ジェヴォーダンとコルベールが情報を交わし、互いに違和感を感じるのにそう時間はかからなかった。
ハルケギニア、トリステイン、魔法、メイジ、使い魔。
ヤーナム、狩人、獣の病、血の医療、医療教会。
お互いの知りうる情報のあまりの食い違い。ジェヴォーダンが、ヤーナムが遥か東の地であると言った時、ロバ・アル・カリイエという名に聞き覚えはあるか尋ねてきたが、それもまた的外れだった。
召喚という行為が珍しいというわけではなかったため、ジェヴォーダンはその点だけはすんなりと受け入れる事ができた。だがそれも、よくよく考えれば召喚される直前の状況からして大きな違和感がある。
そこからジェヴォーダンが導き出した答えは、1つ。
「異なる宇宙、ねぇ」
場所は変わり、ルイズの部屋。時間もすっかり夜更け。
ルイズは夜食のパンをかじりながら、ジェヴォーダンの話を聞いていた。
上位者や宇宙のことなど、重要な内容を避けて話していたジェヴォーダンは、魔法もないようなとてつもない異邦の地から来た、ということにされ、夜までには解放されていた。
しかし、自らの主人ということになったらしいルイズにまで伏せておくわけには行かず、ジェヴォーダンは自分の考えを話さざるを得なかった
「私もヤーナムなんて土地は聞いた事がないし、そんなにその、医療? 魔法を使わないで病を治そうってそれが発展してる地なんて聞いた事がないし……ほんとにただ遠いところから来ただけじゃないの?」
「確かに、俺も記憶をなくしているせいでヤーナムの外の事までは詳しくない。単に遠くから召喚されたと考えられなくもないが……問題はアレだ」
ジェヴォーダンが窓の外を指差す。
見れば、星がきらめく雲ひとつない夜空に、2つの月が仲睦まじく浮かんでいる。
「確かに私も『月が1つ』なんて話、聞いたこともないわ」
「月は俺たちの土地にとってひどく重要な存在だったんだ。ただ見え方が異なるだけなら、遠方と言われても納得できるが、あんなにも小さく、そして2つあるなどというのは……」
ジェヴォーダンは月の魔物が2体で襲いかかってくる様を想像して、ゾッとしてやめた。
「でも……信じられないわ」
「そう言われてもな」
「月が1つなんて、お話なんだとしても支離滅裂すぎるわ。そんな宇宙がどこにあるのよ」
「それは……恐ろしく、遠くかもな」
ジェヴォーダンは窓の外を見つめる。数多の星がきらめくその宇宙が、ジェヴォーダンには美しいものには到底思えない。そこに渦巻くものが何者であるか、知っているからだ。
ルイズはそんなジェヴォーダンの様子を見て、ため息をつきながら続けた。
「何にせよ、もう諦めなさい。私も諦めるから。あなたは私の使い魔として召喚されたの、それが現実。それが異なる宇宙だろうが、異世界だろうがね」
「戻す方法はないのか?」
「戻りたいの?」
ジェヴォーダンは、少し黙り込み、自分が元いた世界と、自分の境遇について思い出した。
「……俺は自分の狩りを全うした。夜明けのために。ただそのために、宇宙の理にすら働きかけて」
「……宇宙の、なんですって?」
「俺は狩りを全うしなければならん。ヤーナムを……夜明けへと導かなければならない」
ジェヴォーダンは、ルーンの浮かび上がった自分の左手を見た。
「あの日、俺は俺で無くなるはずだった。"上"に行くはずだったんだ。それがどうだ、今俺はこうして俺のままでいる」
「………」
「ヤーナムは、まだ夜なのかもしれない……それを終わらせる事は俺の義務だ。狩りを全うするために、俺は帰らなくちゃならない」
ルイズは、ジェヴォーダンの言葉の半分も理解できてはいなかった。だが、それでも深刻そうなジェヴォーダンの様子から、それがただならぬ事情である事くらいは察することができた。
「でも、帰すなんて無理よ。あなた、私の使い魔だし。呼び出す魔法はあっても、帰す魔法なんてないのよ」
「サモン・サーヴァントといったか、あれをもう1度かけたらどうなるんだ?」
「……サモン・サーヴァントを再び使うには、一度呼び出した使い魔が、死なないといけないの」
「なんだと?」
流石に冷や汗が伝う。自分で悪夢の原因を潰した今、夢を見るとも限らないのだから、そこまでのダイスは振れない。
「死んでみる?」
「勘弁してくれ……」
どうやら、事態はジェヴォーダンが想像するよりずっと深刻だ。
上位者たちを相手に立ち回っていたほうが、まだマシだったかもしれない。そもそもこの世界に上位者はいるのか? 異なる宇宙なのだから、ゴースや月の魔物の影響があったとは考えにくいが……あちらこちらに顔を出していたアメンドーズ程度なら、流れ着いていてもおかしくはない。
「……わかった、こうなっては仕方ない。しばらくはお前の言う使い魔とやらをやってやろう」
「ちょっと、何よその言い方」
「ん?」
ルイズはジェヴォーダンの前に仁王立ちし、指をさしながら言い放った。
「口の利き方よ。ご主人様に対してそんな言葉遣いをしていいと思ってるわけ?」
「……ふむ」
立場上、ジェヴォーダンはルイズの使い魔というものをやると、先ほど明言した。その制約がある以上、行為でそれを裏切るわけにもいかない。
それでは、と、ジェヴォーダンは本来、血の眷属に対して使われる礼拝の姿勢をとった。
「なんなりとお申し付けくださいませ、ご主人様」
そのあまりにも無駄のない、優雅な動きに、ルイズは思わずあんぐりと口を開ける。
「あ、あんた、爵位でももらったことあるの?」
「あいにく、メイジの称号はもらったことがないがな」
それに、穢れた血の眷属であるなど、知れたらこの小娘になんと言われるか。
それにしても、アンナリーゼをとびきり幼くしたらルイズのようになるだろうかと、ジェヴォーダンは心の中で少し笑った。
「それで、使い魔というのは何をすればいいんだ?」
「そっ、そうね! まず使い魔は、主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ。使い魔が見たものは、主人も見ることができるのよ」
「……俺が瞳で見てきたものをお前が見たら、間違いなく発狂するな」
「……何見てきたのよ……ま、あんたじゃ無理みたいね。私、何も見えないもの」
ルイズはさらに続ける。
「次に、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。例えば秘薬とか」
「秘薬か、これか?」
ジェヴォーダンは懐から青白く光る液体の入った瓶を取り出す。
「えっ、それ秘薬なの!?」
「あぁ、脳を麻痺させる麻酔薬の類だがな」
「そんな危ない秘薬ないわよ! 秘薬ってのは特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」
「ふむ、魔法への予備知識がないからなんとも言えんが、そこを解決できればなんとかできそうだな」
散々っぱらダンジョンで物探しをしたジェヴォーダンにとって、何かを探してくるなど朝飯前のように思えた。
「そして、これが1番なんだけど……使い魔は、主人を守る存在であるのよ! その能力で、主人を敵から守るのが1番の役目! あんたは……」
「あぁ、それは自信があるな」
ジェヴォーダンが身に付ける、様々な武具の数々。特に腰から下がる大柄な散弾銃と、ノコギリと鉈が合体した狂気の武器。血で浅黒く汚れたそれに、ルイズは少しだけ恐怖心を覚えた。
「でも、そんな敵なんて毎日現れるものでもないわね……だから、普段は雑用ね。洗濯や、掃除よ」
「……全くの専門外なんだが」
「はいはい。そのうち狩りが必要になったら言うわよ。さて、喋ったら眠くなっちゃったわ」
ルイズは、ブラウスのボタンを外し、下着まで露わにする。ジェヴォーダンはその様子に呆れ返ったように言った。
「お前、いくらなんでも不用心なんじゃあないのか」
「なんで?」
「普通は、男の目につくところで女は着替えはしないんじゃないか」
「あんた、使い魔でしょ? なんとも思わないわよ」
完全に、男として扱わないという発言。ジェヴォーダンはさらに呆れた。ようは使い魔に、主人としての威厳を示しておきたいのだろう。
男扱いされない程度で傷つくようなジェヴォーダンではないが、仮にも自分の主人たる少女の器の大きさについては心配になる。
「じゃあこれ、明日になったら洗濯しといて」
そういうと、ルイズはジェヴォーダンの足元にパンツやキャミソールなどの下着を投げ捨てる。
「……………」
「あ、あんたの寝床はそこの藁束だから」
ルイズが指差した先は、一応にと積み重ねられた藁束がある。だが、ジェヴォーダンは首を横に振った。
「俺は夜は眠らないんだ」
「え? いつ寝るのよ」
「寝やしないさ……まぁ、ルイズ様に手を伸ばす不届きものか、それか獣でもいないか見張っておくさ」
「……ふん」
ルイズはそのままベッドにもぐる。本当は、わざわざ毛布まで用意していたというのに。人の好意を素直に受け取らないなんて、きっとろくなやつじゃない!
ルイズはそう決めつけて、パチンと指を弾く。部屋のランプが切れ、夜の帳が下りた。
ルイズがすっかり眠りにふけてからも、ジェヴォーダンは壁にもたれかかり、腕を組んで夜空を見つめた。
2つの月は怪しげな光を放っている。
「異なる宇宙、か……」
自分は果たして、元の世界に戻り、上位者たることはできるのだろうか。
獣の声のしない夜の静けさに、ジェヴォーダンの心は落ち着かなかった。
月が巡り、夜が明ける頃、ジェヴォーダンは机に向かっていた。
ルイズの部屋にある本のいくつかを読み解こうとしたのだが、異なる宇宙であるためか、全く知らない字で書かれたそれを読み取ることはできなかった。そのためジェヴォーダンは、まずこの世界の字の解析から始めていた。
ルイズに教わる事も考えたが、あの性格を省みるに、スッと教えてくれるとも思えない。必然的に、自力で読む方が早いと判断した。
それに、獣がいない故に手持ち無沙汰になってしまった夜の時間を、何かしらで消化してしまいたかった。
ヤーナムの血の医療のせいで肉体的な疲労など知らない狩人にとって、睡眠というのは本来必要ないものだ。
悪夢に囚われている時点で、自分からその理屈を捻じ曲げることはできない。
だからこそ……一息つき、ふと口を開けて眠りこけるルイズの姿を見て、あの鴉羽の狩人と最後に会った時のことを思い出した。
「……………」
考えても無駄なことだ。眠ってしまった彼女は、生きてるか、死んでるかも、わからない。その後の足取りは全く掴めていない。
もし、彼女も誰かに召喚したりされて、こちらの世界に来たりしているだろうか?
……いや、きっとないだろう。余計な考えを振り捨て、ジェヴォーダンは改めて本に向かう。
一晩費やしただけあって、簡単な単語程度なら読み取れるようになっていた。それでも、文書として読み起こすには、まだしばらくかかりそうな様子だ。
今夜は、これぐらいにしよう。ジェヴォーダンは取り出した本や、自前のメモなどを片付ける。そして、床に雑多に置かれた、昨日のルイズの下着を見やった。
「……ハァ」
狩人が、事もあろうに雑用。
様式美などを重視したりする狩人たちは、ある程度自らの狩人たることに誇りを持っている。ジェヴォーダン自身もそうだ。
だからこそこの待遇はあまりに不遇だ。何か、自分の立場を少しでも上げる工夫が欲しい……。
見れば、夜が明けてかなり立つ。そろそろ頃合だろう。
ジェヴォーダンはルイズのベッドに近づき、かかってる毛布を盛大に引っぺがした。
「きゃあああ! なっ、何!?」
「朝だ」
「あ、あぁ、はい……って、だっ、誰……?」
「……お前の使い魔だ」
「え……あ、あぁ、そうか……」
ルイズは一瞬思考が停止していた。
ジェヴォーダンは今、いつもの狩人のマスクと帽子をしていない。その内に隠された精悍な顔つきは、よく見なくても恐ろしく美しく整ったものだ。
寝起きでそんな顔に覗き込まれていたものだから、ルイズも一瞬ドキリとしたのだが、すぐに「使い魔に何を!」と頭を切り替えた。
ベッドから起きだし、1つ大きなあくびをして、思いっきり伸びをする。そして気だるそうな顔をジェヴォーダンに向けた。
「着替えさせて」
「……何?」
「着替えさせてって言ってるの。そこの引き出しの中にあるから。早くして」
ジェヴォーダンはとびきり盛大にため息をついた。
「俺を下僕扱いか?」
「……? 使い魔は下僕でしょ。貴族は下僕がいる時に、自分で着替えなんてしないのよ」
ルイズがそう言うと、ジェヴォーダンは途端に険しい表情になった。
「なぁ、昨日話した通り、俺のいた土地では"人間"と"獣"がいた」
「それが?」
「俺たち狩人が、扱いの複雑な仕掛け武器を用いたり、いわゆる様式美のようなものを求めたのは、それが自分は獣ではない、人にしかなし得ないことをしていることの誇示になるからだ」
ルイズはさらに首をかしげた。話の主体性がわからないと言う様子で。
ジェヴォーダンはさらに声のトーンを低くして言い放った。
「着替え1つ自分の手でできないというなら、俺はお前を人ではないと判断するぞ」
「なっ!?」
「別に獣の病に罹患しているわけでないから、わざわざ狩る気もないが……たとえ主従関係が築かれているとしても、俺がお前をどう見るかまではお前に操作できんよ。俺は自分の主人を、着替え1つ自分でできない『畜生』か『犬』程度のやつなんだと判断して扱うことになるが……」
「あ、あんた、ご主人様に向かって……!」
怒りに震えるルイズに、ジェヴォーダンはやれやれという様子で答えた。
「それでいいなら着替えさせてやるぞ? 俺も自分の主人が人間以下で残念だが……」
「ぐぅぅぅ、わかったわよ! もう! その代わりあんた、朝ごはん抜きだからね!」
主従関係はハッキリさせたい。だが、下僕に獣同然などと思われているのは、もっと気に入らない。使い魔ができたら、散々こき使ってやるつもりだったのに!
仕方なく、ルイズは自分で引き出しを開けるしかなかった。
ルイズとジェヴォーダンが部屋を出ると、近くの扉が開いて、中から燃えるような赤い髪の少女が現れた。
ルイズよりもいくばくか背が高く、シャツの胸元のボタンはいくつかはだけさせ、少女と呼ぶにはいやに大人っぽい雰囲気をたたえて……ルイズを見つけるなり、その印象が消え去り、子供のようにいたずらっぽく笑った。
「おはよう、ルイズ」
ルイズは顔をしかめ、嫌そうに挨拶を返す。
「おはよう、キュルケ」
「あんたの使い魔って、それ?」
「そうよ」
ジェヴォーダンを指差し、キュルケは鈴を転がしたように笑った。
「あっはっは! ほんとに人間なのね、すごいじゃない! それになかなか、いえ、かぁなり男前じゃないの……」
キュルケはジェヴォーダンの顔をより近くで見ようと、ぐいと身体をすり寄せる。ルイズがギョッとした表情で止めようとするが、キュルケは聞かない。
「ミスタ、お名前をお聞かせいただいてもよろしい?」
「……………」
ジェヴォーダンは答えない。先程からルイズの様子が気にかかっていた。どうやら、この赤毛の娘とは不仲のように見える。
うっとりと顔を覗き込むキュルケを、とうとうルイズが引っぺがした。
「こいつの名前はジェヴォーダンよ! キュルケ、離れてよ!」
「あーん、邪魔しないでよゼロのルイズゥ、あんたには不釣り合いだわこんな男前、ねぇミスタ・ジェヴォーダン? いっそのことこんな胸ゼロ女ほっぽりだして、私の所へ来ませんこと? きっとこの子のせいで、いろいろと苦労なさってるんでしょう?」
「だだだだだ誰が胸ゼロ女かぁっ!」
ルイズが血なまこになって怒るが、キュルケは涼しい顔でそれをかわす。
「私も昨日使い魔を召喚したのよ? どうせ使い魔にするならこういうのがいいわよね、フレイムー」
キュルケが勝ち誇った声で言うと、キュルケの背後から真っ赤で巨大なトカゲが現れた。むんとした熱気が漂い、口からはちろちろと火が漏れている。
「これって、サラマンダー?」
ルイズが悔しそうに尋ねる。
「そうよー、火トカゲよー。素敵でしょー? 私の2つ名、『微熱』のキュルケにぴったりの気品溢れる使い魔だわー……あぁ、あんたの使い魔だってあんたの2つ名にぴったりよ? 『ゼロ』のルイズにぴったりの、平民の使い魔でね! あーっはっはっはっはっ!」
あぁ、こりゃあ俺もこいつがいけ好かんな。
ジェヴォーダンは確信した。アリアンナの気品あふれた色とは少し毛色の違う、下品な色の匂いと振る舞い。"上"を求めるジェヴォーダンにとって、これはひどく不快なものだった。
そこでジェヴォーダンは……少し、からかってやることにした。
「ルイズ、先ほどの人と獣の話を覚えているか」
「え? ……服を着られるのは人だけ、それが獣ではない誇示になる、ってあれ?」
「そうだ、ルイズ……お前は正しく服が着れたから、間違いなく人と言っていい。"ボタンの閉め忘れもない"だろうからな」
そんなジェヴォーダンの言葉の意味を、ルイズは少し置いて理解し、にんまりと笑った。
「えぇ当然よ! 何せ私は獣でなく人だもの、シャツのボタンを1番上まで閉じるなんて、当たり前のようにできるわ!」
「そうだな。俺も自分の身なりは完璧に整えられているつもりだ。ボタンの閉め方を知らない奴など……人以下と言っていいな?」
「えぇ……さしずめ『畜生』か『犬』かしら?」
2人が息を合わせて芝居掛かった喋りを展開するのを、キュルケはポカンとして眺めていた。ルイズがそれを見逃すはずもなく、さらに続ける。
「あらキュルケ、どうしたの、そんなにシャツの胸元を開けて? まさかボタンが閉められないの?」
「複雑な仕組みだからな、人でないものにはそう器用にはできない。所詮は獣だ、人の言葉も解さんだろう」
「違いないわね。ジェヴォーダン、じゃあ目の前にいるこれが獣なら、何かしら?」
「ふむ……浅黒い肌に、赤い毛並み、ブクッと膨らんだ乳房。さしずめ牛だな」
「それね! きっと、サラマンダーの餌として取り寄せられたに違いないわ。そうでなかったら貴族の、寄宿舎の廊下にいるはずがないものね!」
ルイズはもう笑いを堪えるのが限界だったようで「じゃあね、モーモー!」と追い討ちをかけると、ジェヴォーダンと共に固まるキュルケの横を素通りして行った。
「え……え……?」
自分の身に起きた事がよくわかっていないキュルケは、少しづつ2人の話の内容が読み込めてきて、顔を真っ赤にした。
「だっ、誰が獣よ!? 誰が牛よ! キィィ〜〜〜!!! ゼロのルイズのくせして〜〜〜〜〜〜!!!!」
キュルケは悔しさに地団を踏みながら、しかしシャツのボタンは1番上まできっちり整え直したのだった。
「ぷっ……くく、あっはっはっはっは!!」
キュルケが見えなくなるところまで来てから、ルイズはこらえきれず吹き出した。
「んひひひひ……あははははは! ジェ、ジェヴォーダンあんた……やるじゃないの! ぷっくくく、う、牛って……!」
「……実を言えば身なりで色を出せるのも人ならではなのだがな。まぁ、あの手の輩にはこういうのが1番効く」
「違いないわね……にしても牛……にゃははははは!」
ルイズはこのことで小1時間笑うつもりのようだ。よほど気分が良かったのだろう。
それにしても……と、ジェヴォーダンは思考を巡らせる。先ほどの様子を見るにルイズは、あのキュルケという娘にさんざんいじくられてきたようだ。
そしてあのキュルケという娘、確か『微熱』とかいう2つ名で呼ばれていた。そしてルイズは『ゼロ』と……。
どうもジェヴォーダンは違和感を感じていた。確かにこの地では魔法が生活の主となっているようだが、ルイズが魔法を使っているところをまだ一度も目にしていない。
そして、『ゼロ』の2つ名。なんとなく察しはついていたが、それを本人に聞くようなマネはさすがにできなかった。
*
トリステイン魔法学校の食堂は、学園の敷地内で1番背の高い、真ん中の本塔にあった。
食堂の中には、100人は座れるであろう長いテーブルが3つ並べられている。
その真ん中、2年生の生徒が座るテーブル。ルイズの席の後ろ、床に置かれた皿を見て、ジェヴォーダンはもう何度目かもわからないため息をついた。
「……ほんとなら、あんたみたいな平民はこの『アルヴィースの食堂』には一生入れないの。その上ほんとなら使い魔は外のところを、あんたは私の特別な計らいで、床」
「……俺は『人扱いをしろ』と言っているんだが」
「仮にそうだとして、それと貴族と同じ食事をさせるってのとは違うでしょ?」
それは尤もだがジェヴォーダンが言っているのは床で食えというのがいただけないという話だ。この小娘は……と呆れつつ、ジェヴォーダンは皿を拾った。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「中庭に行く。ベンチがあったろう。そうでなくたって犬食いはごめんだ」
「あんた、私が特別に計らったって言ったでしょ!? いいからここで食べなさい!」
しかし、ジェヴォーダンは聞く耳を持たず食堂から出て行ってしまった。それどころか、奴のやたらと目立つ背の高さとルイズの声の大きさで、まわりからはクスクスと笑い声が上がる始末。
本当はここで少しおこぼれをやって主人としての威厳を示してやろうと思っていたのに……。
ルイズはそんなことを考えたが、先ほどのジェヴォーダンの言葉を思い出す。
『人扱いをしろ』
ジェヴォーダンが元いた宇宙について話した時といい先ほどのキュルケの時といい、あいつはなぜか人である事を大事にしてる、獣ではないってことを言い張ってる。
それはあいつの言ってた、獣の病ってもののせいかもしれないけど。獣の病って、一体なんなんだろうか?
考え事が巡ってしまい、ルイズは祈りの言葉が読み上げられているのに気がつかず、ハッとして慌てて手を組んで、また周囲に笑われてしまった。
魔法の杖
ハルケギニアの貴族たちが用いる魔法の杖。
魔法の触媒として用いられるもの。
様々な種類があり、必ず自らに合ったものを選んで使わなくてはならない。
魔法は、貴族を貴族たらしめる『力』である。力あるものが正義であることは、どの地でも変わらない。
神話における、『神』とは『力』である。