アオギリのノロからもらった資料を読み、大きく揺た感情は時間が過ぎるにつれて落ち着きを取り戻し始めた。
今は大学の講義が終わってちょうど家に帰ってきたところだ。
靴を脱いで部屋に向かい、テーブルの上にカバンを置いて教科書やノートを取り出す。
帰って来たばかりだがもう少しで試験があるため家で復習しておかなければならない。
最近は休みがちで板書が出来ていないから普段より余計に勉強時間がかかる。
ノートを見せてもらえるほど親しい人はいないし……。
とまぁそんなわけで教科書をペラペラと読んで勉強をしていたらお腹が鳴った。
「………はぁ」
11区での戦い以来、一度も食事をとっていない。
やはり赫子を使って激しく戦ったからエネルギーの消費が大きかった。
幸い今は部屋で一人きりだが、大学の講義中などにお腹を鳴らすわけにはいかない。
誰かに聞かれたら恥ずかしくてたまらないから。
「また、…喰べるしかないわよね」
私が生きるために必要な栄養は人を喰べることでしか得られない。
やはり今日にでも死体を探しに行くしか……。
「………」
不意に以前まで鏡があった場所を見た。
鏡は破片となって床に散らばったから今はもう私の姿は映らない。
「…………赤い目の化け物」
映らないはずなのに、化け物は片目を赤くしてこちらを覗いている。
誰にも見せたくない喰種の時の私。
「……っ」
見ているとまた辛くなるので、私はありもしない鏡から目をそらした。
いっそのこと高槻さんや霧島君の様に完全な喰種になり、人を殺し続ければ気持ちが楽になるかもしれない。
……でもそれは出来なくて、ずっと私は必要以上に命を奪う行為を避けてきた。
「誰もが、……彼のような人だったらいいのに」
私を助けてこの右眼を見た人
私と戦い仮面を優しく割った人。
人間が皆彼の様な人ならば、彼の様に少しでも私を受け入れてくれるのであれば、
こんなにも自分の事を嫌わなくて済むのに……。
「...馬鹿馬鹿しいわね」
勉強を始めたばかりだが、私は教科書を閉じて椅子から立ち上がった。
そして衣装棚の奥に隠してあるお面を取り出しカバンにしまった。
…じきに夕陽は沈み夜が来る。
この歪んだ世界の現実は私の描いた空想と違って残酷だ。
どう願おうと、結局私の生き方は変えられない。
仮面を付けて顔を隠し、ひっそりと誰にもばれないように死体を漁る。
みっともなくて、とてもおぞましい生き方。
私は二十年間そうやって生きてきた。
「………」
…そんな私は、どんな形であれ報いを受けるだろう。
捜査官に正体がばれて殺されるかもしれない。
喰種に攻撃されて殺されるかもしれない。
……私を恨んでいる人と出会うかもしれない。
「……行きましょうか」
それでも私は、死体を探しに出かけた。
*
電車に乗って自宅から離れ、降りた駅から30分ほど歩いた。
歩いている間に夕陽は落ち、空は暗くなって道路の照明灯は光始め頃にはもう目的地が見えてきた。
目の前にあるのは8区の隅にある廃業した工場。
昔からずっとこの工場は使われておらず、かと言って取り壊しをして新しいものを作る気配もない。
人の出入りがなく辺りの人通りも少ないため、少し寂しい場所だ。
自殺者はこのような人目のないところに来て死にたがるらしく、この場所の死体はいつも喰種たちが回収するので普通に過ごしている人間たちにはあまり知られていない。
つまり捜査官達が来る可能性が低いところなので私にとっては都合のいいところだ。
「……相変わらず暗い場所」
錆びた門を通り、鼻を利かせながら工場の建物に近づいて行った。
ここの自殺スポットは、厳密には工場ではなくその隣にある建物。
その建物の中は覗いたことがないので何があるか知らないが、それには非常階段が設置されていて階段を上がって行けば屋上まで行ける。
……人はそこから飛び降りるのだ。
「かすかな血の匂い」
そして最近もそれが行われたらしい。
血の匂いをたどっていくと石塀が見えてきて、その裏には非常階段のある建物。
やはり建物の前から匂いがし、そこには女の人がうつ伏せで倒れていた。
頭部や地面には固まった血がついているが肉体が腐っていないので死んでからそこまで時間は経過していないと思う。
もしここに死体がなければ違う場所に行き、そこでもなければ他の区に行こうと考えていたが、今回は運が良かったようだ。
「…人として生まれても、辛い事はあるのね」
女の人の冷たい遺体を転がし、顔がこちらを向くようにした。
女の人はどう見ても私より年上で、黒い髪を肩まで伸ばした二十代後半くらいの人だった。
目は開いたままで死んでいたため瞼を下におろし、目を閉じさせてから地面に寝かせた。
そして持ってきたカバンからハンカチを取り出し顔に掛けた。
死んだ人の顔を見ていると言うのはあまりいい気分になれない。
ましてやこの人の場合は頭から落ちたので頭部の形が普通の人とは違う。
「……」
……それでも私は相手の顔をちゃんと確認するべきだと思っている。
それで何かが変わるわけではないが、見たくないからと言って目をそらすのはいけない気がする。
ちゃんと喰べる相手を確認し、その人に謝意と感謝を感じるべきだ。
それが私なりの最低限の敬意だ。
こうして女性に対して手を合わせ、ごめんなさいと言っていると工場の門辺りから何か聞こえてきた。
「………足音?」
カバンからお面を取り出してそれをかぶり、耳を澄ませていると何者かがこちらに近づいてくるのが分かった。
……人数は一人。
とりあえず音をたてないように近くの非常階段を上り、死体はそのままにして身を隠した。
正直言って、その必要はないと思うけれど。
「………あった!」
一分もしないうちに足音はこの建物の前で止まり、女の子の声がした。
下から聞こえてきたその声はさっきまで私が見ていた遺体の発見に喜ぶ声だった。
……私の耳や鼻は他の喰種と比べても群を抜いて良いと高槻さんが言っていた。
その私の鼻が下にいる子は大丈夫と言っているのだから間違いなく安全。
下にいる子からは喰種の匂いがする。
私は非常階段を降りて行き、背を向けている女の子に声をかけた。
「そこのあなた」
「わっっ!!」
死体に夢中になっていた女の子は突然背後から声をかけられたことに驚き、急いでこちらを向いた。
「…だっ、誰!?」
「あら、思っていたよりも小さい子ね」
目の前にいるのは私の胸元くらいまでの身長で汚れが目立つ服を着ている女の子。
中学生くらいだろうか、肩に大きなバックをかけている。
必死でこちらを威嚇してくるが、全く威嚇になっていない。むしろ弱々しくてこちらの優位性が強く感じられた。
「こんばんは。あなたの様な子はこんな時間に一人で出歩くべきじゃないわよ」
「…女の人」
お面を取って挨拶をし、警戒心を緩めさせる。
別に危害を加えるつもりはないが、この子とは少し話した方が良さそうだ。
「あなたも死体を探しに来たの?」
「………はい」
うんとは言わずはいと言ったところがいいわね。ちゃんと年上に対する態度がなっている。
どこぞの喰種組織にいた生意気な子供にも見せてあげたいわ。
「そう、でもそこに倒れている死体は私が先に見つけたの。
大人気無いと感じるかもしれないけど、あなたに持って帰らせるわけにはいかないわ」
「……はい」
私が怖いのか、彼女はバックを握りしめおとなしく返事をした。
……下を向いている。泣いてしまいそうね。
「…でも、…妹がいます」
バックをぎゅっと握りしめたまま声を漏らし、涙をぽたぽたこぼし始めてしまった。
「お父さんとお母さんがいなくなってから、ずっと、……ずっと何も食べていません」
「……そう」
父と母がいないか。
だからこんなにも内気で幼い子が夜に死体を探しに来たのね。
「だから、……少しでも」
泣いて懇願するこの子は、地面に膝を付けて頭を下げようとする。
きっと自分の為ではなく妹のために頭を下げるのだろう。
この子はそういうことが出来る喰種。
……自分の事で泣き、自分よりも大切な存在がいない私とは違う。
「姉妹って、そういうものなのね。
……あなたたちが羨ましいわ」
私は女の子に近づき、肩を優しく叩いて頭を上げさせた。
「頭を下げる必要はないわ。今すぐに立ち上がりなさい」
「……え?」
「いいから、立ちなさい」
言った通り立ち上がった女の子と視線が合うように腰を下げ、涙で濡れている目元を服の袖で拭いてあげた。
「大丈夫よ。さっき言ったのはあなたに死体のすべてを持って帰らすわけにはいかない、と言う意味であって私が独り占めするわけではないわ。
私もお腹がすいているから、二人で分けましょう」
「い、いいんですか?」
「ええ、構わないわ。
だからもう泣くのをやめなさい」
女の子は二、三度うなずいて、ピタリと涙を止めた。
そして私は死体のもとへと行き、もう一度手を合わせてお辞儀をした。
「ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
お辞儀している間に女の子もこちらに来て私と同じように手を合わせていた。
「……じゃあ、分けるわ」
ここまで来れば私も腹をくくって思い切りやる。
遺体の衣服を脱がせてから、肩と腕を掴んで力を込めて引き千切った。
「ひっ!」
その光景を見て女の子は小さな悲鳴を上げたが、止めるわけにはいかない。
続いてもう片方の腕も同じように千切り、その後両足も同じように千切った。
残ったのはハンカチで隠れた顔と四肢のない胴体。
「……カバンに詰めて持って帰りなさい。残りは私が貰っておくわ」
「こんなに、……お姉さんは大丈夫なんですか?」
「胴体を喰べれば大丈夫よ」
この子が心配してくれた通り、私にとって残りの肉の量では足りない。
全部摂取すれば一カ月は持つかもしれないが、それはあくまでも赫子を使わない場合の話だ。
もしこの前の様に赫子を使う事になれば、わずか数週間でまたお腹が減ってしまう。
……そして何より、私は人の顔と内臓は喰べない。
余りにも生々しすぎて、いつも口にする事を避けている。
なので残りの部分で私が食べれるところなどあまりない。
「……貰ってばかりでごめんなさい」
「構わないわ。私が決めた事だもの」
女の子はそう言ってからカバンに手足を入れ、チャックを閉めて肩にカバンの紐をかける。
まだこんな幼い子に遺体を千切らせたくはないし、目の前で抉り出された内臓など食べさせたくない。
この子もいつかはそうせざるを得ない時が来ると思うけれど、今はせめて私がやればいい。
妹のためにここまで来たのだ。それくらいは私が助けてもバチは当たらないはずだ。
「じゃあ帰る前に少しあなたに忠告しておくわ」
「はい」
「まず一つ、今日は私がやったけれど次は自分でやらないといけないと思うわ。
気持ち悪くて嫌だと思うかもしれないけど、生きたいのなら仕方のない事よ」
「……」
彼女は黙ってコクっと頷いた。
「そして二つ目、今度からは顔を隠せるような服装をするか仮面を持ってきなさい。
人や捜査官に見られては困るでしょう」
さっきと同様に彼女は頷いた。
「三つめは、難しいかもしれないけど赫子を出す練習をしておきなさい。
見た感じでは出せなさそうだから言っておいたのだけれど、これも喰種には必要な事よ」
「……赫子」
「そう、良ければ今から数分レクチャーするわよ。
妹さんがお腹を空かせているかもしれないけど、私は聞くことをお勧めするわ」
差し出がましいかもしれないけど、と付け足したが、女の子はすぐに頷いた。
「お、お願いします」
それから私は、自分が言った通り数分間女の子に赫子の出し方をレクチャーした。
幼いころに私が父に教えられたように。
「……頑張りなさい。喰種には必要だから」
そう、……喰種には必要な事だ。
赫子を使う事も、
捜査官から身を隠すことも、
人の死体を探すことも、
人の肉を喰らう事も、
喰種には必要で、当たり前の事だ。
……仕方のない事なのだ。
「嘘つき……」
暗い空を見上げると、黒い雲で覆われているから月や星が見えない。
今日は、………雨が降りそうだ。
これから投稿スピードが遅くなると思いますが、必ず完走はします。
良ければ最後までお付き合い下さい。