ゼロの狩人   作:テアテマ

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05:牙

 ジェヴォーダンがトリステイン魔法学院でルイズの使い魔として生活を始めてから1週間が経った。

 

 相変わらず、ジェヴォーダンは夜眠らない。夜通し机に向かい、文字を解読し続けた事で、ルイズの部屋の本はすでに読み切ってしまった。

 もはやこの世界の文字はほとんど読み解けるようになっていた。だが現状では、資料が少なすぎる。ルイズに頼めば、新しい本を用立ててくれるだろうか。

 やがて夜が明け、朝になる。ジェヴォーダンの朝一番の仕事は、ルイズを起こすことだ。

 ルイズは起こされると、まず着替える。最初にジェヴォーダンがしっかりと釘を刺したおかげで、再び着替えさせるよう要求してくることはなかった。

 黒いマントと白のブラウス、グレーのプリーツスカートの制服に身を包んだルイズは、顔を洗って歯を磨く。流石にそこは使い魔の仕事、ジェヴォーダンは下の水汲み場まで行って、ルイズが使う水をバケツに汲んでこなければならない。だが、そこから先の顔を洗う行為は、言わずともルイズ自身で行なっていた。ルイズはそれが不満な様子だった。

 だが、『人として自分ですべき最低限の行動はすべき、でなければ人以下と判断する』というジェヴォーダンのポリシーは理解できたし、それ以外のジェヴォーダンの仕事は完璧だった。

 朝起こす時間も均一、部屋にはチリ1つ落ちておらず、洗濯物も抜かりない。食事時に姿を消すのは不可解だが、腹を空かしている様子もない。

 何より、彼の基準で『使い魔の仕事』としている物事に関して、文句も言わず、礼儀作法もしっかりしている彼を批判することは、ルイズにはできなかった。フラストレーションが溜まるかどうかは別として。

 

 ではジェヴォーダンの方は嬉々として仕事をこなしてるのかといえば、そんなことは全くない。

 ルイズが朝食を食べ、授業に出向けば、楽しい楽しい洗濯の時間が待っている。これがジェヴォーダンにとって最も苦痛な時間だ。

 やはり狩人としての誇りが、激しい不満を漏らしてくる。それでも、それが義務である以上投げ出すわけにもいかず、結局最善策は「さっさと終わらせること」。

 

 忌まわしい洗濯をテキパキと終わらせると、午前中にすべきことは大体終わってしまう。そこで数日前からジェヴォーダンは、学生用の図書館を利用させてもらっていた。

 午前の、学生が授業に出ていてほとんどいない時間であれば、大した問題もないだろうと、先生方も半ば放任気味にジェヴォーダンに許可をくれた。

 結果としてジェヴォーダンは様々な情報を凄まじいスピードで吸い込んでいくことになった。未だ文字の全てを解読したわけではないにしても、ほとんど文章を読むのに差し支えないレベルに来ている。

 そんなわけで、この日も図書館へ向かったのだが……珍しく、先客がいた。

 

「……………」

「……………」

 

 深みを持った青い髪の少女。異様なまでに小柄で、一見すると幼児のようにすら見える。だがその制服はルイズたちと同じトリステイン魔法学校のもので、マントの色からして2年生のようだった。

 身の丈を超える、大きなレッドオークの杖を立てかけ、眼鏡越しに一瞬ジェヴォーダンの方を見て驚いたような表情を見せたが、またすぐに本の世界に戻っていった。

 まだ午前は授業中の筈だが……とジェヴォーダンが思案を巡らすも、見渡せばその少女以外に生徒らしき人影もない。

 それに、彼女の方も自分と目的は同じなようだ。ならば、わざわざ改めて関わる必要があるわけでもない。

 ジェヴォーダンも手頃な一冊を手に取ると、自前のメモ帳と共に机に置く。青髪の少女の眉が、ピクリと動いた。

 そこからは、お互いに本の世界に飛び込む。ただ無音と、時々ジェヴォーダンが万年筆を滑らす音だけが、図書館をより一層静まり返った場所にしていた。

 

そしてそのうち、正午の鐘が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 ルイズを教室に迎えにいく。探すまでもなく現れたジェヴォーダンに、なぜかルイズは少し悔しそうな顔を見せた。

 

「……お前、何でもいいから俺を叱る判断材料を探しているだろう」

「なっ!? そ、そそ、そんな事ないわよ!」

 

 顔を赤くしたルイズは大股でズケズケと歩いていく。なんというかここまでわかりやすいといっそ清々しいくらいだな、とジェヴォーダンは笑う。

 

「あぁそうだ、青髪の小柄な娘はお前のクラスメートか?」

「青髪? ……あぁ、タバサのことかしら。そういえば体調が悪いって早退してたわね、いつものことよ」

「そうか。図書館にいたから、単なるサボりかもな」

 

 ルイズは「そう……」と空返事し、ワンテンポ遅れて眉をひそめた。

 

「いや、ちょっと待ちなさい。なんであんたが図書館にいるタバサを見たの」

「図書館にいたからな」

「あんたが貴族の図書館に何の用があるの」

「本を読むためだな」

「あんたこの世界の字が読めないんじゃないの!?」

 

 ルイズは、訳がわからないという様子でジェヴォーダンに詰め寄る。

 

「食堂だぞ。昼飯にしてこい」

 

 が、目的地についたルイズを軽くあしらって、ジェヴォーダンはまた何処かへ歩いていってしまった。

 

「くぅ〜っ……」

 

 ルイズは、いずれジェヴォーダンに字を教えてやり、主人の器の大きさを示そうなどと考えていた。これまた、ジェヴォーダンとの上下関係を示す機会がなくなってしまったのだった。

 

 そのジェヴォーダンはというと、相変わらず厨房の賄い食に世話になっていた。

 食事をしなければならない身体というわけでもないというのに、ジェヴォーダンはこの世界の料理にすっかり魅了されていた。

 アルヴィースの食堂の裏にある厨房に赴き、シエスタに頼めば、シチューや骨つきの肉なんかを寄越してくれる。

 その何れもが絶妙に味付けされたものであり、狩人の痩せた味覚をも満足させてくれる。そんなわけで、ジェヴォーダンは会ったこともない女王陛下や始祖ブリミルの百倍、シエスタと厨房を敬愛しているのであった。

 

 この日もジェヴォーダンは、厨房の扉を叩いた。ヴェストリの広場で、貴族のギーシュを倒したジェヴォーダンは、大変な人気である。

 

「『我らの牙』が来たぞ!」

 

 そう叫んでジェヴォーダンを歓迎したのは、コック長のマルトー親父である。もちろん貴族ではなく平民であるのだが、魔法学校のコック長ともなれば、収入は身分の低い貴族なんかは及びもつかなく、羽振りもいい。

 丸々と太った体に、立派なあつらえの服を着込み、厨房を一手に切り盛りしているマルトー親父は、羽振りのいい平民の例に漏れず、貴族と魔法を毛嫌いしていた。

 彼はメイジのギーシュを倒したジェヴォーダンを『我らの牙』と呼び、まるで王様でも扱うようにもてなしてくれるのであった。ジェヴォーダンはそれがなんともくすぐったかった。何せヤーナムにいた頃は、狩人なんぞは不吉の象徴のようなものだ。彼らの枯れたトリコーン帽子を見れば、民衆は恐怖におののき、扉の鍵を締めるのだ。

 

「その『我らの牙』というの、やめてくれないか」

「何を言うか! 俺たちだって貴族どもには腹がたっても黙ってるしか無かったんだ、それをあんたは奴らの鼻面に噛み付いて、打ち倒してしまったんだ! まさに我らにとっての『牙』そのものさ!」

「そうか……」

 

 ジェヴォーダンはため息を吐いて諦めた。こりゃあ、どう言っても呼び方を変えることはないだろう。

 改めて、自分専用の席に座ると、シエスタがさっと寄ってきてにっこりと笑いかけ、温かいシチューの入った皿と、ふかふかの白パンを出してくれた。

 

「今日のシチューは特別ですわ」

 

 シエスタは嬉しそうに微笑んだ。ジェヴォーダンはひと口シチューを頬張ると、うんうんと唸った。

 

「うまい。流石だな、親父」

「そうだろう。そのシチューは、貴族連中に出してるのと同じもんさ」

「素晴らしい味付けだ。俺の土地の料理とは本当に大違いだな」

「……なぁ、よくそれを言っているが、お前んとこの料理はそんなに不味いのか? どんなもんなんだ?」

 

 マルトー親父はジェヴォーダンの土地の食事に興味が湧いたようだ。シエスタが、あぁ、という顔をする。

 

「……親の仇の様に火を通したマッシュポテトや、ウナギをゼラチンで固めたものなどだ」

「……あぁ、それは……」

 

 目を細めるジェヴォーダンに、マルトー親父も渋い顔になる。料理人の観点から言えば、どうしても美味くする事のできる世界ではないとわかったのだろう。

 

「だが、この地の料理は違う。食材を様々な形に変え、美しく彩り、味付ける。貴族でなくとも、これも立派な魔法と言えるものだ」

「おぉ、おぉ、『我らの牙』よ! お前はいい奴だ!」

 

 マルトー親父は、ジェヴォーダンの首根っこにぶっとい腕を巻きつけた。

 

「なぁ、『我らの牙』! 俺はお前の額に接吻するぞ! こら! いいな!」

「……!? やめろ、その呼び方も接吻も勘弁してくれ!」

 

 獣とは全く違う悪寒に、ジェヴォーダンはマルトー親父の顔を押しのけた。

 

「どうしてだ?」

「背筋が凍る」

 

 マルトー親父はジェヴォーダンから体を離すと、両腕を広げてみせた。

 

「お前はメイジのゴーレムを切り裂いたんだぞ! わかってるのか!」

「あぁ」

「なぁ、お前はただの木こりなんかじゃあないんだろ? 狩人だと言ってたじゃないか! どうやったらあんな風に戦えるのか、俺に教えてくれよ!」

「何の事はない、俺は普段通りの事をしたまでだ。特別な事をしたわけでもない」

 

 ヤーナムの夜を生き延びる力があれば、あの程度の相手に遅れをとる事はない。だがマルトー親父は、嬉しそうに目を見開く。

 

「お前たち! 聞いたか!」

 

 マルトー親父は、厨房に響くよう怒鳴った。若いコックや見習いたちが、返事を寄越す。

 

「聞いてますよ! 親方!」

「本当の達人というのは、こういうものだ! 決して己の腕前を誇ったりしないものだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」

 

 コックたちは嬉しげに唱和する。

 

「達人は誇らない!」

 

 するとマルトー親父はくるりと振り向き、ジェヴォーダンを見つめる。

 

「やい、『我らの牙』。俺はそんなお前がますます好きになったぞ。どうしてくれる」

「そう言われてもな……」

 

 本当の事なのだが、マルトー親父はそれを謙遜と受け取っている。

 それに……と、ジェヴォーダンは左手のルーンを見つめた。武器を握った時だけ光るこのルーン。あの時、やにわに身体が軽くなった。

 それに、ルーンの上に刻まれた狩人の徴。こちらはひかるでもなく、ただ刻まれているだけ。カレル文字と何か関係があるのだろうか?

 ジェヴォーダンが考え込んでしまう。しかしマルトー親父は、それをジェヴォーダンの控えめさ、と受け取ってしまうのだ。

 マルトー親父は、シエスタの方を向いた。

 

「シエスタ!」

「はい!」

 

 2人の様子を、ニコニコしながら見守っていた気のいいシエスタが、元気よく返事を返す。

 

「我らの勇者に、アルビオンの古いのを注いでやれ」

 

 シエスタは満面の笑みになると、ぶどう酒の棚から言われた通りのヴィンテージを取り出してきて、ジェヴォーダンのグラスに並々と注いでくれた。

 ジェヴォーダンも「ほう」とグラスを手に取る。そんな様子を、シエスタはうっとりとした面持ちで見つめている。

 そして、ジェヴォーダンはグラスをクルクルと回して、スッと香りを確かめ……眉をひそめた。

 

「……? 血は入っていないのか」

「……血?」

 

 厨房の空気が凍りついた。しまった、とジェヴォーダンは思う。それを決して表には出さず、冷静に取り繕った。

 

「……乳だ。俺のとこでは、ワインに乳を入れることがあった」

「……あ、あぁ! 乳! ミルクですね! すいません私、変な空耳しちゃって……」

 

 シエスタが笑うと、みんなも緊張を解いた。ジェヴォーダンも頭の中で汗を拭う。血を嗜む文化はヤーナム特有のものだ。こういうところで、人にボロを見せるのは良くない。

 

「……それにしてもワインにミルクって……」

「……忘れてくれ」

 

 マルトー親父が、別の理由で顔を青くする。申し訳ない嘘をついたと、ジェヴォーダンは一飲みにグラスを乾かした。

 

 

 

 

 

 

 朝食、掃除、洗濯のあとは、ルイズの授業のお供を務める。

 基本的にルイズは教室の最後尾、最も壁に近い席を利用する事が多いため、ジェヴォーダンは基本的にその壁にもたれて授業を聞いていた。

 授業の内容を注意深く聞き、自前のメモに万年筆を滑らせる。今やジェヴォーダンの授業態度はそこらの生徒以上だ。

 水からワインを作り出す魔法、秘薬を調合して特殊なポーションを作り出す講義、目の前に現れる大きな火球や、空中に箱や棒やボールを自在に浮かべ、それを窓の外に飛ばして使い魔に取りに行かせる授業など。

 どれもジェヴォーダンの世界には存在しない技術や概念だ。一言一句すら見逃すまいと、ジェヴォーダンは知識を飲み込むようにメモを取った。

 ルイズとしては、ジェヴォーダンのこの授業態度は気に食わなかった。平民が貴族の授業を受けるなんて! と怒鳴りつけてやりたいところなのだが、教室中には誰かしらの使い魔がひしめいていて、今更ジェヴォーダンだけ追い出すなんてわけにも行かない。それに少なくとも講師はジェヴォーダンのこの態度を気に入っていた。普段からまともな授業態度を取っている生徒など数える程度しかいないのだ、好印象に決まっていた。

 

「なぁ、ルイズ」

 

 ジェヴォーダンは、ルイズに声をかける。以前注意を受けた事がきっかけで大事になった為、声を潜めてひっそりと。だが、ルイズは怪訝そうな顔でジェヴォーダンを振り返る。

 

「なに」

「魔法を使えるか否かはどうやって決まる?」

「貴族か平民か。以上」

 

 会話をすっぱり切り上げて授業に向き直るルイズ。しかしジェヴォーダンはまたひそひそと話しかける。

 

「平民でも杖を握れば魔法が使えるものもいるのか?」

「授業の後にして。平民は平民、貴族は貴族、それ以上も以下もないわ」

「ふむ」

 

 この世界の本を何冊か読み込んだジェヴォーダンは、この世界では探求というものがあまり深められていない事に気がついていた。そしてそれは、大半の事が魔法でどうにかなってしまうため、科学的探求が発展しなかったのだろう。

 まるで何者かから思考の停止を促されているようだな……と、ジェヴォーダンは考えた。

 上位者と呼ぶべきでは無いだろうが、何者かからの監視のある世界なのは確かなのかもしれない。魔法の存在はそれほどまでに、人に都合が良すぎた。

 

「平民出の貴族というのはいないのか」

「えぇ……そんなの、調べた事もないしわかんないわよ。けど私は聞いた事ないわ」

「そうか。1度平民を集めて杖を握らせてみたいものだ」

「あんた、何考えてるの?」

「科学的見地にもとづけば……」

「そこっ!」

 

 授業を取っていた先生が杖を振ると、黒板の台からチョークが2本、弾丸のように飛び出し、1発をジェヴォーダンがかわし、1発はルイズの額に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 ルイズがジェヴォーダンに怒りの声を上げている頃、学園長室で、秘書のミス・ロングビルは書き物をしていた。

 ミス・ロングビルは手を止めるとオスマン氏の方を見やった。オスマン氏は机に伏せて居眠りをしている。

 ミス・ロングビルは薄く笑い……低い声で『サイレント』の呪文を唱える。オスマン氏を起こさぬよう、音を消して学園長室を抜けた。

 

 ミス・ロングビルが向かった先は、学園長室の1番下にある、宝物庫がある階である。

 階段を下りて、鉄の巨大な扉を見上げる。扉には太い閂が刺さり、閂はこれまた巨大な錠で守られている。

 ここには、魔法学院成立以来の秘宝が収められているのだ。

 ミス・ロングビルは慎重に周囲を見渡し、ポケットから杖を取り出した。ミス・ロングビルが杖を手持ち、クイッと振ると、短く小さかった杖は指揮者のタクトほどの長さになった。

 低く呪文を唱え、詠唱が完成すると同時に杖を錠前に向けて振る。

 しかし……錠前からは何の音もしない。

 

「まあ、この錠前に『アンロック』が通用するとも思えないけどね」

 

 くすっと、妖艶に笑うと、ミス・ロングビルは自分が得意とする魔法を唱え始めた。

 『錬金』の呪文。朗々と呪文を唱え、分厚い鉄のドアに向かって杖を振る。

 呪文は扉に届いたが……しばらく待っても、変わったところは見られない。

 

「スクウェアクラスのメイジが『固定化』の呪文をかけているみたいね」

 

 『固定化』の呪文は、物質の酸化や腐敗を防ぐ呪文である。これをかけられた物質は、あらゆる化学反応から保護され、そのままの姿を永遠に保ち続ける。

 『固定化』をかけられた物質には『錬金』の呪文も効力を失う。呪文をかけたメイジが『固定化』をかけたメイジの実力を上回れば、その限りではないが。

 しかし、この扉に『固定化』の呪文をかけたメイジは相当強力なメイジであるようだった。『土』系統のエキスパートであるミス・ロングビルの『錬金』を受け付けないのだから。

 ミス・ロングビルはかけたメガネを持ち上げ、扉を見つめていた。その時に、階段の方からの足音に気づく。

 杖をたたみ、ポケットにしまう。

 現れたのは、コルベールだった。

 

「おや、ミス・ロングビル、ここで何を?」

 

 間の抜けた声で尋ねるコルベールに、ミス・ロングビルは愛想のいい笑みを浮かべた。

 

「ミスタ・コルベール。宝物庫の目録を作っているのですが……」

「はぁ、それは大変だ。1つ1つ見て回るだけで1日がかりですよ。何せここにはお宝ガラクタひっくるめで所狭しと並んでますからな」

「でしょうね」

「オールド・オスマンに鍵を借りればいいじゃないですか」

 

 ミス・ロングビルは微笑んだ。

 

「それが……ご就寝中なのですまぁ、目録作成は急ぎの仕事ではないし……」

「なるほど、ご就寝中ですか。あのジジイ、じゃなかったオールド・オスマンは寝ると起きませんからな。では、僕も後で伺うことにしよう」

 

 ミスタ・コルベールは歩き出し……思い出したように立ち止まり、振り向いた。

 

「その……ミス・ロングビル」

「なんでしょう?」

 

 照れくさそうに、ミスタ・コルベールは口を開いた。

 

「もし、よろしかったら、なんですが……昼食を一緒にいかがですかな」

 

 ミス・ロングビルは少し考えたあとに、にっこりと微笑んで、申し出を受けた。

 

「ええ、喜んで」

 

 2人は並んで歩き始めた。

 

「ねぇ、ミスタ・コルベール」

 

 ちょっとくだけた言葉遣いになって、ミス・ロングビルが話しかけた。

 

「は、はい? なんでしょう」

 

 自分の誘いがあっさり受けられたことに気を良くしたミスタ・コルベールは、跳ねるような調子で答えた。

 

「宝物庫の中に、入ったことはありまして?」

「ありますとも」

「では、『破壊の杖』をご存知?」

「あぁ、あれは……」

 

 柔らかかったコルベールの表情が、かすかに強張る。宝物庫の中でそれを初めて目にした時のことを思い出していた。

 

「……あれは、不気味な代物でしたなぁ」

 

 ミス・ロングビルの目が光った。

 

「と、申されますと?」

「説明のしようがありません。不気味としか……杖として、変わった形というわけではないのです。むしろ南東の国にならあんな形の杖は多くあるのですが……」

 

 コルベールが目を伏せる。その先を言うべきか迷って、やめた。杖から、血の気配を感じたからなどと。

 それは彼の『炎蛇』としての目線から見た話であったからだ。

 だが、ミス・ロングビルはその目をまた光らせた。

 

「しかし、宝物庫は、立派なつくりですわね。あれでは、どんなメイジを連れてきても、開けるのは不可能でしょうね」

「そのようですな。メイジには、開けるのは不可能と思います。なんでも、スクウェアクラスのメイジが何人も集まって、あらゆる呪文に対抗できるよう設計したそうですから」

「ほんとに感心しますわ。ミスタ・コルベールは物知りでいらっしゃる」

 

 ミス・ロングビルは、コルベールを頼もしげに見つめた。

 

「よろしければ、もっと宝物庫のことについて知りたいわ。私、魔法の品々にとても興味がありますの」

 

 コルベールはミス・ロングビルの気を引きたい一心で、頭の中を探った。宝物庫、宝物庫と……。

 やっとミス・ロングビルの興味を引けそうな話しを見つけたコルベールは、もったいぶって話し始めた。

 

「では、ちょっとご披露いたしましょう。大した話ではないのですが……」

「是非とも、伺いたいわ」

「宝物庫は確かに魔法に関しては無敵ですが、1つだけ弱点があると思うのですよ」

「はぁ、興味深いお話ですわ」

「それは……物理的な力です」

「物理的な力?」

「そうですとも! 例えば、まぁ、そんなことはありえないのですが、巨大なゴーレムが……」

「巨大なゴーレムが?」

 

 コルベールは、得意げにミス・ロングビルに自説を語った。聞き終わったあと、ミス・ロングビルは満足げに微笑んだ。

 

「大変興味深いお話でしたわ。ミスタ・コルベール」

 

 

 

 

 

 

 授業中、私語が原因でチョークをかっ食らった日の夜……。

 ルイズはジェヴォーダンを、廊下にほっぽり出した。

 

「なにをする」

「罰よ、罰。どうせ寝ないんでしょ、廊下に立ってなさい」

 

 怒られたことを根に持っているらしい。ルイズの額には、綺麗に赤い点ができている。

 

「お前、だから人として……」

「人なら悪い事すると罰受けるの! あんたチョークかわしたんだから1回は1回よ!」

 

 ルイズは扉をピシャリと締め、中からガチャリと鍵をかける音が聞こえてきた。

 扱いに不満はあるものの、今回はジェヴォーダン自身も責任があるとは思っているため、仕方ないかとため息をついた。

 仕方ない、この時間でも図書館は開いているのだろうか。そう考えていると……隣の部屋の扉が、がちゃりと開いた。

 

 出てきたのは、サラマンダーのフレイムだ。ジェヴォーダンはつい癖で一瞬身構えたが、それがキュルケの使い魔だと気付いて緊張を解いた。

 サラマンダーはちょこちょことジェヴォーダンの方に近づいてくる。ジェヴォーダンは小首を傾げた。

 

「お前は……?」

 

 きゅるきゅる、と人懐こくサラマンダーは鳴いた。害意はないようだった。

 サラマンダーはジェヴォーダンのコートを、くわえるとグイグイと引っ張った。

 

「ついて来いと言うのか?」

 

 キュルケの部屋のドアは開けっ放しだ。あそこに引っ張り込むつもりのようだ。

 サラマンダーの気まぐれじゃなかったら、いったいキュルケが俺に何の用だ?

 先日の朝からキュルケが気に入っていないジェヴォーダンは、怪訝そうな顔でキュルケの部屋のドアをくぐった。

 

 部屋の中は真っ暗だった。ジェヴォーダンは松明を取り出そうとして、奥からの声に手を止める。

 

「扉を閉めて?」

 

 ジェヴォーダンは言われた通りにする。そしてコツコツと奥へ歩いて行くと、それについてくるように周りのロウソクに火が灯り、その灯にキュルケの悩ましい姿が浮かび上がる。誘惑するための下着だろう、それしかつけていない。

 おおよその目的がわかり、ジェヴォーダンはため息をついた。

 

「俺に何の用だ」

「あなたは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

「何の、用だ」

 

 しっかりと、解らせるように、ジェヴォーダンは繰り返す。キュルケは目を細め、上気した顔でジェヴォーダンを見やった。

 

「恋してるのよ。あたし。あなたに。恋はまったく、突然ね。あなたが、ギーシュを倒したときの姿……かっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者みたいだったわ! あたしね、それを見て……」

 

 ジェヴォーダンは振り返り、扉を抜けて帰ろうとした。すかさずキュルケが杖を振るい、扉に『ロック』の呪文をかける。

 だが、それがジェヴォーダンを引き止めるどころか、さらに怒りに火を注いだのだろう。

 彼はコートの下に隠していた散弾銃を取り出し、ドアノブに容赦なく銃弾を打ち込んだ。キュルケも、こっそり窓から様子を見ていたキュルケのボーイフレンドも、これには面食らう。

 数発の散弾がドアノブを襲ったが……こうした学校の建物の内、ドアノブのように壊れやすいものには『固定化』がかけられていたようだ。ドアノブはびくりともしない。ジェヴォーダンの機嫌はさらに悪くなった。

 

「荒っぽいのね、あなた。でもそんなワイルドなのも、嫌いじゃないわ」

 

 そんな彼の心持ちを知ってか知らずか、いつの間にか背後まで迫ったキュルケが、ジェヴォーダンの背後からスルッと腕をからめて抱きしめる。これでもかというくらい自慢の胸を押し付ける、キュルケの必殺技だ。

 

「キュルケ! そいつは誰なんだ!」

 

 窓からこっそり覗き込んでいたキュルケのボーイフレンドたちが抗議の声を上げるが、キュルケが杖を振るうと、立ち上った炎とともに落下していった。

 

「……ふぅ、これで邪魔者はいないわ。とにかく! 愛してる!」

 

 改めてキュルケはジェヴォーダンを抱きしめ、誘惑の言葉を次々に投げかける。しかしジェヴォーダンはキュルケの肩を引き離すと、冷たい目で見下ろした。

 マスクを外したジェヴォーダンの顔は、薄暗いロウソクの灯に影を落とし、それがキュルケにはこの上なく魅力的に見えた。

 

「……みろ」

「あら、ダーリン……見つめ合うのも素敵だわ」

「違う……"啓ろ"」

「……え?」

 

 ジェヴォーダンの声のトーンは、どこまでも低く冷淡で、キュルケが期待していたような気配など微塵も感じられない。

 そんなキュルケに、ジェヴォーダンはぐいと顔を寄せる。瞳と瞳が近づく。キュルケは、ジェヴォーダンの瞳の中を、見た。

 

「………っ」

「見えるか?」

 

 キュルケは、全身に鳥肌が立つのを感じた。冷たい汗が流れ、呼吸も荒くなる。

 

「見えるだろう」

「あ……ぁ………」

 

 全身がガクガクと震える。それなのに、その瞳から目を逸らす事が出来ない。恐ろしいのに、逃げる事ができない。

 

「これがお前が手を出そうとしているものだ。おぞましいもの……俺の中の獣だ」

「あぁ………」

「あの色小僧の事でも、こちらは腹を立てているんだ……これ以上、余計なことをするな」

 

 ようやく、ジェヴォーダンはキュルケから顔を放してやる。キュルケは顔面蒼白で、へたり込み、自分の肩を抱いてふるふると震えていた。

 もうこれで、用などない。

 ジェヴォーダンが振り返り、扉を開けようとすると、唐突に向こうから扉が開かれた。

 立っていたのは、ルイズだった。

 

「ジェヴォーダン!」

 

 どうやら、銃声を聞いて慌てて駆けつけたようだ。ルイズは部屋に駆け込み、青くなったキュルケを見つけて息を飲んだ。

 

「あんた、ツェルプストーに何を……」

「あの色小僧と同じ目に合わせたまでだ」

「さっきの銃声は何!?」

「鍵を持ってなくてな」

 

 ジェヴォーダンはそうとだけ言うと、さっさと部屋を出て行ってしまう。ルイズはへたり込むキュルケとジェヴォーダン、どちらを優先するか迷い、しかしキュルケの様子に気がついて窓から乗り込んで来ようとするキュルケのボーイフレンドを見て、やむなく部屋を飛び出した。

 

 2人が出て行った後、キュルケは数人のボーイフレンドに介抱を受けていたが……おもむろに杖を振りかぶり、ロウソクの火から立ち上った炎の蛇が彼らを窓の外へ吹っ飛ばした。

 

「……ふふ、うふふふふふ」

 

 残念ながら、ジェヴォーダンの読みは外れていた。

 

「うふふ、あんなに、ワイルドなヒト、初めてだわ……燃え上がる恋でなく、こんなにもクールで凍えるような恋もあるのね……」

 

 キュルケは、燃えていた。

 

「絶対モノにしてやるわー! オホホホホ!!!」

 

 

 

 ルイズはジェヴォーダンが戻った自室に駆け込み、慌てて後ろ手に扉を閉める。大きく息を吸い、また大きく吐き出すと、キッとジェヴォーダンを睨みつけた。

 

「あんたねぇ! 何があったのか知らないけど、学校の中で銃を撃つなんて何考えてるの!?」

「言ったろう、鍵を持っていなかったと。扉を閉められて、仕方なくドアノブを撃った」

「銃弾は鍵じゃなーーーい!! なにが『獣でなく人である証』よ、あんたこそ見境なくバンバカ撃ちまくる獣じゃないの!!!」

 

 怒り任せの軽率な行動だった事はジェヴォーダン自身にもわかっていたため、ジェヴォーダンは思わず返答に詰まってしまう。

 しかしそれがルイズの怒りをさらに延焼させることとなる。

 

「しかも、なんで、あんたが、あの、ツェルプストーの部屋にいるのよおおおお!!! 何をしてたの!!!!!」

「奴の火トカゲに引っ張り込まれた。ロクな話ではなかったがな。軽々しい色恋など、俺には無縁だ」

「……まぁ、あの女の誘惑に引っかかんなかった事だけはいいわ。でもね、他に理由があったとしても、あの女だけはだめ。ツェルプストーの家と、ヴァリエール家には、深い深い因縁があるんだから!」

 

 そこから、ルイズによる数世代に渡る両家の下らない争いについての演説がつらつらと並べられるが、ジェヴォーダンは相槌すら打たずに聞き流し、ノコギリ鉈の調整などに手を伸ばしていた。

 肩で息をするルイズがハーーーッとため息をし、そんなジェヴォーダンの頭を掴んでグリンと無理やり向き直させる。

 

「それにね、あんたも見たでしょう。あいつの男の数。あんた、顔が割れてるんだからね。もしツェルプストーに、ただの平民の使い魔が手を出したなんて知れたら、あんた4、5人に背中を狙われるわよ」

「何も問題ない話だな」

「私には問題よ!」

 

 そうは言いつつ、ジェヴォーダンはふむ、と唸った。背中を狙われる事などヤーナムでは日常茶飯事だったし、今更驚くような事柄ではないが、ここでの生活に支障が出るとなると話は違う。

 自分を狙うものを2度3度ほど返り討ちにすれば、自分自身を狙っても意味はないと流石にわかるはずだが、あまりしつこくそういった連中につけ狙われるのは単に気分が悪い。

 であれば、ジェヴォーダンには身を守る術がいる。

 

「ルイズ、剣をくれ」

 

 出した結論は、抑止論だった。

 

「剣? それがあるじゃないの」

「これか。お前が持ち歩くなと言ったんだろう」

 

 グロテスクな見た目のノコギリ鉈に、ルイズはうーんと顔をしかめる。確かに、この見た目の刃物はできれば持ち歩いて欲しくはない。

 

「丸腰でいたら狙われても文句は言えん。お前としても、使い魔が剣を携えておけばれっきとした力の誇示になる」

「……ん、確かにそうね。いいわよ、剣買ってあげる」

「恩に着る」

「明日は虚無の曜日だから、街まで降りましょう。それにしてもあんた、剣なんか扱えるの? 戦いぶりは確かにすごかったけど、剣士っていう感じでもないわ」

「ものによるな。俺たち狩人は、何かしらの仕込みのある武器しか使わない。様式美を重んじ、扱いこなすことを人の誇示とするために」

「……前から思ってたんだけど」

 

 ルイズは少し首をかしげ、ジェヴォーダンに向き直る。

 

「あんたのその、異様なまでに人であることに固執するのはなんなの? 別にあんたはただの人に見えるんだけど」

「俺の宇宙で、獣の病というものが蔓延したことは話したな」

「えぇ。人が獣になっちゃうとかっていう。それを、狩ってたんでしょう」

「言うなれば獣とて元は人さ。人狩りなど、おぞましいと思わんか?」

「それは……」

 

 ルイズは言葉に詰まった。人殺し、などと言う気はないが、何も感じないとも言えない。ジェヴォーダンは一息つくと、かすかにうつむいた。

 

「ガスコインという狩人がいた。異邦から来た男で、俺も彼について詳しく知る訳ではないが、優秀な狩人だった。だが彼はやがて狩りに溺れた。獣の愚かに浸り、ただ狩る事だけを選んだんだ……自分の妻さえ、手にかけて」

「……!」

「彼にはもう人と獣の区別がつかなくなっていた。見境なく狩り、ただ殺し回るだけの獣なんぞと、同じものにはなりたくない。人でありたいと思うのは、真っ当だと思うがね」

 

 フーッと息を吐き、ジェヴォーダンはそれから、ノコギリ鉈を手に持ってそれをまじまじと見やった。

 

「……あぁ、それと、剣を買ってほしい理由はもう1つある」

「何?」

「これだ」

 

 ジェヴォーダンがノコギリ鉈を振りかざし、変形させ……そのノコギリ状の刃が柄から離れてかっ飛び、ルイズの顔の横をかすめて後ろの壁に突き刺さった。美しい桃色の髪が2、3本ほど、月の光を反射して神秘的に輝く。

 ルイズは白目を剥き、気絶しそうになりながらもなんとか意識を留めた。

 

「あんたは、ご主人様に、何を」

「すまんな、ここにくる前にかなりの激戦があって酷使しててな、先日のギーシュとの決闘で限界だったようだ。本来なら工房の道具がないと直せないものだから、改めて剣は必要だ」

「それと、この、所業に、なんの、関係が」

「さて、夜も遅いぞ。寝たらどうだ?」

 

 ジェヴォーダンなりの茶目っ気だったのだが、当然そんな狩人ジョークが貴族に通じるはずもなく、鞭を取り出したルイズの説教は夜更けまで続く事になった。

 




輸血液

血の医療で使用される特別な血液。

ヤーナム独特の血の医療を受けたものは
以後、同様の輸血により生きる力、その感覚を得る。

血は、狩人たちにとって生きる感覚そのものである。
生きる事への渇望、それは血の悦びに他ならない。

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