ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

11 / 22
りんごろう召喚の儀を目撃したので初投稿ですんご。
産地直送ですんご。
んごんご。
んご。


不転心誓

 その日の事を、ベル・クラネルはよく覚えている。

 

 シンと静まり返った夜。肺の息も凍りそうな冬の日の事。

 あまりの寒さに目を覚ましたベルは、隣で寝て貰っていたアスカがいない事に気付いた。

 アスカは人よりも体温は低いけれど、夜の闇の中で抱きつくと何処か安心する心地良さがある。

 それを求めて幼いベルは、広いと言えない家の中を探し、けれど見つけられなかった。代わりに見つけたのは、開かれた玄関と積もった雪に残される、月明かりに照らされた小さな足跡だ。

 こんな夜中に外に出たのだろうか。どうしてだろう、と幼少のベルは思う。そして躊躇しながらも、その足跡を辿ってみる事にした。

 

 真冬の夜は寒々しく、吐く息が白く凍えた。家を出て少し、早くもベッドが恋しくなる。けれどベルは震える体を抱きしめて、アスカの物と思われる足跡を追った。

 幼少の頃、ベルはアスカに懐いていた。あまり喋らない寡黙な人だったけれど、いつもベルの側に居てくれた。嬉しい時も、寂しい時も、楽しい時、苦しい時、振り向けばいつもアスカがそこに居て、感情(こころ)を分かち合ってくれた。

 だから目を覚ました時、アスカがいないと知ってベルは寂しかった。一緒にベッドで寝て欲しくて探しに出た。

 そして少しだけ、好奇心もあったのだ。こんな夜中、こんな寒い日に、アスカは何処へ行ったのだろうと。

 年に一度、何処かへ旅立って、一月程でふらりと帰ってくるアスカは、何をしているのか教えてくれなかった。ベルがいくらねだっても、灰髪の幼女は頭を撫でるだけだった。

 だから、気になった。もしかしたら一緒に旅立てるかもしれない、なんて、幼少のベルは夢を見ていた。

 

 ――そう。夢を見ていたのだ。

 村の入り口まで続いた足跡。それが急に消えて、辺りを探すベルの前に、巨大な獣が現れるまでは。

 

 それは、家と見紛(みまご)うくらい大きかった。

 それは、銀色の毛並みを逆立てていた。

 それは、冷たい空気に透き通る氷柱(つらら)のように美しく、恐ろしい牙があった。

 それは、無感動にベルを見つめる、真っ黒な瞳があった。

 ――それは、怪物ではなく。いつか祖父の話に聞いた、『銀獣』と呼ばれる獣だった。

 

 『銀獣』。それは冬の、冷たい吹雪の中を彷徨う獣。

 遥か北にある常冬(とこふゆ)の地において、吹雪の止まぬ山から生まれるとされている。生まれて、そして息が絶えるまで、冬に寄り添い、冬を追って移動する獣だ。

 目撃情報は少ない。数が少ないのか――あるいは、見た者を生かして帰さないのか。

 おどろおどろしい語りにぶるりと震えるベルに大笑して、祖父は言ったものだ。普通、死を招く冷たさの襲う冬に外になんて出ない。だから多くは、遠目にも見ないのだと。

 だがもし。遭遇してしまったのなら。茶目っ気のある祖父は表情を改めて、真剣に言った。

 決して眼を逸らしてはならない。『銀獣』は、冬の恐怖に負けた者を喰らう。

 だからどんなに怖くても、眼を逸らしてはならないのだと、祖父はベルに言い聞かせた。

 

 『銀獣』と相対して、ベルは頭が真っ白になった。

 言葉が出ない。表情は凍りつき、喉が引き攣って呼吸すらままならない。

 目玉が零れそうなくらい目を見開いていた。深紅(ルベライト)の瞳には、何の感情も示さない『銀獣』の顔が映っていた。

 立ち続けていたのが奇跡だ。体が震えなかったのは、圧倒的な死を予期したからだ。

 動けば、死ぬ。真っ白な意識がそれで埋め尽くされ、ベルは何も出来なかった。

 

 数秒か、数分か。ベルと『銀獣』は相対し続けていた。

 時間を経れば、心が溶ける。凍りついた意識の底で、恐怖が首を(もた)げ、這い上がってくる。

 次第にベルは震え始めた。涙を浮かべ、浅い呼吸を繰り返し、カチカチと歯が鳴った。

 幼少のベルに力はない。手段もなく、意志もない。

 限界はすぐそこだった。祖父の教えも少しはベルを守ったが、すぐに恐怖に負けてしまった。

 そうしてベルが、限界に達しようとした、その時。

 

 深紅(ルベライト)の瞳に閃く、一条の銀光。

 気がつけば。『銀獣』の首は空に飛び、大きな銀毛の体がゆっくりと倒れた。

 

「――」

 

 その日の事を、ベル・クラネルはよく覚えている。

 

 月明かりの下に舞う、生まれより伸びる灰色の髪。

 少年の前に降り立ち、倒れる獣の血を浴びる幼女。

 獣血の鮮紅に濡れた――銀の瞳と、アスカの横顔。

 

 それをベルは、忘れる事ができない。

 

 

 

 

 がばりと、身を乗り出すように少年は跳ね起きた。

 ドクドクと暴れる心臓。激しい発汗、見開かれた目。

 荒い呼吸を鎮めるように、脈打つ胸を強く押さえる。

 

「はっ……はっ……」

 

 時間は、ここのところ起きる時間より少し早い深夜。

 ヘスティアとリリはまだベッドで眠っている。目を覚ます様子はない。

 アスカは、何処にもいなかった。

 

「……ふう」

 

 それに少し安心して、はっとベルは頭を振る。ついで胸を強く握り、動悸が治まるのを待った。

 

「…………行かなくちゃ」

 

 暫くの間跳ね起きた姿勢のままだった少年は、毛布を畳み、一通り準備をして地下室を後にする。

 外に出ると、まだ月と星空が輝いていて、それを横に切り取るような黒い市壁が見えた。

 その天辺に、憧憬の少女と――きっと家族が、待っている。

 

 

 

 

 アイズの稽古、最終日。

 朝焼けの訪れる空の下、《ダガー》を握る少年は繰り出される剣の鞘を捌いていた。

 受け流し、あるいは避ける。全てではない、いくつかは体に当たり痛みを生む。それを堪えて少年は、ひたすらに目の前の憧憬に追いつこうとしていた。

 前を見る。迫り来る鞘。恐怖が湧いて、避けようとする。それを呑み、踏み越えて――反撃。

 防御を超えて、その先へ。攻撃を受け流し、一刀を前に突き出す。

 響き渡る金属音。《ダガー》は、あっさりと弾かれた。

 それでも。少年の一撃は、確かに届いたのだ。

 

「これで、終わりだね……」

「はい……」

「……」

「今日まで、ありがとうございました」

「私も、ありがとう。……楽し、かったよ。

 ……それじゃあ、頑張ってね」

「……はい」

 

 地平線に太陽が昇る、市壁天辺。

 少年と少女は言葉を交わし、お礼を重ねてお互いに背を向ける。

 歩き去っていく金の憧憬。それを一度だけ振り返って、ベルは胸壁の影に立つ、家族の下へ足を向けた。

 

「終わったか。ベル」

「……うん」

「では、帰るぞ。我らの家に」

 

 擦り切れた声でそう言って、灰髪の幼女は先導する。市壁内部の螺旋階段、いくつもの長通路を経て、外に繋がる扉を開けた。

 

「――ねえ、アスカさん」

 

 先にアスカが出た、その時。市壁内部に留まるベルは、俯いて、言葉を続ける。

 

「一つ、聞いてもいい?」

「何だ?」

「アスカさんがリリと最初に会った時――どうして嘘をついたの?」

「――」

 

 それは、そう遠くない過去の記憶だ。

 リリルカがまだ、心を定めていなかった時。アスカが金と暴力で契約を結んだ、次の朝。

 挙動不審だったリリルカの背後から挨拶したアスカは、「初めましてだな」と言った。

 リリルカを挟んで、ベルとアスカは向き合う形だった。少年の深紅(ルベライト)は、幼女の銀を映していた。

 その銀が。半眼に渦巻く、ソウルの光が。

 アスカの言葉が嘘であると、雄弁にベルに語っていた。

 

「アスカさんとリリは、先にどこかで会っていたんじゃないの?」

「……」

「それなのになんで、あの時『初めまして』って嘘をついたの?」

「……」

「……ねえ、答えてよ、アスカさ――」

「ベル」

 

 その声は、いつもの古鐘の声だった。それなのに恐ろしく掠れていて、ひどく冷たかった。

 アスカが振り返る。市壁内部の暗闇にいるベルには、昇ったばかりの朝日に眩むアスカが影に隠される。

 陽光を裂く灰髪の影。その中で、凍てついた太陽のような。銀の半眼だけが、少年を見ていた。

 

「ベル。貴公はそれを、本当に聞きたいのか」

「っ……」

 

 何の変哲もない言葉だった。それなのにベルは、気圧された。

 少年の足が一歩下がる。知らず手が震え、頬に汗が流れる。顔は大きく歪んでいた。

 ソウルの(かげ)る、銀の瞳と見つめ合う。それに耐えきれなくて、ベルはつい、目を逸らしてしまった。

 ふう、と、透明な息をつく音が聞こえる。

 

「駄目だな。教えられない。貴公には、まだ早い」

「……どうしても、言ってくれないの?」

「ああ。貴公がそれを望むなら、答えよう。だが、それは真に、貴公の望みとなってからだ。

 今のように、逃げる内は。答えてやれる程、私は優しくない」

「……」

「さあ、帰るぞ。家族が待っている」

「…………うん」

 

 灰髪を(ひるがえ)すアスカが先に進む。ベルは暗い顔で、幼女の背についていく。

 その表情に。少年の心に、宿っていたのは――

 

 

 

 

「うわ……。神様、ごめんなさいっ、僕もう行きます!」

「ベ、ベル君っ、ちょっと【ステイタス】が……!」

「ごめんなさい、帰ってから聞きます! アスカさん、先に行ってきます!」

「ああ」

 

 (あわただ)しく部屋を後にするベルに生返事をして、アスカは割れたカップを片付ける。

 取っ手が割れた、壊れたカップ。全壊こそしていないものの、テーブルに散らばった白い欠片を丁寧に集め、袋に詰める。

 扉に伸ばしかけた腕を下げ、溜息をつくヘスティアがアスカに声を掛けたのは、その時だった。

 

「アスカ君、聞いてほしい事があるんだ」

「何だ?」

「ベル君の【ステイタス】の事なんだけど……」

 

 ヘスティアは戸惑いながら、掻い摘んで説明する。一通り聞いた後、原因を知らないかと問われ、けれどアスカはふるふると首を横に振った。

 

「残念だが、私には分からない。『神の恩恵(ファルナ)』は元より門外漢だ。それが『未知』だとして、『既知』も満足に知らぬ私に、言える事はない」

「そうかい……アスカ君、今日はなんだか嫌な予感がする。サポーター君もそうだけど――ベル君を、守ってやってくれ」

「ああ。分かっている」

 

 袋をソウルに変え、器にしまったアスカは、先に行ったベルとリリルカを追いかける。

 

「あれ、アスカ様? お早いですね、ベル様と一緒に来るんじゃなかったんですか?」

 

 《静かに眠る竜印の指輪》をつけ、音もなく屋根伝いに駆けた幼女は、先に神塔(バベル)の前で待っていたリリルカに合流する。

 

「ヘスティアが少しな。何か、嫌な予感がするそうだ」

「嫌な予感、ですか? うーん、神様の勘って奴でしょうか?」

「恐らくはな。今日は、気を引き締めていけ」

「アスカ様がそう仰るなら……あ! ベル様ー! こっちですよー!」

 

 半信半疑という表情だったリリルカは、ベルの姿を見かけるとぱあっと顔を明るくして手を振る。こちらに走ってくる少年は「あれ!? アスカさんがもういる!?」と後ろを振り返っては二度見する。

 そちらに構わず、灰髪の小人族(パルゥム)は。神塔(バベル)の遥か最上階を、暗い銀色でじっと見ていた。

 

 

 

 

 ダンジョン9階層は寒々しかった。

 気温ではない。早くに潜ったが故に、冒険者の姿が平時より少なく、人影がない。

 常より人気のない迷宮。怪物(モンスター)の息遣いさえ聞こえない。そして、背の低い草花が茂る広い空間(フロア)

 ()()()()。平素、連れ添うばかりのアスカはこの日、パーティの先頭を歩いていた。

 

「珍しいですね。アスカ様が前を歩くなんて」

「う、うん……そうだね……」

「……ベル様? どうかしたのですか?」

「……リリ、ここで装備を取り換えちゃってもいいかな?」

「あ、は、はい」

 

 普段と様子が違うベルにリリルカは慌てて装備を渡す。

 『ヴェルフ・クロッゾ』製の軽装鎧(ライトアーマー)、エイナから貰った緑玉色(エメラルド)の《プロテクター》、リリルカが買ってきた両刃短剣(バゼラード)

 そして神様からの贈り物である《神の(ヘスティア)・ナイフ》。

 完全武装のベルを背後に、アスカは油断なく周囲を見渡す。《ブロードソード》と《鉄の円盾》を垂れ下げる幼女は、不意にぴたりと静止した。

 

 聞こえる。獰猛な荒遣いの息が。地を踏み砕く轟然とした足音が。

 広いルームの二つの入口。ベル達が通ってきたのは背後、そして正面の暗い洞穴から――()()()

 

 暴圧的な筋肉の巨躯。巨人の両腕、蹄の脚。赤黒く強靭な体毛で随所を覆う、白い頭骨を被ったような怪物。

 『ミノタウロス』。下界において、最も名の知られた怪物(モンスター)の一体。

 刃のない石の大斧を両手で持つ二本角の猛牛は、膨張する筋肉を戦慄(わなな)かせ大咆哮を轟かせた。

 

『ヴゥ、ヴォオ――ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!』

 

 耳に(つんざ)く怪物の叫び。体の芯まで震え上がらせ、恐怖で立ち尽くさせる咆哮。

 それでベルは動かなくなった。恐怖に引き攣った表情は絶望に染まり、固定された案山子のようになる。体を揺さぶるリリルカの悲鳴も届かない。

 地響きを上げ、突進する怪物。大戦斧を掲げ、爛々と輝く(あか)炯眼(けいがん)が獲物を見定める。

 ミノタウロスの尺度で三歩まで迫った刹那。

 間に入り大戦斧を防いだのは、アスカの《タワーシールド》だった。

 

『ヴモォ!?』

「……」

 

 左手に持つ巨大な金属盾が怪物の大斧を押し返す。同時に放たれる追撃は、幼女の身に余る幅広の特大剣《グレートソード》。

 致命的な断圧音を破裂させる鉄塊剣が叩きつけられ、しかしミノタウロスは知能を以て防御した。

 衝撃が弾け、一人と一体の間に距離が空く。着地し、睨み合う両者。身の丈に合わない武装を構えるアスカは、擦り切れた声で言葉を発した。

 

「退け、ベル」

「……ァ、アスカ、さん……?」

「ここは私が受け持つ。貴公らは退け。時が経てば、私も追いつく」

「で、でも……!?」

 

 未だ動かぬ体で、恐怖に呑まれながらもベルは逡巡する。それに、灰髪が揺らめいた。

 

「ベル。私に三度も、同じ事を言わせるなよ」

「――ッッッ!?」

 

 細い首が周り、灰髪の間から銀の瞳が垣間見える。幼い唇から発せられたのは、古鐘のようで、けれど冷たい擦り切れた声。

 それはベルを芯から震え上がらせた。それはあの日と同じ瞳だった。

 ――幼いベルに刻まれた、拭い切れぬ光景(きおく)と同じ。

 

「……リリルカ。ベルを連れて行け」

「は、はい! ベル様、行きますよ!?」

「待ってよ、リリ……待って……!?」

 

 かろうじて動くベルを引き摺るようにリリルカは引っ張っていく。緊急に『指輪』を装備した彼女は【ステイタス】以上の『力』で無理やり少年を動かす。

 それに抗おうとして、ベルは何も出来なかった。恐怖で脚が竦む、目元には涙が浮かび、力が入らない。

 

「待って、待ってよ……!? 嫌だ……嫌だっ! アスカさんっ……!!」

 

 かろうじて伸ばされた少年の手に、悲痛に満ちた声が乗る。

 けれど幼女が、振り返る事はなく。

 怪物と対峙するアスカは、家族の気配が消えるまで不動の姿勢を取った。

 

「……やはり、こうなったか」

 

 そこへ、ザンッ、と跫音が響く。

 現れたのは、2(メドル)を超える屈強な体格の猪人(ボアズ)

 【猛者(おうじゃ)】オッタル。つい先日、眼前の『敵』に『敗北』を喫した武人は、しかしそれを微塵も感じさせぬ厳つい相貌を保っていた。

 錆色の瞳だけが、瞋恚を燃やして“灰”を貫く。

 

「……フレイヤ様が(おっしゃ)られていた。あの者の(いろ)を苛む(いばら)は、二つあると」

 

 オッタルは背嚢(はいのう)を解き、数多の武器を地面に突き刺す。

 その内の一本を、(しか)と握った。

 

「その片割れが、貴様か」

「……」

 

 “灰”は答えない。オッタルの登場で怯むミノタウロスを含め、全てを銀の半眼に映している。

 身の丈に合わぬ武装に包まれた不死は、既に三つ巴を是としてた。

 

「……これは、雪辱ではない」

 

 『敵』を眺め、ほんの僅かに眼を閉じたオッタルは、次の瞬間、(まなじり)を決する。

 そして構える巨大な大剣に、完全なる殺意を乗せた。

 

「全てはフレイヤ様の為に――ここで斃れて貰うぞ」

 

 肉体に全力を漲らせ、武人が宣言する。

 不死の幼女、『最強』の冒険者、白骨を被る『ミノタウロス』。

 ダンジョン上層に見合わぬ強者達の、激戦が始まった。

 

 

 

 

 走る、走る、走る、走る。

 無様に、格好悪く、これ以上ないほど不細工に。

 息が続かない。足取りも不確かだ。何度も脚が(もつ)れそうになる。

 リリルカが引っ張っていなければ、今にも立ち止まってしまうだろう。

 それが、冒険者になった筈の。憧憬に追いつきたいと願う筈の。

 家族を()()()()逃げる、ベル・クラネルの目も当てられない有様だった。

 

「ハア、ハア……! 大丈夫です、ベル様! アスカ様はお強い人です! ミノタウロスなんか、屁でもありません! きっとすぐに追いついてくれます……!」

 

 懸命に走りながら、励ますようにリリルカが言う。けれど焦燥に満ちたベルの顔は晴れない。

 

 分かってる。分かってるよ、そんな事は!

 あの人が――アスカさんが強い事なんて、ずっと前から分かってる!

 だってあの日、僕は――

 

 右も左も分からない、前後不覚になりそうな意識の中。

 少年の記憶は、決して忘れられないあの日に飛んだ。

 

 

 

 

 あの日。

 冬の夜に『銀獣』に出遭ったベルは。

 決して忘れる事の出来ない、情景を目にした。

 

 月明かりの下に舞う、生まれより伸びる灰色の髪。

 少年の前に降り立ち、倒れる獣の血を浴びる幼女。

 獣血の鮮紅に濡れた――銀の瞳と、アスカの横顔。

 

 剣の一振りで『銀獣』を屠った、家族の姿。

 いつしかに聞いた暗い物語と重なる、戦いの絵画。

 それは幼い少年が。ずっと一緒だったアスカの、言い知れぬ『強さ』を知った日だった。

 

『――』

 

 何か、声を発している気がする。

 血に濡れた灰髪の幼女は、ゆっくりとベルを見た。

 さっきまでベルを見つめていた『銀獣』と同じ――いや、それ以上に、無機質な眼で。

 

「――ッ!?」

 

 ドクンッ、とベルの心臓が跳ねる。

 真冬の寒さより冷たいものが頭から全身に走った。

 手が、震える。体の振動が、歯のぶつかる音が、蘇る。

 

『――』

 

 何か、声を発していた気がする。

 覚えている筈なのに、思い出せない。声だけが、灰に覆われたように聞こえない。

 記憶に残っているのは、あの日の情景だけ。

 目の前に立つ、家族の――家族()()()人の、姿だけ。

 

 生まれより伸びる灰色の髪。

 血斑に濡れた闇色の長衣。

 灰と、白と、赤。そして吹雪の山の銀月よりも、美しくて、()()()()――銀の瞳。

 

「――う、うわああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 あの日。

 ベル・クラネルは、アスカから――“()”から逃げ出した。

 

 

 

 

 ()()()()

 ベル・クラネルは、あの日からずっと()()()()

 アスカが――“灰”が、怖かった。ずっと()()()()()()()()

 でなければ。でなければ、家族に「()()」なんてつけて呼ばない。

 ()()()()()()()()()()()()()()――あの日からベルは、()()()()()()()()()()()

 

 初めて出会った時。

 祖父に連れられた灰髪の幼女は、幼いベルに“灰”を名乗った。

 それを祖父は「“灰”じゃあ、あんまりにも哀れだ。可愛げがない」と、「灰」を意味する「アスカ」と呼んだ。

 ベルは、()()()()()()()()()。同じように、アスカと呼んだ。

 家族だから。新しい大切な人だから。親愛を込めて、そう呼んだ。

 ご飯の時も、遊びに行く時も、畑仕事をする時も、夜、一緒に寝て欲しい時も。

 ずっとずっと、そう呼んだのだ。

 

 それが壊れてしまったのが、あの日。

 あの日から、ベルは――「アスカさん」としか、呼べなくなった。

 それは、幼い少年に刻まれた。あまりにも拭い難い、『心傷(きず)』だった。

 

 

 

 

 ベルの意識が、現在(いま)に戻る。

 相変わらず、脚は言う事を聞いてくれない。

 自分より小さな小人族(リリルカ)に引っ張られ。無様に、転げ回りそうになりながら走っている。

 なんて軟弱。なんて惰弱。

 これが――家族を見捨てて逃げる、冒険者だった筈の(ベル)の姿。

 こんな(ざま)が望みだったのか? こんな結末を目指してここまで来たのか?

 こんな情けない、格好悪い、目も当てられないままで――憧憬(あのひと)に届くと、本気で思っているのか?

 

「――ッッッ!!」

 

 少年は、限界まで歯を食い縛った。

 脚が、止まる。引っ張られていたリリルカの手が離れる。

 

「!? ベル様!?」

 

 少女の動転する声が聞こえる。ベルは動かない。

 リリルカはすぐに意識を切り替え、またも少年を引っ張ろうとする。ベルは動かない。

 その事実に少女は息を呑んだ。今のリリルカの【ステイタス】は『指輪』の効果でLv.(レベル)1にして()()()()()()()()()()()()()()()()()()状態だ。

 それなのに、少年は動かない。リリルカの見上げる少年の顔は、強い決意で満たされていた。

 

「……リリ。これを持って行って」

「これは……」

「危ない時に使えって、アスカ、さんから前に貰った。『幻肢の指輪』って言うんだ。装備すれば、()()()()姿()()()()()。それでリリなら……一人で地上(うえ)に帰れるよね……?」

「……何をお考えなのですか、ベル様……!?」

 

 咄嗟にリリルカの手が伸びる。固く握られた少年の手を掴むために。

 けれど、それを振り切って――少年は駆け出した。

 地上へ続く道ではなく。さっきまで居た、死地へ向かって。

 

「リリ、ごめんっ……!」

「ベル様ぁっ!?」

「ごめんっ!!」

 

 謝って、謝って、少年はリリルカを振り切る。遠くなっていく少年の姿。呆然と立ち尽くした少女は、けれどはっと首を振って、己に出来る事を全力で努めに走り出した。

 

 

 

 

 走る、走る、走る、走る。

 みっともなく無様に――けれど確かな意志を灯して。

 ベル・クラネルは疾走する。

 頭を過ぎるのは、ずっと一緒に居た家族(アスカ)の姿だった。

 

(馬鹿だっ、馬鹿だっ!? 大馬鹿だっ、僕はッッ!!)

 

 アスカは自分よりずっと強い? だからどうした。

 自分が行ったところで役になんて立たない? 関係あるものか。

 『ミノタウロス』――今も自分の心を業火のように追い立てる、恐ろしい怪物の姿。

 逆立ちしたって敵いっこない相手。体躯も力も到底及ばない、生粋の化物。

 だから――だから、自分より強い人に押し付けて逃げるのか?

 勝てないから、弱いから、そんな理由で家族を見捨てるのか?

 これから先もずっと、そんな風にヘラヘラ笑うだけの『雑魚』として、生き続けるのか?

 

(ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ!!)

 

 そんなんじゃ駄目だ。そんなんじゃあ、何者にもなれない。

 家族にも、冒険者にも――あの日この胸に焼き付いた、憧れの人に遠目にさえ、近づけない。

 そんなんでいい訳、ないだろっ……!?

 

(アスカさんっ……!)

 

 ベルの脳裏に、幼い頃の日々が蘇る。

 

 寡黙な人だった。言葉では示さず、行動で示す人だった。

 最初の朝、寝ずにベッドの横でベルを覗き込んでいたのはすごくびっくりした。

 作った食事はものすごく不味かった。何度も何度も失敗して、美味しくなった。

 畑仕事も下手くそだった。けれど黙々と続けて、いつの間にか上手くなった。

 遊びも、お風呂も、寝る時すら、最初はてんでなっていなかった。まるで『生きる』という事を知らないかのようだった。

 だから、ベルが引っ張った。太陽を見ていたり、地下室に篭ったり、森で佇んでいる幼女を見つけては、幼い少年は笑顔で手を繋いだ。

 『どうしてこんなところにいるの?』『ねえ、アスカ! あっちに行こう!』

 あの頃のアスカは、されるがままだったように思う。ただ、繋いだ手を見つめて、笑う(ベル)を見て、そっと握り返してくれた。

 

 いつからそれが、逆になったんだろう。泣いたり、立ち止まったりするベルを、アスカが先導するようになった。

 強制はしなかった。何も言わなかった。けれどいつも側にいて、前に導いてくれた。

 怖がる(ベル)は、差し出された手を握らなかったのに。

 

 眠れない夜があった。あの人は、小さな体で抱きしめてくれた。

 病気で倒れた日があった。あの人は、ずっと看病してくれた。

 森で迷った時があった。あの人は、最初に見つけてくれて、一緒に帰った。

 祖父がいなくなっても、アスカはいなくならなかった。

 ずっと側にいてくれて。ずっとずっと一緒だった。

 (ベル)が、心の裡で今も怖がっていると知っていながら。

 それでも共に、いてくれた。

 それが『家族』なのだと云うように。(かす)かに微笑んで。

 

(僕は、僕はっ……!)

 

 ――最後に手を繋いだのは、何時だろう。

 憧憬のあの日。ダンジョンで金の少女と出会ったあの日。

 みっともなく尻もちをつく(ベル)に、差し出された手を握ったのが、最後だろうか。

 それ以来、繋いだ覚えがない。

 恥ずかしいとか、もう子供じゃないとか、そんなんじゃなく。

 ――きっと、手を差し出されても。(ベル)は繋ぐ事が出来なかった。

 

(僕は――っ!!)

 

 走る。迷宮の奥底へと。

 心を蝕む二つの象徴、ベル・クラネルの『恐怖』が争う死地へと向かう。

 先の見えない深い穴が続く道。仄かに発光する洞窟を駆け抜け、少年は広間(ルーム)に舞い戻る。

 そこには。

 散乱する武器の破片と、無傷で立つ『ミノタウロス』。

 そして――左腕と右眼の無い、家族(アスカ)の姿があった。

 

 少年は、絶叫した。

 

 

 

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!?」

 

 少年の絶叫が、ルームの壁へ無情に吸い込まれていく。

 オッタルの姿はもう無い。数多の得物を破壊された武人は、戻って来る少年の足音を感知し、すぐに身を引いた。

 ミノタウロスは健在だ。吼える牛頭の怪物はある意味相手にされていなかった。

 オッタルは攻撃を防御し、“灰”は意に介さない。捨て置かれた怪物は石の大斧を振り回し、それは()()()攻撃を受けた幼女の腕と眼を千切った。

 言葉にすれば、それだけの事。オッタルは幼女を殺し損ない、“灰”は武人の武装破壊を優先し、怪物は暴れ狂った。

 ()()()()()()()()。“灰”にすればごく当たり前の結果。手足を無くそうが眼を奪われようが、そんな事はいつも通り。

 だから一瞬、分からなかった。少年が戻って来た理由も、絶望に顔を歪ませて叫んだ意味も。

 

 だが、関係はない。

 最初に出会ったあの日。ベル・クラネルという人間と邂逅したその時より、己の生き方は定めている。

 己の全ては、ベルの為に使うと決めた。だから何の迷いもない。

 言葉では無意味と、三度を通じ知っている“灰”は、行動によって少年の脚を止めた。

 即ち、斬撃。振るわれる瞬間のみ入れ替わった《ゴーレムアクス》が、真空波を放ちベルの眼前に亀裂を築く。

 “灰”とベルを分かつ『線』。それは存在しない、だが分厚く両者の前に立ちはだかる『壁』だった。

 

「アスカさ――ッ!?」

「ベル。あえて、貴公に警告しよう」

 

 隻腕の不死は再び《グレートソード》を握り、古鐘の声を擦り鳴らす。

 

「そこから前に出れば、貴公の意識を奪う。全てが終わるまで、眠っていて貰う。

 あの『ミノタウロス』は、貴公の手に余る。だから何も譲らない」

「でも、アスカさん、腕がっ!?  それなのに、なんで……!」

「とうの昔に決めている――私は貴公を、守りたいからだ」

 

 ミノタウロスと対峙する、小さな背。怪物と相対するに頼りない背は、しかし巌のように動かない覚悟があった。

 言葉を失うベルを置いて、アスカは戦闘を再開する。

 大盾を構える腕はもう無い。隻腕の《グレートソード》でアスカはミノタウロスの大斧を迎え撃つ。

 火花が散り、金属音が響く。その度に腕の肌が破れ、血が滲む。

 盾無き不死に防ぎ切れる攻撃などない。石の大斧を凌ぐ程に、脆い体が壊れていく。

 それでもアスカはミノタウロスを殺さなかった。まだ死なない。まだ耐えられる。

 ならば目の前で猛る『未知』を、少しでも『既知』に変えていく。それが偏執(へんしつ)的なまでに縛られた、“灰”の戦い方だった。

 だが。それを見せられるベルは。闇色の長衣から血が滴る瞬間を見た少年は、固まった掌を強く握り込む。

 アスカは察する。ベルがまた動こうとしていると。それを防ぐために筋力でミノタウロスを吹き飛ばし、武装を変えようとした、その瞬間。

 

「――()()()! ()()()!!」

 

 放たれたベルの声に、不死は留まり。

 少年は、『線』を踏み越えた。

 

「……僕はもう、逃げたくないんだ……」

「――ベル」

「……貴方の『家族』で、いたいんだ……!」

 

 ベルは、泣いていた。

 それは家族を想う涙だった。自分の不甲斐なさを責める痛みの発露だった。

 

「だから、どけよ……どいてよ、アスカ……」

 

 『ミノタウロス』、そして『“灰”』。

 ベル・クラネルの心を苛む恐怖の茨。

 それを今、引き千切り、少年は一歩踏み出した。

 もう、何からも、逃げないために。

 

「……」

 

 アスカはミノタウロスから視線を外さない。

 銀の眼光の圧力で怪物を動かさないために――これから語る言葉を、邪魔されないために。

 

「ベル。一つだけ、わがままを言わせてくれ。

 この『ミノタウロス』は危険だ。貴公の恐怖など、霧に(けぶ)る程に強い。

 それに貴公が、ベル・クラネルが勝つには――死線を一度、越えなければならない」

 

 アスカが構えを解く。《グレートソード》がソウルに消える。

 

「受け入れてくれなくてもいい。この場はもう、貴公に譲る。

 だから、どうか、一度だけ――私の手出しを、赦して欲しい」

「……アスカ……」

 

 振り向かず、幼女は呟いた。その表情がどうなっているかはベルには分からない。

 

「ありがとう、アスカ」

 

 それでもベルは涙を拭い、はっきりとそう言った。そこにはもう、怯えも、自責もない。

 アスカが下がる。ベルが前に進む。眼前には不審げに唸る『ミノタウロス』。

 心傷(きず)に根付く怪物の姿に、少年は漆黒の刃(ヘスティア・ナイフ)両刃短剣(バゼラード)を抜く。

 アスカと家族であるために。過去の恐怖を乗り越えるために。

 何よりも――今は遠き憧憬(あの人)に追いつくために。

 ベル・クラネルの冒険が、始まった。

 

 

 

 

 ベルが繰り出した最初の一手は、【魔法】を使う事だった。

 【魔法】。ベルには魔導書(グリモア)によって掘り起こされた炎雷の可能性(ファイアボルト)と、ヘスティアから授かった【奇跡】がある。

 その【奇跡】を、即座に使う。『ミスリル』製の《ヘスティア・ナイフ》を触媒に、ベルは【炉の加護】を発動した。

 少年を包む淡い燐光。(ほの)かで暖かい力がベルの耐性、回復力、持久力を引き上げる。

 【炉の加護】は、アスカとの訓練でいつも最初に使う奇跡だ。アスカは苛烈で、容赦がない。戦いの途中で【炉の加護】を使う時間なんて与えてくれない。

 故に初手。それも【ファイアボルト】のような速攻性を求めたベルは、驚くべき速度で奇跡を発動した。

 ――沈黙を保っていた『ミノタウロス』。その獰猛な踏み込みに、かろうじて反応できる程度の速さで。

 

『ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

「――ッ!」

 

 振り下ろされる大戦斧。少年を容易く叩き潰す死の急迫をベルは横へ飛んで躱す。

 次いで反撃。《バゼラード》で斬りつけようとして、ベルは瞬間的に防御を選択した。

 剛腕による横殴り。太く赤黒い一撃に刃を叩きつけて僅かに逸らす。その隙に体をねじ込むようにベルは回避した。

 地面を転がり、草原を蹴り上げて距離を取る。

 

(強い……!)

 

 分かっていた。分かっていた事だ。

 『力』はベルの遥か上。現時点では足元にすら届かない。

 『敏捷』もかろうじて互角かどうか。一手誤ればあっさりと踏み潰される。

 『耐久』、比べるべくもない。そもそもの体躯も、怪物の生命力も、ベルとは格が違う。

 勝っているのは『器用』と『魔力』程度だろう。それさえも稚拙な扱いをすれば、この化物は食い殺してくるに違いない。

 『ミノタウロス』。現状のベルでは敵うべくもない『怪物』。

 悪寒、震え。手足が冷え、恐怖が首筋を這い上がる。それを噛み殺して、少年は奮い立った。

 ここはもう、ベル・クラネルの戦場だ。敗北は許されない。逃げるなんて以ての外。

 眼に映るのは、牛頭の怪物ただ一体。恐怖の象徴に打ち勝つために――少年は、一歩を踏み締める。

 

 

 

 

「手を出すなよ、アイズ」

「……」

「あれは、ベルの戦いだ。誰にも邪魔をさせるつもりはない」

 

 眼前で繰り広げられる激闘。少年と怪物の戦いを眺め、“灰”は言葉を擦り鳴らす。

 隣に立つのは、金の少女。無言のアイズは“灰”と同じように、ぶつかり合う剣戟を見つめている。

 

「どうしてベル様が戦ってるんですか!?」

 

 そこに割り込んだのはリリルカだった。ベルが戻るのを止められなかった彼女は遠征中の【ロキ・ファミリア】を見つけ、ここまで誘導してきたのだ。

 ミノタウロスは既にアスカが仕留めているだろう。頭のどこかでそう思っていたリリルカは、怪物に挑むベルの姿が信じられず、アスカに食って掛かる。

 

「アスカ様! どうしてベル様に戦わせてるんですか!?」

「ベルが、そう望んだからだ」

「そう望んだから!? そんな理由で戦わせてるんですか!?」

「ああ」

「〜〜ッ!? あ、あの『ミノタウロス』は、アスカ様が腕と眼をやられてしまうくらい強いのでしょう!? それなのに、望んだからなんて理由で……!」

「私にとっては、それが全てなのだよ。リリルカ」

 

 肩を掴んで揺さぶるリリルカに目もくれず、アスカはただ眺め続ける。それに苛立ちすら覚える小人族(パルゥム)は、更に言い募ろうとして剣戟の音に身を竦ませた。

 弾ける轟音、徐々に削られていく草原。たった一合でさえ死に直結するような攻防にリリルカは真っ青な顔を引きつらせる。

 

「で、でも、あんなの! ベル様が死んでしまいますよ!?」

「そうだな。死んでしまうかも知れない。それは、仕方のない事だ」

「仕方ない事!? 何を言っているのですかアスカ様は!? ベル様が死んだっていいって言うんですか!?」

「――だって、それは、わがままだろう?」

「え?」

「わがままじゃあないか。命を賭して戦う者に、命を守れと横槍を入れるのは」

 

 そう呟くアスカは、何の変わりもない。

 だが(かす)かに、その暗い瞳には、悲痛の色が漂っているようにも見える。

 

「ベル・クラネルは、戦うと決めた。自らより遥か強大な怪物と。

 ならば、私に出来る事はない。ある筈もない。私も、貴公も、蚊帳の外だ。余計な真似は、ベルの心に罅を入れる」

「それでも死ぬよりは、マシじゃないですかぁ!?」

「心の罅は、やがて広がる。何時しか割れて、折れ朽ちる。

 心の死は、魂の死と同じだ。今ここで私がベルを助ければ、ベルはベル・クラネルで失くなる。

 ――そう。きっと、この日の()()に。この先全ての生涯を捧げる程に、心折れてしまうだろう」

「……!?」

「だから私は、何もしない。見ているだけだ。ただ一度を除いて、私には、それしか出来ない」

 

 重い言葉だった。常日頃の真実ではあれ他人事のように話す幼女の、強い実感の()もった言葉。

 心折れれば、人は死ぬ。まるでそう云うかの如く、アスカは呟いた。それを覆す術なんて、リリルカは持ち合わせていなかった。

 

「……それでも、リリは……! 冒険者様! お願いします、ベル様を助けてください!」

 

 リリルカは意識を切り替える。アスカと同じように戦いを凝望する冒険者たちに縋り付く。

 

「何でもします! リリにできることなら何だってやります!! だから、だからどうか、ベル様を……!」

 

 リリルカは必死だった。もしベルを助けてくれるなら、文字通り何でもするつもりだった。

 あの人にいなくなってほしくない。あの人を失いたくない。小人族(パルゥム)の少女はその一心で、必死に懇願を叫び続ける。

 でも、誰も動いてくれない。人間(ヒューマン)の少女も、狼人(ウェアウルフ)の男性も、アマゾネスの姉妹も、エルフの魔道士も、誰もが戦いを見つめるばかりだ。

 それにリリルカが絶望しかけた、その時。そっと肩に手を置いたのは、小人族(パルゥム)の勇者だった。

 

「落ち着いて。皆、君を無視しているんじゃない」

「え……?」

「よく見るんだ。あそこには、僕らが守るべき弱者はいない」

 

 そう言って、金髪碧眼の小人族(パルゥム)はリリルカの視線を促す。涙ぐんでいたリリルカが、栗色の瞳を向ければ。

 そこには。怪物に圧倒されながらも、決して怖じけずに食らいつく、少年の姿があった。

 

「彼は、戦っている。一人の冒険者として、命を賭して冒険しているんだ」

「――」

「君の気持ちはよく分かる。けれど、僕らも冒険者だ。あの戦いに踏み入るなんて、そんな無粋な真似は出来ないよ」

「……ベル様……」

 

 そこまで言われて、リリルカはやっと分かった。ベルは今、冒険をしているのだと。

 身勝手で、命知らずの冒険者。リリルカはなれず、ずっと見ているだけだった数多の冒険者達と同じように、ベルもまた誰も顧みないで命を賭しているのだ。

 リリルカは、胸の前で両指を組んで強く握り締めた。眦に涙滴を溜めたまま、眼前の戦いから決して目を逸らさずに祈る。

 ベル・クラネルの勝利と、無事を願って。

 ともすれば敬虔な信徒のようなリリルカの姿に喜びの笑みを浮かべて、小人族(パルゥム)の勇者、フィンは“灰”の側に並び立った。

 

「……彼が、君の言っていた『家族』かい?」

「ああ、そうだ。フィン・ディムナ」

「良いね、彼は。すごく良い」

「そうか」

 

 親指を握り締めるフィンに“灰”は淡白な反応を返す。小人族(パルゥム)の勇者は気にせず、しかし表情を改めて声を発した。

 

「けれど、彼では勝てない」

 

 断言する。リリルカが驚愕する最中、他の冒険者の声が続いた。

 

「あのミノタウロス……」

「強すぎる……!?」

「ああ。Lv.(レベル)2の範疇にない」

 

 彼らの言葉を掻き消すような轟音が空気を裂く。刃のない石の大斧が必死に駆ける少年の影を叩き潰し、草原を破砕する。

 その『力』は紛れもなく、Lv.(レベル)2を超えていた。隙を見て繰り出される少年の一撃も、分厚い皮膚の薄皮一枚しか傷つけられない。

 ミノタウロスに(あら)ざる『力』、Lv.(レベル)1では届かない『耐久』。鈍重さ故に『敏捷』では互角でも、それ以外が話にならない。

 焦燥に焼かれるベルが【ファイアボルト】を五連射する。無詠唱の速攻魔法、冒険者たちが驚くも、それが牛頭の怪物に通じぬ事が本能的に分かっていた。

 爆炎を踏み散らしながら現れる白骨の頭。振り下ろされる大戦斧を少年はギリギリで刃を当て、勢いを利用して紙一重で回避する。

 

 ベルが生きているのは、ミノタウロスが稚拙だからだった。知性を得ながら、石の大斧を振るう事しか能がない。攻撃の連携、獲物を追い詰める動きがなっちゃいない。

 ベルを生かしているのは、過酷な訓練の日々だった。幼女が下地を鍛え、金の少女の手で昇華されたベルの『技』は、『駆け引き』を伴って怪物の致命の一撃をかろうじて凌いでいた。

 しかしそれも、時間の問題だ。限界は近い。牛頭の破滅の斧が少年の命を粉砕する時が必ず来る。

 それが見えた、フィン・ディムナは。変わらず静観し続ける“灰”に尋ねる。

 

「……いいのかい? このままでは、彼は死んでしまうよ?」

「ああ」

「あのミノタウロス……恐らくは亜種だろうけど、その力はLv.(レベル)3に達している。彼は良く戦っているけれど、どう見積もってもLv.(レベル)1止まりだ。

 彼が、勝つ道理はない」

「そうだな」

「それでもやらせるんだね。それは君が一度だけなら手出しできるからかな?」

「いや。ベルとの約束は、私のわがままだ。元より勘定に入れていない。

 アレと戦うと、ベルが決めた。ならば私に口は出せない。ただ見る事が、私に許された行いだ。

 それに、何より――やってみなければ、分からんだろう?」

「……結果として、彼が死んでしまうだろうね」

「承知の上だ。ベル・クラネルは一度、死線を越えなければならない。

 それが出来なければ、敗北は初めから目に見えている」

「……」

 

 フィンはちらりと“灰”を見る。淡々と語った灰髪の小人族(パルゥム)は、フィンの記憶と変わらぬ姿で立ち尽くしている。

 その言葉に、偽りはない。だが本当に見殺しにするつもりなのか? 片目を(つむ)り、思案しつつも眼前の戦いに意識を向ける。

 刃の咬合が続けられる。振り回される大戦斧、紫紺と銀閃を描く二刀。『技』と『駆け引き』でどうにか場を繋いでいた少年が、徐々に押され始める。

 轟音を爆発させる死の剛閃。草原を砕きルームを破壊する怪物の猛攻が、ベルの退路を断っていく。

 やがて、その時は訪れた。悲鳴のような金属音を上げて《バゼラード》が砕け散る。同時にミノタウロスの強すぎる力にベルの体勢が完全に崩れた。

 死地にあって致命的な隙。それを見逃す怪物ではない。ミノタウロスは既に石の大斧から片手を離し、死の砲弾を引き絞っていた。

 小人族(パルゥム)の少女が叫ぶ。アマゾネスの姉妹が息を呑む。エルフの魔道士が目を背け、金髪碧眼の勇者が目を細める。

 狼人(ウェアウルフ)の男と、金の少女が、はっきりと凝望し。

 灰髪の不死は、既にそこにはいなかった。

 

 時が止まる。圧縮された意識の時間、ゆっくりと自身に迫る怪物の拳をベルは見ていた。

 脳裏に流れる走馬灯。大切な人たちの笑顔と、忘れられない憧憬。反射的に動けと体に命じるも、肉体は摂理に逆らってくれない。

 死ぬ。全ての終わりが近づいてくる。頭が真っ白になって、自分の死を見続けるしかなくなる。

 

 瞬間、時は戻り。

 迷宮の一角に、有り触れた血の大花が咲く。

 

 それは、ベルを押し退けて割り込んだ。灰髪の不死の、血潮だった。

 

「――ァ――ァアァ――!?」

 

 少年の口から、言葉にならない声が吐き出される。

 貫かれていた。幼女の胴体など易易と超える怪物の太腕に。鎖骨から下が、腰から上が完全に吹き飛んでいる。

 ベルの表情が絶望に染まる。涙が、悲鳴が、溢れそうになる。

 それを止めたのは。致命傷を負ってなお前を見続ける、アスカの姿だった。

 

「ベル」

 

 古鐘の声が擦り鳴らされる。凍てついた太陽のような銀の瞳には、ただ一つしか映っていない。

 即ち、敵。白骨を被る『ミノタウロス』。

 それが、立ち向かう者のあるべき姿だと云うように。

 アスカはただ前を、敵を見ていた。

 

「勝てよ」

 

 怪物が咆哮し、赤黒い腕が振り回される。

 振り上げられた灰髪の幼女は、ずるりと腕に血を残し――遥か彼方に、投げ捨てられた。

 

 

 

 

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 本当にごめんなさい――アスカ。

 僕の願いが貴方を傷つけてしまった。

 僕の冒険が貴方にひどい選択をさせてしまった。

 大切な人を守るために、貴方がどうするかなんて、分かっていたはずなのに。

 『家族』だから――僕が神様を守るために、囮になろうとした事があったように。

 貴方だってそうするんだと、僕は気付けなかった。

 ごめんなさい、アスカ。

 本当に、本当に――ごめんなさい。

 

 ありがとう。

 ありがとう。

 本当に、ありがとう。

 貴方は、僕を信じてくれた。

 貴方なら、『ミノタウロス』だって倒せたのに。

 僕が勝つと信じて、後を託してくれた。

 本当に、ありがとう――アスカ。

 

 僕はもう、逃げない。

 貴方からも。

 あの人からも。

 『ミノタウロス』からも。

 自分の心で燃えている、この想いからも。

 

 僕はもう、逃げない。

 想いが、炎のように燃え上がった。

 

 

 

 

「嘘……」

 

 ガタリと、フレイヤは立ち上がった。

 摩天楼(バベル)最上階、スイートルーム。

 『神の鏡』を通して戦況を見守っていたフレイヤは、信じられないとばかりに瞠目している。

 ――最初は、つまらない真似をしたと思ったものだ。

 灰髪の小人族(パルゥム)の突然の横槍。ベルを庇い致命の一撃を受けた光景に、フレイヤは落胆していた。

 余計な真似だった。水を差された形だった。例えあの場面で死んだとしても、彼が最後まで全うすべきだったのに、と。

 けれど、そんな思いは即座に吹き飛んだ。代わりに湧き上がったのは、歓喜と恍惚。

 

「ああ、こんな事が有り得るの……!?」

 

 肢体を抱きしめ、熱い吐息を女神は零す。

 銀瞳に映る少年の魂は、眼を焼く程に輝きながら、澄み切った透明な色。

 ()()()()()()()()()もまた、純白の炎を煌めかせている。

 先程までは無かった光だ。魂は輝けど、形を成して燃え上がるなんてフレイヤは見た事がない。

 数多の魂を見通した美の女神をして、『未知』の光景。どうでもいい小人族(パルゥム)の死と引き換えに現れた炎に、フレイヤは打ち震える。

 ()()()()()()

 少年の中で、『可能性』が、()()()()

 

 

 

 

『ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 二つの咆哮がぶつかり合い、石の大斧と漆黒のナイフが(しのぎ)を削る。

 ベルの動きは加速していた。もはや迷いはない、深紅(ルベライト)の瞳にはミノタウロス以外映っていない。

 僅かな恐怖、躊躇、迷い。そういった小さな引っ掛かりが全て外れ、ベルは全力を引き出している。

 それを後押しするのは、『勇気』。死地を前に、勝利に向かい、一歩を踏み出す心。

 アスカから教わり、今しがた目の前で体現された『英雄』の姿を、ベルは必死で追っていた。

 

 思い出すのは、アスカの語った『名も無き者達の伝承』。

 救い難い者がいた。報われぬ男がいた。全てを失う運命(さだめ)にある女がいた。

 誇りもなく、歓声もない。誰の為でもない旅を続け、戦い続ける無名達。

 その生涯に栄光はない。その戦いに未来はない。

 秘めた願いは、何一つ叶わない。

 それでも、彼らは。心折れる事なく、戦い続けた。

 どんなに強大な敵と相対しても、決して諦める事なく。

 前へ。ただ前へ。歩き続けた。

 

 その想いが燃え上がる。

 一瞬たりとも怪物から視線を逸らさず、ベルは戦い続ける。

 彼らのように。家族(アスカ)のように。あの人(アイズ)のように。

 自分に持てる全てを束ね、眼前のミノタウロスに全力で挑む。

 

「すごい――」

 

 大双刃を握るアマゾネスが、瞳を輝かせて戦いに魅入る。けれどその横で、エルフの魔道士が目を細める。

 

「だが、まだだ」

「ああ。彼には武器がない」

 

 フィンが言葉を引き継いだ。戦況はその通りに推移している。

 ベル・クラネルには、武器がない。《ヘスティア・ナイフ》だけでは致命傷を与えられない。

 武器を奪う事も不可能だろう。相手はLv.(レベル)3にすら達するミノタウロス。急所を狙った所で、なりふり構わずベルを叩き潰せる『強靭』がある。

 

(――そんな事、関係ないだろっ!!)

 

 心中で、ベルは吼えた。そうだ、何も関係はない。

 全てを燃やせ、想いを吼えろ。(おまえ)はもう、この怪物に通じる武器を知っているだろう!?

 深紅(ルベライト)の眼を見開く。少年の振るう漆黒の刃。『ミスリル』で出来た《神様のナイフ》。

 体を包む【炉の加護】が、ほんの少し熱くなったように感じた。そうだ、《ヘスティア・ナイフ》は()()()()()()()()()

 だったら。だったら、出来るはずだ!! ――ベルは、ナイフを強く握り締め。

 

「――【ファイアボルト】!!!」

 

 大咆哮。ありったけの精神力(マインド)を注いだ炎の雷を、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ミノタウロスが石の大斧を振り被る。空気を割って叩きつけられる大剛断。

 それに対し、ベルは。全力で《ヘスティア・ナイフ》を振り抜いた。

 一瞬の交差。互いに背を向けるベルとミノタウロス。

 次の瞬間。それまで掠り傷しかなかった怪物の胸に、斬傷が刻まれた。

 

「――!?」

『ヴモォッ!?』

 

 冒険者達が驚愕し、ミノタウロスが痛苦の声を上げる。

 それは困惑だった。これまで攻撃のほとんどが意味を成さなかった獲物が、突然牙を剥いた。そう感じるミノタウロスの背後で、ベルがゆっくりと振り向く。

 そこには。少年の握る漆黒のナイフから放たれる――()()()が存在していた。

 

「何、あれ――!?」

付与魔法(エンチャント)……!?」

「いや、違う。あれは――」

 

「――“ソウルの業”だ」

 

 擦り鳴らされる声に、冒険者たちの視線が集まる。大半が固唾を呑んで見守るのは、何事もなく立つ灰髪の小人族(パルゥム)

 投げ捨てられた結果、灰髪のほとんどが正面に垂れ下がる“灰”は、なんら気にした風もなく言葉を続ける。

 

「あれは、名も無き“ソウルの業”。自らのソウルを刃と成す業だ」

「……君が教えたのかい?」

「いや、教えてはいない。見せただけだ。そして見ただけで為せる程、容易い業でもない。……だが、あるいは……」

「何か心当たりがあるのか?」

「……いや。今は意味がないだろう。それよりも、見るがいい。アレらの交わす戦いを」

 

 フィンとエルフの魔道士に挟まれる“灰”は、銀の半眼で戦場を見定める。

 そこで起こっているのは、互角の闘争。ついに怪物に届く牙を得たベルと、獰猛に荒れ狂うミノタウロスの死闘だった。

 

「火の時代の戦いは、(ソウル)を懸けた殺し合い。魂を削る戦いに通じぬ攻撃など存在しない。

 海は雨に痛み、落雷は太陽の光を斬り裂き、炎は炎に焼き尽くされる。

 例外はない。例え遥か格上だとて――その喉元に、貧者の刃は届き得る」

 

 “灰”の言葉通り、戦況は最早ベルの防戦一方ではなくなっている。

 《ヘスティア・ナイフ》より生じる炎の刃がミノタウロスの体躯を傷つける。時には深い斬傷すら残し、牛頭から苦悶が漏れる。

 【魔法】もまた変化していた。断ち難く、耐熱耐寒に優れたミノタウロスの外皮。そしてLv.(レベル)3と同等の度を超した『耐久』がベルの魔法を無効化していた筈が、今は少しずつ焼かれ始めている。

 【ファイアボルト】に変化はない。ただ、少年は全霊を乗せているのだ。自らのソウルすら炎雷に宿し、それは確実に怪物の魂を焼いていた。

 対するミノタウロスもやられっぱなしではない。調子に乗るなよと言わんばかりに筋肉を膨張させ、石の大斧で薙ぎ払う。

 その『強靭』は限度を超えていた。どんなに傷を負おうと、速射される炎に焼かれようと、牛頭の怪物は止まらない。腕を半ば断たれようとも、今まで以上の『力』で叩き潰さんとする。

 

 ――それは正に、魂を懸けた殺し合いだった。怪物が猛り狂い、貧者の少年が立ち向かう。通常では成立し得ぬ均衡が保たれ、死闘を繰り広げている。

 それは、誰も知らぬ。だが遠いかつてに存在した、火の時代の戦いだった。

 

「『――――――――――――――――――――――――――――――ァッッッ!!!』」

 

 決着が近い。意味を成さない咆哮が重なり、ベルとミノタウロスがぶつかり合う。

 炎の刃は、石の大斧と打ち合える。だが強度が足りないとベルは本能的に分かっていた。

 故に『技』、漆黒のナイフより長大な炎の刃で逸らし、受け流し、弾き、あるいは()()()()――反撃する。

 ミノタウロスは、とっくに防御を捨てていた。その身には幾多の傷が刻まれ、怪物の生命力を蝕んでいく。それでもなお突進し、一撃を以て獲物の命を屠らんとする。

 織り成される攻防。紙一重の死の回避。重なり合い、ぶつかり合い――やがて、ミノタウロスの『強靭』が、決定的な一撃を放つ。

 

『オォ、ヴモォオオオオオオオオッッッ!!!』

「――ッッッ!!」

 

 『強靭』に任せた渾身の大剛断。代わりに致命傷を負おうが、確実に仕留めると魂に誓った全霊の一撃。

 ベル・クラネルは、避けられない。回避も防御も反撃も、何もかもを踏み越えてその一撃は叩き込まれる。

 もしも、ベル・クラネルが。特別ではない、ただの一般的な冒険者だったなら。

 その一撃を頭から受けて、彼の生涯は終わっていた。

 もしも、ベル・クラネルが。第一級冒険者にも劣らぬ強い精神を持っていたなら。

 片腕を犠牲にして一撃を凌ぎ、怪物に致命の反撃をしただろう。

 だが、ベル・クラネルはどちらでもない。(おわり)も犠牲も、許容なんてしてやらない。

 忘れるな。前を見ろ。家族の教えが頭をクリアにする。

 一歩を踏み出せ。そのための『勇気』を、皆から、あの人から――受け継いで来ただろう!

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」

 

 漆黒のナイフを引き絞る。炎の刃が追随する。

 見ろ、見ろ、見ろ! 決して眼を逸らすな! 急迫するミノタウロスの一撃、その側面に、勝機が見えた。

 放たれる炎刃。捉えるは石の大斧の重心。

 紫紺炎閃。斧の側面に叩きつけられたベルの渾身は、完璧にミノタウロスの一撃を打ち払った。

 

『――ッッッ!?』

 

 牛頭の怪物が驚愕する。それを置いてベルは刃を振り被る。

 『パリィ』。全力で敵の攻撃を打ち払う『賭け』。それに勝ったベルは、致命的な隙を晒すミノタウロスに、致命の一撃を叩き込んだ。

 即ち、急所――胸の中央、『魔石』狙いの一撃を。

 

『ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 素直にやられるミノタウロスではない。身を捩り、何とか『魔石』を砕かれる事だけは避ける。

 しかし代償は大きかった。右胸を貫かれ、そのまま横に振り抜かれた炎刃は、散々傷つけられた怪物の右腕を横断し、切断する。

 石の大斧が地に落ちる。ミノタウロスが背後によろめく。武器を再び握らせまいと、ベル・クラネルが前進する。

 

『フゥ――ヴゥッヴフゥ、ウゥ――ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』

 

 このままでは終わるまいと、ミノタウロスは決死の姿勢を取った。

 片腕を地に突き、腰を上げる突進の姿勢。彼我の距離は近く、威力もさほど期待できない。それでもミノタウロスは、この一撃に『賭けた』。

 対し、ベルは。漆黒のナイフを大上段に構え、【ファイアボルト】を更に撃ち込む。炎の刃は輝きを増し、赫から白へ、純白に近くなる。

 一瞬の沈黙。

 双方は、同時に動き出した。

 

『ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』

「あああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」

 

 肉薄する両者。激突するミノタウロスの角と純白の炎刃。

 拮抗は一瞬、肉体面で、『力』でベルの遥か上を行くミノタウロスが押し切ろうとする。

 だが。

 

「ファイアボルトォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 全ての想いを乗せた、少年の咆哮。

 漆黒のナイフから溢れる炎の刃が、その魂と同じほどに光り輝き――

 

 決着。

 互いに睨み合ったままの姿勢で止まる、ベル・クラネルとミノタウロス。

 数秒後。ボロリと、音を立てて落ちたのは――ミノタウロスの角。

 

 運命を分けたのは、(ソウル)の差。

 肉体を凌駕する程に燃え上がったベルのソウルが、ミノタウロスのソウルに打ち勝った。

 だから。

 

「――僕の、勝ちだ」

 

 宣言する。眼前の怪物に、全てを懸けた一人の雄として。

 それに、牛頭に被る白骨の奥で、ミノタウロスが笑ったような気がした。

 そして、倒れる。片角ごと胴体を半ばまで両断されたミノタウロスは、鈍重な音を立てて地に伏した。

 それが、ベル・クラネルの冒険の、終着だった。

 

 

 

 

「――……勝ちやがった」

 

 狼人(ウェアウルフ)の男が、牙を剥きながら静かに言う。

 

「……精神枯渇(マインドゼロ)

「た、立ったまま気絶しちゃってる……」

 

 アマゾネスの姉妹の言葉がそれに続き、直後、ベルの名前を呼びながらリリルカが少年に駆け寄った。

 その後を、灰髪の小人族(パルゥム)が小さな足取りで辿っていく。

 

「……」

 

 それをフィンは、親指を握り締めながら鋭い眼差しで見ていた。

 前方に歩く“灰”。普段そこにあるのは生まれより伸びる灰髪で、それ以外は何も見えない。

 けれど、灰髪のほとんどが前に回った今なら、見える。“灰”の背中が――いや、背中がある筈の場所が。

 そこには、何も無かった。ぽっかりと暗い穴のように、胴の九割が失われていた。

 

「……」

 

 冒険者達の胸中に過ぎるのは、恐れか、警戒心か。何事もなく歩く灰髪の幼女は、それ自体が尋常ではない。

 穴が空いているというレベルではない。右側に残った筋肉の残骸と皮膚の切れ端で、かろうじて繋がっているような状態。内臓も骨格も、胴体にある生命器官の何もかもが吹き飛んでいる。

 それなのに、“灰”は平然と歩いていた。背骨がないのに尋常に立ち、断面では血が蠢くように巡っている。

 ――不死。その言葉を、幾度となく“灰”の口から聞いた。その力と合わせ、フィン達は分かったつもりになっていた。

 けれども。ただの人類なら、即死している姿で、当然のように歩く姿。

 それは相容れぬ異物感と、それに追随する悍ましさを、冒険者達の心に芽生えさせる。

 これが、不死。死なず。死なぬ者。

 この日、人類は初めて、火の時代の不死に(まみ)えた。

 

「ア、アスカ様! ベル様が、ベル様がぁ!」

「落ち着け、リリルカ。気絶しているだけだ。傷は今、私が治す」

 

 感情がぐちゃぐちゃになっているリリルカを宥めて、アスカは聖鈴を取り出す。

 魔法円(マジックサークル)が展開し、祈りを捧げ発動するのは、【太陽の光の癒し】。

 ルームに広がる暖かな太陽の光が、生ける者の全ての傷を癒した。

 ベルの傷も。そして――アスカの傷も。

 左腕が生え、失った右眼が戻り、何もなかった胴体が蘇る。その光景に瞠目していた冒険者たちは、全員が視線を一箇所に集中させる。

 体の右側に残っていた、千切られた服の名残。それによってまだ服が繋がり、着ていると言える“灰”の、晒された背に刻まれた『神の恩恵(ファルナ)』に。

 

「――!」

「おい、待て、アイズ!」

 

 エルフの魔道士の制止を無視して、金の少女、アイズ・ヴァレンシュタインがアスカに近づく。

 アイズは【神聖文字(ヒエログリフ)】が読める。だからそれによって書かれた『神の恩恵(ファルナ)』の内容を知る事が出来る。

 強さを貪欲に求める少女は、そこにアスカの力の秘密があるかも知れないと思い、読んだ。そして、驚愕と困惑の混ざった声を、麗しい唇から落とす。

 

「――【暗い(ダーク)(ソウル)】……?」

「……ああ。成程。貴公は、【神聖文字(ヒエログリフ)】が読めるのだな」

 

 安静に寝かせたベルの様子見をリリルカに任せ、アスカはゆっくりと振り向いた。そこにはアスカと呼ばれる姿と、“灰”と呼ばれる姿が混在している。

 

「……全能力(アビリティ)初期値(オールゼロ)……」

「ああ。それは前に話した通りだ」

「……経験値(エクセリア)、獲得不可……?」

「そうだ。私の『神の恩恵(ファルナ)』は、これ以上成長しない」

「……アスカの、強さは……」

「『神の恩恵(ファルナ)』ではない。私の力は、恩恵(これ)とは別にある」

「……」

 

 アイズは黙りこくる。金色の瞳に揺れるのは、如何なる感情か。興味のない“灰”は、近づいてくるフィンに眼をやりつつ、ソウルで衣服を編み直す。

 

「……彼の名前は、なんて言うんだい?」

「ベル・クラネル」

「覚えておくよ。それと、一つ聞きたいんだけど」

「何だ?」

「君は彼に、何かしたかい?」

「いいや、何もしていない。少なくとも、私しか知らないであろう方法は、施していない」

「……それにしては、彼はLv.(レベル)1とはとても思えない力を持っていた。どうしてかな?」

「……そうだな……貴公らがここにいる。それだけで借りになる。ならば私も、その質問に答えよう。

 ベルの能力値(アビリティ)を、貴公らに明かす」

「アスカ様!?」

 

 幼女の言葉に劇的に反応したのはリリルカだった。少しだけ冷静さを取り戻した彼女は、血迷った物言いをするアスカを止めようとする。

 それを制したのは、視線だけ背後に投げたアスカの声だった。

 

「リリルカ。貴公はどうやって、【ロキ・ファミリア】をここに招いた?」

「っ!?」

「なんでもすると、貴公は言っていた。結果は伴わなくとも、履行の義務があると私は考える」

「でも……!」

「問題はない。私が何とかしよう。それに、リリルカ。貴公もベルも、私の家族だ。だから――何があろうと、私が守る」

 

 断言され、何も言えなくなるリリルカ。視線を戻し、“灰”はフィンと向き合う。

 

「ベルの能力値(アビリティ)は、オール()()

「……何だって?」

「アビリティオールSSだ。ベルの能力値(アビリティ)は、限界を超えている」

「「「「――!?」」」」

 

 顕著な反応を示したのは、【ロキ・ファミリア】でも若手の幹部だった。

 アイズ、ベート、ティオナ、ティオネ。リヴェリアも目を瞠り、フィンは思案する。

 その中で、アイズは。思うがままを口にした。

 

「……その、方法は?」

「……アイズ」

「どうすれば……アビリティの限界を、超えられる?」

「さてな」

 

 真剣に問うアイズにアスカは肩を竦める。

 

「詳細は私にも分からんし、知っていたとして、教えるわけにはいかない。勝手に想像する事だ」

「……」

「睨まれたとて、私は意見を翻さない。だが、そうだな……貴公らが遠征から戻った後であれば、教えてやれる事がある」

「!」

 

 顕著な反応を見せるアイズを置いて、“灰”は視線をフィンに投げる。

 

「フィン・ディムナ。24階層の件の依頼主から伝言だ」

「……何かな?」

「『『宝玉』を解析した。その結果、限りなく精霊とモンスターが融合した存在に近い事が判明した』」

「――!!」

「『ダンジョン深層には、その大元と見られる存在がいると推測できる』。以上だ」

「……なぜ君が、伝言を?」

「依頼されたからだ。そしてフィン・ディムナ。推測が正しければ、貴公らとて危うい存在が、待ち受けている事になる。

 それでもし、死なれては、私が困る。故に――私の武装を貸し出そう」

 

 “灰”は右手にソウルを集める。現れたのは、多種多様の指輪だった。

 同じ形状の指輪もそれなりに交ざっている。視線で素早く吟味したフィンは、“灰”に説明を求めた。

 

「それはリヴェリアに渡した例の指輪かい? 見たところ、種類が違うようだけど」

「多くが【斑方石の指輪】と【すべての退魔の指輪】だ。どちらも魔法に対する防御力を上げる。

 推測される相手が相手だ。魔法への備えは多い方が良いだろう」

「……他の指輪の効果は?」

「これは【フリンの指輪】だ。身軽であるほど力を増す性質がある。

 【獅子の指輪】は刺突による反撃時にダメージを底上げする。

 【刃の指輪】は純粋な攻撃力の強化だ。『力』ではなく、武器そのものを強化する。

 後は、そうだな……【邪眼の指輪】辺りは貴公に有用だろう。敵を殺す事で生命力を奪い、傷を癒す。呪いの類だが、使い道のある指輪だ」

「一つ、聞いても良いかい?」

「何だ?」

「なぜ君は、これを僕達に貸し出そうとするのかな」

 

 碧眼を細め、尋ねてくるフィン。“灰”は間髪入れず答えを発する。

 

「理由は二つ。一つは、貴公らに借りが出来たからだ」

「借り?」

「そうだ。貴公らがここに来たのは、リリルカの導きあっての事だろう。そしてそれは、「何でもする」という対価を示しての行いだ。

 ならば私には、それを返す義務がある」

「……義理堅いね。けれど、この程度じゃ貸しにもならない。何より僕らは既に、君に対する借りがあるんだけどね?」

「後から蒸し返されるのも面倒だ。余計な負い目は、早めに消化するに限る。

 何より――貴公らに対する貸しを、この程度で相殺したくはない」

「……成程。交渉材料(カード)は別に持っておきたい、という事か。賢しいね、君は」

「貴公がそう思うのなら、そうなのだろう」

「もう一つの理由は?」

「借りを返す前に死なれては困る。貴公らが遠征から戻った時に、借りは返すつもりだ。

 だから生きて、戻ってこい。これはその為の貸し出しである」

「……分かった、受け取ろう。必ず君に、返しに来るよ」

 

 差し出される指輪を、フィンは厳かに受け取った。それを確認した“灰”は、順次武装を渡していく。

 武器は嵩張る。故に基本は指輪だけだ。【斑方石の指輪】と【すべての退魔の指輪】を基本とし、それぞれに適すると思われる指輪を“灰”は渡していく。

 アイズには【緑花の指輪】【刃の指輪】【佇む竜印の指輪】【ファランの指輪】を。

 リヴェリアには【吠える竜印の指輪】【澄んだ蒼石の指輪】【古老の指輪】を。

 ティオナには【緑花の指輪】【刃の指輪】【封壊の指甲】【木目の指輪】を。

 ティオネには【緑花の指輪】【刃の指輪】【フリンの指輪】【邪眼の指輪】を。

 そしてこの場にいないガレスに【鉄の加護の指輪】【ハベルの指輪】【巨人の指輪】【狼の指輪】を。

 そして二軍に相当する者達のために【斑宝石の指輪】【すべての退魔の指輪】【封壊の指甲】【木目の指輪】を複数渡した。

 

「【封壊の指甲】と【木目の指輪】は装備の耐久度を上げる。『魔剣』に効力を発揮するのも確認済みだ」

「それは有り難いね。ぜひ試してみるよ」

 

 予備の指輪をフィンに渡した後、“灰”は残る一人を瞳に映す。

 ベート・ローガ。戦いの始まりから今の今まで、“灰”を睨み続ける狼人(ウェアウルフ)

 裡に激情を滾らせる雄を前に、“灰”は静かに、虚空に小さな手を伸ばした。

 開かれる“特別なソウルの領域”。抜き放つのは、光を放出する魔法の刃。

 《月光の大剣》。白竜シースの尾より生じたドラゴンウェポンを、“灰”はこの世に顕現させる。

 瞬間、変化は劇的だった。月光の魔力――蒼い月の光を浴びたベートが、音を立てて()()する。

 

「――!?」

「成程。魔力の月光(ひかり)とて、獣となるには十分か。

 良い事を学んだ。これは、覚えておくとしよう」

 

 自身の意図せぬ獣化に驚愕するベートを他所に、“灰”はつらつらと感想を述べる。

 そして、再びこちらを睨む灰色の炯眼と視線を交わし。

 “灰”は《月光の大剣》を仕舞い、ベート・ローガに背を向けた。

 

「さて。それでは、貴公らに渡した武装の確認だが――」

「――待ちやがれッ!!」

「何だ? ベート・ローガ」

 

 背後で猛る咆哮に、“灰”は再び視線を向ける。そこには既に獣化が解け、だが激昂するベートがいた。

 

手前(てめえ)、一体何のつもりだッ!?」

「何のつもり、とは?」

「なんだって俺に、今の馬鹿みてぇな大剣を見せたッ!?」

「ただ確かめたかっただけだ。それ以外に意図はない」

「何だと……!?」

 

 殺意を帯びる程に双眸を削り抜くベートに、“灰”は面倒そうに嘆息する。

 

「そもそも貴公、私が武装を渡したとしてどうする?」

「誰が手前(てめー)の手垢のついた武器なんざ受け取るかっての!」

「だろうな。だから私は、貴公に何も渡さない」

「あァッ!?」

「頭を下げてまで貸してやる武装はない、という事だ」

 

 凍てついた太陽のような瞳を半分にして、“灰”は続ける。

 

「何より貴公――失う事には慣れているだろう?」

「――」

「だから何も、渡さない。よしんばそれが原因で誰かが死んだとして、関係なかろう。

 月夜に吼え、失い続ける。それは貴公の、日常に過ぎないのだから」

 

 平坦に、吐き出されたその言葉。

 その瞬間、ベート・ローガから一切の感情が抜け落ちた。

 

 空気が、極限まで張り詰める。

 ベートに三度(みたび)背を向ける“灰”。その背後で、ゆらりと狼人(ウェアウルフ)が疾駆する。

 【ロキ・ファミリア】の面々は全てを察し、止めようとした。それを留めたのは、小さなてのひら。

 瞬間、《フロスヴィルト》が振り上げられ――轟音を以て大地に叩きつけられる。

 それは、“灰”の右肩から股ぐらまでの全てを、血溜まりと化すまで抉り抜いた。

 誰かの悲鳴が聞こえた。息を呑む声がする。狼人(ウェアウルフ)に憤激する声が重なった。

 それら全てを置き去りにして、“灰”は何事もないかのように声を擦り鳴らす。

 

「ああ、済まないな。ベート・ローガ。私は貴公を怒らせてしまった」

「――」

「謝罪しよう。済まなかった。貴公の『傷』を、踏み躙ってしまって――本当に済まないと、思っている」

「――ッッッ!!!」

 

 血を吐きながら、胴体の前面の皮膚でかろうじて繋がっているような状態で、“灰”はそう言い、エストを飲む。

 何ら堪えた様子のない、長衣ごと再生する不死に。ベートは歯が砕けんばかりに牙を噛み締め、強引に幼女を半回転させ、襟首を持ち上げた。

 

「ざけんじゃねえっ!!! ざけんじゃねえぞっ、“灰”野郎!!!」

「……」

 

 蟲を見下ろすような瞳で眺めてくる“灰”に、ベートは溜まりに溜まった激情を吼える。

 

「なぜ避けねえ、なぜ反撃しねえ、なぜ手前(てめえ)は戦わねえっ!?」

「……」

「ざけんじゃねえぞ“灰”野郎……!! 手前(てめえ)(つえ)えだろうが! 俺達なんか雑魚同然に叩き潰せるくらい(つえ)えだろうが!! 第一級だの『頂天』だの、そんなもん話になんねーくらい(つえ)えだろうがっ……!!!」

「……」

「なのになんで()()()()()()()!? なぜ()()()()()()()()!?

 (よえ)え振りをして、『雑魚』みてーに振る舞いやがってっ……!! ウザッてーんだよ!!!

 手前(てめえ)がッ!!! 手前(てめえ)みてーな(つえ)え奴が――『弱者』みてーな顔、するんじゃねえっ……!!!」

 

 ベート・ローガは激怒していた。ともすればそれは、()いているような激昂だった。

 他の【ロキ・ファミリア】の面々が押し黙る。ベートの突然の凶行に声も上げられないほど圧倒されている。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】。神々からそう賞賛()ばれ、常日頃から『弱者』を見下す驕った強者。

 その狼が。恥も外聞もかなぐり捨てて激昂する姿を、彼らは初めて目にしていた。

 

「……それは違うな。ベート・ローガ」

 

 そして、“灰”は。冷たい銀の半眼で、ベートの言葉を否定する。

 

「私は『弱者』だ。私は弱い。私は強者などでは在り得ない。全て貴公の、勘違いだ」

「まだ言うか、手前(てめえ)はッ……!!!」

「私の眼を見ろ。ベート・ローガ」

 

 灰色の双眸と銀の半眼が交差する。不死は滔々と、己の歩んだ道を語る。

 

「私は限り無く負け続けた。初見で勝った事はほとんどない。出会った敵の大半に、一度は必ず敗北している。

 それで何の強さを誇ろうか。私より強い者も、私より永き者も、火の時代には山程いた。

 そこにあって、私が持っていた物は、ただ『弱者』であるという事実だけ。

 そして『弱者』であるからこそ――不死の私は、あらゆる敵を殺し切れた」

 

 不死の瞳に懐郷が宿る。凍てついた太陽のような瞳が映したのは、火の時代の英雄達。

 

「一人の英雄を殺すのに、千年の時を費やした。

 一匹のデーモンを屠るのに、幾万の罠を張り巡らせた。

 一柱の神を討つために、その時代の全てのソウルを喰らい尽くした。

 私は『弱者』だ。私は弱い。弱さ故に全てを欲し、何者よりも貪欲だった。

 それが私に、折れぬ心を与えた。敵を侮らせる卑小さが、私に勝利を届けてくれた。

 ベート・ローガ。私はかつて、竜を屠った事がある。

 まだ赤子のようだった私は、あらん限りの手段を用いて、竜の首を()ね落とした。

 ならば今の私もまた、()()()()()()()()()()()()()

 故にベート・ローガよ。知るがいい。

 私は卑小で――弱いのだ」

「――」

 

 それは、“灰”の辿り着いた一つの果て。

 『強さ』。それは生きとし生けるものが、()()()()()()求める力。

 敵を倒す力。己を通す力。守りたい物を守る力。『強さ』とは力であり、それを蓄えた者こそが、この世に在って生きるに(あた)う。

 ならば『弱さ』とは、力無きもの。持たざる者。生まれるべきではなかった存在。

 “灰”には、『弱さ』しか無かった。何者にも打ち勝てず、何人にも殺し尽くされた。

 だから“灰”は、『弱さ』を手にした。それしかないのならば、それを以て全てを喰らった。

 『弱さ』こそが、“灰”の武器。『弱者』である事が、“灰”に為せるただ一つの業。

 それが、“灰”の到達点。『強者』を上回る『弱者』と云う矛盾を、“灰”は体現していた。

 

「……………………クソがッ」

 

 ベートは気付く。“灰”に、言葉は届かない。

 “灰”の価値観は、その膨大過ぎる経験に裏打ちされている。何も持たず、何者にもなれなかった“灰”にとって、永き旅路で得た経験だけが幼女を形作っている。

 それを言葉などで、何が変わろうものか。“灰”は、とっくに『完成』しているのだ。それがどんなに不完全なものであったとしても、変わる事はない。

 かつてベートが言った通りだった。“灰”は、所詮は“灰”。“灰”が“灰”である限り、何も変わりはしないのだと、あの夜にそう、口にした通りだった。

 幼女の襟首が放される。落ちる不死は何事もなく着地し、俯く狼人(ウェアウルフ)などどうでも良いと言うようにフィンに向き直る。

 

「……済まない、“灰”。この償いは必ずする」

「……何の話だ?」

「ベートの事だ。彼の行いは、到底許される事じゃない」

「ああ、それか。構わない。私は許す」

「……“灰”」

「今回ばかりは、貴公の言葉は聞かんぞ。フィン・ディムナ。

 こんなものは、ただの()()だ。言い争い、生傷を負う。その程度の事でしかない。

 そんな事に義理立てだの何だのと、いちいち口にする気か? 少なくとも私は面倒だ。だから許す。異論は聞かん」

「……」

 

 許容も納得も出来ないという感情を飲み込んで頭を下げるフィンに、“灰”はどうでも良さそうな反応を返す。そして虚空から二本の双剣を取り出し、フィンに押し付けた。

 

「……これは?」

「持っていけ。ベート・ローガに貸し出すつもりだった武装だ。

 使わなくとも構わない。備えておけば、役に立つ事もあるだろう」

「……恩に着る」

 

 再び頭を下げるフィンに適当に手を振って、“灰”は家族の下へ向かう。眠るベルと、膝枕をするリリルカ。その少し横には、倒れ伏したミノタウロスの死骸があった。

 そちらへ向かう素振りを見せる“灰”に、フィンは真剣な顔で声をかける。

 

「“灰”」

「何だ、フィン・ディムナ」

「もう一度だけ、聞かせてくれ。――彼が死んでも、本当に良かったのかい?」

 

 それは、“灰”の本質を見極めるための問い掛けだった。

 フィン・ディムナにとって、それは重要な事だった。

 対し、“灰”は。面倒そうに息をついて、不死の常識を古鐘の声に変える。

 

「承知の上だと言っただろう。私はベル・クラネルが死ぬ事になっても構わなかった。

 

 不死(しなず)とは、ただただ失い続ける事。

 

 ベルを失う事になっても、私にとっては慣れ切った事に過ぎない。それがベルの望みならば、尚更だ。

 人も、命も、いつかは消える。私の前からいなくなる。

 だからといって、蔑ろにするのは違うだろう?

 だからこそ私は、私のわがままではなく――ベルの意志を、全うして欲しかったのだ」

「……」

「話は終わりだ。行くがいい。そして願わくば、戻って来い。

 それが私の、貴公らに望む。ただ一つの、我が儘だ」

 

 言い捨てて、“灰”は怪物の死骸へ歩き去った。その後ろ姿を、フィンはじっと見つめていた。

 だからこそ、フィンは耳にした。『ミノタウロス』の死骸を転がし、頭の白骨を叩き割った“灰”。

 その幼い唇から零れた、消え入りそうな言の葉を。

 

「……そうか。やはり――尖兵か」

 

 そう呟く、“灰”の足元。大地に伏せる『ミノタウロス』。

 叩き割られた白骨の下には、どこか満足げな牛の顔があり――その額には、三つ目の眼が、ついていた。

 その後、“灰”は魔石を引き抜き。ソウルを奪い――何を思ったのか、迷宮の奥底へ解き放つ。

 そして灰に塗れた石の大斧を握り、一度だけ振って青白いソウルへと変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドーザーアクス

凄まじく重い、刃のない大斧

 

「白骨のミノタウロス」が持っていた武器

だが、迷宮の武器庫にこれと同じ物はない

三つ眼の牛頭は、なにゆえあって得たのだろうか

 

戦技は「ウォークライ」

怪物の雄叫びは自らを鼓舞し

一時的に攻撃力を上げ

弱き者を怯ませる

 

 

 

 

月光の双剣

白竜シースの名で伝わる伝説のドラゴンウェポン

古きと新しき月光の結晶、直剣の双刀武器

 

シースの月光は真新しく

火の時代に産声を上げた剣である

 

よりはじまりに近い、古き月光は

ある時、シースの月光と重なり合い

剣は分かれ、それぞれの記憶の依代となった

 

戦技は「月光の乱流」

二刀を構え、乱光のごとく斬り払い

またスタミナの尽きぬ限り

強攻撃により、月光の小波を連続して放つ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見ている。

 忘れる事のできない、あの日の夢。 

 

『無事か。ベル』

 

 銀獣を倒したアスカの、ずっと思い出せなかった声。

 

『よく耐えた。貴公が無事で良かったよ』

 

 それは家族の無事に安堵する、普遍的なものだった。

 たった二言。それだけなのに、(ベル)はずっと思い出せなかった。

 怖かったから。心の底から家族になれていなかったから。

 けれど、もう。(ベル)は逃げない。

 

 アスカ。ねえ、アスカ。

 また一緒に、手を繋ごう。

 貴方と、家族になりたいんだ。

 これから先も、ずっと一緒に、歩いていこう。

 

 アスカ、アスカ。ねえ、アスカ――

 

 

 

 

「……夢を見ているのか? ベル」

 

 廃教会の地下。本拠(ホーム)に戻ってきたアスカは、涙を流すベルに問い掛ける。

 ヘスティアも、リリルカも一緒だ。ベッドで眠る少年を、三人は囲んでいた。

 ふと、少年の腕が虚空に伸びる。それをアスカは、そっと握った。

 

「大丈夫だよ、ベル。私はずっと側にいる」

 

 無貌を描く幼女の顔が、解けるように淡く微笑む。

 

「私達は、ずっと一緒だ」

 

 小さな手は強く握り返され、少年は安らかな眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベル・クラネル

Lv.(レベル)

力:SS1096 耐久:SS1076 器用:SS1098 敏捷:SSS1267 魔力:SS1009

 

《魔法》

【ファイアボルト】

・速攻魔法。

 

《スキル》

憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

・早熟する。

懸想(おもい)が続く限り効果持続。

・懸想の丈により効果向上。

 

 

 

 

ベル・クラネル

Lv.(レベル)

力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

幸運:I

 

《魔法》

【ファイアボルト】

・速攻魔法。

 

《スキル》

憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

・早熟する。

懸想(おもい)が続く限り効果持続。

・懸想の丈により効果向上。

 

英雄願望(アルゴノゥト)

能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権。

 

不転心誓(ダークサイン)

・誓約条件達成時のみ発動。

・全能力及び逃走を除く全行動の超高補正。

損傷(ダメージ)を無視した行動可能。

・誓約を破棄した場合、24時間全アビリティ能力超低下。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ああ、まだだ。まだ終わらない。

 まだ後始末が残っている。

 ゆっくりと握った手を解き、ベルの涙を拭ったアスカは、微笑みを消し去り、銀眼を鋭くする。

 あの戦いから既に半日以上、夜の暗い闇がオラリオを覆っている。

 動くなら今だろう。そう判断したアスカは、手始めにヘスティアを手招きした。

 

「ヘスティア、こちらに来てくれ」

「ん? どうしたんだい、アスカ君」

 

 ベッドの反対側でベルの頭を撫でていたヘスティアは、言われた通りアスカの側に回る。100(セルチ)を少し上回る程度の幼女を見下ろす幼女神。その彼女に近づいて、アスカは【湖の霧】を吹きかけた。

 

「え――ァ、スカ、君……?」

「済まないな、ヘスティア。貴公がいると面倒だ。だから少し、眠っていて貰おう」

 

 集中力(フォーカス)を込めれば第一級冒険者の【耐異常】をも貫通する眠りの霧だ。全知無能のヘスティアでは抵抗もできず呆気なく眠りにつく。

 崩れる女神の体を抱きとめ、アスカはベルの横に眠らせる。その一部始終を見ていたリリルカは、やっと固まっていた口を開いた。

 

「な、何をやっているのですか――」

「静かにしろ、リリルカ」

 

 しかしそれは音もなく接近した幼女の人差し指が唇に当てられた事で止まる。訳も分からず困惑するリリルカを置いて、アスカは天井、正確には廃教会の外に意識を馳せる。

 

「どうやら客が来たようだ。私目当ての客がな」

「きゃ、客?」

「ああ。リリルカ、貴公はここにいろ。ベルとヘスティアを守れ」

「え、は?」

「夜明けまで、何があろうとも外には出るな。頼んだぞ――リリルカ・アーデ」

 

 栗色の瞳にそう言い残して、アスカは地下室から出て行った。何が何だか分からないが、リリルカは言われた通り防衛の準備をする。

 【魂業小箱(ソウル・ヴェソル)】。《スキル》によって得たソウルの領域から取り出したのは、《螺旋の剣》。

 それを、少々躊躇ったが部屋の中央に突き刺し、小瓶に入った火を落とす。何もないのに燃え続ける火は螺旋剣に落ち、絡まり、何処からか灰を引き寄せて一つの『篝火』となった。

 『篝火』は、不死の故郷。側で休む者を守る力が、この火と剣にはあるらしい。半信半疑のリリルカは、ベッドに腰掛けて揺らめく炎を見つめる。

 

 ――瞬間、轟音と振動が廃教会を襲った。「きゃあ!?」と思わず頭を抱えて体を丸めるリリルカに、轟音と振動は断続的に迫りくる。

 ややあって、それは止まった。恐る恐る顔を上げるリリルカは、眠るベルとヘスティアの安否を確認して、地下室の扉に目を向ける。

 アスカは、帰ってこなかった。

 

「……アスカ様……」

 

 リリルカは不安げにアスカの名を呼ぶ。それに返ってくる言葉はない。ぎゅうっと胸元を握り締めて、リリルカは不安を押し殺す。

 リリが、頑張らなくちゃいけない。

 アスカはきっと何かをしに行った。その間に少しでも危険があるなら、それを止めるのが託されたリリルカの為すべき事だ。

 そしてそれは、『篝火』の火を守る事。夜明けまで眠らぬ覚悟で、リリルカはじっと『篝火』を見つめ続けた。

 

 

 

 

 フレイヤは陶酔的な余韻に浸っていた。

 鮮明に思い出すのは、全てを尽くして戦った少年の姿。純白の炎の輪を纏う、純粋で透明な魂の輝き。

 それをこの眼に映せた事に望外の喜びを感じていたフレイヤは、控えめにノックされた音にやや不機嫌な表情を向ける。

 

「……誰かしら?」

「アレンです、フレイヤ様。ご所望の物をお持ち致しました」

「ご所望の物……?」

 

 心当たりがないフレイヤは、とりあえず入室の許可を出す。従者然とするオッタルが扉を開き、猫人(キャットピープル)の男が恭しく入り、小人族(パルゥム)の四つ子が後に続く。

 暗赤色の絨毯に洗練された動作で四つ子が分厚い布を敷く。その上に()()()()と、猫人(キャットピープル)の男が投げ捨てたのは――手足をもぎ取られた、ボロボロの灰髪の幼女だった。

 

「あら……殺したの?」

「申し訳ありません、私情を抑え切れませんでした。この失態は如何ようにも」

「いいわ。許してあげる」

 

 ちらりと灰髪を流し見て、どうでも良さそうな反応を示すフレイヤは、立ち上がって幼女だった物に近寄る。

 それを押し留めたのは、オッタルだった。

 

「お気をつけください、フレイヤ様。それはまだ死んでおりません」

「そうなの?」

「ダンジョンにて相見(あいまみ)えました。頭の半分を砕いても動き回ります」

「そう……」

 

 虫みたいね、と適当な感想を思うフレイヤは、剣呑な殺気を放つ猫人(キャットピープル)の男と小人族(パルゥム)の四つ子に気付く。どうやら言外に仕留め切れてないと指摘したオッタルの発言が気に入らないらしい。

 その様子にクスリと、蠱惑的な笑みを浮かべる女神は、歩みを再開した。

 

「構わないわ、オッタル」

「……しかし」

「大丈夫よ。だって――何があっても、貴方達が守ってくれるでしょう?」

 

 可憐な仕草で眷族を見渡したフレイヤに、武人はそれ以上言葉を重ねなかった。代わりに何時でも動けるよう、ひっそりと構える。それは猫人(キャットピープル)小人族(パルゥム)の四つ子も同じだった。

 最強の眷族達に囲まれる中で、フレイヤは地に落ちた幼女の前に立つ。そして優雅な所作で手紙を取り出し、呟く。

 

「何か話があるみたいだったようだけれど、残念ね。その様子じゃ、何も話せないみたい」

 

 ひらりと、フレイヤは手紙を手放した。それは面布のように灰髪の上に落ちる。それを眺めてフレイヤは、腰を少し折り、囁いた。

 

「……貴方が悪いのよ? 私の邪魔をするんですもの。どんな方法か分からないけれど、私の眷族(こどもたち)を誑かしちゃったみたいだし……」

 

 「だから、ごめんなさいね?」と酷薄に微笑むフレイヤの瞳には、確かな激情が秘められていた。

 それを聞いた、灰髪の不死は。むくりと、半ば断たれた首を(もた)げる。

 

「構わない。この程度は、想定の内だ」

「え――?」

「オッタル。フレイヤを守れ」

 

 驚きに眼を丸くする女神を前に、不死は突然現れた聖鈴を()()()()()

 フレイヤを庇う武人。最速で槍を突き出す猫人(キャットピープル)。四つの獲物を同時に振るう小人族(パルゥム)達。

 それら全てを置き去りにして。“灰”は【魔法】を発動した。

 瞬間、打ち棄てられた灰髪の不死から――闇の衝撃波が放たれる。

 

 【衝動】。それは闇術の祖ギリアが見出した、奇跡の【フォース】に似た、だが相反する力。

 闇そのものに力はない。だがそれは物理的な衝撃を発生させ、周囲の存在を大きく吹き飛ばす。

 最も近かった猫人(キャットピープル)の男が扉まで吹き飛ばされた。小人族(パルゥム)の四つ子は窓に、天井に、壁に叩きつけられる。

 フレイヤを庇うオッタルだけが、不動を保っていた。

 

 闇の衝撃波が止んだ後。いつの間にか、灰髪の不死は立っていた。

 万全の手足。綻び一つない闇色の長衣。生まれより伸びる灰髪を王冠を半分に割ったような髪飾りが纏め上げる。

 灰髪の不死――“灰”は、凍てついた太陽のような銀の瞳で、オッタルに庇われるフレイヤを見る。

 

「さて。それでは話を始めたいところだが……まだ少しかかりそうだな」

「――がああああああああああああああああッ!!!」

 

 “灰”の背後で、霧の立ち込める扉に手をついて立ち上がった猫人(キャットピープル)が、憤激を叫んで血走った炯眼を燃え上がらせる。

 

「――死ねェ、(くそ)女ァッ!!」

 

 都市最速。その畏怖に恥じぬ銀槍が、光を引き裂いて“灰”に迫る。

 それに“灰”は、ソウルの光を揺らめかせ。

 交錯の後、そこには絵画が入れ替わったかのように、一瞬で猫人(キャットピープル)の男を拘束した“灰”の姿があった。

 

「がっっ、あァッ――!?」

「黙っていろ。この会談に、貴公は邪魔だ」

 

 “灰”の周囲に立ち並ぶ数多の《狂王の磔》。そこから伸ばされた幾多の骨腕が、男を仰向けに押さえつけている。

 その上に立って、男の喉元を踏みつける“灰”は、改めてフレイヤに視線を向けた。

 

「さて、フレイヤ。アレン・フローメルを止めてくれ」

「……」

「彼我の戦力差は、これで理解した筈だ。それとも、貴公――この野良猫の首をもぎ取らねば、分からんか?」

「…………アレン。止めなさい」

「フレ゛イヤ゛、様゛……!!」

 

 喉を踏み潰されるアレンが、決死の形相で抗議する。けれどフレイヤは沈痛の表情で首を振り、優しくアレンに語りかける。

 

「こんな馬鹿馬鹿しい事で、貴方を失いたくないの。どうか分かってちょうだい」

「――――ッ!!!」

 

 血が流れるほど歯を食い縛り、アレンは人が殺せる眼で“灰”を視殺する。それをどこ吹く風と“灰”は無視し、ゆっくりと喉元から足を引いた。

 即座に立ち上がり、激情に震える右手をアレンは左手で握り潰す。今にも爆発しそうな【女神の戦車】は、凄まじい形相で“灰”を睨みながら、女神の言葉に従った。

 四つ子の小人族(パルゥム)も立ち上がり、屈辱に身を焼かれながら手出しをしない。ようやく整った場に一つ眼を閉じて、“灰”はフレイヤと向き合った。

 

「では改めて、自己紹介をしよう。名前はない。ただ“灰”と呼ばれている」

「フレイヤよ。と言っても、貴方には必要ないでしょうけど。

 それで、何の用かしら。私の眷族(こどもたち)を【魅了】して、手紙なんかで一方的に場を持たせて、貴方は一体何を話したいの?」

「私の為すべき事はただ一つ。貴公への警告だ、フレイヤ」

「――ふぅん」

 

 倒れた椅子を立たせたオッタルを背に、椅子に腰掛けるフレイヤは、頬杖をついて“灰”を見遣る。

 美しい銀瞳に灯るのは、底の見えない神の炎。無感動に君臨する『美』の下に、瞋恚の炎を揺らめかせる女神に、“灰”は淡々と警告を口にする。

 

「貴公は二度、ベルに『試練』を差し向けた。一度は『怪物祭(モンスターフィリア)』、二度は迷宮。

 三度目はない。三度の『試練』を、ベルに課したその時。

 ――私は貴公を、必ず殺す」

「つまらないわ」

 

 “灰”の言葉、一瞬で膨れ上がる女神の眷族の殺気。

 それらを一言でばっさりと切り捨てて、フレイヤは麗しい(かんばせ)に失望を乗せる。

 

「何を言い出すかと思えば、そんな事を言いに来たの?

 その程度でこの私を止められると、本気で思っているのかしら。だとしたら、嘗められたものね。

 ――あの子は、()()()()()。誰にも譲ったりなんかしない。例え貴方がこの時代(せかい)の誰よりも強いとしても。

 私の邪魔をするのなら――()()()。貴方を」

 

 怜悧な双眸で、言葉を返す。宝石のように煌めく銀瞳は薄っすらと断ち切られ、“灰”を貫いた。

 示される女神の矜持。下された神意に、眷族達は闘争の化身となる。

 だが、それは。

 

「ああ。それは別に構わない」

 

 “灰”のあっけらかんとした肯定により、あっさりと霧散した。

 

「……どういう事かしら」

「どうもこうもない。貴公がベルを欲しがるのなら、好きにしろ。私は構わない。

 私が手を出す事があるとすれば、それはベルが貴公を望まぬ、その時だけだ」

「……分からないわ。貴方は私の『試練』に怒った。ではなぜ、私があの子を手に入れようとする事に怒らないの?」

「私が貴公を、理解できないからだ」

 

 “灰”は凍てついた銀の半眼を見せつける。そこに映るのは、未だ理解しえない『未知』の女神。

 

「貴公、フレイヤ。美の女神。愛を司る神よ。

 私は『愛』を理解しない。誰かを愛した事はないし、愛された事もない。

 愛は、私の知らぬ『未知』だ。『未知』を『未知』のまま挑んだ所で、敗北は目に見えている。

 私は『弱者』だ。私は弱い。弱き故に、『未知』には勝てない。

 故に貴公が、三度目を犯さぬ限り。私は貴公を、ただ見続ける」

「……」

 

 フレイヤは黙考する。頬杖を解き、顎に手を当てて考える姿がそれだけで一枚の絵画になる姿だ。

 ややあって、フレイヤは笑った。それは吹き出すような、失笑するような声だった。

 

「……ふふ、あはは! そう、貴方ってそういう子なのね。

 可愛そうだわ。子供たちにとって一番価値のある感情(こころ)を、知らないだなんて。

 だったら、私が教えてあげてもいいけれど。どう?」

「……そうすれば、私は『愛』を理解できると思うか?」

「いいえ、思わないわ! だって貴方――本当は理解するつもりなんて全然ないでしょう?」

「……」

「ああ、おかしい。少しだけ退屈が紛れたわ。下界には、貴方みたいな子もいるのね」

 

 一頻り清笑したフレイヤは、唇に妖艶な弧を描いて“灰”を見つめる。

 それは神々が、下界で駒遊びをする時の眼だ。

 “灰”の額に、小さな影がうっそりと生まれる。

 

「ねえ、貴方。私と協力しない?」

「……協力、だと?」

「ええ、そう。貴方はあの子を守りたい。私はあの子を手にしたい。お互いのやりたい事が、私達は反しないでしょう?

 だから、協力。私は貴方に便宜を図るわ。だから私の代わりに、あの子を見守っていてちょうだい?

 私があの子を手に入れるまで――ねえ、いいでしょう?」

「知るか。下らん」

 

 フレイヤの提案を、“灰”は据わった眼で一蹴する。

 

「なぜ私が、貴様の言葉など聞かねばならん。着飾った皮で醜い腹を隠す豚が、道理を弁えろ」

「うふふっ! それが貴方の本性? いいえ、もっとあるでしょう? さあ――私に見せなさい?

 貴方という子の、底の底まで――私に(さら)け出してちょうだい」

「…………やはり貴様は、理解できん。愛の女神とは、全く理に合わぬ存在だ」

「愛は気紛れで、流星(ほし)のように心を打つものよ? 貴方には――永遠に分からないでしょうけれど」

 

 “灰”が睨み、女神が微笑む。それはかつて、ベルに視線を投げつける者を問い質した時と同じだった。

 もはや“灰”に語るべき事はない。踵を返し、扉の霧を払う。

 

「話は終わりだ。邪魔をしたな」

「あら、もう帰るの?」

「ああ。もう用は無い」

「そう……ねえ、一つ聞いてもいいかしら?」

「……何だ。言ってみろ」

 

 いつかと同じやり取りをして、“灰”は視線だけを投げかける。フレイヤは極上の笑みを浮かべて、その銀瞳に二つの物を映し出す。

 

「その髪飾りと長衣、誰かからの貰い物かしら?」

「何故そう思う」

「だって、私でも滅多にお目にかかれないくらい綺麗で丁寧な一品ですもの。貴方ってそういうの、興味ないでしょ?

 だから、誰かからの贈り物かしらって、そう思ったのだけど」

「……忘れたな。そんな事は」

「そう」

「…………似合っていないか?」

「いいえ? ぴったりだと思うわ」

「――そうか」

 

 それだけを呟き、“灰”は去っていく。暗い廊下に消える幼女を、扉が閉まるまで女神は見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

衝動

輪の都の放浪者、吹き溜まりのギリアの闇術

闇の衝撃波を発生させる

 

ギリアはその最期、この闇術を見出し

ついに扱い切れず、深淵の沼に溶けた

その亡骸は、白面の虫になったという

 

放つ闇にダメージはないが、物理的な衝撃を伴い

周囲の敵を大きく吹き飛ばす

また尋常な盾などは、易々と弾くだろう

 

 

 

 

灰の髪飾り

半分に欠けた冠に似た髪飾り

白銀に輝く涙石が埋め込まれている

 

古い呪われ人の持ち物のようだが

不死に飾りを贈る酔狂がいるだろうか

 

けれどこれは、丁寧な手入れの跡があり

ずっと変わらず使われている

 

 

 

 

闇の長衣

闇に長く浸された黒い長衣

仕立ての良い、丹念に編まれた衣服

 

上質な布地は深淵に食い荒らされた跡がない

最初から闇に染められていたのだろうか

 

呪われ人には過分な装束に見えるが

どうしてか、不死が着るとぴったり合う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よろしかったのですか。フレイヤ様」

「いいわ。いいように転がされたのは癪だけれど、あんなのと張り合ったってしょうがないもの」

「……」

「オッタル? 言いたい事があるならはっきり言いなさいな」

「……いえ。貴方様に奏上したい事など、何も」

「そう? その割には、燻っているように見えるけれど」

「……」

「……良い、オッタル。私は貴方を愛しているわ」

「存じております。貴方様の愛を疑った事など、一度もありません」

「嬉しいわ。けれど、その愛する貴方があんなのに執着する姿なんて見たくないの」

「……」

「あれは、ただの残骸よ。かつて何かであった者の、哀れな残骸。挑んだところで、得るものはないわ。

 だってもう、とっくに壊れているんですもの」

「……しかしあの者は、貴方様の名に泥を塗りました」

「あら、別に構わないわ。あんなのにいいようにされても、恥だなんて思わないし。何より貴方達のためなら、私はいくらでも泥を被ってあげられるもの」

「――過分なお言葉です」

「ふふっ、相変わらず生真面目ね。

 ……あれの事はもういいわ。ただ、敵に回すと面倒ね。残念だけれど、ちょっかいをかけるのは止めましょうか。

 あの子の事は愛しているけれど、あんなのの怒りを買って、貴方達を失うのは嫌だもの」

「……。フレイヤ様の、御心のままに」

「ありがとう、オッタル。それじゃあ、アレン達を呼んでちょうだい?

 あの子達には、よく言い聞かせて上げないといけないし――あんなのの【魅了】なんかで私の愛は少しも消えないって、教えてあげなくちゃね?」

 




今回の話を投稿するに辺り、語る事はありません。
ただ一言、言わせてください。

感想くれ(乞食)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。