。

 

「っ!? リリ!?」

「ついてきてください、ベル様!!」

 

 驚くベルに叫んで、リリルカは全力疾走する。慌てて駆け出し、追いかけるベル。それを後ろ首で見るヘスティアはリリルカに叫ぶ。

 

「どこへ行くんだ、サポーター君!? ギルドはあっちだろ!?」

「分かったんです! アスカ様が、一体何をなさろうとしているのか……!」

「ど、どういう意味だい!?」

 

 リリルカに足を抱えられ背中から離れられないヘスティアは、慌てて問い質す。並走するベルを横目で見たリリルカは、自分の不安の正体を口にする。

 

「ずっと違和感があったんです……! アスカ様は、一人も殺さないと仰られていました! リリ達がギルドに到着する頃には離脱するとも……!

 けれど、離脱したあと合流するとは言わなかった! 一人も殺さないとは言っても、()()()()()()()とは言わなかった!」

「「――っ!?」」

「リリの勘違いなんかじゃありません! アスカ様は――アポロン様を殺すおつもりです!!」

 

 リリルカの断言に、ベルとヘスティアは真に驚愕した。神を、殺す? それは許されない、あってはならない所業。

 

「そんな馬鹿な!? 『神殺し』は下界最大の禁則(タブー)だぞ!?」

「そんなこと、アスカ様に関係ありますか!? ベル様以外は何だって踏み躙るあの方に、禁則(タブー)なんてありません!」

「い、いくらアスカ君でもそんなこと……!?」

「リリは見たんです! リリが【ソーマ・ファミリア】から脱退する時、ソーマ様を殺そうとしたアスカ様を!!」

「!?」

「もっと早く言うべきでした……! あの時、アスカ様が何を思って矛を収めたのかは分かりませんが、ソーマ様を殺そうとしたことだけは確かです!

 アスカ様は、必要と思えばそれをやるお方です! 誰も殺さずに【アポロン・ファミリア】を無力化させようと、アポロン様を殺す選択肢を考えても不思議ではありません!」

「…………」

 

 ヘスティアは押し黙る。リリルカの言葉を否定しようとして、けれど接してきた記憶がそれを許さない。

 アスカなら、それをやる。そう結論付けるしかない女神の横で、まだ信じ切れていないのはベルだった。

 

「そんな……だって、ありえないよ、リリ……アスカが、神様を殺す、なんて……」

「忘れたんですか、ベル様!? アスカ様はご自身で仰っていたではありませんか!

 英雄も化物も――人も神も、邪魔をする全てを殺してきたから、今があるって!!」

「あ……」

 

 そうだ。ベルは聞いていた。自分から望んで聞いたのだ。

 アスカの暗い物語。ひたすらに、ただひたすらに戦い続けた、救いの無い不死の話。

 その物語の語り部たるアスカは言っていた。英雄を殺したと。化物を殺したと。人を殺したと。

 ――神を、殺したと。それが必要だったから、進み続けるために殺したと、アスカはベルに言って聞かせた。

 それが紛れもない真実だと、分かっていたのに。ベルもヘスティアも、真実心では受け入れていなかった。そんなはずはない、何かの間違いに違いないと――ずっと目を背けていた。

 もう逃げないと、誓ったのに。ベルは忸怩たる思いで唇を噛み締める。無意識にまだアスカの暗い側面を見ようとしていなかった自分を殴りたい気持ちになる。

 けれど、今は。贖罪も、自罰も、全部後だ。前を向いて走るベルは、より一層脚に力を込めた。

 

「――急ごう、リリ! アスカを止めないと!」

「はい! 神殺しだなんて、そんなこと絶対にさせません!」

 

 二人の眷族は走る。自分の家族を、自分に希望を指し示した人を止めるために。

 

 その背中で、ヘスティアは。ある決心を抱いていた。

 

 

 

 

「止まれ! ここは【アポロン・ファミリア】の私有地だ!」

 

 背の高い鉄柵の門の前に立つ門兵が、招かざる客に槍を構える。

 生まれより伸びる灰色の髪。闇に浸したような長衣。

 凍てついた太陽のような眼。

 何処の馬の骨とも知れぬ灰髪の小人族(パルゥム)を寄せ付けぬよう、門兵は槍を突き出す。

 それに“灰”は、興味がなかった。障害とは捉えている。だが、目的じゃない。

 “灰”の目的は、ただ一つ。この門の先にいる――神一柱。

 ならば“灰”の取るべき手段は、一つだけだった。

 

「……おい、こいつまさか、【ヘスティア・ファミリア】じゃないか……?」

「馬鹿な、今頃奴らは都市中を追い掛け回されているはず――」

 

 門兵の会話は、それ以上続かなかった。

 

 大一閃。

 

 最大まで血を啜った《アーロンの妖刀》による、横一文字。それが鉄柵を門ごと真っ二つに斬り裂き、衝撃で門兵を吹き飛ばす。

 金属のひしゃげる金切音。庭先の噴水に突っ込む門兵。巨大な石造りの屋敷から現れる【アポロン・ファミリア】の構成員。

 その全てに、“灰”は興味がない。庭の先、屋敷の奥、障害物越しにアポロンのソウルを感じ取る不死は――

 

「――――【反逆】」

 

 ――《渇望の鈴》を手に、かつての狂王が振るいし己の闇術を唱えた。

 

 

 

 

 アポロンは待っていた。

 ヘスティアが戦争遊戯(ウォーゲーム)を受ける時を。あるいは兎が捕まる時を。

 どちらでもいい、運命の筋書きはもう決まっている。

 アポロンはあの無垢な兎を手に入れ、存分に寵愛を注ぐのだ。

 ――ああ、ベル君! いやベルきゅん!

 ――もう逃さないぞ!

 そう遠くない未来を夢想し、愉悦に浸る男神は優雅に葡萄酒(ワイン)を嗜んでいた。

 

 何よりも深く、重い闇。遠き時代の原初の深淵が、膨れ上がるまでは。

 

「……ん?」

 

 ふと、急に暗くなった窓辺にアポロンは訝しむ。雲がかかるにしても、この暗さはおかしい。そう思ったアポロンが立ち上がり、窓辺に近寄ろうとしたその時。

 

「――アポロン様ぁ!?」

 

 扉を破壊する勢いで開けた団員達が、アポロンの周りに群がり。

 

「ど、どうしたんだ、お前たち――」

 

 アポロンの言葉が言い切られる前に、膨れ上がった闇は、破裂した。

 

 

 

 

 瓦礫の山が出来ている。

 整えられた庭、美しい噴水、荘厳な石造りの屋敷。

 【アポロン・ファミリア】の本拠(ホーム)は、美しい物を愛する主神の趣向もあって、ある種の荘厳さすら纏う美しい土地だった。

 今やもう、見る影もない。【反逆】――神々の怒りの物語に対抗する闇術によって、全て跡形もなく吹き飛ばされていた。

 その、闇の爆発の中心地。草木の一本も見当たらない更地に立つ“灰”は、無言で佇んでいる。

 ただ静かに、その時を待っていた。晴天も陰り、曇天が支配しつつある空の下、“灰”はただ立ち続ける。

 

「……なっ、なっ……何がっ、起こったっ……!?」

 

 ふと、彼方の瓦礫が動き、零れた。辛うじて動ける団員が瓦礫をどかす中、自身の眷族に守られたアポロンは呆然と周囲を見渡す。

 何もない。己の財、己の屋敷。あるのは全ての残骸と、愛する眷族たちの倒れる姿だけ。混乱、忘我、悲哀。アポロンは何も出来ずにいた。

 

「……ア、アポロン、様……! お逃げ、ください……!」

 

 その身を盾にアポロンを守り、力尽きた団員の一人が呻く。はっとして駆け寄り、その無残な姿に悲しみの涙を流すアポロンは、ふつふつと沸き上がる怒りに震えた。

 

「――何者だ! 私の愛する眷族(こども)達を傷付けたのは!」

 

 猛ぶアポロンの声に、答える者はいない。代わりに、ぺたぺたと。裸足で歩む小人族(パルゥム)が、徐々にアポロンへ近付いていく。

 その灰髪の小人族(パルゥム)が犯人だと、アポロンを守った構成員は知っていた。だから動ける数名がアポロンを連れ、逃げようとする。

 

 させるものかよ――右眼に火の輪がちらつく“灰”は、なおも垂れ下げる《渇望の鈴》から闇術を放つ。

 

「【約束された平和の歩み】」

 

 “灰”の足元より広がった闇が、効果範囲内の全ての生命に絡みつく。

 【約束された平和の歩み】。白教の知らぬ、辺境の奇跡を闇術に転化したもの。本来は逃げるため、あるいは睨み合う平和を実現するための奇跡は、獲物を絶対に逃さない闇術の檻へと変貌している。

 通常の効果を大幅に底上げされ、まったく動けなくなったアポロン一派を“灰”は見つめる。そして周囲を見渡し、確かめた。

 十分だ。もう十分待った。これでもう、憂いはない。

 自らも動けなくなった“灰”は闇色の鈴をソウルに還し、右手を天に掲げる。

 白い手に灯る、《呪術の火》。ボッと浮かび出た小さな種火が燃え上がり――それは際限なく巨大化した。

 

「【封じられた太陽】」

 

 球形に収束する、灼熱の光。燃え上がる呪術の火はそれが太陽であるかのようだ。

 アン・ディールの悍ましい秘儀によって生み出された呪術。それを“灰”は、許容限界まで蓄積(チャージ)する。

 

「――そこまでだ!」

 

 第三者の声が割り入ったのはその時だった。仮面をつけた男達が続々と現れ、“灰”とアポロンの間に並ぶ。

 双方に武器を構える仮面の集団。その中で一際存在感のある女性は、槍のような杖を掲げ大呼した。

 

「これ以上の都市内での抗争、罷り成らん! なおも争う者は【ガネーシャ・ファミリア】が取り締まると知れ!」

 

 【ガネーシャ・ファミリア】団長、シャクティ・ヴァルマ。都市最上位の第一級冒険者であるLv.(レベル)5の女傑は、堂々と抗争への介入を宣言した。

 【ガネーシャ・ファミリア】による、異例の介入。通常は都市の住人の安全を確保するのみで不干渉を貫く【ガネーシャ・ファミリア】の行動に、アポロン一派は驚愕する。

 だが、“灰”には関係ない。たとえウラノスを通じて“灰”を知るガネーシャが、“灰”の行動を予期して眷族を動員したとしても、それは何の枷にもならない。

 杖を掲げるシャクティの前で、“灰”の呪術がなお燃え盛る。

 

「――そこの小人族(パルゥム)! 今すぐ魔法行使を中止せよ! さもなくば実力で排除する!」

 

 杖を構え、シャクティは厳しい表情に汗を流す。炎の熱のせいではない、シャクティは“灰”と呼ばれる()()を知っている。

 その秘めたる力が、己では遠く及ばない事も、今ありありと理解させられている。

 それでも、退けない。退く事は出来ない。今や“灰”の身長の何倍にも膨れ上がった炎球が放たれれば、アポロン一派のみならず周囲にも多大な被害を及ぼす。

 都市の安寧を守る者として、その長としてシャクティは逃げられない。万が一の時は退避するよう団員に命じて、第一級冒険者の麗人は“灰”と対峙する。

 

「う、うわぁああああああああっ!?」

 

 背後から叫び声が聞こえ、“灰”の顔に槍の穂先が突き刺さったのは、その時だった。

 馬鹿な!? とシャクティは振り返る。壊れた槍を投げたのは、辛うじて動ける【アポロン・ファミリア】の眷族。【約束された平和の歩み】によって逃げる足を奪われ、巨大化する太陽の如き火球に恐慌した一人ががむしゃらに武器を投げたのだ。

 だが、それは悪手だ。これ程の魔法、魔力暴発(イグニス・ファトゥス)でも起ころうものなら惨事は避けられない。槍を投げた人物の捕縛を命じたシャクティは、どうか魔力制御を手放さないでいてくれと振り返り。

 

 そこには、左眼を潰されながらも。眉一つ動かさず炎を猛らせる、不死の姿があった。

 

「なっ――!?」

 

 炎球は、更に大きくなっている。もはや地上に降ろした太陽と言っても過言ではない程に光り輝く灼熱は、触れる者皆焼き尽くす圧倒的な暴力を誇っていた。

 これほどかと、シャクティは戦慄する。話に聞いた“灰”の力と、実際に目にしたその本質は桁違いだ。神殺しすら恐れぬ不死は、その業火をもって全てを灰燼に帰そうとしている。

 何よりもその、重たい瞳。一切の情緒が欠落した、払うべき塵を映す銀の半眼が、シャクティの体を強張らせた。

 それでも――何もしないわけにはいかない。玉砕覚悟で魔法を放ち、少しでも威力を相殺しようとシャクティは詠唱を口にし。

 

「――――ちょおっと待ったぁああああああああああああああああっ!!!」

 

 それは、響き渡った女神の呼号によって中断された。

 思わず、シャクティは声の方向を見る。アポロンも、許容限界まで炎を蓄えた“灰”でさえ、投擲を中断し首を回す。

 走ってくる、二つの影。精一杯の速力で到着した二人――ベルとリリルカは、左眼が潰れている“灰”に息を呑んだ。

 リリルカの背より降り、痛ましいものを見るかのように顔を歪めるヘスティアも、カッと目を見開いて“灰”の前で両手を広げる

 

「――アスカ君、やめてくれ! これ以上はもう無意味だ!」

 

 暗く輝く銀の半眼と向き合い、ヘスティアは説得する。

 

「この惨状、君がやったんだろう!? なら、これで痛み分けだ! ボクらも本拠(ホーム)を失った、アポロンの奴も本拠(ホーム)をぶっ壊された!

 それで終わりだ! これ以上君が、泥を被る必要なんてない……!」

 

 ヘスティアは必死に訴える。しかし“灰”は、静かに言う。

 

「ヘスティア。まだ何も、終わってなどいない。――アポロンが生きている」

「っ……! アポロンを、殺す気かい……!?」

「そうだ。そうしなければ終わらない。不変の神は、何も諦めなどしないと、私は知っている」

 

 “灰”は揺らがない。己の為すべきと断じた事を、何処までも遂行しようとしている。

 それを悟ったヘスティアは、バッと背後を振り返った。杖を構えるシャクティと、目が合う。

 

「――そこの君! 手袋を貸してくれ!」

 

 ヘスティアの突然の申し出に、だが目的を理解したシャクティは従った。手渡された手袋を、ヘスティアは振り被り――「どりゃああああああああっ!!!」とアポロンに叩きつける。

 

「アポロン! 戦争遊戯(ウォーゲーム)だ、受けて立ってやる!!」

「は……ヘ、ヘスティア?」

「早くしろ、死にたいのかぁっ!!!」

「わ、分かったっ!?」

 

 慈愛の女神らしからぬ怒号にアポロンは頷いた。それを見たヘスティアは、再び“灰”と向き合う。

 

「アスカ君、戦争遊戯(ウォーゲーム)は成立した! 決着は戦争遊戯(ウォーゲーム)でつけられる!」

「……」

「敗者は勝者の言う事を聞く、これは絶対だ! 神々でさえ、その勝敗は覆せない!」

「……」

「だからお願いだ、止まってくれ……! ボクはこんな形で、君を失いたくないんだ……!!」

 

 ヘスティアは叫ぶ。それはただ、“灰”だけに全てを背負わせたくないために。

 ヘスティアは、“灰”を■しているために。それは■しい眷族と離れたくないと願う、女神の心の表れだった。

 

「……」

 

 それでも“灰”は、止まらない。ヘスティアの、神の言葉など論外だと、“灰”はとうの昔に定めている。

 

「アスカ君……」

 

 それをヘスティアは、理解してしまう。心の底から悲しそうな顔をする慈■の女神に、“灰”が思うことは何もない。

 だが。

 

「……ベル君、リリ君……――許してくれ」

 

 その言葉は、確かに“灰”の挙動を止めた。

 にわかに立ち昇る、神の気配。ヘスティアから溢れ出す、超越存在(デウスデア)たる存在の証。

 ――神威(しんい)。人類を平伏させる神の威光をヘスティアは放つ。

 その目的は、決まっている。ヘスティアはもう決心していた。

 

 “灰”が、アスカが全てを背負おうとするのなら――『神の力(アルカナム)』を使ってでも、それを止めると。

 

 ヘスティアは今、覚悟している。アスカを止めるためならば、下界から去る覚悟を。

 ルール違反を犯した神への制裁。天に還る罰をも受け入れて、ヘスティアは一人の眷族と対峙していた。

 

 対し、“灰”は。

 “灰”と呼ばれる残り滓の意識は、深海に途絶え。

 代わりに奥底の、目覚めさせてはならない王が首を擡げる。

 ギョロリと蠢く、不死の右眼。それは慈愛の女神を映し、小人族(パルゥム)の少女を映し――そして無垢なる、少年を映し。

 「ヒッヒッ」と、音に乗らぬ嗤い声を、不死は喉の奥で鳴らす。

 

 ああ、全く――ひどい神だ。

 その優しさは、取っておけと。ベルのために使えと――そう言ったのに。

 

 不死が思ったのは、それだけだ。一瞬闇に塗り替わった銀の右眼は、ただベルを映し、王は再びの微睡(まどろ)みに還る。

 残ったものは、“灰”ばかり。意識を取り戻した“灰”は静かに――【封じられた太陽】を掻き消した。

 

 単純な話だ。

 ヘスティアが送還されたら、ベルは悲しむ。それをベルは、望まない。

 ベルが望まないのなら、それは“灰”が――アスカが望まない事と同じだ。

 

 だからアスカは、呪術を消した。結局は、ヘスティアの意志なんて関係なく、ただベルのためだけに。

 

「……ごめん。アスカ君」

 

 それを悟る、ヘスティアは。神威を引っ込めて、涙を流す。

 

「こんな形でしか、君を止められなくてごめん……不甲斐ない主神(おや)でごめん……何も出来なくて、ごめん……!

 ごめんなさい、アスカ君……ボクは君に、何もしてあげられない……!」

「構わないよ。ヘスティア」

 

 滂沱の涙を零す女神を、顔から槍を引き抜いた幼女が抱き締める。

 

「貴公の覚悟は、よく分かった。そしてそれは、ベルのために使ってくれ。

 私になど、構ってくれるな。貴公はベルの――家族なのだから」

「……ごめん、ごめんね、アスカ君……!」

 

 左眼が潰れたまま、泣くヘスティアの背中を叩くアスカは、暫しの後、主神と向き合う。

 

「それで、ヘスティア。どれくらいの猶予がある?」

「……一週間。それだけの時間を、必ず勝ち取ってみせる。

 だからアスカ君、勝ってくれ。勝って、ベル君を助けてやってくれ」

「ああ。心得ている」

 

 頷いたアスカは、ヘスティアから離れた。そして『エスト瓶』を飲み、沈黙する少年に視線を合わせる。

 

「済まない、ベル。私は怪我をしてしまった。貴公との約束を、果たせなかった」

「……いいよ。アスカが無事なら、それで……」

「そうか。ならば良かった。それでは、ベル。リリルカ。行くぞ」

「……行くって、何処へ?」

 

「決まっている――【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)へだ」

 

 ベルに答える銀眼の不死は、既に戦争遊戯(ウォーゲーム)を見定めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反逆

「衝動」の隠された原型

強い闇の衝撃波を発生させる

 

拡散する闇は光を喰らい、深淵となる

狂王は神々の手の届かぬ、吹き溜まりの底で

ただ一人、深淵を広げ続けた

 

「反逆」は狂王の、神々への抵抗である

故に、抗い難い力の誘いがあろうとも

人は決して、触れるべきではない

 




神殺しって現代に換算すると個人が核をぶっ放す事と同義だと思うんですよね。
どう言い繕っても歴史上の大罪人になるのは免れない。そういうもんだと思ってます。

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