ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

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第21夜 一夜の交戦

 学院へと到着した後、その場で生徒たちは解散となった。

 演習の熱が未だ冷めぬ彼らの喧騒を背に、ギルバートはセシリアと共に医務室へと戻り、室内の整理に取り掛かった。

 途中、幾度かセシリアが吐血し、清掃した床をまた拭きなおす羽目にもなったが、もはやいつものことと割り切り、苦笑とため息1つを出しながら、ようやく彼らもその日の業務を終えることに至った。

 

 

「それではセシリア先生、また明日」

 

「はい。ギルバート先生、明日もよろしくお願いしますね」

 

 

 最後に確認するため医務室に残るセシリアに別れを告げ、街にある住居に戻ろうとしたその時、ふとグレンのことを思い出した。

 自分たち同様、校舎に戻ったはずのあの若輩講師の姿が、あれきり見られなかったのだ。

 あのような出来事もあった後だ。後仕事を済ませてすぐに帰路に就いたとも思えない。

 

 

(であれば、あそこか)

 

 

 諸々を詰め込んだ黒鞄を携え、階段を上っていく。

 靴音を鳴り響かせながら、夜の色が濃くなっていく校舎内を上がっていくとやがて目的の場所――屋上への入り口が見えてきた。

 扉の隙間を通して注ぐ月光を浴び、いざ屋上へと扉の前へと歩を早めた、丁度その時だった。

 

 扉をくぐり、決して浅くはない傷を負ったグレンがやって来たのは。

 

 

「——小僧……!」

 

 

 まだ自分が学院内にいることも忘れ、思わず素の状態時の呼称でグレンを呼びながら、彼の体を支えるように手を伸ばした。

 致命傷ではなくとも、決して浅いとは言えない傷。

 鋭利な刃物でやられたらしい裂傷もそうだが、その他にも打撲や火傷があったのを察するに、加害者は炎熱系統の魔術師――それも近接戦においてもグレンに劣らぬ技量を有した人物となる。

 

 

「何があった?」

 

「……」

 

 

 傷を負った腕を押さえ、湧きあがる感情を噛み殺しているかのように口を強く結んでいるグレンは何も答えない。

 だが、それでも伝えるべきことは伝えんと強く縛られた口を僅かに開くと、その隙間から極小の言葉を口にした。

 

 ——“この先へは行くな”、と。

 

 それからグレンは、それ以上何を言うわけでもなく、腕を押さえながらも苦悶の声を上げることもなく、階段を下へと降りていった。

 仲間——と言うには少々歪な関係であるが、かつての宿敵からの忠告は決して意味を持たぬわけではないだろう。

 この先に『何か』がいる。若くしてこの世の負、その一端を垣間見てきた青年が、重い言葉で以て危険を知らせるほどの『何か』が。

 行くべきではないのだろう。危機より逃れるためならば——だが。

 

 

(危険を冒さねば、知ることもできない……)

 

 

 心の奥底でグレンに小さく謝罪し、そして自らの身を放り投げるように彼は残る階段を駆け上がり、扉をくぐってその先――屋上へと出た。 

 

 

「——ギルバート、先生……?」

 

 

 夜空の下、石床の屋上の上に立っていた人影は2つ。

 1つは生徒のもの――グレンとギルバートが受け持つ2年2組の生徒、システィーナ=フィーベル。

 そしてもう1つは――

 

 

「——全く、今度は貴方ですか。ギルバート先生」

 

「……レオス先生」

 

 

 吐き出す言葉とは裏腹に、レオスの表情には彼に対する不快感は微塵も無く、寧ろ彼の到着を待っていたかのような喜悦が見て取れた。

 しかしその喜悦にこそ、ギルバートは悪寒を感じて止まなかった。

 

 

(この感覚は……)

 

 

 電撃のように駆けあがり、そして泥土のように背に張りつく得体の知れないナニか。

 否――得体の知れない、などあり得ない。少なくとも最後の狩人(じぶんじしん)にとっては。

 

 

「……ここで何をしているのですか」

 

「何を、と……見て分かりませんか。婚約者同士、仲を深め合っていたところですよ」

 

「ほう……今どきの婚約者は、片方を泣かせてこそ仲が深まるのですか」

 

 

 そうですか、と。目元に涙を溜めたシスティーナを見つつ、そんな皮肉を口にするが対するレオスは変わらぬ薄ら笑いでじっとギルバートを見据えているのみだ。

 

 

「先程そこでグレン先生に会いました。体の所々に裂傷、火傷、そして幾つかの打撲を負った状態で」

 

「それはお気の毒に――」

 

「——惚けないで頂きたい」

 

 

 吐き出す言葉の1つ1つに熱が籠る。この閉ざされた状況の中で、グレンに対してあのようなことができる可能性がある人物は、少なくとも彼以外にはあり得なかったからだ。

 気配遮断、または透明化能力者が近くにいるのなら話はまた違ってくるが、歴戦の中で培った狩人の感覚が、この場に自分たち3人以外いないことを密やかに告げていた。

 

 故にその可能性はない。グレンに傷を負わせたのは、間違いなくあの男(レオス)だ。

 

 

「システィーナ君が魔術に関して優秀であることは知っているが、それでもまだ一生徒。今日の兵団戦で実戦経験を積んだとしても、生身の人間相手にあそこまで躊躇のない傷を負わすことはできない」

 

「ギルバート、先生……」

 

「さらに、彼の体にあった痣……あの色深さは、女子供の筋力程度でできるものではない」

 

「それで私がやったと? 確かに私は軍用魔術の専門家(エキスパート)ではありますが、軍人ではありません。研究者でしかない私が、どうやってグレン先生にそれ程の傷を負わせられると言う――」

 

 

 最後まで言い切るその直前、レオスとシスティーナへ一陣の風が吹いた。

 いや、正しくは吹いたのではなく()()()()()と言うべきか。

 風が彼らの頬を撫でると共に、夜空に白い布が舞っていた。

 それはギルバートが常に身に纏っている白衣であり、彼の姿は既に扉の前にはなく、拳を突き出す形でレオスの前に存在していた。

 

 そして繰り出された拳を、レオスは体ごと首を左に動くことで回避していた。

 だが、直撃こそ免れたとはいえ、その白い頬には一線の傷が出来ていて、そこから溢れた血が彼の肌を伝い、流れ落ちていく。

 

 

「……成程。どうやら貴方も、皮を被っていたというわけですか」

 

「何故グレン先生を襲った? 昼間の演習結果に対する不満解消にしては、やり過ぎどころの話ではないぞ」

 

「いいえ、そんな理由ではありません。私はただ、彼がシスティーナに相応しい人間ではないこと、彼女の立つ側に在るべき存在ではないことを教えてあげただけです」

 

「……」

 

 

 意識をレオスからずらすことなく、片方の目のみをシスティーナに向け、彼女が気づくように視線を強めて見据える。

 その視線に気づいたシスティーナは、一瞬怯えたように体を震わせたが、それから間もなく小さく首肯し、レオスが口にした言葉が真実であることを伝えた。

 

 完全ではないながらも、大方の真相は理解できた。

 おそらくレオスの口にした挑発じみた言葉に怒り、グレンが先に仕掛け、それをレオスが防衛という形で叩きのめしたのだろう。

 そして今の発言——おそらくレオスは、グレンの過去を知っている。

 『在るべき存在ではない』、『相応しい人間ではない』……彼の前職を知っていなければ、こうも的確に彼の暗黒時代を突く発言はできないはずだ。

 

 

「そしてソレは、貴方にも言えることでしょう――ねぇ?」

 

 

 刹那――ギルバートの拳が空を薙ぐ。

 丸太や鉄柱を振り回したかのように周囲の空気を巻き込みながら、レオスの横顔に拳を叩き込み、吹き飛ばして見せた。

 死んではいない。致命傷にもならないよう加減はした。だが、意識を刈り取るだけの威力は込めていた。

 

 だというのに、レオスは石床に転がり、激しく咳き込みこそすれどすぐさま立ち上がった。

 その顔に、折角の端正さを台無しにせんばかりの酷薄な笑みを湛えて。

 

 

「やれやれ……グレン先生といい、貴方といい。2組の講師は乱暴者揃いなのですか?」

 

「……」

 

 

 ギルバートにレオスに対する言葉はない。

 ただ無言で、沈黙したままレオスの意識を刈り取ることに集中する。

 やはり錯覚などではなかった。先程感じた()()()()は、間違いなくレオスに対して起きたものだったのだ。

 まるで別人のように変わり果てた今の性格が気にならないわけではないが、今考えるべきことではない。

 

 全ては彼を捕えてから――そう再び意思を固め、今度こそ意識を奪わんと石床を蹴り上げ、拳打を見舞わんと右腕を引き絞り、そして。

 

 

「——!」

 

 

 そして彼は――突然後方へと()()退()()()

 身体能力的に見て、近接戦ではギルバートの方が圧倒的に有利なのは確かだ。

 その優位性を自覚した上で、何故突然退いたのか……その理由は彼の視線の先にあった。

 

 立ち上がったレオスの眼前。そこにはいつの間にか、赤い結晶体のような()()が浮遊していた。

 

 

「先生……それです! その結晶——『人工精霊』(タルパ)がグレン先生を……!」

 

「タルパ……?」

 

 

 魔術に関しては、対外道魔術師戦のことも考えてある程度の知識はあったが、初めて聞くその単語にギルバートは思わず繰り返した。

 だが繰り返したところで相手が答えてくれるはずもない。

 先の拳打の一撃を切っ掛けに、レオスも本格的にギルバートを敵と認識したのか、今は交戦意識を明確に表わしている。

 最初の人工精霊から続き、2体目、3体目と数を増やし、攻め手と守り手を揃え、攻防双方を整えているのが何よりの証拠だ。

 

 

「先生、逃げてください! グレン先生でも無理だったのに、一般人のギルバート先生では――!」

 

 

 先程の動き、その俊敏性からもしかしたらと思ったシスティーナも、今はギルバートに逃げろと言う他なかった。

 ()()()()をまだ知らないシスティーナにとって、ギルバートはグレンと違い、ただの一般人だ。

 昼の活躍と、たった今見せた身体能力こそ目を見張るものがあったが、相手が魔術を使ってくるとなればそれも意味はない。

 ましてそれが『人工精霊』(タルパ)——錬金術の秘奥と称される御業となれば、万が一にもギルバートに勝ち目はない。

 

 そしてそれは、他ならぬギルバート自身もそう認識していた。

 

 

(……まずい)

 

 

 攻撃を回避しつつ、相手の命をじわじわと削り取る戦法を常とする狩人の性質上、回避には自信がある。

 だが、レオスの正体が未だ掴めぬ上に、この場にはその他にもシスティーナがいる以上、仕掛け武器を使うこともできない。

 正体を知る者が徐々に増えてきたとはいえ、そう簡単に己の正体を明かしていいというわけではないのだ。

 それは、ギルバートの今後の行動に対する支障の発生にも繋がるだけでなく、自分の正体を知った者たちに、少なからず被害が及ぶ可能性まで生まれることを意味するからだ。

 

 

(銃ならば……いや、仮にも一般人が銃火器を所有していると知られれば、後でそのことを何に利用されるか分からん)

 

 

 情報もまた政治的・社会的武器である以上、銃の所有を知られるわけにもいかない。

 既に貴族を相手にし、挙句暴力を振るっている以上、この時点で充分に一線を越えているのだが……

 

 

「——どうしました? 動きが止まっていますよ」

 

「……!」

 

 

 使える手段・戦術に思考を巡らせている隙をレオスは見逃さなかった。

 繰り出した2体の人工精霊がギルバート目がけて突進してくる。

 それを紙一重で回避するギルバートだったが、微かに掠めた箇所より生じた灼熱に顔を歪ませ、苦悶の声を口内より漏らす。

 

 

「ゥ、ぐぅ……ッ!?」

 

「賢明ですね。それは火の精霊『サラマンダー』を具現召喚した『爆焔霊・偽』(サラマンダー・フェイク)。直撃すれば火傷どころでは済みませんよ」

 

 

 レオスからの遅い忠告に舌打ちしつつも、これで先のグレンの身体にあった火傷の原因が判明した。

 おそらく切り傷も、その人工精霊とやらの結晶部分によってできたものなのだろう。

 接触は不可能。仕掛け武器、銃火器類の使用も不可。使えるのは己の身体と周囲の置物、壁くらいだ。

 そして、幾千幾万の夜と共に培った戦闘思考が、自動的に勝敗を予測する。

 

 ——勝てない。現状況において、ギルバートがレオスに勝つ可能性は欠片たりとも存在し得なかった。

 対多数戦が不得手というのも理由の1つだが、何より触れることさえままならない人工精霊の性質が、彼の勝率を底辺にまで叩き落としていた。

 勝算がほぼ皆無という状況の中、徐々に追い込まれていくギルバートと、苛烈に攻め続けるレオス、それを止めんと叫ぶシスティーナ。

 先のグレンとは違い、今のレオスは本気だ。本気でギルバートを追いつめ、攻め掛かっている。

 何故に魔術師ですらない彼をここまで追い込んでいるのかは謎だが、かつての良き幼なじみの凶行を、これ以上見てはいられなかった。

 

 

「やめて! お願いやめて、レオス!」

 

「ははは――さぁ、どうしますギルバート先生! そろそろ化けの皮を脱ぎ捨てては如何ですか!? さもなくば……ここで本当に死んでしまいますよ!」

 

「……っ、!」

 

 

 忌々しく睨みつけるも、状況は変わらない。

 灼熱の砲弾を絶えず四方八方から繰り出されているようなこの状況を覆すには、攻めの手段があまりにも欠けている。

 左へ、右へ、前へ、後ろへ……時に上へと回避・跳躍し、人工精霊の直撃を避けている。

 だが何事にも限界があるように、あるいはそうレオスが計算し、その状況を作り上げたのか。

 道を遮られ、もはや回避もままならないほどに追い詰められ、閉ざされた場。

 

 戦闘の最中に増やしたらしい人工精霊によって前と左右は塞がれ、跳んでもすぐに精霊が追いつき、灼熱を喰らわせてくる。

 唯一の逃げ場は後方だが、そこには既に石床はない――完全に詰んでいる。

 

 

(……いや、まだ――)

 

「さて、どうしますギルバート先生? かつてのグレン先生は、様々な苦境の中でなお生存し、乗り越えてきたそうです。

 であれば、彼が信頼する貴方は……只人でしかない貴方は、一体どんな凄業を見せてくれるのですか?」

 

 

 精霊の内、一体を繰り出し、レオスはそれを突撃させた。

 これまでの危機を総て紙一重で回避してきたギルバートだが、この状況ではもはや紙一重も何もない。完全に当たる。

 それでもなお抗うというのなら、一体彼はどんな方法でこの逆境を乗り越えようとするのか。

 

 酷薄な笑みの下で、そんな期待を抱いていたレオスとは対称に、ギルバートは白衣の内側に()()()()()、迫る精霊の鋭利な結晶体が自分とぶつかりそうになった――その瞬間。

 

 

 

 

 

 

 精霊の突進に合わせる形で、ギルバートは後ろから屋上より飛び降りた。

 

 

「な——」

 

「——ッ!」

 

 

 精霊の動きに合わせた上での飛び降りは、システィーナから見れば彼が精霊の一撃を受け、耐え切れずに落ちてしまったように見えただろう。

 レオスも、彼が自ら飛び降りたのか、それとも本当に直撃を受けて無様に落ちたのかどうか、はっきりとは分からなかった。

 故に彼は人工精霊を退かせ、すぐさま彼がいた場所に立ってその真下を見下ろしたが、そこに彼の姿はなく、あるのはぶちまけられた夥しい量の()()のみ。

 

 

(死んだ……? いや、それならば死体がないのはおかしい。だがあれだけの出血量……まともに動けるとは思えない)

 

 

 姿を消したギルバートの生死を判断するには情報(材料)が足りず。結局この場でレオスにできることは、何1つとしてなかった。

 あとに残された、死んだかもしれない恩師に対するシスティーナの泣き叫ぶ声と。

 

 赤く――そして夜の黒みを帯びた大量の血液のみだった。

 

 

 

 

 

 

 現実と幻想との間に揺蕩う異界。

 『狩人の夢』と呼ばれる未知の空間に、ギルバートの姿はあった。

 ヤーナムの狩人の正装とも言うべき黒装束に身を包み、けれども枯れ羽帽子と籠手は外した状態で、彼は独り机上で武器を弄っていた。

 否、弄っているのではなく改造していると言うべきか。

 常日頃から愛用している『ノコギリ鉈』と同系統の仕掛け武器『ノコギリ槍』に穿たれた孔に、工房内にある道具の1つを使って奇妙な石を捻じり込んでいる。

 

 あの晩、ギルバートは死ななかった。

 飛び降りこそしたものの、彼らの視界から失せたその瞬間に持ち前の空間歪曲技術を用い、白衣の下に潜らせていた右手である物を取り出し、地面に投げつけたのだ。

 そう――『血液』だ。とはいえヤーナム産の呪われた血液などではなく、医療用の至極健全な血液だ。

 表向きの顔を維持するため、必要であるがゆえにやっていた医者仕事ではあったが、今回はその副業に感謝したかった。

 おかげで無駄にヤーナムの血液を浪費することなく、『狩人の確かな徴』で夢に帰ることで、雑とはいえ自らの生死を曖昧にしつつ、無事にあの場を脱することに成功した。

 

 今頃外では、レオスがあの血だまりを処理し、自分(ギルバート)の死を隠蔽するための工作を行っているに違いない。

 あの場にシスティーナがいた以上、目撃者が1人いることは確実で、真実はどうあれ、自らの不利益になりかねない以上、レオスは隠蔽せざるを得ない筈だ。

 ギルバートの突然の失踪、その偽装。

 相手が自分の不在の理由をでっち上げてくれる以上、自分が動く必要はない。

 そしてその分の時間も含めて、自分はあの男(レオス)への対策と、武具の準備を整えることができる。

 

 

(だが結局、レオスがシスティーナ君に何をしていたのかは分からず終いだ……)

 

 

 しかし、あの時の彼女の様子、そしてグレンの受けた傷などを考えれば、件の婚約絡みであることは容易に想像がつく。

 残る謎は、あの男が昼間と夜とで性格にかなりの変化があったこと。そしてあの男の内側に、悪寒を感じてやまない『何か』があったことだ。

 その解答がなんであれ、やるべきことは既に定まっている。だからこそ、今こうして準備に勤しんでいるのだ。

 

 

「——狩人様」

 

「ん……何だ?」

 

「外の世界で、お客様がお目見えです」

 

「客……?」

 

 

 人形からの突然の知らせに、思わず訊き返すギルバート。

 一応診療所の扉には、『しばらく休診します』と御報せ板をかけておいた筈だ。

 それを知った上でやってきたということは、つまり診察が目的ではないということになる。

 

 一応、警戒は怠らず身形を白衣に戻しつつも、左手には『獣狩りの短銃』を握り、夢から診療所内へと戻ると扉の前に張りつき、覗き穴から『客人』の顔を窺う。

 

 

「……小僧?」

 

 

 覗き穴から見えた客人の正体を知ると、ギルバートは取っ手に手を掛け、ゆっくりと扉を開けていく。

 実は偽者では、という可能性も考えていたがどうやら本当にグレン本人であるらしく、これといった攻撃は仕掛けて来なかった。

 ……ただし、その視線には怒気が含まれていたが。

 

 

「……まずは中に入れ。話はそれからだ」

 

「……おう」

 

 

 ぶっきらぼうに答えた後、ギルバートに誘われる形でグレンは診療所内に足を踏み入れた。

 そして用意された簡素な椅子に腰掛けると、向かい合う形で座ったギルバートへ再び声を掛けた。

 

 

「色々言ってやりてえところじゃあるが……まずは、生きてたようで安心した」

 

「……それについてはすまなかった。短いながらもお前の忠告を無視した結果がアレだった。

 それで……外で俺はどういう風に扱われている?」

 

「一応、遠方の患者を診察するために長期出張したって伝えられてる」

 

「……レオスか」

 

「ああ」

 

 

 一体どうやって情報操作をしたのかはさておき、やはりあの晩のやり取りと結末はレオスにとってもまずいものであったらしく、予想通りに偽装工作を行い、隠蔽したらしい。

 

 

「今思えば、俺ももうちっと強く忠告してりゃあとも思ったが……」

 

「構わん。それにどちらであれ、俺はレオスの下へ向かっただろう」

 

「てめぇ……」

 

「秘密は暴かねば気が済まぬ……そんな性分らしいのでな、俺は」

 

 

 さて、と。そこで話を変えるようにそんな呟きを1つ入れ、今度はギルバートがグレンに問い掛けた。

 

 

「それで小僧、お前はこれからどうするつもりだ? あのレオスという男……このまま放っておくには危険に過ぎるぞ?」

 

「ああ、分かってる。どうやって調べたのか、奴は俺の過去も……そしてルミアとリィエルの素性についても知っているらしい」

 

「何だと……?」

 

 

 ルミアの正体は国家機密、そしてリィエルの出生については政府すら把握していない極秘情報だというのに、それを知り得ているとなれば、もはや単なる名門貴族の御曹司ではない。

 おそらくは『天の智慧研究会』に属する魔術師か、あるいは相当情報に長けた研究会に通じる人間かのどちらかだ。

 

 

「あの日の夜遅く、うちにルミアが訪ねて来てこう言ったんだ。

 白猫は、レオスとの結婚を受け入れた、ってな。無論、さっき言ったルミアたちの素性を脅迫材料とされた上での結婚だろうがな」

 

「……奴は、俺が単なる一般人ではないことを知っている節があった」

 

「なに……?」

 

「俺が先に奴に仕掛け、動きを見た上での発言だったが、どうもそれだけで判断したとは思えん。

 もしかしたら、ミコラーシュに通じている可能性もあり得る」

 

「あの変態檻野郎と……? クソッ、マジかよ……!」

 

「ああ。……だからこそ問いたい。小僧、お前はあの男を打ち倒すつもりなのだろう?

 もしそうだというのなら、その手段と計画を知りたい。お前も、そのことを兼ねて俺の下を訪ねて来たのだろう?」

 

「見通し済みかよ。……良いぜ。その耳かっぽじってよーく聞けよ」

 

 

 もはやこれは、貴族同士の婚姻だけで済まされる話ではない。

 ルミアとリィエルの素性をどうやって知ったのか、何を目的にシスティーナを求めるのか。

 探るべきこと、暴くべきことは山ほどあるが、確定していることは1つ。

 

 レオスを倒す――その決着の日は、既に定まっていた。

 

 

 

 

 

 4日後に訪れる週末——2人の婚姻の日に、レオスとの決着をつける。

 

 

 

 

 


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