ゼロの狩人   作:テアテマ

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15:手紙

 ジェヴォーダンたちを乗せた軍艦イーグル号は、アルビオンの狭く細い海岸線を雲に隠れるようにして航行する。3時間ほど進んだ頃、大陸から突き出た岬が見えてきた。

 岬の突端には、高い城が静かに佇んでいる。荘厳なその姿に、思い出すのはカインの古城。あれがニューカッスルの城だと、ウェールズは説明した。だが、イーグル号は城へは向かわず、大陸の下側にもぐりこむように航路をとる。

 

「なぜ、下へ?」

 

 ウェールズが城のはるか上空を指差す。遠く離れた岬の突端からは、巨大な船が降下してきている。しかし雲の中を航行してきたイーグル号は、向こうからは雲に隠れて見えていないようだ。

 巨大な船だった。ゆうにイーグル号の倍もあろうかという巨船は、いくつもの帆をなびかせて降下してくる。と、唐突にニューカッスルの城へ向けて、並んだ砲門を一斉に発射した。強烈な振動がイーグル号までにも伝わってくる。砲弾は城壁を砕き、城を粉々に打ち砕いていく。

 

「叛徒どもの、船だ。かつての本国艦隊旗艦、『ロイヤル・ソヴリン』号だ。叛徒どもが手中に収めてからは、『レキシントン』と名を変えている。やつらが初めて我々から勝利をもぎとった戦地の名だ、よほど名誉に感じているらしい。あの忌々しい艦は、空からニューカッスルを封鎖しているのだ。あのように、たまに嫌がらせのように城に大砲をぶっ放していく」

 

 巨大な戦艦は、城の上空、雲の切れ間に悠々と佇んでいる。艦上にはドラゴンが飛び交い、禍々しさも合間ってまるで悪の居城だ。

 

「備砲は両舷合わせ、108門。おまけに竜騎兵まで積んでいる。あの艦の反乱から、すべてが始まった。因縁の艦さ。さて、我々のフネはあんな化け物を相手にできるわけもないので、雲中を通り、大陸の下からニューカッスルに近く。そこに我々しか知らない秘密の港があるのだ」

 

 

 雲中を通って大陸の下へ。頭上に陸地があるため、日が遮られて真っ暗になった。おまけに雲の中であり、視界はほぼゼロ。頭上の陸地に座礁しかねない反乱軍は下には近づかないのだとウェールズは語る。

 

「地形図を頼りに、測量と魔法の明かりだけで航海することは、王立空軍の航海士にとってはなに、造作もないことなのだが。貴族派、あいつらは所詮、空を知らぬ無粋者さね」

 

 そう言ってウェールズは愉快そうに笑った。

 そうしてしばらく航行すると、頭上に黒々と穴が開いている部分に出た。

 

「一時停止」

「一時停止、アイ・サー」

 

 掌帆手の命令が復唱される。イーグル号は裏帆を打ち、ぴたりと穴の真下で停船する。

 

「微速上昇」

「微速上昇、アイ・サー」

 

 ゆるゆるとイーグル号は穴に向かって上昇していく。イーグル号の航海士が乗り込んだマリー・ガラントが後に続く。

 ワルドが頷いた。

 

「まるで空賊ですな。殿下」

「まさに空賊なのだよ、子爵」

 

 穴に沿って上昇すると、頭上に明かりが見える。そこに吸い込まれるようにイーグル号は登っていった。

 ニューカッスルの隠れ港。そこは、真っ白い発光性のコケに覆われた、巨大な鍾乳洞の中だった。岸壁の上には大勢の人影が見える。イーグル号が鍾乳洞の岸壁に近づくと、一斉にもやいの縄が飛んだ。

 停泊したイーグル号にかけられたタラップを、ウェールズはルイズたちを促しながら降りる。

 すると背の高い年老いたメイジが嬉しそうに近寄ってきた。

 

「ほほ、これはまた、大した戦果ですな。殿下」

 

 老メイジは現れたマリー・ガラント号を見て顔をほころばせる。

 

「喜べ、パリー。硫黄だ、硫黄!」

 

 ウェールズが叫ぶと、集まった兵隊からうぉーっと歓声が上がった。

 

「おお! 硫黄ですと! 火の秘薬ではござらぬか! これで我々の名誉も守られるというものですな!」

 

 老メイジは、おいおいと泣き始めた。

 

「先の陛下よりおつかえして六十年……こんな嬉しい日はありませぬぞ、殿下。反乱が起こってからは、苦渋を舐めっぱなしでありましたが、なに、これだけの硫黄があれば……」

 

 にっこりとウェールズは笑った。

 

「王家の誇りと名誉を叛徒どもに示しつつ、敗北することができるだろう」

「栄誉ある敗北ですな! この老骨、武者震いがいたしますぞ。してご報告なのですが、叛徒どもは明日の正午に攻城を開始するとの旨、伝えて参りました。まったく、殿下が間に合ってよかったですわい」

「してみると間一髪とはまさにこのこと! 戦に間に合わぬは、これ武人の恥だからな!」

 

 心底楽しそうに笑い合うウェールズたち。だが、敗北という言葉を聞いていたルイズは顔を青くした。

 敗北とはつまり、死にゆくことであるのに。

 しかしウェールズたちは恐怖など露ほども感じさせず、ルイズたちをパリーに紹介している。彼らは、死ぬのが怖くはないのだろうか。

 

「これはこれは大使殿。殿下の侍従を仰せつかっておりまする、パリーでございます。遠路はるばるようこそこのアルビオン大国へいらっしゃった。たいしたもてなしはできませぬが。今夜はささやかな祝宴が催されます。是非とも出席くださいませ」

 

 

 

 城内のウェールズの居室。城の一番高い天守の一角にあるウェールズの居室は、王子の部屋とは思えない質素な部屋だった。

 木でできた粗末なベッドに、椅子とテーブルが一組。壁には戦の様子を描いたタペストリー。

 王子は机の引き出しを開き、宝石の散りばめられた小さな箱を取り出した。彼は首からネックレスを外すと、その先についた小さな鍵を小箱の鍵穴に差し込んだ。

 開いた箱の内側には、アンリエッタの肖像が描かれていた。

 

「宝箱でね」

 

 中身は一通の、手紙だった。まぎれもなくそれが王女の手紙であるらしい。ウェールズはそれを取り出し、愛おしそうに口付けたあと、開いてゆっくりと読み始めた。何度も何度も、そうやって読み返したのであろう。手紙はすでにボロボロだった。

 読み返すと、ウェールズはその手紙を丁寧にたたみ、再び封筒に納める。その手紙を、ルイズに手渡した。

 

「これが姫からいただいた手紙だ。このとおり、確かに返却したぞ」

「ありがとうございます」

 

 ルイズは深くこうべを垂れ、うやうやしそうにその手紙を受け取った。

 

「明日の朝、非戦闘員を乗せたイーグル号がここを出港する。それに乗って、トリステインに帰りなさい」

 

 ルイズはしばし手紙をじっと見つめ、やがて決心したように口を開いた。

 

「あの、殿下……さきほど、栄誉ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」

 

 ルイズは躊躇いがちに問うた。しごくあっさりとウェールズは答える。

 

「ないよ。我が軍は三百、敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない。我々にできることは、はてさて勇敢な死に様を連中に見せつけることだけだ」

 

 ルイズは、悲しそうに俯いた。

 

「殿下の、討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」

「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」

 

 明日にでも死ぬと言うのに、皇太子はいささかも取り乱したそぶりはない。

 ルイズは深々と頭を下げた。そして決意のまま、口を開いた。

 

「殿下……失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」

「なんなりと、申してみよ」

「この、ただいまお預かりした手紙の内容、これは……」

「ルイズ」

 

 ジェヴォーダンは思わずルイズの言葉を遮る。それはここにいる全員がわかっていても、決して口にしてはならぬ類のことだ。

 だが、ルイズは止まらない。きっと顔を上げると、ウェールズを真っ直ぐ見つめた。

 

「この任務をわたくしに仰せつけられた際の姫さまのご様子、尋常ではございませんでした。そう、まるで恋人を案じるような……それに、先ほどの小箱の内側には、姫さまの肖像が描かれておりました。手紙に接吻なさった際の殿下の物憂げなお顔といい、もしや、姫さまと、ウェールズ皇太子殿下は……」

 

 そこまでルイズが言ったところで、ウェールズは小さく、微笑んだ。

 

「きみは、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」

「……そう想像いたしました。とんだご無礼をお許しください。してみると、この手紙の内容とやらは……」

 

 ウェールズは額に手を当てて、かすかに悩むような素振りを見せた後、変わらず柔らかく、言った。

 

「恋文だよ。君が想像しているとおりのものさ」

 

 ジェヴォーダンは、心の中で盛大にため息をついた。ことは自分の予想していた通りだったのだ。

 その後ウェールズが語ったことは、ほぼジェヴォーダンの予想と何も相違ない。この手紙の中でアンリエッタは、婚姻の際の誓いでなければならぬ始祖ブリミルへの誓いを語っていること。この手紙が白日の下に晒されれば彼女は重婚の罪を背負うこと。そうなれば、ゲルマニア皇室との婚約は反故になってしまうであろうこと。そしてそうなれば……トリステインは単身で、恐るべき貴族派と戦わねばならなくなること。

 

「とにかく、姫さまは、殿下と恋仲であらせられたのですね」

「昔の話だ」

 

 冷静なウェールズに反するように、ルイズは熱を持ってウェールズにたたみかけた。

 

「殿下、亡命なされませ! トリステインに亡命なされませ!」

 

 ワルドがよってきて、静かにルイズの肩に手を置いた。しかし、ルイズは止まろうとしない。

 

「お願いでございます! 私たちと共にトリステインへいらしてくださいませ!」

「それはできんよ」

 

 ウェールズは笑いながら言った。

 

「殿下、これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! 姫さまの手紙には、そう書かれておりませんでしたか? わたくしは幼きころ。畏れ多くも姫さまのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまの気性は大変よく存じております! あの姫さまが自分の愛した人を見捨てるわけがございません!おっしゃってくださいな、殿下! 姫さまは、たぶん手紙の末尾であなたに亡命をお勧めになっているはずですわ!

「……そのようなことは、一行も書かれていない」

「殿下!」

 

 ルイズはウェールズに詰め寄る。ウェールズは、苦しそうに答えた。

 

「私は王族だ。嘘はつかぬ。姫と、私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも、私に亡命を勧めるような文句は書かれていない」

 

 口ぶりから、ルイズの指摘が当たっていることは明らかだった。しかし、ウェールズとて引かない。

 

「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させるわけがない」

 

 ウェールズの意志は、果てしなく硬い。彼はアンリエッタを庇おうとしているのだ。臣下のものに、アンリエッタが情に流された女と思われぬように。

 ウェールズは、ルイズの肩に手を置いた。

 

「きみは、正直な女の子だな、ラ・ヴァリエール嬢。正直で、真っ直ぐで、いい目をしている。忠告しよう、そのように正直では大使は勤まらぬよ。しっかりしなさい」

 

 ウェールズが微笑む。白い歯がこぼれる、魅力的な笑みだった。

 

「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰より正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るものが他にないのだから」

 

 それからウェールズは、机の上の水盆のようなものにのった針を見やった。形から、どうやら時計であるようだった。

 

「そろそろ、パーティの時間だ。きみたちは、これから我が王国が迎える最後の客だ。是非とも出席してほしい」

 

 ルイズたちは部屋を出る。ワルドは残るようだった。

 ジェヴォーダンはふと、ワルドを見やった。ウェールズへと一礼している。引っかかるものを感じながらも、部屋を後にした。

 残ったワルドへウェールズが尋ねる。

 

「まだ、なにか御用がおありかな? 子爵殿」

「恐れながら、殿下にお願いしたい議がございます」

「なんなりとうかがおう」

 

 ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせた。ウェールズはそれを聞いて、にっこりと笑った。

 

「なんともめでたい話ではないか。喜んでそのお役目を引き受けよう」

 

 

 

 

 パーティは、城のホールで行われた。簡易の玉座にはアルビオンの王、年老いたジェームズ一世が腰掛け、集まった貴族や臣下を目を細めて見守っていた。

 明日の亡国とは思えない、華やかなパーティであった。王党派の貴族たちはまるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日のためにとっておかれたのであろう、様々なご馳走がならんでいる。

 ジェヴォーダンたちは会場の隅に立ち、華やかなパーティを見つめていた。

 王党派の貴族たちは、こんなときにやってきたトリステインからの客が珍しいらしく、かわるがわるルイズたちの元へやってきては、料理を勧め、酒を勧め、冗談を言う。そして最後に、アルビオン万歳! と怒鳴って去っていくのだった。

 悲しい。ただ悲しいと呼ぶべき、滅びゆく人々の姿。ジェヴォーダンですらそう感じるその姿が、ルイズにはより深く突き刺さったのであろう。たまらずといった様子で、ルイズは飛び出していった。

 ジェヴォーダンは、自分は適任ではないと感じた。こういう時、かける言葉など自分にはない。ワルドを促すと彼は頷き、ルイズを追いかけた。

 ジェヴォーダンはため息をついた。こういった場に来るたび、自分はどうも疎外感を感じてしまう。

 そんなことを考えていると、座の真ん中で歓談していたウェールズが近づいてきた。

 

「やぁジェヴォーダン、楽しんでいるかな」

「……えぇ、まぁ」

 

 ジェヴォーダンは取り繕うように空返事をする。

 

「先ほどは、機転の利いた行動に感謝するよ。君がいたから僕たちは、君たちが敵でないと知ることができたんだからね」

「ご安心ください、核心あっての行動ですので、失敗するということはなかったはずです」

「ふふ! 面白い男だな、君は!」

 

 ウェールズはそう言って笑う。先ほどと変わらない、魅力的で屈託のない笑顔だ。

 

「あなたは、本気で明日、真っ先に死ぬおつもりで?」

「もちろんさ。なんだ、案じてくれるのかい?」

「いいえ、誇りと名誉のため、死にゆくこと、これを止めるつもりはありません。ただ……」

 

 ジェヴォーダンは、なんと言うべきか迷う。そして思いつくままに語ってみようと、顔を上げた。

 

「殿下、ひとつ、お話をよろしいでしょうか。俺がくぐり抜けてきた、戦いの話です」

「おぉ! それは是非とも聞きたい。君ほどの男だ、どれほどの死地を切り抜けてきたのかね?」

「武勇伝と呼ぶべきものはありませんが……殿下、例えばの話です。『死ねない戦い』というものがあったとしたら、どう思いますか?」

「ふむ、守るもののため、引くわけにはいかない戦いということか?」

 

 ジェヴォーダンは静かに首を振る。

 

「そうではありません。死ねないとは、言葉の通りです。殿下がこれより死地へ赴き、名誉に死んだとします。すると、目が醒める。それは悪夢で、自分はこれから死地へ赴くのです。そして名誉に死に……また悪夢に、目が醒める」

「……!」

「幾度となく悪夢が繰り返され、もう今見ているのが悪夢なのか現実なのか、それすらもわからない。逃げることも叶わない。ただひたすら、死に、目覚め、また死ぬ。終わることを望めどそれは叶わず、何度でも、死ぬ」

「それは……まさしく悪夢というものだな」

「えぇ殿下、紛れもありませんよ。『悪夢』なのです。私はそんな戦いに身を置いてきました」

「まさか、不死だとでも言うつもりかね?」

 

 驚いた顔でウェールズが言う。ジェヴォーダンは低く笑った。

 

「例え話ですよ、殿下。ですがそれに近い日々であったことは確かです。殿下、死にゆく事これを名誉とする戦いは、美しいものです。俺には叶わなかったものだ。他の誰もこんな事は言わないだろうが、俺は少し……あなたが羨ましい」

 

 ウェールズは一瞬、ポカンと口を開け、それから大笑いした。それはそれは高らかに、見事なまで大笑いだった。

 

「はっはっはっ。いやすまない、可笑しくて笑ったのではないんだ、ははは。君の言う通り他にそんなことを言うものはいない。そうか、羨ましいか、そうか……」

 

 大笑いするウェールズを見て、ジェヴォーダンは心底気が沈むのを感じた。これほどいたたまれない気持ちになったことなど、ついぞあっただろうかと。

 死ねなかった自分にはわからない、死にゆく者の美しい悲しみ。こんなもの、知らない方が良かったとさえ思えてくる。

 

「ジェヴォーダン、君と話せて本当に良かった。感傷だが、君とは別の形で出会いたかったものだ」

「……俺もです、殿下」

「……ひとつ、頼まれてくれるか」

「なんなりと」

 

 ウェールズは目をつむって言った。

 

「彼女に、アンリエッタにはこう伝えてくれ。ウェールズは、勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。それで十分だ」

「……我が血に賭けて、伝えます」

 

 ウェールズは静かに頷くと、再び座の中心に入っていった。

 

 

 

 

 これ以上、ここに残る意味もない。

 ジェヴォーダンは近くにいた給仕に道を尋ね、寝室へ戻ることにした。寝るわけではないが、少し休みたい。そんな気分だった。

 部屋へ向かう暗い廊下。前方から、誰かが歩いてくるのが見えた。暗がりの中、月明かりに照らされて現れたのは、妙に冷たい目をしたワルドの姿だった。

 

「きみに、言っておかねばならぬことがある」

 

 何やら、冷えた声。節々には、まるで警戒するような態度が伺えるような。

 

「……何だ?」

「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」

 

 ジェヴォーダンは自分の耳を疑った。この男は、一体何を言っているのか。

 

「こんな時に、こんな所でか?」

「是非とも、僕たちの婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕たちは式を挙げる」

 

 聞いただけで、ジェヴォーダンは頭痛のする思いだった。世の中には阿呆がいるが、これは飛び切りの阿呆というものだ。

 

「貴公、気でも触れたか……?」

「心外な物言いだな。皇太子殿下も、死に際に名誉な事だと喜んで下さっているのだ。これはまたとない機会というものだ」

「戦火はすぐ手前に迫っている。ルイズに危険が迫らないとも限らないのですよ?」

 

 ワルドはさらに眼光を鋭くしてジェヴォーダンを睨みつける。指摘はすべて気にくわない様子だ。

 

「何も平民の君に理解できなくても構わぬが、貴族は名誉や誇りを重んじるものだ。重ねていうが、皇太子殿下は名誉なこととお喜び下さった。君に理解できる必要はない」

 

 心底、呆れて物も言えない。ジェヴォーダンは心の中で大きくため息をつき、ワルドに対する考えを改めねばならなかった。

 

「きみも出席するかね?」

 

 まさか、とジェヴォーダンは首を振った。

 

「ならば、明日の朝すぐに出発したまえ。私とルイズはグリフォンで帰る」

「長距離は飛べないのではなかったか」

「滑空するだけなら話は別だ。問題ない」

 

 どうやら、全て計算尽くのようだ。ジェヴォーダンが頷くと、ワルドはフンと鼻を鳴らした。

 

「では、君はここでお別れだな」

「そのようですね……いや」

「ん?」

 

 言うだけ言って歩き去ろうとしたワルドは、ジェヴォーダンの言葉に足を止める。

 ジェヴォーダンは、その薄い顔にさらに薄ら笑いを浮かべて、ワルドを見やった。

 

「存外、すぐまたお会いできるかもしれませんよ……子爵殿」

「……っ、し、失礼する」

 

 その薄ら笑いに、ただならぬ不気味な何かを感じ取ったワルドは、足早にその場を去った。

 まさか、気付かれているのか? 一瞬ワルドの背筋を冷たいものが伝うが、それならば出席しないと回答するのもおかしな話だ。

 杞憂だろう。ワルドは振り返りもせず足早に歩き、やがてジェヴォーダンの視界から消えた。

 

「クク……阿呆な犬が……まぁだが、あんな阿呆が貴族派のスパイであろうはずもないか……」

 

 そしてワルド、ジェヴォーダン双方の予想は、残念ながら悪い方に命中していたのだ。

 

 

 

 

 




アンリエッタの手紙

ウェールズによって読み潰された、ボロボロの一通の手紙
いまや元の色はすっかり落ちきり
見る影もなく薄汚れている

だが込められた思いは、今も光り輝く

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