ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

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 ようやく書きたかった話の1つに到達することができました。
 それでは前置きはこれぐらいで、どうぞ本編をお楽しみください。


第22夜 明かされる黒貌

 ——遂に、その日は訪れた。

 

 グレンとの作戦会議を経て数日。システィーナとレオスの結婚式日がようやく訪れた。

 仕掛け武器や銃火器を始め、輸血液や水銀弾、ナイフや毒メス、果ては小型トニトルスなどと、ありとあらゆる狩り道具の点検と改良、補充を済ませ、狩人装束も可能な限り調整を施してきた。

 万が一にも敗北はない、とは言い切れないが、その万が一すらも許されぬのが今回の作戦だ。

 未だ正体の掴めぬレオスであるが、あの男から滲み出ていたモノは、間違いなく常人が発せられる代物ではない。

 

 狂気と混沌が渦巻くヤーナムの夜を駆け抜けたからこそ分かる――アレは『狂気』だ。

 何かに酔い、惑わされ、あるいは自ら深淵に身を投じた者は、もはや怪物と何ら変わりない。

 そして怪物とは、只人風情の力でどうこうできるような柔いものではなく、だからこそ万全の備えをした上で、怪物狩りを業と定めた者が対処しなくてはならない――つまりは、『血塗れの殺人鬼』(ヤーナムの狩人)の出番というわけだ。

 

 

「——精が出るねぇ、お前さん」

 

「……何用だ」

 

 

 診療所内の片隅で、壁に背を預ける形で立つ人影が1つ――シモンだ。

 

 

「診療所の扉には鍵をかけておいた筈だが……」

 

「おいおい、鍵1つで遮れると思うか? まあ、少しばかり鍵穴を弄って失礼させて頂いたってのが真相なんだが……」

 

「……それで、何か用か? 生憎と、今日は俺も用事が――」

 

「学院の生徒の結婚式をぶち壊す……そんなところか?」

 

「……」

 

 

 完全に自分とグレンの行動が把握されていることに一瞬驚きを瞳に宿すも、すぐにそれは失せて、彼の顔から再び表情が消える。

 考えて見れば、シモンは元々市井に身を潜め、獣の兆候を監視する『やつし』だったのだ。

 環境に溶け込み、気配を消し、他者からの気を逸らすことに関しては超一級の腕を持つ彼ならば、どこかで自分たちの会話を聞き取っていてもおかしくはない。

 

 

「お前さんのおかげっていうべきかね、あの学院での出来事は、ある程度だったら把握してるんだ。

 無論、あんたが屋上であのレオスっていう若先生と戦って負けたこともな」

 

 

 助太刀できなくて悪かった、と。心底申し訳なさそうに謝罪するシモンだが、逆にそれで良かったとギルバートは返した。

 もしもレオスに、他のヤーナムの狩人たちの存在がバレでもしたら、それこそガスコインらに申し訳が立たない。

 幸いというか偽死を装い、レオスも自らギルバートの偽死を隠蔽したおかげで、今日まで周囲に怪しまれることなく準備の専念できたのだから、あの選択は間違いではなかったと思う。

 

 ——だが。

 

 

「あんたにとってはそれで良かったのかもしれないが、あのお嬢ちゃんはそうじゃないみたいだぞ」

 

「……?」

 

「そもそも何で、あの若先生があんたの偽死を隠蔽する羽目になったのか。それをちゃんと覚えているのか?」

 

「それは……」

 

 

 そこでようやく、ギルバートは思い出した。

 あの夜において、あの飛び降りの瞬間を目撃していたのはレオスだけではなかったのだ。

 システィーナ=フィーベル――グレンとギルバートを除けば、ルミア、そしてリィエルの2人の秘密を知る存在。

 あの場にレオスだけしか居なかったのなら、そもそも彼は隠蔽などという手のかかる行為はしない筈だ。

 それを行う必要があったのは、偏にあの場に自分以外の目撃者、つまりはシスティーナが居たからに他ならないのだ。

 

 レオスはギルバートの正体を薄々ながら察し、血だまりの中に死体がなかった点からギルバートの死を半信半疑で認識しているだろうが、まだ学徒の身であり、人の死に慣れていないシスティーナはきっと、ギルバートの死が真実であると認識してしまっているに違いない。

 

 

「元を辿れば、あの晩の一件はお嬢ちゃんと若先生の婚約から端を発しているものなんだろう?

 奴を倒すために必要だったとはいえ、あんたの偽死はあのお嬢ちゃんにとっては本物の死にしか映らなかっただろうし、それが自分が原因であると認識しちまっている。

 ……分かるかい。あんたが仕組んだ仮初めの死は、あのお嬢ちゃんを苛む罪の重りになっちまってるんだよ」

 

「……」

 

 

 そんなつもりはなかった――そう言いたくとも、口が言葉を紡ぎだせない。

 知らぬところで必要のない罪の十字架を背負わせていたことに、少なからず衝撃を受けたギルバート。

 最後の準備を整え、しかし机上に置いてある狩り道具を手に取らぬまま、沈黙の中で屹立する黒装束にこれ以上言うのは酷と判断したのか、シモンもその顔に暗い影を作り、小さく謝罪の言葉を口にした。 

 

 

「すまん、別にあんたを追いつめるわけじゃあなかった。……だが、こいつだけは分かってくれ。

 知られたくないからこそ隠すのが秘密ってやつだが、そいつのせいで振り回され、最終的に破滅する連中もいるってことを。

 医療教会のイカれた医療者や、ビルゲンワースの墓荒し共みたいな連中ならどうなろうと知ったこっちゃないが、あのお嬢ちゃんはまだ“白”だ。背負う必要もない罪を背負い、その重みで潰れて終わっちまうなんて最期は……あんまりじゃないか」

 

 

 それ以降、彼は何かを言うことはなく、簡素な扉を開けて外へと出ると、そのままギルバートの前から姿を消した。

 秘密を暴き、その罪による苦しみより解放をしてきたことは幾度となくあった。

 だが、今ではその自分が秘密を抱き、その秘密に苦しむ人が出てくる始末。

 

 

「……」

 

 

 己の愚行を戒めるように、歯を力の限りに食い縛る。

 せめてその苦しみを長引かせぬよう、早くこの一件(あくむ)を終わらせよう。

 その思いを胸に、ギルバートは机上に置いた狩り道具を手に取り、診療所の扉から外へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 ――純白の花嫁衣装(ウェディングドレス)が重い。

 

 そう感じたのは、偏に彼女の双肩に掛かった重圧と、泥のような罪悪感が故だろう。

 レオスは変わってしまった――あの一夜の出来事を切っ掛けに、システィーナはそう考えて止まなかった。

 あの優しい幼なじみが、自分の友人たちの秘密を武器に脅迫し、そして婚姻のために何の罪もない一般人すらも殺してしまった。

 その事実はシスティーナを苛み、純白で彩られた身形とは真逆に、今の彼女の心は泥か黒油を塗りたくられたかのような黒で塗り潰されてしまっている。

 

 

「これより、汝らの歩む先は、あらゆる艱難辛苦が魔の者の声となりて――」

 

 

 司祭の聖書朗読が進む度に、彼女の顔に暗さが増していく。

 紡がれる聖言の1つ1つが彼女の罪を指摘し、弾劾しているかのようだった。

 事実、今回の婚姻騒動の裏で、1人の人間が巻き込まれ、死亡した。

 

 ギルバート――システィーナたちが入学する以前より医務室の補佐として学院に勤め、ほんの数日前から彼女たち2年2組の補佐も兼任することとなった人物。

 フェジテで診療所を営む町医者という点を除けば、魔術師ですらない単なる一般人の彼は、あの晩にレオスとの戦いの果てに死んだ。

 普段の平々凡々とした佇まいからはかけ離れた身のこなしには驚かされたが、それでもやはり、一般人と魔術師との間にある差は埋めるには至らず、激闘の果てに彼の身体は屋上より落ち、落下した地面には彼のものらしき血だまりだけが残されていた。

 

 死体がどうしてなかったのか、と。後に落ち着きを取り戻した際に気にならなかったわけではないが、どちらであれ、彼が死亡したことに変わりはなく、そして間接的にそれが自分のせいで起きてしまったことだとシスティーナは思い込んでしまっていた。

 

 

(私が……私がもっと早く、受け入れていれば……)

 

「——誓います」

 

 

 思い悩んでいる最中、誓約の儀にまで移行していたらしく、隣に立つレオスが宣誓の言葉を発した。

 そして続く言葉は、システィーナに向けてのもの。

 聖言を以て問い掛ける司祭に、システィーナもレオスに続く形で宣誓すると、いよいよ式も大詰めとばかりに司祭は高らかに問いの言葉を紡いでいく。

 

 

「我、主の御名において、この式に参列する者に今一度、問い質さん。汝らはこの婚姻に讃するか? この婚儀に讃し、祝福せし者は沈黙を以てそれに答えよ……」

 

 

 司祭の言葉に異を唱える者はなく、聖堂内を沈黙が満たす。

 

 

「今日という佳き日、大いなる主と、愛する隣人の立ち合いの下、今、此処に2人の誓約はなされた。神の祝福があらんことを――」

 

「——異議ありッ!」

 

 

 バンッ――!

 先程までの静謐をぶち壊すかのように、真正面から聖堂の扉が開かれた。

 そしてその間を抜け、現れたその人影は、聖堂内にいる参列者たちにとって見覚えのあるものだった。

 

 

「グレン、先生――!」

 

「悪ィな、レオス。お前如きに白猫は――」

 

 

 指の間に数個の球体を挟めたまま、グレンは左手を高く掲げた後、

 

 

「——渡さねえよッ!」

 

 

 カ――ッ!

 

 球体が爆ぜ、直後に眩い光が聖堂内を染め上げる。

 光が彼らの視界を奪い、程なくして世界に色が戻り始め、元の色合いに戻った頃には。

 乱入してきたグレン、そしてレオスの隣にいる筈だったシスティーナの姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

「は――花嫁が攫われたあああああああああああああッ!?」

 

 

 参列者の1人が吐き出した絶叫は木霊し、どこまでも響き渡っていった。

 

 

 

 

 

 

「——どうやら、上手くやったようだな」

 

 

 東地区の路地裏、その一ヶ所に姿を潜ませていたギルバートは、誰に告げるわけでもなく独り呟いた。

 まずは第一関門突破。であれば、次は合流地点にして決闘場である西地区へと向かうべきだ。

 

 そうと決まれば行動は迅速に。

 狩人の持つ俊足を発揮し、影が覆う路地裏の狭道を縫うように疾走し、ギルバートは目的地へと駆け抜けて行った。

 やがて西地区へと到着し、合流地点の近くにある適当な暗がりに身を隠すと、暫くして忙しなさを感じさせる足音が響き渡ってきた。

 

 

「はぁ……はぁ……取り敢えず、撒いたか……」

 

 

 足音が止み、肩を上下させて疲労の表情を見せながらもグレンは抱えていたシスティーナを下ろす。

 すると、その瞬間を待っていたかのようにシスティーナはその場から駆け出そうと動き、そして咄嗟に伸びたグレンの手が彼女を逃すまいと彼女の腕を掴み、引き留めた。

 

 

「お、おいっ、待て――」

 

「離して! 離してよッ! もういい加減にしてッ!」

 

 

 目に涙を溜め、今にもそれを溢れさせそうな顔で手足を動かし、暴れ出すシスティーナ。

 確かに急に現れた上、何の事情を話さぬまま攫って来たことについて申し訳なさを感じないグレンではなかったが、それにしても過剰すぎるその反応に思わず目を丸くし、慌てた口調で制止の声を発し続けた。

 

 

「静かにしろ! 折角撒いたってのに、また気づかれちまう!」

 

「貴方なんか大嫌いッ! 私はレオスと結婚するの! レオスと結婚しないと……ルミアが、リィエルが――!」

 

「……ああ。分かってる。それを承知した上で、俺はお前の味方だ!」

 

「離し――え……?」

 

 

 グレンのその言葉を耳にしてシスティーナは手足を止め、目を見開いて彼の方を見つめた。

 

 

「事情は知ってる。ルミアとリィエルを守るために、お前は1人で戦ってたんだろ? ……よく頑張った、あとは俺たちに任せろ」

 

「——ッ!」

 

 

 溜めていた涙が遂に溢れ、頬を伝って零れ落ちていく。

 そして縋るように彼へと手を伸ばし、彼の纏う講師用ローブに触れんとしたすんでのところで――。

 

 

「……やっぱり、駄目です」

 

「……白猫?」

 

 

 伸ばした両手を再び戻し、力なく下げて彼女は否定の言葉を紡ぐ。

 一体何故、と問うよりも早く、システィーナはその理由を、喉奥から絞り出すように話し始めた。

 

 

「駄目なんです、先生……ルミアやリィエルだけじゃない。私が結婚しなければ、レオスは……レオスは、また……」

 

「……ああ。分かってる。そのことも含めて、今日野郎と決着を――」

 

「分かってない! グレン先生は――全然分かってない!」

 

 

 悲哀に塗れた声から一変し、怒りの籠った叫声がグレンに叩きつけられる。

 

 

「レオスはもう……私の知ってる昔のレオスじゃなくなってる!

 彼は、私と結婚するためなら、どんな酷いことにだって手を出すようになった!

 私が……私がもっと早く、受け入れていれば……!」

 

「……白猫、お前……」

 

「私のせいで――ギルバート先生は、レオスに殺されたんです……」

 

 

 瞬間、グレンは絶句した。

 世間的には、レオスの偽装工作によってギルバートの死――本人の手による偽死だが――は隠蔽され、長期出張となっているが、実際彼が屋上から落とされる場面を、システィーナだけは見ていたのだ。

 親友の秘密を人質に取られた上、これまで相談できる相手がいなかったことを考えれば、一体彼女にどれだけの精神的負荷が掛かったのか。

 そしてもし、自分が彼の思う通りに動かなければ、また関係のない人が殺されると――そう彼女は考えるに至ったのだろう。

 

 

「長期出張に行ったって伝わってるけど……あれは嘘。レオスが、ギルバート先生の死を隠すために作った、嘘なの……!」

 

 

 涙が零れ落ちる度に、彼女は唇を一層強く噛み、己を戒めるように痛みを与える。

 

 

「だから、私はレオスと結婚しないといけないの! そうしないと……また、誰かがレオスに、殺されちゃう……!」

 

「……」

 

 

 遂に我慢の限界を超え、泣きじゃくるシスティーナ。

 その彼女に対し、グレンは慰めの言葉を掛けることはできなかった。

 きっと何を言ったところで、今のシスティーナには気休めにさえならないだろう。寧ろ、その件に関する言葉はどのようなものであれ、彼女の心を抉る刃となるだけだ。

 

 その傷を癒す方法は唯一つ――そしてそれを実行する代償は、決して小さなものではない。

 

 

「……っ!?」

 

 

 ふと――路地裏の奥より感じた複数の気配に反応し、グレンの視線がそちらへと移る。

 見ればそこには複数人の一般市民の姿があったが、そのいずれもがまともな状態とは言い難い様子だった。

 虚ろな目、土気色の肌、漏れ出る呻き声——。

 手には包丁や鉈、物干し竿、変わったところではシャベルなどもあり、皆不自然に武装していた。

 

 何故、一般市民があのようなものを携えて此処に――? と考えたところでグレンはハッと思い出したかのように目を見開き、そして双眸を細め、鋭利さを帯びたものへと変じさせた。

 

 

『天使の塵』(エンジェル・ダスト)の、末期中毒者……!?」

 

「えっ……?」

 

 

 思いもよらぬ乱入者の存在に驚きつつも、既にグレンは行動に移っており、その手は腰に差していた拳銃を引き抜き、構えていた。

 しかし僅かな時間差からか、彼が拳銃を構え、銃口を向けるよりも早く中毒者の1人が駆け出し、驚異的な跳躍力でグレンらへと襲い掛からんと跳んでいた。

 

 

「きぃああああああああああああああああァッ!!」

 

 

 奇声を上げ、振りかぶった鉈を叩きつけんと中毒者が迫る。

 鈍い輝きを宿した分厚い刃がシスティーナの肌を衣装ごと血に染めんと、徐々にその距離を縮め、そして――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——()()()()

 

 

 甲高くも重みを感じさせる銃声が響いた後、中毒者の額より鮮血が溢れ出た。

 黒みを帯びた血を噴き出しながら、空中で身体を弓形に曲げて、中毒者はそのまま背より地面に落ちていく。

 びちゃり、と肉が爆ぜ、血が飛び散る音が鳴るも、もはやその程度で2人は驚かなかった。

 寧ろ、2人の意識は銃声の発せられた方角へと向いており、やがてそちらより聞こえてきた靴音を耳にしつつ待っていると、路地裏の暗がりより()()()()は姿を現わした。

 

 

「血塗れの――殺人鬼……!」

 

「……」

 

 

 そこに居たのは、『天の智慧研究会』の外道魔術師たちによるテロの際に見えた黒尽くめの人物。

 4年前のとある一夜を境に現れ、以来外道魔術師を狩り続け、帝国にその悪名を轟かせ続けている稀代の連続殺人鬼。

 そしてどういう所以があってか、グレンと奇妙な縁で結ばれているという最凶の怪人――『血塗れの殺人鬼』。

 

 あの時は別の理由があって学院を訪れ、目的を果たすためにグレンに協力したと聞いているが、今回何故、昼間だというのにその姿を現わしたのか。今のシスティーナには、それが理解できなかった。

 しかし、注がれる視線にはかつてのような冷たさこそあれど、底冷えする程のものではない。

 寧ろ、その視線を通して、彼が自分とグレン――否、自分(システィーナ)に対して哀れみと申し訳なさを抱いているような、そんな気がした。

 

 

「お前、何で出てきたんだ!?」

 

「このような状況になれば、多少の計画変更も止むを得まい」

 

「っ……けどよ!」

 

「……どういうこと、ですか?」

 

 

 今のグレンの口ぶりからして、まるでグレンと殺人鬼が協力し合い、何かを為さんとしているように聞こえる。

 慌てたグレンはすぐさまシスティーナの方へと向き直り、必死に何かを隠そうと言葉を並べていく。

 しかし、そこでまた中毒者が迫り、携えた得物を振り下ろさんとしたが、それもまた殺人鬼の放った銃撃によって阻止された。

 

 そして中毒者たちが少しの間は襲い掛かって来ないことを確認してか、殺人鬼はその黒装束を揺らし、硬い靴音を鳴らしながらシスティーナの下へ歩み寄って来た。

 

 

「……」

 

「……っ」

 

 

 一言も言葉を発さず、ただ眼前にて屹立し、見下ろしてくる彼の姿に恐怖を覚えた。

 口元はマスクで覆われ、頭に被った枯れ羽帽子のせいで表情もよく見えない。

 ただ、唯一露出している目元からは、彼が何を思い、どのような目付きで自分で見下ろしているのかを知ることはできた。

 そこにあるのはやはり冷たさを帯びつつも、自分に対して悲哀と、そして謝罪の念を帯びた瞳。

 たった1度、それも彼が侵入した学院の一生徒に過ぎない自分に対して、何故そのような感情を向けてくるのか。

 どうして自分たちを助けるような行為をしたのかと疑問を抱いているうちに、殺人鬼は1度その双眸を閉じ、マスクで覆われたその口元から何かを呟いた。

 

 

「……まさか、シモンの言葉が真実だったとはな」

 

「……?」

 

 

 閉じていた双眸を再び開き、殺人鬼は語り出す。

 

 

「話は影から聞いていた。小娘……お前は婚約者による殺人が、自分のせいだと思っているようだな」

 

「……」

 

「だが、その責は無用のものだ。元はお前とその婚約者より始まった騒動、その過程で婚約者が殺人を犯そうとも、それは実行者の罪であり、お前自身が罪を負う必要はない」

 

「……っ、貴方に……一体、何が分かるって言うんですか……」

 

 

 キッと怒りを孕んだ目付きで殺人鬼を見上げ、睨みつける。

 恐怖はあるが、それ以上に今の発言に対する怒りが溢れて仕方がない。

 深い事情も知らないくせに、さも何でも知っているかのような口ぶりで自分(システィーナ)の無罪を説く彼が許せなかった。

 そして、その免罪の言葉に僅かでも安堵を抱いている自分自身を――。

 

 

「何も知らない人が……平然と命を奪える、貴方みたいな人が! 分かったような口を利かないで!」

 

「まっ、待て待て白猫! こいつは、その……おい、これ以上何も言うな。余計混乱しちまう――」

 

「——構わん」

 

「な――っ!?」

 

 

 明かすべきではないのだろう。自分自身の目的のため、そして巻き込む人間をごく少数に抑えるために、関わりを持たせるべきではないのかもしれない。

 だが、自分の為したことが原因で心に傷と()を抱えてしまったのなら、その原因(病原)を取り除くのは他ならぬ自分の務め。

 

 

「平然と命を奪える……か。確かにお前の言う通りだ、小娘。

 無関係の一般人や善人に対してはともかく、狂人や救いようのないクズ共を殺めたところで、俺の心が痛むことはない」

 

 

 だが――と。

 再び集まり始めた中毒者たちへ再度発砲し、撃ち漏らした個体には右手に握る新たな得物『ノコギリ槍』で応戦し、燃え上がる鋸刃で焼き切った。

 

 

「お前の抱える罪の意識について、助言をくれてやる権利はある。

 そも、お前がそのような十字架を負う必要はなく、それを理由に自らを犠牲に捧げ、事を収めるべきでもない」

 

「何で……何で、そんなことが言えるのよ……一体何なのよ、あんたは……!」

 

「……君も良く知っている男だよ――()()()()()()()

 

 

 一瞬、呆けた表情を浮かべ、見つめてくるシスティーナに、殺人鬼は携えたノコギリ槍を地面に突き立てると、その右手を枯れ羽帽子の上に乗せ、スッとそれを頭から取り外す。

 そして銃を持つ左手を器用に使い、口元のマスクを下ろして素顔を晒した時、システィーナは信じられないものを見たかのように目を見開き、絶句した。

 

 

「もう1度言おう。君が罪の責に苛まれることも、その重い十字架を背負う必要もない。

 あの男(レオス)は確かにまともではないが、あの晩奴は誰も殺してはおらず、そして誰も死んではいない」

 

「……っ、う、そ……!」

 

 

 かろうじて紡げた言葉に、殺人鬼はその素顔に小さく、緩やかな孤を描き、笑みと共に応じる。

 

 

「すまなかったね、システィーナ君。——俺が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ギルバート)が――『血塗れの殺人鬼』だ」

 

 

 

 

 

 

 

 


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