「や、やめっ――!」
ザンッ――!
無様な姿で命乞いをする男の言葉に耳を傾けることなく、血に塗れた長鉈の刃が振り下ろされた。
鍛え上げられ、世に名立たる名剣、名刀に劣らぬ切れ味こそ有してはいても、元々鉈とは重さで切ることを目的とした道具だ。
それは対獣用に作られた『ノコギリ鉈』も例外ではなく、遠心力の加わった一撃を受けた男の頭蓋は潰れるように両断され、原型を失った脳髄が血液と共に周囲にはね跳んだ。
「ふん……」
刃に付いた血を払うべく、男を殺した黒装束――狩人ギルバートは長鉈を軽く一閃した。
ガチャリ、と機械的な音を鳴らし、ノコギリ鉈が長鉈形態から通常時の鋸形態へと移行する。
これだけならば普段と変わらぬ外道魔術師狩りなのだが、今回の彼の行動場所はフェジテではない。
フェジテから北西に進んだ地方にある、とある都市。
学院の存在するフェジテや、帝国の首都であるオルランドと比べれば広さではやや劣るも、毎日人々の活気的な声が止まぬ明るげな街だった。
だが先週、その街を起点に奇妙な噂が広まり始めたのだ。
いや、この国に住まう人々ならばソレを奇妙に思うことはないだろう。
その噂を何故、奇妙であると考えるのは、おそらくギルバート唯一人のみだ。
“『血塗れの殺人鬼』、出現”――それがこの地方都市において、最近有名になっている噂だ。
(だが、おかしい……)
噂が出回り始めたのは先週。
実際に出現したのがそれより前だとしても、
そこで矛盾が発生してしまう。
ギルバート本人がフェジテに居たにも関わらず、同じ時の違う場所で殺人鬼が姿を現している。
身を2つに分けでもしない限り、そんなことはできず、そしてギルバートにそんな奇術は使えない。
となれば、考えられる可能性は1つ――
「とはいえ、見つけられたのはいつもの
診療所を休業にし、学院の仕事も休んでまでここに来たというのに、この数日中に得られたものはフェジテ同様、外道共の命のみ。
流石に例の結社から放たれた刺客は来ないが、どの地に行こうとも外道というものは存在するらしい。
それが大なり小なりと差はあれども、人の命を道具や玩具と扱う連中を生かしておく必要は無し。
これまで通り、ただの1人も例外なく鏖殺してきたが、結局件の偽者殺人鬼を捕えるには至らなかった。
(今晩で切り上げるか……これ以上診療所を空けておくのは、よろしくない)
折り畳んだノコギリ鉈と短銃を手に、その場から去ろうと歩を進め……
「――!」
直後に感じた殺気に反応し、後方へと大きく跳躍した。
横への回避ではなく、後方への跳躍と判断したのは正解だった。
何せギルバートの居た場所には今、轟々と燃え盛る豪炎が生まれ、石畳を黒く焼き焦がしているのだから。
「チッ……直前で気付かれるとはのぉ」
感じた殺気とは異なり、その主の口調はどこか飄々としたものを感じさせた。
街の裏路に現れたのは、非常に大柄な筋骨隆々たる
夜闇を見通す狩人の目を持つからこそ、はっきりと見えるその姿。
岩から削り出したような顔付きと、溢れ出る貫禄をさらに増させている灰色の口髭。
黒を基調とした魔導士礼服の袖から伸びる両腕には今、灼熱の劫火が宿り、炎の拳を成している。
「しっかし、衰えたとは言ってもわしの拳を避けるとは大したもんじゃ」
「……その礼服、『特務分室』か」
ギルバートの呟きに、老人は口髭に覆われた口をニヤリと歪ませる。
『特務分室』。かつてグレンが所属していた組織。
凄腕の魔導士たちが集うその集団は、主に魔術絡みの案件を対処する部署だった筈だが、まさかこの街に来ているとは。
いや、寧ろ来て当然か。
何せギルバートは2年前、当時まだ特務分室に所属していたグレンと、青髪の少女――リィエルとかいう少女魔導士を相手に戦い、見事打ち負かして見せたのだ。
相性や使用した道具などの存在があっても、かの魔導士団に属する2人を相手に勝利した彼の存在を政府が低く見る筈もなく、あの戦闘を切っ掛けにギルバートに対する危険度は大きく跳ね上がったのだ。
そして今回の『血塗れの殺人鬼』出現の噂。
フェジテを離れ、この街にやって来た彼の行動を怪しく思うのは当然のことで、故に政府は特務分室から彼――否、
「……もう1人、か」
「ほう? もう気付いておったのか、いやはや鋭いのぉお前さん」
「――笑い事じゃないですよ、バーナードさん」
はっはっは、と笑う老人ことバーナードを諫めるように、通路の影から別の人物が彼の前に姿を晒した。
もう1人の人物――おそらく少年と言っていい年頃の若年魔導士は、先のバーナードとは対称的に細身で、だが見掛けよりも大分大人びた印象を受ける男だった。
緑がかった髪、首元を覆う紫のマフラー。
細身の体躯からひ弱に見えてしまう者もいるだろうが、それは大きな間違いだ。
単純な肉弾戦でならば、きっと彼を上回る輩は数多にいるだろう。
だがそういう輩に限って、別の方面――特に魔術とかいう得体の知れない術技においては、並外れた実力を有しているものなのだ。
「特務分室が2人……俺を殺しにでも来たか?」
「まるで人んとこを殺人集団みたいに言うでないわ。人聞きが悪いじゃろう」
「その割には、先の一撃は殺す気満々だったようだが……?」
「む? おう、確かにそうじゃな。ま、グレ坊たちを負かしたお前さんがあの程度、避けられぬ筈もあるまい?」
バーナードの問いに、ギルバートは沈黙を以て応じた。
その通りだ。確かに鍛えられ、限界にまで無駄を省いた一撃でこそあったが、殺意を感じられればあの状態で避けることなど容易い。
だが逆に考えれば、それを理解した上でバーナードはそれを放ってきたというわけだ。
最初から本気で殺すつもりなら、そんな無駄な行為はしない筈。
何か別の目的がある。そう考えたギルバートの予想通り、バーナードと少年は攻撃して来るわけでもなく、ただ静かにそこで屹立しているのみだ。
「お前さん、ここ数年で色々派手にやっとるみたいだな。
最初期の頃こそ、一般人や普通の魔術師も混じっとったが、以降は全部外道魔術師か、裏の世界の連中ばかり。
ただの殺人狂ならば、こんな面倒臭い殺り方などはせん」
「……つまり?」
「遠回しな言い方は無しにして、率直に言わせて貰おう。
『血塗れの殺人鬼』――お前さん、わしらと一緒に帝都まで来てはくれんか?」
その言葉に、ギルバートは僅かながらその目を見開き、驚愕した。
まさか実力行使による強制連行ではなく、同意の上での連行を求めてくるとは露ほども思わなかった。
大抵の輩は殺人鬼というだけで無力化か、もしくは排除に掛かって来るのだが、どうもこの老人は他の連中とは違うらしい。
「無差別に他人を殺す外道畜生なら、問答無用で拳骨を見舞っとるところだが、どうもお前さんのやり方はそうではない。
複雑な気持ちじゃが、民衆の中にはお前さんを英雄視する者まで居るくらいじゃ。
そいつらのことも考えると、無理矢理連行してそのまま断頭台送りにするのは、些か浅慮に過ぎるとわしは思うのじゃよ」
「バーナードさん!」
「クリ坊、お前さんとてそういう考えが無いわけではないじゃろう?
これまで何十、何百と阿呆共の相手をしてきたが、だからこそ分かる……この男は、あいつらとはどこかが違う」
歴戦の戦士として培ってきた経験と、これまでに幾人もの人間を見てきた彼自身の目がその真実の欠片を見出したのか。
それにクリ坊と呼ばれた少年の方も、バーナードほどではないにしろ、ギルバートをただの殺人鬼ではないのではないか、という考えがあるようだ。
数年に渡り、帝国の夜を恐怖で染め上げて来た殺人鬼に対してのその考えは、国の上層部にいるお偉い方々からして見れば、甘いの一言に尽きるものなのだろう。
その通りだ。だがそれ故に、彼らは僅かだが真実に近付く第一歩を踏み出すことができたのだ。
「お前さんが何を目的に外道魔術師たちを狩り続けているのかは分からん。
じゃが、このまま行けば国は必ず、お前さんを本気で殺しに掛かるじゃろう。
だからその前に、わしらと一緒に来てくれ。その行動の本当の意味を……お前さん自身の目的を、教えてくれ」
普段の飄々とした性格はどこへいったのかとばかりの、真面目すぎる姿勢のバーナードに、クリ坊改めクリストフは少しだけ驚いていた。
そしてギルバートもまた、彼の言葉にさらなる驚愕を見せ、そして理解した。
似ているのだ。きっと性格も何もかも違うのだろうが、先達として後人を導くその姿勢。
どこの世界でも、老いた先達者という者は後人を放ってはおけないらしい。
それが人として道を外れかけている者ならば、尚更に。
だが――だからこそ、ギルバートもまた譲るわけにはいかなかった。
「――お断りしよう」
瞬間、バーナードの顔が僅かに歪んだ。
成程、確かに彼は根っこの部分が善人寄りなのだろう。
そしてそれ以上に……彼は1人の軍人なのだ。
彼は言った。行動の本当の意味を、
殺人鬼としての道から救い出そうという気持ちに偽りはないのだろうが、それ以上に優先されるのが宮廷魔導士としての任務。
殺し合いをすることなく、言葉のみで相手の目的、つまりは情報を得ようとするそのやり方は実に良い。
人の優しさに飢えた輩ならば、思わず涙を流して何もかも吐き出してしまう程に。
仮に今の言葉に嘘偽りがないとしても、彼らの上司――この国の上層部がはたして、この2人と同じ考えなのかどうか怪しい。
最悪、利用されるだけ利用され、使えなくなったら始末される可能性さえあり得る。
「……理由を聞かせてはくれんか?」
「理由も何も、俺は世間でいう悪人であり、そちらは正義の執行者……理由などそれで十分」
「答えになっていません。正義と悪……ただそれだけが理由だなんて……!」
「いいや……それで十分なのだよ。お坊ちゃん」
「お坊ッ……!?」
本心を読まれないための偽りの理由とはいえ、確かに一般的視点から見て、この程度の理由では足らないだろう。
だがしかし、ギルバートのような闇に生きる者たちにとってそんなことはどうでもいい。
ほんの僅かな切っ掛けを作り、後は逃げるなり戦いに持ち込むなりすれば、それで済む話なのだから。
「お優しい提案、感謝する。が、此方にも為すべきことがある。
どうしても帝都に連れて行きたいと言うのなら……」
カチャリ――と左手に持つ短銃の銃口を、バーナードたちの方へと向ける。
力尽くで来い――それがギルバートの答えだった。
どんなに綺麗事を吐こうとも、どれほど優しく語り掛けようとも、狂人にはそんなもの通用しない。
まして今回はなりそこなったとはいえ、繰り返される夢の中で何度も
「……はぁ。結局こうなるのかのぉ」
「仕方ありません。とにかく準備を、バーナードさん」
「ほいほい。……はぁぁぁ、できれば面倒事は避けたかったんじゃがのぉ。
特にこんな如何にもアブナイ奴とは」
先程の姿はどこへいったのかとばかりの変わり様に、思わずため息が出かけた。
だが、気を緩めてはならない。
相手は2人、此方は1人。数的に見えば、不利なのは此方の方だ。
あの時は相性と対処のしやすさもあって何とかできたが、今回もそう上手くいくとは限らない。
故に彼は四肢に力を込め、携えた両手の武具をさらに強く握り締め、眼前の2人を睨みつける。
「そいじゃあ……始めるとするかの」
老いたる豪傑の一声を切っ掛けに、『特務分室』と『血塗れの殺人鬼』、双方の戦いが2年の月日を経て再び始まった。
*
――時は少しばかり遡り、フェジテ・アルザーノ帝国魔術学院では。
「――医務室補佐のギルバート先生?」
グレンの問いに、珍しそうにセリカが首を傾げ、同じ言葉を繰り返した。
「ああ。何か学院長が、俺の補佐になってくれるかもしれないって話をしてたんだが。
正直どういう人なのかあんまり分からなくてな」
「ふむ……あの医者をグレンの補佐に、ねぇ」
学院長の意図について、セリカはある程度察しがついていた。
とは言っても、リック学院長としてはこれといった特別な意味はなく、単にギルバートにグレンの講師生活の補佐をして貰おうとしているだけなのかもしれない。
本人が気付いているか分からないが、あの町医者は学院長のお気に入りだ。
魔術師でこそないものの、生徒や講師たちとは異なる別の目線を持ち、そこから多くのモノを得て助言することもたまにある。
セリカも何度か彼から小さな助言を頂いたことがあったが、別にそれで何か大きな悩みが解決できたわけではない。
ただ、少なくとも他の講師共と比べたらマシ程度には思っている。
おそらく彼が魔術師だったとしても、きっと権威主義に染まることなく、変わらぬ目線で生徒たちに接するだろう。
「ただなぁ、本人はどうも乗り気じゃないらしくてな。
1度は断るって、言ったみたいなんだ」
「あー……まぁ、分からなくはないな。
医務室補佐とは言っても、その医務室担当の
これ以上仕事を増やしたくはないのかもしれないな」
「うわ、それすっごく分かる。
あーでも、これからまた仕事っつーか、競技祭関連で色々あるしなぁ」
「ま、そこのところは頑張れよ。
何せお前は、文字通り生存がかかってるんだからな?」
先週の給料日の後、貰った給料を全てギャンブルでスッたグレンは、セリカや学院長からお小遣い、もしくは給料の先払いを願い出たのだが要望が通る筈もなく、このまま行けば次の給料日まで持ち金ゼロで過ごさねばならなかったのだ。
だが幸いと言うべきか、1週間後に控える魔術競技祭で優勝すると特別賞与が貰えるという話だ。
金銭もなく、故にその日の食事さえも満足に摂れないグレンとしては、まさに救いの手そのものだったわけだ。
その後様々なこともあって、どうにかクラスの生徒全員をやる気にさせることには成功したのだが……
「あー……腹減った。セリカ、マジで何でもいいので何か食べられるもの、もしくはお金をプリ――」
「駄目だ。少しでも恵んだら、お前その後続けて求めてくるだろうが」
「チッ……」
事が上手くいかないのは、この19年を通して嫌というほど思い知って来た。
そもそもあの時、ハートの3が来るのが悪いだの何だのとグレンがブツブツ言っている一方、セリカはセリカで考え事をしていた。
(医務室のギルバート……そう言えば、私もあんまり知らないな)
ふらっと現れては、何かの助言らしいものを残して去って行く大柄な医療者。
およそ医者とは思えない体躯からして、このアルザーノ帝国にやって来る前は故郷か、それとも別の国で従軍でもしたのだろうか。
いまいち正体の掴めない男ではあるが、これといって目立つ人物でもなく、セリカも彼に対しては然したる興味を抱かなかった。
「んー……あの男は一応、こっちでの仕事は副業みたいなもので、本業は確かフェジテで町医者をしてる筈だったな」
「あ、それはもう聞いてるぜ」
「そうか。まあ私も直接聞いたわけじゃないんだが、評判はそれなりに良いらしいぞ?」
「それだけか?」
「……? ああ、それだけだが?」
「そっか……」
何かを納得したように何度も頷くグレンと、その様子を不思議そうに見つめるセリカ。
少し変わった親子の様子を、他の誰かが見ているわけでもなく、暫くしてグレンはセリカに礼を言い、その場から去って行った。
もしかしたらグレンの補佐を務めるかもしれない男、ギルバート。
これといって特徴のある人物でもないのだが、この時何故か、セリカは彼の存在をすぐに記憶の片隅に置くことができなかった。
老いを知らぬ、人外に近しいこの身が警鐘を鳴らしている気がしたのだ。
あの男は怪しい。何かを隠している。
それは真実かどうかはともかく、このまま何でもないただの町医者として片付けていい気はしなかった。
「……今度軽く挨拶でもしてくるか」
そんな呟きを最後に残して、セリカもグレンとは反対方向へと歩み出し、廊下の先へと進んで行った。