雪の中の化け物【完結】   作:LY

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第四十八話

・・・・・・・・・・・・

 

 

 

夜中とはいえ十二月の初旬にしては寒かった。

 

 

 

「……電話なんて出るんじゃなかった」

 

 

 

相変わらずの猫背でブツブツ文句を言いながら家を出る。

 

時刻は既に夜中の零時を過ぎたと言うのに、俺は仕事着のスーツに黒いコートを羽織り、何とか寒さを凌ぎながら歩く。

 

普段ならこんな時間に出歩くことはなく、寝間着に着替えて布団に潜り込んでいるのだが、今日だけは特別だった。

 

 

 

 

喰種捜査官で8区を担当している俺の所に、時間帯も気にせず電話をかけてくる輩がいた。

 

輩と言っても電話をかけてきたのはCCGの職員で、つまるところ俺の職場からの電話だった。

 

 

内容は8区で単騎の喰種に捜査官が六人もやられたので来てほしいとの事だ。

 

こんな時間に呼び出されても電車が止まっていけないだろうと思ったが、住んでいる家も8区なので召集場所はさほど遠くない。

 

車やバイクを持っていないから移動が面倒だが、嘘を吐いて行けないと言えば後から平塚先生に怒られてしまうので、俺はしぶしぶそれを承諾した。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

最初歩いている時は今更現場に向かっても意味はない、こんな夜中に呼び出すとかブラックだ、などと考えていたが、俺の思考は徐々に喰種の方に偏りだす。

 

喰種の事を考えれば夕陽の射すあの場所を思い出し、その場所を思えば必ず喰種の女の子を思い出す。

 

 

ずっと悩んでずっと迷っている。

 

何が正しくて何が間違っているのか、人が正義で喰種が悪なのか。

 

 

 

……正直言って、俺を助けた喰種の女の子とその首を跳ね飛ばした前の上司を比べると、

 

人が正義とは思えないし、喰種が悪だとは思えなかった。

 

 

 

「……ごめんな」

 

 

 

ただ優しかった喰種の女の子を思い出すと自分を殺したくなる。

 

あの時に俺の中の何かが壊れて、時折見ている世界が歪むんだ。

 

本当は映るはずの色も抜け落ちているようで、彼女を思うと世界が白黒になる。

 

 

それはまるで俺の人生のようにつまらない景色で、見ていると本当に自分の事がどうでもよくなってくる。

 

 

 

自暴自棄という言葉が俺に合っていた。

 

 

 

 

「やっぱり、……俺が死んだ方がよかったのにな」

 

 

 

そんな事を呟いて、俺は夜道を進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく行くと車道と歩道が綺麗に分かれた道に出るが、どこまで行っても人の気配がないので意味もなく車道の真ん中を通る。

 

途中で小さな駐車場の角を右折し、そこからすぐに細い道へ左折。

 

ここまで来てとうとう行く気がなくなってきた俺は、入り組んだ道を適当に進み続けた。

 

 

 

「あぁ、あっちか」

 

 

 

存外、何となく歩み続けても目的地に近づいている。

 

たどり着いた場所はある程度辺りが見渡せる場所で、後ろや横の方には家やマンションが並んでいるが、前には景色を阻む建物はない。

 

おかげで遠くまで見渡せるので、右と左の分かれ道に差し掛かっても目的地へは左に行くべきだとすぐに分かる。

 

 

 

「…………」

 

 

 

……すぐに分かったのだが、なぜか俺は足を止めた。

 

 

 

ふと一度、頭の隅に追いやった喰種の事を考え直すと、また景色が歪む。

 

世界がモノクロに変わって酷い脱力感が襲ってくる。

 

 

どうしてもここから先へ進む気になれなかった。

 

 

 

 

「空が真っ暗。まぁ当たり前だけど……」

 

 

 

見上げても何も変わらなくて、もう引き返そうかと思った時だった。

 

 

右手の道の方に白が落ちて来る。

 

黒の空から白の粉。最初はそれが何かわからず、進むべき左を無視して右の小さな坂道を進んで確認しに行く。

 

たったの五歩でそれが落ちたところにたどり着いたけれど、足が動いたことに驚いた。

 

 

 

「雪、……か」

 

 

 

しゃがみこんで近くで見ようと思ったけれど、その必要はなくなる。

 

目の前の道には徐々にそれらが落ちてきて、黒の多かった景色に白が足されてゆく。

 

別に呼ばれているわけではないが、俺は雪たちを追いかけてその道を進んだ。

 

 

 

 

 

「……バカみたいだな」

 

 

 

明らかにおかしな行動。

 

召集がかかったのにそれを無視して進む道。

 

右手にはガードレールが設置されていて、それを境に作られているのは都会では珍しい小さな畑。

 

 

その先を進んで見えてくるものは少し大きな公園とその隣の池だけだった。

 

 

 

「こんな事しても意味ないんだけどな」

 

 

 

はぁ、とため息が出てきて白に変わる。この先を進んでも結局俺の見る景色は変わらない。

 

歪んでいて色がなくて、つまらなくてどうでもいい。

 

もうずっとこのまま死んだみたいに生きて行く。

 

 

きっと俺はそんな風にしか生きられない。

 

 

 

全部……。

 

 

 

全ての事をあきらめようとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……全く、ついてないわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

けれど、俺はそこで化け物と出会った。

 

 

 

 

コツ、コツと足音を響かせ、何気なくたどり着いた公園を見て、俺は目を見開く。

 

 

息が止まって、全身の毛が逆立ったみたいで声が出せなかった。

 

 

 

ただの一瞬で俺を変えたその光景。

 

 

 

夜の公園の冷たい地べたに座り込み、腹部から流れる血を必死で止めようとする。

 

艶を放つ長い黒髪と、雪と同じ白いコート。

 

 

 

 

 

「…っ……」

 

 

 

 

 

雪の中に。

 

 

 

 

 

雪の中に化け物がいた。

 

 

 

 

 

 

「喰種……」

 

 

 

腹部を押さえて必死に生きるその姿は、俺を助けたお団子頭の女の子と同じだからすぐに喰種だと思った。

 

何も考えずに公園の中に入ってしまったが、彼女を思い出したから悲しい表情をしているかもしれない。

 

 

 

「赫子を……っ……」

 

 

 

俺を警戒する化け物は赫子を形成しようとするが、Rc細胞が足りていないせいか一瞬で崩れ落ちる。

 

そして力尽きたのかお腹を押さえていた手が傷口から滑り落ち、重そうにしていた瞼が完全に閉じる。

 

 

 

「……」

 

 

 

まるであの時を再現しているみたいで、俺は目の前の子を勝手にお団子頭の子と重ねた。

 

昔にいなくなったあの子と重ねて、ただの自己満足にしかならないと分かっていたけれど、その言葉を言った。

 

 

 

「……ごめんな」

 

 

 

伝える言葉は間違えたけれど、今やるべきことを間違えはしない。

 

考えるより先に体が動いていた。きっとあの時の事を悔やみ続けていたから、無意識に同じ後悔をしないために動いたのだろう。

 

 

 

「喰べろ……」

 

 

 

 

自分が喰種捜査官であることを忘れ、口元に運んだ左腕の肉を喰い千切らせる。

 

半分意識のない彼女はモソモソと口を動かし、肉を飲み込んでから涙を流した。

 

 

 

 

「……泣くなよ。……せっかく我慢してたのに」

 

 

 

 

よく分からないけれど、目元に溜めていた涙がこぼれてきた。

 

痛くて泣くわけでも、悲しくて泣くわけでもない。

 

 

……分からないけれど、彼女を見ていると涙がこぼれた。

 

 

 

 

 

「……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

これが俺と化け物の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・*

 

 

 

薄っすらと意識が覚めると、道路にうつ伏せで寝転がっていることが分かる。

 

体に力が入らないし、目覚めたはずなのにとても眠い。

 

 

 

 

「………」

 

 

 

ツー、ツーと何か電子音みたいなのがずっと耳の奥で反響している。

 

自分が眠る前に何をしていたか分からない……。

 

 

ただ眠っている時、夢に十二月の夜の出来事が出てきた気がする。

 

 

 

 

『……丸手さん? そちらの方は……逃げられましたか』

 

 

 

 

電子音が消えたと思ったら、次は誰か男の人の声。

 

身をよじって声の主を確認しようとしたけれど、首ですら動かない。

 

 

 

 

『ええ、……こちらは大丈夫です』

 

 

 

 

起き上がろうと両腕に力を込めても動けない。左腕は何となく動いた気がするが右腕の方は全く動かない。

 

 

いや、そもそも右腕の感覚がない。

 

 

 

 

『こちらは全部終わりましたから』

 

 

 

 

あぁ、……いや違った。

 

少し寝ているうちに忘れてしまっていた。

 

 

俺の右腕は感覚が無くなったとかじゃなくて、そもそも無くなったんだ。

 

 

 

もう俺の右腕は“無くなった”。

 

 

 

 

 

「……戦闘で傷をつけられたのは久しぶりだ」

 

 

 

段々と何も感じられなくなっている。

 

誰かの足音が近づいて、何か俺に言っている気がするけど聞こえない。

 

冷たいはずの風も髪を揺らすだけで寒さを感じさせない。腕の痛みも感じない。

 

 

 

「自分では勝てないと判断して、君は最善の手を打った。喰種でも無いのに、自分の片腕を捨ててまで反撃してくるとは……」

 

 

 

 

斬り飛ばされた腕の痛みを感じられない。

 

 

 

 

「“骨を断たせて肉を切る”、……誰にでもできる事じゃない」

 

 

 

 

感じられるのは、弱々しい心臓の音だけ。

 

 

 

 

「君は凄いな」

 

 

 

 

……弱々しい拍動。ずっと最後まであの子がそばに居てくれた。

 

 

俺は夕陽の中にいた彼女が救ってくれた命を精一杯使い切れただろうか。

 

 

 

あいつの為に。

 

 

雪ノ下雪乃の為に。

 

 

 

俺は雪ノ下雪乃を救えたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

「……だが、なぜ君は利き腕を捨てた?」

 

 

 

 

自分が今どんな状況で、お前が今どんな状況か分からない。

 

ただ夢でお前と会った時の事を思い出して、一つ言い忘れていた事に気づいた。

 

 

これが結構大切な事で、お前は頭がいいけど勘違いしていると思うから、ちゃんと言うべきだった。

 

 

 

 

「なぜあえて左腕を守って、利き腕の右を捨てた? 左腕を捨てて右腕で斬りかかって来れば、もっと深い傷を負わせられたはずだ」

 

 

 

 

雪の降る夜に、俺は化け物と出会った。

 

その化け物は死にかけていて、本来なら俺は殺すべきだったのに自分の肉を差し出した。

 

化け物の命を繋ぐために、俺は左腕の肉を喰べさせた。

 

 

 

 

だからきっと、……お前は俺に救われたとか思っているだろ?

 

 

でも実際は違うんだ。

 

 

 

 

「……君の左腕には、……何があるんだ?」

 

 

 

 

お前が俺に咬み傷を残した日、先に涙を流したのはお前だったけれど。

 

 

助けたのは俺じゃない。助けられたのはお前じゃない。

 

 

 

 

あの時、本当に助けられたのは______。

 

 

 

 

 

 

 

「……ゆき、……の……した」

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

助けられたのは、俺だったんだ。

 

 

 

 

お前がいてくれたから自分の道を選びなおせた。

 

 

お前いてくれたからこの世界が美しく見えた。

 

 

お前がいてくれたからあの子ともちゃんとお別れが出来た。

 

 

 

 

 

「最後に、……教えてくれ。……どうしたら、“奪う”ことをやめられる?」

 

 

 

 

なぁ雪ノ下。

 

 

俺はお前のそばに_________。

 

 

 

 

 

 

「どうしたら君みたいに何かを“残せる”?」

 

 

 

 

 

 

お前と肩を並べられるように________。

 

 

 

 

 

 

 

____________。

 

 

 

 

 

 

 

「返事は、……なしか」

 

 

 

 

 

 

あぁ、目の前が雪のように真っ白になる。

 

 

 

 

 

心臓の音が____________________。

 

 

 

 

 

 

 

 

聞こえなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

途中から一人引き返してきて、上からずっと窺っていたが、そろそろ楽しい時間も終わりをむかえてしまった。

 

高いマンションから飛び降りて、電柱や塀を使って荒れた道路まで下りる。

 

 

都合のいい事に、他の捜査官は出払っていた。

 

 

 

「…………」

 

「ケタケタ、さすが雪乃ちゃんの男だ。本当に最高だったよ」

 

 

 

私が姿を現しても、白い死神は無言でクインケを向けてくるだけ。

 

全く可愛くない反応だったが、今はとても気分が良かった。

 

 

 

「……悪いけど、そこに落ちているのは貰っていくよ。文字通り骨は拾ってあげるって彼に言ったからね」

 

 

 

もちろん右腕も、と付け加えて私は笑う。

 

相手は相変わらず無言でクインケを放とうとしてくるが、こちらも引くことは出来ない。

 

 

この時のために私がどれだけ時間をかけて“ある人物”を探し出し、どれだけの苦労を掛けて交渉して来たことか。

 

 

 

 

 

 

「ケケ、今日はやめといた方がいい。その足で戦うのは君も嫌だろう?」

 

 

「……」

 

 

 

右足の太ももから垂れる赤い液体。

 

この男の肉を切る事なんて、人間の彼が出来るとは思っていなかった。

 

 

……本当に、さすが雪乃ちゃんの男だ。

 

 

 

 

 

「王には臣下がいなければならない。意味は言わなくても、……分かるだろ?」

 

 

 

 

 

空が急に静かになって、小降りになっていた雪が降りやむ。

 

やはり最後まで無言を貫く男だったが、興ざめしたみたいでクインケを下ろし、こちらに背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

「これにて閉幕だ」

 

 

 

 

 

 

 




エピローグなどを除けば残り3話です。

最後までよろしくお願い致します。

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