ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

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 久しぶりの2日間連続投稿。
 感想たくさんもらって張り切っちゃったみたいです。
 今回でようやく5巻の内容は終了となります。
 それではどうぞ。


第28夜 誓い、そして蠢く悪意

 その日――悪夢のような事件は終わった。

 

 一年余り前、帝都に引き起こされた大殺戮。

 恐るべき魔薬により、犠牲者がさらなる犠牲者を呼ぶ負の連鎖の極致。此度のフェジテの大事件は、奇しくも同じ犯人によるかの事件の再現ともなった。

 

 ジャティス=ロウファン――元・帝国魔導士団特務分室、執行官ナンバー11《正義》の男。

 己が狂信の果て、悪名高き魔薬『天使の塵』(エンジェル・ダスト)を用いて、その餌食となった死者数は100を超え、負傷者も含めれば恐らくその2倍どころの話ではない。

 システィーナの婚姻相手であったレオス=クライトスもまた、その犠牲者の中の1人であった。

 彼の場合は、彼の属する御家『クライトス家』の名誉を守るため、都合のいい理由を捏造され、どうにか家名失墜は免れたものの、それで救われるのはクライトスの血に連なる者たちであり、彼本人の命が戻ることはない。

 

 そしてもう1つ、今回の『天使の塵』事件と並び、帝国の大きな話題となった事件があった。

 それは――

 

 

 

 

 

 

「――ふわあああぁ……」

 

 

 長大な廊下を歩きながら、他者の目も気にせずギルバートは大口を開けて欠伸を漏らした。

 昨日の逃走劇、ジャティスとアルフレートとの戦闘、そして特殊個体の『恐ろしい獣』を相手とした大規模狩猟という大事の連続もあって、肉体的にも精神的にもギルバートにかかった負担は大きかった。

 傷や状態異常に関しては、輸血やヤーナムの薬を用いればどうとでもなるのだが、如何せん疲労までは掻き消せず、こうして間抜けな姿を晒しているわけだ。

 

 

「ギルバート先生、おはようございまーす!」

 

「ん、ああ……おはよう」

 

 

 すれ違い様に挨拶をしてきた生徒に、ギルバートも眠そうな顔を擦りつつ、薄っすらと笑って返す。

 昨日の大事件を知らぬ筈もだろうが、直接関与していない者たちからすれば、やはり心中のどこかでは他人事でしかないのだろう。

 薄情と言うべきか、何と冷たいというべきか。だがどちらであれ、それも人間の形の1つであると自らを納得させ、廊下の先を進んで行くと、見知った顔と出くわした。

 

 

「おや、ハーレイ先生」

 

「……」

 

 

 グレンの受け持つ2組とすぐ隣の、1組担当の講師である彼とは、世辞にも人間的交友は上手くいっていない。

 というか、魔術師ですらない彼が学院に勤めていること、そして最近ではグレンの補佐として2組に付いていることが気に食わないのか、以前よりも一層不快そうな態度を示す機会が増えている。

 それはさておき、そんなハーレイは普段以上に顔を顰め、眉間に皺を寄せて小さく唸りを上げている。

 原因は探るまでもなく、その手元に握られている()()だろう。

 

 

「ハーレイ先生? ハーレイ先生?」

 

「……っ」

 

「ふむ。あー……ハゲ先生?」

 

「誰がハゲだ、誰が! 私はまだハゲてなど……む」

 

「ようやく気付いてくれましたね、ハーレイ先生」

 

「貴様……ギルバートか。フン……」

 

 

 烈火の如き怒貌を表わし、勢いよく顔を向けてきたハーレイに、ギルバートは苦笑いを浮かべて応じる。

 ハーレイもその先にいたのが、忌々しい隣クラスの副担任であると知ると、怒貌を引っ込め、何とも言えない表情を浮かべて小さく鼻を鳴らした。

 

 

「どうしたんですか、普段以上に難しい顔をされて? それに、歩きながら新聞を読むなんて、ハーレイ先生らしくないですよ?」

 

「フンッ、貴様は何も知らないのだな。だからそんな呑気なことを言っていられるのだ」

 

「……? それ、今朝の朝刊ですよね? 俺はまだ見ていないのですが、何か凄いことでも記載されてました?

 例えば……昨日の『天使の塵』事件とか」

 

「その話題も無視できないが、それ以上に()()()のが出た」

 

 

 これだ、と。手にしていた新聞を開き、ある一面をギルバートに見せつける。

 何が記されているのかと好奇心を震わせながら、ハーレイが見せて来た新聞の一面を見ると、直後にギルバートはその目を大きく見開いた。

 

 

 

 

 

 

『殺人鬼は救世主か!? フェジテにて起きたもう1つの事件!!』

『未確認巨大魔獣、学究都市内に突如出現!? 討伐者は『血塗れの殺人鬼』!!』

『1人ではなかった? 『血塗れの殺人鬼』に協力者多数!?』

 

 

 

 

 

 

 それは、今朝出た朝刊とはまた別の、所謂号外と呼ばれる印刷物だ。

 たまたま朝刊と近い時間に発行され、販売されたその記事は、全て昨日のフェジテで起きた『もう1つの事件』に関する内容で埋め尽くされていた。

 

 

(いや、あれだけの大騒ぎだったんだ。寧ろこうなるのも当然か……)

 

 

 事態が事態だったとはいえ、本来影に徹し、日向に出ることを極力避けてきた稀代の大悪党が、ここにおいて初めて光の下に姿を現わしたのだ。

 当然、それに食いつかない情報屋共ではないだろうし、それが街を救った偉業となれば、報道しない筈がなかった。

 おそらくこの報道は、近いうちにすぐ規制が入るだろう。魔術大国として名を知られているアルザーノ帝国内において、非魔力保有者の大量殺戮犯が英雄扱いされたとなれば、それは帝国の威信に関わることだ。ともすれば、魔術師たちの国内の地位が揺さぶられかねない事態となる。

 ハーレイが普段以上に顔を顰めていたのも、これが原因だったのだ。

 

 

「愚かしいことだ。常人よりも身体能力に優れ、戦術に秀でていたとはいえ、非魔術師――それも殺人鬼が英雄と扱われるなどとは」

 

「……そうですね。結果的には人命救助に繋がったとはいえ、犯罪者が喝采を浴びていい理由にはならない」

 

「ふむ? 珍しく意見が合ったな。まあ……確かに奴の行いは、貴様の言う通り市民の人命、延いてはこの歴史あるフェジテの街を救うに至った。だが、だからと言って、奴がこれまでに積み上げてきた帝国に対する悪影響を帳消しにできるわけではない」

 

「……ええ。理解していますとも」

 

 

 そう、如何に英雄的偉業を成したとはいえ、所詮彼は殺人鬼。

 世間における彼の立ち位置は闇の側にあるものであり、ある意味では『天の智慧研究会』と並ぶ裏世界の負の象徴だ。

 そんな人物が表立って行動を起こせば、善悪に関係なくその大業に多くの者が魅せられ、最悪彼の同調者(シンパサイザー)となりかねない。

 現にこれまで、そういった輩が出てこなかったわけではなく、だからこそ数ヶ月前の学院テロ未遂事件の後、ギルバートは犯人たちの首と血で警告し、己の人望をわざと下げたのだ。

 

 だがそれも、今回の一件で全て台無しとなってしまったが……

 

 

「貴様も浮かれないことだ。認めたくはないが、奴は世間では非魔術師、つまりは大部分の帝国国民にとっての希望となりかけている。

 魔力が無く、魔術が扱えずとも自分たちは戦えるなどと、そんなものは都合のいい幻想に過ぎない。

 女王陛下に仕える帝国国民の1人として、貴様も、今一度己の在り様を見直すべきだぞ」

 

「そうですね。……ええ、その通りですとも」

 

 

 態度はどこまでも尊大で、口調も性格も最悪ではあるが、彼も彼なりに自分を気遣ってくれているのだと知り、仄かに胸の内が温かくなるのを感じた。

 そしてその後、彼に対する申し訳なさが胸中を埋め尽くす。

 彼の言葉を、その思いやりを裏切るようで申し訳なかったが、己は帝国の民でも、それどころかまともな人間ですらないことを、未だ告げられていないことを。

 ギルバートはただ――只々申し訳なく思い続けた。

 

 

「ではな。そろそろ授業の時間だ。補佐とはいえ、貴様も遅れぬように気をつけろよ」

 

「はい。……貴重な御時間、ありがとうございました」

 

「む。……ま、まあ、持たざる者に施すことも、力ある者の義務であるからな」

 

 

 そう言って、今度こそハーレイは受け持ちの教室へと去って行った。

 その後ろ姿を見送ると、ギルバートはすぐに2組の教室へは向かわず、廊下の先を歩き続け、とある一室の前で足を止めた。

 閉ざされた扉を開くと、その先に見えたのは1人の女性の姿。

 ほんの少しだけ力を込めて触れれば、ただそれだけで壊れてしまいそうな、そんな儚げな印象を抱かせる女性はギルバートの姿を見ると、変わらぬ柔らかな笑みを浮かべ、彼に笑い掛けた。

 

 

「――おはようございます、ギルバート先生!」

 

「――ええ。おはようございます、セシリア先生」

 

 

 もう逃れることはできない。

 光からも、闇からも。舞台からその身を下ろすには、あまりにも多くを為し過ぎた。

 

 

(すみません、セシリア先生。……俺は――)

 

 

 心の内で小さな謝罪を紡ぐと共に、ギルバート――月香の狩人は、1つの決意をその胸に固めた。

 

 

 

 

 

 

 夜が訪れ、昼とは異なる賑わいが街に訪れた頃。

 フェジテの繁華街、その路地裏の1つを進んだ先にある複雑な裏街。

 栄えた都市ならば必ずはある闇の一面たるその裏街の、とある大屋敷。

 その偉容に反して、不思議と周囲に溶け込んでいる様子に知らぬ者が見れば、間違いなく首を傾げて絡繰りを探ろうとするだろうが、此度の来客にはそのつもりは微塵もなかった。

 

 

「……本当に、此処なのか?」

 

「ああ。シモンの話が正しければ、間違いなくこの屋敷だ」

 

 

 変装用に自分の狩装束を紳士風に手を加え、それをグレンに着させて連れてきたギルバートだが、当の本人は変装するつもりがないのか、普段の黒尽くめの狩人装束姿だ。

 コンコンと扉を軽く叩くと、間もなくして内側から扉が開かれ、その先にいる居住者たちが彼らを迎え入れた。

 

 

「よく来てくれた、我らが同士よ」

 

 

 まず最初に2人を歓迎したのは、四角い鉄兜で顔を覆った男、ヴァルトールだった。

 既に葡萄酒で満たされたグラスを手に持ち、両手を広げて歓迎する彼の姿は、良くも悪くも彼らしいものだった。

 そんな彼に続いて、屋敷内にいた他の狩人たちも続々と集まり、その姿を晒していく。

 

 マリア、アイリーン、ガスコイン、ヘンリック、デュラ、ルドウイーク、ヤマムラ、マダラスの弟——そしてゲールマン。

 かつての呪われた古都ヤーナムにおいて、その名を轟かせた古狩人たちが集う様は圧巻の一言に尽きたが、その中においてなおギルバートの存在感は褪せることなく、寧ろ彼らの中心としてそこに在った。

 

 

「さて同士よ、歓迎の祝杯の前に1つ……何故その彼を連れて来た?」

 

「この男には見届け人になってもらう。俺たち狩人の新たなる誓いの、な」

 

「そうかね……まあ知らぬ者よりかは、幾分かマシか」

 

 

 言うとヴァルトールはもう片方の手で空のグラスを掴むと、それをギルバートに渡し、他の狩人に葡萄酒を注がせる。

 狩人は酒では酔わない。血にこそ酔うもの。故にこの酒は、趣向のためのものではないことは、この場にいる全ての狩人が承知していた。

 

 

「――皆、今宵はよく集まってくれた」

 

 

 主だった9名、そしてギルバートを除く他の狩人たちも集ったのを確認すると、開式の言葉とばかりにギルバートは静かにそう言った。

 

 

「知っての通り、昨日の一件において、我々狩人の存在は完全に露呈してしまった。

 『ヤーナムの狩人』の名こそ知られてはいないものの、今朝の朝刊を見た者がこの中に1人でもいるのなら、此度の事態の重さは重々理解しているだろう」

 

「……」

 

 

 今まで隠されて来た秘密を、必要だったとはいえ自ら晒したようなものなのだ。

 きっと今この時でも、どこかで誰かが自分たちを探り、その秘密のさらに最奥を知らんと奔走しているに違いない。

 それだけ今回犯した失態は大きく、彼らの今後の行動を大きく縛る要因となってしまったのだ。

 

 

「だが――それも詮無きことだと、俺は思う」

 

「……?」

 

「……どういうことだ?」

 

 

 主要メンバーも含め、狩人たちの内に動揺が生まれる。

 影に徹し、闇の内で事を為すのがこれまでの彼らにとっての暗黙の了解だった。

 それを、誰よりも強く心がけ、実践してきた男が、その失敗を『仕方ない』と認めたのだ。

 

 

「幾ら影に徹そうとも、人の見聞に捉われぬことはない。『壁に耳あり、障子に目あり』とは、貴方の母国の言葉であったかな、ヤマムラ」

 

「……秘密はいずれ漏れるもの。ただ早遅の違いがあるだけよ」

 

「そうだ。ヤーナムの医療教会、ビルゲンワースの秘匿が破られたように、我々の秘密もいずれは破られる運命にあった。

 己の手で晒したか、あるいは他者の手で暴かれたという違いもあるだろうが、結果的に我らは秘すべきものを失った」

 

 

 だからこそ――

 

 

「いい加減、俺も覚悟を決める時が来た。今回の一件で痛感したが、たった独りで為せることなどたかが知れている。

 それに世間では、『血塗れの殺人鬼』には協力者がいるという記事も出回っている……この機を逃す理由はない」

 

「では……!」

 

「俺は――正式に、貴方がたの一党に加わる。だが、属するはヴァルトール率いる『狩人連盟』でも、ゲールマンの『一派』でもない」

 

「何だと……? では何処の組織に? 我ら以外に、一党を築いた狩人は他に――」

 

「先に言った筈だ。俺は“貴方がたの一党”に加わる、と」

 

 

 そこでようやく、他の狩人たちは理解に至った。

 そして驚愕した。ギルバートが言いたいことはつまり……

 

 

「急進派も、穏健派も関係ない。我ら狩人が為すべきは、闇夜に蠢く狂気と悪意の淘汰。

 獣共も、見方によっては被害者に過ぎない。真に討つべき害悪が判明している以上、複数の派閥に分かれて行動するなど無駄に過ぎる」

 

「……お前……」

 

 

 グレンは我が目を疑った。

 補佐に付いて以降、日々何気なく過ごし、時に戦い、共闘したかつての宿敵の思わぬ一面に。

 そこにいるのはどこか間の抜けた学院勤めの『町医者』でも、帝国の夜の支配者と謳われた悪名高き『殺人鬼』でもない。

 獣を狩り、狂人を狩り、神の如き邪悪なる怪物を狩る――終わらぬ悪夢の幕引きを担った、『最後の狩人』の姿だ。

 

 

「討つべきは、かつての悪夢の元凶『ミコラーシュ』。

 かの狂人を討つその時まで、我々は変わらず、帝国の闇の脅威として在り続ける」

 

 

 

 

 

 

「これ以上――我々(ヤーナム)のせいで、要らぬ犠牲者が増えぬためにも……!」

 

 

 

 

 

 

 かつて、己が目的のためならば如何なる犠牲も厭わぬと謳った男の姿はそこにはなく。

 僅かばかりだが、人間性を取り戻した彼の言葉は良く響き。

 その声に応じ、グラスを掲げぬ者は――その場には誰一人、存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

「――アッハハハハハハハハハハ……!」

 

 

 薄暗い一室。月光のみが照らす闇の一室の中に、その男の姿はあった。

 ミコラーシュ――かつて『メンシス学派』と呼ばれる狂気の学術一派を束ね、統率した主宰。

 狂気渦巻くヤーナムの中でも、飛び抜けて狂気に侵され、狂気に愛された男の目には、とある光景が映されていた。

 

 一室に設けられた巨大宝石。そこに映されるのは、昨日のフェジテ中央地区にて起きた巨獣と狩人たちの大乱闘。

 血で血を洗う苛烈な激闘の果てに巨獣を討たれ、狩人たちが勝利の御旗を上げたが、その光景を目にして、ミコラーシュはただ狂ったように笑い続けていた。

 

 

「アハハハハハハハッ! おお、おお、おお! 素晴らしい! 何ということか、ハハハハ、()()は成功したぞ! ウハ、ウハハハハハハ……!」

 

「――楽しそうでございますわね、ミコラーシュ様」

 

「ハハハハハハハ――あぁ? ああ……君か、エレノア」

 

 

 踊り狂いつつも、ギョロリと眼球だけを動かしてやって来た来訪者の姿を視界に捉える。

 そして来訪者、エレノア=シャーレットの下に不規則な動きで歩み寄ると、舐めるような視線で彼女の体躯をジロジロと凝視した。

 

 

「何の用かね、私は今忙しいのだ」

 

「昨日のフェジテの事件を機に、まるでお姿を見せなかったのでご確認に参った次第でしたが……どうやら何もなさそうですね」

 

「……何も? 何もない? 君にはそう見えるのかねエレノア!?」

 

 

 賢者の如く思考に耽たと思えば、突然おかしい声音で驚愕したように声を上げ、問うてくる。

 それは同じ『天の智慧研究会』に属する者であっても、あまりの規則性の無さに思わず相手するのを避けるほどの支離滅裂さであったが、不思議とエレノアはそうは思わず、変わらぬ姿勢で彼の相手をし続けていた。

 

 

「見たまえ! 木端の如き惰弱な獣ではない、紛れもないヤーナムの狂気を体現した獣が! 遂に! この世界へ姿を見せた!

 世界の境界線が曖昧となっている証拠だよ。確かな壁は崩れゆき、やがて繋がる世界同士、あらゆる異物が行き来し合うだろう!」

 

「まあ、それは何とも。それで、結果の方は上々と言ったところなのでしょうか?」

 

「何を言う! 結果としては()()()! 私の予想が正しければ、もう2、3体ほどはヤーナムの獣が流出してくる筈だった! だがどうだ!? 実際姿を現わしたのは、あの『恐ろしい獣』たった1体! 自我を保っている点を考えれば、より良い個体が流出してきたということだから、まあ上位個体流出という課題はクリアできたわけだが、今求められるのは質ではなく数! だから呆気なく狩人たちに狩られて終わってしまった!」

 

 

 髪を掻き毟ろうと手を伸ばすが、彼の頭には六角状の鉄格子が嵌められていて、結果その手が毛髪を掴むことはなく、ただその爪がガリガリと鉄格子を引っ掻くだけに終わった。

 

 

「だが……小さくとも確実に、我々の元居た世界のものがこちら側に流れ込んで来ている。

 それは事実であり、現実であり、偽らざる真実である。……だからこそ」

 

 

 ()()()()、と。艶めかしささえ感じさせる水音を響かせて、ミコラーシュの手先がソレに突っ込まれ、その中身を掻き回す。

 すると彼の眼前に横たわるソレがくぐもった声と共に痙攣し、どうにか逃れようと必死で身体を動かした。

 

 

「ああ、ああ……いけないなぁ、()()()()? これから君はこの世界で初の、“この世界産の獣”となるのだよ?

 人と獣の境界が曖昧となった時、人も獣も混ざり合い、その双方を行ったり来たり……ヤーナムにおいては、人が獣となるという一本道しかなかったがね?」

 

「――ッ、――ッ!?」

 

「ハハハハ、君も研究者の端くれならば理解しているだろう? 実験には犠牲が付き物だ……それがより高度なものを目指すのなら尚更に。

 君もこれまでにそうしてきたのだろう? 今度は君が()()()()()なだけだ」

 

 

 ねっとりと絡み付くように紡がれる言葉に、バークスは年甲斐も無く涙を滲ませ、苦悶の表情を浮かべる。

 だが彼を助ける手はどこにもない。ミコラーシュの言う通り、これまで彼も、多くの人間を実験台として扱って来た。

 『異能』という常人とは異なるものを持って生まれただけの、何の罪もない無辜の命を犠牲にしてきた男が、今度は彼らと同じ道を辿る。その時が来ただけなのだ。

 

 

「この一室は既にヤーナムと同じだ。人と獣の境界線など取り除いている。

 なぁに……夢だと思えばいい。どんな夢想も叶えてしまう、至上の『悪夢』の揺り籠だ」

 

「――ッ、――ッ、――■■■■■■■■ッ!!?

 

 

 最期のその時まで人語を発することは許されず、一室の主の意のままに、バークスはその姿を醜く変貌させていく。

 肉体改造の末に獲得した筋骨隆々たる体躯は内側から爆ぜ、余分な肉は削ぎ落とされていく。

 爆ぜて破れた皮は垂れ、内側のピンク色の肉が剥き出しとなった姿はやがて人の形を失い、獣のそれへと変わっていく。

 やがて出来たのは、1匹の獣。長大な四足を有し、髑髏の如き凶貌を備えた、血塗れの皮を垂らす肉食獣。

 血に塗れ、けれども絶え間ない血の渇望に苛まれる獣に、敢えて名を付けるのなら――『血に渇いた獣』

 

 

おお、素晴らしい(Oh majestic)! 誇りたまえよバークス! 獣にすらなれず肉塊と化したライネルとは違い、君は見事にその身を獣へ変えた! 何たる僥倖……遥かなる者たちは、やはり求めているというのかッ!!』

 

 

 誰に向かって言うわけでもなく、高らかに叫ぶミコラーシュに、しかしエレノアは変わらぬ薄ら笑いを湛えたまま見つめているのみ。

 けれども、流石にこれ以上留まる理由もなく、最後に聞いておくべきことだけ聞いて、その場から立ち去ろうと考え始めていた。

 

 

「……それでミコラーシュ様。大導師様には詳しい計画内容をお伝えしていると伺いましたが、貴方の仰るその計画とは、どのようなものなのですか?」

 

「んんんん? ……ああ、そう言えば我が盟友には伝えたが、それ以外の者には言っていなかったな。

 ……クフフッ、良いだろう。今日は気分がいい。君にだけ、ほんの少し、教えてあげよう」

 

 

 高揚から一気に冷め、狂気が一瞬治まったとも思われたその瞬間――ミコラーシュの身体が()()する。

 闇の中で蠢くそれは、果たして蛇か、あるいは軟体生物の手足か。

 不定形で、闇に包まれ全貌を見ることの叶わないソレを前に、エレノアは変わらず彼を直視し続け、紡がれるであろう計画の一端に耳を傾けた。

 

 

『そうだね……この計画の内容、そして君たちのネーミングセンスも考慮した上で名付けるなら、そう――』

 

 

 

 

 

 

 

『――『Project:Bloodborne』(プロジェクト ブラッドボーン)。そう呼ぶべきだろうね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 『Bloodborn』……この言葉の意味を調べ、よく理解すれば、ミコラーシュの思惑が分かるかもしれません。

 そして先日募集しましたオリジナル狩人様についてですが、今後の話でまた登場して頂く可能性もあります。その場合はまだ未登場の方のものを優先して出させて頂きます。募集ももう暫く続ける予定ですので、遠慮せずご応募ください。

 次回は6巻の内容には入らず、とある方からご希望がありました“あるお話”を投稿する予定です。
 皆さんのご感想お待ちしております。

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