ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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ゴールデンウィークが終わったので初投稿です。


原作四巻分
(めし)いた剣に鍛冶師は願う


 ベルが目を覚ましたのは、『ミノタウロス』戦から二日後の事であった。

 肉体の傷は全てアスカが治していたため、バベルの治療室ではなく本拠(ホーム)で眠り続けていたベルは、朧気に意識を取り戻した。

 安堵するヘスティアとリリルカ。二人に囲まれて曖昧に微笑んでいたベルは、突然がばりと体を起こす。

 

「――アスカ!? アスカはどこ!?」

「私はここだ。ベル」

 

 部屋の隅に立っていた灰髪の小人族(パルゥム)。アスカが口元に淡い弧を描きながらトコトコ近づくと、ベルは深紅(ルベライト)の瞳をかっ開いて小さな両肩を掴む。

 

「大丈夫!? 怪我はない!? 生きてる!? 無事!?」

「何だ、心配してくれていたのか? この通り、私は平気だ。私は、死なないからな」

「アスカ……良かったああああ〜〜〜〜っ!! アスカが無事で良かったよおおおお〜〜〜〜っ!!」

 

 幼女の無事を確認したベルは、顔をくしゃくしゃにしてアスカを抱きしめ、おいおいと泣き始めた。突然の事に驚いて平素半眼の瞳を瞠ったアスカは、ややあって眼を閉じ、ひっそりと微笑みながらベルの背中を優しく叩く。

 

「……全く。何時まで経っても子供だな、貴公は。起きて早々泣きはらすとは」

「だって、だってえっ!! アスカが死んじゃったんじゃないかって、もう会えなくなっちゃうんじゃないかって、思ったからあっ!!」

「大丈夫だよ。私はここにいる。貴公の前から、いなくなったりしない」

「うぅ、ううぅ、うわああああああああああああああああんっ!!!」

 

 ベルは泣いた。それはもう、ありったけの涙を流した。事態に置いて行かれたヘスティアとリリルカが、思わず苦笑と、優しい瞳でベルとアスカを眺めるくらいに。

 そうして泣いて、泣いて、泣き止んだベルは、やっとアスカを離した。色々と台無しになった顔を幼女の手で整えられたベルは、飛び出たベッドにまた寝かされる。

 

「さて。気は済んだか、ベル。全く、こんなに泣くのは何時以来だろうな」

「う、うん……アスカ、その……」

「森で迷っていた時か、祖父に恐ろしい話を聞かされた時か……ああ、寝台(ベッド)に粗相をした時もだったかな」

「アスカぁっ!? その話やめようっ!? ねっ、ねっ!?」

「そうだぞ、アスカ君。ベル君にはこれからた〜っぷり説教をしなきゃいけないんだからね。

 ――それはそれとして、その話、後で聞かせてくれないかい?」

「神様ぁっ!?」

「あ、リリも聞きたいです!」

「リリまでぇっ!?」

「――クッ。全く、騒々しいな。貴公らは」

「「「あ――」」」

 

 それはベルも含めて、初めて耳にしたアスカの笑声だったのかも知れない。喉を鳴らした小さな幼女に、三人は一斉に目を向ける。そして誰ともなく顔を見合わせ、笑い出した。

 それをきょとんと見ていたアスカは、小さく首を傾げる。だがそのうち疑問を捨て、やっと目覚めた少年に告げた。

 

「さて、ベル。色々と話はあるが、まずやるべき事があるだろう」

「あ、うん。そうだよね。神様、リリ、アスカ。――ただいま、みんな」

「――おかえりなさい、ベル君」

「おかえりなさいです、ベル様」

「ああ、おかえり。ベル」

 

 見つめ合い、笑い合う四人。この広い下界で出会った、奇跡のような家族の形。

 それをアスカが――“灰”が、暫し眺めていると。キラリと、女神(ヘスティア)の目が光った。

 幼女神はにっこりと、慈愛に満ちた笑顔でベルに尋ねる。

 

「さぁて、ベル君? 君は自分が何をしたのか覚えているかなぁ?」

「え? あの、えっと……そうだ。僕、ミノタウロスと戦って、それで……」

「ベル君は勝った。勝って、そのまま意識を失って、二日も眠り続けていたんだ。それについて、ボクに何か言うことがあるんじゃないかなぁ〜?」

「あっ!? あの、し、心配かけて、ごめんなさいっ!!」

「うんうん、そうだよねぇ。まずは「ごめんなさい」、からだよねぇ。

 それなのにベル君ときたら、起きて早々アスカ君に抱きつくなんて。ボクは悲しいよ、ベル君。君の中でボクという存在はそんなものだったんだね」

「ご――ごめんなさいッ!?」

「いいんだいいんだ、謝らなくても。ボクはちぃっっっとも気にしちゃいないからさ!」

「…………あの、神様?」

「何だい? ベル君」

「その、ひょっとして……怒ったり、してます?」

「――怒ってないように見えるかい?」

 

 にっっっこりと――それはもう慈母のようなキラキラした笑顔でヘスティアはベルを圧迫する。だらだらと汗を流す少年は反射的に逃げようとして、ベッドの上に逃げ場なんかないと悟った。

 それを見越したヘスティアは、ベッドに膝をかける。そして青みがかった瞳を妖しく輝かせ――あろうことかベルの片腕に抱きついた。

 どたぷんっ!! と揺れるヘスティアのヘスティアたる所以(ゆえん)が、むぎゅうっ、とベルの腕に押し付けられ柔らかく変形する。

 

「かっっ、神様っっ!? い、い、一体何をッ!?」

「んー? いやあ、考えたんだけどねぇ、君はアスカ君に抱きついたじゃないか? それは家族としちゃ当然だ。無事を確かめるのは当たり前だからねぇ。

 ――だからボクも、君の無事を確かめるためにこうして抱きついているわけさ!」

「だっっ、だからって、神様はアスカとは違うっていうかっ!?」

「おいおい、差別は良くないぜ? ボクだって君の家族なんだ、これくらいは当然だろ?

 それともなんだい? ボクは抱きついちゃいけないっていうのかい?」

「そうじゃないですけどっ、いやいやそうですけどっ!? いやいやいや、おかしいじゃないですか色々とっ!?」

「何もおかしくなんかないさ。それにベル君、忘れちゃいないだろうね?

 ――ボクは君に、たっぷりお説教があるんだ。離スト思ウナヨ」

 

 最後の台詞を大いに強調して、ヘスティアは更にぎゅうっとベルの腕を抱きしめる。暖かく柔らかな感触に赤くなったり青くなったりする少年は、はっとして栗色の髪の少女に助けを求めた。

 

「リ、リリっ!? 神様を何とかしてっ!?」

「ベル様? リリは悲しいです。ベル様のために一生懸命だったリリの手を振り払って、ベル様は戦いに行ってしまわれました。

 ミノタウロスと戦うベル様を見て、この胸が何度張り裂けそうになったか分かりません。リリはとってもとっても心配したんですよ?

 ――だからベル様には、そりゃもうすんごいお説教が必要ですよね?」

「リ、リリぃっっ!?」

 

 可愛らしい笑顔を貼り付けるリリルカは、ぴょこんとベッドに飛び乗って反対側の腕に抱きつく。幼い少女の、けれど確かにある双丘にベルの意識は破綻寸前まで追い込まれた。

 そして最後の希望――棒立ちでただ見続けるアスカに、ベルは運命を賭ける。

 

「アスカっ、アスカぁっ!? お願い助けて、神様達をどうにかして!? このままじゃ僕、色んな意味でまずい事になると思うっ!?」

「……ふむ。ベル、貴公に謝るべき事がある」

「え!?」

「色々あってな、私はヘスティアに借りが出来た。それを返すまでの間、私は主神命令(オーダー)に逆らえない」

「ふぁっ!?」

「だから、済まないな。貴公の望みは叶えてやりたい所だが――別に、本気で嫌がっている訳でもないだろう?

 ならばここは、ヘスティアの命を優先させて貰おう。それで、ヘスティア。私は何をすればいい?」

「この際だ、君も抱きついちゃえ! アスカ君!」

「その神命、承った」

 

 恭しく一礼して、アスカはベッドに上り、ベルの背後に陣取る。この後どうなるかを想像して、少年は真っ赤になって絶叫した。

 

「ちょっ、待ってっ!? お願いだから待ってアスカ!? これ以上は駄目だからっ、とにかく駄目だからっ!?

 あっ、ちょっ、待っ、あっ、アッ――――――――!?」

 

 爽やかな朝の訪れる廃教会の地下から、壊れた少年の悲鳴が轟いた。

 【ヘスティア・ファミリア】の、日常が戻った時であった。

 

 

 

 

「……」

 

 ソファに寝転がるベルは、ボーッと天井を見上げている。

 目覚めてから半日。天国のような地獄の説教をみっちり叩き込まれたベルは、暫く絞り滓のようになった後、ゆっくりと休息を取っていた。

 取り止めもなく天井を見上げる深紅(ルベライト)の瞳。『冒険』を終えた少年は、何を思っているのだろうか。

 その姿を横目で見ていた幼女は、「アスカ様」と呼ぶリリルカの声に視線を戻す。床の一角に陣取って様々なアイテムを広げる二人の小人族(パルゥム)は、リリルカの試作品を検証していた。

 ヘスティアはベルの看病をしている。何をしてもどこか生返事のベルに苦労しているようだが、楽しそうだ。ちなみにリリルカもやりたがっていたようだが、何かヘスティアとの言い争いに負けていた。

 少女はまだ、自分の心に素直になれない。

 

「ねえ、アスカ」

 

 各々がゆったりとした時間を過ごしていると、ふとベルがアスカに声をかける。むくりと体を起こした少年は、布地を敷いた床に座る幼女と目を合わせる。

 

「アスカの話、聞きたいな」

「私の話か?」

「うん。小さい頃、アスカが話してくれた物語。あの時は怖くて途中で聞くの止めちゃったけど、今度は最後まで聞きたいなって。

 ……駄目、かな? アスカ」

「いや、いいぞ。今の貴公なら、構わない」

 

 耳を折る兎のように遠慮がちなベルに、アスカは是と頷く。途端、嬉しそうな顔をするベルに微笑んで、幼女は立ち上がり、ベルが場所を空けたソファに腰掛けた。

 凍てついた太陽のような銀の瞳。その奥に懐郷を奔らせる幼女に、ヘスティアが問い掛ける。

 

「……いいのかい? アスカ君」

「ああ。今のベルなら、きっと大丈夫だろう。私に影響される事もない筈だ」

「……そうかい」

 

 「ならいいんだ」と慈しむ微笑を浮かべるヘスティア。話の見えないベルは幼女神と幼女を交互に見ながら尋ねる。

 

「えっと……神様? アスカ?」

「済まないな、ベル。貴公の知らぬ間に、私はある約束をしていたんだ。

 私の過去について、ベルには話さぬ事。それを貴公以外と約束し、話しておいた」

「……リリも?」

「はい。申し訳ありません、ベル様。隠し事をするような真似をしてしまい……」

「……ううん、いいよ。それってアスカが、僕に気を使ってくれたからだよね?」

「そうだ。貴公はまだ、怖がっていたからな。話すべきではないと考えていた」

「……そっか」

 

 ベルはソファに深く腰掛ける。虚空を見つめる深紅(ルベライト)の瞳。ややあって、笑顔を形作った少年は、隣に座る幼女の手を握った。

 

「大丈夫だよ、アスカ。僕はもう逃げない。そう決めたから。

 だから話して。あの物語の続きを――アスカの辿った、物語を」

「ああ。ベル」

 

 ベルの手を握り返すアスカは、静かに語り始める。

 アスカという不死の物語。“灰”と呼ばれた狂王の物語。

 遥か遠き時代の旅路。擦り鳴らされる古鐘の声は、朗朗(ろうろう)と地下室に響いていった。

 

 

 

 

 翌日の未明。

 ヘスティアとリリルカがベッドで、ベルがソファで眠る地下室の壁に、アスカは腕を組んでもたれていた。

 思い出すのは昨日の事。アスカは様々な事をベルに話した。

 不死である事。火の時代の事。自らが狂王である事。“灰”にとってベルが何であるか。

 年に一度の旅でオラリオに来ていた事を話した。リリルカとの一連の経緯も話した。【ロキ・ファミリア】に個人的な伝手――リヴェリアへの師事やアイズとの交流、貸し借りがあることも伝えた。

 【ロキ・ファミリア】に関してはヘスティアが良い顔をしなかったが、最終的には折れていた。止めろと言っても、止めるつもりはなかったが。

 話していない事もある。ゼウスの使命、ウラノスの秘事、後ろ暗い殺人。今はまだ、話すべきではない。

 アスカの語りが終わった後、ベルは最初にアスカを抱き締めた。「今まで逃げてごめん」と、謝った。そして叱りつけた。「一人で危ないことをしないで」と怒られた。

 特にリリルカについては、きちんと謝るべきだと言われた。確かに一理あるとアスカが謝り、面食らったリリルカが元々は自分が悪いと謝り、連鎖して謝罪合戦になった。最後には、皆で笑い合った。

 その記憶は、今も“灰”の裡にある。暗き深海の心ではなく、アスカと呼ばれる、ベルの家族として。

 

「ん……」

「ああ。起きたか、ベル」

「おはよう、アスカ……」

 

 ソファで体を起こして寝ぼけ(まなこ)をこするベルに、アスカは微笑む。

 これからも、この導きを見守り続けよう。それが己の定めた、唯一の使命なのだから。

 

 

 

 

 その日の夕方、アスカとリリルカは『豊穣の女主人』を訪れていた。

 早朝からギルドに向かったベルはエイナと相談し、発展アビリティを決めて【ランクアップ】した。その結果現れた《スキル》について一騒動あったが、それは明日の話としよう。

 その後ヘスティアは『神会(デナトゥス)』に向かい、ベルは天井を眺めていた。戦いの余韻、感慨に耽っているのだろう。邪魔をしないよう、二人の小人族(パルゥム)は廃教会を出たのである。

 『豊穣の女主人』に来たのは、ここで【ランクアップ】の祝賀会をするからだ。従業員(ウェイトレス)のリューとシルも加わり、店奥のテーブルを囲む四人は適当に注文をしてベルを待っていた。

 

「へぇー、じゃあリリさんはアスカさんに勧誘される形で【ヘスティア・ファミリア】に改宗(はい)ったんですね」

「ええ、まあ。色々ありましたが、(おおむ)ねそんなところです」

「そうなんですか。ベルさん目当て、ってわけじゃないんですね」

「……どういう意味でしょう?」

「深い意味はないですよー? ただ、ライバルが増えるのって嫌じゃないですか。リリさんはそういう心配しなくて良さそうだなって思っただけです。

 ――それとも、ひょっとして好きなんですか? ベルさんの事」

「!? そ、そそそそんなわけないでしょうっ!?」

「ですよねー。安心しました。リリさんとは仲良くやっていけそうです」

「ぐっ……嫌に引っかかる言い方をしますね……」

 

 横で交わされるやり取りを聞き流して、アスカは黙々と食事を口に運ぶ。洗練された所作、腐っても偉大な神である大神(ゼウス)から教わった作法は確実にアスカの裡に蓄積されていた。

 

「……綺麗に食べますね」

「ん? 何か言ったか、リュー・リオン」

「いえ……とても綺麗な所作だったので、つい。何方(どなた)か、高貴な方から学ばれたのですか?」

「ああ……まあ、そうなるな。昔取った杵柄だろう」

「成程……ちなみに、その方はエルフに関わりが?」

「いや……覚えていない。何故、昔などと私は言ったのだろう。礼儀を覚えたのは、最近の事であるのだが」

「……? そう、ですか」

 

 アスカの引っかかる物言いにリューは首を傾げる。僅かにだが、妙な()()()を感じ取ったエルフの戦士は、入り口に現れたベルに思考を中断した。

 Lv.(レベル)2、上級冒険者となってもそんな様子を欠片も見せないベルが、周囲の密かな会話に狼狽(うろた)えながらテーブルに到着する。

 先に食べ始めていたアスカを窘めつつ、リリルカが音頭を取って宴が始まる。ベルは酒に挑戦し、シルはベルに甲斐甲斐しく世話を焼き、リリルカはニコニコと笑い、リューは静かに食を進める。

 そうしている内に、話はベルの二つ名に移った。

 

「【リトル・ルーキー】? それがベル様の二つ名ですか?」

「うん……どう思う? リリ」

「えーっと、そうですねー……普通?」

「だよねぇ!」

 

 黙々と食べ続けるアスカの対面で「神様は無難で良いって言うんだけどさー」とベルがぼやく。もっと別の二つ名が欲しかったのか、落胆した様子のベルは、深紅(ルベライト)の瞳をアスカに向けた。

 

「アスカはどう思う? 僕の二つ名」

「別に、どうとも思わん。所詮は神の児戯、気に掛ける理由もない」

「そんな事言わずにさー、なにかない? こう、もっと格好いい二つ名とか」

「……貴公がそれを望むなら、私の知る異名()を話してやろう」

 

 鼻を鳴らす幼女は、銀の半眼で遠くを見遣る。そしてどうでも良さそうに、古鐘の声を擦り鳴らした。

 

「――【深淵歩き(アビスウォーカー)】」

「……おお!?」

 

 アスカの一言にピクリとベルが反応する。気にせずアスカは続ける。

 

「【竜狩り(ドラゴンスレイヤー)】【鷹の目(ホークアイ)】【王の刃(ロードブレード)】【処刑者(エクスキューショナー)】」

「おおお!?」

「【混沌の魔女(カオスウィッチ)】【陰の太陽(ダークサン)】【墓王(グレイブロード)】【深淵の主(ファーザー・オブ・ジ・アビス)】【呪縛者(ザ・パースワー)】【虚ろの衛兵(ルイン・センチネル)】【王盾(ザ・ロイヤル・イージス)】【(サー)】【灼けた白王(バーント・アイボリー・キング)】【原罪の探求者(スカラー・オブ・ザ・ファースト・シン)】」

「おおおおおおおおおおおお!?」

「【灰の審判者(ルーデクス)】【深淵の監視者(アビスウォッチャー)】【巨人(ジャイアント)】【無名の王(ネームレスキング)】【闇喰らい(ダークイーター)】【奴隷騎士(スレイブナイト)

 【薪の王(ロードオブシンダー)】――【王たちの化身(ソウルオブシンダー)】」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 思わずベルは立ち上がった。びっくりするシルの横でベルの瞳はそれこそ少年のように輝いている。

 アスカの口にした二つ名は、ベルの幼心をいたく刺激したらしい。

 

「すごい! すごいよアスカ! いいなー、僕もそんな格好いい二つ名欲しかったなー!」

「うーん、確かに格好いいとは思いますが……ベル様にはちょっと厳ついですかね?」

「確かに、クラネルさんの気質には合わないかと」

「【リトル・ルーキー】、私は好きですよ? ベルさん」

「そ、そうですか……」

 

 しかし女性陣の受けはあまりよくなかったようだ。いまいちな反応にベルは面食らい、しおしおと項垂れて椅子に座る。それをシルやリリルカが励ましつつ、宴は進行していった。

 途中、色々あった。アスカが緊急時以外はついてくるだけと聞いたリューが新しい仲間を加えた方が良いと助言したり、それを聞きつけた酔っ払い共が絡んできてリューたち酒場の従業員(ウェイトレス)が撃退したり。その間もアスカは黙々と食事をしていた。

 ――ここは()()だ。『豊穣の女主人』とさる【ファミリア】との繋がりを、アスカはよく知っている。だから下手には動かない。“灰”が動くのは、三度目が起こったその時だけだ。

 

「――おい、あんた」

 

 アスカがそうしていると、不意に。幼女の体に大きな影が降りかかる。口を拭い、顔を上げれば、そこにいたのは体格の良い女ドワーフ。

 『豊穣の女主人』の店主、ミア・グラントである。

 

「随分と良く食べるじゃないか。おかげ様でこっちはてんてこ舞いだよ」

「そうか」

 

 一言呟いて、アスカはテーブルの上を見る。食事を終えては注文し、それを繰り返していたので、いつの間にやら大量の皿が積み上がっている。

 一体何人前になるのだろうか。少なくとも一桁ではきかない量に幼女は眼を(しばたた)かせ、ミアに向き直った。

 

「済まないな。私一人に手間をかけさせる」

「そりゃいいのさ。たらふく食ってくれる分にはこっちも儲かるからねえ、文句なんかないよ。ただ、一つ聞きたくてね」

「何だ?」

「あんた、ちゃんと美味いと思えてるのかい?」

 

 妙な質問だった。同じテーブルにいるベル達は一様に首を傾げる。

 ミアの料理は絶品だ。『豊穣の女主人』の常連も従業員も、そこに文句をつける奴は一人もいない。ミア自身疑ってもいないだろうに、どうしてそんな事を聞くのだろう。

 そう、ベル達が疑問に思う側で。アスカは眼を細め、小さく首肯した。

 

「美味いと、そう思っている」

「本当かい?」

「ああ――家族と囲む食事は美味いものだ。私はそれを、知っている」

「――そうかい」

 

 気前の良い笑顔を浮かべていたミアが表情を深める。含蓄を積んできた女将は幼女の無表情を見遣り、振り返って背中越しに手を振った。

 

「なら、じゃんじゃん食って金を稼がせておくれよぉ! アタシらが悲鳴を上げるくらいにね!」

「貴公がそれを望むなら、そうするとしよう」

 

 カウンターに去っていく背中を見送って、アスカは再び料理と向き合う。一連の流れを観察していたリリルカは、はっと表情を変えてアスカを見た。

 

「アスカ様、ひょっとして――」

「リリルカ。それは、後でいい」

「……分かりました」

 

 リリルカは口から出かけた言葉を引っ込めた。何となく察したベルは、優しいような、悲しいような表情を浮かべている。シルとリューは空気を読んで暫し口を(つぐ)んだ。

 周囲の客の喧騒に紛れ、静かな時間がテーブルに流れる。その間もアスカは黙々と食事を続けた。

 黙々と、黙々と――皿を開けては側に積み、新たな注文を繰り返す。短い時間で皿は十枚、二十枚、三十枚と積み上がっていき――

 

「――食べすぎニャア!? どんだけミャー達を働かせるのニャ!?」

「ペースも滅茶苦茶早いニャ!? ちんまい小人族(パルゥム)のくせにどんだけ大食漢なのニャ!?」

「そこ、文句を言う暇があったら働けよー! このままじゃ手が足んなくなるって!?」

 

 結果としてアーニャ、クロエ、ルノアを筆頭とした従業員(ウェイトレス)達が悲鳴を上げるくらい、アスカは食べて食べて食べまくった。

 一夜にして百人前を平らげる。後の『豊穣の女主人』に語り継がれる伝説の小人族(パルゥム)が誕生した夜であった。

 

 

 

 

「【不転心誓(ダークサイン)】……これって何となくだけど、アスカ君の《スキル》と似てるんだよね……」

 

 祝賀会の翌日の朝。いつもより早起きしたヘスティアは、後回しにしていたベルの新しい《スキル》について考察していた。

 【不転心誓(ダークサイン)】。その効果は以下の通りである。

 ・誓約条件達成時のみ発動。

 ・全能力及び逃走を除く全行動の超高補正。

 ・損傷(ダメージ)を無視した行動可能。

 ・誓約を破棄した場合、24時間全アビリティ能力超低下。

 この中でアスカの《スキル》、【暗い魂(ダークソウル)】と似ているのは「損傷(ダメージ)を無視する」点と「効果に対する明確なデメリット」だ。

 【暗い魂(ダークソウル)】は対象を不死とする代わりに死亡する度に『人間性』というものを失う。そして死ぬまではどんな傷を負っていても万全と同じ状態で動けると、ヘスティアはアスカからそう聞いている。

 誓約条件に関しては具体的に書かれてはいないが、おそらく逃走と関係あるのだろう。逃げない、あるいは立ち向かう決意をした時に発動するのかも知れない。

 

「ボクの考えはこんな感じだけど……アスカ君、何か心当たりがありそうだね。聞かせてくれないかい?」

「『ダークソウル』……おそらくは、私の《スキル》ではないそれと『神の恩恵(ファルナ)』が結びついた。私はそう考える」

「『ダークソウル』?」

 

 ベッドでうつ伏せになり、背中にヘスティアが乗っているベルが疑問の声を上げる。壁際で腕を組んでいたアスカは手を解き、ソファに座るリリルカに話しかけた。

 

「リリルカ。以前、貴公に新たな《スキル》が発現したな。あの時もそうだが、私はある匂いを感じ取っていた」

「匂い、ですか?」

「ああ。本来、人の全てが宿す深淵。暗い魂、人間性の匂いだ。

 それは貴公らが既に忘れ去ったもの。遥か(いにしえ)に分かたれ、血の一滴にすら現れず、だが受け継がれ続けたもの。

 『ダークソウル』は、人間性の根源だ。そしてもう枯れ果てたそれが発露したのは――おそらく私と、関わりを持ったためだろうな」

「……つまり、どういう事だい?」

「呼応か、剔出(てきしゅつ)か、仔細は分からんし、考える意味もない。だが私の暗い魂(ダークソウル)と触れ合った結果、貴公らの『ダークソウル』が目覚め、その可能性を『神の恩恵(ファルナ)』が拾い上げた――それが妥当な所だろう」

「……そういえば、アスカ様と最初の交渉をする前、何かなまあたたかいものに包まれたような感じがしました。それが『ダークソウル』、なんでしょうか?」

「貴公の場合はそうだな。ベルは、単純に私と時間を共にして長い。《スキル》もそうだが、名も無き“ソウルの業”を実演できたのも、おそらくそれが原因だろう」

「そっか……」

 

 ベッドから起き上がったベルは上着を着ながら呟く。変わらずベッドに座るヘスティアは何かを思案して、おそるおそるアスカに尋ねた。

 

「……おいおい、それってつまり、その気になればアスカ君は他人に《スキル》を発現させられるって事じゃないか?」

「正確には『火の時代』の技能を《スキル》という形で習得させられるのだろう。大まかにだが感覚も掴んでいる。あと二、三人ほどで試してみれば、物になる筈だ」

「……アスカ君、分かってると思うけど」

「ああ。口外はしない。この業を使う者も限定する。そう言いたいのだろう? ヘスティア」

「うん。君が必要だと思うなら止めはしないけど、くれぐれも相手は選んでおくれよ。ただでさえ色々抱えてる君の事が神々(まわり)に知られたら……ボクはもう、居ても立ってもいられなくなるんだからね!」

 

 「本気で怒っちゃうぞ!」とヘスティアはツインテールを逆立ててビシリとアスカを指差す。それに肩を竦め、幼女は面倒そうに首肯するのだった。

 

 

 

 

 ヘスティアが朝食の準備をしている間、ベルとアスカは廃教会裏で向き合っていた。

 リリルカはいない。早朝はいつも『ノームの万屋(よろずや)』という懇意にしている小売店へ赴いている。『確認』が終わる頃には帰ってくるだろう。

 

「では、ベル。まずは名も無き“ソウルの業”からだ。貴公の真髄、貴公のソウル。それを私に見せてみろ」

「うん――行くよ、アスカ」

 

 インナーだけの少年は《ヘスティア・ナイフ》を抜き、魔法を発動する。

 【炉の加護】、ついで【ファイアボルト】。仄かな光に包まれるベルの手から炎が溢れ、それは漆黒のナイフを媒介に炎の刃を作り出す。

 《ロングソード》と《塔のカイトシールド》を構えるアスカ。憧憬と同じく、遥か高みに立つ幼女に、ベルは突貫した。

 

 今日は『ミノタウロス』戦で壊れてしまった装備品を買い揃えに行く日である。だからダンジョンには行かないし、ベルも病み上がりの身なので無理をするつもりはない。

 だからこれは『鍛錬』ではなく『確認』だ。ベルが新たに得た《スキル》と力。どうせ戦う予定がないのならば、これを機会に確かめてみるべきだとアスカは主張した。

 全ての『未知』は、『既知』に変えるべきである。それがアスカの生き方であるが故に。

 

 炎の刃が幼女に迫る。

 閃く紫紺と火の残滓。以前とは比べものにならない程に成長したベルの攻撃を、アスカは盾で受け、篭手で防御し、剣で弾く。

 確かめるのは傷の具合。盾越しに焼かれる感覚、篭手の下に刻まれる傷、剣で受ける度に裂ける肌。ベルのソウルが、振るわれる炎刃がどれ程のものか、アスカはその身を以て確かめる。

 

「ふむ……ふむ。もういいぞ、ベル」

「分かった。……大丈夫? アスカ」

「ああ。すぐに治す」

 

 炎の刃を消して心配そうにベルは尋ねる。アスカは手を振って、エストを飲んでから炎の刃を評価した。

 

「直剣型の手数武器だな。性能は物理と炎の複合属性、威力は炎にやや偏っている。焼き断つ故に血は流れず、ソウルの刃ゆえに完全な防御は出来ない。盾にしろ、物理と炎両方の耐性がなければ防げんだろう。

 刃の軽さは長所であり短所だ。短剣のように扱える直剣、そう考えれば使い途も広がろう。反面、威力と防御性に乏しい。特に攻撃を受けるのは止めておけ。貴公の武器(ヘスティア・ナイフ)ほど耐久に優れている訳ではないのだから」

「うん、分かった。考えてみるよ」

「よろしい。それでは次だ。貴公の《スキル》を試してみよう」

 

 アスカは武装を仕舞い、ソウルを束ね暗い刃を抜き放つ。半ばより折れた直剣の名残。今や短剣にも劣る見窄らしいそれは、“灰”の半身である。

 故にそれは、真剣の証。程度はどうあれ、本気でやるとアスカは誓っている。

 その恐怖を呼び覚ます闇色の刃に、ベルは汗を吹き出し、けれど決して逃げなかった。

 “灰”と呼ばれた不死に立ち向かう少年。それに頷き、アスカは立つ。

 

「《英雄願望(アルゴノゥト)》についてはよく分からん。チャージ権、というからには何らかの形で行動の性能を上げるものと思われる。だが条件が不明だ。故にここでは試さない。今回試すのはもう一つの方だ。

 《不転心誓(ダークサイン)》。誓約条件達成時のみ発動する《スキル》。誓約条件と破棄判定は不明だが、おそらく『逃走』に関わるものとヘスティアは見た。

 その上で、貴公はどう考える?」

「……あの時、僕は逃げないって決めた。アスカからも、アイズさんからも、僕の願いからも――逃げないって、そう決めたんだ」

 

 深紅(ルベライト)の瞳が真っ直ぐにアスカを見る。折れた刃を垂れ下げ、片時も眼を逸らさない銀の瞳が静かに少年を映している。

 幼女と向き合い、少年は誓う。二度とこの人から、家族から逃げないと。

 ずるりと、折れた刃より闇が吹き出し直剣となる。ベルは《ヘスティア・ナイフ》を構える。

 新雪のような髪の下に灯る二つの深紅(ルベライト)。その色が、黒い(リング)で縁取られた。

 

「……成程。やはり、『ダークソウル』だな」

「? どうかしたの、アスカ?」

「鏡だ。見てみろ。それで分かる」

 

 手渡された手鏡で自分の顔を見てベルは驚いた。パチパチと(まばた)きして、自分の瞳に手を伸ばしたり角度を変えて見たりする。

 

「とりあえず、その状態で少し打ち合ってみるか。どれ程の効果か見ておきたい」

「う、うん」

 

 瞳の変化に戸惑いつつも、すぐに意識を切り替えてベルは構え直した。そして何度も繰り返した鍛錬のように二人は刃を交えた。

 数分後、「十分だ」とアスカが折れた刃を収める。大した息切れもないが驚くほどに集中していたベルは少し困惑していた。

 今なら、思った事が全て出来る。そんな気がするのだ。

 その答えを、灰髪の幼女は擦り鳴らした。

 

「この《スキル》の真価は行動補正だな。ベル、今の貴公は全能感があるだろう」

「うん……よく分からないけど、出来ない事なんかないって思える。でも浮かれてる感じもないし、足が浮つく感覚もない。こう、何て言うか――自分の全部を信じられる。そんな気がするんだ」

「それこそが、《不転心誓(ダークサイン)》だ。貴公が思い描く動きを、そのまま体に適応させる。能力の向上は副産物、肉体に想いを乗せるための補助に過ぎないのだろう。

 ――それは『運』に優れた、本当に貴い者の業。努々(ゆめゆめ)軽んじないようにしろ。軽々しく扱えば、相応の代償を支払う事になる」

 

 「試しに誓約を破棄してみろ」とアスカは言う。やり方が分からないベルは色々考え、逃走に関連付けて明確に逃げるつもりで一歩引いた。

 途端、少年の体は重くなり、瞳から黒い輪は消え、崩れるように座り込む。

 

「あれ、体が重い……?」

「……見た所、能力(アビリティ)の低下が著しいな。今の貴公は、推定だが駆け出し程度の力しか持たん。

 おそらくだが、【ランクアップ】時の潜在値(エクストラポイント)すらも誓約破棄の代償となるのだろう。効果が劇的である分、代価も大きいという訳だ」

 

 周囲の霧を晴らし、アスカはベルを助け起こす。そして少年を見上げ、古鐘の声で告げた。

 

「忘れるな、ベル。名も無き“ソウルの業”と《不転心誓(ダークサイン)》は諸刃の剣だ。

 “ソウルの業”は自らのソウルを剥き出しにする。それは肉体が耐えられても(ソウル)が耐えられなければダメージを負うという事だ。その業を振るう限り、貴公もまた危険(リスク)があるのだと知っておけ。

 そして《不転心誓(ダークサイン)》は、貴公が決して曲げられぬと断じた時に使え。ただの戦いで不転を誓い、ただの戦い故に逃走し破棄などすれば目も当てられない。

 これは、貴公の意志を通す力だ。貴公が先へ進む覚悟。それを示すための《スキル》となるだろう」

 

 凍てついた太陽の瞳と見つめ合い、ベルは力強く首肯する。

 そうして『確認』を終えた二人は廃教会に戻った。帰ってきたリリルカと入り口で合流し、三人は地下室に戻る。

 ヘスティアが出迎え、賑やかな朝食が始まる。

 それは何でもない、ただの日常だ。

 

 

 

 

 『クロッゾ』。それは魔剣に関わる者ならば誰もが知る名前である。

 『呪われた魔剣鍛冶師』『凋落した鍛冶貴族』。今では嘲笑と共に語られる名は、かつて世界で最も恐れられた雷名()の一つだった。

 『クロッゾの魔剣』。「海を焼き払った」とまで称された伝説の魔剣。かつてこれを兵卒に持たせた王国(ラキア)は、地形を変え森を焼き尽くすその威力を以て「不敗神話」を築き上げた。

 今では精霊の怒りを買い、戦場で全て破砕し、クロッゾの一族は誰一人として打てなくなった魔剣。その『クロッゾの魔剣』を打てる者が、オラリオには居る。

 ヴェルフ・クロッゾ。【ヘファイストス・ファミリア】に所属する下級鍛冶師。理由は定かではないが、彼は魔剣が打てる。上級鍛冶師(ハイ・スミス)でもなく、『鍛冶』のアビリティも持たないが、ヴェルフ・クロッゾは魔剣が打てるのだ。

 間違いなく、正統の『クロッゾ』。呪われた一族に産まれた唯一の魔剣鍛冶師。

 その彼は今――ベル・クラネルと共にあった。

 Lv.(レベル)2、上級冒険者となったベルと契約した専属鍛冶師。そしてアスカを除くベルとリリルカの二人パーティに連なる、第三のパーティメンバーとして。

 

「――らああァッ!」

 

 威勢の良い咆声が上がり、大刀がオークに叩きつけられる。

 緑の血飛沫を上げ倒れるオーク。苦悶を刻む豚頭にトドメを刺し、青年は次の獲物に走る。

 炎を連想させる少し伸びた短髪。中肉中背で黒い着流しを纏う男――ヴェルフ・クロッゾはリリルカの投げた火炎壺に怯むオークに踏み込み、大刀で獰猛な弧を描く。

 オークの胸を斬り裂き、魔石を砕いてモンスターを絶命させたヴェルフは、収入が減ると抗議するリリルカに軽口を叩いた。それが油断だったのか、三匹の『シルバーバック』に囲まれてしまう。

 ジリジリと迫る包囲網にヴェルフは決死の一点突破を狙おうとしたが、そこにベルが()()し、モンスターを飛び蹴りで吹き飛ばした。そして動きを噛み合わせ、三匹の『シルバーバック』を撃破する。

 

「やっぱりいいよな、仲間(パーティ)って言うのは」

 

 そう言って笑うヴェルフに破顔するベル。やれやれと首を振って駆け寄るリリルカ。

 結成したばかりのパーティの戦闘を、灰髪の小人族(パルゥム)、アスカは棒立ちで眺めていた。

 

 

 

 

「しかしあんた、本当に戦いに参加しないんだな」

 

 モンスターとの戦いを終えて小休止に入っていた時、思い出したようにヴェルフは切り出した。

 

「ああ。私はベルを見ていたいだけだからな。余計な手出しをするつもりはない」

「見ていたいだけ、か。よくそれを許してるな、ベル」

「あはは……アスカは僕よりずっと強いですから。戦闘に参加すると、逆に僕達のやる事が失くなるっていうか……」

「そうなのか? けどお前はLv.(レベル)2だろ? それでやる事が失くなるって事は……あんたはLv.(レベル)3なのか?」

「いや。私はLv.(レベル)1だ」

「はあ? 嘘……ってわけじゃ、なさそうだな……」

 

 せっせと働くリリルカを見ていた銀の瞳がヴェルフに向かう。そこに渦巻くソウルの光が、言葉の正しさを物語っていた。何か化かされたような気分になるヴェルフは、頭を掻いて話を続ける。

 

「よく分からんが、あんたが強いってのは分かった。それで、アスカ。あんたはベルのお守りがしたいのか?」

「お守りって、ヴェルフさん……」

「そう取って貰っても構わない。私のやる事は、事実上はそれだ」

「アスカまで……まあ、自覚がないってわけじゃないけどさ……」

 

 『キラーアント』に襲われた時を思い出して肩を落とすベルの横で、ヴェルフは腕を組む。口をへの字に結ぶ鍛冶師は、己の思った事を実直に言葉にした。

 

「あまり口を出すつもりはないけどな、そういうのは良くないんじゃないか? それはつまり、ベルを甘やかしてるって事だろ?」

「死ぬ寸前まで手を出すつもりはない。それを加味しても、貴公は私の行いが余計な節介だと思うか?」

「そこまで言うつもりはねえ。けど、ベルだって男だ。いつまでも子供扱いをするのは止めといた方が良いと思うぜ?」

「……ふむ。確かに、一理ある」

 

 知り合って間もないが、本質を突くヴェルフの言葉にアスカは黙考する。少々その嫌いがあったかもしれないなと、幼女が思い返していると――凄まじい咆哮が轟いた。

 ベルやヴェルフに留まらず、驚愕する周囲の冒険者達。その中にあって一人平静を保つアスカは、ゆっくりと咆哮の主に目を向けた。

 他の地帯(エリア)に繋がる通路口の一つから現れる、一匹のモンスター。琥珀色の鱗に覆われた翼なき地を這う竜。

 『インファント・ドラゴン』。数あるモンスターの中でも最強と謳われる竜の一匹であり、上層における事実上の階層主だ。

 雄叫びを上げる『インファント・ドラゴン』は長い尾で冒険者の一人を弾き飛ばし、猛進した。その先には魔石や『ドロップアイテム』を回収していたリリルカの姿がある。

 逃げろと叫ぶヴェルフ。咄嗟に【ファイアボルト】を撃ち出そうとするベル。その前に灰髪の小人族(パルゥム)は、ソウルより零秒で取り出した武装を突き出していた。

 空気がうねり、突き進む風の塊。《翼竜の特大剣》より解き放たれた竜の力が『インファント・ドラゴン』に迫り、()()する。

 後方の壁に直撃し、巨大な亀裂を形作った《翼竜の特大剣》の【戦技】。翼竜とは飛竜、竜の末裔ではあれど伝承に遠く及ばぬその力は、けれど強化されたアスカのソウルによって最大まで力を引き出された竜の風となり、『インファント・ドラゴン』の頭を容易く消滅させていた。

 (もた)げた首ごと消えた『インファント・ドラゴン』がゆっくりと倒れる。それを眺め、《翼竜の特大剣》を片手で振ったアスカは、首を回して背後のヴェルフに語りかける。

 

「ヴェルフ・クロッゾ。貴公の言葉は正しい。だが危機とは、常に予想できぬものだ。

 それを防ぐ最後の防人として、私はいる。それもまた、必要な事だろう」

「……家名で呼ぶな。その名前は嫌いだ。それよりあんた……そいつは、魔剣か……?」

 

 眉間を絞るヴェルフは、困惑しつつも《翼竜の特大剣》を凝視している。まるで見た事のない物を見るかのような視線にアスカはちらりと特大剣に眼をやり、小さく首肯する。

 

「そうだな。魔剣、と言ってもいいだろう。

 ……ふむ。ベル。そういえば貴公には、まだ魔剣について説明していなかったな。丁度良い機会だ。貴公の知る魔剣と私の持つ魔剣について、教えておこう」

「……それは嬉しいけど……まずはリリの無事を確かめようよ、アスカ……」

 

 へたり込んでいたリリルカを背負って戻ってきたベルは、唐突なアスカの発言に肩を落とすのだった。

 

 

 

 

 『インファント・ドラゴン』を倒した事で目立ってしまった一行は場所を移していた。

 11階層の正規ルートから外れた広間(ルーム)。一応つけてくる者がいないかどうかアスカは密かに確認して、ソウルの器から魔剣を取り出す。

 

「それでは、魔剣について話すとしよう。性能と性質を実演がてら説明する」

「それはいいが……さっきからどうやって物を取り出してるんだ?」

「私の技能(スキル)だ。それ以上は、知る必要はない」

「機密ってわけか。まあ良いけどな……魔剣、使うのか?」

「使ってみせねば分からん事もあるだろう。百聞は一見に如かず、だ」

「そうかよ……」

 

 不機嫌そうなヴェルフはぶっきらぼうにそう言った。ベルは不思議そうな様子で青年を見ていたが、「ベル」と名前を呼ぶアスカに居住まいを正す。

 それを確認してアスカは短剣型の魔剣を掲げた。

 

「まずは従来の魔剣から説明しよう。

 魔剣とは、『鍛冶』のアビリティを持つ上級鍛冶師(ハイ・スミス)の手によって作製される特殊な武器だ。それは魔法を封じ込めた武器であり、振る事によって詠唱・魔力制御・魔力暴発(イグニス・ファトゥス)危険(リスク)を負わず魔法を放つ事が出来る。

 その威力は鍛冶師(スミス)の腕にもよるが、一般に推定威力Lv.(レベル)1から4辺りまでが出回っているな。それ以上の魔剣は第一級冒険者か、彼ら彼女らを(よう)する【ファミリア】でなければ入手出来ないだろう」

 

 言いつつ、アスカは短剣型の魔剣を振るう。紅い刀身が描く軌跡は(ほむら)となり、一抱え程の火球となって壁に直進し、爆発する。

 

「これは推定威力Lv.(レベル)1相当の魔剣だ。リリルカに常備させている三つの魔剣もこれに該当する。ちなみにこの程度でも、一本あたり百万ヴァリス以上はする」

「そ、そんなに高いの!?」

「そうだ。魔剣とは、便利な()()だ。持つだけで身の丈を超える力を得る事が出来る。増長と腐敗を呼ぶ、危険な道具だ。

 使うには良い。だが頼り過ぎないようにしろ。道具など、結局は持ち手の心得一つで価値が変わる。魔剣もまた、そういった類の消耗品である」

「……」

 

 アスカが五、六回も魔剣を振るうと、埋め込まれた宝石が光を失い、パキリと音を立てて魔剣が崩れていく。その様を怒りとも悼みともつかない表情でヴェルフは睨んでいた。

 それをベルは気にするが、アスカは気にも留めずソウルを収束させ武器を取り出した。

 何の変哲もない鉄の直剣。《ロングソード》である。

 

「アスカ様。それも魔剣、ですか?」

「そうだ、リリルカ。見た目はただの《ロングソード》であるし、基本的な性能もそのままだ。だがこの時代においては、これもまた魔剣と呼ばれるだろう」

 

 訝しげな一同に《ロングソード》を見せたアスカは、《木板の盾》を立てかけて鉄の直剣を振り上げる。そして振り下ろし、真っ二つになった《木板の盾》は――()()()()()()()()()()()

 

「「「!?」」」

「これが、この直剣が魔剣たる所以だ。

 《炎のロングソード》。この直剣に施されたのは、高度な鍛冶である。武器の性質を変質させ、新たな力を込める『変質強化』。

 炎に派生させた《ロングソード》は斬撃に炎を伴い、対象を燃やす。常時付与魔法型(エンチャントタイプ)の魔剣と言えるだろう」

「……武器としての機能を残したまま、魔法に近い性質を加える……簡易型の魔剣、いえ、既存には存在しない『魔法剣』……リリには扱えそうにないですね」

「そうだな。これは前衛が使用する武器だ。後衛の貴公ではその強みを生かせない。従来の魔剣を使用するのが最良だろう」

 

 アスカの規格外を散々思い知っているリリルカは冷静に分析する。それに頷くアスカの前でベルは唖然とした表情をしていた。ヴェルフに至っては瞠目し驚愕を刻んでいる。

 それらを流し見て、アスカは《炎のロングソード》を消し、新たな武器をソウルより取り出す。

 柄に広げられた翼が、刀身に尾が絡み付くような大曲剣――《竜の大曲剣》を。

 

「これは《竜の大曲剣》という。古の竜のソウルより錬成されたドラゴンウェポン。この武器は竜の力、恐るべき嵐の一端を宿しており、強く振るう事でその力を解放する」

 

 アスカは両手で握った《竜の大曲剣》を肩に置き、強い力で振り下ろす。地に叩きつけられた大曲剣が解放するのは嵐の力。大曲剣を起点に前方へ吹き荒ぶ風が広がり、地面を削りながらルームの端に到達し壁を叩き壊した。

 正方形だった広間が歪な鍵穴型に変わる。台形に広がる瓦礫の道を築き上げた幼女は大曲剣を地面に刺し、唖然としている三人に振り向いた。

 

「これが《竜の大曲剣》の力だ。この通り、魔剣と呼ぶに相応しい力を秘めている。

 従来の魔剣と違うのは、この武器が耐久度ではなく集中力(フォーカス)――精神力(マインド)を消費して力を解放する点だ」

「――何だとっ!?」

 

 アスカの説明にヴェルフが吼えた。兎のようにビクリと肩を揺らすベルの横で、ヴェルフは食い入るように《竜の大曲剣》を凝視している。

 

「そんな魔剣、聞いた事がねえぞ!? 耐久度を消費しないって事はつまり――『壊れない魔剣』って事か!?」

「その通りだ、ヴェルフ。《竜の大曲剣》は武器として使用可能な魔剣である。当然、武器として使えば何時しか摩耗し破損するが、精神力(マインド)を使う限り魔剣として砕ける事はない。

 耐久度を消費して力を使う事も出来るがな。その場合は持ち手の力量を反映せず、常に一定の威力しか出さない。その点は従来の魔剣と同じと言えよう」

「持ち手の力量を反映……? 魔剣として砕けない……!?

 ありえねえ……あんた……一体何なんだ……?」

 

 自分の常識を――自らが背を向けた『魔剣』の諦念を打ち壊されるヴェルフは、震える声でアスカを見る。

 それに、灰髪の幼女は。銀の半眼を揺らめかせ、ヴェルフの瞳を覗き見た。

 

「私は不死だ。死ぬ事はない。

 私は亡者だ。足らぬ物を貪欲に食い漁った。

 私は“灰”だ。遠いかつてに存在した、『火の時代』の蚕食者。

 だから私は、武器が打てる。鍛冶師ではない。だが武器打ちだ。

 故に貴公、ヴェルフ・クロッゾ。貴公がそれを望むなら――私の知る鍛冶技術を教えよう」

 

 銀眼の奥に渦巻く、ソウルの光。

 その先に見える『火の時代』の片鱗に、ヴェルフは何も返す事が出来なかった。

 

 

 

 

「良かったんですか? ヴェルフ様にアスカ様の事を話してしまわれて」

 

 夜、アスカと道具(アイテム)のやり取りをしていたリリルカは、ふとそんな事を口にした。

 

「構わん。ヴェルフはベルの専属鍛冶師だ。良き鍛冶師でなければ困る」

「それはまあ分かりますが、情報が漏れるとは思わなかったのですか?」

「鍛冶師とは、頑固な生き物だ。アレらは己の信にそぐわない事は死んでもやらん。

 だからこそ語る事に問題はない。ヴェルフも鍛冶師ならば顧客に近い者の情報は流すまい。

 仮に流れたとして、何時かは知られる事だ。時期が早まるだけであるし、ヴェルフの試金石にもなる。

 何より、あれだけの言葉で如何程(いかほど)の事を理解できようか」

「はあ、成程……(したた)かですねぇ」

 

 「リリとしては情報には出来るだけ蓋をして欲しい所ですが」と言いながらリリルカは並べられたポーションの瓶を一つ取って光に透かす。色の具合いを見て蓋を開け、一滴ぺろりと舐めた彼女は「《魂業小箱(ソウル・ヴェソル)》で収納した物は劣化しない……大分ヤバいですねこれ」と呟いた。

 

「ねえ、アスカはヴェルフさんの事どう思う?」

 

 「クロッゾ」についてヘスティアと話していたベルが会話に参加する。アスカは道具(アイテム)を置いて首だけベルに回す。

 

「典型的な鍛冶師だ。粗野で頑迷、遠慮がなく決して己を曲げない。良くも悪くも職人気質、信頼に値する鍛冶師だろう」

「そっか! じゃあ、『クロッゾの魔剣』については?」

「興味がない」

 

 話の流れで聞いたベルの言葉を幼女はばっさり切り捨てる。

 

「先にも言ったが、鍛冶師は死んでも己を曲げない。そのヴェルフが打たぬというなら、いくら(きら)びやかな伝説が在ろうとも無いのと同じだ。

 存在しない物に価値など無い。『クロッゾの魔剣』など、求めるにも値しない代物だ」

 

 それだけ言って、アスカは首を元に戻す。得られるかどうかも分からない魔剣より下級ポーションの方に価値がある、そういった態度で道具(アイテム)のやり取りを再開した。

 

「それよりベル、《英雄願望(アルゴノゥト)》についてもっと考えを巡らせておけ。

 使い方の分からない力など害にしかならん。己の事だ、貴公は誰よりも理解しなければならない」

「あ、うん。考えてみるよ」

 

 ついでとばかりに投げられた言葉に頷いて、ベルは静かに思考に耽った。

 その後、何があったのか手が白い燐光で覆われたベルは、よく分からないまま食器を洗おうとして大惨事を起こすのだが、蛇足である。

 

 

 

 

「突っ立ってないで、そろそろ入ろうぜ? ベル。……アスカ、あんたもな」

「あ、はい。お邪魔します」

「失礼する」

 

 ヴェルフに促されてベルとアスカは平屋に入る。

 強い鉄の匂いが染み付いた室内。壁に吊るされた大量の鉄器、棚に置かれた数点の武器、大きな炉と鋳鋼製の鉄床(アンビル)

 鍛冶師の工房、ヴェルフ・クロッゾの城である。

 

「悪いな、汚い場所で。少しだけ我慢してくれないか?」

「い、いえっ、大丈夫です!」

 

 男二人のやり取りを尻目に、アスカはヴェルフの仕事場を眺める。

 鍛冶場は不死の己とは無縁の場所だった。若き日の“灰”には協力などという言葉はなく、棄てられた地のあちらこちらで一人鍛冶に没頭する鍛冶達は略奪の対象でしかなかった。

 武器を欲すれば奪いに行き、大抵の場合は返り討ちにあう。若く、亡者の如き不死であった“灰”に、人並みの商いなど出来なかったのだ。

 だから“灰”は、鍛冶場とは無縁だ。“灰”にとって鍛冶場は他と変わらぬ戦場。鍛冶は他と変わらぬ敵。後に狂王と畏れられる程の狂気に、縁など出来よう筈もない。

 こうして眺めるのは、些か奇妙な感覚であったと言えよう。かつての己に従えば、ここもまた戦場。ヴェルフ・クロッゾは奪うべき敵でしかないのだから。

 

「――そうだ。どうせならあんたにも何か作るか?」

「?」

「欲しい物があったら言ってくれ。何でもいいぞ、アスカ」

 

 アスカがらしくもない感傷に浸っていると、不意にヴェルフがそんな事を言った。疑問符を浮かべる灰髪の幼女に、ヴェルフはニッと気持ち良く笑う。

 

「貴公はベルの専属だろう。何故、私に何かを作ろうとする?」

「ベルから聞いた。あんたは大事な家族だってな。せっかく専属契約を結べたんだ、顧客の周りにサービスしたって罰は当たらないだろ?

 もちろん、あんただけって訳じゃない。リリスケにも聞くつもりだ。どうだ、何か欲しいもんはないか?」

 

 軽く、だが真剣に問うてくるヴェルフにアスカは少しだけ間を開ける。そして次には、ふるふると首を横に振った。

 

「別に欲しい物はない。貴公はベルの専属として、責務を果たせばいい」

「本当にそれでいいのか?」

「私はベルと違って打算的だ。何も求めぬ方が心象が良いと分かっていながら要求を口にするほど愚かではない。まあ、最適解を求めるなら、ベルのように嘘偽りなく魔剣以外を欲するのが最適だろうがな」

「……バレてたか」

 

 明け透けな幼女の言葉にバツが悪そうにヴェルフは頭を掻いた。大剣を手に子供のような笑顔を浮かべていたベルは、「えっ、えっ!?」と二人を交互に見て混乱する。それにくっと笑って、ヴェルフは頭を下げた。

 

「悪いな、ベル、アスカ。お前らを試すような真似をしてた。すまん、謝る。この通りだ」

「い、いえ! 頭を上げてください、ヴェルフさん! 僕はその、全然気にしてませんから!」

「私もだ。悪いと思っているのなら、さっさと本題に入るがいい」

 

 ベルは慌て、アスカは実直に物を言う。どこか対照的な二人に顔を上げたヴェルフは笑みを深めた。

 それを引き締め、真剣な表情でヴェルフは二人と向き合う。

 

「まどろっこしいのは無しだ、本題に入るぞ。

 ――アスカ、あんたが俺に鍛冶技術を教える目的は何だ?」

「貴公の腕が上がれば、ベルの役に立つ。それでは不足か?」

「……俺はあんたが、魔剣を対価に要求するんじゃないかって思ってた。いや、今もそう思ってる。じゃないと説明がつかないだろ? いくらパーティとはいえ、俺は他派閥の人間だ。あの『壊れない魔剣』を見せるだけなら、俺がいない時にやれば良かった筈だ。あれにはそれだけの価値がある。

 なのにあんたは、俺の前で見せびらかした。裏があるんじゃないかって、どうしても思っちまう。だからこれだけははっきりさせておきたい。

 ――あんたは俺に、魔剣を打たせたいのか?」

 

 一人の鍛冶師として、ヴェルフは問う。それは己の矜持を懸けた問い掛けだった。

 対しアスカは、プライドも何もない。ただ一度(まばた)きをして、質問に答える。

 

「それは是であり、否でもある。私はな、ヴェルフ・クロッゾ。詰まる所、どちらでも良いのだ」

「どっちでも良い……?」

 

 腑に落ちない顔をするヴェルフにアスカは続ける。

 

「ああ。私にとって重要なのは貴公がベルの専属鍛冶師という点だけだ。魔剣が打てるかどうかはどうでもいい。

 私が鍛冶技術を教えるのは、それがベルの為になるからだ。貴公の腕が上がれば、自ずと装備の質も上がり、それに見合う冒険者たらんとベルは奮起する。それは私にとって喜ばしい事であり、それだけが私の目的だ。

 魔剣など、ただの()()()に過ぎない。ベルの選んだ鍛冶師がたまたま『クロッゾの魔剣』なるものを打てる。()()()()()()()だ。

 そんな物の為に払うべき労力など私は持たないし、持つ理由もない」

 

 『クロッゾの魔剣』などただの些事。二の次三の次の副産物。そう語るアスカに、ヴェルフは驚きを隠せなかった。『クロッゾ』と聞いてやってくる者は、今まで『クロッゾの魔剣』しか見なかったから。

 それこそを小事と切り捨てるアスカの瞳には、確かに真実が宿っていた。

 

「ただまあ、ないだろうが、いずれ貴公の気が変わるやもしれん。その時はその時で、私の教える鍛冶技術が役立つ事もあるだろう。

 だから是であり、否だ。私の教えを生かすも殺すも貴公次第。その天秤を傾けるのは、貴公以外に在りはしない。

 選ぶのは、私ではない。それだけの事だ」

「……」

 

 言い終えて、銀の半眼を向けるアスカにヴェルフは俯き、沈黙する。ややあって、肩を震わせる青年は勢い良く呵呵大笑した。

 

「ふっ、ふははははははははははははははははっ!? そうかそうか! 『クロッゾの魔剣』なんかただのおまけか! そりゃいいな! ははははははははっ!

 ――あんたの事、誤解してたぜ、アスカ。商人みてーに腹の黒い奴かと思ってたが、中身はベル一筋か! 気に入った!」

「私の臓腑(はら)が黒い事は否定せんよ。それで、ヴェルフ。貴公はどうする?」

「ああ。あんたの鍛冶技術、ぜひ教えてくれ。あの時見せた付与魔法(エンチャント)型の魔剣、あんたの作品だろ?

 悔しいが、鍛冶の腕は俺より上だ。だから教えを乞わせてくれ。俺は必ずあんたの鍛冶技術を盗んで、あんたを超える作品を打つ。ベルの為にな。約束する。

 それがあんたの望みなんだろ? アスカ」

「ああ。理解してくれて助かる、ヴェルフ。それでは早速、と行きたいが――」

 

 そこで言葉を切って、アスカはハラハラと状況を見守っていたベルを見た。

 

「まずは貴公の約束通り、ベルの装備を新調して貰おう。『火の時代』の鍛冶を教えるのは、その後だ」

「ああ、任せろ。今の俺に出来る最高の物を作ってやる」

 

 対話を経てどこか意気投合したヴェルフとアスカ。二人の様子にホッとして、ベルは心底嬉しそうに笑うのだった。

 

 

 

 

 鍛冶とは何か。それに対する端的な答えは、鉄を打つ事だ。

 古来より、人は武器を求めた。脆弱な爪、頼りにならぬ牙。生来の狩人である獣人はともかく、鉱石と洞窟に縁の深いドワーフ、平均的で特徴を持たない人間(ヒューマン)、最も弱いとされる小人族(パルゥム)のような種族は、己の爪と牙に代わる武器を求め、鉄を見出した。

 石よりも、骨よりも硬い鉱物。熱し、叩く事で形を変え、生まれ持った物より強い武器を作り上げる事の出来る鉄。それの発見と武器と成すための研鑽は、人類の歴史の大いなる一部と言えよう。かつて人類が火を発見した時のように、鉄は火と関わりの深い、鍛冶(れきし)の始まりだ。

 その鉄に、鉱物に近い性質を持つ『ミノタウロスの角』をヴェルフは熱し、渾身を込めて槌を振る。弾ける火花、甲高い打撃音。炎が猛る炉の前で、鍛冶師の青年は一心不乱に『鉄』を打つ。

 

 『鉄の声を聞け、鉄の響きに耳を貸せ、鎚に想いを乗せろ』

 

 没落した鍛冶貴族の末裔として、父から、祖父から継いできた『クロッゾ』の教え。

 ヴェルフにとって鍛冶とは、使い手の半身を打つ事だ。最後の最後まで裏切らない、一心同体の武器を作る事。それが鍛冶師の使命であり、ヴェルフ・クロッゾの矜持である。

 熱された『ミノタウロスの角』に鎚を振るいながら、ヴェルフはベルの問い掛けに答える。魔剣が嫌いだと。使い手を残して絶対に砕けていく魔剣が嫌いだと、『鉄』と向き合う青年は言う。

 ヴェルフは鬼気迫る表情で、己に出来る極限まで鉄とやり合っている。その後ろ姿にベルが気圧される横で、アスカは静謐な瞳を保っていた。

 やはり私は、鍛冶師ではない。火に照らされる灰髪の不死は、そんな事を思っていた。

 

 

 

 

 既に日は沈みかけ、夜の帳が迫っている。

 生と死の境のような夕暮れの刻。『ミノタウロスの角』より作られた短刀、《牛若丸》を受け取ったベルはヴェルフに対する遠慮を止めた。

 アスカやリリルカのように、対等の仲間として接する。短刀越しに握手する男二人を見定めて、灰髪の幼女は口火を切った。

 

「さて、それではヴェルフ。貴公に『火の時代』の鍛冶を教えるとしよう」

「ああ、いいぞ。よろしく頼む」

「え? アスカ、こんな時間から?」

 

 快諾するヴェルフと対象的に困惑するベル。格子窓から外を見つめるベルの瞳には夕暮れの光が反射していた。それにアスカは理由を告げる。

 

「鉄は熱い内に打て、と言うだろう。今のヴェルフは一種の集中状態だ。物を教えるならこちらの方が都合が良い。

 ベル。遅くなるであろうから、貴公は先に帰りたまえ。ヘスティア達に事情を説明してくれると有り難い」

「……ううん。アスカ、僕も見てていいかな? もし遅くなり過ぎて神様達に怒られたら、僕も一緒に謝るからさ」

 

 「アスカの鍛冶、見ていたいんだ」と少年は優しい笑みを浮かべる。それにパチパチと目を瞬かせて、フッとアスカも薄く微笑んだ。

 

「そうか。では、貴公もそこで見ているがいい。だが、何があろうと、私に近寄らない事だ。約束できるか? ベル」

「うん、分かったよ、アスカ」

 

 壁に立つベルに一つ頷いて、アスカはソウルの海からいくつかの道具を取り出した。ヴェルフに断って《螺旋の剣》を床に刺し、『武器の鍛冶箱』『防具の鍛冶箱』『修理箱』『底なしの木箱』を並べる。最後に簡素な木椅子を置いて座り、岩のようなみてくれの鉄床(アンビル)を眼前に置いた。

 先のヴェルフのような鍛冶師の姿。だがそこには職人らしい独特の雰囲気はない。

 ただ、何処か近寄り難い作業者。そんな空気を(かも)すアスカは、鉄の塊を取り出した。

 

「では、まずは一つ剣を打とう。私の腕のお披露目も兼ねて、見ておくといい」

 

 アスカは鉄の塊を鋏で掴み、篝火で熱していく。ゆっくりと赤く変色した塊を鉄床(アンビル)に移し、《武器の鍛冶箱》から適当に槌を取って振り上げる。

 カン、カン、カン。規則正しく鳴る槌の音は、取り立てて言う事がなかった。ヴェルフのような微細に変わる旋律を奏でる事もなく、淡々と鉄を打っていく。

 その速度は驚異的だったが、ベルが気付いたのは打ち終わってからだ。作業の如く代わり映えしないアスカの鍛冶は、驚くべき速さで鉄を鍛造し、一本の剣を作り上げる。

 研ぎ終わり、柄も取り付けた一本の剣。それはごく普通の《ロングソード》だった。

 

「これが、私に打てる限界だ。何か意見はあるか、ヴェルフ」

「……見た目は普通だ。尖っても劣ってもいねえ。けどこの重さ、使い心地、何より切れ味……見事なもんだ。今の俺じゃあ、絶対に届かねえ。この先どれだけの武器を打てば、こいつに辿り着けるかすら、見当もつかねえ。

 けどアスカ。やっぱりあんたは、あんたの言う通り――」

「武器打ちだ。鍛冶師ではない。分かるだろう? ヴェルフ。その剣は、量産品。初めから繋ぎの、いずれ捨てられるために作られた剣だ」

「……」

 

 手に取った《ロングソード》を見つめるヴェルフは苦い表情で眉間を狭める。目の前にあるのは()()()量産品。『至高』には到らずとも、その手前に確実にある一品だ。

 それがただの『道具』として作られた事実に、知らず柄を握る力が強まる。鍛冶師の青年はアスカの《ロングソード》に、魔剣を重ねているのだろうか。

 剣を睨むヴェルフに手を差し出し、アスカは返すよう催促する。無言のまま手渡したヴェルフは険しい顔で続きを待った。

 

「次は『楔石』について教えよう。これはこの時代にない、『火の時代』にあって固有の神の遺物だ」

「神の、遺物……?」

「そうだ。説明するより、実際に見せてやった方が早いな」

 

 神の遺物というキーワードに目を瞠るベルを一瞥して、アスカは『楔石の欠片』を掌に出す。岩のような、金属のような黒い断片。在るだけで力を放つ、並の鉱物とは決定的に違うそれにヴェルフは目を奪われた。

 

「なんだ、こりゃあ……素材か? いや、こいつは武器に適さねえ。硬度や靭性に優れてるわけじゃなさそうだ。けど、こいつは確かに武器の素材……武器を、強化するための素材か……?」

「ほう。慧眼だな。良い眼をしている。その通りだ、ヴェルフ。『楔石』とは武器の強化素材。名も無き鍛冶の神が今際の際に遺した物。これをソウルと共に武器に打ち込み、刻む事で、武器そのものを強化する事が出来る」

「武器そのものの強化……? けど武器ってのは、打ち終わった時点で完成品だ。後付けでどうこう出来るもんじゃないだろ?」

「これも見せてやった方が早いな。『火の時代』に有り触れた、強化の手法だ」

 

 鉄床(アンビル)に《ロングソード》を置いたアスカは、器よりソウルを溢れさせる。死しては失い、回収し続けて肥大した主なきソウル。その一部を『楔石の欠片』と同化させ、《ロングソード》に押し付けたアスカは、槌で叩き《ロングソード》のソウルに『楔石の欠片』を刻み込む。

 時間にして一分かかったかどうか。『楔石』を刻み込まれた《ロングソード》は見た目は変わりない。けれどその鋭い輝き、武器の性能は明らかに向上していた。

 その事実にヴェルフは目を剥く。常識では在り得ないアスカの行いを一挙一動に到るまで凝視する。それを確認して、アスカは次々に『楔石』を取り出し、《ロングソード》を強化していった。

 『楔石の欠片』から『楔石の大欠片』へ、『楔石の塊』を刻み、最終的に『楔石の原盤』を余さず《ロングソード》の強化に使う。槌を振るう度に刀身に埋まり、刻み込まれる『楔石』は、《ロングソード》の性能を格段に向上させていった。

 第三等級最上位相当から、第二等級下位、中位、上位、第一等級下位、上位、最上位――そしてその『先』へ到るまで。『楔石の塊』辺りから明確な変貌を遂げていた《ロングソード》は、『楔石の原盤』を刻まれた瞬間、伝説に並び称される程の武器へ到っていた。

 そう――かつてヴェルフ・クロッゾが、【ヘファイストス・ファミリア】に入団する際。ヘファイストスに見せられた『至高の武器』。それと同格に並んでいると、確信出来る程に。

 

「――もういい、止めろ。止めてくれ」

 

 ()()()()。胸中に湧き上がった意志に支配されたヴェルフは、はっきりと拒絶する。

 

「そいつは、()()だ。鍛冶師が頼っていいもんじゃねえ。鍛冶師(スミス)の矜持を、育てた腕を腐らせる。少なくとも俺は、絶対にそいつを使わねえ。

 だからもう、止めてくれ。俺にもうそれを――見せないでくれ」

「……ふむ。貴公はそう反応するか」

 

 苦渋に満ちたヴェルフの相貌を見て、アスカは《ロングソード》をソウルに溶かす。そして平坦な瞳でヴェルフの思考を分析する。

 

「穢されたくない、と言ったところか。貴公にはこれに並ぶ、いや、並べたくない唯一があるのだろう。

 確かに『楔石』は神の力だ。神の遺物、それ故に『楔石』を刻まれた武器は伝説の武器、神の作品に等しき力を宿す。それはどのような武器でも同じだ。高名な鍛冶師が打った渾身の一振りも、私のような無名の武器打ちが作った量産品も、等しく同じ伝説へと変える。

 それが貴公には許せないか。あまり理解は出来ないな。私にとって強い武器を求めるのは当然であるし――『火の時代』の鍛冶達にとって、これは当たり前の物だったのだから」

「……」

「まあ、時代が違う。貴公と私では、生きた世界が違う。受け入れられぬ物があって然るべきであり、当然の反応と言えよう」

 

 黙りこくるヴェルフを無数の人間を視た瞳で観察し、アスカは一人結論を出す。そして強化を施していない《ロングソード》を一本並べ、その横に新たな鉱物を置いた。

 『楔石』が変質したといわれる宝石のような鉱物の一つ――『炎の貴石』を。

 

「……そいつも、『楔石』って奴か?」

「是であり、否である。そう構えるな、ヴェルフ。今より教えるのは『楔石』による強化のように単純なものではない。

 私のような武器打ちでは到底扱えぬ、一握りの鍛冶師にしか為せない高度な鍛冶――『変質強化』について、教えよう」

「『変質強化』……?」

 

 身構えるヴェルフにひらひらと手を振って、アスカはもう一本の剣を取り出す。それは魔剣について説明する折に見せた《炎のロングソード》だ。

 

「これは以前貴公らに見せた炎の変質強化を施した武器だ。斬撃に炎を帯び、傷跡を焼く」

「……あんたの時代の魔剣か」

「そうだ。だが実体は、魔剣というより特殊武装(スペリオルズ)に近い。何故なら変質強化とは、言葉通り武器の性質そのものを変える業だからである」

 

 二つの剣と一つの貴石を並べ、アスカは語る。『火の時代』の変質強化と特殊武装(スペリオルズ)の類似性を。

 

特殊武装(スペリオルズ)とは、特殊な属性を持つ武装の事だ。例を上げれば『不壊属性(デュランダル)』を付与されたアイズ・ヴァレンシュタインの《デスペレート》、魔法を吸収する性質を持つベート・ローガの《フロスヴィルト》が有名か。

 変質強化もそれと似ている。貴石を用いて武器の性質を変え、新たなる属性を付与する。

 持つ者の心技体を反映する『熟練』、持ち手によらぬ粗雑な力を与える『粗製』、この武器のように炎の属性を宿す『炎』変質などは、基本的な変質強化だ。

 『熟練』や『粗製』などは特殊武装(スペリオルズ)そのものだろう。だが『炎』を代表する魔法のような力を付与する変質強化は、広義における魔剣と等しい。だからこそ私はこれを魔剣と称した。この時代の言葉では収まらぬ物を、便宜上説明するためにな」

「……本当は魔剣と特殊武装(スペリオルズ)の中間にある、って事か。けどそいつもその、『貴石』ってのを使うんだろ。だったら『楔石』と同じだ、俺は絶対使わねえ」

「結論を急ぐな、ヴェルフ。変質強化の核心は『貴石』にはない。必要な物だが、変質強化が高度な鍛冶と呼ばれる所以は、特別な種火を使う処にある」

「特別な種火……?」

 

 訝しむヴェルフに掌を差し出して、アスカは蒼白い光を収束させる。現れたのは、石の箱に入れられた小さく燃える火。思わずベルが、そしてヴェルフが惹かれてしまうその火を、アスカは見せつけるように掲げる。

 

「『ソウルの種火』。これは腕の立つ鍛冶達が灯す初歩の種火だ。高度な鍛冶、変質強化は種火を以て火を(おこ)し、その火を以て『貴石』を武器に熔かし込む。

 特別な種火の炎は、『貴石』の性質と衝突しない。むしろ『貴石』の力を際立たせ、武器のソウルを変質させる原動力となる。

 故に変質強化を施す者は、火の扱いに長けた優れた鍛冶師でなければならない。過ぎた炎は、我が身すら焼く。火への畏れ無き鍛冶師は、種火の炎に焼き殺される。

 だから、ヴェルフ。私はこれを貴公に教えるのだ。変質強化を貴公が生涯行わずとも、火は鍛冶師の生命線。火を知り、畏れ、従える術を得るのは、間違いなく貴公の腕を上げる。

 私はそう考える。だから、どうだ。変質強化を知る気になったか? ヴェルフ・クロッゾ」

「……」

 

 アスカの掌で揺れる種火を見つめ、ヴェルフは沈黙する。小さな火に照らされる青年の脳裏には、きっと様々な考えが巡っているのだろう。

 それを見透かすアスカの銀の瞳と視線を合わせ。やがてヴェルフは、根負けしたように両手を上げた。

 

「……分かった。その変質強化ってのを教えてくれ」

「知る気になったか、ヴェルフ」

「いやいやだけどな。けどアスカ、あんたは俺に期待してくれてるんだろ? そんでこいつは、挑戦状でもある。

 『お前にこの火が扱えるか?』。そんな眼で見られちゃ、俺だって黙っちゃいられない。

 受けて立つぜ、アスカ。あんたの言う高度な鍛冶ってのを、全部物にしてみせる。俺の意地にかけて、絶対にな」

 

 色々な考えを投げ捨てた様子だが、肝の据わった表情をするヴェルフはニッと不敵に笑う。それは決して曲げぬ己の信を持つ、鍛冶師らしい笑みだった。

 対面するアスカは満足げに頷き、早速変質強化の準備に取り掛かる。

 

「よろしい。それでは変質強化について貴公に教えよう。と言っても、私は所詮武器打ちだ。変質強化を施せる技量など持っていないがな」

「? どういう事だ? あんたはそれが出来るから俺に教えるんじゃないのか?」

「いいや、違う。私は“灰”だ、鍛冶師ではない。見様見真似で槌を取った鍛冶もどき、武器打ちに過ぎない。

 だからこれから貴公に見せるのは、失敗例だ。火を扱い損なう者がどうなるか――その眼に灼きつけるがいい」

 

 種火の一部を掌に移し、『ソウルの種火』をしまったアスカは乱雑に火を篝火に投げ入れる。途端、篝火は獰猛に燃え盛り――側にいた不死の幼女を、容易くその身に呑み込んだ。

 

「!?」

「アスカ!?」

 

 ヴェルフが驚愕し、ベルが叫ぶ。目の前で篝火の炎に巻かれた家族に、ベルは咄嗟に飛び出そうとする。

 それを止めたのは、凍てついた太陽のような瞳だった。炎に焼かれながらなお在り続ける不死は、古鐘のような声を擦り鳴らす。

 

「何があろうと、近寄らない。私と約束しただろう、ベル」

「でもアスカ、このままじゃ……!?」

「私は不死だ。死ぬ事はない。火に焼かれようと、私は死なない。

 それにな、ベル。貴公が見ていたいと言ったように、私も貴公に見ていて欲しいのだ」

「え――?」

「私がかつて、どのように生き、どのように在ったか。これから見せる炎の業は、私の旅路の一つである。

 だから、ベル。見ていてくれ。この私を見ていてくれ。

 人と結ばず、ただ一人を選び、故に愚かな真似をし続けた私を――どうか貴公に、知って欲しい」

「……アスカ……」

 

 炎の中で(ほの)かに微笑む家族の姿に、ベルは動き出そうとする体を必死で押し留める。そして沈痛な面持ちで唇を噛み締め、深紅(ルベライト)の瞳でじっとアスカを見続ける。

 決して目を逸らさず。もう逃げないと誓った、家族の姿を灼きつけるために。

 

「――おいっ、ベル!? 何してんだ、このままじゃアスカが焼け死ぬぞ!?」

「黙って見ていろ、ヴェルフ・クロッゾ」

「なっ!?」

 

 二人の会話に呆けていたヴェルフが、慌てて鍛冶用の水をアスカにかけようとした瞬間、暗い銀の半眼がヴェルフを硬直させた。老木のような威圧に囚われる青年に、アスカは炎と向き合いながら言葉を投げる。

 

「これから見せるのは、下手な武器打ちの末路。未熟な者が分不相応を求めた結果だ。

 黙って見ていろ。そして目を離すな。貴公は、私のようにならぬよう――いや、この私程度は、軽く超えて貰わねばならないのだから」

「――!?」

「さあ、始めよう。『火の時代』の高度な鍛冶。武器を変質させる炎の業。幾多の鍛冶が挑み、焼かれ果てたその業を、知るがいい」

 

 槌を手に、炎に挑む。アスカの、“灰”の『火の時代』の鍛冶が、始まった。

 

 

 

 

 その光景を、ヴェルフ・クロッゾは一度として見た事がない。

 ヴェルフは物心ついた時から鍛冶と共にあった。父の言葉を聞き、祖父の背を見つめ、鉄の匂いが染み付いた古臭い鍛冶場で育ってきた。

 ヴェルフには十数年の半生を、鍛冶に捧げてきた自信がある。それは鍛冶師たらんとする彼の自負であり、また事実であった。

 そのヴェルフをして、眼前の光景は見た事がなかった。

 炎に巻かれ、人体を焼く熱に曝されながら、アスカは無感動に槌を振るっている。赤く熱された剣を素手で掴み、天へ振り上げた槌を剣に叩き込み続ける。

 ヴェルフは自分より巧みな鍛冶師を見た事がある。自分より下手な鍛冶師も、同等の鍛冶師も、その半生で幾度となく出会ってきた。

 だが。だが、こんな鍛冶師は目にした事がない。いや、アスカは鍛冶師ですらない。しかしこの光景の前に、その事実がどれほど儚い事か。文字通り身を焼いて鉄を打つなど、ヴェルフは想像だにすらしなかった。

 

「……すげぇ……」

 

 打ち震える声が唇から零れる。燃え上がる篝火に吸い寄せられるヴェルフの眼には、ただ鍛冶に打ち込み続ける幼女の姿がある。

 その体は燃えていた。闇に浸されたような黒い長衣は既に大半が燃え、人形のように白い肌が(あら)わになっている。それも度を超えて燃え盛る篝火の炎に焼かれ、所々が黒く焦げ付いている。

 炎の中では呼吸すらままならないだろうに、凍てついた太陽のような銀の瞳は一切揺れ動かず、槌に打たれる剣を捉え続けていた。

 その打ち筋は凡庸だ。鍛冶師として見れば平凡だ。炎の中にある事を除けば、アスカの鍛冶からはまるで才能を感じない。

 けれど、炎に燃えてなお健在の生まれより伸びる灰髪の幼女は、一心不乱という言葉が陳腐に成り下がる程の集中力で鉄と向き合っている。炎の中に居る事も構わず、側で見ているベルとヴェルフの事すら忘れ、ただ槌を振るい続けている。

 

 ――それは、真に才無き者が辿り着いた『極限』の景色。ひたすらに、ただひたすらに積み重ね続けた果てにある人間の『極地』。

 アスカの鍛冶は、槌の一振りにさえ途方もない歳月を感じさせた。何も持たない人間が、折れぬ心だけを頼りに進み続けた結果が、織り成される槌の旋律に宿っている。

 『至高』。それはヴェルフがいつか辿り着き、そして超えようとしている鍛冶の頂。数多の先人が挑み、敗れ去った頂点。

 その『至高』に、アスカは確かに手をかけていた。それが永遠に辿り着けない場所であろうとも、手を伸ばし続ける尋常ならざる執念。その結実が、眼前で繰り広げられる『極限』の景色だと、ヴェルフは本能で悟っていた。

 

「――ッ!」

 

 青年の拳が強く握られる。その胸中に走るのは、一筋の諦念。

 鍛冶をするには頼りなく、鍛冶師ですらない武器打ちの背。未だ『至高』の高みも分からず、『神の恩恵(ファルナ)』による『鍛冶』のアビリティにすら届いていない身の上。

 それでアスカの、この小さな幼女の背に追いつき、超える事が出来るのか? 何処か焦燥に駆られる意識の中、その疑問がヴェルフの頭から消える事はなかった。

 

 

 

 

 やがて時が経ち、アスカの鍛冶は終わった。

 火勢が戻った篝火の前に残されたのは、真っ黒に炭化した幼女の成れ果てと、床に転がった一振りの剣。

 座ったまま上半身の前に落とし、俯く幼女だった物の側で、その剣は輝かしい光を放っていた。

 《炎のロングソード》。『火の時代』に有り触れた、けれど今この時において此処にしかない、凡庸でありながら決して普遍的ではない『魔剣』。

 『至高』の高みに確かに位置する剣にヴェルフが目を奪われる中、ベルはとうとう動かなくなったアスカに駆け寄った。

 

「アスカ、アスカ!? 大丈夫!?」

「……ああ。ベルか。私は、問題ない。すぐに、元に戻る」

 

 触ろうとして、今にも崩れそうな炭化した幼女に触れられないベルの前で、煤に汚れた灰髪が揺れ動く。ボロボロと崩れる口を動かしたアスカは、次の瞬間、灰になり――篝火の前で形を成し、いつしか火傷一つない、神の如く美しい幼女となって座っていた。

 

「そら、戻ったぞ、ベル。だからもう、泣くのは止めろ。貴公は本当に、泣き虫だな」

「アスカ……僕はもう、アスカから逃げないって決めたよ……でも、アスカが無茶をする所が見たいんじゃない……! だから……あんまり無茶は、しないでよ……」

「……済まないな。だが、貴公が逃げぬと言うのなら、これを知っていて欲しかった。

 私は不死だ。死ぬ事はない。そして、私は所詮、“灰”なのだ。貴公がそれを望んだとしても、私はこれまであった私の在り方しか貫けない。

 きっとこれからも、望まぬ私を、貴公は目にする事になるだろう。だから貴公、忘れないでくれ。

 私は貴公のためなら、何でもする。何でも出来る。それが貴公の望まぬものだった時は、貴公が言葉で止めてくれ。

 私はきっと、それでしか――止まる事が出来ないから」

「アスカ……うん、分かったよ」

 

 涙で濡れる目を腕で拭って、ベルは力強く頷く。それに小さく微笑んで、無表情に戻ったアスカはヴェルフに声を掛けた。

 

「さて、ヴェルフ。以上が、私の知る鍛冶技術だ。本当はもう少しばかりあるが、それはおいおい教えるとしよう。

 私の鍛冶を見て、貴公は何を思った? 何でも構わん、言ってみろ」

「っ……」

 

 アスカの質問に、ヴェルフはハッと顔を上げて幼女と向き合う。焦るヴェルフは拳を握り、何かを言いかけては口を閉じ、時々床に転がる剣を見る。

 その様子に全てを察した幼女は、嘆息して剣を拾い上げた。つられるヴェルフの視線に構わず、ソウルへと変え収納し、灰髪の不死は語りだす。

 

「聞け、ヴェルフ。

 私に鍛冶の師はいない。それは私が、鍛冶達との友誼を結べなかった、いや、結ばなかったからだ」

 

 アスカは古く遠きを思い出す。まだ旅を始めたばかりの、何も出来なかった過去を。

 

「私は武器を必要としていた。私の目的を果たすためだ。だが私には武器を手にする手段がなかった。

 私は奪われる者だった。だから奪う事しか頭になかった。鍛冶達に出会っても商いの真似事も出来ず、ひたすらに奪おうとした。

 私は襲い、打ち負けた。太腕を鳴らす鍛冶だ、貧者の私に勝てる道理などない。負けて、鍛冶達の不評を買い、私は武器を得る手段を失った」

 

 古鐘のようなアスカの声を、ヴェルフは黙って聞く。そんな事に何の関係があるだとか、言う気にはなれなかった。ただ不思議と悩むのを止めてくれる話を黙って聞いた。

 

「だから私は、槌を取った。鍛冶達と戦い、かろうじて掠め取った物。愚かな私は、武器がないのなら自分で作れば良いと思ったわけだ。

 鍛冶達の打つ姿を盗み見た。見様見真似で鉄を叩いた。師も無く、鍛冶の才も無く、愚かしいばかりの私は、それが最善だと信じていた。

 物を揃え、辿々しくも鉄が打てるようになるのに十年かかった。

 猿真似が人の飯事(ままごと)になり、一本の剣を打てるようになるのに百年を要した。

 明確な目的も目指す場所もない。そんな有様で欲しい剣を打つのに、千年が経った。

 今のように、鍛冶師ではなく武器打ちとなるのに、気付けば一つの時代が過ぎていた」

「……」

「ヴェルフ。私に鍛冶の才能は無い。私は鍛冶師ではない。ただの武器打ち、欲しい武器を自分で作る者に過ぎない。

 だが、貴公は違う。何故なら貴公は――ベルのために武器を打つ、鍛冶師だからだ」

「――!!」

 

 その言葉に、ヴェルフは視界が一気に晴れ上がったように感じた。そうだ、(ヴェルフ)は何を勘違いしていたのだ。アスカに追いつく? アスカを超える? そんな事は重要じゃない。

 大事なのは、誰かのために――ベルのために槌を振るう事。ベルを決して裏切らない、魂の片割れ、半身を送り出す事がヴェルフの務めだ。

 

「貴公には先達が居る。貴公には辿り着き、超えるべき『至高』がある。

 ならば私など、問題にならない。私が武器と呼べる武器を打つのにかけた百年を、貴公はほんの数ヶ月か、数年で走り抜けられるのだから。

 貴公には才がある。貴公は、鍛冶師だ。だから貴公、ヴェルフ・クロッゾ。

 ――ベルのために槌を取れ。私のように、己の為だけに武器を打つ、愚か者であってくれるな」

「ああ、分かってる。勿論だ、アスカ――いや、アスカの姉御。

 約束する。俺はベルのために、槌を振るう。ベルを絶対に裏切らない半身を、必ずこの手で作り出してみせる」

 

 胸に拳を当て、快活に笑い誓うヴェルフ。それは粗野な鍛冶師らしく飾り気のない、堂々たるものだった。

 

 

 

 

((……姉御?))

 

 なお。

 唐突に出てきたアスカの呼び方に少年と幼女が心中で首を傾げたのは、どうでもいい話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウルの種火

武器の変質強化を行うための種火

 

ソウルの種火は高度な鍛冶の初歩にある種火である

変質強化を行える鍛冶ならば自ら灯し、扱うものだ

ゆえにこれは腕の立つ鍛冶であるかどうかの秤であり

大事に持ち歩く鍛冶がいたのなら、鼻で笑われるだろう

 

「熟練」「粗製」「炎」

三種の貴石を使った変質強化が可能となる




ヴェルフを洗脳して、工事完了です……
今回の話は原作四巻をこの二次創作なりに追いかける感じですね。原作がないと結構わかりにくいかもしれません。
魔剣に関しては『火の時代』側の説明をして、一旦おしまい。続きはヴェルフが魔剣と向き合った後になるでしょう。
原作六巻くらいかな。今から楽しみですねえ。
ま、その前に原作五巻を書くんですけどね、初見さん(syamu)

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