ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

27 / 33
 ここのところ調子がいい、筆が思った以上に進んでいます。
 けど内容があり過ぎて、ストーリーそのものはあまり進んでないんですよね。私は悲しい……。
 では、今回もどうぞ。


第25夜 想定外の未来

「はぁッ……はぁッ……はぁッ……!」

 

 

 純白のドレスを靡かせて、システィーナはひたすらに走り続けた。

 後方から聞こえる轟音や絶叫から逃れるように、彼女はただ、無我夢中で進み続けた。

 それでも、元々着慣れぬドレスに加え、先程のグレンらの間であったやり取りを目の当たりにしたせいか、精神的負荷も決して少なくはない。

 様々な要素が彼女を苛み、そしてヒールの先端がドレスの裾を誤って踏んでしまったその時、彼女の体躯は盛大に転がった。

 

 

「あぅッ!?」

 

 

 硬い石畳に肌が擦れ、血が流れ出る。

 電撃の如く駆け巡る一瞬の痛みは、だがシスティーナを我に返らせるには充分な切っ掛けとなった。

 

 

「……だって、仕方ないじゃない……!」

 

 

 吐き出した第一声は、誰かに対する言い訳だった。

 あの場に居ても仕方ない。激烈な戦闘を繰り広げる真正の戦闘者たちの間に入るなど、できるはずがない。

 優秀とはいえ、所詮は学院の一生徒。本気の殺意を剥き出しにした、真の魔術師と狩人の戦いに割って入ったところで、足手纏いになるだけだ。

 

 そして事実、あの場における彼女は、ソレ(足手纏い)以外の何物でもなかった。

 ……なかった筈なのだが。

 

 

「……大丈夫」

 

 

 また1つ、自分に言い聞かせるにして呟く。

 

 

「大丈夫……大丈夫。グレン先生も……ギルバート先生も、あんな奴らなんかに……」

 

 

 その戦い様に恐怖を抱いたものの、あれだけの立ち回りを見せたグレンならば、きっとジャティスに勝てる。

 そしてギルバート――『血塗れの殺人鬼』も、その実力の高さは言うまでもない。

 だから必ず勝ってくれる。勝って、また自分たちの下に戻って――

 

 

 ――()()()()

 

 

 学問に秀でた者は、必然として思考の基礎能力が高い。

 つまりは聡いということだが……その聡さが、今回ばかりは負の方角へと働いた。

 予想できてしまったのだ。少なくとも――どちらか1人は、自分たちの前から消えてしまうことを。

 

 自分を救い出すため、簒奪者として聖堂の扉を蹴破り、自分を(すく)ってくれたグレン。

 己の行いゆえに背負わせてしまった罪の意識から解放するため、それまで秘していた正体を晒し、手を貸してくれたギルバート。

 そんな彼らから差し伸べられた手を――彼女(システィーナ)は、拒絶してしまった。

 

 

「……っ」

 

 

 嗚咽する声が漏れ、路地裏に小さく木霊する。

 たった1つの過ちが、彼らの心を酷く傷つけたのだとしたら。

 もう2度と彼らが戻って来なかったのだとしたら、自分はどうすれば良いのか。

 時を巻き戻せるなら巻き戻したい。巻き戻し、あの瞬間をやり直したいとさえ思う。――しかし、それは許されない。

 

 

「私……わたし、は……どうしたら……っ」

 

 

 嗚咽を零し、溢れる涙が止められないシスティーナの問いに答えてくれるものはない。

 今も聞こえる轟音は一層激しさを増し、戦いがさらなる領域へ至ったことを告げている。

 やがて増した轟音は、少女の嗚咽をも呑みこむだろう。か細い泣き声を嘲笑うように、際限なく膨れ上がる戦いの音色はさらなる高みを目指し――。

 

 

「――どうかしたのかね?」

 

 

 ――しかしそれは、たった1つの声によって遮られた。

 その声は、不思議とよく響く一声だった。

 苛烈さや激しさとは程遠い、穏やかな音。

 まるで広い森林の中にいるのではないかと錯覚させるほどの柔らかみに満ちた声は、彼女のすぐ傍で発せられていた。

 

 振り向いた先に見えたのは――1人の老人。

 地味目の色合いの衣服で身を飾り、使い古した帽子から白髪を覗かせた、車椅子の老人。

 いつの間に現れたのかと不意にそう思ったが、彼女の疑問が口に出されるよりも早く、老人はさらに言葉を続けた。

 

 

「怪我をしているのかね? ……ああ、擦り傷だが出血が酷い。すぐに止血せねば」

 

 

 そう言って老人は纏うコートの裏側に手を伸ばすと、そこから水筒と真っ白な布を取り出し、止血作業に移る。

 血が流れ出る肘の傷に白布を宛がうと、その上から手を添え、強く押して圧迫する。

 傷口に触れた白布はたちまち赤みを帯びていくが、さらなる出血の様子が見られないことから圧迫部分が間違っていないことを悟り、老人はまた新たな白布を数枚取り出し、再び宛がう。

 

 そして最後に傷口に水を垂らして血を洗い流すと、最後の仕上げに布で拭き取り、包帯を巻いて治療を完了させた。

 

 

「……これで良し」

 

「あ……ありがとう、ございます」

 

「ふふっ……なに、礼を言われるほどではないとも」

 

 

 そう言いつつも、礼を受け取れたことが嬉しかったのか、老人は皺の刻まれた顔に薄っすらと笑みを浮かべ、微笑んだ。

 

 

「あの……ここは、危険です。早く離れた方が……」

 

「心配ないさ。少なくとも、()()は今のところ安全だよ」

 

「……」

 

 

 老人の言葉を耳にし、ふと周りを見回すシスティーナ。

 今や場所は路地裏を抜け、開けた広場に出ているが、不思議とそこに人影はなく、あの恐ろしい中毒者たちだけでなく、市民の姿さえも見当たらない。

 完全な無人領域に違和感を覚える彼女であったが、その空虚な領域に木霊するように、再び老人の声が発せられた。

 

 

「何か、思いつめた顔をしているね」

 

「……っ」

 

「話して御覧なさい。こんな老いぼれの身でも、それぐらいは役に立つさ」

 

 

 今日初めて会ったばかりだというのに、不思議とその老人の言葉に疑いを抱くことはなかった。

 まるで蝶を誘う花のように、あるいは生物を惹かせる淡い月光のように。

 既に精神に限界がきていたシスティーナも、これ以上1人で抱え込むことに耐えられなかったのもあり、少しずつだが、己の内に溜まったものを吐き出し始めた。

 

 

「私……逃げ出したんです。親しい人たちが、大変な目に遭っているなかで……私だけ……」

 

「……そうかね」

 

「……怖かったんです。その人たちを襲った人たちも……その人たち自身すらも……」

 

 

 吐露するたびに、また目元が熱くなっていくのを感じる。

 同時に内側で、何かが燃え上がるように熱を生んでいく感覚があった。

 怒っているのだ――自分自身に。

 同時に情けなくも思った。ルミアが襲われたあの日から、大切な人たちを守るために培った力を、しかし大事な場面で使うことができず、逃げ出した。

 それが例え、親しき人たちからの願いによる行為だったとしても――。

 

 

「わたしは……どうしたら、よかったんですか……?」

 

「……」

 

 

 老人は答えず、ただ考え込むように沈黙した。

 時を経るごとにまたあの轟音が響き、逃れた子猫を何処かと探っているように迫って来る。

 恐怖を呼び起こす戦音に彼女が耳を塞ぎかけた――その時。

 

 

「君は……その彼らを怖れた自分が、許せないかね?」

 

「え……?」

 

 

 老人の問いかけは唐突だったが、一瞬間を置きながらも彼女が小さく首肯すると、老人は「そうか」と呟き、また話を続けた。

 

 

「確かに恐怖とは、己が足を止め、時に枷となる厄介なものなのかもしれない。

 現にそれが原因で、過去に多くの英雄も命を落とし、帰らぬ者となった」

 

 

 だが――と。

 

 

「だがね少女よ。その感情こそが、己の道を別ける際に最も重要な要素となり得るのだよ」

 

「もっとも、重要な……」

 

「ああ。……死なないための怖れもあれば、何かを為すための怖れもある。

 生きるか、為すか……大切なのは、それを見極めることなのだよ」

 

 

 そう紡ぐ老人の目には、微かな後悔の念が垣間見えたが、帽子で隠されたその双眸を見ることが叶わないシスティーナには、それを察することはできなかった。

 

 

「後悔せぬことだ……その時の選択を……自分が本当に望んだ結末を裏切るような真似をすれば、その先ずっと、後悔は自分を苛み続ける」

 

「それは……おじいさんも、ですか?」

 

「……さあ、ね」

 

 

 最後の部分ははぐらかされ、聞き取ることはできなかった。

 だが、何となくではあるが老人の言うことは理解できた。そして――

 

 

「さあ、問いかけだ。君は――どちらを選ぶんだい?」

 

「……私は――」

 

 

 

 

 

 

「――ぐぅぁ……!」

 

 

 体躯が壁に叩きつけられ、アルフレートが三角兜の下で激しく吐血した。

 纏う聖布の装束はボロボロで、得物の車輪も損傷が激しい。

 長銃はまだ使えるが、だからと言ってこの状況を打開するには至らない。

 

 

「……終わりか?」

 

 

 短くそう問い掛けて、自身をこんな状態に追いやった張本人――ギルバートが腕槌を片手にやってくると、すかさずそれを振りかぶり、叩きつけんと振り下ろした。

 

 

「くぅ……っ!?」

 

 

 重装の身を無理矢理転がせ、どうにかその一撃を避けたが、得物を逃すまいとギルバートは左手の古式銃(エヴェリン)の銃口を向け、間髪入れずに発砲した。

 一撃、二撃、三撃――と。容赦のない連射がアルフレートを襲う。

 もはや先程までの特攻さえも侭ならない彼の様子に、しかしどこまでも苛烈にギルバートは追い打ちをかけ、傷を刻み続けた。

 右手、右足、左手、左足――四肢の悉くに銃弾を撃ちこみ、身動きを封じたところで腹部に腕槌を叩き込む。

 

 

「が――はぁッ!?」

 

「……」

 

 

 骨肉を砕く音が幾度となく反響する。

 腕槌を通じて伝わる損傷の度合いを確認すると、いよいよ詰めとばかりにギルバートが携える腕槌を一層強く握り締めると、腕槌が不気味に蠢き、その形状を変える。

 武骨で不気味な腕槌の一部が鞭のようにしなり、触手となって倒れ伏すアルフレートの片足を絡め取る。

 

 

(これで……!)

 

 

 絡め取ったアルフレートを叩きつけ、最後の仕上げに掛からんとした――その時だ。

 

 

「――がふッ……!?」

 

 

 突如、激痛が彼の身を駆け巡った。

 1つや2つではない。数にして5つ以上の激痛が彼の身を苛み、痛みによる灼熱を覚えさせた。

 その原因はすぐに分かった。黒衣で覆われた彼の身を貫くのは、剣とも槍とも見て取れる結晶の塊。

 そしてそれを放ったであろう天使型の人工精霊(タルパ)と、酷薄な笑みを湛えてこちらを見つめてくる狂人(ジャティス)の姿。

 

 

「が、ぁ……こ、ぞぉ……!?」

 

「よくやってくれた、アルフレート。君のおかげで、僕も心おきなくグレンに集中できたよ」

 

 

 未だ残る意識を視線と共にそちら側へ向けると、その先には壁に叩きつけられ、激しく吐血するグレンの姿が見えた。

 その周りには、ギルバートを貫いた天使とはまた別の、銃を構えた数人の天使が彼に銃口を向けている。

 

 

「が、ぁ……申しわけ、ござい……ません。ジャティス殿……」

 

「いいさ。個人の勝敗はこの際気にしないよ。……さぁ、早く輸血とやらで回復するといい」

 

「はい……」

 

 

 ギルバートの猛攻からようやく解き放たれたアルフレートは、ジャティスの言葉に従うように懐から2つの輸血液を取り出し、その先端を左腕に差し込み、一気に注入する。

 血液が中に入り込む度、瞬くに彼の傷は癒えてゆき、完全に注入を終えた頃には目立った外傷は1つ残らず消えていた。

 

 

「『血塗れの殺人鬼』は押さえておいてくれ。……さて、グレン。ようやく勝負あったね」

 

「っ、クソ、が……!」

 

「惜しいな……君の手に『イヴ・カイズルの玉薬』があれば、少しは違った結果になったのかもしれないが。

 まあ……既に軍属ではない君では、手に入れられる筈もないか」

 

 

 口惜しさ、そして憎さから睨み据えてくるグレンとは対称に、ジャティスは己の喜びを抑えることができない様子だった。

 現にそう言っている間にも、彼は浮かべた笑みをさらに深め、その口元から時折笑声を零している。

 

 

「ようやくだ……僕の勝利だ。全力の君を打ち砕き、僕の正義が証明された……!

 やはり僕には、『禁忌教典』(アカシックレコード)を手にする資格があるッ! 何せ、選ばれた人間である君を超えたわけだからな……!」

 

「……がたがたと、うるせえ奴だな。殺るなら殺れよ……」

 

「ああ……すまない。待ち焦がれた勝利の瞬間なんだ。思わず感情が昂ってしまってね」

 

「……小僧——グゥッ!?」

 

「……大人しく、して頂きましょうか」

 

 

 魔結晶で貫かれた体躯を、車輪に轢かれる形で石畳に縫い止められる。

 全快とまでは言わずとも、輸血液で大部分は回復したアルフレートと、急所を幾つも射貫かれたギルバートとでは、力の関係は逆転していると言っていい。

 

 

(この期に及んで、まだ勧誘を諦めんつもりか……!?)

 

 

 死しても夢という形で“死”そのものを無かったことし、復活できることを知るからこそ、ギリギリの状態に保ったまま拘束する形を選んだのだろう。

 全ては、彼らの言うこの世全ての悪の撃滅と、絶対的正義の成就とやらのために――。

 

 

「安心してくれ、グレン。君は苦しませずに一瞬で殺す。英雄殿は僕たちに協力してもらうことを条件にだが、彼は生かしておいてあげるよ」

 

「そう、かよ……」

 

「……かつて僕の正義を脅かした唯一無二の人間が君だ。この行為は、そんな君に対する最大限の敬意と礼儀と知って欲しい」

 

「……地獄に、堕ちろ」

 

 

 ガチャリ、と銃口が向けられ、引き金に指がかけられる。

 

 

「あの世でセラによろしく伝えておいてくれ……さらばだ、グレン」

 

 

 パチンと指鳴りを1つ鳴らし、それを合図に天使たちが一斉に銃の引き金を引こうとし――そして。

 

 

 

 

 

 

「《集え暴風・戦槌となりて・撃ち据えよ》――ッ!」

 

 

 

 

 

 

 唐突に叫ばれた呪文。

 放たれた魔術――【ブラスト・ブロウ】はジャティスの痩躯を殴りつける吹き飛ばした。

 

 

「ジャティス殿——ッ!?」

 

「――ぬぅあああああッ!!」

 

 

 相方に対する突然の奇襲に驚いた瞬間、アルフレートの拘束が一瞬緩んだ。

 生じたその隙を逃すまいと、満身創痍の体躯を力ませ、腕力に任せて車輪ごとアルフレートを投げ飛ばし、脱出する。

 一方、ジャティスは銃撃を任せていた天使たちをすぐに集め、クッション代わりにしてそれらごと壁に叩きつけられた。

 緩和材となったおかげでジャティス本人に目立った傷はなかったが、代償に召喚した天使たちは粉々に砕けた。

 そして衝撃全てを殺し切ることが叶わなかった証拠か、先程のグレンと同じくジャティスもその場で吐血し、石畳に真紅の塊を零れ落とした。

 

 

「――間に合った……!」

 

「な……!」

 

「……何故……!」

 

 

 カツンッ――。

 硬い靴音を鳴らして、新たに1つの人影が戦場に足を踏み入れた。

 血みどろの戦場には相応しくない純白の装い。飾られた髪、そして未だ恐怖の色残る双眸。

 あり得ない――共に同じ思いを抱いた2人の前に現れたのは……

 

 

「何故来た……何故戻って来た――システィーナ君ッ!!」

 

 

 今日一番の絶叫が轟く。

 ジャティスらに向けたものとは異なる、悲痛ささえ感じさせる叫び声。

 それが稀代の殺人鬼たる『血塗れの殺人鬼』から放たれたものとなれば、否が応にも意識を向けてしまう。

 だが……今の彼女には、まずすべきことがあった。

 

 

「……立ってください、グレン先生。この程度で終わらせられるほど、甘い相手じゃないんでしょう?」

 

「ば――馬鹿野郎! 何で戻って来やがった!?」

 

「……っ」

 

「ここはお前が居ていい世界じゃねぇんだ! とっとと帰りやがれッ!!」

 

 

 ギルバートと同等、いや、それ以上の激情が籠った一喝に、思わずシスティーナの肩が震える。

 それでも彼女はその場に屹立し、両手を翳し、威嚇するようにジャティスとアルフレートたちをキッと睨み据えていた。

 

 

「小僧の言う通りだ……君がいるべきは、こんな血塗れた戦場じゃあない! 早く立ち去れ!」

 

「……そうかもしれません。でも、()()は私だけじゃない」

 

「……!?」

 

「私は――貴方たち2人を、連れ戻しに来たの」

 

 

 システィーナの言葉に、思わず2人が絶句する。

 しかしそれもほんの一瞬。再び意識が戻ると、両者とも烈火の如く怒りを燃え上がらせ、再度彼女への激情の言葉を叩きつけた。

 

 

「ふざけるな! 君如きの力でどうにかなるとでも思ったかッ!?

 未熟な魔術師……否、子供が加わったところで何も変わらん! 聡い君がどうして――がッ……!?」

 

 

 叫んでいる最中、口奥から溢れた血が彼の言葉を断った。

 元々満身創痍の身を力ませ、さらなる負担をかけた結果だ。

 吐血で何も言えなくなった彼から引き継ぐように、続けてグレンがシスティーナへと叫び飛ばす。

 

 

「月香の言う通りだ! そもそも、俺はお前らとは違う! あいつらと同じ、あっち側の――」

 

「――だから、何だって言うんですか?」

 

「……!?」

 

 

 予想外の言葉を受けて、グレンの言葉が再び止まる。

 

 

「……正直に言えば、私は今でも、貴方たちが怖いです」

 

 

 魔薬により凶暴化したとはいえ、一般人を躊躇なく殺して見せたグレンの本性。

 帝国政府さえ手を焼き、グレン以上にその手を血で染めた大犯罪者が、自分の日常のすぐ傍にいたこと。

 今でもそれは恐ろしく感じる。正直に言って、心中の震えは止まらぬままだ。

 

 

「私は弱いから……臆病だから、貴方たちを拒絶してしまった。2人とも、知られたくないことさえ明かして、必死で守ってくれたのに……ごめんなさい」

 

「……」

 

「でも、思い出したの。貴方たちは、ただ怖いだけの人間じゃないってことを。凄く怖い今の2人も、学院で馬鹿なやり取りしてた2人も……どちらも、貴方たち自身。全部合わせて、貴方たちという人間なのよ……」

 

 

 それに――

 

 

「後悔したくない。その先に後悔しかない選択だけは、絶対にいや……だから私は、私自身のためにも、こうして戻って来たの。

 ……だから、先生――」

 

 

 

 

「――帰って来てよ。こんな形でのお別れなんて、絶対にいやだよ……!

 戻って来て、また2人で、私たちの傍に居てよ……ッ!」

 

「白、猫……」

 

「……」

 

 

 涙を浮かべ、必死の形相で希う少女に、もはやグレンたちは、これ以上何かを言う気力はなくなっていた。

 やがて内側の激情も収まり、ようやく心も落ち着きを取り戻し始めた、丁度その時だった。

 

 

「――やれやれ。不覚を取ったな」

 

 

 アルフレートに支えられ、再び立ち上がったジャティス。

 礼服に付着したゴミを取り払うような素振りを見せてこそいるが、その意識は絶えずグレン――否、今や別の人物へと向けられていた。

 

 

「『君が戻ってくる』未来なんて予測になかったよ。完全に想定外だが……」

 

「……ジャティスさん、でしたっけ?」

 

「ん?」

 

「もうこれ以上、先生たちに関わらないでください。貴方と先生たちの住んでいる場所は違うんです」

 

「は? 何を言っているんだ君は?」

 

 

 馬鹿にしたように反論するジャティスだが、その目までは笑っておらず、変わらぬ不気味さを湛えている。

 

 

「グレンと月香は僕と同じ側の人間だ。何も知らないからこそ、そんな馬鹿なことを言え――」

 

「うるさいです。黙っててください」

 

 

 だが、そんなジャティスの反論をシスティーナは真正面から切り捨てた。

 

 

「正直、グレン先生が昔、何をやっていたかなんて興味ありません。ギルバート先生だって、少なくとも貴方が思うような人じゃない」

 

 

 数ヶ月前の学院テロ未遂事件。思えばあそこから全てが始まった。

 魔導士としてのグレンの一端を垣間見た。稀代の殺戮者たる『血塗れの殺人鬼』と直に見えた。

 万民にとって、そして自分にとっても恐ろしく映ったのかもしれないが……少なくとも、『本当の顔』はそうじゃなかった。

 

 

「例え裏の顔がどんなものであろうとも、先生たちはこちら側の人間で、私たちの恩師です」

 

「……ウザいね、君。容姿だけじゃなくて、性格もセラに似てるんだな」

 

 

 チッと忌々し気に舌打ちを鳴らす。その顔には既に余裕は失われ、苛立ちによって微かに歪んでいる。

 

 

「残念だけど、君の言うことは聞けないね。グレンは僕の最大の敵で、そして月香は僕の計画の()と成り得る可能性を持つ男だ。

 共に征し、制することで僕の正義は――」

 

「――バッカじゃないの?」

 

 

 ぴたり、と。システィーナのその言葉に、ジャティスのあらゆる動きは停止した。

 驚愕どころではない。自分自身の行動理念、あるいは信念を“馬鹿”と断じられたのだ。信じるが故に狂ったからこそ、システィーナの言葉は思わぬ形で彼にダメージを与えた。

 

 

「まず最初に、グレン先生を倒したところで何にもならないわよ? この人は馬鹿で、ロクでなしで、いい加減で、やる気ゼロで、魔術講師失格の駄目人間。そんな人をやっつけたところで、一体何の証明になるっていうんですか?」

 

「……そこまで言うか」

 

「次に、ギルバート先生。この人はグレン先生みたいなロクでなしじゃないけど、貴方の言う計画の鍵になるどころか、魔術の1つすら扱えないただの一般人よ。最近は事あるごとにすぐ姿を消すし、もういっそ兼業なんかしないで片方に絞った方がいいんじゃないかってくらい、仕事の両立ができないの」

 

「あ、いや……それは……君たちの言う『血塗れの殺人鬼』としての活動を――」

 

「何か文句ありますか?」

 

「……ごめんなさい」

 

 

 自分よりも10――下手すれば20近くは離れているだろう年下の少女から圧をかけられ、何も言い返せずに縮こまるギルバート。

 年若い少女の言葉すら言い返せないという事実に何気にショックを受け、顔を僅かに曇らせる2人だったが、一方のジャティスは、その顔を憤怒の色に染めていた。

 

 

「君は……この僕が認め、欲した2人を……愚弄するというのかッ!?」

 

 

 その怒りは、もはや熱すら伴っているのではと錯覚するほどに凄烈だった。

 それまでの狂気的な印象は吹き飛び、皮肉にもその状態のジャティスがこれまでで一番人間らしく見えていた。

 

 

「気が変わった……君は殺す。僕の魔術と、アルフレートの拷問術……ありとあらゆる手を尽くし、この世における数多無数の苦痛をもたらしてから殺す。己が口にした侮辱の数々を、地獄で詫び続けさせてやる……」

 

「――させねぇよ」

 

 

 憤怒に燃える視線を遮ったのは黒いローブ。

 纏う講師用ローブを脱ぎ捨てながら、システィーナを庇う形でグレンが立った。

 そして2人の横にまで歩み寄り、銃口をジャティスらに突きつけながらギルバートも彼らの傍に屹立した。

 

 

「地獄行きは貴様の方だ、狂人」

 

「先生……」

 

「白猫、月香、三人一組・一戦術単位(スリーマンセル・ワンユニット)だ。二人一組・一戦術単位(エレメント・ワンユニット)の方が本当は良いだろうが、今はこの組み合わせでやるしかねぇ」

 

「いや……配置そのものは二人一組・一戦術単位(エレメント・ワンユニット)のもので大丈夫だろう。

 小僧の魔術は即効性に欠け、俺に至ってはそもそも魔術は扱えん」

 

「じゃあ……私が後衛で、2人が前衛、ということですか?」

 

「まあ、そういうこったな」

 

「……どういうつもりだ?」

 

 

 3人のやり取りを見て、スッとジャティスの顔から表情が抜け落ちた。

 たった今ローブを脱ぎ捨てたという行為もそうだ。おそらくアレには、グレンが魔導士時代に扱った様々な魔術道具や武器が仕込んであるはず。それを脱ぎ捨てるだけでなく、あんな小娘(システィーナ)と組んで戦うとなれば、もはやそれは看過できない事柄だ。

 

 

「ふざけるなグレン! そんな小娘と組んで戦うなど……僕が打ち倒すべき君は、魔導士時代の君なんだ!

 全力の君と戦って勝たなければ、意味が――」

 

「やかましい。さっさと始めるぞ、このイカレ野郎ども」

 

 

 グレンとギルバートが前に、そしてシスティーナが後ろに。

 各々の配置ついた3人は、互いに視線を絡ませ、顔を見合った後、ジャティスらと対峙する。

 

 

「頼りにしてるぜ――()()()()()()()()()()()

 

「やっと、初めて……私の名前を呼んでくれたわね」

 

「フン……」

 

「システィーナ=フィーベル……ッ! 君のせいで、君のせいで、グレンが――ッ!」

 

 

 もはや激情を抑え切れなくなったジャティス。

 両手を突き出し、振り撒いた粉末(パウダー)によって大量の『彼女の左手』(ハーズ・レフト)を顕現させ、それら全てをグレンたちへ放つ。

 圧倒的物量による激流の如き猛攻。

 数に任せた陳腐な戦術ながらも、実はこの場で最も効果的なそれは、さらに言えばギルバートにとっては致命的なまでに苦手な戦術でもあった。

 

 それ故に――

 

 

()()()()は今か……!)

 

 

 心内にてそう呟き、月香の狩人は『奥の手』を抜くべく虚空にその手を伸ばした――。

 

 




 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。