雪の中の化け物【完結】   作:LY

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最終話

8区 公園

 

 

 

 

「…………お姉さん?」

 

 

「……っ…!!」

 

 

 

 

雪の降る中ブランコに座り、じっと何かを待っていたら誰かに呼ばれた。

 

伏せていた顔をばッと上げ、公園の入り口を即座に見る。

 

呼ばれて過剰に反応したが、公園の入り口に立っていたのは頭によぎった彼ではない。

 

 

……性懲りもなく、比企谷くんが来てくれたのかと思った。

 

 

 

 

「あなたは……あの時の…」

 

 

「やっぱり! 猫のお姉さん!」

 

 

 

 

公園に入り、笑みを浮かべて近づいて来たのは中学生くらいの女の子。

 

その子は少々汚れた格好をしているが、前に会った時に比べるとかなりマシだった。

 

アパートで自分の服を何度か水洗いしたけれど、どちらかと言えば彼女より私の方が小汚いかもしれない。

 

 

 

「久しぶりです、覚えていますか?」

 

「ええ、もちろんよ」

 

 

 

そう言うと、女の子はより一層嬉しそうな顔をする。

 

 

彼女は数カ月前に例の廃工場で会った女の子だ。あの時は大きなバックを持って人の死体を探しに来ていて、たしか妹がいるとか……。

 

赫子の出し方を数分だがレクチャーしたのを覚えている。

 

猫のお姉さんと呼ばれたが、たぶんそれは持っていたお面が猫の顔だったからだろう。

 

 

 

「あの……、お姉さんのおかげで赫子を出せるようになりました! お姉さんと同じ尻尾の」

 

「あら、あなたも尾赫なのね。……出せるようになって良かったわ」

 

 

 

自分は普通に微笑んだつもりだったのだが、女の子は私の表情を見て違和感を覚えたように首をかしげる。

 

 

 

「どうし…たんですか? お姉さん辛そう……」

 

 

 

やはり、さっきの今では元気そうな表情は出来なかったようだ。

 

この子の前だから強がりたいけれど、あまり余裕がない。

 

すぐにその顔をやめて眼を伏せてしまった。

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 

彼女がせっかく私との再会で喜んでくれていると言うのに、大人の対応が出来ない自分が情けない。

 

 

 

「……最近……ね」

 

 

 

大切な人を失ったの、と言うつもりはなかったのに言葉がこぼれた。

 

 

 

「大切な人、……家族ですか?」

 

「……そうね、ずっと想っていてくれた姉と、もう一人は家族ではないけれど大切な人だった」

 

 

 

自分より年下の女の子にこんな話をするのは良くないかもしれないが、久しく誰とも話していなかった私は聞いてほしいのかもしれない。

 

言うまいかと話しながらも迷うけれど、女の子も雪の積もった隣のブランコにそのまま腰かけ、耳を傾けているのでもう話してもいいかと思う。

 

 

 

「姉さんはね、ずっと離れていた私の事をずっと大切に思ってくれていたの。それはとても苦しい事なのに、ずっとずっと愛してくれていた」

 

「……」

 

 

 

女の子は無言で聞き続けてくれる。

 

 

 

「色々誤解して、お互いの意地を通して、すれ違って……。でも、それでも最後に姉さんは私を掴んでくれた。私を抱きしめて、最後の最後まで私を想ってくれた」

 

 

 

眼の前は静かで、美しい雪の景色が広がっている。

 

雪は落ち続けているのに時が止まったような景色だ。

 

……姉さんに抱かれたときも同じような事を感じた。

 

 

 

「……それで、もう一人は私にたくさんのものをくれた人。今まで生きてきた中で、彼との生活が一番幸せだった」

 

 

 

遠くに行ってしまった彼に思いを馳せる。

 

話していると胸に何かが湧き上がって止められない。

 

 

 

「……彼はね、そばに居るって言ってくれたの。こんなにも私は醜いのに、目をそらさずに言ってくれた」

 

「……お姉さん…」

 

 

 

話していると眼の下が熱くなってくる。

 

公園の景色がぼやけだし、コートの袖を握りしめる力が強くなる。

 

 

 

 

「彼は色々な思い出を作ってくれた。たくさん彼の優しさに甘えて、沢山迷惑をかけてしまった」

 

 

 

 

……あなたの家に住み着いて、それから隠れるために引っ越しもした。

 

一緒に買い物に行って、同じコーヒーを飲んで、他愛もない事を話し合った。

 

本をプレゼントしたり、お弁当や夕飯を作って彼を喜ばせようと頑張った。

 

私が人しか喰べられないせいで心配させたこともある。そのせいで彼を怒鳴りつけて、落ち込んで、それでも結局人の肉を喰らった。

 

悲しくて泣いて、彼の布団に潜り込んだこともある。

 

そんな彼がデスティニーランドに誘ってくれて、その旅行でたくさん笑った。

 

賑やかなパレードなんて放っておいて、彼を必ず助けると誓った。

 

 

また一緒に行こうと、……言ってくれた。

 

 

 

「好きだった……。誰よりも何よりも愛していた。彼のために死ねるなら何度だって殺されても良かった」

 

 

「お姉さん……?」

 

 

 

隣に座っている彼女は私の服を掴んで揺さぶる。

 

だけど、そんな彼女の方を向けなくて、そのままぼやける雪を眺めて言った。

 

 

 

 

「彼に好きって……言いたかった」

 

 

 

 

枯れたはずの涙が流れ始め、顔を手の甲で隠しながらすすり泣いた。

 

呼吸が上手くできなくて、体が何度も震える。

 

瞬きするたび沢山の涙が出てきて、隣にいた女の子は私を覆い隠すように抱きしめた。

 

 

 

 

「泣いてください、私がいますから……」

 

 

 

 

顔を隠す左手の甲がジンジンと痛み出す。

 

そこには痕が残らなかったけれど、彼につけてもらった見えない咬み傷がある。

 

どうしても欲しかった彼からの咬み傷。

 

それを思い出すとまた彼に会いたくなって、更に体が熱くなった。

 

 

 

涙は一向に止まってくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

結局、数十分ほど泣き続けてやっと落ち着いた。

 

私を抱きしめてくれていた女の子は自分の服の袖で私の涙を拭き取り、最後にニコッと笑う。

 

これではどちらがお姉さんか分かったものじゃない。

 

 

 

「ごめんなさいね、随分と取り乱してしまったわ」

 

「いえ、私もお父さんとお母さんが居なくなった時にたくさん泣きましたから」

 

 

 

おかしなものだ、ついこの間会った時はあんなにも弱々しい女の子だったのに、今ではとてもしっかりした子に見える。

 

姉という生き物は総じて強いものなのか。

 

 

 

「そう言えば、あなたはどうしてこんな所にいるのかしら? まだ朝早い時間だし、食料探しではないでしょう?」

 

「はい、今日は妹と少し出かけていて。でもちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまって……」

 

 

 

彼女は恥ずかしそうに説明する。

 

何でも今まで食料の調達は彼女だけでやっていたが、そろそろ妹にも手伝ってもらうために色々教えながら歩き回っていたとか。

 

しかし、さっき言った通り途中ではぐれてしまい、この公園に来たと言う。

 

 

それから会話の流れで妹の事も彼女は話した。

 

妹は二つ年下でいつもすぐに喧嘩になってしまうらしい。奔放で言う事を聞かないから大変だと苦笑する。

 

でもそれでもやっぱり心配で、それでもやっぱり大切だとか。

 

 

 

「この公園は待ち合わせ場所にしているんです。はぐれた時はこの場所って言っているので」

 

「そう……、すぐに来るといいわね」

 

 

 

今度はちゃんと彼女に微笑みかけ、私は耳を澄ませた。

 

 

音を感じる領域をどんどん広げ、その中で生き物が動けばすぐに分かる。

 

 

 

 

 

 

「噂をすれば…ね」

 

「あっ!」

 

 

 

 

女の子は私とほぼ同じタイミングで反応する。

 

少し離れた所からこの公園に足音が近づいてくるのが分かった。

 

 

 

「あなたも耳がいいのね」

 

 

 

彼女は妹が来るのを今か今かと待ちわびて、公園の入り口をじっと見て待っている。

 

 

 

「……? ……でも、……足音が並んで二つ聴こえるわね。もしかしたら妹さんじゃないかもしれないわ」

 

 

 

私がそう言うと、女の子もそれを感じ取ったのかがっかりする。

 

しかし、それでも気になるので、私も彼女も耳を澄ませていた。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

不規則に飛び跳ねる足音と規則的にゆっくりと近づいてくる足音。

 

 

一つはトン、トンと軽い音を響かせているが、もう一つはコツン、コツンと響きのよい足音だ。

 

 

 

 

 

『……でね! お姉ちゃんがずっと自慢してくるんだよ! カクネ出せるようになったって!』

 

『カクネじゃなくて赫子だな。あと人前でその話はしたらダメだぞ、すぐに喰種ってばれる』

 

 

 

 

 

足音は続き、ついには会話が聞こえる距離に入ってくる。

 

そうすると隣の女の子はこっちを向いて、妹の声だと言った。

 

 

 

 

「……なに、…かしら。この感じ……」

 

 

 

 

最近食事をしていないせいか、それとも単に疲れているせいか、

 

耳がいつもより綺麗に音を聞き分けてくれない。

 

 

それになぜか、……胸がどくどくと高鳴り始める。

 

 

廃工場で姉さんに会った時も今と同じような感じだった。

 

 

 

 

 

『こんなのオジサンにしか話さないもん! すぐに私も出せるようになってお姉ちゃんを驚かせるんだから』

 

『オジサンはやめろ、何か自分が臭いんじゃないかって心配になるだろ』

 

『臭くはないよ、何かオジサンの匂いは不思議。…ちょっと美味しそう』

 

『せめてお兄さんにしてくれ、俺まだ若いし』

 

 

 

 

 

キャッキャと女の子がはしゃぐ声。きっとその子が妹さんなのだろう。

 

そう思っていると、隣の女の子はブランコから腰を上げた。

 

 

 

「猫のお姉さん、私そろそろ行きます。ありがとうございました!」

 

 

「……えぇ、こちらこそ」

 

 

 

胸の高鳴りに戸惑いつつお別れを言うと、女の子は公園の入り口の方に走る。

 

その間にも近づいてくる二人の声は聞こえてきた。

 

 

 

 

『ほら、着いたぞ。これが池公園だろ』

 

『そう! ありがとオジサン!!』

 

 

 

 

公園を囲む木々のせいで姿は見えないけれど、妹さんは嬉しそうにそう言う。

 

しかし、すぐに入り口を出て右を向いた女の子に怒られる。

 

 

 

 

「こら! 何やってるの!!」

 

「あっ、お姉ちゃんだ」

 

 

 

 

その言葉を境に、妹さんは木々の陰から走って姿を現す。

 

妹さんの連れはちょうど入り口隣の立ち木で隠れてしまって見ることは出来なかった。

 

 

 

 

「すみません、妹が迷惑をかけて……」

 

「あぁ、気にするな。オジサンって言われて傷ついた程度だ」

 

 

 

 

でも、その声を_____。

 

 

 

 

「それに俺も……」

 

 

 

 

その何度も聞いたことのある声音を耳にしただけで、私の全身が反応した。

 

 

 

そこにいるって。

 

 

 

 

そこにいるって、私は確信した。

 

 

 

 

 

「俺もこの場所に用事があったからな」

 

 

 

「っ!!」

 

 

 

 

 

 

そうして、木の陰から姿を現す人を見て、私は声も出さずにブランコから立ち上がる。

 

一瞬呆然としたけれどすぐに眼は冴えて、ゆっくりと公園に入ってきた人の姿を捉える。

 

その人は地面の雪の感触を楽しんでいるようにも見えた。

 

 

 

 

「あぁ、やっぱり雪の中のお前はいいな」

 

 

 

 

頭に積もった雪が風にさらわれて、私の白いコートと彼の黒いコートが揺れる。

 

胸の鼓動があまりに激しくて、胸元をギュッと掴まないと立っていられない。

 

 

 

 

「……ひき、…が、や…くん?」

 

 

 

 

衝撃のあまり上手く声を出せなかったけれど、無理やりにでも絞り出して彼の名前を呼んだ。

 

喉がカラカラに乾いたような声になった。

 

 

 

 

「……何だ、もう俺の名前忘れちゃったのか?」

 

 

 

彼は冗談を言うように笑うけれど、私はそれどころではない。

 

……声や姿が彼と同じ。幻覚などではない。

 

 

 

「…比企谷くん、……あなたは、比企谷くんなの?」

 

 

 

触れたくて抱きつきたくて、右手を伸ばして一歩一歩足を動かす。

 

分からない、分からないけれど彼に触れたい。

 

思考を放棄して彼の元へ駆け出してしまいそうになる。

 

 

 

「比企谷く_______」

 

 

 

 

名前を呼んで彼に触れようとした時、体が石になったみたいに止まった。

 

触れようとした彼に違和感を覚え、伸ばしていた腕を下して冷静になる。

 

 

……眼の前にいる男は、私の知っている彼とは違う。

 

 

 

 

「あなた、……誰よ。……あなたは比企谷くんじゃない!!」

 

「……」

 

 

 

私が怒鳴りつけて相手は黙る。

 

そうだ、彼は死んだと高槻さんは言った。さすがの彼女でもそんなつまらない嘘はつかない。

 

 

 

「あなたが比企谷くんだと言うのなら、なぜ右腕があるの? 私は確かに この眼で彼の切断された腕を見たわ」

 

 

 

相手のコートからはちゃんと腕が生えている。もちろん義手ではない。

 

それに、極めつけに私が違うと思ったのは、眼の前の男の……。

 

 

 

「あなたから比企谷くんの匂いはするけれど、……何か違う。…何か匂いが……」

 

 

 

何か”別の匂い”が混ざっている。

 

 

相手からは比企谷くんの匂い以外に誰かの匂いが混ざっている。

 

それは他人の服を着ているからとか、そう言ったレベルのものではない。

 

相手自身の匂いが比企谷くんとは違う。

 

 

 

「答えなさい! あなたは誰なの!!」

 

「……」

 

 

 

さっきまで散々泣いて、今大きな声を出したら息が切れてくる。

 

たくさん冷たい空気を吸って、肺を冷気で満たすと冷静になれる。

 

そうして冷静になってもう一度雪の中の男を見ていると、曇った空が光を閉ざし、世界が一層白く染まった。

 

 

 

 

「あなたが誰かは知らない……。けれど、もうお願いだから、……私を惑わせないで」

 

 

 

 

誰とも知らない相手に告げる。

 

私は本当にもう疲れてしまった。言われなくとも見せられなくとも分かっているからやめて欲しい。

 

これ以上心を揺さぶらないで欲しい。

 

 

 

「比企谷くんは死んだのよ、……私のせいで」

 

 

 

枯れきった涙の代わりに空から雪が降るみたい。

 

そんな雪の中、公園で立つ相手はやっぱり彼のように見える。

 

 

それが堪らなく辛かった。

 

 

 

 

「彼は死んだ。とても醜い……化け物のせいで」

 

 

 

枯れたと思っていたけれど、やっぱりポロポロと涙がこぼれだす。

 

彼は死んだなんて口にしたら、泣くことなんて知っていた。

 

だからこんな事は言わさないで欲しかった。

 

 

泣いても泣いても止まらないから、それくらい比企谷くんの事が好きだったから。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

“醜い化け物”

 

その言葉と眼の前の男の姿は、頭の中で雨の夜をちらつかせる。

 

彼とそこの男の姿が重なって、白い景色が夜の闇に見えてくる。

 

雪が雨に変わって、あなたが私を拾ってくれた日が頭の中で何度もちらつく。

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

……ねぇ、比企谷くん。

 

前に一度、私が今と同じ様な事を言ったとき、あなたは何て言ってくれたかしら?

 

確かその時も私は泣いていて、右眼を赤くして自分は醜い化け物だと言い張った。

 

 

 

 

「違う」

 

 

「…っ……!!」

 

 

 

 

でも、確かあの雨の降った夜もあなたはそう言ってくれたわよね。

 

 

 

 

「お前は醜い化け物なんかじゃない」

 

 

 

 

この人と同じ言葉を言ってくれたわよね。

 

 

 

 

「………優しいふりなんてしないで…」

 

 

 

 

教えてよ比企谷くん。なぜあなたはそうなのかしら。

 

あの時のあなたも、今眼の前にいる相手も、凄くまっすぐな瞳でそう言ったの。

 

嘘偽りのない目でそう言ってくれるのはなぜ?

 

なぜそうだと言い切れるの?

 

 

 

 

「いや、俺は知ってる。初めてお前を見た時から、そうじゃない事を知ってる」

 

 

「そんなわけ……ない」

 

 

 

 

……教えてよ比企谷くん。

 

 

あなたは死んだはずなのに、どうして今こんな気持ちになるのよ。

 

 

なぜこんなにも、この人の言葉は優しいの?

 

 

どうしてあなたと同じくらい、……言葉が優しいのよ。

 

 

 

 

「……何で、……死んだはずじゃ…」

 

 

 

 

一度違うと思ったのに、体がもう一度彼だと思い出す。

 

 

 

 

「あなたは……比企谷くんなの?」

 

 

 

何度も聞いた単純な質問をとても小さく呟いた。

 

彼に聞こえるかどうか分からないくらい小さな声。けれど彼は返事をした。

 

 

 

「まぁ見せた方が早いと思うから、…見てくれ」

 

 

 

彼は手で左目を覆い、一呼吸置いてからその手を開く。

 

そこに映し出されるものは、落ちて来る雪のせいで何度も何度も途切れて見える。

 

 

だけど、その程度では隠しきれないほど衝撃的だった。

 

 

 

 

「……う……そ…」

 

 

「俺はもう死んだ。もうお前の知っている俺じゃないのかもしれない」

 

 

 

 

手で覆う前の優しげな瞳が、ガラッと色を変えている。

 

右目は普通の黒目なのに、ビキビキと力んだ左目は黒じゃない。

 

 

彼の左目、いや左眼は________。

 

 

 

 

 

「俺は“隻眼の化け物”だ」

 

 

 

 

 

彼の左眼は真っ赤な喰種の赫眼になっていた。

 

 

 

 

「あの事件の後、お前のマブダチに抱えられて藪医者の所に行ってきた。何でも喰種の赫包を人間に移植して、半喰種を造っているらしい」

 

「……嘘よ。そんなことできるわけ……」

 

「出来なきゃここに俺はいない。もちろん死ぬ可能性の方が遥かに高かった、そもそも医者の所に行くまでに死ぬかもしれない。……だからこれは命がけの“賭け”だった」

 

 

 

呆然と立ち尽くす私を、黒い右目と赤い左眼が見つめている。

 

 

 

「匂いは移植した赫包の持ち主の匂いが混ざっていると思う。俺から喰種の匂いがするだろ?」

 

「……こんなの、……こんな事って」

 

「……右腕は自力で再生した。早く治すために“人の肉”も散々喰った。もう普通の食事は取れないし、人の道は踏み外した」

 

 

 

普通の考えや常識なんて通り越している。

 

だけど実際に彼は、眼が隻眼で右腕を生やしている。

 

 

 

「じゃあ、あなたは私のせいで……、そんな化け物に。……私のせいで人の肉しか…」

 

 

 

……人以外に何も喰べらない事がどれほど辛いものなのか、私は知っている。

 

冷たくなった人の体を裂き、それを頬張ることがどれほど悲しいか知っている。

 

本当は死んだ人なんて触りたくない。腹を切り開いて生々しい内臓なんて見たくない。

 

でも、そうすることでしか生きられない。空腹になると段々正気が保てなくなる。

 

 

その生き方はかつて自殺したくなったほど醜いものだ。

 

 

 

「そんなの、……どうやって償ったら…」

 

 

 

奥歯をかみしめて、涙を堪えようとしても止まってくれない。

 

私が泣いても意味ないのに、膝が崩れて泣き出してしまった。

 

 

 

「……何で、こんなにも私は醜い…」

 

「雪ノ下」

 

 

 

彼は近づいて優しく呼んでくれるけれど、私は手で顔を隠した。

 

 

 

「何で…っ、……何で私はこんなにも醜いのよ……。母の命を吸って、姉さんを殺して…っ」

 

「雪ノ下、顔を上げてくれ」

 

 

 

そう言われても顔なんて上げられない。

 

比企谷くんに合わす顔なんてない。

 

 

 

 

 

「たくさん人を喰べた!! 挙句の果てに比企谷くんをこんな目に合わせた…っ」

 

 

「……雪ノ下」

 

 

 

 

醜い。

 

醜くておぞましくて憎らしい。

 

 

なぜ生きているか分からない。

 

なぜ死んでいないのか分からない。

 

 

なぜ私のような化け物が産まれてきたのかも分からない。

 

 

ただいたずらに生きて、姉さんや比企谷くんを苦しめただけの化け物。

 

 

 

こんな事なら___________。

 

 

 

 

 

「こんな事なら…っ!!

こんな事なら生まれてくるんじゃなかった!!!」

 

 

「…っ……!!」

 

 

 

 

叫んだ瞬間、顔を隠していた左手を強引に引っ張られる。

 

そしてすぐさま、鋭い痛みを感じた。

 

 

 

「…痛っ……!?」

 

 

 

彼が怒って殴って来るのかと思うほど引っ張られる力が強かったが、痛んだのは顔や体じゃない。

 

 

 

 

「……お前は頭がいいけど、やっぱり勘違いしがちだな」

 

「え……」

 

 

 

痛みで見上げた先には彼がいて、比企谷くんはやっとこっちを見たと言わんばかりの顔をする。

 

その顔には笑みが混ざっているが、いつもと違って口元は鮮やかな赤色に染まっている。

 

視線をずらして彼に握られる左手の甲を見つめると、ビリビリと痛むその場所は皮膚が咬み千切られていた。

 

 

 

「……雪ノ下の母親は、…雪ノ下に命をくれたんだよ」

 

 

 

彼の顎から数滴血が滴って、地面の雪に混ざる。

 

……紅い花が咲いたみたいに綺麗だった。

 

 

 

「雪ノ下さんはお前に殺されたんじゃない。あの人が自分でそれを選んだ」

 

 

 

彼はコートの裾で血を拭き取り、私と同じ目線になるよう膝をつく。

 

傷ついた左手を掴みながら、真剣に私を見つめてくれた。

 

 

 

「お前がまだ捜査官の雪ノ下さんに会う前に、CCGのラボで彼女が言った事はまだ覚えている。妹がいるかと質問して、あの人は迷いなく“いる”って言った」

 

 

「……ねえ…さん」

 

 

 

私を見つめる眼は未だに片方赤色で、けれど彼は全く隠そうとしない。

 

私と同じ化け物の眼をしているのに、彼は堂々とその眼で見つめる。

 

 

 

「お前は愛されていたんだよ。雪ノ下雪乃は母親にも姉にも、…きっと父親からも愛されていた。お前が生まれてこなければいいなんて、そんな事は誰にも言わせない」

 

 

「…でも、……あなたが…っ!!」

 

 

 

 

流れる涙を拭き取って、彼の言葉を強く否定しようとした。

 

実際に私は比企谷くんを傷つけた。私のせいで化け物にしてしまった。

 

 

 

_____でも、彼は笑って私に言うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「___俺は雪ノ下に救ってもらった。

雪ノ下の名前を知る前から、雪ノ下をこの公園で見た瞬間に」

 

 

「……っ…」

 

 

 

夜の公園、雪の中で。

 

 

私はその時の光景を思い出した。

 

 

 

 

「俺はあの時、…雪ノ下雪乃に救ってもらった。お前のおかげで世界が歪まなくなった」

 

 

 

 

思い出す夜の公園は暗くて寒くて、少し寂しかった。

 

その時に私と出会ったあなたは……何を思ったか。

 

 

 

「確かにお前は人間でも喰種でも無い。お前が言うように化け物なのかもしれない。でも俺は、”醜い化け物”だなんて思わなかった」

 

 

「ひきがや……くん」

 

 

 

 

あの時、私を見つけてくれた人。

 

あの時、私を助けてくれた人。

 

あの時、私に優しさをくれた人。

 

 

 

 

「俺が出会った化け物は、世界で一番美しい化け物だった」

 

 

 

 

あなたはあの時に出会って、私の事を___。

 

 

 

 

 

「……一目惚れだった」

 

 

 

 

彼が少し照れながら言ったその言葉には、雪を溶かすような温かさがあった。

 

 

 

「ずっとお前と肩を並べられるような、……お前みたいな“化け物”になりたかったんだ」

 

 

「……本当にあなたって人は…」

 

 

 

ずっと言って欲しかった。

 

ずっとそんな素敵な言葉を言ってほしかった。

 

嘘じゃない本物の言葉で、“化け物”を肯定して欲しかった。

 

 

 

「後悔なんてするわけないだろ。やっと雪ノ下に近づけた…。俺はやっと、……お前みたいな“化け物”になれたんだ」

 

 

「……う、…ぅぅ…」

 

 

 

 

ずっと我慢していたものが崩れて、私はみっともないほど大きな声をあげて泣きだした。

 

それを見かねた彼は私の手を引いて、どちらからともなく寄り添い、彼の胸にうずくまって声をあげる。

 

触れた体が温かくて安心する。私の大好きな匂いがした。

 

 

 

 

「うあぁぁぁぁ」

 

 

 

 

泣きながら抱きつく私に、彼は耳元で優しく囁く。

 

 

 

 

「半分人間の喰種と、半分喰種の人間。右眼が赤いお前と左眼が赤い俺なら、丁度つり合いが取れるだろ?」

 

 

 

彼の胸の中で何度も何度も頷いて、私もビキビキと右眼を赤くした。

 

 

 

「藪医者に聞いたが喰種の結婚はお互いに咬み傷をつけるらしいな。俺には苦労して守った左腕にあるし、さっき雪ノ下の甲を咬みついたから、俺たちもう夫婦だな」

 

 

 

フフっと笑う彼の顔が見たくて、赫眼のまま彼の胸から顔を上げる。

 

彼はやっぱり片眼が赤いままで、お互いの赫眼同士が向き合った。

 

けれど彼は屈託なく笑って見せて、私も涙を流しながら笑顔を作った。

 

 

 

 

「……これからもぼっち同士一緒にいようぜ。化け物同士、二人ぼっちで……」

 

 

「……私も……あなたと一緒にいたい…」

 

 

 

 

 

 

 

雪雲が少し晴れて、太陽がまた顔を出す。冬の風でブランコが揺れて、隣の池から水の匂いが飛んできた。

 

12月に化け物と喰種捜査官が出会ったこの公園。あの時の様に真上は夜空で覆われていないけれど、今もあの時と同じ雪が降る。

 

寄り添う私と彼を包むみたいに、白い雪の結晶が舞い落ちる。

 

 

 

「あなたを…ずっと愛している…」

 

 

 

もっとずっと一緒にいよう。春も夏も秋も、ずっと一緒にいよう。

 

半分人間の私と半分喰種の彼で、また冬を向かえよう。

 

 

二人ぼっちで、この醜く歪んだ世界を生きて行こう。

 

 

 

 

「私は、……化け物に生まれてきて……良かった」

 

 

「ああ、そうだ」

 

 

 

いつまでも二人、今みたいに寄り添って生きていこう。

 

 

 

雪の夜に出会った私達。

 

 

雪の朝に始まった私達。

 

 

 

 

私は喰種で、彼は人間。

 

 

 

 

 

 

「私は、化け物でよかった……!!」

 

 

 

 

 

 

 

いや、違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は____________。

 

 

 

 

 

いや、“私達”は____________。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“雪の中の化け物”だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪の中の化け物  了




ご愛読してくださった読者の皆様、今までありがとうございました。
これにて”雪の中の化け物”の本編は終了とさせていただきます。


今まで自分の読みたいものを書いてきましたが、読んでくださったあなたはどう感じましたか?
私の考えた物語はあなたに何を感じさせましたか?
感想を書いたことがある方も、今まで書いたことのない人も、一言でもいいので書いてくださると嬉しいです。


後日談もあるので良ければまた読んでください。結構楽しめる内容になると私は思っています。

長くなってしまいましたが、これにて終了です。

皆さま、本当にありがとうございました。



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