ゼロの狩人   作:テアテマ

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07:光

「残念ね! ヴァリエール!」

 

 勝ち誇ったキュルケは大声で笑った。ルイズは勝負に負けた悔しさからか、膝をついて肩を落とした。

 ジェヴォーダンはなんとも言えない気持ちでルイズを見つめた。

 

「あぁ、ダーリン! これで邪魔者はいないわぁ!」

 

 唇を尖らせて飛びつこうとしたキュルケの頭を、ジェヴォーダンの長い腕が押さえる。

 

「あん! でもそんないけずなとこもステキ!」

「お前、あれだけの目に遭ってまだ……」

「あいにく、恋の前にはどんなものも脅威にはならないの! そんな所もひっくるめて愛してこそよ!」

 

 ここまで清々しいとこれはこれで感心してしまう。さてどうあしらったものかと思案し、異様な気配を感じて顔を上げた。

 

「! あれは何だ!」

「え? な、なにこれ!」

 

 見れば、天にそびえる巨大なゴーレムがこちらへた歩いてきていた。

 

「きゃぁああああああ!!」

 

 キュルケは悲鳴を上げて逃げ出した。ジェヴォーダンはルイズをかばい、身構える。

 

「くっ……!」

「あ、あんた何してるの! 逃げなさい!」

 

 ゴーレムの足が持ち上がる。ジェヴォーダンはルイズを抱えて逃げようとするが、間に合いそうにもない。

 ゴーレムの足が落ちてくる。ルイズは目をつむった。

 が、ごうっと一陣の風が吹き抜け、間一髪でタバサのウィンドドラゴンが滑り込んだ。ジェヴォーダンとルイズを拾い上げ、ひらりと飛び抜ける。

 直後、ジェヴォーダンたちがいた場所にゴーレムの足がずしんとめり込んだ。

 ウィンドドラゴンの足にしがみついたジェヴォーダンはとルイズは、息を飲んでその様子を見ていた。

 

「なんて大きな土ゴーレム……あんな大きい土ゴーレムを操れるなんて、トライアングルクラスのメイジに違いないわ」

 

 ルイズは唇を噛み……先ほど、ジェヴォーダンが危険をかえりみずルイズを助けようとしてくれていた事を思い出した。

 

「あんた……なんでさっき、逃げなかったの」

 

 ジェヴォーダンは、きっぱりと言った。

 

「主人を見捨てて逃げる使い魔がいるものかよ」

 

 ルイズは驚いて、ジェヴォーダンの横顔を見た。なんだか、ジェヴォーダンがとても眩しく見えた。

 

「あのゴーレム、壁を破壊したようだが……」

「宝物庫」

 

 ウィンドドラゴンの背中にまたがったタバサが、ジェヴォーダンの疑問に答えた。見れば、ゴーレムが拳をぶつけた事で本塔にあいた穴に、黒いローブを着たメイジが滑り込んでいく。

 

「なるほど……『土くれ』か」

「土くれって、あの土くれのフーケ?」

「そのようだ。トライアングルクラスの『土』系統のメイジなのだろう? 噂の通りのようだ」

「流石ダーリン! よく知ってるわね」

 

 キュルケの声。どうやら彼女もドラゴンの背中にいるようだ。ジェヴォーダンの懸念はなくなった。

 

「タバサ、2人を頼む」

 

 えっ、とした表情になる3人をよそに、ジェヴォーダンは、しがみついていたウィンドドラゴンの足から手を離した。

 背後から聞こえてくるルイズの悲鳴をよそに、ジェヴォーダンはキュルケから受け取った剣を引き抜く。

 左手のルーンが、淡く光り輝いた。

 

 

 

 フーケは、壁に掛けられた『破壊の杖』を見て薄い笑いを浮かべた。

 聞いていた通り、見た目は平凡な杖そのものだった。1メイル弱の長さで、見たことのない金属でできていた。柄の先端に大きな球体が取り付けられた、俗に『ワンド』などと呼ばれる杖の形。しかし、どうにも球体が大きくアンバランスな出で立ちで、あまりに飾り気のない無骨な姿はどこか異様な雰囲気を醸し出している

 その下には『破壊の杖、持ち出し不可』の文字。フーケの笑みがますます深くなった。

 フーケは『破壊の杖』を取った。

 金属製の杖らしいズッシリとした重さが手に伝わる。

 フーケは急いでゴーレムの肩に乗る。去り際に杖を振る。すると、壁に文字が刻まれた。

『破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』

 

 

 

「『土くれ』だな」

 

 聞こえるはずのない、声。フーケが飛び乗ったゴーレムの肩に、先客がいた。

 月の光に照らされ影を落とした後ろ姿。獣の耳のような出で立ちの帽子に、右手には煌びやかな装飾の施された優美な長剣。

 いったい、どうやって登ってきたのか。そう考えた時、上空を先程からチョロチョロしているドラゴンが旋回した。まさか、飛び降りてきたのか?

 

「……よもや、学園の宝物庫に盗みを働くとはな。貴公もメイジなのだろう。貴族だというに、誇りもないのか?」

「……っ……」

 

 フーケは歯を食いしばった。憎悪が腹の底からふつふつと沸き起こるが、声で正体を悟られないために、必死で堪える。

 己の素性を知るはずはない。だからこの男は当てずっぽうを言ってるに過ぎない。落ち着け。冷静になれ。怒りに身をまかせるな。

 

「……杖を捨てて投降しろ」

 

 フーケは杖に手を伸ばす。男の足元に向けて、ペッと唾を吐いた。

 フーケなりの挑発だった。男が何かしらにでも行動に移せば、すぐにでもゴーレムを動かしてこいつをゆすり落としてやる。それくらい造作もない

 しかし、そんなフーケの思案に反し……男は低く、笑っていた。

 

「……獣め」

 

 唸るような声。フーケの背筋に、ゾッと悪寒が走る。

 男は懐の包みの中に手を入れ、『何か』を1つ、取り出した。フーケからはそれが何であるか、夜の暗がりに紛れてよく見えない。

 フーケが知る由もない。それは男が昼間、武器屋との商談で仕入れたものだ。

 

「こんなにも早く使う気はなかったのだがな」

 

 そして男は、左手に持った『何か』を、右手に持った長剣の刀身に、べたっと押し付けた。

 

「俺も『ヤニ』というのは初めてだ」

 

 月光を淡く反射していた長剣が、突如として怒りの様な炎の光に包まれた。

 

 一瞬、フーケは血の気の引いた思いで身構えた。『炎』系統のメイジが来たのだと思ったからだ。

 だが、炎が上がってすぐ、鼻をツンとついた臭いで、これが『松脂』によるものだと気がついた。

 虚仮威しだ。フーケは表情を険しくする。こんなものに、一瞬でも恐れをなした自分が馬鹿馬鹿しかった。

 だが、フーケはすぐに考えを改めることになった。

 

 ジェヴォーダンは風の様な速度でフーケに詰め寄ると、炎を纏った大剣を躊躇なく振りかざして来た。

 フーケがすんでのところでそれをかわし、ルーンを唱えながら杖を払う。ゴーレムが大きく上体をゆすりながら歩き始め、ジェヴォーダンを振るい落としにかかった。

 だが、ジェヴォーダンはまるで這うようにゴーレムの動きに対応し、なおもフーケへと距離を詰めてくる。

 舌打ちをしながら、さらに次のルーンを唱え杖を振る。ゴーレムの体の何箇所かが盛り上がり、土塊になって飛び出した。ジェヴォーダンはそのいくつかをかわし、いくつかを燃えたぎる剣で払いのけた。

 接近を止められない。ゴーレムの肩の反対側にまで追い込まれてしまえば終わりだ。飛び降りてレビテーションなど使っても、この男なら飛び降りてくるだろう。

 逃げられない。逃げれば死ぬ。

 その上、どれだけゴーレムを揺らして足場を不安定にしても、どういうわけかこいつにはそれが通用しない。

 そうでなくたって不安定なゴーレムの上だ。自分で生み出したものとは言え、自分にとってもある程度不安定であることに変わりない。相対的に、足場の状態では負けている。

 しかも、片手には布で包んだ『破壊の杖』を持ったままなのだ。重い金属製の杖であることがここで響いてきてしまう。

 

「………」

「っ……!」

 

 刃がローブの裾をかすめる。燃え移った炎を手で慌てて払った。 

 そう、極め付けにフーケを追い込んでいるのが、あの剣にまとわせた炎だ。単なる虚仮威しかと思ったがそうではない。

 フーケは『土』系統のスペシャリストであり、それは金属に対する知識でも変わらない。土塊をはじき返された時点でわかった。熱を持った金属というのは、それが想像させるよりはるかに殺傷性が増すのだ。一太刀でも食らえば、恐らく命はない。

 さらに悪い条件を重ねてくる、炎の光。素性を隠さなければならないフーケにとって暗闇に紛れる黒いローブは生命線だ。軽くなびいたフードの中を見られるだけで命取りだというのに、あの炎は武器としての強みだけでなく、灯りとしての機能で追い立ててくる。

 足場、獲物、武器、光。全てが相手に有利に働いている。早すぎる猛攻に、長い詠唱を唱える余裕もない。かといって、短い詠唱ではジリ貧を誘発する。

 フーケは、完全に相手の術中にはまっていたことにここへ来てようやく気がついた。

 まるで雪山で狼に囲まれているように、逃げ場のない恐怖と、冷たい絶望。

 

「………」

「っ、フッ……」

 

 刃が迫る。かわす。それしかできない。反撃の糸口がない。

 こいつ、まさかこの為に、ゴーレムの上で待ち構えていたのか。

 飛び降りて来るなら、上から不意打ちもできたはず。追い立てて来たのなら、『破壊の杖』を手に取られる前に仕留めに来る方が良いはず。

 そう、これらは全て『破壊の杖』を守るなら。それなら、ベターな選択肢なのだ。

 だがそうでなく、『殺す』ためなら。ただ『狩る』為なのなら。

 賭けるべきではない、わずかなリスクにでも。

 

「………」

「くっ……ハ、ハァッ、ハァッ」

 

 剣の熱気が迫る。なんとか詠唱を完成させ、巨大な土塊を形成し飛ばす。

 土塊は勢いよく男に迫り……真っ二つに割れた。

 その間から燃えたぎる刃が迫り……気づけば、もう後ろに逃げ場はなかった。

 

「………」

「う……」

 

 眼前に、燃えたぎる剣先が突きつけられている。

 ゴーレムを歩かせていたため、すでに学園からそれなりに離れた場所。月が浮かぶ空を、ドラゴンが見下すように、優雅に旋回している。

 

「……どうした、息が上がっているようだが」

「ハー……ハー……」

「何も、恐れることはない。獣に、恐れなど無縁なはずだ」

 

 男が、ゆっくりと燃える剣を振りかざす。月を背に、その姿は、人のようには見えない。

 

「死ぬ時間が来ただけだ」

 

 フーケは賭けに出た。とても短い詠唱を足元に伝え、ゴーレムを動かす。

 剣をかざしていた男は身構える。その男がいる、ゴーレムの『肩』に、ゴーレムの拳を振るわせたのだ。直撃の直前、拳を鉄に変質させるのを忘れない。

 ジェヴォーダンは冷静に身を翻しながら、拳を剣でいなした。

 

 その瞬間、キーンと高い音が夜空にこだまする。

 

「なっ……!?」

「……!」

 

 剣が、折れた。根元からぽっきりと。

 ジェヴォーダンが見誤っていたわけではない。真鍮製とはいえ、力の加減を間違えなければ力を逃すのは容易い。

 ジェヴォーダンが読み誤ったのは松脂とメッキの質だった。酸化した金属が、彼が思う以上に劣悪な作りだった剣を、より弱めてしまっていたのだ。剣が折れてからそれに気づいたジェヴォーダンは歯噛みして己の甘さを呪った。

 そしてフーケは、思いもよらず賭けに勝利し……薄ら笑いを浮かべ、ルーンと共に杖を振った。

 

 ゴーレムが、崩壊する。土くれと共に落下しながら、ジェヴォーダンはとっさに左手に銃を取り、フーケのいるであろう場所に目測を定め引き金を引いた。

 ジェヴォーダンが地面に激突するまでに、5発の銃声が鳴り響き……ゴーレムは、文字通りただの土くれとなって完全に沈黙した。

 

「ダーリーーーーン!」

「ジェヴォーダン! 嘘……!」

 

 タバサのウィンドドラゴンが地面に降り立ち、キュルケとルイズが土の山に向けて走り出す。……少し遅れて、土の中からもこりと、ジェヴォーダンが立ち上がった。

 

「キャッ! …ジェ、ジェヴォーダン!」

「ハァー……ハァァー……」

 

 肩で息をするジェヴォーダン。どう見ても普通ではないその様子に、ルイズが心配そうに手を伸ばした。

 

「ジェヴォーダン……?」

「ハァ、ハァ……アァッ!!」

 

 だが、ジェヴォーダンはそんなルイズには目もくれず、フーケがいたであろう方角めがけ、吠えた。

 

「獣め……獣め!! 土くれ、どこだ! 出てこい! 狩ってやる……狩ってやるぞ!」

 

 激昂する、ジェヴォーダン。ルイズも、タバサも、キュルケでさえ、そのあまりの変わり様に狼狽する。

 だが、ジェヴォーダンは血走った眼で、虚空に向け散弾銃の引き金を引きながら、フーケを探すばかり。

 土埃が舞う闇の中、黒ローブの盗賊の姿は、どこにもなかった。

 

 

 

「やりよるのぉ」

 

 オールド・オスマン氏は、宝物庫の壁に書かれた『土くれ』のフーケの犯行声明を見て、感心したように呟いた。

 

『破壊の杖、確かに領収いたしました』

 

 学園中の教師が集まり、宝物庫の壁にあいた大きな穴を見て愕然としている。

 教師たちは、次々に好き勝手なことをわめいている。

 

「土くれのフーケ! 貴族たちの財宝を荒らしまくってるという盗賊か! 魔法学院にまで手を出しおって! ずいぶんとナメられたもんじゃないか!」

「衛兵はいったい何をしていたんだね?」

「衛兵などあてにならん! 所詮は平民ではないか! それより当直の貴族は誰だったんだね!」

 

 それを聞いたミセス・シュヴルースは震え上がった。彼女が当直だったが、まさか魔法学院を襲う盗賊がいるなどとは思わず、当直をサボって自室で寝ていたのだ。

 それを指摘されたシュヴルースは、目に大粒の涙を浮かべてうろたえた。

 

「も、申し訳……」

「泣いてもお宝は戻ってこないのですぞ! それともあなた、『破壊の杖』の弁償をできるのですかな!」

「わたくし、家を建てたばかりで……」

 

 とうとうミセス・シュヴルースはよよよと床に伏した。

 そんな様子を、オスマン氏がなだめる。

 

「これこれ、女性を苛めるものではない」

「しかしですな、オールド・オスマン! ミセス・シュヴルースは当直なのに、ぐうぐう自室で寝ていたのですぞ!」

 

 オスマン氏はつまらなそうに髭を撫で、ボケッとしたように聞き返した。

 

「ミスタ……なんだっけ?」

「ギトーです!!! お忘れですか!」

「おっほほ、そうそうギトー君、そんな名前じゃったな。君は怒りっぽくていかん。さて、この中でまともに当直をしたことがある教師は何人おるかな?」

 

 オスマン氏が辺りを見渡す。教師たちはお互い顔を見合わせ、恥ずかしそうに顔を伏せた。まともに当直をしたことがあるものなど、1人もいなかった。

 

「さて、これが現実じゃ。責任があるとすれば、我々全員じゃ。この中の誰もが……、もちろん私も含めてじゃが……まさかこの魔法学院が賊に襲われるなどと夢にも思っていなかった。何せここにいるのはほとんどがメイジじゃからな。誰が好き好んで虎穴に入るかと思っとったが、それは間違いじゃったようじゃ。このとおり、敵は大胆にも忍び込み『破壊の杖』を奪っていきおった。つまり、我々は油断していたのじゃ。責任があるとすれば、我々全員にあるといわねばなるまい」

 

 ミセス・シュヴルースは感激してオスマン氏に抱きついた。

 

「おぉ、オールド・オスマン! あなたの慈悲のお心に感謝いたします! わたくしはあなたをこれから父と呼ぶことにいたします!」

 

 オスマン氏はそんなシュヴルースの尻を撫でた。

 

「ええのじゃ。ええのよ、ミセス……」

「わたくしのお尻でよかったら! そりゃもう! いくらでも! はい!」

 

 オスマン氏はこほんと咳をした。場を和ませるために尻を撫でたが、みんな一様に真剣な眼差しでオスマン氏の言葉を待っていた。

 

「で、現場の犯行を見ていたのは誰だね?」

 

 オスマン氏が尋ねた。

 

「この3人です」

 

 コルベールが進み出て、自分の後ろに控えていた3人を指した。ルイズ、キュルケ、タバサの3人。使い魔であるジェヴォーダンは数に入っていない。

 ジェヴォーダンは、昨夜の我を忘れたように激昂した様子はどこへやら、涼しげな顔でそこに佇んでいた。背中には、折れてしまったキュルケの剣の代わりにデルフリンガーを携えている。

 

「ふむ……君たちか」

 

 オスマン氏は、興味深そうにジェヴォーダンを見つめた。ジェヴォーダンもそれに気がつく。流石に学園長クラスともなれば、自分の正体が見えても狼狽えまではしないのだろうと、ジェヴォーダンは変わらぬ様子で立っていた。

 

「詳しく説明したまえ」

 

 ルイズが進み出て、見たままを述べた。

 

「あの、大きなゴーレムが現れて、ここの壁を破壊したんです。肩に乗っていた黒いメイジがこの宝物庫から何かを……その、『破壊の杖』だと思いますけど、盗み出したあと、またゴーレムの肩に乗りました」

 

 そこまで話して、ルイズはジェヴォーダンの方を見やった。はたしてここを話していいか迷ったが、ジェヴォーダンも特に反応しないため、重く口を開いた。

 

「その……私の使い魔がゴーレムの上に飛び乗って、黒いメイジを追いました。ゴーレムは城壁を越えて歩き出して……こいつがあと少しまで追い詰めたみたいなんですが、ギリギリのところでゴーレムが崩れて土になっちゃいました」

「ほう、使い魔がメイジを追い詰めた……」

 

 ルイズの説明に、にわかに教師たちがざわざわとざわめく。彼らからすればジェヴォーダンはただの平民、まして使い魔。それがメイジであるフーケを追い詰めたなどと、にわかには信じがたい。

 

「それで後には、土しかありませんでした。肩に乗っていた黒いローブを着たメイジは、影も形もなくなってました」

「ふむ……」

 

 オスマン氏だけがさして驚いた様子もなくひげを撫でた。

 

「後を追おうにも、手がかりナシというわけか……」

 

 それからオスマン氏は、気づいたようにコルベールに尋ねた。

 

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」

「それがその……今朝から姿が見えませんで」

「この非常時に、どこに行ったのじゃ」

「どこなんでしょう?」

 

 そんな風に話していると、見計らったようにミス・ロングビルが現れた。

 

「ミス・ロングビル! どこに行っていたんですか! 大変ですぞ! 事件ですぞ!」

 

 興奮した様子でコルベールがまくし立てる。しかし、ミス・ロングビルは落ち着き払った様子で、オスマン氏に告げた。

 

「申し訳ありません。朝から、急いで調査をしておりましたの」

「調査?」

「そうですわ。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。そして、宝物庫はこのとおり。すぐに壁のフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を震え上がらせている大怪盗の仕業と知り、すぐに調査をいたしました」

「仕事が早いの、ミス・ロングビル」

 

 コルベールがあわてた様子で促した。

 

「で、結果は?」

「はい。フーケの居場所がわかりました」

「な、なんですと!」

 

 コルベールが、素っ頓狂な声を上げた。

 

「誰に聞いたんじゃね? ミス・ロングビル」

「はい。近所の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒ずくめのローブの男を見たそうです。おそらく、彼はフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと」

 

 ルイズが叫んだ。

 

「黒ずくめのローブ? それはフーケです、間違いありません!」

「それはどうだろうな」

 

 次いで口を開いたのは、ルイズの後ろに立つ使い魔だった。

 

その場にいた全員が、驚いてジェヴォーダンの方を見る。

 オスマン氏だけが落ち着いた様子で聞き返した。

 

「どういうことじゃね?」

「……実際に相手したからこそ言えることだが、奴はローブを使って顔を隠していた。明かりを灯された状態でなお見られないよう立ち回るほどの慎重さだ。そのフーケが農民ごときに素性がバレるように動き回るとも思えん。疑うなら、その農民か……」

 

 ジェヴォーダンは、鋭い視線でその報を伝えた人物をにらんだ。

 

「その女かだ」

 

 ミス・ロングビルの顔が引きつり、冷や汗が流れる。

 だが、それを破るように先ほどの教員ギトーが声を荒らげた。

 

「貴様、平民の、それも使い魔の分際でメイジに向けて何を言うか! しかも、貴様ごときがメイジであるフーケを追い詰めたなどという話も不自然だ! 貴様こそフーケのグルなのではないか!」

「……フン」

 

 ジェヴォーダンは目もくれない。そんな様子をオスマン氏がなだめ、ジェヴォーダンに向き直った。

 

「まぁまぁ、彼がフーケと対峙したのは夜じゃ。明かりがあるとはいえ、素性を知るには限界がある。日中ともなれば、フーケも油断して隙を見せる事もあろうて。ミス・ロングビル、そこは近いのかね」

「はい。徒歩で半日、馬で4時間といったところでしょうか」

 

 ジェヴォーダンは、誰にも聞かれないよう小さく、鼻で笑った。

 

「すぐに王室に報告しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

 

 コルベールが叫んだ。が、オスマン氏は首を横に振ると、年寄りとは思えない迫力で怒鳴った。

 

「ばかもの! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ! その上……身にかかる火の粉を己で払えぬようで、何が貴族じゃ! 魔法学院の宝が盗まれた、これは魔法学院の問題じゃ! 当然我らで解決する!」

 

 オスマン氏は咳払いをすると、有志を募った。

 

「では、捜索隊を編成する。我と思う者は、杖を掲げよ」

 

 誰も杖を掲げようとはしない。困ったように、顔を見合わせるだけだ。

 ルイズは俯いていたが、それからすっと、杖を顔の前に掲げた。

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

 ミセス・シュヴルースが、驚いた声をあげた。

 

「何をしているのです! あなたは生徒ではありませんか! ここは教師に任せて……」

「誰も掲げないじゃないですか」

 

 ルイズがきっと唇を強く結んで言い放つので、シュヴルースも言い返せない。

 ルイズがそのように杖を掲げているのを見て、しぶしぶキュルケも杖を掲げた。

 

「ツェルプストー! 君は生徒じゃないか!」

「ふん。ヴァリエールには負けられませんわ」

 

 キュルケが杖を掲げるのを見て、タバサも掲げた。

 

「タバサ、あんたはいいのよ。関係ないんだから」

「心配」

 

 キュルケは感動した面持ちでタバサを見つめた。ルイズも唇を噛み締めて、お礼を言った。

 

「ありがとう、タバサ」

 

 そんな3人の様子を見て、オスマン氏は笑った。

 

「そうか、では、頼むとしようか」

「オールド・オスマン! わたしは反対です! 生徒たちをそんな危険にさらすわけには!」

「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルース」

「い、いえ……わたしは体調が優れませんので……」

「彼女たちは、敵を見ている。その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞いているが?」

 

 返事もせずにぼけっと突っ立っているタバサを、教師たちは驚いて見つめた。

 

「本当なの? タバサ」

 

 キュルケでさえ驚いた。王室から与えられる爵位としては最下級の『シュヴァリエ』の称号ではあるが、タバサの年齢で与えられることは驚きだ。金で買うことはできない、純粋に業績に対して与えられる、実力の爵位だ。

 

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法も、かなり強力と聞いているが?」

 

 キュルケは得意げに、髪をかきあげた。

 それから、ルイズが自分の番だとばかりに可愛らしく胸を張った。オスマン氏は困って咳払いをすると、少し目をそらした。

 

「その……ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、なんだ、将来有望なメイジと聞いているが? しかもその使い魔は!」

 

 それからジェヴォーダンを熱っぽい目で見つめた。

 

「平民ながらあのグラモン元帥の息子である、ギーシュ・ド・グラモンと決闘して勝ったという噂だが」

「当然だ」

「ほっほほ! 言うではないか」

 

 オスマン氏は思った。彼が、本当にあの伝説の『ガンダールヴ』なら……。

 

「そうですぞ! なにせ、彼はガンダー……」

 

 興奮した様子のコルベールの口を、慌ててオスマン氏が押さえる。

 

「むぐ! はぁ! いえ、なんでもありません! はい!」

 

 この場で、もはやオスマン氏に反論するものなど誰もいなかった。オスマン氏は威厳のある声で言った。

 

「この3人に勝てるという者がいるなら、前に一歩出たまえ」

 

 誰もいなかった。当然だった。これほどの戦力は教師陣では揃わないものだし、これほどの太鼓判を押された面々を蹴落としてなおフーケを捕まえに行こうとするものなどいるはずもない。

 オスマン氏もそれをわかって、誰もいないとわかっていてこの質問をしたのだ。

 

 だがその予想は裏切られた。

 静かにジェヴォーダンが一歩、前に踏み出した。教師陣も、ルイズやキュルケ、タバサでさえ、そして誰よりオスマン氏が、驚愕のあまり目を見開いた。

 

「つ、使い魔君! 君は、君はこの3人に勝てるというのかね! メイジでない君が!」

「……当然だ」

「ちょっとジェヴォーダン!」

 

 ルイズがジェヴォーダンの服の裾を引っ張り引き戻そうとするが、まるで杭か何かで固定されているかのように動かない。ジェヴォーダンは変わらず涼しい顔で佇んでいる。

 

「ちょっとダーリン、いくらあなたの言葉でもそれはちょっとナメすぎでなくって……?」

「傲り」

 

 キュルケとタバサも、静かに怒りを燃やしているのがうかがえる。己の実力に自信があるのもそうだが、何より貴族としての誇りがそこまで言わせる事を許さない。しかしジェヴォーダンは相変わらずの様子で

 

「言ってるだろう、当然だ」

 

 そう断言してのけるだけ。

 

「あら、そう……」

 

 キュルケが電光石火の速さで杖を引き抜き、聞き取れないほどの速さでルーンを完成させる。火球が一瞬で杖先から飛び出す。

 キュルケとしても、最速の一撃。しかしジェヴォーダンは、体勢を低く跳ねるようにステップし、瞬時にキュルケとの距離を詰める。

 あっ、と反応しかけたキュルケよりも早く、ジェヴォーダンの魔の手が伸び……その頬をがっしと掴んだ。

 

 あまりに一瞬の出来事に、教師陣やルイズはあっけにとられてそれを見ていた。ただタバサとキュルケ、数人の教師だけが、背筋を凍らせていた。

 一瞬、ほんとうにほんの一瞬ではあったが、あの手が狙っていたのは頬などでなく……キュルケの、腹部だった。

 何をしようとしたかまではわからない。単に拳をめり込ませるつもりだったのかもしれない。だがその刹那の一瞬に感じられたのは、常軌を逸した殺意だった。

 

「う……」

 

 キュルケは青い顔で、自分の頬を掴む大きな手を見る。そしてジェヴォーダンはマスクの下で薄く笑うと、手を離してやり、それまでと同じように淡々と続けた。

 

「当然だ、と言っている」

 

 オスマン氏は身震いした。恐怖で、というのもあったが、それ以上に武者震いが勝った。

 この男は、もしや本当に……。そんな想像が、深く刻まれたシワの奥に潜む瞳を輝かせた。

 

「改めよう。この"4人"に勝てるという者がいたら、前に一歩出たまえ」

 

 当然、誰もいなかった。オスマン氏は、ジェヴォーダン含む4人に向き直った。

 

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」

 

 ルイズとタバサとキュルケは、真顔になって直立すると、「杖にかけて!」と同時に唱和した。それからスカートの裾をつまみ、恭しく礼をする。

 そしてオスマン氏は、ジェヴォーダンをしっかりと見つめ、微笑んだ。

 

「彼女達を守ってやってくれ、心強き牙よ」

「……我が血にかけて」

 

 ジェヴォーダンもまた、狩人の儀礼で応えた。

 

「では、馬車を用意しよう。それで向かうのじゃ。魔法は目的地につくまで温存したまえ。ミス・ロングビル、彼女達を手伝ってやってくれ」

 

 ミス・ロングビルは頭を下げた。

 

「もとよりそのつもりですわ」

 

 

 

 




炭松脂

炭のような黒い松脂
右手の武器に炎をまとわせる。

ある種の獣は病的に炎を恐れる。
それは炎が、何もかもをを黒く焼き尽くす
恐ろしい力だと知っているからだろうか。

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