ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

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第2夜 モノの使い様

 あの日の夜。

 それまでに屠ってきた連中と変わらぬ、愚者共の血で染め上げた紅色の路地裏。

 思い出せば、あの時こそが彼と――そして“彼ら”との最初の邂逅だった。

 

 『帝国宮廷魔導士団特務分室』

 アルザーノ帝国を魔導大国たらしめる所以が1つ。

 帝国の統治者として君臨する女王の懐刀であり、帝国最強の魔導士たちの集団でもある。

 1人1人の力に違いこそあれ、彼らが凄腕の魔導士であることに偽りはなく。

 その証明として、多くの外道魔術師たちが彼らの手によって葬られて来た。

 

 その集団の1人であった()()()が、まさかあの学院に来るとは予想もできなかったが。

 

 

(俺の正体がバレたのか……?)

 

 

 ふとそんな考えが頭の中を過ぎるが、それはすぐに否定された。

 手掛かりとなる物も、要素も、狩りの現場では一切残していない。

 残すのはいつも、対象の血と臓物だけ。それ以外を残していくなどというヘマは絶対にしないよう心掛けている。

 

 いくら相手が人道を外れた外道どもだとしても、それを惨殺する輩を人々が快く思う筈がない。

 無辜の人々からして見れば、外道魔術師も(ギルバート)も、同じ“人でなし”でしかないのだから。

 

 

(だが、俺の正体が知られていない場合となると、今度はあの男が来た理由が分からなくなる。

 別件か、それとも前の職を辞めてあの学院に? ……いや、そちらの方こそあり得んな)

 

 

 調合を終え、出来上がった丸薬を瓶詰にし、それを棚に置きながらギルバートは首を横に振る。

 あの日、件の男――グレン=レーダスが学院にやって来てから早数日。

 表向きの本業である医者としての仕事時間を削ってまで、彼の動きを観察していた。

 

 講師連中や生徒たちからも情報を集め、妙な動きがないか調べていたのだが、少なくともそういった事は皆無だった。

 耳に入るのはいつも『ロクでなし』、『ダメ講師』、『最低な男』といった酷評の言葉ばかり。

 先日においては、生徒の1人――あのフィーベル家の令嬢と決闘し、散々に負かされた末、彼女との約束を反故にしたという。

 互いに敵同士であったとはいえ、これ程の変わり様には流石のギルバートも呆れるしかなく、しかし同時に今の彼に対して大きな疑問を抱いていた。

 

 ――何故、あの男はあそこまで変わってしまったのか? と。

 

 性格であれ、行動であれ、人間という生き物の変化には、何かしらかの理由があるものだ。

 ある男は、その優しさ故にとある街での惨劇を前に絶望し、狩る側から守る側へ。

 ある女は、最も古き狩人の弟子たる女傑として名を馳せ、だがその心弱きが故に愛剣を捨て。そして悪夢の深奥にある秘密、その番人となった。

 望む、望まざるを関係なく、何かを切っ掛けに人とは変わるものだ。

 であれば、あのグレン=レーダスという男の身にも()()が起きた――そう考えていいだろう。

 

 

「……そろそろ時間か」

 

 

 幾つかの薬品を黒カバンに詰め込み、洗濯し終えた白衣の一着をその身に羽織って、小さな町医者(ギルバート)は今日も学院へとその足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 本音を言えば、彼は魔術というモノを好きにはなれなかった。

 超常現象の発現。人の身では起こせない筈の業。人域を超越した力。

 術の1つ1つに差こそあれ、本来であれば人が扱うにはあまりにも巨大で、神秘に満ち溢れたソレをギルバートは自身がよく知る()()()に似ていると感じていたのだ。

 

 新たなる技術、道具――成程、それは素晴らしい。

 だがそれは、人に正しき利を与えてこそ言えることであり、間違っても異端の業をそれらに含めてはならない。

 詰まる所彼は、魔術を人が扱うには余りある代物であると考えているのだ。

 

 その常識離れした力に魅了された人間は、その多くが裏に隠された異質さとに気付くことなく、ソレの虜となる。

 やがて術技を使う者から、術技に使われる者と成り果てる。

 肝心なのは、如何に早くその裏に隠れた性質に気付けるか、否かだ。

 尤も、片方の面だけ見ていては、どちらもそう大差ないのだが。

 

 

「……」

 

 

 では何故、このようなことを彼は考えたのか。

 答えは簡単――教室内でのやり取りが、彼にそのことを思い出させたのだ。

 授業時間にある学院の廊下に他の人影はなく、居るのは2年2組の教室前で室内の様子を覗き見ているギルバートだけ。

 

 休憩時間を使ってグレンの動きを確かめるべく来たのだが、その時には既に室内でグレンと、例の秀才女子生徒ことシスティーナが言い合いを始めていた。

 魔術学院の講師と生徒――片方は非常勤ではあるが、それらしい事柄を題材に彼らの言い合いは繰り広げられていた。

 

 『魔術とは、この世界の真理を追究する学問。

 この世界の起源と構造、そして世界そのものを支配する法則。

 それら全てを解き明かし、己と世界が何のために存在するのかという永遠の疑問に対する解答を導き出し、人がより高次元の存在へと至る道を探す手段』

 

 『魔術は人にどんな恩恵を齎すのか。

 医術は人を病から救い、冶金技術は人に鉄を与えた。

 農耕技術、建築技術と、『術』の名を付けられた物の多くは人の役に立つが、魔術のみは人に何の恩恵も齎さない』

 

 両者の意見は共に真実だが、それは聞き手によって解釈も大きく異なってくる。

 特にシスティーナの言葉は、魔術師たちにとってはお手本的な最適解と言えるモノだろうが、魔術を使えない者たちにとっては、理解し得ぬ“どうでも良いこと”でしかない。

 別に彼女の答えを否定するつもりはないが、魔術を使えない身であるギルバートとしては、どうしてもグレンの言葉の方に頷いてしまうのだ。

 

 そして僅かな時間を経た後、グレンは自らの主張を改め、その口より新たな言葉を発した。

 

 

 “あぁ、魔術は(すげ)ぇ役に立つさ――人殺しにな”

 

 

 歪められた口元、細められた双眸。

 口調は普段と変わらないというのに、その言葉の1つ1つからは憎悪の念さえ感じ取れる。

 

 そこでようやく、ギルバートは理解した。

 何故、この男がこんな学び舎に講師としてやって来たのか。

 何か目的があるわけでもなく、ロクな授業も行うことなく、惰眠を貪る日々を過ごしているのか。

 その根本にあるのは、魔術に対する憎悪。

 まるで()()()()()()()()()()かのような、黒い憎悪が彼の内側にあるのだ。

 

 ビルゲンワースの学徒たちではないが、胸の奥より湧き上がる好奇を抑えることができず、そのまま室内の覗き見を続行していると。

 パァン――! と乾いた音が教室内に鳴り響いた。

 音の発生源はシスティーナ。

 もはや極論でしかないグレンの魔術に対する自論に耐えかねたシスティーナが、彼の頬を掌で叩いたのだ。

 

 

「いっ……てめっ!?」

 

 

 頬に生じる痛みを感じつつ、怒りの籠った目で彼女を見て、そしてグレンは言葉を失った。

 視線の先にいるシスティーナの姿から普段の気強さは微塵も見られず、その目元に涙を溜め、泣いていたのだ。

 

 

「――大っ嫌い!」

 

 

 涙を拭うこともせず、飛び出るように扉を開いて教室から出ると、彼女は廊下の先へと走り去って行ってしまった。

 その後ろ姿を、ギルバートは悲しげな目付きで見つめたまま、小さくため息を1つ吐いた。

 彼女が教室から廊下へ出る直前、彼は扉から距離を取り、虚空より取り出した“青色の飲み薬”を飲み干すことで姿を薄れさせたのだ。

 

 医療協会の医療者たちが、怪しげな実験の際に用いるという『青い秘薬』

 本来ならば脳を麻痺させる精神麻酔薬なのだが、狩人は遺志によって己が意識を保ち、その副作用のみを利用する。

 つまりは『半透明人間化』――狂気の探究の過程で生み出された代物だが、こういう時に役立つのだから無用と断じることはできないのだ。

 

 

「結局、肝心なのは使い様というわけか……」

 

 

 そんな呟きを漏らすギルバートの視線の先では、教室から出て来たのだろうグレンの姿があり。

 どこか重々しい足取りで、彼もまた廊下の先へと歩み進んで行った。

 

 

 

 

 

 

 2年2組の教室での一件の後、ギルバートは医務室へと戻って行った。

 常日頃は暇を持て余しているのが医務室で、戻ったところでやることは一応上司に当たる法医師の看護(せわ)と、薬品の調合ぐらいだ。

 それでも戻ったのは、元々真面目な性格だったのか、怪しまれないようにするための行動だったのか。

 

 とにかく彼は最低限の仕事を終えると、普段と変わらず職場である医務室を出て、街にある我が家へ戻ろうとする。

 

 

「……ん?」

 

 

 長い廊下を歩む彼の足が、ふと止まる。

 太陽は沈みかけ、空は淡い橙色に染め上げられている。

 もう少し経てば夜が来る。そう思わせる空の下、1人の男の姿があった。

 

 

「あんなところに居たのか」

 

 

 システィーナとの言い合いの後、彼女同様教室より出て行ったあの男は、結局あれ以降の授業を行うことなく、教室にも戻ることはなかったらしい。

 自ら行動せずとも、噂となって情報が広がり、それを入手できるのは学院勤めの利点だ。

 だからこそ彼が教室以外のどこかへ向かい、時間を過ごしているのだろうと考えたのだが、まだ学院内に居たのは意外だった。

 

 正体がバレていないこともあるが、今のギルバートとグレンは敵対関係ではない。

 同じ学院に勤めるロクでなしの非常勤講師と、魔術師ですらない法医師の助手。

 はたしてそれは意味があってのことか、それとも単なる気まぐれなのか。

 止めた足を再び動かし、帰路についていたギルバートの足は、夕焼けの空の下で黄昏れる非常勤講師の元へと向かって行った。

 

 

「――お疲れですか、講師殿?」

 

「……あ?」

 

 

 学院東館のバルコニー。

 そこに着いたや否や、何の抵抗もなく彼はグレンへと声を掛け、グレンも気だるげな声を上げつつ、彼の呼び掛けに応じた。

 

 

「あんた……誰?」

 

「ああ、これは失礼。俺はギルバート。医務室のセシリア先生の助手を務めてる者です」

 

「医務室の、助手?」

 

「付け加えるならば、助手は副業。本業はフェジテの小さな町医者なんですよ」

 

 

 グレンの隣にまでやって来ると、携えていた黒カバンを傍らに置き、彼同様に鉄柵に寄りかかる。

 大柄な体躯故、その重さに鉄柵から小さな音が鳴ったような気もしたが、彼はそれを気にすることなく言葉を続けた。

 

 

「噂の若先生がどんな方かと思えば、こんなところで黄昏れてらっしゃるとは」

 

 

 悪戯好きの悪童がするような、意地の悪そうな笑みを湛え、くつくつと笑う。

 正常(まとも)なフリをするなどお手の物。

 善人過ぎず、かといって明らかに悪意に満ちた人物を演じても駄目だ。

 何事も全て、半ば程度が最良なのだ。

 

 

「そんなに今日は心身共に疲労することでもあったんですか?

 例えば……生徒と喧嘩したとか」

 

「……あー、やっぱ広まってたか。ソレ」

 

 

 鉄柵に寄りかかりながら、夕焼けの空をぼんやりと眺めてグレンが呟く。

 ここ数日の観察中でも、やる気のある姿というのは見たことがないが、今の彼はやる気云々の話ではなく、精神的に疲弊しているように見えた。

 

 

「それで、助手さんは何で俺なんかに声を掛けて来たんすか?

 先に言っておきますけど、俺みたいな奴と関わってるトコを見られたら、ロクな奴じゃないって他の講師陣に思われるかもしれませんぜ?」

 

「ああ、そこら辺はご安心を。……俺も、()()()()()()()()()()

 

 

 口調や声の高低は変わらぬまま、さらりと紡いだその言葉。

 その真の意味を理解できる者が居るとすれば、余程感の鋭い者か、もしくは同類かのどちらかだ。

 どちらであれ、今のグレンはその言葉に込められた意味を理解できる状態ではなく、「ふーん」と興味なさそうに空を見つめるばかりだ。

 

 

「19歳の若年講師。うちンとこのセシリア先生も貴方とほぼ同い年だから、最初はどんな天才が来たもんかと思ってたんですが」

 

「悪かったな。期待に添えないダメ講師で」

 

「いえ、別に。ただ、噂伝いでもハッキリ分かる程の魔術嫌い。

 生徒の誰かは、憎んですらいるように見えたと言っていましたが……実際のところ、どうなんです?」

 

 

 吊り上げた口角を少し緩め、微笑に近い笑みと共に問い掛ける。

 この会話において、最も重要な部分。それがここだ。

 かつて凄腕の魔導士として恐れられた男が、何故こんな学院にまでやって来たのか。

 

 ここ数日の様子、そして今日の一件から察するに、この男が魔術に対して黒い感情を抱いているのは明白。

 だが確信へと至るには、どうしてもこの問いに対する答えを知っておく必要がある。

 魔術が嫌いか、否か――全ては彼の答えに懸かっている。

 

 

「……ああ。嫌いだね」

 

「……そうですか」

 

 

 嫌い――ただその一言で、ギルバートの中で1つの答えが出た。

 この男(グレン)は、何らかの任務を帯びてこの学院にやって来たわけではない。

 詳しい事情に関しては分からないが、何かを切っ掛けに以前の職を辞め、非常勤講師としてここへ来たのだ。

 それも自分の意思によるものではなく、誰かの手で無理矢理といった形で。

 

 

「なあ、助手さん。あんたはどうなんだ?」

 

「はい?」

 

「魔術。あんたはどう思ってるんだ?

 助手とはいえ、学院勤めの人にこんなこと聞くのはなんだけどさ」

 

「俺、ですか。そうですね……少なくとも、好きだと思ったことは1度もありませんよ」

 

「へえ。どうして?」

 

「俺は魔術師じゃないんで」

 

 

 ギルバートの言葉に、グレンは驚いたように目を少しだけ見開いた。

 法医師のセシリアの助手を務める人物である故、どれ程の腕前を持っているのかと思えば、その真実は非魔術師の一般人。

 何故、魔術を扱えない身でありながらセシリアの助手を務めているのか気になったが、それを問い掛ける前にギルバートの方が口を開き、新たな話を始めた。

 

 

「俺はね、先生。このアルザーノ帝国の出身じゃあないんです。

 遥か遠く、東へ進んだ先。

 人里離れた山間にある都……そこが俺が居た場所でした」

 

 

 故郷、とは言い表わさなかった。

 確かにあの場所で、自分は1度全てを忘れ、あの暗い夜に身を投じた。

 それまでに作り、得て来たモノの全てを忘却(なく)し、狩人として悪夢に挑む第二の生。

 

 ある意味では、あの呪われた古都は自分の第二の故郷なのかもしれない。

 だが、ソレを口にしてしまえば、かつて“忘却してしまった自分”を本当に失くしてしまいそうに思えたのだ。

 だから、ソレだけは決して口にはしない。

 例え他の者たちから、『くだらない拘り』と謗られようとも。

 

 

「その都ではね、魔術とかいうモノはなく、代わりに優れた医療技術があったんですよ。

 多くの医者が匙を投げた大病も、その地の医療を以てすれば、すぐさま快復する程に……そこの医術は並外れて高かったんです」

 

「どんな病も完治する……か?」

 

「まあ、少なくとも周辺の国々にはそう伝わっていたんでしょうね」

 

 

 実際、その都――ヤーナムの医術は優れていた。

 もしアレが、あんな探究の手段としてではなく、人々の救済のために使われていたのなら、どんな明るい未来が待っていたことか。

 

 

「でもね先生。高められた技術というのは、大体ロクなことに使われない。

 それはこれまで、人間が築き上げた歴史が証明している。

 俺の居た都もそうでした……あるモノを得んと望み、そのために使われたのが、その医術でした」

 

「……」

 

「高めに高め、遂に窮みにまで迫った医術を用いて、都の連中が手に入れたのは、摩訶不思議な業。

 先生らの知る魔術に似てもいましたが、この国に来てハッキリと理解しました。

 アレは、この国の魔術とは程遠い――正真正銘の外法だったんです」

 

 

 それからギルバートの話は進み、彼がかつて居た古都、その末路が語られた。

 外法を手にした連中は、だがソレが自分たちの望むモノには程遠い代物であると悟り、さらなる探究の末に自らを滅ぼした。

 もはや各国で語られる医療の国としての姿はなく、別のナニカへ変じようとしていた都から逃げるようにギルバートは旅に出て、ここ、アルザーノ帝国に行き着いたのだという。

 

 

「医術も、そして魔術も、結局ソレそのものが悪であるということはない。

 ただ、使う者によって善にも悪にもなり得てしまう……要するに、何物も使い様ってことですよ」

 

「……魔術も、使い様か」

 

「そういうことです。魔術師じゃない俺から言われても、納得しづらいでしょうがね」

 

 

 そう言い終えると傍らに置いていた黒カバンに手を伸ばし、中から1つの瓶を取り出し、それをグレンへと放り投げる。

 

 

「教師職っていうのは、結構悩みが溜まるモンでしょう?

 カウンセリングはできませんが、何かあったら(そいつ)でも飲んで下さい」

 

 

 瓶詰薬を投げた後、カバンを片手にギルバートはバルコニーから立ち去った。

 風になびく白衣を最後に、グレンは寄りかかっていた鉄柵から離れ、渡された白い錠剤入りの瓶へと視線を移し、瓶の側面に貼られたラベルを見て困ったような表情をその顔に浮かべた。

 

 

「いや、だからって何で栄養剤……ん?」

 

 

 ラベルに記された名前を映す瞳。

 その視界の端で、僅かに動く影を捉えたのは、この直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 ――ガチャ、と硬い音と共に銃口が向けられる。

 

 夜闇に包まれた路地裏での戦いは終わりを迎え、既に剣戟も、銃声も止んでいる。

 赤黒い色合いに染め上げられた路地裏にあるのは、1人の少女と2人の男の姿。

 少女の方は既に戦闘不能の状態にあるらしく、虚ろな双眸を開けたまま、微かに四肢を動かす程度だ。

 そして相方である青年の方も武器を弾き飛ばされ、無手のまま壁に叩き付けられ、寄りかかる姿勢のまま銃口をその額に向けられていた。

 

 

「――驚いたな」

 

 

 銃口を向けるその人物――狩人がふと、そんな呟きをマスクの下より漏らした。

 状況から察するに、この戦いの勝利者は彼なのだろうが、想像以上の激闘だったからか、彼も無傷とはいかなかった。

 その証拠に纏う黒の狩装束のあちこちが切り裂かれ、一部も炎か何かで焼かれたらしく、肉の焦げた臭いが漂っている。

 

 

「まさか、ここまで追い詰められるとは思わなかった。

 数に限りがあるというのに『骨の刃』や『霧』、その上で『秘薬』を飲ませてようやくとは……」

 

「がふっ……!」

 

 

 喉奥より上って来た血を吐き出し、その一部が狩人の身に付着する。

 するとグレンの吐き出した血が狩人の素肌へと吸収され、先程の戦闘の中で付けられた傷が忽ち癒えて、元の状態へと戻った。

 

 

「っ……血を吸収して回復とか。

 マジで化け物じゃねえかよ……」

 

「化け物、か……そうだな。お前たちからすれば、俺のような輩はそれ以外にあり得んだろう」

 

 

 だが、その驚愕は理解できないものではなかった。

 幾ら返り血を浴びようとも、それがヤーナムの血でなければ完全な回復には至らない。

 いや、例えヤーナムの血であったとしても、傷の深さによっては相当の量が必要となる。

 故にヤーナムの血を引くわけでもない、ただの人間の血を浴びてここまで回復したことは、狩人にとっても驚くべき事柄だった。

 

 まあしかし、そのことについて知ったのはもう随分前のことで、今となっては回復能力の向上化と済ましているのだが。

 

 

「まさか、てめぇ――『異能者』か……!?」

 

「『異能者』……いや、違うな。()()は異能と呼ぶには、あまりにも悍まし過ぎる」

 

 

 魔術に依らない奇跡の力。

 それを身に宿し、行使する者こそが『異能者』だ。

 収集した情報の中にあった名称だが、彼らの保有する主な異能と、狩人が有する能力はあまりにも性質が違い過ぎている。

 

 発火能力や生体発電能力、感応増幅――その何れと比べても、彼の……彼を始めとする狩人たちの業は異質なのだ。

 

 

「さて、そこの小娘は既に戦闘不能状態。

 お前は武器を無くし、そのタロットカードを用いた術技も俺には大して効果がないときた。

 まさに絶体絶命……窮地とはこのことだな、小僧」

 

「……っ」

 

 

 狩人の言う通り、今のグレンたちはまさに窮地にいる。

 様々な麻痺系統の道具を使われ、行動不能に陥ったリィエル。

 手足を片方ずつ、銃弾と鋸刃でやられ、もはやまともには動けないグレン。

 

 単純な白兵戦のみで考えれば、リィエルと狩人の相性は悪くない。

 小柄な体躯に強化した身体能力、高速の武器錬成という能力を考えれば、リィエルは近接戦闘において多くのアドバンテージを有している。

 加えて彼女には類稀なる戦闘特化の“勘”があり、並どころか優れた剣士でさえ彼女を相手し、勝利することはできないだろう。

 

 だが、今回は相手が悪かったというべきか。

 麻痺系道具の効果によって彼女の意識は未だ戻らず、グレンの方も意識はまだしも、肉体の方がもうまともに戦える状態ではない。

 

 

「そんな窮地にいるお前に1つ、問いを掛けよう。

 その命を僅かでも延ばしたければ、虚言を吐かず、正直に答えることだ」

 

 

 銃を持つ手とは反対の、右手に携えられたノコギリ鉈が鈍い音を立て、変形する。

 長鉈形態からノコギリ形態へ移行したそれは、数多の血を吸ってきたのか黒く汚れ、だがそのギザ刃は次なる獲物を求めているかのように、鈍い光を発しているように見えた。

 

 

「お前は……いや、お前たちの知る中で、転移系の能力を保有する者は居るか?」

 

「転移系の、能力……?」

 

「より正確には、物質の転移……人間を始めとする生物すらも別世界に飛ばすことができるような、そんな存在だ」

 

 

 知っているか? と銃口はそのままに、狩人が問い掛けて来る。

 職業上、多くのモノを見てきた彼ではあるが、物質転移を可能とする能力の保有者など見たこともないし、聞いたこともなかった。

 だが、今の問いから考えるに、どうもこの殺人鬼は殺人衝動に駆られ、無差別に人を殺しているわけではなく、何か目的があって行動しているのかもしれない。

 

 けれども、如何なる事情があるにせよ、殺人は殺人だ。

 例えその全てが外道魔術師を始めとする無法者だとしても、このまま野放しにすることはできない。

 ならばどうする、と考えたその時だ。

 遥か遠方、時計塔の天辺より放たれた一条の閃光が、狩人の頭蓋を貫かんと虚空を駆け抜けて来たのは。

 

 

「――!」

 

 

 向けていた銃口をグレンより外し、地面を蹴り上げて後方へ跳躍することで狩人は閃光の直撃を回避。

 僅かに狩帽子を掠めたが、直撃を受けて死ぬよりかは遥かにマシだ。

 だが、今の一撃で状況は変わってしまった。

 

 表通りの方から聞こえる複数の足音と、グレンの名を呼ぶ女の声。

 まずいことに、向こう側の援軍だ。

 まともな情報を得ることなく、こんな形で夜を終えるのはひどく口惜しいが、今は逃走こそが最善の手だ。

 このまま捕まり、本当のことを吐いたとしても信じて貰える可能性は低い。

 最悪、外道魔術師とはいえ多くの殺人を犯した自分は、そのまま処刑台送りにされても全くおかしくはない。

 

 故に狩人は着地した屋根上から援軍の数を確認し、その後にグレンを見下ろした。

 

 

「……では、さらばだ」

 

 

 纏う外套(コート)と短マントを夜風になびかせ、血塗れの狩人が夜の街を駆けていく。

 その晩の一件は、翌日の新聞にも取り上げられ、毎度のように多くの人々に恐れを抱かせることとなった。

 『外道魔術師、複数人が惨殺』。そして……

 

 ――『血塗れの殺人鬼、未だ捕まらず』

 

 

 


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