ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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いつもよりちょっと文量多いです。


火を知る弟子、人でなしの師

「よし、次は儂じゃな! いざ尋常に相撲(スモウ)を取ろうか、“灰”よ!」

「スモウ? 【処刑者】を取るとはどういう意味だ?」

「何を言ってるのか分からんが、相撲とは組打(くみう)ちの一種よ! 何でも極東に伝わる神事のようでな、相手の力量を知るには丁度良いものじゃわい!」

「ほう、奴の名にそのような意味があったとは。覚えておくとしよう」

 

 微妙に話の噛み合わない“灰”をガレスは笑い飛ばした。ドワーフは細かい事を気にしない、それはガレスとて例外ではない。

 アイズとの戦いを終え、次こそは我と【ロキ・ファミリア】幹部勢は手を挙げた。フィンとリヴェリアは端から辞退していたが、それ以外は皆“灰”と戦いたがったのだ。

 しかし“灰”が難色を示した事、この場にあるのはあくまで治療のためであり、アイズ以外は借りを返すという形でしか応じないと宣言したため、最終的に残ったのはガレスとティオナの二人となった。

 ガレスはリヴェリアから借りを譲ってもらうという形で、ティオナは持っている借りを精算する形で戦う事となる。ティオネは「どうせ借りを返して貰うなら団長のために使いたいわ」と辞退し、既に借りを支払ったベートはお預けを食らった。

 「ふざけんな“灰”野郎おおおおおおおおおっ!?」とはベートの叫びである。自業自得で“灰”と戦う機会を失った狼人(ウェアウルフ)は「借りを寄越せぇ!?」とティオネやフィンに食って掛かるが、当然(まか)り通る事はなかった。

 

「さて、それでは相撲を取るか――と言いたい所ではあるが、貴公と私では体格に差が有り過ぎる。組打ちは出来ないのではないか?」

「む、それもそうじゃの。であれば、シンプルに素手喧嘩(ステゴロ)でやるか。お主とは素手で打ち合いたいんじゃ!」

「そうか。ならばこちらも素手で応じよう。ただし、素手の私はそこまで強くはない。脆い私は受ける事も凌ぐ事も出来ないのだから。それを承知の上で戦うのだな」

「おうとも! よし、フィン、決まったぞ! 開始の合図を頼む!」

「分かったよ、ガレス」

 

 戦いの作法が決まった所で幹部勢が場所を開ける。一部まだ騒ぎ立てる狼人(ウェアウルフ)がいたが、アマゾネスの姉妹とハイエルフの王女に強制的に沈黙させられた。

 そして、ドワーフの大戦士と不死が向き合う。拳をぶつけて指を鳴らすガレスに対し、“灰”はだらりと腕を下げたいつも通りの棒立ちだった。

 

「――始めっ!」

 

 フィンの一声により、戦いが始まる。ガレス対“灰”、ドワーフ対小人族(パルゥム)。それは体格差だけで言えば“灰”側にとって絶望的な戦いだ。

 

「――ぬうっ!?」

 

 しかし、『神の恩恵(ファルナ)』が見た目だけでは判断がつかぬほど冒険者を強くするように、SL(ソウルレベル)もまた外見から強さを判別する事は出来ない。

 手足の長さ(リーチ)の差はあるだろう、『耐久』の差もあるだろう。だがそれを補って余りある『経験』が、“灰”にはある。

 ドワーフらしく真向から仕掛けてくるガレスに、“灰”もまた正面から打ち合った。オラリオで一、二を争う超前衛特化のガレスの拳。太腕より放たれる剛拳を、“灰”は正確無比な攻撃によって()()()()()

 

(受ける事も凌ぐ事も出来んとはよく言ったものよ! 儂の拳に直接攻撃して弾いてくるとは、小癪な真似をしおって!)

 

 戦う前から仕込んでいた“灰”の言葉を獰猛に笑い飛ばし、ガレスは積年の冒険によって磨き上げた連打を叩き込む。

 だが届かない。(ことごと)くを弾く“灰”の拳はリーチの差を物ともしない。場所を入れ替えながら殴り合う二人は千日手を繰り広げる。

 

(このままでは埒が明かんな……! ならば、これはどうじゃ!)

「おおおおおおおおおっ!」

 

 雄叫びを上げてガレスは突進する。体の関節に“灰”の拳が突き刺さるが、ガレスは歯を食い縛り渾身の一発をぶちかます。ドワーフの大戦士は大上段から指を組んだ両拳を叩きつけた。

 

「――」

 

 そこで初めて、“灰”は防御を選択した。頭の上で両腕を交差させ、ガレスの一撃を受け止める。

 ひしゃげる肉、砕けていく骨。両手の上腕が完全に破砕され、二の腕、肩までも衝撃で血が吹き出る。

 

「しまったっ!?」

 

 あまりにも柔らかい感触にガレスは力加減を誤ったと目を剥いた。それがドワーフの大戦士が最後に見た光景となる。

 

「む――!?」

 

 ()()()()で太腕を取った“灰”はガレスの知覚出来ない速度で投げ飛ばす。空を飛ぶドワーフはそれを認識する間もなく、その顔に()()()()()()を叩き込まれた。

 ガレスは空中を直進し、進路の水晶や大木を破壊しながら森の奥へ消えていく。それを銀の半眼で見送る“灰”は()()()()を構えたまま、それをゆっくりと解いていく。

 

「終わりだな。ティオナ、準備をしろ。次は貴公だ」

「え? でもガレス、たぶんまだ諦めないよ?」

「――いや、儂の負けじゃ。完膚無きまでにな」

 

 きょとんとしたティオナが言うと、首を鳴らしながらガレスが戻ってくる。額の一点から血を流すドワーフの戦士は憮然とした様子で鼻を鳴らした。

 

「数秒意識が飛んでおったわい。こやつなら、その間にトドメもさせたじゃろ。全く、『力』も『技』も上を行く相手と戦ったのは何時ぶりかのう。儂もまだまだ青いわ」

 

 額の血を拭うガレスは、腕が潰れたままの“灰”に目をやった。見るだけで苦痛が想像できる程に両腕が壊れているのに、灰髪の幼女は物ともしない。普段通りの静謐を保つ“灰”に、思わずと言った風にガレスは尋ねる。

 

「……お主は大丈夫なのか? その腕、痛みを感じていない訳ではないじゃろ?」

「問題ない。私の本質はソウルだ。私の力は、肉体に依存しない。腕が潰れた程度では何の変化もない」

「いや、聞いているのはそこじゃないんじゃが……まあ良いか。それよりその話、興味が湧いた。詳しく聞いても良いか?」

「良いだろう」

 

 エストを飲んで両腕を治した“灰”は詳細を説明する。

 そもそもSLとは、ソウルの強化だ。器を昇華し肉体を強化していく『神の恩恵(ファルナ)』とは根本から違う。

 SLによって力を得ていく者は、やがてソウルこそを本体とする。肉体は物理的な手段、干渉を主とする道具に成り下がっていき、ソウルこそが台頭していくのだ。

 それは“灰”を始めとした不死が、『火の時代』の怪物達が証明している。どれ程に傷つき、肉体の構造を破壊され、物理的に動けなくなろうとも、彼らが止まる事は決して無い。最後の最後、息が絶えるまでソウルを本体とする者達は全盛であり、力を損なう事がないのだ。

 それは不死の中でもあらゆる凄惨な戦いを強いられた奴隷騎士が顕著だろう。老いさらばえ、皮膚が焼け爛れ、骨が歪み、正気などとうに失っても、終わる事のない戦いを強いられた不死達。捨て身を身に着けた奴隷騎士の戦いは、不死の脆い肉体に反しあまりにもしぶとい。

 その秘密こそ、SLにある。ソウルを本体とする者達は、繋がってさえいれば肉体を操れる。肉が裂け、骨が断たれ、薄皮一枚でかろうじて繋がっているような状態でも、その薄皮さえあればなんら変わらぬ肉体として扱えるのだ。

 故に奴隷騎士の捨て身とは、薄皮一枚に傷を(とど)めるのではなく、薄皮一枚を残して攻撃を受ける事。どれ程の攻撃を受けようと決して体の繋がりを断たず、ソウルを頼りに戦う(おぞ)ましき不死こそが、奴隷騎士だ。

 

 その業を盗み、受け継いだ“灰”もまた、しぶとい不死の一人だ。『白骨のミノタウロス』に貫かれた折、体が僅かな肉でかろうじて繋がった状態であったのも意図した事である。

 だから腕が潰れた程度、何の問題にもならない。肉が働かずとも、骨の支えが無くとも、ソウルを主とする“灰”は全盛の力を振るえるのである。

 

「成程のう、そういう絡繰(からくり)があったか。であれば、仮に儂らがソウルレベルを用いたとすれば、肉体に縛られなくなるという事か?」

「それは分からん。『神の恩恵(ファルナ)』によって昇華した肉体がどれ程ソウルと釣り合うかによるだろう。所詮は、どちらに比重を置くかの話だ。(ソウル)と肉体は表裏一体、どちらを失くしても、人は人ではいられない」

「ふーむ……この辺の解釈はリヴェリア達に投げるか」

「ちょっとガレスー、いつまで話してんのさー。あたし早く戦いたくてうずうずしてるんだけどー」

「おお、すまんすまん、ティオナ!」

 

 ぶーたれたティオナに催促されたガレスはのっしのっしと去っていく。入れ替わるようにやって来たティオナは“灰”に快活な笑みを向けた。

 

「えへへー、ねえねえ“灰”ちゃん。“灰”ちゃんってさ、アイズにアスカって呼ばれてるよね?」

「そうだが、それがどうかしたのか?」

「あたしも“灰”ちゃんの事、アスカって呼びたいなーって! あたしの事はティオナって呼んでいいからさ! ねえねえ、どう?」

「貴公がそれを望むなら、そうすればいい」

「やったー! ありがとー! それじゃあアスカ、やっちゃおっか!」

 

 二つの特大剣を柄で繋げたような規格外の得物、大双刃(ウルガ)をブン回すティオナは心底楽しそうに笑っている。戦いを本能とするアマゾネスの少女は、しかし血と暴力の凄惨さを感じさせない太陽のような笑顔を咲かせていた。

 それと向き合う“灰”は無言のまま、《グレートソード》をソウルより取り出す。平凡に構える幼女に満面の笑みで笑いかけて、ティオナはフィンの合図も待たず“灰”に突進した。

 

「行っくよおおおおおおおおおっ!」

 

 大双刃(ウルガ)を回転させ、ティオナは遠慮なしに“灰”に叩きつける。風を巻き上げて迫る大双刃(ウルガ)を“灰”は精密動作で撃ち落とし、無秩序(ランダム)に振るわれる大双刃(ウルガ)と打ち合う。

 それはアイズとの戦いのような防御優先ではなく、ガレス戦で見せた攻撃的防御だ。相手の攻撃にこちらの攻撃を合わせ、弾く。その精密性と繊細さを要求される行動を、“灰”は特大剣という巨大な得物で実現させていた。

 

「すごいすごーい! 私の大双刃(ウルガ)がこんなに防がれたの、初めてだよー!」

 

 楽しそうに笑うティオナは更に大双刃(ウルガ)を加速させる。段々と火がついてきたアマゾネスの少女は、次第に加減を忘れていった。

 今のティオナが出せる最大の力で大双刃(ウルガ)は振るわれる。それでも“灰”の『経験』を上回る程ではない。ティオナより巨大な武器を扱う敵も、得物を高速で振るう敵も、“灰”はよく知っている。

 だが、ティオナのような特殊な武器を使う敵はそうはいなかった。珍しい(タイプ)の相手ではある。

 

「……」

 

 だからか、“灰”の中では少しばかりの興味が湧いた。しばらく打ち合いながら考えていた幼女は、やがてその興味を確かめる事にする。

 《グレートソード》を肩越しに構え、“灰”は大振りの一撃を大双刃(ウルガ)に見舞った。衝撃に重点を置いた重閃は「うひゃあっ!?」とティオナの手を痺れさせる。

 その隙を狙い、“灰”は特大剣を器用に操り大双刃(ウルガ)を絡め取る。そのまま『筋力』の全てを引き出し、《グレートソード》ごと大双刃(ウルガ)を上へ()ち上げた。

 

「あっ!?」

 

 宙を舞う二つの重量武器。それを驚いた目で見上げていたティオナは、素早く飛んで片方の武器を掴んだ“灰”を目撃する。

 降り立つ灰髪の幼女は、ゆっくりとティオナへ振り向く。その小さな手には、特大剣を二つ繋げたような規格外の武器――大双刃(ウルガ)が収まっていた。

 

「あー!? 私の大双刃(ウルガ)返してよー!」

「済まんな。少し、使ってみたくなった」

 

 《グレートソード》をキャッチしたティオナがぷんすかと抗議の声を上げた。それに謝りつつも“灰”は大双刃(ウルガ)を手放さない。

 

「試してみよう。それが済めば、貴公に返す」

「もおー! ちょっとだけだからね!?」

 

 消極的に受け入れたティオナが《グレートソード》で斬りかかる。“灰”は両刃剣の要領で大双刃(ウルガ)を操り、応戦するのだった。

 

「……すごいね。あの大双刃(ウルガ)を『力』だけじゃなく『技』で扱っている」

 

 “灰”とティオナの戦いを眺める観戦者達の一人、フィンは感心したように呟いた。団員の武装まで全て把握している小人族(パルゥム)の首領は、大双刃(ウルガ)がどれ程の超重量であるか知っているし、ティオナの普段の扱いも目にしている。

 力任せに振るうアマゾネスの少女と違い、“灰”は明確な『技』を駆使して戦っていた。特に柄を軸に大双刃(ウルガ)を高速回転させ勢い良く薙ぎ払う一撃は、ティオナの二つ名である【大切断(アマゾン)】のお株を奪う【戦技】である。

 

「ティオナにもいい刺激になるだろうね。彼女は些か力押しに頼り過ぎる。悪いとは言わないけれど、これを機に『技』を知るのもいいんじゃないかな」

「儂はそのままで良いと思うがのう。ティオナの単純さは立派な長所じゃ。生半可に技を齧るより、強みを生かした方が良い。技巧派の相手に対する経験を積むという意味では儂も賛成じゃがの」

「それはティオナが決める事だ。我々は助言に留めるべきだろう。……それにしても巧いな、アスカは。動きは平凡だが、戦場の制御(コントロール)が凄まじく巧い。もはや未来予知と言っていい程に予測に長けている」

「ンー……あれは『経験』、かな。既に先を知っている動きだ。アイズの時もそうだったけど、おそらく一度か二度見た動きは即座に把握してしまうんだろう。つまり、“灰”への対抗手段は見た事のない『未知』、という訳だけど……途方もない『経験』を積んでいるだろう彼女を上回る『未知』なんて、そうそうないだろうね」

 

 フィンは苦笑しつつ、観戦を続ける。その推測は的確だ。フィンを始めとした第一級冒険者達の観察眼は、“灰”の特性を確かに見抜いていた。それは彼らが長年培ってきた技能であり、英雄足り得る証左でもある。

 初見の相手に対する正確無比な観察力。それは『経験』のみを武器とする“灰”が決して持ち得ないものだった。

 

「――そうだ、ガレス。さっき“灰”と長く話していたけれど、何を話していたんだい?」

「ん? ああ、ちょいとソウルレベルについて聞いておった。内容は……儂がとやかく言うより、お主らに判断して貰った方が良いな」

 

 慣れない得物に苦戦するティオナを眺めつつ、ガレスは説明する。それが終わる頃にティオナは一旦敗北し、双方の武器を戻して仕切り直していた。

 

「……ソウルの強化による肉体と魂のバランス、か……正直、僕にはさっぱりだ。リヴェリア、君には理解できるかい?」

「難しいな……ことソウルに於いてはお前達より一日の長があるだろうが、私もまだまだひよっ子だ。ただ問題を挙げるとするのなら、ソウルの強化によって変質した魂を神々がどう判断するか――それによると考えられる」

「ああ、成程……『転生』か」

 

 魂に関する最も身近な話題にフィンは思い至る。『転生』。人類が死した時、魂は天に昇り、神々の手によって浄化され新たな命となる。

 それは下界の生によって穢れた魂が輪廻に還るために必要な行為だ。それにソウルレベルがどのように作用するか分からない。死後の話であるため極論、今死ぬつもりのない彼らには関係ない話ではあるが、無視できない問題でもある。

 

「……やっぱり、ソウルレベルは今結論を出すには早すぎるかな。もっと情報と検証が必要だ」

「同意する。既に魔術を習っている私が言える事ではないが、振り返ってみると拙速な判断を下してしまった。これはひょっとしたら、『転生』に支障をきたしてしまうかも知れないな」

「ガッハッハッ! すぐに思い当たる事がそれとは、歳を食ったもんじゃな、リヴェリア! ――お、おい、そう睨むな!? 冗談じゃ、冗談!」

 

 母親(ママ)の眼光を放つリヴェリアにガレスは慌てて弁明する。ハイエルフとドワーフの間で思考するフィンは、ふとティオナと“灰”の戦いが終わっている事に気付いた。

 

「あ〜あ、負けちゃったよ〜。負ける気全然なかったんだけどな〜」

「ガレスでも負けたのに何言ってんのよ。まあ、初めから負ける気で戦うなんてアマゾネス(あんた)らしくないけど」

「だよねだよね! でも楽しかったー!」

「……ほんっと単純ね、あんたは」

「えへへー。またやろうね、アスカ!」

「気が向いたらな」

 

 落ち込みつつもさっぱりした笑顔を咲かせるティオナにティオネは呆れ、“灰”は適当な返事をする。それを眺めてフィンは、断片的な情報を繋ぎ合わせるために彼女達に近寄った。

 

「“灰”。一つ、不躾な質問をしてもいいかい?」

「何だ? フィン・ディムナ」

「君の《スキル》についてなんだけど――」

 

 フィンの質問に、“灰”は手短に答える。それを聞いた小人族(パルゥム)の首領は、ソウルレベルに関する当面の方針を決定するのだった。

 

 

 

 

「結論から言おう。【ロキ・ファミリア】としては、ソウルレベルの強化をしばらく見送りたいと考えている」

 

 【ロキ・ファミリア】野営地、本営の天幕内。

 ラウル達と別れ、幹部勢と“灰”のみとなったメンバーを前に、フィンは断言した。

 

「フィン……! どうして……?」

 

 真っ先に反応したのはアイズである。『指輪』の力、“灰”との戦いを通じてソウルレベルの確かな強さを知った【剣姫(けんき)】は、今すぐにでも自身のソウルを強化するつもりだった。それを見送ると言ったフィンに、懇願にも似た疑問を投げかける。

 フィンはそれを冷静に受け止め、指を三本立てて説明する。

 

「理由は三つある。

 一つはソウルレベルに関する知識不足だ。僕らは今、ソウルレベルという『神の恩恵(ファルナ)』によらない力を得る手段を知った。けれどそれがどんな利益(メリット)不利益(デメリット)(もたら)すかまるで分かっていない。

 力は得られるだろう。しかし代わりに取り返しのつかない不利益(デメリット)を抱えてしまったらまるで意味がない。試すにしろ、相応の覚悟が必要だ。少なくとも僕は君達を実験台にするつもりはない。

 二つ目はソウルレベルのアンバランスさだ。ソウルレベルは任意のアビリティを自由に上げる事が出来る。有り難い話ではあるけれど、相応の危険もあると推測される。

 ガレスを例に出そう。ガレスは皆知っての通り、『力』『耐久』に優れている。そのガレスが『筋力』のみにソウルレベルを振った場合、極端な話、『力』だけがLv.(レベル)()()という事になるだろう。

 何事もなければそれでいいけれど、もしその『力』に『耐久』が追いつかなかったら……最悪、自らの『力』に耐え切れず()()()()、なんて事になりかねない」

 

 指を二つ折り、フィンは懸念を口にする。それを聞けば成程、そうだろうと思える内容だ。この中では一番知識に疎いティオナでも頷いている。

 しかしまだアイズの瞳に納得はなかった。強くなれるなら――悲願を叶えられるなら、()()()()()の危険性は飲み込める。確固たる意志を宿す金の少女に、フィンは最後の理由を告げた。

 

「そして三つ目――ソウルレベルによる『神の恩恵(ファルナ)』の無効化。それが最も懸念される事項であり、僕が見送る事を決めた理由だ」

『!?』

 

 フィンの言葉にガレス、リヴェリア、“灰”を除く面々が驚愕する。

 『神の恩恵(ファルナ)』の無効化。それの意味するところは、積み上げてきた『成長』と『偉業』の否定に他ならない。何故そんな結論に到ったのか、固唾を呑んで続きを待つアイズ達にフィンは口を開く。

 

「これは“灰”の【ステイタス】、正確には《スキル》による所が大きい。既に許可は取っているから言うけれど、“灰”の持つ《スキル》は一つだけ――《暗い魂(ダークソウル)》だけだ。

 その効果は不死となる、死亡する度に人間性を喪失する、致命傷を無視して戦闘続行可能。

 そして最後――【経験値(エクセリア)】獲得不可だ」

「【経験値(エクセリア)】獲得不可、ですって……!?」

 

 信じられないフィンの台詞にティオネが呻くように言った。それの意味する所は『神の恩恵(ファルナ)』が成長しないという事だ。

 それはいくら『成長』を積み上げても、『偉業』を果たしても、何の成果もないのと同じ。生誕(はじまり)から終末(おわり)まで、その生涯に何一つ変化がないという証だ。

 ティオネはその時、初めて真の意味で“灰”に畏怖したかも知れない。『神の恩恵(ファルナ)』を受けながら、不利益(デメリット)という言葉では到底収まらない厄災(ペナルティ)を被っているのに、平然としている灰髪の小人族(パルゥム)に。

 ティオネが戦慄している横で、アイズはまだ納得していなかった。【経験値(エクセリア)】獲得不可については知っている、アイズは彼の少年が『白骨のミノタウロス』を倒した時、“灰”の背を見ているのだから。

 しかしそれは、あくまで“灰”(アスカ)の話。自分には関係ない、とアイズが考えていると――落雷のような思考が突如として、アイズの全身を駆け巡る。

 それは、とある()()()。愕然とした表情を露にするアイズにフィンは目を細め、少年にしか見えない唇を開いた。

 

「そうだ、アイズ。『神の恩恵(ファルナ)』はあくまできっかけ、その本質は神々さえも認める下界(ぼくら)の『可能性』だ。

 けれどもし。ソウルレベル、ソウルの強化という『神の恩恵(ファルナ)』に頼らない力を得たとして。それで今の僕らより遥かにLv.(レベル)の高いモンスターを討ち倒したとして――果たして『神の恩恵(ファルナ)』は、それを『偉業』と認めるだろうか?」

『――!!』

 

 その言葉で、アイズを始めとした幹部でも若手の者達は理解する。

 『神の恩恵(ファルナ)』。それは神々から与えられる力ではなく、あくまでも人類の芽吹かぬ『可能性』、その者が辿り着いたかも知れない『英雄』への道を花開かせるものだ。

 『神の恩恵(ファルナ)』は、積み重ねた【経験値(エクセリア)】と『偉業』によって肉体を昇華させる。それは極論、『神の恩恵(ファルナ)』がなくとも到達し得る境地だ。『神時代』以前の『古代』に存在した『本物の英雄』達は、まさしく人類の『可能性』の体現者である。

 ソウルレベルという知識を得た今では、『神の恩恵(ファルナ)』はただ力を得るための手段の一つに過ぎないかも知れない。だが【ロキ・ファミリア(かれら)】は、冒険者達は、『神時代』の全ての人々は『神の恩恵(ファルナ)』を宿し、成長する事で非情なる現実を超克し、千年を乗り越えてきた。

 その千年の重み、千年間人類を助け続けた『神の恩恵(ファルナ)』への信頼が、『神時代』の人々には刻み込まれている。

 対しソウルレベルは、“灰”しか知らない。『火の時代』という途方もない遠い時代の、不死のみが求める事を許された禁忌の業。それを用いれば力が得られると分かっていても、『神の恩恵(ファルナ)』と引き換えと言われれば誰もが躊躇するだろう。

 ソウルレベルによる『神の恩恵(ファルナ)』の無効化。その可能性があると知った面々は、ソウルの強化に対する渇望が一気に引いていくのを感じた。

 それは『未知』に挑む冒険者といえど、あまりにも欲望を誘う、けれど危険な『未知』の世界。抗い難い力がそこにあると知っても、そのために自分の信じてきた全てを投げ捨てられる程、彼らは愚かではなかった。

 沈黙する一同。十分に考えが巡ったと見たフィンは、改めて判断の理由を説明する。

 

「『神の恩恵(ファルナ)』の無効化、というのは流石に言い過ぎかもしれない。けれどソウルレベルによるソウルの強化をしてしまったら最後、これからの『神の恩恵(ファルナ)』による『成長』を捨てる事だと僕は考えている。

 勿論、『神の恩恵(ファルナ)』による『成長』とソウルレベルによる強化、どちらが最終的に上かは僕にも分からない。もしかしたらソウルレベルの方が、『神の恩恵(ファルナ)』よりずっと強い力を得られるかもしれない。

 けれどソウルレベルには、()()()()()()()()。これは“灰”に確認したから間違いない。少なくとも“灰”の知る限り、ソウルレベルのアビリティが99を超える者は『火の時代』に一人としていなかったそうだ。

 対し『神の恩恵(ファルナ)』は、()()()()()()()。神々が認める人類(ぼくら)の『可能性』、それを体現させる『神の恩恵(ファルナ)』は、僕らが諦めない限り『成長』し続ける事が出来る。

 これは『神の恩恵(ファルナ)』とソウルレベル、どちらがより優れているかという話じゃない。どちらにも利点はあるし、欠点もあるだろう。ただ僕らは『神の恩恵(ファルナ)』しか知らないし、それを簡単には手放せない。

 だから僕らは、ソウルレベルについてもっとよく知るべきなんだ。それがどんなもので、どんな利益(メリット)が得られて、どんな不利益(デメリット)を背負うのか。それを知り、よく考えてから決断しても、僕は遅くないと考える」

 

 その言葉を最後に、フィンは説明を締め括る。後はもう、個人の問題である。

 たとえ【ロキ・ファミリア】としてソウルレベルによる強化を禁止したとしても。それを望むなら、“灰”は何の躊躇もなく、それをやってしまうだろうから。

 

「……」

 

 黙りこくる一同の中で、アイズが最も葛藤していた。力を渇望する少女は、ソウルレベルの力を諦め切れない。心の中の幼女(アイズ)と一緒に、考えて、考えて――やがて少女は、“灰”を見る。

 

「アスカ……私も、アスカと同じように……ソウルを、強化していいのかな……」

「知らん」

 

 嘆願にも似たアイズの呟きを、“灰”はばっさり断ち切った。聞くだけ話を聞いていた不死は、つらつらと己の所見を述べる。

 

「フィンの話は、あくまで推測だ。事実がどうであるか私は知らんし、知る者もいないだろう。

 私から言えるのは、SLとは()()()()()()()()、という事だけだ。

 私のような卑小で弱い小人すら、英雄の如き力を手にする。それがSLである。必要なソウルさえあれば、そこらの赤子でさえ貴公らを超える力を持つ――そんなものが尋常であるわけがない。

 SLは、歪みを生む。ソウルの強化は『火の時代』において、人から外れ、魔性に近づく禁忌の業とされていた。故に求めるのは、不死のみだった。

 不死とは、人の世界では呪われた化物である。自ら進んで化物に成ろうとするなど――それこそ人では、在り得まい」

「……!」

 

 その言葉が、トドメだった。“灰”を見ていた金の少女は目を見開き、顔を伏せて沈黙する。

 ソウルレベルを用いれば、ソウルを強化すれば、化物になる。その言葉はアイズの心に深く突き刺さった。

 アイズは度々葛藤している。自分の中に燃える『黒い炎』。怪物を殺し、殺し、殺し、殺し尽くて、どんな姿になっても悲願に辿り着こうとするドス黒い執念。

 それに向き合う度に、己の辿った足跡を振り返る度に、アイズは自問する。幾万のモンスターを斬り裂き、『迷宮の孤王(モンスターレックス)』すらも斬り捨て、死の淵に立って生への安堵よりもまだ戦える事を喜ぶ自分は、モンスターと何が違うのだろうと。

 それでもアイズは、自分がモンスターでないと知っている。だってアイズは、人間(ヒューマン)だから。その心が『黒い炎』に飲み込まれない限り、人で居続けられるから。

 それに、あの子が――ベル・クラネルが、アイズの『黒い炎』を消してくれる。あの白い笑みが、純白の冒険が心に在り続ける限り、アイズは決して化物にはならない。

 けれども。ソウルレベルは、人の(ソウル)を化物に変えてしまう。肉体(うつわ)は人でも、(なかみ)は怪物。そんな存在を、果たして人と、呼んでいいのだろうか。

 

「……」

 

 アイズには分からない。どんなに考えても、答えは出なかった。

 そんな、足元で小さな幼女(アイズ)が泣いているような、少女の頭に。

 ポンと、背伸びをした“灰”の手が、冷たく差し置かれる。

 

「あまり悩むな、アイズ」

「――アス、カ……?」

 

 アイズは弱きな眼差しで下を見る。

 凍てついた太陽のような瞳。生まれより伸びる灰色の髪。白く美しい、神の如き美貌の幼女。

 その美しい(かんばせ)を無情で彩る“灰”は、古鐘の声を擦り鳴らす。

 

「貴公は、貴公の望む通りに生きればいい。

 元よりそれは、誰にも邪魔できぬ事。何を選ぶも、何を望むも、全て貴公次第だ。

 誰もが先の見えない未来を歩き、足跡を残す。その正誤は遠い先で振り返り、そこで初めて分かるものだ。

 だから悩むな。前へ進め。たとえその道が険しく、茨に覆われた道だとしても。

 ――それでも果たしたい悲願(ねがい)があると誓ったからこそ、貴公はここにあるのだろう?」

「――!」

 

 “灰”の言葉に、アイズはハッとする。そうだ、自分の原点、アイズの心の咆哮(さけび)

 強くなりたい。

 もう誰も、喪わないために。

 その想いを吼える限り、アイズ・ヴァレンシュタインは間違ってなんかいない。

 

「……アスカ」

「何だ?」

「――ありがとう」

 

 自分の頭を撫でる手を取って、アイズは微笑む。それは【剣姫(けんき)】と称賛()ばれ、【戦姫(せんき)】と綽名(あだな)される冒険者に似つかわしくない、年相応の少女の笑みだった。

 その微笑を眺め、コクリと頷く“灰”を見て、アイズは思う。

 先程思った、肉体(うつわ)が人でも(なかみ)が化物ならば、人と呼んでいいかどうか。

 もしその答えが人と呼んではいけないならば、間違っているとアイズは思った。

 だってアスカは、こんなにも冷たいのに温かい。アスカの言葉は、アイズの心を照らしてくれる。

 そんなアスカが、ソウルレベルを極めた不死だとしても。

 

 アスカはきっと――誰か(みんな)と変わらない、『人』なのだ。

 

 この時のアイズ・ヴァレンシュタインはまだ、そう信じる事が出来た。

 

 

 

 

 18階層、『夜』。

 天井の水晶の発光が星屑ほどに弱まり、暗い帳が降りた『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』。

 そこに茂る森林の中、焚火と『魔石灯』の光が所々に灯る野営地の一角で、“灰”はリヴェリアと向き合っていた。

 

「――フム。これで、ウーラシールの黄金の魔術は全て覚えたか。流石だな、我が弟子よ」

「いや、お前の教えが良かっただけさ。我が師よ」

 

 “灰”の平坦な物言いにおどけるようにリヴェリアは答える。自分の発言が滑稽だったのかクスクスと笑うハイエルフの王女に、“灰”はコテンと首を傾げ、スクロールを床に広げる。

 野営地に立てられたリヴェリア専用の天幕。吊るされた魔石灯の光が漏れる内側で、“灰”は魔術講座を開催していた。

 講義対象はリヴェリア・リヨス・アールヴただ一人。しかしこの場にはリヴェリアと“灰”の二人だけでなく、他の面子もいる。

 非公式名称『妖精部隊(フェアリー・フォース)』――ロキが名付けようとしてリヴェリアに却下され、けれど隊員がこっそり呼称しているエルフ部隊――の隊員が、リヴェリアの後ろにずらりと立ち並んでいる。

 その鋭い視線は、リヴェリアが師と仰ぐ小人族(パルゥム)――“灰”に向けられていた。

 

((((じ――――――――っ))))

「……」

 

 自身に突き刺さる視線の数々を、“灰”は普通に無視する。あくまで“灰”の目的はリヴェリア一人、他は全て些事であった。

 

「――あ、あのっ!」

 

 そんな中、一人のエルフが声を上げる。チラリと銀の半眼だけを向ける“灰”の瞳に映ったのは、『妖精部隊(フェアリー・フォース)』の新米隊員、レフィーヤ・ウィリディスであった。

 

「や、やっぱりリヴェリア様を弟子と呼ぶのは僭越だと思うんです! せめて講師として礼儀正しい振る舞いと、何より敬称をつけて頂かないと……!」

「レフィーヤ!」

「ひゃうっ!?」

 

 王族妖精(ハイエルフ)を尊ぶエルフらしい価値観で頼み事をしてくるレフィーヤをリヴェリアは即座に叱咤した。一言二言叱責を重ねるハイエルフの王女は、ふうと重い息を吐き出した後、“灰”に頭を下げる。

 

「私の内弟子が済まんな。謝罪する」

「構わんよ。雑音程度ならば私も許容する」

 

 どうでも良さそうに受け答えする“灰”は魔術講座を続行する。その不遜ともいえる態度がエルフ達のプライドに障っているのだが、どうでも良かった。

 彼女らは所詮、リヴェリアの内弟子。リヴェリア以上の成果を“灰”に齎す事はないであろうから。

 試してみなければ分からないが、試すつもりはない。労力に対するリターンが割に合わないであろうし、何より――

 

「あ、あの!」

 

 “灰”の考えを断ち切ったのは、またしてもレフィーヤであった。リヴェリアに睨まれ小さくなるエルフの少女は、けれど“灰”と向き合い、はっきりと言う。

 

「私にも、魔術を教えてくれませんか!?」

「……断る」

 

 その意外な要求に少しだけ困惑した“灰”は、先の考え通り試すつもりはないと切って捨てた。シュンと火が消えたように小さくなるレフィーヤ。それを眺め、内弟子達に説教をすべきか悩んでいるリヴェリアに“灰”は尋ねる。

 

「リヴェリア。貴公は内弟子らに魔術を教えていないのか?」

「何?」

「魔術だ。私は貴公に魔術を伝授するが、その後を制限したつもりはない。秘匿するも拡散するも、貴公次第だ。

 だからこそ、私は内弟子ら程度には既に開示し、教授しているものと思っていたのだが」

「…………教えられないんだ」

「何だと?」

 

 “灰”の質問に、リヴェリアは絞り出すような声で答えた。眉間に力を込めるハイエルフの王女は、苦悩を振り払うように顔を振り、翡翠色の瞳を“灰”に合わせる。

 

「私では、魔術を伝授する事が出来ない。いや、魔術だけでなく、お前から習った『火の時代』に関する全てが教えられない。竜の二相、『記憶スロット』、果ては初歩的な魔術ですら……私は何も、伝える事が出来なかった」

「リ、リヴェリア様のせいなんかじゃありません!? 私達の不甲斐なさが悪いんです!」

「そうです! 高貴なお方の責任などと、そのような!」

「リヴェリア様には何の問題もありません!」

 

 エルフ達が口々に擁護するが、今のリヴェリアには虚しく響く。それらを観察して、「ふむ」と可愛らしく声を零す“灰”は、思い当たる節を言葉にした。

 

「やはり、貴公らは存外ソウルに馴染まない。私の所感は正しかったようだ」

「……どういう意味だ?」

「どうもこうもない。リヴェリア、貴公の発想は逆だ。ソウルに関する事、特に魔術は学問であり、理力に長けた者ならば学ぶに易い領域である。故に理に聡い貴公らは、本来何の問題もなく学べる筈だ。

 だがそれは、あくまでソウルへの親和性があってこそ。ソウルに馴染まないのならば、必然ソウルを操る魔術もまた価値無き学問に成り下がる」

「つまり、どういう事だ」

「貴公の内側に問題を求めても解決はしない。この場合、求めるべきは外側だ。即ち――ソウルへの親和性を持たない貴公に魔術を教えられる私にこそ、何らかの特別性がある」

「――!」

 

 リヴェリアは瞠目し、翡翠色の視線を“灰”に向ける。灰髪の小人族(パルゥム)は肩越しに自分の背中を一度見て、古鐘の声を擦り鳴らす。

 

「魔術にはあまり関係はないが、契約だ。私が『神の恩恵(ファルナ)』によって得た魔法について教えておこう。

 私は【魔術】と名のついた魔法を習得している。その効果は『才能により継承可能』。つまり、相応の資質は必要だが、他者に【魔術】を継承させるのが私の魔法なのだろう」

「継承魔法……魔法大国(アルテナ)には代々同じ魔法を扱い、研究する一族がいると聞いた事はあるが、その類か?」

「詳しくは知らんし、興味がない。言えるのは、貴公に魔術を教える時、私は確かに魔法を使っていたという事だけだ。

 念のため、のつもりだったんだがな。貴公は『理力』に優れているだろうと当たりをつけていたし、実際に驚嘆すべき速度で魔術を習得している。事実はともかく、私は保険のつもりで私の魔法を使っていた。

 だがそれこそが、魔術継承の枢要だったとは、私も見る目がない。ソウルに馴染まぬ貴公らが私なしに魔術を得られるのは、果たして何時になることやら」

「……その口振りから察するに、私に教えた時点で魔術を秘匿するつもりはなかったのだな」

 

 新しいスクロールを空中から取り出す“灰”に、目を細めたリヴェリアが質問する。返ってきたのは肯定だった。

 

「ああ。何事も、何時かは知れ渡るものだ。真に秘密を守りたければ、近づく者(みな)殺すしかない。

 私にそのつもりはないし、魔術を私のみに留めるつもりもない。誰も彼もが“ソウルの業”を知り、扱う。そんな時代が何時か来るだろう」

「お前は、それが何時だと考えているんだ?」

「さあ? 千年くらい後じゃないか?」

 

 最後は非常に適当な回答だった。興味がないと言わんばかりの“灰”は、新しいスクロールを広げていく。そんな師の様子を眺めながら、リヴェリアは苦笑していた。

 不死にとっての千年は短いかもしれないが、今を生きるリヴェリア達の千年は長い。少なくともリヴェリア達が生きている間は広まらないだろうと予想している“灰”に、リヴェリアは魔術を教えてくれた事を感謝していた。

 

「さて、リヴェリア。貴公の魔術講座もそろそろ大詰めだ。これより貴公に魔術の源流、白竜シースが生み出し、「ビッグハット」ローガンが体系づけた魔術――『結晶の秘法』を教授しよう」

「!」

 

 “灰”の言葉に、リヴェリアは姿勢を正す。『結晶の秘法』――それについては“灰”の口から度々聞き及んでいる。

 『火の時代』における、魔術の最高峰。かつての王であった神々の武器に比肩するとさえ謳われる魔術は、冒険者として、魔術師としてのリヴェリアの力量を高みに導くだろう。

 リヴェリアは真剣な面持ちで“灰”の言葉を待った。床に広げたスクロールを今一度見直していた“灰”は、凍てついた太陽のような瞳にリヴェリアを映し、告げる。

 

「服を脱げ、リヴェリア」

 

 瞬間、世界が凍った。

 

「……………………今、なんと?」

「服を脱げと言った。一糸残さず、全裸となれ。『結晶の秘法』、白竜シースの偉大なる知見に触れるのならば、世俗の枷を外す思考、『裸の探求』が必要だ」

「…………………………………………」

 

 何とか再起動したリヴェリアだったが、要求を繰り返す“灰”の言葉に完全に硬直する。呆然とするハイエルフの王女。平然と座る灰髪の小人族(パルゥム)。時間だけが過ぎていく師と弟子の静寂は、凍りついた世界が溶けた――否、爆発した瞬間に吹き飛んだ。

 

「なっ、なっ、なあっ!? なんて不敬な事をぉ〜〜〜〜っ!?」

「不敬です、不遜です、不躾の極みですっ! 恐れ多くもいと高き貴いお方に服を脱げなどと破廉恥なっ!?」

(いやしく)もリヴェリア様に師と仰がれているというのに、それを利用して(よこしま)な事に及ぼうなど言語道断っ!」

「まして貴方はリヴェリア様と同じ性別! ああなんて倒錯的な……!?」

「私達の目の黒い内は、リヴェリア様の純潔に指一本触れさせませんっ!?」

「そうです!」「その通りですわ!」「この不敬者っ!」

「「「「不敬(ふ・け・い)! 不敬(ふ・け・い)! 不敬(ふ・け・い)!」」」」

 

 動かないリヴェリアを守るように取り囲む『妖精部隊(フェアリー・フォース)』の隊員たち。エルフが敬愛する王族妖精(ハイエルフ)に対する“灰”の傲岸不遜な態度に鬱憤が溜まっていた彼女らは、ここぞとばかりに不敬不敬の大合唱である。

 しかし“灰”は小動(こゆるぎ)もしない。小娘の集団に詰られた程度で“灰”の鈍い感性は刺激されないし、何より彼女らが言っている事が理解できなかった。

 多感な時期である誇り高い乙女達の妄想は、今の“灰”には早すぎるのだ。

 

「――騒々しいね。何かあったのかい?」

『団長!?』

 

 そこへ現れたのが、フィンである。『夜』にも関わらず外から丸聞こえなくらい騒ぐエルフ達へ苦情の申し入れの傍ら、様子を見に来たのだ。

 無論、リヴェリアの天幕に男身一つで入るつもりはなかったので、後ろにはティオネが同行している。入り口のカーテンを手で開けるだけで中にも入っていない。彼は紳士だった。

 

「団長! これは、その!?」

「いいよ。事情は君達の大きな声で大筋は掴んでいる。おそらく“灰”が突拍子もない事を言ったんだろう」

「そ、そうです! この小人族(パルゥム)ときたら、リヴェリア様にとんでもない不敬を――!?」

「だがそれは、“灰”とリヴェリアの間だけで完結すべき問題だ。彼女らは僕らの知らない【魔術】の師と弟子、突拍子もない事だってする必要があるんだろう。

 何より、“灰”の厚意で君達は同席を許されている。如何に君達がリヴェリアの内弟子とは言え、そのリヴェリアが師と仰ぐ存在には払うべき敬意があるんじゃないかな?」

「くっ……!?」

 

 フィンの正論にエルフ達がたじろぐ。やれやれとフィンは首を振り、エルフ達へのフォローも含めたこの場を丸く治める言葉を発しようとして。

 その前に、何やら考え事をしていた“灰”が、口を開いた。

 

「成程。貴公らの言い分はよく分かった。私も脱げばいいのか」

「…………え?」

 

 その、誰のものかも分からない声が落ちた瞬間。

 “灰”はソウルの光に包まれ――

 

「これでよかろう」

 

 ――気付けば全裸となっていた。

 再び凍りつく世界。一瞬の間を置いて打ち破ったのは、真っ赤になったレフィーヤの悲鳴だった。

 

「きゃあああああああああっ!? なんで貴方が裸になるんですかあああああああああ!?」

「? 貴公らはつまり、リヴェリアだけが脱ぐのは不公平だと言いたかったのだろう?」

「そんな訳ないでしょう!?」

「ねえ団長? 見ました? 見ましたよね? 私という女がいるってのにあんな“(メス)”の裸に目を奪われてましたよね?」

「何を言っているか分からないなティオネ。僕は丁度ガレスと話すために外を見てるから中で何が起こっているかさっぱりなんだ」

「外にガレスはいませんよ団長???」

 

 無表情のティオネに詰め寄られるフィン。とんだとばっちりを受ける小人族(パルゥム)の首領に気付かないエルフ達は突如全裸となった“灰”――同性でも真っ赤になるほど整った造形の体――へ羞恥に苛まれながら抗議する。

 

「何をどう解釈したら私達が脱衣を要求した事になるのですか!? 信じられません!」

「なんだ、違うのか」

「違うに決まってます! と、というか、さっさと服を着てください!?」

「私はこのままでも構わないが」

「「「「私達が構うんです!!」」」」

 

 異口同音に詰め寄られて“灰”は小さく溜息をつく。そして青白いソウルの光を纏った。それにエルフ達は安堵し、ティオネを宥めたフィンは視線を戻す。

 

「そら、これで良いだろう」

 

 そこには、裸に鉄兜を被った“灰”の姿があった。

 

「――なんで裸のままなんですかあああああああああっ!?」

「? よく見ろ、ちゃんと鉄兜を被っている」

「頭以外何も隠せてないじゃありませんか!?」

「どうでも良かろう、そんな事は」

「どうでも良い訳ないでしょう!? というかなんで鉄兜被ったんですか!?」

「――裸に鉄兜は様式美だろう?」

「そんなっ! 様式美はっ! ありませえええええええええんっ!?」

 

 レフィーヤの叫びに“灰”はコテンと首を傾けるだけだった。ちなみにフィンは「今見ましたよね完璧に見ましたよねガン見してましたよね!? そんなにあの“(メス)”が気になるんですかあの大きな胸が好きなんですかだったら私の胸をいくらでも見てください団長オオオオオオオオオッ!!」と猛追するティオネから全力逃走していた。騒動の発端となったリヴェリアは、呆然とした表情でずっと固まったままだった。

 “灰”がやってしまった不死の様式美。それが矯正されなかったのは言わずもがな、大神(エロジジイ)のせいである。

 「ヤバイと思ったんじゃが浪漫を抑えきれなかった」――“灰”について語る時、大神(ゼウス)は至極真剣な面持ちで言った。大量の鼻血を垂らし、その瞳は何処までも真っ直ぐに澄んでいたという。

 

 

 

 

 18階層、『朝』。

 沈黙していた天井の水晶群に光が戻り、あたかも早朝のように森が照らされていく。その中でアイズは、地上での日課である剣の素振りを行っていた。

 偽りの陽光に舞い散る木の葉を斬り裂く《デスペレート》。しばらく素振りを続け、二週間ぶりの日課を終えたアイズは、ふとこちらに歩いてくる小さな影に気付く。

 

「アスカ……?」

「ああ、アイズか」

「どうしたの……?」

「迎えだ」

 

 言いながら、アイズの横を素通りするアスカ。灰髪の後ろ姿を視線で追いかけるアイズは、何となく同行する。

 

「迎え……?」

「ああ。そろそろ、辿り着く頃だろうからな。私が(おもむ)くのは当然だ」

「……?」

 

 疑問符を浮かべるアイズにアスカは説明を重ねない。テクテクと歩いていく小人族(パルゥム)についていくと、やがて17階層に通じる洞窟の前に到着する。

 

『――――――――ォォォォォォ』

「!」

 

 洞窟前の開けた草地で立ち止まるアスカにアイズも(なら)っていると、その咆哮は鳴り渡った。眼前の洞窟の奥より響いてくる咆哮の主は『ゴライアス』――二週間の次産間隔(インターバル)を経て現れた階層主である。

 次いで轟く、破砕音。断続的に響くそれは『ゴライアス』が暴れている証だ。おそらくは17階層最奥の大広間に侵入した冒険者を襲っている。

 行かなければ――アイズは草地を踏み締める。通常、階層主(ゴライアス)は『リヴィラの街』の冒険者総出で討伐する不文律(きまり)がある。アイズのような第一級冒険者はともかく、それ以下の冒険者達が安全を取るならそれくらいの戦力が必要だ。

 ダンジョン探索で見られる数人のパーティ単位で挑むには無謀に過ぎる。故に同業者を助けるため駆け抜けようとしたアイズは、洞窟の奥から転がり落ちるように走る者達に気付いた。

 

「え――?」

「ハアッ、ハアッ、ハアッ……!!」

 

 現れたのは、人間(ヒューマン)の男性二名と小人族(パルゥム)の少女一人。息も絶え絶えに肩を上下させる彼らの中に、見覚えのある少年がいる。

 薄汚れた白い髪。震える手に握られた漆黒のナイフ。こちらに気付き、驚愕に見開かれる深紅(ルベライト)の瞳。

 

「ハアッ、ハアッ……ア、アイズさん!? アスカ!?」

 

 ほんの二週間前に『冒険』をした少年――ベル・クラネルは、何度も後ろを振り返りながら彼女らの名前を呼んだ。予想し得る筈もない迷宮(ダンジョン)の再会にアイズが驚愕する側で、灰髪の幼女は進み出る。

 

「よくぞここまで辿り着いた、ベル。リリルカ、ヴェルフも無事のようだ」

「う、うん、()()()()()()()()何とか来れたけど……えっ!? どうなってるの!?」

「説明は後だ。まずは休め。とりあえず、ここは安全だからな」

 

 アスカの言葉を聞いて「どうなってんだ……」「アスカ様の非常識な力ですよ……」と呟きながらリリルカとヴェルフがへたり込む。ベルも痩せ我慢をしていたが、やがて膝をついて倒れるように座り込んだ。

 それを眺めて、不死の幼女は。上へ続く洞窟の奥で光る()()()を銀の半眼で見つめ。

 見返しているであろう()()()は、【一礼】して消えていった。

 

 

 

 

 時は、ベル達のパーティが中層に突入して数時間後に遡る。

 中層へ新規進出を果たした彼らは、早々にダンジョンの洗礼を受けていた。

 連戦に次ぐ連戦。息つく暇もないモンスターとの戦いに疲労が蓄積していたベル達は、『アルミラージ』に囲まれた状況で『怪物進呈(パス・パレード)』に見舞われる。

 辛うじて保っていた均衡はそれで崩れた。前衛・中衛・後衛の編成が保てなくなった彼らは中途半端な逃走と戦闘を強いられ、モンスターの大量産出によって天井の崩落に巻き込まれ、挙句の果てに『ヘルハウンド』の火炎放射に追われて『縦穴』に落ちたのである。

 中層に仕掛けられる迷宮の陥穽(ダンジョン・ギミック)。それに嵌ってしまったベル達は、推定14階層を彷徨っていた。

 

「すまん……」

「いや……」

 

 天井の崩落によって左足が潰れてしまったヴェルフに肩を貸すベルは、その程度のやり取りしか出来ない。背後を歩くリリルカは振り返るベルに弱々しい笑顔を返すのみだ。

 積み重なった疲労。逃走の最中に失ってしまったアイテムの数々。13階層より強力なモンスターが跋扈する下部階層を息を殺して歩く手酷い緊張。

 彼らは、『詰み』の寸前であった。『縦穴』に落ちてしまった手前、現在地が何処であるかも分からない。闇雲に進んでは何度も行き止まりにぶつかるベル達は、恐怖と絶望に苛まれつつある。

 それでもベルは、逃げるわけにはいかない。集団迷宮探索(パーティ・プレイ)は自分だけの責任に留まらない。信頼を預け合う仲間の命も背負っている。

 それに、宣言したのだ。忘れもしないあの日、ただ夢を見続けるだけだった自分(ベル)家族(アスカ)に現実を突き付けられ、遮二無二にダンジョンに突入した。

 今思えば無謀な行為だ。走って、走って、目についたモンスターと片っ端から戦って、ボロボロになって倒れたベルは誰かに助けられた。

 朧気に覚えていた罵倒の声。それが中層に入る寸前に出会った狼人(ウェアウルフ)の青年の罵倒と重なった時、ベルは直感的に理解した。

 ああ、この人だ。『ベート・ローガ』とアスカに呼ばれたこの人が、あの日(ベル)を助けてくれた(ひと)だ。あの日も、倒れる(ベル)に暴言を吐いて――奮い立たせてくれた人だと、ベルは知った。

 だから、お礼を言った。だから、宣言した。絶対に追いついて見せると。先を走っていて欲しいと。他ならぬベル・クラネルが、そう言ったのである。

 

 だからこそ、逃げるわけにはいかない。仲間から、あの宣言から、自分の想いから、ベルは逃げない。そう決めた。

 だからベルに、諦念の二文字はない。命ある限り、生還の道を模索する。少年にはその覚悟があった。

 

「……?」

 

 その時。ベルの視界に、見慣れない光がちらつく。

 視線を向ければ、それは地面から発せられていた。行き止まりの壁から振り返った道の先、ついさっきまで何もなかった筈の場所に、白い光が輝いている。

 見慣れない、模様のような光。それはまるで文字のようで、ベルは無意識に唇を動かしていた。

 

「白い、()()()……?」

 

 音が零れた瞬間、それが引き金だったかのように白いサインが明滅する。不意に発せられた声にヴェルフとリリルカが少年の視線を辿るが、そこには()()()()

 

「どうした、ベル……」

「……ベル様、何かあったんですか……?」

「いや……そこにサインが――」

 

 疲労困憊の仲間の声にベルが応えようとしたその時。サインはより一層輝き、白い光が溢れ出した。

 

『!?』

 

 リリルカとヴェルフにも知覚できる突然の光。驚きに目を見開く彼らの前で、光は立ち昇り、形を成して収束する。

 長髪という言葉では収まらない、生まれより伸びる髪。その髪を束ね留める、王冠を半分に切ったような見覚えのある髪留めと長衣。

 全身が()()()()、そして()()()である事を除けば――

 

「アスカ……?」

 

 ――そこにいたのは紛れもない、ベルの家族の姿だった。

 

 

 

 

 “灰”はかつて、ベル・クラネルとある誓約を結んでいた。

 それは幼いベルが森で迷子になった折、アスカの手を取った時に交わされた秘事である。

 知らぬ間にベルの(ソウル)に焼き付けられたその誓約の名は――【狂王の烙印】。

 『火の時代』にあって【青教】と呼ばれた、とうに汚染され、歪んでしまった誓約だ。

 【青教】は本来、古い約定の庇護者が結ぶものであり、世界を超える侵入霊、闇霊(ダークレイス)に対抗する守護者を呼び出す誓約である。しかし『火の時代』の片鱗すら知られぬ今、世界は分かたれず、常に一つの世界線を共有するが故に、この誓約は役に立たない。

 だから“灰”は、小人の狂王と呼ばれた不死は誓約(それ)を歪めた。古い約定を暗い業によって汚染し、己の都合の良い誓約に改変したのである。

 即ちそれは、誓約を課した者の世界への()()()()。『火の時代』の特定の地域で誓約霊として召喚される【森の狩猟者】【ファランの番人】【神喰らいの守り手】、特異点における一部地域で灰霊を召喚する【鐘守】【ネズミの王】と同じように、汚染した【青教】を相手に強制契約させ、殺し尽くすまで何度でも強制侵入を繰り返す【狂王の烙印】に変えてしまったのだ。

 古い話だ。それを忘れ去っている“灰”は、残された暗い業をベルへの献身とした。ベルの世界に強制侵入するのではなく、白霊として()()()()させる誓約。世界が分かたれずとも、ソウルのみを我が身とする霊体は、あらゆる時代、あらゆる場所を超越する。その不変の“ソウルの業”を以て、ベル・クラネルの助けとしたのである。

 その結実が、ベル達の瞳に映る光景――燐光の乏しい洞窟にて輝く、半透明の白き霊体。

 場所を超え、そして()()()()()()召喚された、“灰”(アスカ)の姿であった。

 

「ア、アスカ……!?」

 

 突然現れた光り輝く幼女に呆然としていた三人は、ベルが代表して声を上げる。疑問をたっぷりと含んだ少年の声は、しかし古鐘の声が返る事はなかった。

 

「――」

 

 声無き霊体のアスカは、普遍的な動作で【一礼】する。それに困惑するベル達を他所に、アスカの霊体はソウルの光から《地鳴りの岩石槌》を手にする。

 そして前触れ無くゆらりと動き、素早い動作で洞窟を破壊し始めた。

 

『!?』

 

 目を剥くベル達の前で中層を構成する灰色の岩石は瞬く間に形を変える。天井が崩れ、壁面が弾け飛び、地面が罅割れ掘り返された。最後に《地鳴りの岩石槌》の戦技、【地鳴り】が繰り出されると、ベル達がぶつかった行き止まりはちょっとした小部屋程の広さになる。

 それでモンスターの産出しない安全地帯を確保したアスカは《地鳴りの岩石槌》を《呪術の火》と《祭司の聖鈴》に持ち替え、呪術と奇跡を発動する。

 《呪術の火》より燃え上がり、中空へ分かたれたのは【ぬくもりの火】。燃え移らぬやわらかな火は、触れる者の傷を癒やし体力を回復する。

 そして【ぬくもりの火】に並ぶように浮かぶ青い炎は、ヘスティアの奇跡である【分け合う聖火】だ。

 アスカはヘスティアの神話から二つの奇跡を見出していた。片方はベルに継承された【炉の加護】。そしてもう片方がアスカの使用した【分け合う聖火】。この奇跡は炉の神であるヘスティアの慈愛の表れであり、この火を守り、触れる者に精神力(マインド)を分け与える。

 破壊した洞窟に浮かび上がる赤と青の火。それは奇妙な光景だが、休憩(レスト)にはもってこいの場だった。

 

『……』

 

 驚きで沈黙を保つベル達の前で、アスカは【休息】を取る。片膝を立てて座る幼女に固まっていたベル達はようやくその意図を察した。

 

「あ、あの、アスカ様……ひょっとして休息(レスト)を取れ、という事でしょうか……?」

 

 恐る恐るリリルカが尋ねるものの、返事はない。無言で座り続けるアスカに顔を引きつらせていたリリルカは、やがて深々と溜息をつき、ベルとヴェルフに向き直った。

 

休息(レスト)を取りましょう」

 

 ボロボロになったバックパックを下ろし、アスカの横で膝を抱えて座るリリルカは言う。

 

「おそらくこれは、アスカ様の言っていた()()です。色々と疑問はありますが、一先ずの安全は確保してくれました。とにかく、今は休みましょう。リリ達にはそれが必要です」

 

 リリルカの言葉に顔を見合わせたベルとヴェルフは、疑問を飲み込んで互いに頷き、休息(レスト)を取る。ベルの手を借りて座るヴェルフに霊体のアスカは『女神の祝福』を投げ、羊皮紙を取り出してリリルカに見せた。

 

「成程……その状態では喋れないんですね。意思疎通は文字でしか出来ないと。とりあえず幾つか聞きたい事がありますので、答えて下さい」

 

 リリルカは羊皮紙を通して質問を始めた。カリカリと羽ペンの滑る音が流れる傍ら、『女神の祝福』を飲んだヴェルフは潰れた左足が一瞬で再生した感覚に驚愕する。

 

「すげえ……なんだこの回復薬(ポーション)は? 万能薬(エリクサー)だってこうすんなりと治らねえぞ……」

「確か、『女神の祝福』って名前だったと思う。生きてさえいれば致命傷でも即座に完治できるって、リリとアスカが話してた」

「んな規格外の代物なのか!? やべえな、いくらかかんだ……手持ちじゃとても返せねえぞ」

「アスカはたぶん気にしないと思うよ? それにそういうのは、皆で生きて帰ってからじゃないかな」

「……だな。まずは生き残る事が最優先か」

 

 軽口を叩き合い、どうにか笑い合う。

 異常事態(イレギュラー)に巻き込まれてから、いや中層に降りてから初めての休息(レスト)に、張り詰めていた糸が緩んでいくのを二人は感じた。緩ませ過ぎるのも良くないが、少なくとも余裕が出来た。

 

「大体分かりました。ベル様、ヴェルフ様、アスカ様の説明と現状の確認をします」

 

 アスカとの情報交換を終えたリリルカが話し始める。

 まずアスカの白く輝く姿だが、霊体と呼ばれる状態らしい。それは肉体からソウルを解き放ち、()()()()()()召喚主の元へ顕現する“ソウルの業”の一種だそうだ。

 だからアスカの本体はここにはいないし、18階層に留まったままだという。声を出せないのも霊体の都合であり、意思疎通は文字か【ジェスチャー】でしか出来ないらしい。

 正直霊体だの世界を超えるだのリリルカにはさっぱりだったが、深く考えるのは心情的にも状況的にも止めるべきだと提唱した。残った装備を確認した自分達のやるべき事は、生きて地上に帰る事だと。

 大刀を失ったヴェルフはアスカから《処刑人の大剣》を貸し出され、リリルカは《魂業小箱(ソウル・ヴェソル)》に収納していた各種回復薬(ポーション)を皆に配る。二属性回復薬(デュアル・ポーション)の一件で仲良くなったナァーザと共同開発した、『干からびた根』と各種素材を調合した『持続回復薬(リジェネ・ポーション)』も飲ませておく。

 味は良くないが持続的に傷を癒やし体力を回復する画期的な回復薬(ポーション)だ。リリルカの自信作であるそれを飲んで、ベル達の準備は整った。

 

 目指すはアスカの居る18階層。地図(マップ)位置の分からない現状で正規ルートを探すより、『縦穴』を降りてアスカと合流する方が安全だとリリルカは提案し、ベルは決断した。

 それからは戦闘を避けての強行軍である。『強臭薬(モルブル)』を使用した戦闘回避、『強臭薬(モルブル)』の範囲外から攻撃しようとするモンスターはアスカが弓で撃滅する。

 アスカを先頭にヴェルフ、ベル、リリルカの順で進む一行には余力があった。休息(レスト)中にアスカの使用した【ぬくもりの火】と【分け合う聖火】によって体力と精神力(マインド)は回復している。気力もリリルカのおかげでそれなりに手持ちの道具(アイテム)がある事、霊体とはいえアスカがいる事で大分持ち直した。

 途中『強臭薬(モルブル)』が切れるなどしたが、順当に17階層まで進行した彼らは――何故か階層最奥の大部屋前に立ち込めていた霧を潜り――ついに『嘆きの大壁』まで到着する。

 静か過ぎる階層に嫌な予感を覚え、足早に18階層まで駆け抜けようとしたその時。

 二週間の次産間隔(インターバル)を超えて階層主――『ゴライアス』が出現した。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

「『ゴライアス』!? そんな!?」

「マジかよ、ふざけろっ!?」

「くっ……!?」

 

 咄嗟に《英雄願望(スキル)》を発動しそうになったベルだが、一歩前に立ち、18階層に続く回廊を【指差す】アスカの霊体に気付く。白く輝く霊体の家族は、輪郭ばかりが浮かぶ顔を背中越しに見せ、ソウルの光から半ばより折れた大剣を取り出した。

 

「アスカ……」

『――』

「――分かった。みんな、走って!」

 

 言葉は無くとも、その意志をベルは受け取った。今度は、家族(アスカ)から逃げるんじゃない。心から信頼して、背中を任せる。折れた大剣を構え、黒い刀身に嵐を纏わせるアスカの霊体を背に、ベル達は駆け出した。

 断続的に響く破壊音に押されながら、彼らは回廊に飛び込む。転がるように洞窟を駆け下りながら18階層に辿り着く。

 そこでベルは、共にいた筈の家族と再会し。

 『ゴライアス』を半殺しにし、十分に時間を稼いだと判断した霊体は、【一礼】をして元の世界に帰還したのだった。

 

 

 

 

 つまりは、霊体に関連した“ソウルの業”の応用だ。

 霊体は世界を超え、()()()()()()()()()()()()()()()()()。それは時間の超越と同義であり、傍目からはたった一秒佇んでいるのみの幼女だとしても、その実は一日がかりの協力と遜色ない。

 同一の世界線であっても、いやだからこそ、その応用は容易になる。誓約者の万が一に反応する【狂王の烙印】を(よすが)に、白霊の強制召喚による時間を超えた協力、救出を可能とする。

 それがアスカの、“灰”の仕掛けた『保険』であり、ベート・ローガの借りを返す事に同意した思惑の正体だった。

 

「――済まない、“灰”」

 

 だから。“灰”にとっては、どうでもいいのだ。

 “灰”のために用意された天幕の内。目の前で並んで眠る家族とその専属鍛冶師を前に座る己に頭を下げる、小人族(パルゥム)の勇者の事など、どうでもいい。

 

「謝る必要はない。フィン・ディムナ。私は保険を掛けておいた。その保険は正しく機能した。私の家族が異常事態(イレギュラー)に見舞われてなお、無事に此処へ辿り着いたのは半ば必然であり、貴公に責任はない」

「けれど、僕は君と約束した。全ての責任は僕にある。君のパーティは、本来此処に来る筈じゃなかった。それを僕は償わなくてはいけない」

「その責任がないと、私は言っている。これ以上は堂々巡りだ。貴公が何を言おうと、私は責任を問うつもりはない。

 皆、全てを受け入れている。ベート・ローガの依頼を受けた私も、それを知って中層に進出した私の家族も、全て承知の上で前に踏み出した。

 我らの命は、我らの物だ。私達は自らの身勝手な理由で命を懸け、生き残っただけに過ぎない。何も、問うべき責任はない。

 それは、貴公もそうだろう――フィン・ディムナ」

「……」

 

 冒険者として見るならば、“灰”の言葉が正論だった。

 冒険者は皆、己の欲望のために命を懸ける。生の栄誉も死の終焉も、己だけが享受すべきもの。死のうが生きようが、何を得て何を失おうが、誰のせいにも出来ない。

 依頼を受けてパーティを離脱し、そのパーティが全滅したのならば、依頼を受けた者が間抜けなのだ。後から喚いても、憐憫と嘲笑しか浴びせられない。誰もが異口同音にこう言うだろう。『後悔するのなら、最初から依頼など受けなければ良かったのだ』と。

 “灰”の言葉は、それと同じだ。冒険者としては至極正論であり、それはフィンも承知の上である。

 だが。【勇者(ブレイバー)】と謳われるフィン・ディムナにとってはそうはいかない。

 正式でなくとも【ロキ・ファミリア】の依頼によって一つのパーティが危機に陥った。それはどんな事情であれ、野望を持つフィンには好ましくないものだ。

 冒険者ならば受け入れる醜聞であっても、【勇者(ブレイバー)】を讃える民衆が受け入れるとは限らない。フィンの野望――全ての同胞に勇気を示す小人族(パルゥム)の『光』となるならば、僅かな瑕疵も許されない。

 英雄は、完璧な英雄でなくてはならないのだ。人造の英雄を自認するのなら尚更、正道を貫かねばならない。

 どんなに薄汚れ、異端の道を走ろうとも。その名の輝きが潰える事のない英雄に、フィン・ディムナはなれないのだから。

 

「それでも僕は、君に償わなくてはならない」

 

 もう一度、深々とフィンは頭を下げる。【勇者(ブレイバー)】の名に恥じぬように。そしてまた――“灰”との繋がりを断ち切らぬように。

 “灰”の言葉は正論だ。だがそれは、赤の他人の冒険者に向けるのならば、という前提がある。

 【ファミリア】同士の繋がりがある冒険者同士なら、“灰”の言葉通りにはいかないだろう。嗚咽、衝突、後悔、断絶――最悪の場合、抗争にも繋がりかねない事由だ。

 “灰”がそう言わないのは、【ロキ・ファミリア】との繋がりなど()()()()と認識しているからに他ならない。所詮は個人的な繋がり、いつ切れても問題のない薄い(えにし)だと。

 団長としても、個人としても、それは受け入れられない。“灰”の持つ『火の時代』の技術・知識、“灰”個人の力、どちらも手放し難いからだ。

 フィンは頭を下げる。“灰”と対等であるために。少なくとも“灰”から一方的に断ち切れぬような価値がある、それを示さねばならなかった。

 

「……貴公も難儀なものだな」

 

 それを分かって、“灰”は一つ、透明な息をついた。フィンの思惑も分かった上で、それを些事としか捉えない不死は、適当な対応で埋め合わせをする。

 

「では、18階層に滞在する間は貴公らの世話になろう。『ミノタウロス』の一件による貴公への借りもこれで帳消しだ。そして地上へ帰還する折、我らも同行させて貰えるのなら、それ以上望む事はない」

「……分かった。全て受け入れよう」

「ああ、それと私が受けた依頼の方だが、少しばかり延長させてくれ。

 私の家族が目覚めるまでは、ここで介添えしていたい」

「当然だね。皆にはそう伝えておくよ」

 

 眠るベル達を看護する“灰”にもう一度頭を下げて、フィンは天幕を後にした。暫くアスカが無言で介抱を続けていると、誰かが天幕に入る気配がする。

 

「ああ、貴公か。アイズ」

「アスカ……私も、看病していい?」

「構わんよ。人手があるのは有り難い」

 

 おずおずと尋ねるアイズにアスカは場所を空ける。幼女の隣にちょこんと座るアイズは、少年の白髪を時折撫でつつ懸命に看護するのだった。

 

 

 

 

「さて、それでは反省会を始めましょうか」

 

 にっこりと良い笑顔を浮かべるリリルカは、しかし誰も逆らえない圧を発していた。仁王立ちする小人族(パルゥム)の少女の前で、ベル、ヴェルフ、アスカの三名は正座である。

 目覚めたベルがアイズと共にフィンに報告をしに行き、戻ってきた所で意識を取り戻したヴェルフとリリルカは、お互いの健闘を称えつつ反省会に突入した。無論、中層進出寸前でパーティを離脱したアスカもだ。

 

「アスカ様? いくら保険を掛けていたとはいえ、未経験の階層を前にパーティを離れるなんてありえないですよね? おかげでリリ達は危うく死にかけるところでした。アスカ様さえ居てくれればあんな危機には陥らなかったんですよ?」

「そのようだな。次からは、急な依頼は引き受けないようにしよう」

「……言葉にした以上、それは真実なのでしょうが、少しは反省する姿勢を見せて下さい……」

 

 がっくりと項垂れるリリルカにアスカは澄ました顔だった。無感動を貫く幼女をリリルカは恨めしげな目で見るが、気を取り直してベルとヴェルフに向き合う。

 

「次は全体の反省ですが、アスカ様が離脱した時点で中層進出を取り止めるべきでした。後衛の薄いリリ達のパーティは一度崩れたら立て直しが厳しいです。万が一の対処をアスカ様に頼っていた以上、保険があったとしても後日改めて挑戦するべきでした」

「うん……調子に乗ってたって言うか、勢い任せで行動しちゃった気がする。反省しないとね……」

「だな。ダンジョンを甘く見てた。『怪物進呈(パス・パレード)』を受けたとはいえ、そんなもん言い訳にもならねえ。次に中層に入る時は、もっと準備しねえとな……」

「……」

 

 正座を解いて頭を掻くヴェルフの横で、アスカは冷徹に眼を細める。それは誰にも気付かれない、不死の暗い判断が表出していた。

 

「リリも《魂業小箱(スキル)》をもっと活用しなければいけません。指輪もそうですし、例えばヴェルフ様にエンチャントできるアイテムを使っていただくとか……アスカ様? どうかしましたか?」

「いや……何でもない」

 

 眼を閉じるアスカの様子に首を傾げるリリルカだったが、すぐに反省会に戻る。

 冒険者ならば、経験を糧にする。死にかけた経験を無駄にしないためにも、三人は真剣に反省と対策を立てていった。

 

 やがて『夜』が訪れる頃、反省会を終えた一行は【ロキ・ファミリア】の夜宴に参加させて貰った。

 “灰”からの物資提供があったため、遠征直後とはいえ食糧は潤沢だ。共に戦った戦友への労いを込めて調理係が張り切って作った食事はとても美味しかった。

 フィンの仕切り直しでベルへ突き刺さっていた殺意(てきい)も鳴りを潜めている。治療を施してくれた“灰”への恩義とその依頼がベル達が18階層まで降りてきた原因の一つとあって、【ロキ・ファミリア】の団員達は――主にアイズやヒリュテ姉妹に構われているベルに向けられた――己の嫉妬を恥じた。

 賑やかな食中を過ごし、宴もたけなわになった頃、聞き覚えのある女神の悲鳴が“灰”の耳朶を揺らす。駆け出したベル、リリルカ、ヴェルフを追ってみれば、そこには“灰”の主神であるヘスティアと護衛と思しき冒険者、そしてもう一柱の男神がいた。

 

「あっはははははっ!? 死ぬかと思ったー!」

 

 汗だくの表情で笑みを貼り付ける男神に、“灰”は眼を細める。旅装束、橙黄(とうこう)色の髪、弓なりの瞳。聞き覚えのある姿をした男神だ。

 ヘルメスと名乗ったその男神は、ベルと好意的な会話を交わした後、今気付いたというように“灰”に目をやり、距離を詰める。

 

「やあやあ、随分と熱心に俺を見てくれるね。もしかして惚れちゃったかい? いやー、こんな可愛い子ちゃんに一目惚れさせるなんて俺も罪深いなー!」

 

 軽口を叩いて半眼の幼女に顔を寄せるヘルメスは、人の良い笑みを形作ってそっと囁く。

 

「――こうして会うのは初めてかな? “灰”ちゃん。お互い、話には聞き及んでいるだろう? 俺達は()()使()()()()()()()()()()、と勝手に思っているんだけど、どうだい?」

「それは貴公の、態度次第だ」

「ははは! 手厳しいね! まあ、悪いようにはしないさ。それだけは信じてくれ」

「……」

 

 弓なりの目を細めるヘルメスを“灰”は無言で睨み返す。数秒続いた対峙は、アスフィの挟んだ小言によって終わった。去り際に目礼するアスフィに少しばかり頷いて、“灰”は同じ【ファミリア】であろう三人の冒険者を瞳に映す。

 ベル達を前に顔を強張らせる少女二人と、矢面に立とうとする大男一人。『怪物進呈(パス・パレード)』を行った冒険者達の風貌と合致する三人を、“灰”は一人、離れた場所からずっと見ていた。

 

 

 

 

「――申し訳ありませんでした」

「あの、その、本当に……ごめん、なさい……」

 

 ヤマト・(ミコト)と名乗った人間(ヒューマン)の女性が土下座し、ヒタチ・千草(チグサ)が深々と頭を下げる。

 それでもリリルカとヴェルフの険は崩れなかった。カシマ・桜花(オウカ)が一歩進み出て、「今でもあの指示が間違っていたとは思っていない」と宣言する。一触即発の空気が流れる中、ベルは忙しなく視線を行き来させているが、今回ばかりは“灰”も構う事はない。

 ただじっと、【タケミカヅチ・ファミリア】の三人を見つめる。無感動に輝く暗い瞳には、如何なる意志も見出だせなかった。

 そこへやってきたヘルメスは、早々と場を手打ちにした。鮮やかな手並みに感心するベルに笑いかけて、ヘルメスは“灰”に声をかける。

 

「そういう訳だけど、君は何か言いたい事はあるかい」

「私から言うべき事は何もない」

「そうかい」

 

 帽子のつばを掴んで下げるヘルメスは、それ以上の追求をしなかった。ある意味では“灰”を最もよく知る男神は、その言葉の意味を知りながらも。

 

「それじゃあ、今後の予定について話し合おう!」

 

 何事もなかったかのように空気を払拭するヘルメスにつられて、場の空気も弛緩する。しかし今後の予定を話し合う側で、“灰”の視線が動く事はなかった。

 

 

 

 

 18階層の『夜』も更け、『深夜』に差し掛かろうという頃。

 生まれより伸びる灰髪を風に任せる“灰”は、深い夜の闇に沈んだ『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』を一望出来る切り立った崖の上に佇んでいた。

 理由は明快だ。眠りを必要としない“灰”は、集中力(フォーカス)が回復するまでの暇な時間はずっと看病に勤しんでいた。

 『朝』も『夜』も関係なく、それが依頼だからと付きっ切りで劇毒に倒れた【ロキ・ファミリア】の世話をする。それを見兼ねた治療士(ヒーラー)の面々が「ゆっくり休んで下さい」と“灰”を送り出したのだ。

 やる事がなくなった幼女は、ふと思いついた事を実行に移していた。成功する確率はほぼ零だが、賭けに勝てば大いにベルの役に立つ。下から見ればよく目立つ場所で“灰”が佇んでいると――ふと背後で、狼の銀靴が跫音(きょうおん)を上げた。

 

「――よお、“灰”野郎」

「ああ、貴公か。ベート・ローガ」

 

 灰毛を逆立て、剣呑な空気を発する狼人(ウェアウルフ)、ベートは端的に告げる。

 

「俺と戦え」

「断る」

「――らァッ!」

 

 “灰”の返事を待つまでもなく、ベートは不死に飛びかかった。唸りを上げて襲いかかる《フロスヴィルト》は、しかし最小限の動きで避ける“灰”の真横の空を切る。

 空振った勢いを踏み殺してベートは両脚で連撃を叩き込む。だが“灰”にとってそれはとうに『経験』済みだ。足捌きと体幹の傾きのみで回避する“灰”に、ベートは歯を軋らせる。

 

「クソがッ! なんで戦わねえっ!?」

「面倒だからだ」

「あァッ!?」

 

 擦り鳴らされる声にベートの怒りが噴出するも、脚撃は“灰”の髪を揺らすに留まる。このままでは埒が明かないと考えたのか、距離を取ったベートは魔剣を引き抜こうとした。

 その寸前に、“灰”はベートへ物を投げた。敵意のない、ただ弧を描いて飛んでくる投擲物。それを片手で掴んだベートは、小さな樽の感触と鼻孔を突く芳醇な香りに顔を顰める。

 

「なんだこりゃ、酒か?」

「ああ、酒だ」

「……どういうつもりだ、“灰”野郎」

「どうもこうもない。無意味に暴れるくらいなら、酒に付き合え。それだけの事だ」

「……」

 

 無言で睨みつけるベートに、“灰”は『ジークの樽酒』を取り出して言葉を続ける。

 

「私はただの酒では酔わない。神の酒であろうと、私を酔わせる事は出来ない。この樽酒を除いてな」

「だったら何だってんだ」

「酒に酔えば、気も変わる。強く酔っ払えば、貴公との()()も一興と受け入れるやもしれん。

 このままではどの道、私は貴公と戦うつもりはない。そして避け続けるのも面倒だ。だから僅かでも可能性のある道を指し示した。

 受けるかどうかは、貴公次第だ」

「……」

 

 崖近くに座り、蓋を剥がして樽酒を傾ける“灰”に、暫し無言だったベートは蓋を叩き割って樽酒を呷る。途端、咽る狼人(ウェアウルフ)。不死とて酒を楽しむためにカタリナの騎士が苦心して作り上げた酒は、只人の口には合わない。

 ともすれば酒()()()のような味わいに咳き込んだベートは、だが淡々と樽酒を傾ける“灰”を睨んで一気に飲み干した。酒臭い呼気を存分に吐き出して、狼人(ウェアウルフ)の男は“灰”の横に座る。

 

「もっと寄越せ。これくらいじゃあ全然酔いやしねー」

「そうか」

 

 “灰”は追加の樽酒を渡し、ベートは勢い良く消費していく。静かに、そのやり取りだけが続いた。

 

「……なあ、“灰”野郎。なんでてめーは戦わねえ」

 

 やがて、ベートは口を開いた。酒の香りが乗った言葉は、しかしはっきりと“灰”に届く。

 

「言っただろう。面倒だからだ」

「その面倒ってのが、理解できねえ。手前(てめぇ)は、(つえ)えだろうが。何故その強さを誇らねえ」

「誇れるような力など、私は持たないというのもあるが……そうさな。言ってしまえば、私は強さなどに興味はないんだ」

「あァ?」

 

 酒を呷りつつも琥珀色の視線を剥がさないベートに、“灰”は、数えるのも億劫な程の戦いを乗り越えた不死は語る。

 

「私にとって、戦いとは通過点だ。何を置いても果たしたい目的が在り、その道に立ち塞がる邪魔な敵を排除する手段でしかない。

 強さも、力も、ただの手段だ。そして何者よりも弱い、卑小な私は、強さという最も単純な手段を選べなかった」

「……」

「私には弱さしかない。だから弱いなりの手段を探した。絡め手、禁じ手、未知数の手段。百戦錬磨の英雄を相手に、ただの一撃で喉元を食い破るような弱者の『必殺』。

 卑小で、何も持たないのならば、ありったけの手段を得て叩きつけるしかない。私にとって戦いとは、相手が死ぬまで()()()()を敢行する事に他ならない」

「……だから、戦わねえって言うのか」

「そうだ。元より、そんなものは戦いとすら呼べない。私がやっているのは、ただの作業。命すら懸けぬ、不死の白痴なる盲信だ。

 だから私は戦わない。殺せもしない相手に掻き集めた手段を開示するのは、()()()()()()。貴公は強い、その貴公を殺さず倒すのに、私はどれ程の手段を支払わねばならないか。

 考えるだけで、面倒になる」

「……ハッ! くだらねえ」

 

 黙って聞いていたベートは、樽酒を一気飲みして肺に溜まった空気を吐き出した。カハァ、と熱の篭もった息が“灰”に向かって吐き出される。

 

「今日は随分とよォ、舌が回るじゃねえか。いつもだったら虫けらに説法なんざゴメンだって目ぇしてるくせによォー」

「酒が入ってるんだ、口も滑るさ。それは貴公も、同じだろう?」

「一緒にするんじゃねえよ、“灰”野郎ォ。俺はてめーみてえな腑抜けじゃねえ、虚仮にされたままで我慢できるかっての」

 

 地面に並べられた樽酒を叩き割っては呷るベートは普段の暴言(くせ)に拍車が掛かる。

 ベートは兎野郎を貶した。果敢にも歯向かった小人族(パルゥム)の少女を鼻で笑った。口先だけが一丁前の鍛冶師の無様を嘲笑った。

 ベートは“灰”のパーティが18階層に到る経緯を聞いている。その発端である事を自覚してなお、罵倒を止める事はなかった。

 ……それに“灰”が反応する事も、またなかったのであるが。

 

「――チッ」

 

 いくら暴言をぶつけても暖簾に腕押しの“灰”にベートは苛々しながら酒を呷る。鼻孔を突き抜けていく酒()()()の芳醇な香り。それすらも苛立たしく思うベートは、ふと酒香に交じる兎の匂いを捉えた。

 

「――おい! 覗き見してんじゃねえぞ! 用があるなら出てきやがれ!」

 

 吠えるベートの視線の先で茂みが動き、ガサガサと音を立てて人影が現れる。まだ包帯をつけたままの少年、ベル・クラネルだ。

 

「あの、ベートさん……その……」

「なんだァ? 言いたい事があるならはっきりしやがれウスノロ。それともビビッて声も出ないってかァ?」

「っ……」

 

 いくら暴言を吐いても堪えない“灰”に苛立ちを募らせていたベートは殺気すら混じった罵倒をぶつける。それに一瞬怯むベルは、しかし頭を振って深々と腰を折った。

 

「……すみませんでした。ベートさんに自分の弱さを分からせて貰ったのに、何も出来なくて」

「……あァ?」

「アスカがいなきゃ、僕達は中層で野垂れ死んてたかもしれません。僕が一番しっかりしなきゃいけなかったのに、結局はアスカに頼りっきりで……悔しいです。あんなにベートさんに()()()()()()()()()()、僕は……」

「…………ハッ」

 

 その時、ベートの目から一切の色が消えた。樽酒の一つを掴み、ふらりと立ち上がる狼人(ウェアウルフ)は――それをベルの頭に投げ、叩きつける。

 

「!?」

「おい、()()野郎。何を言い出すかと思えば、そんなくだらねえ事を言いにここに来たのか。

 ふざけんじゃねえ。誰がてめーみてえな雑魚なんざ構うかっての。その腐れた頭で何を考えたか知らねえが、てめーの言葉は糞みてえなもんだ」

 

 眇められた琥珀色の視線がベルに突き刺さる。ぶわっと汗を吹き出す少年は何も言えないし動けない。

 

「分かるか? 踏み躙る価値もねえって言ってんだよ。励まされただのありがとうだの、フザケた事ばかり言いやがって、イカレてるんじゃねえか、あァ?

 てめーが取るに足らねえ雑魚だって分かってんならケツまくって消えやがれ。巣穴に引っ込んで一生震えてろ」

「……」

「――チッ」

 

 俯くベルに舌打ちして、ベートはズカズカと立ち去る。そしてベルとすれ違う瞬間、呟いた。

 

「てめーみてえな雑魚にかまけるなんざ、“灰”野郎も見る目がねえ。所詮は“灰”――ただの(ゴミ)野郎か」

「――!」

「……あァ?」

 

 その時、ベートの歩みが止まる。狼人(ウェアウルフ)が視線を下げれば、そこには己の腕を掴む『兎野郎』の姿があった。

 

「取り消して、ください……!」

「……何だと?」

「僕の事はいい、いくら言われても事実だから……でもアスカは違う! 取り消してください!!」

「――――ハッ!」

 

 瞬間、ベートは獰猛な凶笑を刻んだ。無造作に腕を振り、ベルを体ごと地面に叩きつける。

 

「がっ!?」

「おい兎野郎、手前(てめぇ)、俺に喧嘩売ってんのか? そんな様でよー、恥ずかしくねえのか!? オラ、立てよ! かかってきやがれ! それとも今更ビビッたかァ!?」

「っ……うわあああああああああっ!」

 

 立ち上がったベルが殴り掛かる。それを躱してベートはがら空きの胴を蹴り上げた。空中へ浮き上がり、地面を転がる少年。腹を押さえて悶えるベルの頭をベートは踏みつける。

 

「こんなもんかよ!? 大した事ァねーな!? もう終わりか兎野郎!?」

「……まだ、だ……!」

 

 頭を踏みつける脚から逃れて、ベルは立ち上がる。普段であればか弱い兎にも見える少年は、しかしそれを微塵も感じさせない戦士の様相だった。

 それにベートは、口角を吊り上げる。凶笑を刻む【凶狼(ヴァナルガンド)】に、少年は果敢に立ち向かう。

 一方的な戦いだった。いや、戦いと呼べるものですらなかった。無傷のベートに、ボロボロのベル。少年の渾身は狼人(ウェアウルフ)にとって避ける必要すらなく、されど容赦などしないベートは最低限の加減のみでベルを痛めつけた。

 少年はやがて、立ち上がれない程に傷つき、倒れる。しかしその目から闘志が消える事はなく、深紅(ルベライト)の瞳には暗い(リング)が浮かび上がっていた。

 再び立つベルに、ベートは犬歯を剥き出しにして嗤った。そうだ、傷つかなければ強くなどなれない。吠え返せないのなら、戦場(ここ)に立つ資格なんてない――そう言わんばかりの狼人(ウェアウルフ)が、本気の蹴りを少年に見舞う。

 仮借なき一撃だった。Lv.(レベル)2ならば辛うじて反応できただけでも称賛に値するだろう。だがベルは、反応ではなく()()してみせた。

 到底受け切れない蹴りを受け、受け流せない勢いを反撃に転化する。空中へ搗ち上げられた兎は縦軸に回転し、踵落としを敢行した。

 

「――ぁあああああっ!」

「ハッ!」

 

 見え透いた攻撃をベートは鼻で笑う。だがその笑みは心底から湧き出していると分かる程に凄絶だった。受けなどしない、至極簡単に避けた狼は、空中で停滞する兎を更に蹴り飛ばす。

 地面を跳ね、土を削りながら転がるベル。明らかに骨のいくつかが折れているだろうに、なおも少年は立ち上がろうとした。

 それにベートが、トドメを刺そうとしたところで――

 

「――そこまでだ」

 

 いつの間にかやって来ていたフィンが、中断を宣言した。

 

「なんだァ、フィン。邪魔立てすんのか?」

「そうだよ、ベート。やり過ぎだ。それ以上は彼の命に関わる」

「ハッ! だから何だってんだ! ソイツはまだやる気だろーが!」

「それでもだ。これ以上は慎んでくれ。喧嘩は君の勝手だけど、【ファミリア】に被害が及ぶなら看過できない」

 

 そう語るフィンの視線は倒れるベルに近寄る“灰”に固定されていた。聖鈴を取り出して治療を行う幼女を瞥見したベートは、口元を歪めて踵を返す。

 

「チッ……興醒めだぜ」

 

 そう言ってベートは去っていった。遠ざかる狼人(ウェアウルフ)の背中を最後まで見たフィンは、謝罪の申し入れをするべく“灰”へ歩を進める。

 しかし耳に入る“灰”とベルの会話に、歩みを止めた。

 

「負けたな、ベル」

「……うん」

「アレが第一級冒険者だ。貴公の目指す目標、英雄の領域に脚を踏み入れた雛。貴公はいずれアレに届き、超えねばならない。

 この敗北を忘れるな。貴公が己を突き通すなら、必ずこれは糧となる」

「うん……!」

 

 涙ぐむ少年に諭すように言って、“灰”は幽かに微笑む。それを眺めていたフィンは「やれやれ」と苦笑して止めていた足を動かした。

 

「それで、何処からが君の策略かな? 謝罪しようと思ったけど、どうやら君は織り込み済みのようだ。ひょっとしてベル・クラネルとベートを戦わせたかったのかい?」

「そうだ。フィン・ディムナ。私はこの場で二人を待っていた。

 ベート・ローガは私が一人になれば戦いを挑むだろう。そしてベルは、私を見つければ様子を見に来るだろう。

 ベート・ローガの酒癖の悪さは知っていた。酒を飲ませればベルを(そし)り、それがベルの逆鱗に触れれば戦いになると考えた。

 所詮は喧嘩だ。だが貴重な第一級冒険者との戦いならば、見逃す手はない。そしてベート・ローガがふっかけてくるのなら、我らに非はない場を実現できる。

 おかげでベルは、足りない『経験』を積む事が出来た。有り難い事だ。存外、あの男は扱いやすい」

「ベートを扱いやすいときたか。全く君は、僕の想像に収まらないよ」

「そうでもなかろう。フィン・ディムナ。貴公は識者だ。よく智慧が働き、それを活用する術を知っている。

 私にとっては、最も面倒な手合いの一つだな」

「そうかい」

 

 片目を瞑って笑うフィンに、“灰”はいつもの無表情を見せる。暫く小人族(パルゥム)の勇者を見ていた“灰”は、疲労で眠ってしまったベルを抱き上げてフィンと共に天幕へ戻った。

 

「はっ!? 団長がどこの馬の骨ともつかない(メス)と逢引してる気がする!」

 

 ……なお、それをアマゾネスの勘で察知したティオネの乱入で一悶着あったのは、完全な余談である。

 

 

 

 

 『翌朝』、『リヴィラの街』へ見学しに行くベルを見送って、“灰”は治療に勤しんでいた。

 集中力(フォーカス)が回復するまでやる事はないのだが、暇なので看護に回っている。治療士(ヒーラー)陣からは働き過ぎなので休んでほしいと言われたが、本当にやる事がなくなるので拒否した。

 そうして治療を続けていた“灰”は、『リヴィラの街』からベル達が戻ってきたと報告を受ける。ついで女性陣で沐浴する話を持ってこられ、これ幸いと治療士(ヒーラー)陣の善意に押し出される形で沐浴する事となった。

 

 白すぎる嫌いのある、だが決して不健康ではない肌に水滴が滑る。

 澄んだ水面に腰の半ばから浸かり、彼方を向いて佇む幼女。均整の取れた細い体と主神(ヘスティア)に似た柔らかな双丘、水面に広がる生まれより伸びる灰髪は神秘的で、いっそのこと女神の如くという言葉が相応しい神聖さがそこにはあった。

 長く繊細な灰色の睫毛が影を落とす銀の半眼が、感嘆の声を上げる女性陣に向けられる。

 

「こうして見ると、アスカ君は本当に綺麗だよねぇ……」

「ううっ……リリの勝てる要素が一つもないです……」

「驚いたわ……普段と全然印象が違うのね、貴方」

「綺麗だよアスカ! すっごーい!」

 

 ヘスティア、リリルカ、ティオネ、ティオナの順で好意的な感想が続く。唯一無言のアイズも他の意見を肯定するようにコクコクと頷いていた。

 下心の一切ない純粋な称賛。それを受けて“灰”は、しかしほんの僅かに顔を顰めてぷいっとそっぽを向いた。

 

「私はこの体が好かんがな。どうにも気に入らない」

「え、そうなのかい?」

「ああ。進んで着飾ってやろうとは思わない」

「あー、確かにアスカ様はその辺無頓着ですものねー。でも、普段着の長衣と髪飾りはかなり良い物ですよね?」

「そうだな。ただ、手放せないだけだ」

「そういうものですか」

「えー!? こんなに綺麗なのにもったいないよー! 女の子ならちゃんとお洒落しないと駄目だよアスカ!」

「あんた自分でやってからいいなさいよ! 無頓着なのはあんたも一緒でしょうが!」

「うー、それはそうだけどぉー……でもでも、やっぱりもったいないよ! あ、そうだ! 私の服貸してあげるからさ、それ着てみるとかどう!?」

「あんたのじゃあ胸が小さ過ぎるでしょ」

「そそそ、そんなことないもんっ!?」

「……賑やかな事だ」

 

 言い争うアマゾネスの姉妹に辟易したのか、“灰”は人気のない場所へ移動する。しかし何かに気付いたのか、途中で立ち止まって上を見上げた。

 ガサガサと木の上を何かが移動する音。それを“灰”が感知していると――少年の叫び声と共に何かが泉に落下する。

 それは“灰”の、アスカの家族であるベル・クラネルであった。

 

「げほっ、ごほっ、ごふっ!?」

 

 ごほごほと咽るベルは水面の上で四つん這いになる。そこへやってきたのはアマゾネスの姉妹。種族の(さが)故か羞恥心というものがない二人は瑞々しい肉体を隠しもしないでベルに話しかけている。

 ベルはそこから逃げようとして別の女性の裸体が目に入り、また逃げようとして今度はヘスティアとリリルカの方へ行く。右往左往する少年にアスカは溜息をつき、するりと動いてベルの手を掴んだ。

 

「いぃっ!? ア、アスカ!?」

「全く貴公は……いつまで経っても子供だな。そんなに水浴びをしたかったのか?」

「ちっ、(ちが)ッ!? って、ちょっ、アスカぁっ!?」

 

 そのままベルを引き寄せた幼女は――あろう事か少年の服に手を伸ばし、慣れた手つきで脱がし始めた。

 

「全く、水浴びをしたいならまず服を脱げと、何度も言い聞かせて来ただろう」

「そうじゃないから!? 水浴びしに来たわけじゃないから!? やめてアスカ!? やめっ、下、下はーっ!?」

 

 少年の必死の抵抗も虚しく衣服が次々とはだけていく。ついにベルトに手を掛けたところで、固まっていたヘスティアとリリルカがハッと目を覚ました。

 

「な、なななななな、何をやってるんだアスカくーん!?」

「それ以上は駄目です!? ベル様の色々な尊厳がなくなってしまいますーっ!?」

 

 二人はアスカを羽交い締めにして引き剥がす。その隙に服を着直しながらベルは逃げるが、その先にはアイズが居て――絶叫した少年は「ご――ごめんなさぁあああああああああいっ!?」と謝罪しながら最高速度で逃げ出した。

 その後、残されたアスカがヘスティアとリリルカの二人がかりで説教を受けたのは言うまでもない。

 

 

 

 

「くっくっ……! そうかい、神ヘルメスに唆されたとはいえ、ベル・クラネルもやるものだ」

「笑い事ではないぞ、フィン」

 

 “灰”から事の顛末を聞き終えたフィンは噛み殺すように笑った。それを憮然とした表情のリヴェリアが窘める。

 現在は『夜』、ベルの覗きの一件について“灰”から改めて説明と謝意を述べられたフィンは、こほんと咳払いをして表情を整える。

 

「主犯は神ヘルメスだ。(ベル・クラネル)も深く反省しているようだし、厳重注意に留めておくよ。それよりも、僕としては君の行動に驚きかな。まさか覗きではなく水浴びをしに来たと思うなんてね」

「その覗きというのもよく分からん。清流に訪れて飲水や沐浴以外に目的があるのか?」

「それは流石に僕の口から説明するのは(はばか)られるかな」

 

 苦笑するフィンに溜息をついて、リヴェリアが話を引き継ぐ。

 

「……神ヘルメスに曰く、男の浪漫だそうだが……私にも理解できん。というよりそもそも、裸体を見られて恥ずかしくないのか?」

「裸体を見られる羞恥など、今更感じる事もない」

「ああ、お前はそう言っていたな。しかし、他の者がそうであるとは限らん。次からは気をつけてくれ」

「分かった」

 

 本当に分かっているのか不透明な頷きを“灰”は返す。それに処置なしと首を振って、リヴェリアは天幕の入り口に向かった。

 

「では、フィン。私は体を清めに行ってくる。後は頼んだぞ」

「ああ、任せてくれ」

「なんだ、リヴェリア。貴公、沐浴に行くのか?」

「ああ。こんな時間でなければ、団員のエルフ達に気付かれてしまうからな」

 

 王族(ハイエルフ)としての扱いを嫌うリヴェリアは、人目を忍んで一人森の泉を目指すつもりでいた。日中に行こうものなら他のエルフが放っておかないからだ。

 それを聞いた“灰”は「ふむ」と顎を指にのせて、ややあって呟く。

 

「であれば、私も同行しよう」

「何?」

 

 思いもよらぬ提案にリヴェリアが目を(しばたた)かせる。疑問を抱く翡翠色の瞳に答えるように、“灰”はソウルを収束させ、小さな手に杖を顕現させた。

 

 

 

 

「リヴェリア様はおられたか!?」

「いえ、こちらにはお姿がどこにも……!」

「くっ、お一人で一体どちらへ……皆の者、探せ! リヴェリア様に万一の事があってはならない!」

 

 慌しく動き回るエルフ達を眼下に、“灰”は悠々と崖の上を歩く。その背後には“灰”と同じく半ば透明化しているリヴェリアの姿があった。

 

「成程な……魔術であれば、第二級冒険者の目すら欺けるか。いや、この場合はお前の隠密術が優れていると言うべきか」

「ここは森だ。隠れる場所も悟られぬ経路もいくらでもある。私の隠密など大したものではない」

「そうか? 少なくとも私では無理だ。魔術を使って隠れていても、見つかってしまいそうだ」

 

 【見えない体】【隠密】を併用するリヴェリアは苦笑する。夜の森をまるで庭先のように歩く“灰”は時に慎重に、時に大胆に動き回りエルフ達の探索を見事に回避していた。リヴェリアをして目を瞠る優れた隠密術である。

 こうして二人は無事に森の泉に辿り着く事が出来た。しかしこのままでは見つかるのも時間の問題だろう。だから“灰”は周囲に霧を展開し、世界との断絶を図る。

 

「これは?」

「霧だ。私が張った。これがある限りは、たとえ見つかっても騒がしくならない」

「ほう、何とも興味を唆られるな。だが、魔術ではないのだろう?」

「ああ。だからこれ以上は貴公に教えない」

「そうだろうと思った。我が師は魔術以外の道を指し示してはくれないからな」

「それが貴公との契約だろう、リヴェリア」

「ふふ、そうだな、アスカ」

 

 思わず笑声を零すリヴェリアは「さて」と呟いて脱衣に取り掛かる。王族(ハイエルフ)の王衣を戦闘に耐えうる装備に仕立て上げた《妖精王の聖衣》を脱ぎ、翡翠色の長髪を束ねる髪留めを取り払えば、神々すら嫉妬する一糸纏わぬ美貌のハイエルフがそこには立っていた。

 ついでに“灰”も衣服をソウルに還元し、何も隠さぬ裸身となる。

 

「お前も入るのか?」

「ああ。魔術の扱い方を教授したのはついでだ。どちらかと言えば共に沐浴するという目的が強い」

「意外だな。お前にそのような考えがあるとは思わなかったが」

「これも魔術に関する一つだ。その前に、リヴェリア。私は貴公をここまでつれて来るのに少しばかり苦労した。弟子のために骨を折った師を労ってくれてもいいんじゃないか?」

 

 先に泉に浸かる“灰”は水面に広がる髪をリヴェリアに向けた。パチパチと目を瞬かせるハイエルフは、堪え切れないという風に清笑して、気取った仕草で一礼する。

 

「承ろう、我が師よ」

 

 リヴェリアは灰髪の一房を手に取り、ゆっくりと梳かす。手のかかる(アイズ)のおかげで手慣れたリヴェリアは、薄く微笑みながら灰髪の手入れに専念した。

 されるがままの“灰”の姿は、妙に様になっている。ひょっとしたら“灰”もかつては王族のような扱いを受けていたかも知れないなと、リヴェリアがあらぬ想像に浸っていると――不意に古鐘の声が擦り鳴らされた。

 

「魔術には、『裸の探求』と呼ばれる思考の(すべ)がある」

 

 突然の言葉に、しかし興味を惹かれたリヴェリアは手を止めて聞き入った。

 

「それはかつて魔術の(もう)なる平野を(ひら)いた不死の魔術師、「ビッグハット」ローガンが最期に見出した探求だ。

 ローガンは魔術の探求者だった。『火の時代』の最高峰、ヴィンハイムの竜の学院の外戚と知られ、また不死となってからは更なる探求のために旅立った。

 棄てられた神の都、アノール・ロンドに辿り着いたローガンは魔術の祖、白竜シースの偉大なる知見に触れた。そしてシースの業、古竜の息すらも我が物とし――ついに狂い果て、『裸の探求』のままに倒れた」

「古竜の息……まさか、それは」

「貴公は見た事があったな。そうだ、私が『深層』で用いた『結晶の秘法』こそ、【白竜の息】。ローガンの到達した魔術の極致とは、結晶の理。ソウルと、あるいは魔術と関わりの深い『結晶の秘法』を、ローガンは『裸の探求』の末に魔術と成したのだ」

「……だから、私にもそれが必要だと?」

 

 神妙に問い掛けるリヴェリアに、“灰”はすぐには答えない。水晶の輝きが形作る偽りの『夜空』を見上げて、手段のために魔術を求めた不死は眼を閉じ――リヴェリアと向き合って、凍てついた太陽のような瞳を発露させた。

 

「リヴェリア。『裸の探求』とは危険な術だ。それは思考の枷を外し、世俗に囚われた精神を解き放つ。常識を知るが故に見えぬ知見、人理という蒙に覆われた世界の真の姿を知るには、啓蒙を得るしかない。

 だがそれは、人を人たらしめる思考の放棄と同じだ。ローガンは『裸の探求』の末、白竜シースの思考と同化し、狂った。神々に類する偉大なる智慧は、それを知る者を容易く壊してしまう」

「……」

「だからこそローガンは、その最期に『裸の探求』という術を遺した。それは(いたずら)に魔術の深奥を求めた老人の狂気ではなく、未来ある魔術師に贈られた祈りなのだ」

「祈り……?」

 

 眉根を寄せるリヴェリアに、“灰”は『裸の探求』を実践して見せる。冷たい銀の瞳がソウルの蒼に輝き、周囲にまるで蛍火のようにソウルの光が浮遊する。

 瞳に宿る、結晶の色。それを通して見る世界は、人の常とは比べものにならぬほど未知なる智慧に溢れている。手を伸ばせば触れられるくらいに――脚を踏み出せば二度と戻れぬと分かるほどに、その探求の世界はリヴェリアにも感じられた。

 

「ローガンは純粋なる魔術師だった。それが人の道を外れると知ってなお、理の誘惑に抗えなかった。世に神はなく、神秘もなく、真理があり、知だけがそれを明らかにする。異端の魔術師は、最期まで異端の道を歩み去った。

 だが皆がそうではないと、ローガンは知っていた。魔術ばかりが全てではなく、世には異なる道もあるのだと。故にローガンは遺したのだ。まだ見ぬ世界を知らせながらも、踏み出すか否かを後世に委ねる、『裸の探求』をな」

 

 “灰”が瞳を閉じれば、漂うソウルの光は消え、リヴェリアの垣間見た未見の智慧も消え去った。それをひどく名残惜しいと思いながらも、彼女の思考の枷が外れる事はない。

 

「リヴェリア、『裸の探求』を忘れるな。それは貴公が、貴公で在り続けるための術。『結晶の秘法』に触れ、なおも人の道に立とうとするのであれば、貴公はそれを知り、御さねばならない。

 期待しているぞ、我が弟子よ。亡者のようになってくれるな。貴公が言葉も解さぬようになれば、かけた時間が無駄になる」

「……流石にそれは、私も御免被る。ああ、勿論だ、アスカ。私は私のために、『裸の探求』を身に着けてみせよう。それが、お前の望みなんだろう? 我が師よ」

 

 苦笑するように微笑んで、リヴェリアは受けて立つと言わんばかりに胸を張った。都市最強の魔道士にして世界最初の魔術師は、ついに『火の時代』の極点に挑む。

 魔術の最高峰たる、『裸の探求』。咲き誇る(マム)の花のような結晶の夜空の下、現代の魔道士と『火の時代』の不死の交わりは、静かに、だが確かなソウルの輝きを煌めかせて過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分け合う聖火

炉の女神ヘスティアの司る奇跡

聖なる火を熾し、周囲にFPを分け与える

 

炉は家庭の中心であり、また祭事の場である

祀られる火は神性を帯び、絶えるを許されず

故に炉を司るヘスティアの慈愛は

火を守り、触れる者に分け与えられるのだ

 




色々設定説明回。設定こねくり回すのはやはり良い物だ。
次回で5巻分は終わりです。書きたかった事が書ける、楽しみですねえ。

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