ゼロの狩人   作:テアテマ

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01:狩人

 古都ヤーナム。遥か東、人里離れた山間にある忘れられたこの街では、古くから奇妙な風土病「獣の病」が蔓延していた。

 

 獣の病の罹患者は、その名の通り獣憑きとなり人としての理性を失う。そして夜な夜な「狩人」たちが、そうした、もはや人ではない獣を狩っていた。

 

 ヤーナムは、古い医療の街でもある。数多くの救われぬ病み人たちがこの怪しげな医療行為を求め、長旅の末ヤーナムを訪れる。

 

 ……俺もまた、そんな救われぬ病み人の1人だった。

 正確には、1人だったらしい。俺はこの街に着いてすぐ奇妙な輸血の医療を受けた。それより以前の記憶は、無い。

 ただ、俺にその治療を施した男の言葉と、自筆のメモに残された「青ざめた血」という言葉。それだけが鮮明に脳裏に焼き付いていた。

 

 それからはまさに、悪夢のような夜だった。いや、ある意味で悪夢だったのかもしれない。俺は青ざめた血を求め、獣を狩り、血を求め、夢の中をのたうったのだ。

 

 結果として俺は全てを終わらせた。赤子も、ゲールマンも、月の魔物も手にかけて。

 全てを狩り終えた俺は……空っぽだった。

 感じる事など何もない。今まで散々振り回されて、何も理解する事も出来ずここまで来てしまった。

 

 呆然とする俺の目の前に、突如として光り輝く鏡が現れる。

 その淡い光の向こうで、何故だか自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 

 あぁ、きっとこれで終わりなのだろう。これでいい。これでようやく、悪夢のない夜でゆっくりと休むことができる。

 

 俺はその鏡をくぐり抜け、そこで自分の意識がすうっと霞んでいくのを、感じていた。

 

 

 

 

 

 場所は変わり、ハルケギニア、トリステイン王国。

 そのトリステイン魔法学校の第1演習場にて、神聖なるサモン・サーヴァントの儀は執り行われていた。

 進級のため使い魔を召喚するこの儀式を、ほとんどの生徒が1回で成功させている中、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、今日10回目の爆発を起こした。

 周囲の生徒はすでに召喚を終え、ルイズが成功するのを待たされている。退屈に待たされる生徒たちの我慢も限界を迎えているらしく、爆発のたびにヤジが飛ぶ。

 この日の担当教員であるコルベールも、さすがに見かねて声をかける。

 

「ミス・ヴァリエール、残念ですが今日はここまでにしましょう。あなたの召喚は明日また時間を取らせますので……」

「まっ、待ってください! あと1度、1度だけでいいのでチャンスをください!」

 

 しかし、ルイズは食い下がった。もともと彼女の気質をよく知るコルベールは、これで諦めることはないと悟り、ため息をつきながら「あと1度ですよ!」と念を押した。

 一方のルイズからすれば、実質的にこれが最後のチャンス。汗を拭い、ギュッと握りしめた杖を高々と掲げ、これまでで最も高らかに、召喚の呪文を読み上げる。

 

「宇宙の果てのどこかにいる私の僕よ! 神聖で美しく、そして強力な使い魔よ! 私は心より求め、訴える! 我が導きに……応えなさい!!!」

 

 ルイズが勢いよく杖を振り下ろすと、同時にそれまでとは比べ物にならないほど、大きな爆発が起きた。

 あまりの衝撃に、数人の生徒は転げ倒れ、使い魔の動物の何体かが恐慌した声を上げた。

 

「ゲホッ、ゲホッ! また失敗かよ、ルイズ!」

「何度やったって同じだよ! ほんとにゼロのルイズだな!」

 

 再び、ヤジと怒号が飛び交う。悔しさのあまり唇を噛み締め、涙を浮かべるルイズ。思わず言い返そうとしたその肩を、コルベールが抱えた。

 

「え……先生?」

 

 突然のことに、ルイズは目をパチクリさせる。見ればコルベールは、普段のにこやかな表情とはかけ離れた緊張した面持ちで、爆発の煙を睨んでいる。

 

「……っ!」

 

 遅れてルイズが感じ取り、また遅れて生徒たちも気がついた。

 

 何か、いる。

 

「おっ、おい、何かいるみたいだぞ!」

「ルイズがサモン・サーヴァントに成功したのか!?」

「何、何が出てきたの!?」

 

 生徒たちは次々に騒ぎ出す。緊張感を醸し出しているのは、ルイズとコルベールだけ。

 ルイズは、自分の使い魔の正体を知りたいが故に。そしてコルベールは、そのあまりに大きすぎる力を感じ取ったが故に。

 

 少しづつ煙が晴れ、中からその正体が姿を現わす。

 

 それは、1人の大柄な男。

 狩人だった。

 

「あんた誰?」

 

 最初に沈黙を破ったのはルイズだった。

 幾度となく失敗し、最後に与えられたチャンスでようやく成功したサモン・サーヴァント。その呼びかけに応えたのは、いやに大柄の、黒装束の男。

 黒革で出来ていると見られるコート、口元を不気味に覆うマントに、船乗りの船長などが好んで着けるような三角帽子。それらが全て、黒々とした革の色と相待ってなんとも言えないおどろおどろしさを醸し出している。

 

 大男はひどく呆然とした様子で、周囲をぐるりと見渡す。先ほどまで狩人の夢の花畑にいたはずの彼だが、今は一転して青空の下の草原にいる。

 

「これは……?」

「ちょっと、聞いてる? 誰って言ってるの!」

 

 彼の真正面、コルベールに肩を抱かれたルイズが、ピィピィと小鳥のように甲高い声でまくし立てる。

 

「……………」

 

 男は、懐から鎮静剤を取り出し一気に飲み下す。当然目の前で起きているのは現実であり、狂った彼の幻覚ではなく、それがわかると頭を抱えた。

 こう見えて男は、静かにかなり混乱していた。そんな様子に、周囲の生徒たちが興味津々に声を上げた。

 

「平民だ! ゼロのルイズがサモン・サーヴァントで平民を召喚したぞ!」

「何か飲んでるぞ、行儀がなってないんじゃないか?」

「あはははは! 平民を召喚するなんてさすがはゼロのルイズね!」

「お、おいでもあれ、銃じゃないのか?」

 

 騒ぎ立てていた生徒たちだったが、男の持ち物の仰々しさを見て、次第にまた違う種類のざわめきへと変貌していった。男の腰元には、ハルケギニアではあまり見る事のない無骨な散弾銃のようなものと、ノコギリのような鉈のような、乱暴な鉄の塊がぶら下げられている。

 

「おいルイズ、サモン・サーヴァントが上手くいかないからってそこらへんの木こりを連れてくるなよ!」

 

 しかし、飛び交うヤジの内のこの1言で、多くの生徒は木こりと納得してしまった。

 

「うるさいわね、ちょっと間違えただけよ」

 

 ルイズはと言えば、そんなヤジに顔を赤らめながら、自分の肩を抱いていたコルベールの手を振り払い、向き直った。

 

「コルベール先生、やり直しを……」

「ミス・ヴァリエール、下がりなさい」

 

 しかし、その声を、コルベールの低い声が遮った。

 ルイズはハッとする。コルベールの様子からはただならぬものが感じられる。いつもの温厚そうな表情はどこへやら、杖を向け、明らかな警戒心を男へと向けていた。

 

 それもそのはず、コルベールには見えていたのだ。

 男の中にある、人とは到底かけ離れたものの気配を。

 

 男もやがてコルベールのそんな様子に気がつき、一転冷静そうな表情で……といっても帽子とマスクで目元しか窺い知れないが……コルベールを睨みつけた。

 

「あなたは、何者ですか」

「……それはこちらが聞きたいが」

 

 初めてまともに話した声は、まるで獣の唸り声のような響きをたたえる。コルベールは緊張感が高まるのを感じ、生唾を飲んだ。

 

「私はコルベール、ここトリステイン魔法学校の教師です」

「トリステイン……?」

「ご存知ありませんか」

「聞かん名だが……その学校の教師とやらは、初対面の"人間"にそうも殺意を向けるものなのか?」

「ぐ……」

 

 男はひょうひょうとした様子で、コルベールの警戒心をかわす。そして何かに気づいたようなそぶりを見せ、くくっと低く笑った。

 

「そうか……"見えている"わけだな?」

 

「!!!」

 

 その瞬間コルベールは、相手が危険な存在であると判断した。生徒の安全を守るため、目の前の脅威を排除する必要がある。さもなければ、どこまで危険が及ぶか計り知れない。

 

 だが、そんなコルベールの臨戦態勢とは裏腹に、男はそれまで纏っていた異様とも取れる気配を、サッと消してみせた。

 

「な……?」

「すまんな、こちらも動揺している。おかしな話かもしれんが、自分がなぜここにいるのか、そもそもここはどこなのか、全く見当が付かん。ここへ来る直前の事まで曖昧という始末だ。もし説明していただけるなら、わざわざ"人"に戦いを挑むこともない」

 

 男はコルベールが想像するよりもはるかに社交的な態度に打って出ていた。あっけに取られたコルベールだが、先ほど感じた匂い立つ獣の気配が、自分の気のせいだったとは流石に思えない……。

 動揺しながらも、コルベールはここは穏便に収めることができると、判断した。

 

「その、あなたはここにいる、ミス・ヴァリエール嬢の召喚によってここへ呼び出されました」

「ほう、召喚」

「はい。それでその、これはサモン・サーヴァントというとても神聖な儀式であり、もしできるのであれば儀式を最後まで完了させたいのです。その後でよろしければ、こちらが説明しうる全てをお教えすることはできます」

「ふむ……」

 

 男は、先程から不安そうにこちらを見つめる桃色髪の少女を見やる。なるほど悪意や獣性とはとても縁のない、普通の少女だ。狩人同士が鐘で呼び合い、召喚し合うこともあった男にとって、これが召喚だと言われれば納得できない部分もない。何故あの悪夢にいた自分が、などと不可解なことはあるのだが、それでもその要求を断る理由も、特段無いと判断できた。

 

「いいだろう、では儀式とやらにも協力する。その代わり、洗いざらい教えてもらうぞ」

「ありがとうございます……ミス・ヴァリエール、それではコントラクト・サーヴァントを」

「そんな、でも、ミスタ・コルベール! 彼は平民の、人間です!」

 

 今度は何か言い争いを始めてしまった。男はため息を吐く。あからさまに面倒なことになったことだけは間違いない。

 それに……"臍の緒"を取り込み、体の血をほとんど月の魔物のそれと交換したはずの自分が、何故上位者にならずこうして平然と召喚されているのか。それにこの青空だ。青ざめた血の空に覆われる前だって、こんな空に見覚えはない。夜が明けたということなのかもしれないが……。

 

 そう考えて空を見上げ、蒼穹に浮かぶあるものを見た男は、驚きのあまり目を見開いた。

 

「あれは……!?」

「ねぇ、ちょっと」

 

 服の裾を引かれて見下げれば、小さな桃色髪。どうやら言い争いは済み、儀式とやらを始めるようだ。

 

「あんた、名前は?」

「……ジェヴォーダンだ」

「そう……ジェヴォーダン、まずちょっとかがみなさい。あんた、デカすぎ」

 

 言われるがままに身を眺めると、顔をやたら近づけられる。

 

「……この暑苦しいの、外して」

「……?」

 

 何をする気だ? と怪訝に感じつつも、瘴気から呼吸を守る革のマントとマスクを下ろす。

 

 少し痩せ気味の薄い顔が露わになると、周囲を取り囲む女生徒から、特に赤髪の娘から、おぉと声が上がった。

 

「こ、ここ、光栄に思いなさい、よね。普通は貴族とこんなこと、で、できないんだから!」

「……早く済ませてくれ……」

「〜〜!! わかってるわよ!」

 

 そしてルイズは杖を持ち、呪文をブツブツと唱える。そして、少しの躊躇いのあと、自分の唇とジェヴォーダンの唇を、そっと重ねた。

 突然の接吻。さすがのジェヴォーダンも、これには面食らった。

 長い夜の間、女っ気を求める感覚などとっくに無くしているが、気恥ずかしさまで忘れたわけではない。

 が、ほんの1瞬でルイズは唇を離し、プイと振り返る。

 

「先生、コントラクト・サーヴァントが終わりました」

「うむ、こちらは1回で成功したようだね」

 

 儀式と言っていたが、まさか勝手に婚姻の儀なんぞをされちゃあいないだろうな?

 ジェヴォーダンがそんな事を考えたのもつかの間、焼けるような痛みが左腕に走る。

 

「ぐっ……!?」

 

 慌てて手袋を外すと、そこには奇妙な文様が浮かび上がっていた。何事かと思案していると、コルベールが近づいてきて、その文様を覗き込みながらスケッチをとる。

 

「ふむ? 珍しいルーンだな。それにルーンの上にあるこれは……印、かな?こちらはさらに見たことがない」

「これが、お前らの言う儀式か?」

「えぇ、儀式は完了しました。約束通り、お話し出来る限りを。皆さん、これにてサモン・サーヴァントの儀式は終了です。各々教室に戻ってください!」

 

 コルベールがそう言うと、生徒たちはそれぞれに呪文を唱え、ふわりと宙に浮いた。

 

「ルイズ、お前は歩いてこいよ!」

「あいつ、『フライ』はおろか『レビテーション』だってまともにできないんだぜ」

 

 そんな様を、ジェヴォーダンはあっけにとられて見ていた。

 

「……浮いてる」

「? 何言ってるの、メイジが浮くのは当たり前じゃない」

「……メイジは人じゃないのか」

「はぁ!? 人に決まってるじゃないの! っていうかあんた、どこの田舎者よ! こんなのが私の使い魔だなんて……あぁもう、最悪だわ!」

 

 理不尽な暴言を吐かれているが、ジェヴォーダンの耳には入らない。トリステイン、メイジ、宙に浮く人、そして何より……2つの月。

 

「ミス・ヴァリエール、私たちは歩いて行きましょう。ミスタ・ジェヴォーダン、よろしければ歩きながらお話を」

 

 ここへきてジェヴォーダンはようやく、自分の身に何か尋常ではない事が起きたのだと悟った。

 

 

 

 

 




狩人の徴

吊り下げられた逆さまのルーン。
自身の心の中にある、ハンターのシンボル。
かつては目覚めをやり直す効果を持っていたそれも、今となっては単なる徴に過ぎない。

どんな悪い夢も、いつかは醒める時が来る。
たとえそれを望もうが、望むまいが。

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