……いい匂いがする。
美味しそうとかそういう事じゃなくて、ただ単純に嗅いでいると落ち着く。
そんな匂いがする布団だった。
……。
……布団?
「っ!!」
一気に目が覚め、布団から起き上がる。
気がついた私は、どこかも分からない部屋にいた。
「当然だけど、私の家じゃないわね……」
部屋の上の方を見るとデジタル時計が掛けられており、時間は22:13と表示している。
……ほとんど丸一日寝ていたのか。
「ここは……」
とりあえず周りを見回すと、左には箪笥や本棚、それにテレビがあり、右には押入れ、後ろにはベランダなど一見して普通の部屋だ。
部屋の壁には私のコートが吊るされている。腰辺りの部分が破れ、血が染みてボロボロだ。
そしてその隣には私のものではないスーツやコートがあった。
「このコート、昨日公園で見た……」
「入るぞ」
そこまで言うと、部屋のドアが開き、人が入って来た。
「あなた、あの時の」
「ああ、もう動けるのか?」
私の目の前には、昨日公園で会った男がいる。
昨日は暗い公園の中だったので多少見にくかったが、間違いなくこの男、……あの喰種捜査官だった。
「まぁ起き上がってるしほとんど……」
「何の真似よ」
私は男との距離をすぐに詰め、相手の首に爪を突き立てる。
男は一瞬驚いた素振りを見せたが、特に動き回らず私の言葉を待った。
「あなた、公園にいた白鳩よね。
どういうつもりでこんな事をしているか知らないけど、あなた程度なら一瞬で殺すことが出来るのよ」
「それはやめていただきたいな。まだかわいい妹を置いて死ぬわけにはいかねえ」
「じゃあ答えなさい。何が目的なの?」
「……それは…」
私の問いに、男は沈黙する。
本当にこの男の狙いが分からない。
白鳩であれば喰種を見れば駆逐するのが当たりまえで、そうでなかったとしても喰種収容所に監禁するはず。
前者であれ後者であれ、私をこんなところに置いているのはおかしい。
それにこの男は武器を持っているようには見えない。
服にも入っていなさそうだし、もちろん手にも……。
「……あなた、…その左手」
「ん? ……あぁこれか。ちょっと階段でつまずいてしまってな。
と言うか、そろそろ喉に爪を突き立てるのはやめてもらえないか」
男の左手は、……いや、たぶん左手から服で隠れている腕まで、白い包帯がまかれている。
そしてその包帯には、ところどころ赤い染みが…。
「くだらない嘘を……。本当に、……何の真似よ」
突き付けていた爪を下し、男から少し距離を取る。
「……おかしいと思ったのよ。あれだけの重症を負ったのに、……まだ生きている事が」
あの時全く治らなかった腹部の傷は、起きたらほとんど塞がっていた。
もちろんただ時間が経ったから治ったわけではない。
あの傷を治すには、絶対に肉を食べる必要があった。
……。
つまり、その包帯の下は……。
「……なぜ、そんな事をしたのよ」
胸の中でよく分からない感情が沸き上がり、相手の顔を見ていられなった。
私は少しうつむき、視線を落としたまま話を続ける。
「喰種の擁護は重罪。それを擁護どころか生かすなんて。バレたらただでは済まないはずよ」
「よくご存じで。まぁばれないように上手くやるから大丈夫だろ」
「何を……、言って……」
下を向いていた私だが、男の態度に怒りを感じて射るような視線を向ける。
「さっきから何をふざけた事ばかり言っているの!!
あなたは私の敵でしょ!!
優しいふりなんてしないで!!」
この男の目を見ているとイライラする。
私に、そんな悲しいそうな目を向けて……。
「私に、……優しくしないで」
いつの間にか、眼から涙が流れてポロポロと頬を伝っていく。
別に悲しいわけでもないのに、涙は流れ続けた。
「お前、……その眼」
「……っ!」
男に言われ、私は我に返って急いで眼を隠す。
興奮してしまったため、制御できずに赫眼になっていた。
「……片眼だけ」
そう、片眼だけが。
右眼だけが、赫眼になっていた。
「……もう行くわ」
男に背を向け、吊るしてある自分のコートを手に取る。
このボロボロで一部が赤く染まったコートを着ていれば間違いなく目立つが、幸い外は暗いし、人目を避ければ大丈夫だろう。
「……あなた、名前は?」
ベランダの戸を開けると部屋に冷たい風が流れてくる。
……私はどうして、人間の名前など聞いているのだろう?
「……比企谷だ。比企谷八幡」
「……そう」
“比企谷八幡”
変わった名前ね。
「私の名前は……」
この男を殺さず、さらに名を名乗るなんて、とても愚かな事だと分かっている。
でも、
それでも私は……。
「雪乃よ」
彼に名前を伝えたくなってしまった。
「雪乃か、綺麗な名前だな」
「……」
何も言い返すことはできず、ベランダまで行き暗い夜を見上げる。
昨日と違って、残念ながら雪は降っていない様だ。
「……さよなら」
私はそれだけを言い残して、冬の夜へと飛び出した。
読んでくれた方、ありがとうございます。
これから忙しくなるため、次の投稿は8月になると思います。
良ければ気長に待っていて下さい。
(優しめの)感想等はしてくると嬉しいです。