ゼロの狩人   作:テアテマ

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10:依頼

 ボサボサの頭で目覚めたルイズの目に飛び込んできたのは予想外の光景だった。

 あのジェヴォーダンが、寝てる。

 ここに来てもうどれくらいの時が経ったかしれないが、彼は一晩たりとも眠ったことはなかった。最初のうちほど毎晩気になってしょうがなかったが、いつのまにか「そういうものなのだろう」くらいの認識に収まっていた。

 それがどうだろうか、今ルイズの目の前で、ジェヴォーダンは朝日を浴びながらくたびれるように目を閉じている。

 なんだか気になって、ルイズはベッドから出る。起こさないよう、足音をあまり立てずゆっくりと近付く。

 椅子にしなだれて目を閉じる様は、寝息さえたてていなければまるで死んでいるかのように見えたかもしれない。それくらい静かに、動きを感じさせずに眠ってる。

 不思議とその姿が気になって、ルイズは思わず手を伸ばした。その手が体にゆっくりと伸び……突然手首を掴まれた。

 

「うっ!?」

 

 そしてぐいっと、力任せに引き寄せられる。強引に顔を近づけられたジェヴォーダンの目は、まっすぐルイズを見ていた。

 

(ち、かい)

 

 ルイズは狼狽したが、実はジェヴォーダンも驚いていた。いかんせんとっさの対応だったのだ。

 

「……寝ていたのか、俺は」

「え、え、えぇそうよ……ってちょっとあんた、まず離しなさい!」

「あぁ」

 

 ルイズの手が、するりと離れる。ジェヴォーダンは立ち上がると、ひとまずとばかりに伸びをした。

 背骨がボキボキバキバキと凄まじい音を立てるのでルイズは目を丸くする。いや、そんな音出ないだろ普通。

 

「お前、昨晩だいぶうなされていたようだが」

「え? あぁ……なんか変な夢見てた気がしたけど……忘れちゃった」

「うーむ、俺も何か見ていた気がしたが。一眠りだったな、忘れた」

 

 全身をバキバキと音を立てながら伸ばすジェヴォーダン。なんだか関節を無視した曲がり方までしている気がするがこの場は何も言わないことにする。ルイズは怪訝そうな顔をした。

 

「あんた、寝るのね。意外だったわ」

「あぁ、どうも気が抜けていたようだ。ただやはり、俺は気分良く眠るのは無理だな。今もとっさに反応してしまった。あまり寝込みに手を出すな、感心せんぞ」

「へ? あ、いや、てっていうかご主人様の手をいきなり掴んでるんじゃないわよ!」

 

 まさかジェヴォーダンの寝姿に見とれて思わず手が出たなんて口が裂けても言えないだろう。ルイズはさっさと朝の仕度に取り掛かろうとして……枕元に置かれた小箱に気がついた。

 

「なに、これ? オルゴール?」

「あぁ、それはお前にやろう」

「え? いいの?」

 

 見れば、ハルケギニアではあまり見ない精巧な作りのオルゴールだ。貴族生まれで目が肥えているルイズからしても美しい品だとわかる。

 

「うなされるよりよかろう。俺にはもう不要な品だ」

「ふーん? ま、使い魔の忠義の心がけとしては褒めてあげるわ」

 

 そう高飛車に言ってのけるが、心なしかにやつきながら朝の準備をするルイズの足取りはわかりやすいほど軽やかだった。

 

 

 

 

 

 

 朝食を終えたルイズたちが教室で待っていると、扉がガラッと開き、漆黒のマントのメイジが入ってきた。じゃれていたルイズとキュルケを含め、生徒たち全員が一斉に席に着く。

 ミスタ・ギトー。フーケの一件の際、当直をほっぽり出して寝ていたミセス・シュヴルーズを責め、オスマン氏に怒りっぽいと指摘されていた教師だ。

 長い黒髪に漆黒のマントを纏った姿は、まだ若いのに不気味さと冷たい雰囲気があり、生徒たちからは不人気だ。が、この場にいる多くの生徒がちらっとジェヴォーダンを見る。

 なんとなく似てるが、絶対あっちのほうが怖い。そう思われていた。

 

「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ」

 

 教室中が、しんと静まり返る。満足気に、ギトーは言葉を続けた。

 

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」

「『虚無』じゃないんですか?」

「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いてるんだ」

「……火に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 

 いちいち癪に触る言い方にカチンと来つつ、キュルケが言い放つ。

 

「ほほう。どうしてそう思うね?」

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございません事?」

「残念ながらそうではない」

 

 ギトーは腰に差した長柄の杖を引き抜くいた。

 

「試しに、この私に君の得意な火の魔法をぶつけてきたまえ」

 

 キュルケはギョッとした表情を浮かべた。この教師はいきなり何を言い出すのか。

 

「どうしたね? 君は確か、『火』系統が得意ではなかったかな?」

 

 その口調は、明らかにキュルケを挑発していた。キュルケが目を細める。

 

「火傷じゃすみませんわよ?」

「構わん。本気で来たまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」

 

 瞬間、キュルケの顔から笑みが消える。

 胸の谷間から杖を引き抜き振るう。目の前に差し出した右手の上に小さな炎の玉が現れる、キュルケがさらに呪文を詠唱し続けるにつれて膨れ上がる。直径一メイルほどの大きさになった火球を見て、ジェヴォーダンを除く生徒達が慌てて机の下に隠れた。

 キュルケは手首を回転させ、右手を胸元に引きつけて、火球をギトーめがけ押し出した。

 唸りを上げて飛んでくる炎の玉を避ける仕草すら見せずに、ギトーは長柄の杖を剣を振るうようにして薙ぎ払う。

 烈風が火球を掻き消し、そのまま向こうにいたキュルケを吹き飛ばした。

 とっさにその身を、ジェヴォーダンが受け止める。悠然とした態度でギトーは言い放った。

 

「諸君、風が最強たる所以ゆえんを教えよう。簡単だ。風は全てを薙ぎ払う。火も、水も、土も、風の前では立つ事すらできない。残念ながら試した事は無いが、虚無さえ吹き飛ばすだろう。それが風だ」

 

 キュルケは不服そうな顔を浮かべたが、自分を抱きとめるジェヴォーダンを見てうっとりと「ありがとうダーリン」と呟く。ジェヴォーダンはキュルケを落っことした。猫を踏み潰したような声がする。

 

「目に見えぬ風は見えずとも諸君らを護る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう一つ、風が最強たる所以は……」

 

 ギトーは杖を立てた。

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 

 低く、呪文を詠唱する。しかしその時……教室の扉がガラッと開き、いやに緊張した顔のミスタ・コルベールが現れた。

 かなり珍妙ななりをしていた。頭にやたらと馬鹿でかい、ロールした金髪のかつらをのっけ、ローブの胸にはレースの飾りやら刺繍をつけている。

 

「ミスタ?」

 

 あまりにも奇妙なその姿に、ギトーが眉をひそめた。

 

「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」

「授業中です」

 

 ギトーが重々しく言う。コルベールは咳払いをひとつした。

 

「おっほん。今日の授業は全て中止であります」

 

 コルベールは重々しい調子で告げる。教室から歓声が上がったが、それを抑えるように両手を振りながら、コルベールが言葉を続けた。

 

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 

 もったいぶった調子で、コルベールは仰け反った。その拍子に頭に乗せた馬鹿でかいカツラが、床に滑り落ちた。ギトーのおかげで重苦しかった教室の雰囲気が一気にほぐれ、教室中がくすくす笑いに包まれる。

 一番前に座ったタバサが、コルベールのつるつるの禿げ頭を指差して、ぽつんと呟いた。

 

「滑りやすい」

 

 教室が爆笑に包まれた。キュルケがひーひーと笑いながらタバサの肩をぽんぽんと叩く。

 

「あなた、たまに口を開くと、言うわね!」

 

 コルベールは顔を真っ赤にさせると、大声で怒鳴った。

 

「黙りなさい! ええい! 黙りなさい小童共が! 大口を開けて下品に笑うとはまったく貴族にあるまじき行い! 貴族はおかしいときは下を向いてこっそり笑うものですぞ! これでは王宮に教育の成果が疑われる!」

 

 コルベールのその剣幕に、とりあえず教室中がおとなしくなった。

 

「皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、良き日であります。始祖ブリミルの降臨祭に並ぶ、めでたい日であります。恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

 

 その言葉に、教室中がざわめいた。

 

「したがって、粗相があってはいけません。急な事ですが、今から全力を挙げて歓迎式典の準備を行います。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 

 生徒達は緊張した面持ちになると一斉に頷いた。コルベールはうんうんと重々しげに頷くと、目を見張って怒鳴った。

 

「諸君が立派な貴族に成長した事を、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかりと杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!」

 

 

 

 

 

 

 魔法学院の正門をくぐって王女の一行が現れると、整列した生徒達は一斉に杖を掲げた。しゃん! と小気味よく杖の音が重なる。

 正門をくぐった先、本塔の玄関。学園長オスマン氏が、王女の一行を迎える。

 馬車が止まると、召使い達が駆け寄り、馬車の扉まで緋毛氈(ひもうせん)のじゅうたんを敷き詰めた。

 呼び出しの衛士が、緊張した声で王女の登場を告げる。

 

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーりーーッ!」

 

 がちゃりと扉が開いて現れたのは枢機卿のマザリーニだった。

 生徒達は一斉に鼻を鳴らした。マザリーニは意に介した風もなく馬車の横に立つと、続いて降りてくる王女の手を取った。生徒の間から歓声が上がる。

 王女はにっこりと薔薇のような微笑を浮かべると、優雅に手を振った。

 

「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃない」

 

 キュルケがつまらなさそうな口調で言った。

 

「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」

「気品はあちらが上だ」

「あぁん! じゃあ顔は私が上?」

 

 ジェヴォーダンからすれば、先ほどの枢機卿の様子と生徒たちの様子から、あっというまにこの王女が置かれた力関係の構図がわかってしまった。少し前に読んだ記事の内容から、この王国が置かれている状況はわかっていたため、おそらく王女の立場は相当に苦しいものだろう。

 そんなことを考えながら、ふと横にいるルイズの方を見た。

 真面目な顔をして王女を見つめていたが、その横顔が突然はっとした顔になった。そして顔を赤らめる。ジェヴォーダンは、その変化が気になってルイズの視線の先を確かめる。

 彼女の視線の先には、見事な羽帽子を被った凛々しい貴族の姿があった。鷲の頭と獅子の体を持った獣にまたがっている。

 ルイズはぼんやりとその貴族を見つめている。様子から察するにただ男前だから見とれているというわけではなさそうだ、何か縁のある人間なのだろう。

 

「……許嫁か?」

「へぁっ!?」

 

 ルイズが跳ね飛ぶ。ジェヴォーダンは「冗談だ」と呟くと、王女一行に視線を戻した。

 

 

 

 

 

 

 そしてその日の夜。

 すっかりこの世界の文字の解読を終えたジェヴォーダンが読書にふけっていた。ルイズはどうも、激しく落ち着きがない。立ち上がったと思ったら再びベッドに腰掛け、枕を抱いてぼーっとしている。昼間、王女一行の様子を見てからこの調子だ。

 かといってジェヴォーダンがそれを気にかけることもないため、こうして読書にふけっているわけである。

 その時だった。突然ドアがノックされた。

 ノックは規則正しく叩かれた。初めに長く二回、それから短く三回……。

 突如、ルイズの顔がはっとした表情になった。急いで立ち上がると、ドアに駆け寄って開く。

 そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をすっぽりと被った少女だった。辺りを窺うように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて後ろ手に扉を閉める。

 

「……あなたは?」

 

 ルイズは驚いたような声をあげた。頭巾をかぶった少女は、しっと言わんばかりに口元に指を立てる。それから、頭巾と同じ色のマントの隙間から杖を取り出すと軽く降った。ルーンを短く唱えると、光の粉が部屋に舞う。

 

「……ディテクト(探知)マジック?」

「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」

 

 そう言って少女は頭巾を取った。

 現れたその姿に、ルイズもジェヴォーダンも驚愕して息を飲んだ。そこにはつい先ほどの式典で目にした、アンリエッタ王女の姿があったのだ。

 

「姫殿下!」

 

 ルイズが慌てて膝をつく。ジェヴォーダンも、同じように礼拝の姿勢をとる。何が何だかわからない、なぜここに一国の王女がいるのか。

 そんな思惑をよそに、アンリエッタは涼しげな、心地よい声で言った。

 

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

 

 そして王女は、今度は感極まったような表情を浮かべ、膝をついたルイズを抱きしめた。

 

「あぁ、ルイズ、ルイズ! 懐かしいルイズ!」

「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

「あぁ、ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち、おともだちじゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

 

 ルイズが緊張した様子で言う。ジェヴォーダンは、神経を尖らせた。どう言う意図で彼女はこの部屋を訪れたのか。どこに耳が目があるかと先ほど行っていたが、その探知魔法とやらは信用に値するのか。どの窓から、どの影からこちらを狙う影がないかと、周囲を見ていた。

 

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った獣のような宮廷魔術師たちもいないのですよ! あぁ、もう、わたくしに心を許せるおともだちはいないのかしら。昔なじみの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまでそんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

「姫殿下……」

 

 ルイズが頭を持ち上げた。

 

「幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 

 はにかんだ表情で、ルイズは応えた。

 

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルト様に叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、掴み合いになった事もあるわ! あぁ、喧嘩になるといつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛を掴まれて、よく泣いたものよ」

「いえ、姫様が勝利をお収めになった事も、一度ならずございました」

 

 ルイズが懐かしそうに言った。

 

「思い出したわ! わたくし達がほら、カインの包囲戦と呼んでいるあの一戦よ!」

「姫様の寝室で、ドレスを奪い合った時ですね」

「そうよ、『宮廷ごっこ』の最中、どっちがお姫様をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね! わたくしの一発が上手い具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのお腹に決まって」

「姫様の御前でわたし、気絶いたしました」

 

 それから二人は、と顔を見合わせて笑った。おしとやかに見えた王女だが、中身はとんだお転婆娘なようだ。

 

「その調子よ、ルイズ。ああいやだ、懐かしくて、わたくし涙が出てしまうわ」

「……2人は、その、どういった間柄で?」

 

 ジェヴォーダンが尋ねると、ルイズは懐かしむように目を瞑る。

 

「姫様がご幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ。でも、感激です。姫様が、そんな昔の事を覚えてくださってるなんて……。わたしの事など、とっくにお忘れになったかと思いました」

 

 ルイズの言葉に王女はため息をつくと、ベッドに腰掛けた。

 

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくて」

 

 深い、憂いを含んだ声だった。

 

「姫様?」

 

 そんなアンリエッタの様子が心配になり、ルイズは彼女の顔を覗き込んだ。

 

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

「何をおっしゃいます。あなたはお姫様じゃない」

「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」

 

 アンリエッタは窓の外の月を眺めて、寂しそうに言う。それからルイズの手を取ると、にっこりと笑いながら言った。

 

「結婚するのよ。わたくし」

「……おめでとうございます」

 

 アンリエッタの声の調子に、何か悲しいものを感じたルイズは沈んだ声で言う。

 なるほど、とジェヴォーダンは思った。何か策略のあって訪れたものかと思っていたが、要するにその結婚とは政略結婚のことであろう。マリッジブルーに、傷心を癒すため旧友を訪ねた。そんなところのようだ。

 そんな風に思考を巡らせているジェヴォーダンに、アンリエッタは気づいた。

 

「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら」

「お邪魔? どうして?」

「だって、そこの彼、あなたの恋人なのでしょう? いやだわ、わたくしったら。つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をいたしてしまったみたいね」

「はい? 恋人? あの獣が?」

「おい」

 

 ジェヴォーダンが憮然とした声で言うが、ルイズは首をぶんぶんと振ってアンリエッタの言葉を否定した。

 

「姫様! あれはただの使い魔です! 恋人だなんて冗談じゃないわ!」

「使い魔……?」

 

 アンリエッタはきょとんとした表情で、ジェヴォーダンの顔をじっと見つめる。

 

「人にしか見えませんが……」

「……数奇なことではございますが、彼女の使い魔を努めさせていただいております。殿下」

 

 ジェヴォーダンの、ひとまずは礼節をわきまえた態度にルイズもほっと胸をなでおろす。これでとんでもなく失礼な態度を取られたりしたらたまったものではない。

 

「そうよね。はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

「好きであれを使い魔にしたわけじゃありません」

 

 ルイズは憮然とした。アンリエッタが再びため息をついた。

 

「姫様、どうなさったんですか?」

「いえ、何でもないわ、ごめんなさいね……嫌だわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるような事じゃないのに、わたくしってば……」

「おっしゃってください。あんなに明るかった姫様が、そんな風にため息をつくって事は、何かとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言った事は忘れてちょうだい。ルイズ」

「いけません! 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか! わたしとお友達と呼んでくださったのは姫様です。そのお友達に、悩みを話せないのですか?」

 

 ルイズがそう言うと、アンリエッタが嬉しそうに微笑んだ。

 

「わたくしをお友達と呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 

 アンリエッタは決心したように頷くと、真剣な表情を浮かべる。

 

「今から話す事は、誰にも話してはいけません」

 

 ジェヴォーダンが黙って部屋を出ようとしたら、アンリエッタがそれを止めた。

 

「メイジにとって使い魔は一心同体。席を外す理由はありません」

 

 そして物悲しい調子で、アンリエッタは説明を始めた。

 

「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐ事になったのですが……」

「ゲルマニアですって!」

 

 ルイズは驚いた声を上げた。たしかルイズは、大のゲルマニア嫌いであったはずだ。

 

「あんな野蛮な成り上がり共の国に!」

「そうよ。でも、仕方がないの。同盟を結ぶためなのですから」

 

 アンリエッタは現在のハルケギニアの政治の情勢を、ルイズに説明した。

 アルビオンの貴族達が反乱を起こし、今にも王室が倒れそうな事。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろう事。

 それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶ事になった事。

 同盟のために、アンリエッタ王女がゲルマニア皇帝に嫁ぐ事になった事……。

 

「そうだったんですか……」

 

 ルイズは沈んだ声で言った。アンリエッタがその結婚を望んでいないのは、口調から明らかであった。

 

「良いのよ、ルイズ。好きな相手と結婚するなんて、物心ついた時から諦めていますわ」

「姫様……」

「礼儀知らずのアルビオンの貴族達は、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」

 

 アンリエッタは一息つき、そして呟いた。

 

「従って、わたくしの婚姻を妨げるための材料を、血眼になって探しています」

「もし、そのような物が見つかったら……」

 

 トリステインは、アルビオンに侵攻される。

 ジェヴォーダンはこれまでの情報収集で、トリステインとアルビオンにどれほどの戦力差があるのかおおよその見当がついていた。貴族の身分にあぐらをかき、ろくに戦力を育てて来ていなかったアダはここで出てしまった、というところだろう。

 

「で、もしかして姫様の婚姻を妨げるような材料が?」

 

 ルイズが顔を蒼白にして尋ねると、アンリエッタは悲しそうに頷いた。

 

「おお、始祖ブリミルよ……。この不幸な姫をお救いください……」

 

 アンリエッタは顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。まるで芝居がかった仕草であり、ジェヴォーダンにはすでにその意図がわかっていたが、あえて閉口していることにした。

 

「言って! 姫様! 一体、姫様のご婚姻を妨げる材料って何なのですか?」

 

 ルイズもつられたのか、興奮した様子でまくしたてる。両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。

 

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」

「手紙?」

「そうです。それがアルビオンの貴族達の手に渡ったら……彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」

「どんな内容の手紙なんですか?」

「……それは言えません。でも、それを読んだらゲルマニアの皇室は、このわたくしを許さないでしょう。あぁ、婚姻は潰れ、トリステインとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンの立ち向かわねばならないでしょうね」

 

 ルイズは息せきって、アンリエッタの手を強く握った。

 

「一体、その手紙はどこにあるのですか? トリステインに危機をもたらす、その手紙とやらは!」

 

 その言葉に、アンリエッタは首を振った。

 

「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」

「アルビオンですって! では! すでに敵の手中に?」

「いえ……その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」

「プリンス・オブ・ウェールズ? あの凛々しき王子様が?」

 

 アンリエッタはのけぞると、ルイズのベッドに体を横たえた。

 

「ああ! 破滅です! ウェールズ皇太子は遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! 破滅なのです! 同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 

 ルイズは息を呑んだ。ジェヴォーダンだけが、心中で確信を得る。

 

「では姫様。わたしに頼みたい事というのは……」

「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったら、なんて事でしょう! 混乱しているんだわ! 考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険な事、頼めるわけがありませんわ!」

「何をおっしゃいます! 例え地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫様の御為とあらば、何処なりと向かいますわ! 姫様とトリステインの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ、見過ごすわけには参りません!」

 

 ルイズは膝をついて恭しく頭を下げた。

 

「『土くれ』のフーケを捕まえたこのわたくしめに、その一件是非ともお任せくださいますよう」

「このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしいお友達!」

「もちろんですわ! 姫様!」

 

 ルイズがアンリエッタの手を握って、熱した口調でそう言うと、アンリエッタはぽろぽろと泣き始めた。

 

「姫様! このルイズ、いつまでも姫様のお友達であり、まったき理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れる事などありましょうか!」

「ああ、忠誠。これが誠の友情と忠誠です! 感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません! ルイズ・フランソワーズ!」

 

「ルイズ。友情を確かめ合っているところ恐縮だがな」

 

 そんな熱のこもった二人の舞台が、突如冷たい声に裂かれた。背筋も凍るような、冷たい声だった。

 ルイズが振り返る。ジェヴォーダンが、氷のように冷たい目を二人に向けていた。

 

「なによ」

「お前はその任務のためにアルビオンに行くつもりでいるのか?」

「そんなの、当たり前じゃないの! あんた、今の私たちの話聞いてたの!?」

「聞いていたさ。だからこそ聞いている」

 

 ジェヴォーダンはため息をつくと、静かに、だが諭すように語り始めた。

 

「わかっているかどうか知らんが、アルビオンは今現在、戦地になっている。単に手紙を取りに行くと言うだけの話ではない、戦地に赴き、敵と戦いを繰り広げている皇太子一人を見つけ出し、手紙を受け取り、そして無事に帰ってこなければならない。はっきり言って普通の任務じゃあない、恐ろしく難しく、そして特殊な依頼だ。当然、お前一人にこなせるものではないだろう。戦場の女など、どこまでも無力だ」

 

 ジェヴォーダンのその言葉に、ルイズは思わず声に詰まった。彼の言っていることは全て事実であり、言い返せる余地などひとつもない。

 そしてジェヴォーダンは視線をアンリエッタに向ける。唖然とするアンリエッタにも、ジェヴォーダンは変わらぬ声で言った。

 

「この依頼をルイズに頼むのは、そんな特殊な依頼をこなせるほどの精鋭や特殊な兵士にも、明るみにすることができない内容だから。違いますか。極秘裏に、誰にも知られないで済む人間に依頼し、しかし手紙の内容は明かせないという。おそらく手紙の内容は、トリステインとゲルマニアの同盟を揺るがすだけのものではない。今のトリステインの内政を根底から破壊してしまうもの……ただでさえ政治の実権をほとんど枢機卿に握られているあなたの立ち位置は地に堕ちる、そういう種類のものだ」

 

 アンリエッタが息を飲む。今、目の前にいるこの男は、一体何者なのか。自分とルイズのほんのわずかな会話とその依頼内容だけで、核心である手紙の内容にまでたどり着いてしまった。

 

「さらに言えば、あなたはルイズを『おともだち』と言うが……この依頼がどう考えても失敗する可能性の高いものであることを考えれば、ルイズは『失っていい駒』というところだろうな」

「え……?」

 

 その言葉に、今度はルイズが反応する。

 

「ちょっと、何言ってるのよあんた! 姫殿下は私に……」

「ルイズ、この依頼をお前が受けてアルビオンに向かい、任務に失敗して死んだとしよう。依頼内容はお前と姫殿下しか知らないこと、今日ここに彼女が訪れていることを知るものもいない。お前は不審死として扱われる程度で、このことは公に出ない」

 

 ルイズは顔面蒼白になってジェヴォーダンを見た。認めなくないが、構図としてはその通り。自分をお友達と呼んでくれるはずの姫殿下が、自分を利用しようとしている?

 恐る恐る、アンリエッタに視線を移す。アンリエッタのほうも青ざめた表情でうつむくばかりで、口をあうあうと震わせている。

 

「ルイズ失敗の報が入れば枢機卿が次の手を打つのだろう? どうせ、そんなにも重要な内容の手紙なのであれば、実権を握る枢機卿が知らないわけもない。ルイズに任せるのは、実際それでルイズが手紙を取り返してくれれば僥倖だった、とだけの話だからな」

 

 アンリエッタの肩が、かくんと落ちる。緊張の糸がはち切れてしまったようだ。ルイズはわなわなと震え、涙を流し始めた。

 だが、その次にジェヴォーダンの口から発せられた言葉は、さらに二人が予想だにもしなかったものだった。

 

「……それで、いつ出発するんだ」

 

 何を言っているのかわからなかった。ルイズも、アンリエッタも、ぽかんとした表情でジェヴォーダンを見る。

 厳密には何を言っているかはわかる。いつ出発するか。わからないのは意味の方だ。これまで散々、この任務の危険性を謳っておいて、何を言っているのか?

 

「その、使い魔さん? この任務を、その……受けていただけるのですか?」

「ジェヴォーダン!? だったら、今の話は何だったのよ!」

 

 当然とばかりに両手をあげてため息をつく。

 

「重要な任務であるのに、芝居めいた自分たち語りで話の主体を逸らしたのはどこの誰だ。だいたい、重要な任務であるのにその内容を知らずに受けることができるわけがないだろう」

「それは、そうだけど……」

「そして、姫殿下」

 

 呼び止められてびくりと肩をすくませるアンリエッタを、ジェヴォーダンがまっすぐ、しかし力強く見つめながら言った。

 

「その手紙回収の任務、この俺にお任せください」

 

 アンリエッタは驚愕した。しかし、ジェヴォーダンは続ける。

 

「この任務の危険性がいかなるものであるか、先ほど述べた通り。しかし、その危険な任務にルイズを連れて行くわけにはいきません。であれば、少なくともこの場でその依頼を耳にした俺が、その依頼を受けるのがスジというものかと」

「あんた、何勝手なことを言ってんのよ!」

 

 ルイズはジェヴォーダンの意図がようやくわかり目を釣り上げた。この使い魔は、要は一人でアルビオンに乗り込もうというのだ。

 もちろん、アンリエッタもそれはわかっていた。だからこそ、疑問だった。

 

「先ほど、あなたの話を聞く限りあなたが私を信用してくれたとは思えませんわ。その……どうしてこの依頼を受けてくださるの?」

「先ほどの言い回し、俺にも失礼な点があった。『おともだち』と思っていなければ、あれほど思い出話が出てくるはずもない。傷心に頼れるものがほかにいないというのは、事実だったのだろう。その時に俺の主人であるルイズを思い出し、そして頼る選択をしてくれたことを、信じます」

 

 ジェヴォーダンの力強い言葉に、青ざめていたアンリエッタの表情に血の気が戻ってくる。

 恐ろしい男ではあった。しかしそれはルイズを思えばのこと。まことの忠誠を誓う使い魔の姿そのものだったのだ。

 この男になら、任せてもいいかもしれない。アンリエッタの心にいちまつの光が見え始めていた。

 だが、二人はそのやりとりの後ろで、ルイズが悪鬼のごとき表情を浮かべて毛を逆撫でているのに、気づかなかった。

 

「そういうわけだ、ルイズ。お前は一人で……」

「……さい」

「何?」

 

 ジェヴォーダンが振り返った瞬間。

 

「黙りなさぁーーい!! あんた、いい加減にしなさい!! 姫さまは……姫さまはあんたに頼みをしに来たんじゃないのよ! わたしに頼みに来たの!」

 

 猛烈な剣幕に、二人が固まる。そしてジェヴォーダンを押しのけて前に立ったルイズは胸を張った。

 

「姫様、今回の任務はこのルイズ・フランソワーズにお任せください。必ず手紙を手に入れてみせます」

「え……?」

「おい、ルイズ!?」

 

 ジェヴォーダンは驚いてルイズの肩を掴んだ。あれほどこの任務の危険性を説明したのにこいつはまだ……と思ったが、ルイズはその手を払いのけた。

 

「何度も言わせないで! あんたは使い魔で、私が主人なの! 私が行くと言ったら行くのよ! あんたは黙って、私に付いて来たらいいの!」

「お前……」

 

 きっぱりと、ルイズは言い放つ。反論は無駄だど目が語っていた。ジェヴォーダンはため息をつき、アンリエッタの困り顔を見た。

 

「……俺への任務は『ルイズを守る』に変更してくれ」

「! で、では……!」

「あぁ」

 

 ジェヴォーダンの言葉なき返答に、アンリエッタは表情を明るくした。

 

「しかし……本当に構わないのですか? ルイズ。彼の言ったことも正しい。私は……あなたを利用している……」

「よいのです、姫さま、一命にかけても、必ずアルビオンに無事に赴きウェールズ皇太子を捜し、手紙を取り戻してみせます」

 ルイズのきっぱりとした言葉に、アンリエッタはどこか切なそうに笑顔を浮かべると、ゆっくりとうなずいた。

 

「アルビオンの貴族達は、王党派を国の隅っこまで追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう。一刻も早く、アルビオンに向かってもらう必要があります」

「では早速、明日の朝にでもここを出発いたします」

 

 アンリエッタは、それからジェヴォーダンを見た。

 

「恐ろしいけど、でもとても賢く、そして強い使い魔さん」

「……」

「わたくしの大切なおともだちを、どうか、守ってあげてください。どうか、おねがいいたします」

 

 そして、すっと左手を差し出した。ルイズが驚いた声をあげる。

 

「そんな、いけません姫さま! 使い魔にお手を許すなんて!」

「いいのです。彼の忠誠は……わたくしにむけてのものではありませんが……ですが、本物です。だからこそ、報いるところがなければなりません」

 

 ジェヴォーダンは跪き、恭しく左手をとると、穢れの女王にそうするように、手の甲に唇を落とす。

 

「……我が血に賭けて」

 

 ジェヴォーダンは深く礼拝の姿勢をとる。アンリエッタは微笑んだ。

 そしてジェヴォーダンはやにわに立ち上がると、ドアの方に視線を向けた。

 

「さて、いい加減出て来たらどうだ」

「え?」

 

 突然の言葉に二人は驚いてドアを見つめる。するとドアが開き、金髪の少年が頭をかきながら入って来た。

 

「は、はは、こ、こんばんわ……」

「ギーシュ!」

 

 ルイズが声を張り上げる。入って来たのは以前、ジェヴォーダンと決闘を繰り広げたギーシュ・ド・グラモンだった。相変わらずの薔薇の造花を手に、しかしばつが悪そうによたよたと入ってくる。

 

「あ、あんたまさか、立ち聞きしてたの! 今の話を!」

「薔薇のように見目麗しい姫さまの後を付けてきてみればいつの間にかこんなところへ……それでドアの鍵穴から盗賊のように様子をうかがえば……」

 

 ヘラヘラとそう言うギーシュだったが、突然シャキッと背筋を伸ばすと、アンリエッタに向き直って膝をついた。

 

「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう!」

「え? あなたが?」

「ダメに決まってるでしょ、なんでよギーシュ!?」

 

 ルイズ尋ねると、ギーシュは頬を赤らめた。

 

「姫殿下のお役に立ちたいのです……」

 

 ジェヴォーダンは頭を抱えた。こいつ、あの決闘騒ぎであれほどの目にあってもこの調子なのか……。

 

「……王女に欲情でもしているのか」

「よっ……! しっ、失礼な事を言うんじゃない。僕はただただ、姫殿下のお役に立ちたいだけだ」

 

 そう言いながらも、ギーシュは激しく顔を赤らめている。アンリエッタを見つめる熱っぽい目つきといい、惚れてるのは確かだろう。

 

「彼女はどうした。あぁ、決闘騒ぎの後フラれでもしたか」

「ふん、君の妖術の類にはもう騙されんぞ。あの後二人とも普通の姿に戻ったんだ、大方催眠術か何かだろう」

 

 ジェヴォーダンは、ギーシュについて考えるのをやめた。変わってアンリエッタが口を開く。

 

「グラモン? あの、グラモン元帥の?」

「息子でございます。姫殿下」

 

 ギーシュは立ち上がり、恭しく一礼する。

 

「あなたも、わたくしの力になってくれると言うの?」

「任務の一員に加えてくださるなら、これはもう望外の幸せにございます」

 

 熱っぽいギーシュの口調に、アンリエッタは微笑んだ。

 

「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この無力な姫をお助けください、ギーシュさん」

「姫殿下が僕の名前を呼んでくださった! 姫殿下が! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこの僕に微笑んでくださった!」

 

 ギーシュは感動のあまり、仰け反って失神した。

 ルイズはその騒ぎには目もくれず、真剣な声で言った。

 

「では明日の朝、アルビオンに向かって出発するといたします」

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます」

「了解しました。以前、姉達とアルビオンを旅した事がございますゆえ、地理には明るいかと存じます」

「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族達は、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」

 

 アンリエッタは机に座るとルイズの羽ペンと羊皮紙を使い、さらさらと手紙をしたためた。

 そして自分が書いた手紙をじっと見つめ、その内悲しげに首を振った。

 

「姫様? どうなさいました?」

 

 アンリエッタの様子を怪訝に思ったルイズが声をかけた。

 

「な、なんでもありません」

 

 アンリエッタは顔を赤らめると決心したように頷き、末尾に一行付け加えた。そして小さな声で呟く。

 

「始祖ブリミルよ……この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはりこの一文を書かざるを得ないのです……自分の気持ちに、嘘をつく事は出来ないのです……」

 

 密書だというのに、まるで恋文でもしたためたようなアンリエッタの表情だった。ルイズはそれ以上何も言う事が出来ず、ただじっとアンリエッタを見つめるばかり。

 アンリエッタは書いた手紙を巻くと、杖を振るう。するとどこから現れたのか、巻いた手紙に封蝋がなされ、華押が押された。その手紙をルイズに手渡す。

 

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 

 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡した。

 

「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」

 

 ルイズは、深々と頭を下げた。

 

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風からあなた方を護りますように」

 

 そしてアンリエッタは、今度はジェヴォーダンに向きなおる。

 

「ルイズを、私のおともだちをお願いします、使い魔さん」

 

 ジェヴォーダンはニヤリと笑うと、目を細めた。

 真実には。ジェヴォーダンは、笑いをこらえるのに必死だったのだ。

 

「狩人は、ただ仇なす獣を、狩るだけだ」

 

 戦場が、狩場がくる。もうすぐ、行ける

 狩りが、始まる。

 

 




小さなオルゴール

ヤーナムの少女から預かった、小さなオルゴール
今はルイズの手に授けられている。

ヤーナムでは広く知られた、子守唄のメロディ。
か細く儚いその音色は、だがどこか恐ろしげでもある。
眠りの先、夢に潜む恐ろしいものを、知っていたのだろうか。

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