ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

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 先に言っておきますと、後半はギルバートの口数は増えますので、そこだけはどうかご容赦ください。


第5夜 葬送

 グレン=レーダスは、予想以上の苦戦を強いられていた。

 

 血塗れの殺人鬼(ギルバート)にシスティーナを任され、解呪を終えた後、廊下を先へ先へと進み。

 そしてその先に待ち構えていたのは、ジンとは別のテロリスト。

 名をレイク=フォーエンハイム。

 この帝国に根を張る最古の魔術結社『天の智慧研究会』に属する外道魔術師の1人。

 

 ジンとはまた異なる方向性(ベクトル)ながらも、自らを人ではなく『魔術師』という生き物であると呼称し、人を人とも思わぬある意味典型的な外道魔術師。

 そしてその実力は、相方(ジン)のそれを上回っている。

 

 

「ぐぅ……っ!?」

 

 

 虚空を舞う剣を身に受け、シャツごと肌を裂かれ、血が垂れ流れる。

 硬い鎧の類も纏わず、身を覆うのが衣服のみとなれば、鋭い剣刃で裂かれるのは道理だ。

 だが問題は、その剣が誰かの手に直接握られ、その上で振るわれたのではないことだ。

 

 虚空を舞う――その表現はまさに的を射ている。

 事実、数本の剣は時に泳ぐように飛行し、現在は主の意思によって空中に停止している。

 

 

「先生!」

 

「……しぶといな」

 

 

 システィーナの悲鳴染みた叫びと、レイクの氷のような冷たい声が響いたのはほぼ同時。

 この戦いを通して、レイクはグレンが何かを隠していることに気付き、積極的な攻めに移れないのが現状だ。

 だがしかし、幾度もの戦いを経て、己が戦法の最適解すら見出した外道魔術師の戦闘能力は凄まじく、かつて凄腕の『魔術師殺し』と謳われたグレンさえも劣勢に立たされている。

 

 いや、そもそもグレンの奥の手――固有魔術(オリジナル)『愚者の世界』は対魔術師戦において完全無欠の魔術というわけではない。

 確かに、魔術そのものを封殺するその特性は脅威である。

 が、それはあくまで発動前の話であり、発動後の魔術は適応範囲外だ。

 

 その魔術の存在を知らずとも、何か隠していることを見抜いていたのは流石だが、その警戒が今はグレンの方に有利に働いているのは何とも皮肉なことだ。

 

 

(っていうか、こいつが俺の隠し技を警戒せずに、最初(ハナ)から全力だったらマジでヤバかったな……)

 

「貴様が何を秘しているのかは知らんが、そろそろこちらも決着といこう」

 

 

 こちらも、というレイクの言葉にグレンは1つのことを読み取った。

 レイクはあのボーン・ゴーレムたちの創造者であり、グレンと戦いながらもゴーレムを通して()()()()の様子を見ていたのは確かだ。

 つまり、今の言葉から察するにギルバートの方(むこうがわ)は既に決着したのだろう。

 そして僅かに張り詰められた空気から、勝利者はレイクのゴーレムではなくギルバート。

 

 

「はっ……流石に化け物染みてるな、あいつ」

 

「……何者のことを指して言っているのかは察するに容易いが、聞く耳などは持たん」

 

 

 右手を横に一閃し、手動型の二振りの剣がグレンへ向けて飛ぶ。

 獲物を狙う猛禽の如く、冷たい刃を輝かせる飛剣。

 その剣に対し、グレンは回避と迎撃を行うべく横に跳びつつ、呪文の詠唱を始めて片手を突き出すと、

 

 

「――っ!?」

 

 

 ガァンッ――と硬い物同士が打ち合う音が鳴り、飛来する剣の片方が落とされた。

 残る剣はグレンへと向かうも、それも横に跳ぶことで回避され、結果レイクの攻撃は失敗に終わった。

 

 

「今の……!」

 

 

 鳴り響いた音――銃声の出元へ視線を向けるシスティーナ。

 彼女の視線の先に居たのは学院の講師でも、ましてレイクの相方(ジン=ガニス)でもない。

 黒塗りの狩装束に身を包み、左手に鉄製の弓を構えた大柄な男。

 レイクを始め、今回学院に侵入した『天の智慧研究会』の魔術師たちにとって、グレンと並ぶイレギュラー。

 

 

「そうか――アレが『血塗れの殺人鬼』」

 

 

 1つの呟きを口より漏らした後、レイクの顔が一層強張る。

 警戒を強めた証拠だが、それも無理はない。

 理由の如何は知らないが、彼らの組織、その上層部はこの数年かの殺人鬼に数多の同士を刺客として差し向けた。

 

 幹部陣の考えを推し量るなど、今の自分には到底できないことだが、それでもそのことについてはレイクも凡その察しはついていた。

 声だ。時折聞こえてくる謎の声。

 特に眠りの間に強く響くソレを、幹部陣はどうも『夢の声』と呼称し、それなりの重要性を見出すようになっていった。

 実はレイクもその声を耳にしたことは幾度もあり、少なくともその声のおかげで、何故組織の上層部が『血塗れの殺人鬼』を狙うのかの理由を知り得ることができたのだ。

 

 そして今、彼はここにやって来た。

 レイクの創造したボーン・ゴーレムたちを蹴散らし、濃密なまでの殺気を纏いながら、彼らの元へとやって来た。

 

 

「――苦戦しているな、小僧」

 

「はっ、そういうお前は……相変わらずか」

 

 

 傷を押さえつつ、それでも不敵さを滲ませた笑みを口元に張って、グレンがその声に応じる。

 その声から、今のグレンの状態を大体察したのか、ギルバートは小さな唸りを上げて歩を進める。

 システィーナの横を通り過ぎ、続いてグレンの横を通り過ぎて、それから数歩進んだところでようやく彼の歩みは止まり、その場で静止。

 

 常に得物を握っていた右手には何もなく、代わりに銃器の類を携えている筈の左手には、これまた今の時代には珍しいものが握られていた。

 

 

「弓……それも鉄製の物ときたか。

 何らかの機械仕掛けが施されていると見えるが……それも貴様の道具の1つか?」

 

「……」

 

 

 レイクの言葉に、ギルバートは答えない。

 沈黙を以ての返答なのかと考えたレイクは、さらにその目付きを鋭利なものに変化させ、警戒をさらに一段階引き上げた。

 だが、そんな彼とは対称的にギルバートの方はこれといった動きを見せることはなく、ズボンに備え付けられているポケットに右手を突っ込むとそこから何かを取り出して。

 

 ――ソレをレイクの胸元へと投げつけた。

 

 

「……!」

 

 

 硬く、それでいてどこか柔らかい感触のソレが何であるのか確かめるべく拾い上げ、そしてソレを見たレイクの目が僅かに見開かれた。

 驚愕したのだ。ソレの正体を知り、そこから読み取れるもの全てに。

 投げつけられたモノの正体――それは人間の、より厳密には彼の相方であったジン=ガニスの手首。

 

 黒手袋で包まれたソレを間違える筈がない。事の最後までとはいかないが、彼はボーン・ゴーレムの視界を通して実験室の出来事を見ていた。

 最後に長斧による回転攻撃と散弾によってゴーレムが全滅し、それから先は完全に見えなくなったのだが、あの状況から察するにジンを殺せる輩はただ1人。

 そしてこの手首を投げつけてきたということは、つまり……

 

 

「そうか。貴様が……ジンを()ったのか。

 ならばこの手首は、その証明であり――次はこの私であるという殺害予告か?」

 

「……」

 

「っ……お前、あのチンピラを殺ったのか!?」

 

 

 叫ぶグレンに対し、それがどうしたと言うかのようにギルバートがグレンを見つめる。

 底の見えぬ黒瞳の映すものの中に、システィーナの姿があった。

 明確に殺したとは言っていないが、今の行動からシスティーナは彼がジンを殺したのだと理解したのだろう。

 

 それ故の怯えなのか。普段は気強く見せているだけであり、だからこそ自らの弱みを露わとした彼女の姿は一種の小動物のようで、柄ではないが加虐心を刺激させられる。

 

 

「……それがどうした?」

 

「どうしたって、お前――」

 

「かつてと似たようなことを言うが……クズを殺して、何故に罪に問われる?」

 

 

 必要だからこそ始末した。そもそも生かす理由も、生かして帰す道理もない。

 只人は凡庸故に、善も悪も心の内に有し、故に真に改心する可能性がある。

 だが外道は違う。1度道を踏み外した輩は、その場凌ぎに改心するとほざく。

 

 何が改心するだ、笑わせるな。

 心を改め、真っ当な道を歩むには、貴様らの手足は血に汚れ過ぎているではないか――。

 

 

「クズはクズ。人道を踏み外した外道などに人の正しき法が適用される筈もない……あるのは苦痛、そして死という罰のみ」

 

「随分と、外道魔術師(われわれ)を憎んでいるのだな。

 幹部陣が貴様を狙う理由は私も理解しているが、貴様自身についてはほとんど知らん……以前に、それ程のモノ(にくしみ)を抱くだけの凶事にでも見舞われたか?」

 

「答える義理は――ない」

 

 

 空いた右手を虚空に伸ばし、歪みより1本の矢を取り出して、それを弓に番える。

 水銀弾を触媒に作成されたその矢は、元々は対獣化者用に生み出された代物。

 ヤーナムの地では何故か実現できなかったが、射手次第では下手な鉄板や石壁ならば、容易く貫くだけの威力を発揮できる。

 

 まずは一射。

 人域を超えた狩人の腕力で引き絞られた弓弦から矢が放たれ、虚空に浮かぶ剣を射ち落とす――いや、射ち砕いた。

 

 

「なに……っ!?」

 

 

 実戦用に用意し、これまで幾度の戦いにおいても砕け散ることのなかったレイクの剣が、その一瞬の内に砕かれた。

 対魔術用に【トライ・レジスト】を施したその剣群は、使い手の力量もあって並大抵の魔術師ですら壊すことはできない。

 では、どうしてあの剣を砕いたのか。あの矢には、かの大魔術師セリカ=アルフォネアと同じ物質破壊の能力が備わっているとでもいうのか?

 

 

(いや、違う! これは、もっと単純な……)

 

 

 魔術による物質破壊でも何でもない。

 そう。あの男は、ただの射撃()()でレイクの剣を射ち砕いたのだ。

 この世で最も単純な理――腕力(ちから)からくる単純な破壊力を以て。

 

 

「っ――何とデタラメな……!」

 

「――小僧」

 

 

 続いて第二射、三射を射ち放ちながら後ろのグレンに小声で呼び掛ける。

 戦闘中にしては随分余裕があると素人ならばそう思うだろうが、グレンは全く逆のことを考えていた。

 確かに彼は、あの宙に浮く剣群を射貫き、砕くことができるのだろう。

 だがそれを可能とするからこそ、レイクの意識はギルバートに集中し、それ以外の行動を制限されている状態にある。

 

 相手がジンのように幾分か慢心していれば良かったのだが、良くも悪くもこのレイクという男は戦いに慣れ、しかしその恐ろしさを忘れていない。

 僅かな余裕を相手に与えれば、その僅かを使って確実に自分を仕留めにくることを理解している。

 故に集中攻撃に移ったのだろうか、今のレイクの攻撃全てはギルバートにのみ注がれている。

 

 だからこそ、ギルバートはグレンに呼び掛けたのだろう。

 確実に仕留めるには時間がかかる。ならば、奴の意識の範囲外にいるグレンたちを使う必要があると。

 システィーナはまだ生徒だ。ならば、魔術師としてはともかく、かつて魔導士として幾度もの戦いを経験したであろうグレンを用いた方が良い。

 何よりグレンには、()()がある。

 

 

「何を――する気か!」

 

「……っ」

 

 

 3本の自動剣がギルバートへと向かい、残る1本の手動剣がグレンへと向かう。

 敵の状態、考え方を読み間違えたらしく、レイクにはまだ他に意識を向けるだけの余裕があったらしい。

 声が聞こえた筈はない。口元もマスクで覆っているので、唇の動きを見ることも叶わない。

 

 ならば僅かな動きからそれを察したのか。何であれ、伊達にこのテロの実行メンバーとして選ばれたわけではないらしい。

 

 

「チッ……!」

 

 

 番えた矢を次々と放ち、自動剣のうち二振りを射ち砕く。

 だが最後に残った自動剣を砕くには間に合わず、右の肩に深々と自動剣の刃が突き刺さる。

 激痛が走り、番えていた矢が手から滑るように落ちていく。

 攻撃ではなく回避を取るべきだったと悔むが、時間を巻き戻し、再びやり直すことなど不可能だ。

 

 ならば次にできることを考えるべきだ。

 輸血して回復か? それとも後は銃のみで片付けるか? それとも――

 

 

「――小僧(グレン=レーダス)ッ!!」

 

 

 右肩に剣を突き刺した状態のまま、グレンの名を呼んでレイクへと突撃する。

 突然の叫声に思わず驚愕を示したレイクだが、彼が何か企んでいることはすぐに察せられた。

 ならば、その企みが実現する前に仕留めればいい――!

 

 剣は既に無く、だが己にはまだ魔術がある。

 何よりも速く、そして確実に仕留め、長年に渡り組織が――そして己が追い求めた『遥かなる宙の智慧』を、この手に!

 

 

「――!」

 

 

 だがその時になって、彼はようやく気付いた。

 ギルバートの後方。そこに見える1人の非常勤講師。

 体に己が操っていた手動剣の一振りを突き刺し、シャツを血で染めながらも右手に持った魔導器(タロットカード)を掲げ、不敵に笑むグレンの姿。

 

 何ということだ。先程は警戒しておきながら、眼前の(ギルバート)に惑わされ、状況把握を怠るなど。

 『愚者の世界』で魔術を封じられたレイクの体躯を、左手の曲剣『シモンの弓剣』で床に縫い付けるように突き刺した。

 そして右手に持った()を口元に当て、その中に空気を吹き込み、甲高い音色を奏で鳴らした。

 

 

「貴、様……何を……!」

 

「言った筈だ。答える義理は……ない」

 

 

 笛の音が廊下に響き、その音色を頼りに出現する怪異。

 レイクを縫い付けた床が瞬く間に変貌し、現れ出でたのは巨大な()

 人間のものではない、如何なる生物さえも丸呑みにしてしまえそうな程に巨大な――巨大な()()()()

 

 

「……っ!」

 

「――諸共に喰らえ」

 

『――!』

 

 

 バクンッ――!

 文字通り口が裂けんばかりに開かれた大蛇の顎が、一瞬の内に閉じられ、2人を呑み込んだ。

 咀嚼音も何も立てず、巨大な毒蛇は2人を呑み込むとまるで何もなかったかのように消失し、残されたのはグレンとシスティーナの2人だけ。

 一体何が起きたのか。驚愕のあまり、理解が追いつかないシスティーナではあったが、彼女の意識を現実に呼び戻したのは、満身創痍のグレンの呼吸音だった。

 

 

「先生!」

 

 

 グレンの元へ駆け寄り、体の状態を見て彼女は絶句した。

 体に刻まれた切り傷。そこから溢れ出る鮮血。

 脇腹辺りの傷は特にひどく、おそらくは先程彼を貫いた剣を引き抜いてできた場所なのだろう。

 

 

「はぁ……はぁ……よ、よぉ、白猫。

 無事……だったか?」

 

「はっ、はい。私は……それよりも先生の方です!

 こんな傷じゃ……!」

 

「そりゃ……そうだろうよ。

 ったく、あいつ……相変わらずの、デタラメ……ぶ、り」

 

 

 出血の量が予想を上回っていたらしく、グレンの意識が朦朧とし始める。

 既にシスティーナの声も聞こえづらくなっていて、視界を黒が塗り潰していくのが分かる。

 

 

(ここで……終わり、かよ……)

 

 

 その言葉を胸の内にて呟き、グレン=レーダスの意識は闇の中に沈んでいった――。

 

 

 

 

 

 

「――っ、ん……?」

 

 

 目覚めた時、グレンを始めに迎えたのは見慣れぬ天井だった。

 鼻をつく薬品の臭い。清潔感溢れる白の室内。

 それらだけで、今いる場所がどこなのか察しがついた――医務室だ。

 

 

「俺、何で、ここに……?」

 

「――目覚めたか」

 

 

 突然の声に体が反応し、ほぼ反射的にそちらの方を向くと、そこに居たのは黒衣の狩人。

 2年前と全く――いや、顔に包帯を巻き、さらに表情が見え辛くなったが、それ以外はかつてと何ら変わらない。

 

 

「お前……」

 

「……そこの小娘に感謝するのだな」

 

 

 顎を軽く動かし、その動きで指し示した先に居たのは、ベッドにもたれ掛かり、深いに眠りについているシスティーナの姿。

 見れば自分の体の至る所に包帯が巻かれている。

 消毒液の臭いも、よく嗅いでみれば自分の体から発せられているものだった。

 

 

「俺も僅かばかり手伝いはしたが、その他は全てその小娘がやった。

 お前がそこまで回復したのも、その娘が回復魔術で懸命に治療していたが故のものだ……」

 

「……白猫が」

 

 

 眠る銀髪の少女の姿に、グレンは困ったような、それでいてほんの少し嬉しげな笑みを浮かべ、小さな息を吐く。

 

 

「……そう言えばお前、何で生きてんだ?

 いや、可能性がゼロってわけじゃあないのは分かってたんだが」

 

「……」

 

 

 沈黙。

 確かに口に出して言うべきことじゃないだろう。

 何せ1度喰われているのだ。丸呑みだ。下手すれば胃袋へ直行なのだ。

 あのレイクという魔術師に関してはこの際置いておくとして、あの蛇の顎からこの殺人鬼が脱出できたのは何故か納得できてしまう。

 

 いや、それとも逆に別の方法で脱出したのだろうか。

 例えば上の口からではなく、下の方から――

 

 

「……話はそこの小娘から聞いた。

 この学院の生徒、その1人が連れていかれたのだな?」

 

「……ああ」

 

「助けに行く気か?」

 

「それ以外に何がある?」

 

「いや、何も……」

 

 

 壁に寄りかかり、興味なさげな声音で答えるギルバートに、グレンはほんの少しだけ苛立ちを覚えていた。

 分かっている。この男は自分の目的以外のことには全く興味を示さないことを。

 それは彼の信条にも表れていて、必要とあれば誰であろうと殺すが、逆に必要でなければ殺さず。

 

 攫われた生徒の存在を知った上で、この男はなおも己の姿勢を崩さずにいる。

 まるで俺には関係のないことだと言うかのように。

 

 

「だが、そうか……それならば丁度いい」

 

「何がだよ?」

 

「小僧、俺も一緒に同行させろ。

 ……言っておくが、拒否はさせんぞ」

 

「はぁ……?」

 

 

 何故に自分と一緒に行動すると言っているのか、グレンにはその理由がさっぱり分からなかった。

 そもそも、何でこの男が学院内に侵入できているのか。

 学院内には、超一流の魔術師でさえ解除することが困難である結界が張られている。

 あのテロリストたちは、結界内に入るための割符を所有しており、一味のうち、グレンを襲った1人から奪うことでグレンも結界内に入ることができたのだ。

 

 割符はおそらく、あのテロリストたち3人分しか用意されていないはず。

 結界の解除はまずあり得ないとして、となれば別の方法で結界内に侵入したか、あるいは――結界の展開以前から学院内に潜んでいたか。

 そんなことを考えているうちに、ギルバートは準備を進めており、手には既に愛用の『ノコギリ鉈』と短銃が握られていた。

 

 

「俺はこの学院に侵入した外道魔術師共、そしてその協力者に用がある。

 そしてお前は、奴らに攫われた生徒を助けたい……目的は違えど、そこに至るまでの道は同じだ」

 

「つまり何だ。互いの目的達成の間、協力しろと?」

 

「そうだ」

 

 

 ギルバートの言葉に、少なくとも偽りはない。

 これまでの彼の殺人、その特徴から考えるに彼は本当に『天の智慧研究会』のみを標的に定め、学院に侵入したのだろう。

 何を目的に外道魔術師狩りなどしているのかまでは知らない。

 だが、少なくともこの状況においては、彼が裏切ることはない。これだけははっきりと言える。

 

 

「……1つ、条件がある」

 

「……何だ?」

 

「ルミア……攫われた俺の生徒だけは、絶対に死なせるな。

 例えその娘の殺害が、お前にとって必要になってもだ」

 

 

 ギルバートを睨みつけるグレンの双眸は、かつて凄腕の『魔術師殺し』として名を馳せた頃のものと同じ。

 もし約定を違えれば、お前を殺す――その意思が、ただの視線だけで嫌というほど伝わってきた。

 かつて正義を為すがため、その手を血で汚した宮廷魔導士グレン=レーダス。

 殺意にさえ頼ってまで、彼が提示した条件に対し、ギルバートの出した答えは……

 

 

「――良いだろう。

 この件の間のみ、俺は何があろうとお前の教え子を死なせはしない」

 

 

 ――狩人の誇りに懸けて。

 

 そしてグレンの条件を承諾したのと、彼のポケットに仕舞われていた宝石の通信魔導器が鳴ったのは、ほぼ同時のことだった。

 

 

 

 

 

 

 武装を固め、館内から外へ飛び出し、校内敷地を全力疾走するグレンとギルバート。

 疾走中、医務室内でのセリカとの会話から浮かんだある可能性。

 それを基に考えを巡らした結果、グレンは敵方のシナリオを考察してみた。

 

 下手人――裏切り者は昨日から、この学院に潜んでいた。

 セリカや学院長ら講師・教授陣が転送法陣を用いて帝都に出発した後、無人となった夜の校舎で学院の結界を改変し、仲間のみが侵入できるよう割符を作成。それをレイク、ジン、市街でグレンを襲ったキャレルの3人に配った。

 そして当時の計画を確実に成功させるべく行動し、今日あの2人を使ってルミアを運ばせた。

 

 無論、市街の1人も含めて、味方3人がやられたことは既に気付いているだろう。

 その上でグレンを襲わなかったのは、何もギルバートという第2のイレギュラーが居たからではない。

 手を離せなかったのだ。転送法陣の行き先、その改変に時間を要し、今まで動けなかっただけなのだ。

 

 そして今――。

 

 

「――ヌゥンッ!」

 

 

 爆発にも似た轟音を轟かせて、巨人(ゴーレム)の頭部を粉砕する。

 やはりと言うべきか、目的の白亜塔こと転送法陣安置所『転送塔』へ続く道には、無数の護衛(ゴーレム)が徘徊していた。

 言うまでもなく、ゴーレムたちは設定を弄られ、敵方の味方となっている。

 

 グレンとギルバートの2人を視認したゴーレムたちは、1体の例外なく彼らへ向けて足を進め、その巨大な拳と足で押し潰しに掛かった。

 1体1体を相手していては時間がないが、かといって無理矢理押し通るのもまた困難。

 考えた末、両者はゴーレムたちを破壊しつつ、先へと進む方法を選び取った。

 

 壁となる個体のみを破壊し、ただ前へと進み続ける。

 1人ならばまず不可能だったが、2人ならば――。

 

 

『――!』

 

 

 振り上げられた巨人の拳。

 硬い岩石そのものでもある一振りを前に、空中を舞うギルバートは回避に移るわけでもなく、左手に装備した大型銃火器の砲口を向けて。

 

 ――ドォンッ!!

 

 ()()

 普段扱う短銃や散弾銃を大きく超えるその威力。

 狩人の筋力を以てしても扱うことが困難とされるその銃器の名は『大砲』。

 設置型砲台をそのまま手持ち銃としたような代物で、その見掛けに違わぬ馬鹿げた重量、反動、何より1発ごとに消費する水銀弾の消費量から実用化前に破棄されてしまった物なのだ。

 

 ギルバート自身、この銃器に頼った回数は他の銃器と比べて遥かに少ない。

 が、こういった大型の、特に頑強な肉体を誇る敵相手には相性抜群。

 堅牢な岩の体躯は砲撃によって破壊され、剛腕の一振りも反動を利用することによって回避。

 

 そして反動によって後方に吹き飛ぶ最中、右手に取り付けた武器の仕掛けを起動させ、発射形態へ。

 後方に見えるもう1体のゴーレム。

 反動による吹き飛びもそろそろ減速し始めた頃、ギルバートも体勢を整えてゴーレムの顔面に着地。

 同時に――()()()()

 

 

『――!?』

 

 

 ガツンッ!――と、突如打ち込まれた強烈な一撃によってゴーレムの顔面に亀裂が生じ、直後に爆発。

 頭脳を失ったゴーレムの体躯はそのまま前のめりに倒れ込み、程なくして元の石片へと戻る。

 

 

「ホンっと無茶苦茶だな、あいつは!」

 

 

 ゴーレムの注意を引きつけ、破壊し続けているギルバートの姿を見て、グレンは呆れたようにそう叫んだ。

 元々化け物染みた身体能力の持ち主であることは分かっていたが、まさか大砲を拳銃さながらに用いるなどとは露ほども思わなかった。

 それに右手の武器――『パイルハンマー』なる武具もこれまた奇怪な代物で、おそらくこういったゴーレムたちでなければ活躍の場はなかっただろう。

 

 

『――!』

 

「ちっ! 《紅蓮の獅子よ・憤怒のままに・吼え狂え》――!」

 

 

 呪文詠唱。

 可能な限り高速で詠唱し、発動したのは炎の球。

 それを突き出した左手の掌から放ち、剛腕を伸ばすゴーレムへと――着弾。

 

 直後轟く爆音。ガラガラと鳴る崩壊音。

 魔術と砲撃が飛び交い、強烈な杭打ち等によって生じるゴーレムたちの崩壊の音。

 立ち塞がる敵を悉く粉砕し、遂に辿り着いた白亜塔を2人は上り進み、そこへと至る。

 

 

「ここか……」

 

 

 塞がり掛けていた傷口は見事に全て開いてしまい、衣服の所々に血が滲んでいるものの、グレンはそれを無視して眼前の扉――塔の最上階にある大広間へと続く扉の取っ手に手と掛けようとして――

 

 

「――退いていろ」

 

「あ? ――って、おぉ!?」

 

 

 いつの間に準備を終えていたのか、再び発射形態に移行させていた杭打機を後ろに引き、殴打の如く前へと突き出して、ソレを射出。

 轟音を上げて扉は見事に粉砕され、砲撃でも喰らったかのように2人の前に大穴が開いた。

 

 

「ふむ……」

 

「ふむ、じゃねぇ! 危ねぇだろうが、この馬鹿!」

 

「扉裏に敵が居ても面倒だ。待ち伏せを警戒しての先手であったが……」

 

 

 どうやら今の攻撃で、敵方がやられた可能性はゼロだろう。

 それならば悲鳴なり何なりと上げる筈だ。だが今回、それはなかった。

 その代わりとして、暗闇の中に人影が1つ確認できた。

 小柄……というよりも座り込んでいるのか、体躯の大きさから正体を察するのは意外と難しい。

 

 だがこんな無防備な状態で居るとなると、考えられる人物は1人。

 

 

「……小僧。見つけたぞ」

 

 

 松明――だと片手が塞がるのでランタンを灯し、それを腰に付けて辺りを淡く照らすと、ようやく人影の正体が判明した。

 

 

「だ、誰……? 貴方は……?」

 

「……ルミア? そこに居るの、ルミアか!」

 

「先生……!? その声、グレン先生なんですか!?」

 

 

 暗闇の中に見えたのは1人の少女。

 綿毛のように柔らかそうな金髪に、青玉(サファイア)を思わせる大きな瞳。

 ウサギの耳のようにピョンと突き出たリボンの存在もあってか、その少女が件の生徒――ルミアであると理解するのにそう時間は掛からなかった。

 

 

「よかった……先生、無事だったんですね!」

 

「はっ……これが無事に見えるなら、病院行け……」

 

 

 ルミアを見つけたことに安堵したからか、気が抜けてそれまで我慢していた疲労や痛みが彼を襲う。

 だがまだだ。まだ終わりではない。

 この暗闇に潜む最後の敵。

 裏切り者を倒すまで、この一件に終わりはない。

 

 やがてグレンの目も闇に慣れ、周囲を見回し始めると彼の視界にルミアとは異なる、別の誰かの姿が映った。

 

 

「そうか。お前が……」

 

「……ヒューイ=ルイセン」

 

「え……?」

 

 

 不意にギルバートの口から漏れたその名に、グレンは思わず耳を疑った。

 ヒューイ=ルイセン――それはグレンが非常勤講師としてこの学院にやって来る前の、ルミアやシスティーナたちが属する2年2組の担当講師だった男の名。

 何故にその名をギルバートが知っているのかは分からないが、その名を耳にしてようやく今回の一件、その最後の欠片(ピース)が揃った。

 

 

「……そういうことかよ。行方不明になったって聞いちゃいたが、そういう理由があったのか」

 

「ええ、そういうことです。

 そして今さらですが、初めまして。僕の後任のグレン=レーダス先生。……そして」

 

 

 涼やかな顔立ちの青年、ヒューイは視線をグレンからその隣にいた黒装束ことギルバートに移し、やはり柔らかな笑みを湛えたまま、その口を開いた。

 

 

「貴方が……噂に聞く『血塗れの殺人鬼』ですか。

 そしてどうやら、僕の推察は間違いではなかったようだ」

 

「……なに?」

 

「推察だろうが何だろうが関係ねぇ!」

 

 

 持っていた愚者のアルカナを手に取り、組み込まれていた魔術式を読み取り、起動。

 固有魔術(オリジナル)『愚者の世界』。

 発動前ならばあらゆる魔術を封殺し、魔術戦を不可とさせるグレンを『魔術師殺し』たらしめた由縁の代物。

 起動済みの魔術は確認できず、つまり今のヒューイは完全な無防備状態。

 後は煮るなり焼くなり、こちらの好きにできるというものだ。

 

 ――だが。

 

 

「――僕の勝ちです」

 

 

 勝利を確信した笑みを浮かべ、ヒューイがそう言った直後に変化が起きた。

 ルミアを中心に描かれた大型魔法陣。

 そしてヒューイを中心に小型魔法陣。

 それらが1本の線型魔法陣によって繋がれ、いよいよその効果を発揮せんと起動したのだ。

 

 

「白魔儀【サクリファイス】――換魂の儀式だと!?」

 

「換魂……物騒な名前だな」

 

「ええ、違いありません。

 ですがこれで、ルミアさんは法陣の力で以て、組織の元へ送り届けられるでしょう。

 それを切っ掛けに、僕の魂と直結させた()()()()も効果を発揮し……」

 

 

 変わらぬ笑みを湛えたまま、仕上げとばかりにヒューイは言った。

 

 

()()()()()()()()()錬成した莫大な魔力で以て、この学院を爆破します」

 

「っ! それじゃあまるで――」

 

「そうです。僕は人間爆弾。そう調整されているのです」

 

 

 その言葉に抵抗感は感じられず、さもそれが当たり前のように紡ぐヒューイの姿に、グレンは戦慄を禁じ得なかった。

 何故、こうも淡々と口にできるものなのか。自らの魂さえも弄られ、挙句爆弾として使われ、その生を終えるなど……

 

 

「……イカレてやがる。お前らやっぱり、超弩級のイカレ集団だよ……!」

 

「それは否定しません。ですがグレン先生、僕とのんびり言葉を交わしていても良いのですか?

 残念ながら、カウントダウンはもう始まっています。

 ルミアさんの転送法陣を解呪しなければ、僕の自爆法陣も解けませんよ?」

 

「……っ」

 

 

 そうだ。幾らこの男を責めても、起動した魔法陣が停止することはない。

 ルミアの転送と、学院爆破の阻止。

 それを可能にするには、この魔法陣を解呪するしかない。

 

 

「……おい、黒尽くめ」

 

「ああ。……解呪とやらは任せたぞ」

 

 

 ヒューイが怪しい動きをしないよう、見張り役をギルバートに頼むとグレンはすぐさま行動に移る。

 既に【愚者の世界】の効力は尽き、魔術の発動が可能状態にある。

 まずは右の手首を噛み千切り、ルミアの足元にある転送法陣へと向かい、そこに血を垂らす。

 

 

「迷いはありませんか、流石です。では……こちらはこちらで、お話でもしましょうか」

 

 

 張り付けたような笑みはそのままに、体の向きごとヒューイの顔がギルバートへと向けられる。

 いや、心なしか口角の吊り具合が下がっているように見える。

 己を道化と偽るのをやめて、ごく真剣に――ヒューイ=ルイセンという1人の人間として話をしようとしているのか。

 

 それを本人が気付いているのかどうかはさて置き、ギルバートも断ることなく、彼の提案に首肯を以て応じた。

 

 

「正直なところ、意外でした。

 まさかグレン先生のみならず、貴方まで僕の改変した結界を抜け、この学院に侵入して来ようとは。

 ……いえ、違いますね。貴方はそもそも、侵入さえしていなかった」

 

「……何故そう言える?」

 

「簡単です。貴方は確かに優れた暗殺者なのでしょう。

 ですが、魔術師ではない。それはこれまでの貴方の犯行、その手口から容易に察せられる」

 

 

 その通りだった。ギルバートは魔術師ではない。狩人だ。

 世間では殺人鬼だの何だのと言われてこそいるが、彼の殺人はある目的と信念の下に行われている。

 故にその信念――人の生を食い物とする狂人共の一掃を行ううちに殺人回数は増えていき、その手口を晒す結果となった。

 

 別に魔術が使えないことを知られても、大した不利にはならないと考えていたのだが、まさかここで効果を発揮するとは思わなかった。

 

 

「魔術師ですらない貴方が、改変した学院の結界を抜けることは不可能だ。

 そしてグレン先生のように、僕の仲間から割符を奪い、侵入する手段も取れない。

 その時には既に、残りの2人は学院に入り、割符もそこで効果を失っていますので」

 

「……つまり何だ。貴様、何が言いたい?」

 

「単刀直入に聞きます。殺人鬼さん。貴方――最初からこの学院に居ましたね?」

 

「……」

 

 

 ヒューイの言葉に、ギルバートは沈黙を以て応じた。

 答えたくない、というのもそうだが、この沈黙の内側に込められた意思こそが、ヒューイに対する彼なりの答えだったのだ。

 大方正体に気付いているからこそ、今のような問いが出て来たのだろう。

 だが、その先を紡ぐとなれば相応の覚悟をして貰わなければならない。

 

 誰にでも秘密はあり、秘密とは甘いものだ。

 だからこそ、必要なのだ。愚かな好奇を忘れさせるだけの恐怖――死が。

 

 

「色々聞きたいことはありますが、これだけはどうしても貴方の口から聞いておきたい。

 貴方は……何故、この学院に居たのですか? 僕と同じような理由があって留まったのか、それとも己が意思でここに居続けたのか」

 

「それを聞いて……貴様はどうする気だ?」

 

「分かりません。ただ、何となく聞いておきたかった。

 貴方のような人物が、何故にこのような学院に居続けたのか」

 

 

 僅かに顔を上げ、天井を見つめるヒューイの顔にはどこか悲愴の色が滲んでいる。

 だが、だからと言って彼の行いを許すことはできない。許される理由もない。

 故に、彼らはこう答えた。これまでと同じように、己が狂人狩りの狩人である証左、その1つを。

 

 

「……俺は、俺の目的のためにのみ行動する。

 そのためならば、如何なるものさえも利用する……それだけだ」

 

「そう、ですか……それが貴方の答えなのですね」

 

 

 ――何て、強い意思だ。

 

 ヒューイの紡いだその言葉は、これまでのどれよりも脆く、しかし確かなる自己を感じさせるものだった。

 そして丁度同じ時、グレンたちの方から尋常ならざる“光”が発せられた。

 溢れ出る輝光。生命の輝き、その具現と言っても過言ではないその光は、だがただの魔術によるものではないとその場の誰もが理解していた。

 

 そしてその光の大元たるは――それまで拘束されていた筈のルミアだった。

 

 

「これは……!」

 

「異能者――『感応増幅者』ですか……!」

 

「ぉ――おおおおおおおおおッ!!」

 

 

 文字通り増大した魔力によって、飛び掛けていた意識も、折れかけていた心も復活し、グレンの解呪作業が再開される。

 滑るように描かれる血の解呪術式。

 第4階層、解呪成功。

 いよいよ解呪も大詰めだが、転送も間もなく行われようとしている。

 

 

「先生……!」

 

「間に合え――間に合え、間に合え、間に合え!」

 

 

 自らの命すら懸けて、最後の仕上げといくグレン。

 転送術式発動まで、あと8秒。

 7秒、6秒、5秒――。

 

 

「間に合えーーーッ!!」

 

 

 4秒、3秒――。

 血文字の最後の言葉(ラストワード)を描き終えて、高らかにグレンは叫ぶ――!

 

 

「《終えよ天鎖・静寂の基底・理の頸木は此処に解放すべし》――ッ!」

 

 

 瞬間――全てが光に包まれた。

 音という音は消え、塔を起点に光が周囲へと広がり、そして拡散。

 増幅された魔力による解呪は、法陣起動の停止にのみ留まらず、徘徊していたゴーレムたちさえも無力化し、停止。

 

 後に残ったのは力を失い、ただの紋様と成り果てた魔法陣。

 そしてグレン、ギルバート、ヒューイ。

 最後にグレンによる決死の転送阻止により、転送を免れた――ルミア。

 

 

「……僕の、負けですか」

 

 

 訪れた沈黙を先に破ったのは、ヒューイの声だった。

 計画は阻まれ、己が存在意義さえも奪われたというのに、何故かその声に怒りや憎しみの類は感じられない。

 あるのは悲愴。痛々しいほどに感じられる、深い悲しみと……仄かな喜びのみ。

 

 

「不思議ですね。計画は頓挫し、自身の役割さえ果たせなかったというのに……どこかほっとしている自分がいる」

 

 

 決死の解呪により、グレンはもはや意識を失っている。

 その気になれば、今からでもグレンを始末することはできなくもない。

 だが――それをさせてくるほど、()も甘くは無かった。

 

 カチャリ――と首元に鋭い刃が当てられる。

 先程彼が手にしていた杭打機とはまた異なるソレは、寒気がするほど鋭利で、だが何故か恐怖を感じさせない曲剣だった。

 背後から注がれる彼、ギルバートの視線には並ならぬ殺気が込められているのが分かる。

 そしてその内に隠された、ほんの僅かな哀れみも――。

 

 

「……終わりだ」

 

「そう、ですね……」

 

「……場所を変えるか?」

 

「ええ……そうさせて下さい」

 

 

 どこまでも冷たい刃の感触、それを感じながらヒューイは彼に身を委ね、直後に襲ってきた衝撃に意識を刈り取られた。

 瞬時に前へ回ったギルバートが、彼の腹部に拳撃を見舞ったのだ。

 殺してはいない。ほんの僅かな間、眠って貰うだけだ。

 

 意識を失ったヒューイの体を脇に抱え、塔から出て行こうとするギルバート。

 だがその後ろ姿に、1つの声が掛けられた。

 

 

「あ――あの!」

 

「……?」

 

 

 歩みを止め、振り返ったその先に居るのはルミアと、彼女に膝枕される形で眠りに就いているグレンの2人。

 既に少女の顔に恐怖はなく、ただあるのは淡く、眩ささえ感じられる少女らしい柔らかな笑顔。

 

 

「あの……ありがとうございました」

 

「……ああ」

 

 

 ――どういたしまして。

 

 誰にも聞こえないような小声での呟きを最後に、狩人ギルバートは彼らの視界、そして現実からその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 ――目覚めた時、そこには『白』が広がっていた。

 

 暗闇より意識を取り戻したヒューイ=ルイセン。

 その彼を最初に迎えたのは、どこまでも白く、汚れを知らない花畑であった。

 かなりの時間が経過したのか、空は群青寄りの夜空と化していて、だが何故かその夜空の色に安堵を覚える自分がいた。

 

 

「――目覚めたか」

 

 

 花畑の最奥、巨大な大樹の根元に座す1人の男。

 年季の入った車椅子に腰掛け、ヒューイを見つめるのはかの殺人鬼――狩人ギルバート。

 既にその目には、意識を失う前にあった殺気はなく、代わりに存在するのはどこまでも深い、例えるならば深海を思わせる哀れみのみ。

 

 

「……始めるか?」

 

「……ええ。お願いします」

 

 

 ヒューイの言葉に、ギルバートは腰掛けていた車椅子から立ち上がり、虚空より2つの道具を取り出した。

 1つは、解呪の一件、その最後にヒューイの首元に当てられたあの曲剣。

 そしてもう1つは、およそ武具とは思えない木製の長杖。

 それら2つを組み合わせ、出来上がったのは大振りの鎌。

 身を包む黒衣の存在もあってか、今のギルバートはさながらヒューイの命を刈り(狩り)にきた死神だ。

 

 その鎌の刃が首元に当てられる。

 これが最期の時。そう告げるような彼の行いは、ある者には恐怖を与え、またある者には安堵を与えるのだろう。

 そして今、ヒューイが感じているモノは……後者だ。

 

 

「言い残す言葉は?」

 

「……最後に1つ、聞かせて頂けませんか?」

 

「何だ?」

 

 

 末期の言葉であるのなら、せめて最後に聞いておきたかった。

 これまでの自分の生、行い、その全てを懸けた問いを今、ヒューイはギルバートへと掛けた。

 

 

「僕は一体、どうすれば良かったのでしょうか?

 組織の言いなりになって死ぬべきだったのか、それとも組織に逆らい、教師としての道を選んだ上で死ぬべきだったのか。

 どちらが正しく、どちらが間違っていたのか……それは今となっても分からないんです」

 

「……1つ、決定的な間違いがある」

 

「それは……?」

 

「何故、死を決定付けている?

 言いなりとしての身を続けても、叛逆の道を取ろうとも、それでは結局一緒だ。何の解決にもなっていない」

 

「でも……組織からは、逃げられ――」

 

「言っただろう。決定付けるなと。

 例え地の果てまで追い続けて来ようとも、生を忘れず、諦めない限り、機会は必ず巡って来る。

 お前はただ、それを求めようとさえしなかっただけだ」

 

「求める……生を諦めない、ですか……」

 

「そうだ。……だがお前は、もっと早くその疑問を抱くべきだったな」

 

 

 その言葉は、これまでのどの言葉よりも深く心に突き立ち、同時に心身共に染み渡る、不思議な心地の言葉でもあった。

 だが、犯した罪を無にすることはできない。

 罪には罰を。犯した罪に見合うだけの、相応の罰を与えねばならない。

 

 

「人は夜に眠り、朝に目覚める。

 お前は死を以て、今生という夢を忘れ、次なる朝に目覚めるだろう」

 

 

 手にした大鎌を後ろに引き、体を捻り、構えを取る。

 掲げられた鎌刃が月光を浴びて妖しく輝く。

 命を刈り取る瞬間であるからこそ、その刃は一層の輝きを放つものなのだろうか。

 

 

「さようなら――()()()()()()

 

「ええ。さようなら――()()()()()()()

 

 

 ――一閃。

 

 月光を浴びた鎌刃が、ヒューイの首を刈り取る。

 不思議と血が噴き出すことはなく、白い花畑は変わらぬ姿を保ったままだ。

 かつて幾度かの夜の末。その1つにあった、目覚めの時。

 夢に疲れ果て、それでもなお後の狩人たちを夢に捕えさせまいとした、1人の古狩人の悲しい自己犠牲。

 

 あの時とは逆の立場。自らがその命を断ち、生という悪夢から解き放つ。

 来世はきっと、良き目覚めとなるように――。

 

 その思いを胸に、ギルバートの葬送の儀は此処に終わった。

 

 


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