二月 四週目
朝から天気は良く、太陽の光が見えるため気温のわりには暖かく感じられる。
今日と言う日の為に新しいコートを買ってそれを着てきたけれど、後で脱いでもいいと思うほど暖かいと感じた。
ちなみに明日は雪が降るらしい。天気予報でそう言っていた。
「何をしているの比企谷君、刻一刻と敵は増えているのよ。ノロノロしているとやられてしまうわ」
「これ以上速くって、お前は競歩の選手にでもなるつもりか?それにこんな所で敵とかやられるとか言うもんじゃないだろ」
はやる気持ちが抑えきれず比企谷君を置いて足を加速させる。
だって仕方がない。こうやって歩いている間にも敵はぞろぞろと私の先を越して行くのだから。
人ごみの中をするりとかわして目的地へと近づく。
私は少し方向おん、……方向感覚があまり良くないが、今回だけは絶対に迷わないように万全の準備してきた。
間違いなく最短ルートを通っているはず。
「……あっ、あったわ。本当に、……本当に実在していたのね」
ここに訪れる事を何度夢見たか分からない。
私は目の前の光景に感激せざるを得なかった。
「おい雪ノ下、ここはさすがに人が多い。はぐれると面倒な事になるぞ」
後ろから追いかけてきた比企谷君が何かを言っているが、今は言葉が頭に入ってこない。
ただただ私は今この時の感動をかみしめていた。
「ここが、……この場所こそが楽園の地なのね」
「……大げさすぎるだろ」
二月の四週目、天気は晴れ。
今、私と比企谷君は、
「行くわよ比企谷君。とりあえず近くにあったこの建物に入りましょう」
「いや、ここに来るまでにいっぱい建物有ったんですけど。全部無視して一直線にここまで来たんですけど。
どれだけ“パンさんのバンブーファイト”乗りたかったんだよ」
「ちょっと何を言っているのか分からないのだけれど。あとで日本語訳するから、とにかくここに入るわよ」
私と比企谷君は、デスティニーランドに来ている。
*
比企谷君の布団に潜り込み、もう泣かないと誓った日の事だった。
いつもの様に仕事から帰って来た彼は夕飯を作っていた私に突然デスティニーランドの入場チケットを渡してきた。
デスティニーランドで入場の時に使うチケットは“チケット”とは言わず“パスポート”と呼ぶことは置いておくとして、とにかく彼が私にチケットを渡してきた。
彼いわく、大家さんが必要ないからくれたらしい。
恥ずかしながら私はそのチケットを見た瞬間から浮かれてしまい、すぐにアルバイトのシフトを調整して来られるようにした。
チケットは今日ランドに入場することが出来て、明日はランドのすぐ近くにあるデスティニーパークに入れるものだ。
本来ならば今日ランドで楽しんだ後、家に帰ってまた明日ここに来るところだったが、大家さんがオフィシャルのホテルの予約も取っていたらしい。つまり今日から明日の夕方位まで楽しみ放題というわけだ。
比企谷君もちゃんと仕事の休みが取れたとの事で安心した。
もちろん電車賃などのお金はかかるけれど、偶にはこんな事があってもいいはずだ。
「全く、素晴らしいの一言に尽きるわね。
あのパンさんの世界観を現実で再現し、乗り物が進むにつれて新しい一面が見られる……。
大人はもちろん子供まで楽しめるように作られている点でも評価が高いけれど、ちょっとした所でファンにしか分からないマニアックなシーンもあるなんて。
到着して早々に言うのは少し悔しいけれど、……凄いわデスティニーランド」
「……うん。まぁ素晴らしいの一言で尽きないくらい素晴らしかったんだな。ご満足していただけたようで良かったよ」
アトラクションに乗り終わり、出口までの一本道を通って外へと出る。
外は相変わらず他のお客がたくさんいて道を歩きづらいが、彼と私は出来るだけ離れないように歩幅を合わせて進んだ。
「それで、パンさん以外に乗りたいものあるか?
お土産は後からまとめて買えばいいだろう」
「……そうね。バンブーファイトは後でもう三度ほど来るから今は置いといて、次は乗り物ではないけれど行ってみたいところがあるわ」
「あと三回も乗るのかよ……」
半分呆れてもう半分は笑う比企谷君。見たところ本気で嫌がっているようではないのでもう少し連れまわしても大丈夫そうだ。
あまり我が儘を言うのは良くないけれど、パンさんについてだけは許してもらおう。
「比企谷君はどこか行きたいところはないのかしら?
さすがに私ばかり好きな所に行くのはどうかと思うし、待ち時間が長いものなら今のうちにファストパスを取りに……」
「いや、別に興味がないわけじゃないが今のところは思いつかない。だから気にせず好きな所に向かってくれ。デスティニーはどこも楽しいからな」
「本当かしら?別に私に気を使わなくていいのよ」
もう一度聞いても私の好きな所でいいと言う比企谷君。やはりここは素直に生きたいところへ来ましょうか。
「……では比企谷君、これからは私が先導するから離れないように。地図やパレードの時間はちゃんと頭に入れてあるから安心してちょうだい」
「了解だ」
そう言って迷いなく進み始めた私の隣を彼はポケットに手を入れながら歩く。
歩きながらデスティニーの話をし、たまに周りにあるオブジェや建物を見てそれを話題にあげたりする。初めて見る物ばかりだから会話が途切れることはなかった。
そして目的地が見えてきて一層人が多い道に入ると、人と人の間を通る時に彼との距離がグッと近づき肩が触れ合って心拍数が少し上がる。
……こんな些細な事でも、私にとっては嬉しい事だ。
「なぁ雪ノ下、ちょっと思ったんだけどさ」
「何かしら?」
「雪ノ下は今までデスティニーランドに来たこと無かったんだろ?なのに何でそんな完璧にマップを把握してるんだ?」
不意に彼は変な質問をして首をかしげる。
まったく、……そんな分かり切った質問をして。
「比企谷君、このくらいは一般常識の範疇よ」
「……んん、そうか?」
どこか納得していない彼から目をそらし、私はすぐそこにある待ち時間が表示された看板を見ながら言った。
「ええ、そうよ」
そして私は、ガイドブックが見えないよう肩に下げているカバンのチャックをしめた。
*
夢の国では時間の流れは早く、楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。
午前中はバンブーファイトから始まって、次に3D映像が流れるホールへ行き、その次はシューティングゲームが楽しめるアトラクション、そして昼の時間帯にはパレードを見た。
パレードの時は事前に調べておいたフード店のテラスからそれを眺め、比企谷君の昼食も兼ねてゆっくりとした。彼は少し値段の高い昼食に文句を言っていたが味はやっぱり良かったらしい。一緒に飲んだコーヒーは私好みの味だった。
それから午後は宣言通りバンブーファイトに行って、他の楽しみたいアトラクションをだいたい回りきった。
その頃になるとさすがに疲れを感じ始めたが、ランドの入園ゲート付近にあるデスティニーショップに向かって買い物をした。
・・・・・・・・・・・
袋を持ってショップを出ると、二人で近くにあったベンチに腰を掛ける。
不意に上を向くと空はすっかり暗くなっていて、光の粒が点々とそこにあった。
「……日が落ちていたのね」
今日の昼は暖かく感じられたのに、急に辺りの気温が下がっていくような気がする。
もう夕方は過ぎて夜になっていた。
「そろそろ夜のパレードだな。今のうちにいい場所を取りに行くか?」
「そうね」
五分くらい休憩すると、比企谷君は私より先に立ち上がって歩き始める。
時間を考えると夜のパレードを見終えたらそろそろランドを出てオフィシャルのホテルに行くだろう。
まだ明日もあるけれど、少し名残惜しい気がする。
「……あなたって猫背ね。もっと背筋を伸ばしたら?」
「いいじゃねえか猫。毎日ダラダラしてるだけなのに飼い主に甘やかされるとか最強だろ」
「誰も猫の話はしていないのだけれど」
そう言って彼の横に並んで歩いていくと、丁度向かい側から私達と同い年位のカップルが横を通り過ぎて行った。
お揃いのマフラーを巻いて腕を組む仲睦まじい男と女。いかにも良カップルと言ったところで、思わず立ち止まってその人たちを凝視してしまう。
後ろから見ても本当にお似合いな“人”と“人”だ。
それに比べて、私は……。
「………」
彼女達から目をそらし、道沿いにあるグッズショップのガラス張りを見ると私が映る。
光の反射でしかないはずだが、私と目があった化け物は片眼を赤くした。
夢の国に入り込んだ、醜い化け物。
「また、…私の前に現れるのね」
片眼が赤い化け物はいつも私が辛い時に現れる。その時は決まって自分の事が嫌でたまらない時だった。
今もそうで、あのカップルが羨ましい。私も人間なら彼とあんな風になれるのかと思うと自分が嫌になる。
……この化け物はそんな時に現れて、いつも私を苦しめる。
「……」
いつも私を苦しめていると、私は思っていた。
「……もう私は、泣かないと誓ったのよ」
けれど、これからは自分の事で悩んだりしない。
自分の事で涙を流したりしない。
だってこれ以上私が泣けば、比企谷君は心配するから。
「私分かったの。……あなたは私を苦しめているわけじゃない、あなたは私と同じ。
……あなたは私と同じで、ずっと苦しんでいたのね」
ガラス張りの中で涙を流す化け物に私は小さくそう言った。
「……もうあなたの事を嫌ったりしない。二度と拒絶したりしない。これからは自分の事を好きになれるように頑張るから……」
今までの様に弱いままではいけないのだ。
弱くて比企谷君に頼って生きるだけなんてどうしても私自身が許せない。
泣いてすがるのは終わりにすると決めた。
「……だからあなたも、……もう泣かないで」
そう言うと、化け物は必死に涙を拭き取りながら小さく頷いた。
彼には2度も命を救ってもらった。
私が死にそうな時、肉を分け与えてくれた。
私が死のうとした時、優しさをくれた。
「雪ノ下、いつの間に立ち止まってたんだよ」
「……ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」
私が立ち止まっている間に数メートル先へと進んでいた彼は、私がついて来ていない事に気づいて戻って来た。
「……ねえ、比企谷君」
「ん?何だ?」
これ以上あなたに甘えるわけにはいかない。
私は十分に助けられたから。
……もうたくさん救ってもらったから。
「いつか必ず、あなたを助けるわ」
寒い様で暖かい、夜を迎えた夢の国。
パレードのイルミネーションが辺りを照らし、人々がその光に集まっていく。
そんな中、一匹の化け物は、
必ず恩を返すと、そう誓った。
またまた投稿に一週間かかりました。
年末年始くらいに本気で書こうと思っていますので、それまでもう少しお待ちください。
それではまた。