「……まさか、ここまで強力なものだったとは」
目の前のベランダから入ってくる日光が部屋を少しだけ温め、冬の一日の中でも比較的暖かい昼間の時間帯。
私は目の前の物体を観察し、顎に手を当てながらその正体について深く考えていた。
「…一見して他の物とは変わらないように見えるけれど、使用すれば明らかに違う。
今までの私ならこんな事にはなっていないのだから、やはりその効果は大きいわね」
色々な見方をして考えるが、やはり解は出せない。
いったいこれは何なのかしら。
「……もしかして、CCGが対喰種用に作った新しい武器なのかもしれないわね。
これの使用によって体の動きを止める算段ね」
なるほど。それならば今日起きた奇妙な現象の説明がつく。
私に起きた、あり得ない現象の説明が………。
「まさか、早起きが得意な私が昼の一時まで眠っていたなんて……。
この布団は明らかにおかしいわ」
…とまぁこんな感じで、私はこの布団で三度目の起床をした。
*
比企谷君の申し出を受けた次の日。
私はたくさんの睡眠をとってから目覚め、今日やることの確認をした。
「……家から必要な荷物を取ってくる、大家さんに挨拶、物件探し、大学は……どうしようかしら」
昨日は比企谷君と話し合い、結局私は彼のそばに居させてもらう事になった。
ほとんど他人のような関係の私がそこまでしてもらうのは申し訳ないと散々言ったが、彼は気にしないとか言って私の不安を少し払拭してくれた。
それからも私の食事の事や大学に行けなくなったのでどのように生きていくか、金銭的な問題なども彼に話したが、比企谷君の意思は変わらなかった。
……それが嬉しくて、幸せで、
私はまた彼の前で涙を流してしまった。
そしてそれから本格的な話になり家を引っ越すことになった。
今の比企谷君の家は二人暮らしするには少し小さい。それに私はもう8区にいない方がいいので他区に引っ越すという事になった。
場所は私も比企谷君も迷っている。
とりあえず新しい場所が決まるまではこの場所で比企谷君と暮らす、と言うのが昨日の話し合いの結果だ。
交際もしていない二十歳の男女が一緒に暮らすなんて世間的には良くないかもしれないが、別にやましい気持ちがあってやっているわけではない。
ただ布団が一組しかないのは問題ね。私がずっと占領してしまって、彼は部屋の外でバスタオルを床に敷いて寝ている。
夏用の掛け布団やタオルケット、それにコートなども使って寒さはしのげていると言っていたけれど、これは本当に申し訳ない。
私の家にある掛け布団をどうにか持ってきましょうか。
「まぁグダグダ考えていても仕方がないわね。
まずは家から必需品を持ってこないと」
布団を畳んで押入れにしまい、台所の方へ行く。
この家は不必要な物が少なくて無駄なスペースを取っていない。なので一人暮らしだった家にしては部屋が広く感じられた。
台所の近くにあるシンプルな四角いテーブルに目をやると、仕事に行った彼の書置きがあった。
『キャリーケースとカバンは好きに使ってくれ。
あと電車賃置いとくからそれも使ってくれ。
帰ってくるのは18時くらいになる。戸締りよろしく』
書置きの上に置かれた一万円札と部屋の鍵を手に取る。
「電車賃で一万円も置いていかなくてもいいのに。気を使い過ぎよ」
またもや彼の優しさに嬉しさと不安を感じながら、私は着替えて自宅へ行く準備をした。
*
CCGの本部にて
「比企谷、何か私に言う事はないか?」
いつもとほとんど変わらないはずの仕事場だったが、今日は平塚先生がご機嫌ななめの様だ。
……すごい眼力で睨んでくる。
「あと一月ほどで辞める事になりました。お世話になりました」
「さらっというな馬鹿者!なぜ事前に相談しなかった!!」
手に持っていた資料をぐしゃっと握りつぶし、胸元からライターと煙草を取り出す。
そして近くの椅子に座って俺も座れと目の前の椅子を指さした。
「比企谷とはそこそこの付き合いだと思っていたが、どうやら君はそう思っていなかったようだな。私は悲しいよ」
「……確かに上司である平塚先生には相談す...」
「しかもこのタイミングでまた面倒な事が起きるし、いい男は見つからないし、友達は結婚していくし、親にはお見合いとか進められるし、もううんざりだ!」
「……はぁ、すみません」
俺の話に聞く耳を持たず、あたかも俺のせいで結婚できないような口ぶりの平塚先生。
……大丈夫、結婚がすべてじゃありませんよ。
「……まぁ君がこの仕事を辞めると言うのは正直言って正解だと思う。君は少し優し過ぎるからな」
そして彼女は煙草に火をつけて煙を吸う。
いつも思うのだが捜査官だというのに煙草など吸っていていいのだろうか?
「陽乃が聞いたらどんな顔をするか見当もつかないな。
……と言っても、今はそれどころじゃないか」
「どういうことですか?」
平塚先生は吸い始めたばかりの煙草を灰皿で潰し、疲れ切った口調で言う。
「……二日前に陽乃が担当していた“猫又”と戦ったらしい。
だが残念な事にその喰種はまたもや逃走、そして今回も死人は出なかった。四肢のない自殺者の死体は近くに落ちていたらしいがな」
「……それで何が問題なのですか?」
猫又と言う言葉に過剰に反応しそうになったが、それを押さえてポーカーフェイスを作った。
「陽乃の部下の報告によると、猫又は隻眼だったらしい。
和修総議長からの命令で今は特等たちを集めて会議をしている。たぶん奴の居所が分かり次第、討伐部隊を編成して本気で狩るだろうな。
私や陽乃も加わる可能性が高い」
「……そうですか」
ポーカーフェイスを崩さないまま、出来るだけ落ち着いて返事をした。
隻眼はCCGから目の敵にされている。
だからこうなることも予想出来ていた。
……予想した上で、俺は後悔しない道を選んだ。
「だが肝心の陽乃が休みでな。私が連絡を取っても返事が来ない。......さすがに少し心配だ」
「……ですね」
彼女がCCGに来ない理由は何となく分かっている。
でも彼女が実際に何を思い、何を望んでいるのかは分からない。
雪ノ下陽乃は、結局どうするのか?
「……ん?」
そんな事を考えていると、ポケットに入れておいたスマホが一度だけブルッと震えた。
「平塚先生、そろそろ仕事をしましょうか。
去る前に出来るだけ終わらせますよ」
「……はぁ、君がいなくなると寂しくなる。これからは一人でラーメンを食べに行くことになるなぁ」
「確かにそれは寂しいですね」
それから他愛ない雑談をして平塚先生の目が俺から離れた時にスマホを確認した。
[FROM 雪ノ下陽乃]
今日早めに仕事を終わらせて、私の所まで来てほしい。
「………」
俺は了解と二つの文字を送信して、仕事を始めた。
感想評価等ありがとうございます。
今回は少し短くなってしまってすみません。