ゼロの狩人   作:テアテマ

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04:ルーン

 トリステイン魔法学校の中堅教師、『炎蛇』の2つ名を持つコルベールは、先日の夜から図書館にこもりきりになっていた。

 理由は、先日の『春の使い魔召喚』の際に、ルイズが呼び出した平民の青年のこと。正確にいうと、その青年の左手に現れたルーンのことが気にかかっていた。

 コルベールが、初めて彼に対峙した時、コルベールの中の『炎蛇』としての血が叫んだ。「危険だ」と。およそ人に感じるような気配ではなかった。かといって、今まで生きてきて対峙したどんな魔獣とも、違っていた。

 そんな彼に現れた使い魔のルーン。珍しいルーンであった。そのルーンの上に浮かんだ印も含め、これまで見たことがないような。しかし、どこかで見たような。

 そうして資料を洗いざらい漁っている内……始祖ブリミルが使用した使い魔たちの記述に行き着いた。

 そして、その古書の一節と、彼の左手に現れたルーンのスケッチを見比べ、あっ、と声にならないうめきをあげた。

 

「これだ! しかし、まさか……」

 

 コルベールは本を抱えると、慌てて走り出す。向かった先は、学院長室であった。

 

 

 

 

 

 

 気を失ったルイズを自室へと運び、近くにいた教員と思わしき者にルイズの体調を伝え……ジェヴォーダンは、中庭のベンチに腰掛けて思案していた。

 先ほどの、神秘のこと。血の質が間に合わないはずのジェヴォーダンが、何故エーブリエタースの先触れを呼び出す事が出来たのか。そも、本来この軟体動物を触媒として呼び出せる触手はもっと小さかったはずだ。

 

「くそ、こんな事なら他の神秘の触媒も持ち歩いておくんだった……」

 

 この先触れも偶然手元にあっただけの事で、基本的なものは夢の中の倉庫の中だ。もう夢を見ない以上、取り出しに行く術もない。

 

「あの、どうなさいました?」

 

 ジェヴォーダンがうなだれていると、後ろから声をかけられた。

 振り向くと、大きい銀のトレイを持ち、メイドの格好をした素朴な感じの少女が、心配そうにジェヴォーダンを見つめている。

 

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」

「あなた、もしかしてミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう……」

 

 彼女は、ジェヴォーダンの左手にかかれたルーンに気がついたらしい。

 

「む、俺を知っているのか」

「えぇ、なんでも、召喚の魔法で平民の木こりを呼んでしまったって、噂になっていますわ」

「木こり!?」

 

 ジェヴォーダンは驚きのあまり立ち上がった。

 

「……え、そういうことになっているのか?」

「え、えぇ。大きな鉈のようなノコギリのような工具と銃を持ち歩いた大男だと……」

「俺は狩人だ」

「まぁ、狩人様! これはとんだ間違いだったようですわ、申し訳ございません!」

「いや、いや、いいんだ……」

 

 しかし、木こり……と、ジェヴォーダンは頭を押さえる。

 

「君も魔法使いか?」

「いえ、私は違います。あなたと同じ平民で、貴族の方々をお世話するためにここでご奉仕させていただいている、シエスタといいます」

 

 シエスタはそう名乗ると、貴族にするように甲斐甲斐しく礼をした。

 

「俺はジェヴォーダンだ。察しの通り、ヴァリエール嬢の使い魔として勤めている」

「あら、では今は昼食のお時間ですから、外で待機を?」

「いや、あいつは……倒れたんだ」

「えぇっ!? 大丈夫なんですか?」

 

 ジェヴォーダンは、やれやれといった感じで手を振る。

 

「いびきをかいて寝る程度には元気さ。奴が寝ている手前、昼飯は抜きになるがな」

「……お腹がすいているんですか?」

「ん? まぁ、そうかもな」

「でしたら……こちらにいらしてください」

 

 シエスタはジェヴォーダンを案内して歩き出した。

 

 ジェヴォーダンが連れていかれたのは、食堂の裏にある厨房だった。大きな鍋や、オーブンがいくつも並んでいる。コックや、シエスタのようなメイドたちが忙しげに料理を作っている。

 

「ちょっと待っててくださいね」

 

 ジェヴォーダンを厨房の片隅に置かれた椅子に座らせると、シエスタは小走りで厨房の奥に行き、しばらくしてお皿を抱えて戻って来た。皿の中には、湯気の立つシチューが入っている。

 

「貴族の方々にお出しする料理の余りモノで作ったシチューです。よかったら食べてください」

「良いのか?」

「えぇ、賄い食ですけど……」

 

 望外な申し出に、ジェヴォーダンは素直に甘えることにした。スプーンでシチューを取り、ひと口食べる。ジェヴォーダンは目を見開いた。

 

「……うまい」

「そう、おかわりもありますから……」

「くれ」

「え?」

 

 そう言ってジェヴォーダンが差し出した皿は、既に空だった。

 結局ジェヴォーダンはこのまま、とても狩人らしいスピードで3人前ほどのシチューを平らげた。シエスタは、ポカンとした様子でジェヴォーダンを見つめている。

 

「……そ、そんなに美味しかったですか?」

「こんな美味いもの、俺の住んでいた地にはなかった」

「そ、そうなんですか……」

 

 ただの賄い飯なのに……とシエスタは思う。ジェヴォーダンの普段の食生活に興味が湧いた。

 

「あの、ジェヴォーダンさんの暮らしてた土地の料理というのは?」

「……揚げた魚と芋を組み合わせただけのものや、豆を水で炊いたものなどだ」

「……それは……」

 

 どことなく「おいしい」というビジョンが想像できない言葉の羅列に、シエスタは微妙な気持ちになる。この人、どんな食生活を送ってきたのだろうか?

 

「……とても美味かった、感謝する」

「よかった。お腹がすいたらいつでも来てください。私たちが食べているものでよかったら、お出ししますから」

 

 ジェヴォーダンは、なるほどなと思った。おそらくこの世界では、魔法が使えるメイジとそうでない平民の地位的格差がかなり大きい。半ば迫害され奴隷同然の扱いを受ける平民たちの間には、強い仲間意識のようなものがあるのだろう。

 これは今後利用できるかもしれない。ジェヴォーダンは、自分の立ち位置を確保しておこうと思った。

 

「ただ飯は食らわん。俺にできることはあるか? せめてもの礼だ、手伝いをさせてくれ」

「あら、そうですか? なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいな」

「承知した」

 

 シエスタはにっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 ドアを勢いよく開け、コルベール氏は学院長室に飛び込んだ。

 

「オールド・オスマン!」

「なんじゃね?」

 

 一瞬、秘書であるミス・ロングビルに蹴り回される、学院長オスマン氏が見えたような気がしたが……いまはミス・ロングビルは何事も無かったように机に座り、オスマン氏は腕を後ろに組んで重々しく乱入者を受け入れた。

 

「たた、大変です!」

「大変なことなど、あるものか。すべては小事じゃ」

「これを、見てください!」

 

 コルベールはオスマン氏に先ほど読んでいた書物を手渡した。

 

「これは『始祖ブリミルの使い魔たち』ではないか。まーたこのような古臭い文献など漁りおって。そんな暇があるなら、たるんだ貴族たちから学費を徴収するうまい手をもっと考えるんじゃよ。ミスタ……、なんだっけ?」

 

 オスマン氏は首をかしげた。

 

「コルベールです! お忘れですか!」

「そうそう、そんな名前だったな。君はどうも早口でいかんよ。で、コルベール君、この書物がどうかしたのかね?」

「これを見てください!」

 

 コルベールはジェヴォーダンの手に現れたルーンのスケッチを手渡した。

 それを見た瞬間、オスマン氏の表情が変わった。

 

「……ミス・ロングビル、すまんが」

「……はい」

 

 ミス・ロングビルが、いくつかの書類を手に部屋を出て行く。彼女の退室を見届け、オスマン氏は口を開いた。

 

「……詳しく説明するんじゃ、ミスタ・コルベール」

 

 

 

 

 

 

 大きな銀のトレイに、デザートのケーキが並んでいる。ジェヴォーダンがそのトレイを持ち、シエスタがトングでケーキをつまみ、1つずつ貴族たちに配って行く。

 様々なメイジがいた。互いの使い魔の自慢をしあうもの、巷で話題の小説について話すもの、恋愛話に花を咲かせるもの。

 その中の1人、金色の巻き髪にフリルのついたシャツを着た、気障(キザ)なメイジがいた。薔薇をシャツのポケットに刺した彼を、周りの友人が口々に冷やかしている。

 

「なぁ、ギーシュ! お前、いまは誰と付き合っているんだよ!」

「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」

 

 ギーシュと呼ばれた少年は、すっと唇の前に指を立てた。

 

「付き合う? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 

 自分を薔薇にたとえるナルシストぶり。しかし、周囲の様々な貴族を観察するジェヴォーダンの眼中にはない。

 そのため、ギーシュのポケットから小壜が落ち、コロコロと転がるも……それを知る由もないジェヴォーダンは、小壜をグシャリと盛大に踏み潰した。

 

「……ん?」

「……!? んがぁっ!? おっ、おい君!」

 

 途端に立ち上がる華やかな芳香に気づいたジェヴォーダンとギーシュが、その香りの出所に気がつく。ギーシュは顔面蒼白になって小壜にすがりよった。

 

「な、な、なんてことをするんだ君は!」

「気づかなかった。落としたのか?」

「そう……あ、いや、その」

 

 何故か、自分の持ち物であることを濁すギーシュ。

 すると、その小壜の出所に気づいたギーシュの友達が、大声で騒ぎ始めた。

 

「おお? その香水は、もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」

「そいつがギーシュ、お前のポケットから落ちてきたってことは、つまりお前は今モンモランシーとつきあっている。そうだな?」

「違う。いいかい? 彼女の名誉のために言っておくが……」

 

 ギーシュが何か言いかけたとき、後ろのテーブルに座っていた茶色のマントの少女が立ち上がり、ギーシュの前に向かってコツコツと歩いてきた。

 栗色の髪をした可愛らしい少女は、ポロポロと涙を零していた。

 

「ギーシュさま……やはり、ミス・モンモランシーと……」

「彼らは誤解しているんだ、ケティ。僕の心の中に住んでいるのは、君だけ……」

 

 しかし、ケティと呼ばれた少女は、思いっきりギーシュの頬をひっぱたいた。

 

「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

 かけて行ってしまう少女。

 変わって遠くの席から1人の見事な巻き髪の女の子が立ち上がった。厳しい顔つきで、かつかつとギーシュの席までやってくる。

 

「モンモランシー、誤解だ。彼女とはただいっしょに、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをしただけで……」

「やっぱり、あの1年生に手を出していたのね?」

「お願いだよ、『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りでゆがませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 

 冷静な態度を装って弁明するギーシュだったが、モンモランシーはテーブルに置かれたワインの壜を掴むと、中身をどぼどぼとギーシュの頭からかけた。

 そして……、

 

「うそつき!」

 

 と怒鳴って去って行った。

 沈黙が流れる。

 ギーシュはハンカチを取り出すと、ゆっくりと顔を拭いた。そして、首を振りながら芝居がかった仕草で言った。

 

「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 

 と、一連の流れを全く見ていなかったジェヴォーダンは、心配そうにこちらを見るシエスタを促し、再び歩き出した。

 

「待ちたまえ」

「……?」

 

 そんなジェヴォーダンをギーシュが止めた。椅子の上で体を回転させると、すさっ! と足を組む。

 

「君が不注意に、香水の壜なんかを踏み潰したりしてくれたおかげで、2人の女性の名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

 

 ジェヴォーダンは呆れてため息をついた。

 

「二股などかけてるからだろう」

 

 ギーシュの友人たちが、どっと笑った。

 

「その通りだギーシュ! お前が悪い!」

 

 ギーシュの顔に、さっと赤みが差す。

 

「いいかい、給仕君。君が少し気を利かせて、小壜を拾い上げるなりすればよかったろう。機転をきかせて話を合わせることもできたはずだ」

「くだらんな。俺がそこまでする義理はない。それと、俺は給仕ではない」

「ふん……。あぁ、君は……」

 

 ギーシュは、バカにしたように鼻を鳴らした。

 

「確か、あのゼロのルイズが呼び出した、平民の木こりだったな。木こりに貴族の機転を期待した僕が間違っていた。行きたまえ」

 

 明らかに相手を馬鹿にし、見下すような言葉に、ジェヴォーダンが足を止めた。

 

「俺は木こりではない、狩人だ」

「狩人? ほう、銃と鉈は狩り道具だったか。ふん、なら、毛皮の1つでもこしらえてくれよ。貴族の命なのだから聞けるだろう?」

「あいにく、俺が狩るのはそういう獣ではない。貴公のような、人皮の獣だ」

「何……?」

 

 ジェヴォーダンは、振り返って冷たい目をギーシュに向ける。その瞳の不気味な視線に、ギーシュは冷や汗を流した。

 

「小娘に欲情でもしていたものか。それで二股をかけるなど、浅ましいものだな」

「……っ! どうやら、君は貴族に対する礼を知らないようだな」

「あいにくと、獣相手に礼節も何もないのでな」

「よかろう。そこまでコケにされて、僕も黙っているわけにはいかない。君に礼儀を教えてやろう、丁度いい腹ごなしだ」

 

 ギーシュは立ち上がった。

 

「決闘だ。逃げるとは言わせん」

「……ふん、ここでやるのか?」

「ふざけるな。貴族の食卓を平民の血で汚せるか。ヴェストリの広場で待っている、ケーキを配り終わったら来たまえ」

 

 ギーシュの友人たちが、ワクワクした顔で立ち上がり、ギーシュの後を追った。1人は、テーブルに残った。ジェヴォーダンを逃さないよう、見張るつもりのようだ。

 シエスタが、ぶるぶる震えながらジェヴォーダンを見つめている。

「あ、あなた、殺されちゃう……貴族を本気で怒らせたら……!」

「……シエスタ、残りのケーキを頼む」

「え? あ……」

 

 ジェヴォーダンは、シエスタにトレーを渡す。シエスタは少し迷ったような表情を見せ、やがてだーっと走って逃げてしまった。

 そして、入れ替わるように……ルイズが走って来た。

 

「あんた! 何してんのよ! 見てたわよ!」

「なんだ、起きたのか」

「……さ、さっきのは、あんたの言う通り間違いってことにしといてやるわ! そんなことより、なに勝手に決闘なんか約束してんのよ!」

 

 あれを見て、ショックで気絶しておいて、ほんとに間違いで済ましてケロッとしているあたり、本当にこいつは大物になるだろう。

 

「謝ってきなさい」

「おい、一度部屋に準備に戻る。その後そのヴェストリの広場とやらに行く。ついてきて案内してくれ」

「いいだろう、平民」

 

 しかし、ジェヴォーダンはすっかりルイズを無視し、監視役の貴族に話しかける。

 

「ちょっと! 聞きなさい、メイジに平民は絶対に勝てないの! 怪我で済んだら運がいい方なのよ!」

 

 そしてジェヴォーダンは、かけらも聞く耳を持たずに歩いて行ってしまった。

 

「あぁもう! ほんとに! 使い魔のくせになんで勝手なことばっかりするのよ!」

 

 ルイズは、ジェヴォーダンの後を追いかけた。

 

 

 

 ルイズの部屋、ジェヴォーダンが1人、決闘の準備をしていた。

 外していた手袋と手甲を装着し、いつもの防疫マスクとマントをつけ、胸のホルスターに水銀弾を装填し、懐の持ち物を確認する。

 ルイズに言われコートの内側に隠していた獣狩りの散弾銃をいつもの腰元に、そして部屋に置いていたノコギリ鉈を手に。

 そのノコギリ鉈を振り抜く。ガチンと音を立て、開かれていた刃が閉じた。

 そしてジェヴォーダンは、狩人の象徴でもある鋭い三角帽子をかぶると、ゆっくりと暗い廊下を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある、中庭である。西側にある広場なので、日中でも日があまり差さない。決闘にはうってつけの場所である。

 広場は、噂を聞きつけた生徒たちで溢れかえっていた。

 

「諸君! 決闘だ!」

 

 ギーシュが薔薇の造花を掲げると、うおーっ! と歓声が巻き起こる。

 

「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの木こりだ!」

 

 ギーシュは腕を振って、歓声に答えている。

 集まっている観客は皆、決闘が見られる事というより、ギーシュが平民を一方的に打ち倒す様が見られる事に期待し、湧き上がっていた。そのためギーシュの相手が何者であるかなど、彼らにとってはどうでもいいことだった。

 しかし……そんな群衆の後ろの方で、やにわに小さな悲鳴が上がり、人垣がわらわらと割れていく。

 歓声に答えていたギーシュもそれに気がついた。そして割れきった人垣から現れたのは……ヤーナムの狩人装束に身を包んだ、ジェヴォーダンだった。

 

 腰元には無骨な大砲のような銃と冷たく重たい刃の集合体を携え、目元だけを出した見慣れない装束と、特徴的な帽子。

 まさに狩人たるその姿に、湧いていた広場の群衆は、むしろどよめきの色を強くした。

 ただ、召喚の儀の日にその姿を見ていたギーシュは、変わらぬ様子で手を振った。

 

「とりあえず、逃げずに来たことは誉めてやろうじゃないか」

「……………」

「さてと、では始めるか」

 

 ジェヴォーダンは返答しない。

 決闘とは言うが、勝負を一瞬で終わらせる事は可能だった。ジェヴォーダンが左手の散弾銃の引き金を引けば、重たい水銀の散弾が、ギーシュを物言わぬ冷たい肉塊に変えるだろう。

 だが、それでは意味がない。それでは、銃が強いということの誇示にしかならない。

 ジェヴォーダンに必要だったのは、自分が、『狩人』が『メイジ』より強いこと、それを証明することだった。

 その意味で、この群衆の多さは都合がいい。

 

「フン……言葉は不要というわけかい。ではさっさと始めるとしようか!」

 

 ギーシュは、そんなジェヴォーダンを余裕の笑みで見つめ、薔薇の花を振った。

 花びらが1枚、宙に舞ったかと思うと……次の瞬間、硬い金属製と見られる、甲冑を着た女戦士の形をした人形になった。

 

「ほう……これが魔法か」

「そう……僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね? 言い忘れたな。僕の2つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」

「ふん、なるほど、メイジが魔法を使うのは道理だ」

 

 そしてジェヴォーダンは……ノコギリ鉈を右手に、散弾銃を左手に、それぞれ腰から抜いた。

 

「ならば俺は狩人だ。狩人の武器で戦う。文句はなかろう」

 

 そうして武器を構えた時……ジェヴォーダンの左手のルーンが、光り輝いた。

 

 

 

 

 

 

 学院長室。ミスタ・コルベールは、オスマン氏に全てを説明していた。

 春の使い魔召喚の際に、ルイズが平民の使い魔を呼び出してしまったこと。

 その青年に、ただならぬものの気配を感じ取ったこと。

 ルイズがその青年と『契約』した証明として現れたルーン文字を調べていたら…始祖ブリミルの使い魔、『ガンダールヴ』に行き着いたこと。

 オスマン長老は、コルベールが描いたルーン文字のスケッチをじっと見つめ、ふーむと唸り髭をいじくった。

 

「ふむ、確かに同じじゃ。ルーンが同じということは、ただの平民だったその青年は、『ガンダールヴ』になった、ということになるんじゃろうな」

「どうしましょう」

「しかし、それだけでそうと決めつけるのは早計かもしれんが……ん? これは?」

 

 ふと、オスマン氏は、ルーン文字のスケッチと同じ紙に描かれたもう1つのスケッチに気が付いた。

 

「あぁ、こちらもその青年の左手にルーンと共に刻まれた印なのですが、こちらはどんなに資料を探しても該当するものを見つけることができませんで……」

 

 オスマン氏は、その印を改めてまじまじと見つめる。そして、それまでのどこか余裕そうな表情が一変、目を見開いた。

 

「ミスタ・コルベール! こっ、これは!」

「ど、どうかなさいましたか?」

 

 その時、ドアがノックされた。扉の向こうから、ミス・ロングビルの声が聞こえてくる。

 

「私です、オールド・オスマン」

「なんじゃ?」

「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

「まったく、暇をもてあました貴族ほど、たちの悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」

「1人は、ギーシュ・ド・グラモン」

「あの、グラモンとこのバカ息子か。オヤジも色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。おおかた女の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」

「……それがメイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の青年です」

 

 オスマン氏とコルベールは顔を見合わせた。

 

「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」

「アホか。たかが子供のケンカを止めるために、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」

「わかりました」

 

 ミス・ロングビルが去っていく足音が聞こえた。

 コルベールは、唾を飲み込んだ。

 

「オールド・オスマン」

「うむ」

 

 オスマン氏は、杖を振った。壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリの広場の様子が映し出された。

 

 

 

 

 

 

 ジェヴォーダンは、武器を握った瞬間左手のルーンが光り輝きだしたことに気がついた。そして、ほのかに身体が軽くなったのを感じる。

 ギーシュの青銅のゴーレムが拳を振り上げる。青銅の塊、戦乙女ワルキューレの姿をした像が、ゆっくりとした動きでジェヴォーダンに向かってくる。

 その動きは、もはや止まって見えた。

 ジェヴォーダンがノコギリ鉈を振りかざすと、ゴーレムはまるで紙細工のように、ひしゃげてしまった。

 真っ二つになったゴーレムが地面に落ちる。ギーシュは声にならないうめきをあげた。

 

「くっ……! ま、まだだ!」

 

 ギーシュはブンブンと薔薇を振る。花びらが舞い、新たなゴーレムが6体現れる。

 全部で7体のゴーレムが、ギーシュの武器だ。一体しか使わなかったのは、それには及ばないと思っていたためである。

 ゴーレムが、ジェヴォーダンを取り囲み、一斉に躍り掛かる。

 

 ジェヴォーダンは冷静だった。

 ルーンが光りだした途端、わずかにではあるが身体が軽くなった。普段通りでさえ遅れをとることはない相手だ、今なら、やれる。

 

 横から飛びかかってきていたゴーレムの腹部に蹴りをいれる。吹き飛んだゴーレムのほうにステップすると同時に、別の2体のゴーレムを袈裟斬りにする。

 さらに、横から殴りかかってきたゴーレムの攻撃を体勢を低くしてかわし、武器を変形させながら引き裂く。

 展開したノコギリ鉈で、起き上がろうとしていたゴーレムを叩き潰す。

 背後から殴りかかろうとしていたゴーレムに……散弾銃を打ち込んだ。強烈な衝撃に、ゴーレムは体勢を崩して膝をつく。

 ジェヴォーダンはとっさにノコギリ鉈を地面に刺し、空いた右腕を、ゴーレムの腹部に叩き込んだ。

 血も肉もない、空っぽの鎧。ジェヴォーダンは冷たい目でゴーレムを見ると……素手で、ゴーレムを、引き裂いた。

 まるで紙でもやぶくかのように、引き裂いてしまったのだ。グロテスクにひしゃげたゴーレムは、背後にふらふらと数歩あるいて、力なく倒れた。

 ほんの一瞬のうちに、ギーシュ自慢のゴーレムが、まるで土クズのように打ち捨てられた。絶望するギーシュに、ジェヴォーダンがゆっくりと、歩いて迫ってくる。

 咄嗟に残りの1体を、ギーシュは自分の盾に置いた。

 その瞬間に……ゴーレムはそのノコギリ状の刃でズタズタに引き裂かれた。

 

「ひ、ひぃぃっ……!」

 

 ゴーレムの亡骸が崩れ、あの狩人が姿をあらわす。ギーシュは恐怖のあまり尻餅をつく。そのギーシュに向けて、ジェヴォーダンは展開したノコギリ鉈を振りかざす。

 ギーシュは、覚悟した。頬を涙がつたうのを感じながら、頭を抱えた。

 ズシャッと音がして……。

 おそるおそる目を開けると、ギーシュの右頬、涙が届くほどの距離に、ノコギリ鉈が突き立てられていた。

 恐怖と絶望が、ギーシュの心臓を握り潰す。がくがくと震えながら、ギーシュは言った。

 

「ま、参った……」

 

 ノコギリ鉈を握ったジェヴォーダンは、冷たい目でギーシュを見下した。そして、獣のように低く恐ろしげな声で言い放った。

 

「いや、まだだ」

「……え?」

 

 ギーシュの表情が、絶望に歪む。

 ジェヴォーダンは、懐から何かを取り出した。

 

 それは、ボロボロにひび割れた、頭蓋だった。内側からは、軟体生物のような形を象った、青白い光が漏れている。

 ジェヴォーダンの表情が変わった。防疫マスクに隠れて見えないその顔は、しかし、笑っているようだった。

 

「……お前に礼儀を教えてやる」

 

 そしてその頭蓋を、ギーシュの鼻面の目の前で、握り砕いた。

 

 

 

 

 

 

 ギーシュは夢を見ていた。

 

 ちらつく炎、襲い来る獣たち。

 瞳を纏う脳。その瞳がこちらを見つめ、世界が歪んでいく。

 足元が泥に沈み、ぬかるんで動くことができない。

 目の前の暗がりから、女性が歩いて来る。ギーシュは必死で助けを求めた。

 だが、それは人間ではなかった。ブヨッと膨らんだ頭部には、大量の瞳、瞳、瞳。

 その瞳がギーシュを見た。気づけば、ギーシュは血まみれだった。

 その血が自分の体から流れ出ているものだと気がついて、ギーシュは悲鳴をあげた。

 瞳の女が、動けないギーシュを抱擁する。恐怖に泣き叫ぶギーシュを、女特有の柔らかい身体が、優しく抱きしめる。

 歌声が聞こえた。大きな瞳が、ギーシュを見つめた。

 

 ギーシュは見た。瞳に反射して映る自分の姿を。

 そこには、青白く膨らんだ頭の、奇怪な生き物が映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 ヴェストリの広場が、わっと歓声に包まれた。

 あの木こり、やるじゃないか! ギーシュが負けたぞ! 見物していた連中が、口々に声を上げる。

 群衆の多くは、ジェヴォーダンが最後にギーシュに何をしたのか、気づいていなかった。ジェヴォーダンがノコギリ鉈を引き抜く。ギーシュは、泡を吹いて気絶していた。

 異変に気付いた群衆の歓声が、しだいにどよめきに変わる。

 そんなギーシュの様子に気がついた少女が2人、駆け寄ってきた。先ほどギーシュに浮気を食らっていた2人、ケティとモンモランシーだ。

 

「ギーシュさま!」

「ギーシュ!?」

 

 ジェヴォーダンは、無言で振り向き、歩き出した。もう彼に、用はなかった。

 入れ替わるように、数人の生徒がギーシュの側に集まり、『水』系統のメイジが、気つけの治癒の魔法をかける。

 

「う……?」

「ギーシュ! 大丈夫?」

「ギーシュさま……」

「モンモランシー……ケティ……?」

 

 ギーシュが、自分を呼ぶ声に目を覚ます。聞きなれた、愛しい人の声。

 うっすらと目を開け……そして見開いた。

 

 2人の人影が、自分を覗き込んでいた。膨らんだ頭部に生えた、無数の瞳で。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぉ!!!!」.

「ギーシュ!?」

 

 夢の光景がフラッシュバックし、ギーシュは恐怖のあまり悲鳴を上げた。

 当然、ケティとモンモランシーは、瞳の化け物になどなっていない。ただ様子のおかしいギーシュを、心配そうに見るだけだ。

 だがギーシュには、それが違うものに見えているのだ。

 

「こっ、こないでくれ……! 嫌だ、うわぁぁぁ!!」

「ちょっと、ギーシュ!? どうしちゃったのよ、ねぇ!」

 

 再びモンモランシーが叫ぶ。ギーシュは、その瞳の化け物がモンモランシーの声で話しかけてきていることに気がつき……再び気を失った。

 

 ジェヴォーダンはそんな様子に目もくれず、ざわめく群衆の中を歩いた。

 その先に、ルイズがいた。

 

「……あんた、ギーシュに何をしたの?」

 

 様子を見ていたのだろう。ルイズはジェヴォーダンが頭蓋を砕いたのを見ていたようだ。ジェヴォーダンはフンと鼻を鳴らした。

 

「啓蒙の片鱗を、少しばかり覗かせてやった。安心しろ、死にはしない」

「啓蒙って……ギーシュ、様子がおかしかったけど。本当に大丈夫なの?」

「俺の手で砕いた智慧の片鱗を見せてやっただけだ。ほとんどは俺の方に入った、あいつはかけらを見たに過ぎない。あれは一時的な狂気だ。数日もしないうちに収まるだろう」

「そう……」

 

 ルイズが聞きたかったのは、まったくそう言う事ではなかった。あの頭蓋は何だったのか。智慧とは何か。そも、そんな片鱗を見ただけでギーシュがああなっているような物なのに、それを取り込んだジェヴォーダンは、なぜ平気な顔をしているのか。

 だが、ジェヴォーダンの様子から、それを問うてもまったく答えてくれるつもりはないのだろうとわかり、ルイズは聞くのを諦めるしかなかった。

 ジェヴォーダンは、そのままルイズを素通りして歩いて行こうとする。ルイズは振り返った。

 

「ジェヴォーダン! あんた……何者なの」

「……………」

 

 先ほど神秘を見せつけられて、ルイズはすぐに気を持ち直した。今回の事といい、おそらく、ジェヴォーダンがただの人間ではないと、気が付いたのだろう。

 こいつなら、啓蒙のひとつくらい訳無いだろう。あるいは、瞳を得る事も造作無いかもしれん。ジェヴォーダンは、楽しげにククッと笑った。

 

「少なくとも、木こりではないからな」

 

 そしてジェヴォーダンは行ってしまった。どよめく群衆の中、ルイズだけがただ黙って、ジェヴォーダンの背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 オスマン氏とコルベールは、『遠見の鏡』で一部始終を見終えると、顔を見合わせた。

 コルベールは、震えながら声を絞り出す。

 

「オールド・オスマン」

「うむ」

「あの平民、勝ってしまいましたが」

「うむ」

「ギーシュは1番レベルの低い『ドット』のメイジですが、それでもただの平民に遅れをとるとは思えません。そしてあの動き! あんな平民見たことない! やはり彼は『ガンダールヴ』!」

「……………」

 

 オスマン氏は、フーッとため息をつくと、手を顔につけた。そしてゆっくりと顔を撫で、続いて白い髭をなでる。

 そして重苦しく呟いた。

 

「……彼は、ただの平民なんぞではないよ」

「え? それはどういう……」

 

 ミスタ・コルベールは、意味がわからないという風に首をかしげた。

 

「それは確かに、彼を呼び出した際には異様な気配を感じました。しかし、その際に念のため『ディタクト・マジック』で確かめたのですが、正真正銘、ただの平民の青年でした」

「……メイジか平民か、ということであれば、そうかもしれん。だが、事はそう単純ではない。彼は『狩人』じゃ」

「……狩人、ですか」

 

 重苦しく語るオスマン氏とは相対的に、コルベールはポカンと口を開けた。

 

「しかし、狩人がただの平民でないというのは……? 言うなれば、平民ならではの業者かではありますが……」

「あぁ、そうではない。ワシが言う『狩人』とは、野山でウサギなどを射る者のことではない……『炎蛇』よ、あれは夜の狩人じゃ。人皮を被る、おぞましい獣を狩る者じゃ」

「!? いや、しかし、そんな……」

 

 コルベールは、即座にその言葉の意味を理解する。あの時の、異様な気配も説明がつく。

 

「あ、暗殺者の類ということですか?」

「少し違うのう。何せ彼が狩るのは……既に人でないものじゃ」

 

 コルベールは、背筋に悪寒が走るのを感じた。それは一体どういう意味か。

 

「……ミスタ・コルベール、このことは、決して口外してはならん。特に王室のボンクラどもに『ガンダールヴ』とその主人を渡すわけにはいくまい。そんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。宮廷で暇を持て余している連中はまったく、戦が好きじゃからな」

「……学園長の深謀には恐れ入ります」

 

 オスマン氏は杖を握ると窓際へと向かった。目を閉じ、はるか宇宙の彼方へ、想いを馳せる。

 

「……狩人よ。どのような夜を駆け抜けてきたのかのう」

 

 コルベールが描いた、ジェヴォーダンの左手のルーンのスケッチ。その紙に描かれた、もう1つの印。

 それは吊り下げられた逆さまのルーン。

 全ての狩人たちの心の中にある、ハンターのシンボル。

 狩人の徴であった。

 

 

 




狂人の智慧

上位者の智慧に触れ狂った、狂人の頭蓋。
その頭蓋の中には啓蒙的知識が宿っている。

知り過ぎてはならないことは、どの世界にも存在している。
知ってしまえば、もう戻ることはできないのだ。

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