CCG本部にて
「比企谷、怪我の具合はどうだ?」
「大丈夫です。そもそも怪我と言うほどの物でもなかったですし」
「そうか。ならば私の仕事を手伝ってもらおうかな」
「分かりました」
私の目の前で働いているのは、面倒臭がりだが変に真面目な性格を持つ私のパートナー。
まだまだ経験は浅く学ぶべきことがたくさんあるが、腕っぷしの強さなら准特等である私や陽乃にも劣らない。
もちろんこれは過大評価などではなく、ただ純粋に戦闘力だけを比較すれば妥当なものだ。
……が、やはりまだまだ未熟。戦闘に関しては一級品だが詰めが甘い。
前回の戦いでは脳震盪とまではいかなかったらしいが頭に強い衝撃を受け、治りかけていた左腕はまた痛み出したらしい。
左腕に関して言えば完治していないのに作戦に参加させてしまった我々の責任だが、頭の方はどうせ詰めの甘さから来たのだろう。
「……そう言えば数週間前の夜中にあった件、どうなりましたか?」
「ん?…あぁ、八区で6人の捜査官を倒した喰種か。
そいつの事なら安心するといい。その喰種の担当は陽乃がする」
「……雪ノ下さんですか」
「ああ、確か名前は猫又だったかな。仮面と赫子の特徴からそう呼ぶことになったらしい。
レートはS~」
「S~って、最初から高くし過ぎじゃないですか?
たった一度出てきただけでしょう?」
「いや、単騎で6人を、それも殺さず戦闘不能にして逃げて行った奴だ。実力は本物だろう」
「……そうですか」
なぜか浮かない顔をする彼は、それから黙って仕事を再開する。
こいつに限ってその喰種を倒したかったという事は無いだろう。
「まぁその喰種の事は気にするな。
担当が陽乃なら短期間で見つかるだろう。今日からバリバリ調査していたはずだ。
実力的にもあいつが担当するのであれば申し分ない。上のお偉いさんもあいつには期待しているしな」
私の教え子で一番の出世頭。
あの年で私と同じ階級まで昇りつめたのだからすごいものだ。
……とまぁ皆から期待されている教え子の話をしてもいいが、今からは私とその教え子にしか期待されていないパートナーの事を語ろう。
私と陽乃が出会った、
喰種を殺さない二等捜査官の話を。
*
思い返してみると意外と最近の事だった。
これは数か月前の話。
捜査中に何度もハンカチで額の汗を拭っていたから夏だったと思う。
私は陽乃と一緒にSレートの喰種を追っていた。
「暑いねー静ちゃん。何で外はこんなに暑いのかな?」
「さぁな、地球温暖化のせいじゃないのか」
カンカン照りの日差しが空気を熱し、長袖長ズボンの私達はむせかえるような暑さを感じながら歩き続けている。
こんなに暑いのだからスーツの上着は脱ぎたいが、どちらにせよ汗をかいてしまうので女性の私達にとって上着は必要だ。
シャツだけだと透けてしまうからな。
「やっぱり昼間の捜査は大変だね。今探している喰種を倒したらその赫包で扇風機のクインケを作ろうかな」
「そんな冗談を言えるくらいならまだまだ余裕だろう。あと二時間は歩き回るか?」
「えーー」
私達が探しているのは通称“ジャック・ザ・リッパ—”。
恐らく甲赫の赫子を持つS喰種で、あの切り裂きジャックから名前を取ったらしい。
“ジャック・ザ・リッパ—”は半年ほど前から目立つようになってきた喰種で、最近は局でもそいつの噂が広まっている。
その喰種は特定の区に留まることはなく2~3件の事件を起こした後で他の区に移動し、移動した区でまた事件を起こす、という事を繰り返している。
そして今回は私の担当である8区に来たようだ。
「全く、“ジャック・ザ・リッパ—”なんて言うのならイギリスでやればいいものを。わざわざ東京で、それも捜査官殺しをするなんてな」
「やられた人達に同情はするけど、私はそのジャックに会うのが楽しみだよ。はたしてどんな喰種出てくるのか…。
わざわざ8区まで来て静ちゃんとコンビを組んでいるのだから、それ相応の敵が出てきてくれないと困るね」
「はぁ、またお前の悪い癖が出たな」
“ジャック・ザ・リッパ—”の特徴は殺す相手とその手段。
殺されているのは各担当区を捜査していた喰種捜査官。任務中に襲われ、何人もの捜査官が命を落とした。
被害にあった捜査官の男女比は4:6。元々捜査官の数は女性の方が少ないのにこの比率という事は、奴の好みは女性かもしれない。
そして一番の問題は殺された捜査官の遺体だ。
その喰種は捜査官の体を毎回バラバラに切り裂き、場合によっては特定の臓器を取り出した跡があるそうだ。
さらに遺体の周りには捜査官が使っていたクインケが置かれているが、これも遺体同様バラバラに切断されているそうだ。
クインケを切断するなど簡単にできる事ではない。恐らくかなり鋭利な赫子を持っている。
まぁクインケはともかくとして、遺体を切り刻むというのはさすがにやり過ぎたな。
やられた捜査官の中に、顔見知りもいた……。
「……」
「…どうしたの静ちゃん?スゴイ顔してるよ。のび太さんにえっちな事でもされたの?」
「いいや、私も早くその喰種に会いたくなってきてな」
「……ふーん。まぁジャックが本当に捜査官の女好きなら真っ先に私たちの所に来るよ。と言うか暑いから本当に早く来てほしいね」
おとり捜査も楽じゃないよ、と言って陽乃は手のひらでパタパタと顔を扇ぐ。
人通りが少なくなってきたし、出てくるとしたらそろそろか。
「こっちに行こう陽乃。……こちらは陰っているし、……その方が向こうにとっても都合がいいだろう」
「りょーかい」
こうして私達は休憩も挟みながら、夜になるまで襲われるのを待った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
日は落ちて空が暗くなった時間帯。
むしろ今の時間帯の方が相手にとっては襲いやすい時間帯かもしれないが、さすがに長時間の捜査だったため疲れを感じる。このまま続けるのは得策ではないだろう。
「結局出てこなかったね。噂のジャック君」
「…おとり捜査なんてこんなものだろう。地道にやるしかないな」
「まさか明日も暑い中歩かないといけなくなるなんて…」
今日の捜査は終わりだと陽乃に言い、彼女とたわいもない会話をして暇をつぶしながら夜道を歩く。
「そう言えば静ちゃんって今パートナーいなかったよね?誰か新しい子決まってるの?」
「いいや。まだそんな話は聞いていないな。陽乃はどうなんだ?お前もいなかっただろう」
「私は一応決まっているよ。相手と顔を合わせるのはまだ先だけど、若い女の子だって」
「気が合う奴だといいな」
「うーん。面白い子だといいけど、あまり期待していないかな」
…こういうところも相変わらずだな、と私は思う。
この子は人付き合いが得意だが本当に深く誰かと付き合う事は出来ない。
誰と話すときでも素顔を見せず、ずっと見えない仮面を付けているようだった。
この先、…誰かが彼女の仮面を外してくれるだろうか?
誰かが、彼女の心を___________。
「お前にも、大切な人が出来るといいな」
陽乃は不意にこぼれた言葉を聞き逃さず、意外な返事を私にした。
「大丈夫。……私にも、大切なものはあるから」
「…そうか」
こうして私たちの会話は止まり、その後私は夜空を見て歩き続けた。
無言のままでも居心地は良く、夏のわりには涼しい風が吹く。
そしてその静寂の中で。
ポケットに入れていたスマートフォンが振動し始め、着信を知らせる。
「あれ?」
それとほぼ同時のタイミングで、隣にいた陽乃のスマートフォンにも着信が入る。
……これは、偶然ではないな。
「静ちゃん、これ本部からの電話だよ」
「何かあったのか…」
それから私は通話ボタンを押し、スマホを耳に押し当てる。
「はい、平塚です」
「平塚准特等ですか!?こちらCCG本部です」
電話越しでも焦っているのが分かる。
たぶん女の人でかなり早口だ。
「先ほどから8区で捜査を行っている喰種捜査官へ電話をしているのですけど、何度やっても繋がらなくて。
何だか変なんです!」
「落ち着いてください。私達はどうすればいいですか?」
「彼らが捜査していた場所を伝えるので至急向かってください。も、…もしかしたら、噂の喰種に遭遇したのかもしれません!」
それから震え声で伝えられた場所を覚え、私はタクシーのある場所にまで走り出す。
……同じ八区だが、少し離れている。
「奴が出たの?」
私同様に走り出した彼女は、何も説明せずとも今の事態が分かっているようだった。
「ああ、ったくイライラするよ。どうせ襲うのなら私達の方に来ればいいものを」
「……早く行かないとマズいね」
こうして全速力向かった道路で素早くタクシーを見つけ、私達は伝えられた場所の近辺まで到着した。
それから私達は走り回り、暗い路地をほとんど闇雲に通り抜けて行った。
早くしないとまた仲間がやられる。
今“ジャック・ザ・リッパ—”を逃がせば、また捜査官が被害にあう。
早く、早く私が行かねば。
「待って静ちゃん、……何か聞こえる」
急いで先行していた私を止め、陽乃がそう言う。
彼女は目を閉じ耳を澄ませ、音の発生源を探している。
「……確かに、……この音は」
喰種のように聴覚がすぐれているわけではないので細かい事は把握できないが、確かに物音が聞こえる。
それも一度や二度ではなく、連続して聞こえてくる。
「…誰かが、戦っているのか?」
「多分こっち!」
場所が大体わかったのか、入り組んだ路地を迷いなく走り出す。
そして進むにつれ音は大きくなり。
ついに_________。
「っ!!!」
こうしてたどり着いた場所にあったものは呼吸を忘れさせるような光景。
一体の喰種と、一人の捜査官が戦っていた。
「な、何だこれは……」
……そう、その場にいたのが。
喰種を殺さない二等捜査官だった。