ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

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第19夜 忍び寄る悪意

 ――レオス=クライトス。

 

 新興魔術一門『クライトス伯爵家』の次期当主候補の1人。

 私立校でありながら、アルザーノ帝国魔術学院に次ぐ魔術学舎『クライトス魔術学院』の教師であり、本人もまた、帝国総合魔術学会で名の知れた有名人だ。

 魔術に関する造詣が深く、特に軍用魔術に関しては、聞く話によるとあのハーレイでさえ認めているとのことだ。

 

 

「――で、どうだった?」

 

 

 大講義室の後方で、共にレオスの講義を聞いていたグレンとギルバート。

 魔術に関しては門外漢であるギルバートは、その内容がまるで分からなかったのでグレンにその内容と、レオスの講師としての腕前を問うが、返ってきた答えは、意外なことに高評価なものだった。

 

 

「――完璧だ」

 

「それは何故に?」

 

「今あいつが説きやがったのは物理作用力(マテリアル・フォース)理論って言って、軍の一般魔導兵の半分以上がイマイチ理解していないモンなんだ。それは、国内一とはいえ、まだ学院で学習中の生徒に完璧に理解させやがった……」

 

「……成程。それは確かに、完璧と言わざるを得んな」

 

 

 しかし言葉とは裏腹に、ギルバートのレオスに対する評価は低かった。

 講師としての教導力は認めよう。軍属の人間でさえ理解できない代物を、まだ学生の少年少女に理解させたその手腕は、実に凄まじいものだと。

 けれども、その内容がよろしくない。

 軍用とは即ち、実戦を前提としたものだ。まだ基礎を固め、そこから上の応用に移行するべき年頃の彼らに、いきなり強大な力を持たせる可能性を持つ内容の講義はまだ早過ぎる。

 

 扱う力の強大さを知り、恐怖し、怯えて使うことを躊躇うのはまだいい。

 問題は、その躊躇いをせず、力によってそちらの方面にのめり込んでしまうことだ。

 強大な力は、確かな経験と知識、そしてその恐ろしさを知った上で得ねば猛毒も同然だ。

 獣の力然り、上位者の力然り、そしてギルバートを始めとする、ヤーナムの狩人たちの力もまた然りだ。

 

 

「俺は医務室に戻る。もし何かあったら、誰か使いに寄越して知らせるといい」

 

「あいよ。つっても、魔術絡みのことだろうから、そうはならないだろうがな」

 

「だといいがな」

 

 

 嘆息を1つ残し、ギルバートは席を立つと白衣をなびかせ、そのまま教室を出て行こうとドアの方へ向かい。

 そこで件の講師、レオスに呼び止められて、その歩みを止めた。

 

 

「……何か御用ですか?」

 

「いえ。ただ、先程はあのようなことがありましたのでお訊ねする余裕がなかったのですが」

 

 

 そう言うとレオスはギルバートの体躯に視線を向け、それを上下させ始める。

 頭の天辺から足の爪先まで。まるで実験動物を観察するように、じろじろと見てくるレオスにギルバートは僅かながらに不快感を抱くが、そのレオスの行為も長くは続かなかった。

 

 

「貴方がグレン先生と並ぶ、噂の講師ですか」

 

「訂正させて頂きますが、私は講師ではありません。グレン先生と、医務室のセシリア先生の補佐を任されただけの、単なる町医者です」

 

「では、魔術師ですらないと?」

 

「魔術師ではなくとも、専門分野の手伝いならばできますよ。

 少なくとも、リック学院長はそれをご理解の上で、私を雇って下さいました」

 

 

 失礼します――逃げるように講義室を出て行ったギルバート。

 あまり関わりたくない、というのも理由だが、彼としてはもう1つ、その場から離れたい理由があった。

 簡潔に言うと、それは狩人としての直感だが、あの男はよろしくない。例えシスティーナの婚約者であるとしても、彼はレオスをどうにも受け入れ難かった。

 

 脳裏に残る靄を晴らすべく、別の仕事で気を紛らわせようと、彼は廊下を進む足を早めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから1日が経過。ギルバートは、昨日の自分の判断をひどく後悔していた。

 医務室へ向かい、セシリアの手伝いをした後、自宅でもある診療所へ帰宅した彼は、その後学院で起きたグレンとレオスの一件を今朝来て初めて知った。

 グレンとレオスが、システィーナを賭けて決闘を行う――その噂話は既に学院中に広がっており、今さら中止できるような状態ではなくなっていた。

 そして現在、その噂話の元凶が一角であるグレンは、自身の担当する2年2組の教室にて――

 

 

「――というわけで、俺が見事白猫とくっついて逆玉の輿、夢の無職引きこもり生活をゲットするために――今からお前らに魔導兵団戦の特別授業を行う!」

 

『ふっざけんなぁああああああああああああああああああああああッ!?』

 

 

 教壇上で高らかに宣言したグレンに、当然クラス中が非難囂々となった。

 

 

「俺たちを巻き込むんじゃねえええぇ!」

 

「死ね! 苦しんで死ねぇッ!」

 

「もげろ! 色々ともげて再起不能になっちまえ!」

 

 

 特に男子生徒からの非難が凄まじく、しかし内容が内容なので、ギルバートもグレンを擁護するどころか、彼らの思いに納得してしまう始末だった。

 

 

「……小僧。貴様、一体あの半日でどうしてここまでの状況にできたのだ?

 あれか? お前は数日に一遍は厄介事を起こさずにはいられない、天性のトラブルメーカーだとでも言うのか?」

 

「人を悪戯盛りのガキんちょみたいにいうじゃねえよ。……まあ、お前には後でちゃんと詳細を伝えるから、安心しろ」

 

「それを聞いて安心した。では、その決闘——魔導兵団戦について、語って貰おうか」

 

 

 傍らの位置にすることが幸いし、2人の会話は生徒たちの耳には入っていない。

 そもそもあんな怒りに満ちた状態なのだ。遠耳の魔術を使える余裕のある者など居るわけがない。

 そうでない生徒たちも完全に呆れているため、2人の会話が盗み聞きされている可能性はほぼゼロだ。

 

 

「先生の決闘の行方に興味などありませんが……どうせ無駄ですよ」

 

 

 男子生徒が未だ非難の声を上げている中、1人冷ややかにそう断言する生徒がいた。

 丸眼鏡をかけ、どこか冷徹な印象を与える男子生徒――ギイブルだ。

 

 

「ほう……? じゃあギイブル、その無理って断言できる理由はなんだ?」

 

「魔導兵団戦は文字通り、僕ら生徒を魔導兵に見立てたクラス同士の模擬戦です。

 競技祭については、個々の尖った分野で競えたので何とかなりましたが、こちらはクラスの戦力差がもろに出る。

 その点を考えると、戦力になる魔術師は僕やシスティーナ、ウェンディくらいしかいませんよ」

 

 

 対するレオスが臨時担当しているクラスは、あのハーレイが担当する1組に次ぐ優秀なクラスだ。

 個々の実力は言うまでもなく、短期間とはいえレオスが鍛え上げれば、間違いなく集団戦での戦闘も彼らの方に軍配が上がるだろう。

 やったところで勝負にならない――それがギイブルを始めとする、2年2組の生徒たちの共通見解だった。

 

 

「なーに言ってんだ」

 

 

 しかし、そんなギイブルの主張を真っ向から否定するように、グレンは明るげな声で言った。

 

 

「このクラスで戦力になる奴なんて1人もいねーよ。つうか、お前みたいな奴が一番使えん」

 

「なっ――」

 

「……ふむ」

 

 

 何か考えるがあるな、と。傍らでギルバートはそう考えた。

 確かにギイブルは成績優秀で、このクラス内でも上位に位置する生徒だが、逆に言えばそれだけだ。

 特に彼のように、無駄に成績が良い生徒は、そればかりに思考が囚われ、柔軟性に欠ける。

 他者との連携が重要となる集団戦においては、その欠点は致命的と言えるだろう。

 

 もっとも、それを差し引いたとしても、グレンの今の発言はかなり謎を含んだものなのだが。

 

 

「まあいい機会だし、魔導兵団戦……戦場における魔術師の戦い方、その心得ってやつを教えようと思うんだが……。

 まず最初に、お前らは盛大に勘違いしている」

 

 

 またもや謎発言を発し、彼はチョークを片手に黒板を指し示す。

 

 

「魔術師の戦場に――英雄はいない」

 

 

 奇怪な発言を繰り返すグレンに、生徒たちは最後まで首を傾げ、疑問を抱き続けるのみ。

 唯一その言葉の意味を理解できたのは、皮肉なことにこのクラスで唯一魔術師ならぬ身の男――彼と同じ戦場で殺し合いを演じた、ギルバートのみだった。

 

 

 

 

 

 

 時は過ぎて、最初の特別授業から早数日。

 グレンとギルバートは、2人で繁華街を訪れていた。

 とはいえ、男2人でたまには食事、というわけではなく、確かな目的を持って彼らはここを訪れたのだ。

 グレンはこれから向かう場所に慣れているため普段と変わらぬ服装だが、ギルバートは念には念を込め、その装いを改めていた。

 

 

「しっかし、よくお前そんな服持ってたな。いつもあの簡素でダセぇ服に白衣ってイメージしかねえから、違和感マシマシだぞ?」

 

「うるさい。黙って歩け」

 

 

 グレンはそう言うが、ギルバート的には普段の狩人装束の組み合わせを少し変えただけのつもりだった。

 枯れ羽帽子の代わりにトップハットを被り、普段身に纏う黒装束から短マントを省いたものを身に着け、それ以外はいつもの狩人装束と大して変わらないものだ。

 一応、護身用として『仕込み杖』を携えているが、その仕込さえ知らねば、傍から見れば少し古風な紳士としか見えないだろう。

 

 そんな感じで路地裏へと入り、その奥に据えられたバーに踏み入ると、店内に設けられたカウンター席。その端の席に――()()の姿があった。

 1人は、以前研究所でグレンらと共に共闘した魔導士、アルベルト。

 そしてもう1人は、全身を襤褸のような装束で固めたやつしのような男で、グレンは面識がなかったが、ギルバートの方は彼に対し、見覚えがあった。

 

 

「――シモン!」

 

「よう。やっぱり来たな、この兄さんと一緒に待ってて正解だった」

 

「……? 知り合いか?」

 

 

 グレンの問いに、ギルバートは首肯と共に肯定する。

 ヤーナムにいた頃……とは言っても、彼とは死した狩人が囚われる『狩人の悪夢』の中で出会ったので、厳密にはヤーナムで出会ったとは言い難い。

 『やつしのシモン』――大小問わず、性格に難を持つ狩人たちの中で、おそらくは最も常識的かつ良識的な人物。

 医療教会に属しながら、彼らのやり方に不満を抱き、1人あの悪夢の中で秘密を探っていた男。

 最後には、秘密を探る者を殺す教会の刺客(ブラドー)によって致命傷を与えられ、彼の部屋を開ける鍵と、自身の代名詞である弓剣をギルバートに託して、深い眠りについたが、ガスコインらがこの異界に飛ばされている以上、彼もこちらに来ている可能性はあった。

 

 まさかこんな形で再会するとは思いもしなかったが。

 

 

「数日前に学院に忍び込んで、お前さんと接触しようとしたんだが、肝心のお前さんがちょうどその時窓から外へ飛び出しちまったからな」

 

「そ、そうだったのか……すまない」

 

「いいさ。薬も切れちまったし、数日この街でやつしに扮して張ってたんだが、この兄さんを見つけて一緒に待たせて貰い、結果あんたに会えた。それで全部帳消しだ」

 

 

 ははッ、と軽く笑いつつ、シモンは片手に持ったグラスを傾け、中に満たされていた琥珀色の液体を一気に呷る。

 ヤーナムの狩人は、基本酒で酔うことはない。ならば今の行動は、店内でそれらしい動きを見せて、他の者に疑念を抱かせないためのものなのだろう。

 例えこの店が、貴族や政治家、他にはスネに傷を持つ裏社会の住人たちにとっての密会の場として使われているとしても、相応の偽りは必要なのだ。

 

 

「……また何やら、派手に動いているようだな。グレン」

 

「ま、お前なら当然、こっちの状況も把握しているか」

 

 

 そんなことを言いながら席に着くと、グレンは適当な酒を一杯頼み、ギルバートも酒代わりに炭酸水を注文して、シモンの横の席についた。

 

 

「何だ、お前酒飲まないのか?」

 

「酒は嗜まん。酔えぬし、元々アルコールは好まないのでな」

 

「そっちのお仲間は普通に飲んでるが?」

 

「単なる偽装(カモフラージュ)だろう。そうだな、シモン?」

 

「ん? ……あ、ああ。そうだな、ははは」

 

 

 一瞬の間が妙に怪しかったが、少なくとも酔えないのは確かだ。

 であれば、単純に味を楽しんでいるだけなのだろうか、と。そんな風に思ったが、無駄話をする気はないと言いたげに、アルベルトは先を続けた。

 

 

「……惚れてもいない女を賭けて勝負など、下種の極みだ。少しはシスティーナ=フィーベルに申し訳ないと思わないのか?」

 

「はっ、いーじゃねーか。成功して白猫とくっついちまえば逆玉だ。もう働かなくていいんだぜ?」

 

「――セラ=シルヴァース」

 

 

 くつくつと喉を鳴らすグレンに、不意にアルベルトがその名を呟くと、彼の笑いが一瞬で失せ、その身が硬直する。

 

 

「……狙撃手。その名は……」

 

「殺人鬼。……いや、正しくは月香と言うのか。

 お前も知っているだろうが、彼女のことだ」

 

「……帝国宮廷魔導士団特務分室、《女帝》セラ=シルヴァース」

 

 

 忘れるわけがない。

 この世界に飛ばされ、今以上に外道魔術師狩りを行っていた頃のことだ。

 グレンら特務分室と初めて交戦し、それから何度目かの戦いの後で見えた敵、それがセラ=シルヴァースだ。

 風の魔術の扱いに長け、女性ながらあの特務分室でエースの1人として名を馳せた彼女の力は、ギルバートですら苦戦を強いられたほどだった。

 相性の問題もあるだろうが、彼女は間違いなく強者だった。その彼女の名前が突然出て、かつグレンが今のような反応を示すとなると、

 

 

「……死んでいたのか、既に」

 

「ああ。1年余り前にな」

 

「……そうか」

 

 

 初めて出会った時も、当時のグレンと大して変わらぬ年齢だった筈だ。

 それが1年と少し前に死んだとなれば、それはあまりにも早過ぎる死だ。

 残念だ、とは口にはしない。けれども、その死を悼まずにはいられないのまた、事実だ。

 

 

「今の反応で確信した。グレン、お前が何故、あの娘にあそこまで甘いのか。

 魔術戦の手解きまでして、自分の時間を費やすような真似など、普段のお前ならば絶対にしない筈だ」

 

「……やめろ」

 

「お前があの娘にそこまでするのは、あの娘をセラの代わりとして――」

 

「――ふざけんなッ!!」

 

 

 ガン――ッ!

 手にしたグラスごとテーブルに片手を叩きつけ、怒声が店内に鳴り響く。

 

 

「テメェ、言っていいことと悪いことがあんだろッ!? 俺はただ――」

 

「ただ、なんだ? 何故、言い淀む? 逆玉の輿が目当てなのではなかったのか?」

 

「……諦めろ、小僧。口籠った時点で、お前はこの男に敗北している」

 

「っ……」

 

 

 自分で暴露したも同然だと分かりながらも、湧き出るアルベルトへの怒りを抑え切れないグレン。

 そこをシモンがどうにか抑えることで、グレンも少しは頭を冷やしたらしく、再びグラスを傾けて、中身を少しばかり口に含んだ。

 

 

「……で? 何でまた俺に接触したんだ? それもこんな突然に」

 

「あのような話をした後で、追い打ちをかけるようですまないが……『天使の塵』(エンジェル・ダスト)が、このフェジテに何者かの手によって持ち込まれている」

 

「な――ッ!?」

 

「――ッ!?」

 

 

 アルベルトの発言に、グレンは驚愕の一声を上げた後、絶句した。

 そしてギルバートも、グレンのように声を上げることこそなかったものの、トップハットの下でその双眸を大きく見開いていた。

 

 

「最近、謎の変死体がフェジテのあちこちで発見されてな。その遺体から『天使の塵』(エンジェル・ダスト)が検出された」

 

「だが、『天使の塵』(エンジェル・ダスト)に関する研究資料と製法はすべて抹消されたはずだ!

 正確な製法抜きでアレを再現するなんて不可能だぞ!?」

 

「その通りだ。そして唯一、アレを単独で製造することが可能な男……自身の頭の中だけで製法を完全把握していた()も、あの事件の際にお前と……セラが始末したからな」

 

「だったらなんで!」

 

「それが分かれば苦労はしない。それゆえ、俺もしばらくは『天使の塵』(エンジェル・ダスト)の出所の調査に当たることになった。

 お前も、王女や生徒たちの身辺には気をつけてやれ。たとえその男が今は味方に付いているとしても、もしものことがある。気を抜いて隙を突かれれば全て水の泡だ」

 

「言われなくても分かってる。……分かってるけどよ」

 

 

 それでもやはり、グレンは言わずにはいられなかった。

 『天使の塵』(エンジェル・ダスト)の一件は、彼女――セラが死ぬ直接の要因となった事件だ。

 あれを機にグレンは魔術に絶望し、特務分室を辞め、世間から一旦身を引いたのだ。

 後にセリカの強引な手段もあって、学院の講師となり、今に至るが、あの魔薬に関しては、どうしても無関係を貫くことはできないのだ。

 

 

「先に言っておくが、お前の要望は断らせて貰うぞ。

 今回は、お前が今まで関わった王女やリィエル絡みの事件とは状況が異なる。

 お前は関わるべきではないし、関わる資格もない」

 

「けどよ……!」

 

「お互い道こそ違えはしたが、望む物は同じ……一応は信頼のおける仲間と認識して、万が一を考慮し、情報を共有した。

 決してお前の助力を必要としたわけではない」

 

「……」

 

 

 これ以上は何も答えるつもりはないと、残った液体を呷り、アルベルトはすっと席を立った。

 そしてその場から去ろうと礼服を揺らし、ドアの前まで行くとそこで1度立ち止まり、今度はギルバートの方を向いて、一言言い残した。

 

 

「お前も……妙な動きはしない方がいい。特に今は、余計な混乱を招くだけだ」

 

「……分かっている」

 

 

 残されたアルベルトの最後の一言は、まるでギルバートが内に抱えた闇黒を指摘するかのようなものだった。

 『天使の塵』(エンジェル・ダスト)の一件に関して、ギルバートは特に関わりはない。

 しかし、用いられたソレが魔薬とは薬物の一種であること、そしてそれを用いた犯罪が、確かなる悪意のもとに行われたものだと理解しているからこそ、ギルバートはそれを黙し、見て見ぬフリをすることができなった。

 

 

「……まるでヤーナムみたいな事件だな。狂ってやがる」

 

「ああ。……それで、お前は何用で俺に接触を?」

 

「ああ、そうそう。渡すものと伝えるもの、それが1つずつあるんだよ」

 

 

 待っててくれ、と言うとシモンは虚空ではなく、背負った荷物袋を下ろして中に手を突っ込むと、そこから1つの小さな鐘を取り出し、ギルバートに渡した。

 見た目は『狩人呼びの鐘』と同一ではあるが、わざわざ渡しにくるということは、性能も同一というわけではないのだろう。

 

 

「『狩人招きの鐘』。『狩人呼びの鐘』と違って、ただ音によって知らせるだけで、召喚はできない」

 

「利点は?」

 

「対となる鐘が必要ない、ってことだな。

 一方的に知らせるだけだから必ずってわけじゃないが、この音色を知る狩人なら、鳴らして少しすればあんたの元に駆けつけるだろう。

 ……その時に、その音色を知る狩人たちが他の用事で手一杯じゃなければの話だが」

 

「成程……ありがたく受け取っておこう。それで、もう1つの件とは?」

 

「ああ。それなんだが、さっきの兄さんが言ってた変死体事件。その隅で妙な話を聞いたんだよ」

 

 

 曰く、例の変死体が見つかった区域付近で、最近失踪者が続出しているとのこと。

 『天使の塵』(エンジェル・ダスト)が過去に刻んだ被害の大きさゆえ、そちらの方はあまり話題に上がっていないようだが、狩人たちは密かにその原因を探っていたそうだ。

 

 

「こいつは最も新しい目撃情報なんだが、2日前、このフェジテの路地裏にあるごみ溜めに、失踪者らしい女の死体が見つかったんだ」

 

「状態は?」

 

「酷いもんさ。顔も、胸も、腕も、足も……体中のあらゆる箇所の肉が欠けていた」

 

 

 まるで()()()()後みたいだったよ、と。

 シモンの発言に、ギルバートは嫌なものを背筋に感じた。

 食われた後――単なる獣の類であれば良いのだが。

 

 そう心の中で密かに呟き、残った炭酸水を飲み干して、グレンと共に店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ――ぐじゅ、じゅぐッ。

 

 繁華街の路地裏、その奥の、さらに奥にある暗がり。

 裏町の住人ですらそう近づきはしないその場にて、その音は鳴っていた。

 水を含む、何か硬く、けれども柔らかいモノ。

 それを食み、口内で噛み続けているような、気味の悪い音色。

 

 

「がッ――はふッ……ンぐッ」

 

 

 ――()()()

 

 咀嚼音を奏でた後、喉を鳴らして食んでいたモノを呑みこむと、ソレは顔を上げて空を見上げた。

 空は既に黒く、星々が輝く夜空へと変わっていた。

 あの忌まわしくも愛おしい、古びた魔都のものとは異なる、純粋な星光に満ちた空に。

 

 

「はぁ……なんて、きれいな空なんだ……」

 

 

 男は、このような空を見たことがない。

 住みついた場所は異常に満ち溢れ、彼自身が生まれ持った性質も、その場所に住まう人々にとって忌み嫌われる類であったため、表で堂々と生を謳歌することもままならず。

 ゆえに常に、男は人目のつかぬ影に身を置き、細々と暮らしていた。

 

 だがどうだ。この世界は。

 その身形故に表に出ることは叶わないが、人々は恵み溢れる生活に浸り、平和の内に気が緩んでいる。

 しかも今は、変死体事件など何だので、人死にが珍しくなくなっている状況だ。

 そんな状況を利用しない手はなく、男は通りがかった人を裏に引きずり込み、密かに殺してその肉を喰らっていた。

 

 だが今日は気分変えに、例の変死体とやらを盗んで喰らってみたのだが、これがどういうわけか力が漲るのだ。

 高揚する気分に身を任せ、男はさらに肉を貪り、腹に収めると、浮かぶ満月の下で口元を歪め、血濡れの喉から声を発した。

 

 

「ああ……神様は、俺を見捨てちゃいなかったんだ。

 死んだはずなのに、こうしてまた蘇らせてくれた。しかも、こんなに良い肉を好きなだけ食える場所に……!」

 

 

 もっともっと喰らいたい。

 もっともっと貪らねば。

 湧き出る高揚感を抑え切れず、男は再び骸の肉に歯を突き立てる。

 肉を食んで骸を貪る男の周りには、犠牲となった者たちの骨や肉片が転がっていた。

 

 それは、男がこれまで積み重ねてきた――この異界での罪の数を示しているようだった。

 

 




『狩人招きの鐘』

 古い狩人たちの手によって造られた、新しい招きの鐘。
 人外ではなく、人の手による造物ゆえか、この鐘は音色は世界を跨ぐことはできず、また対となる鐘もないため、召喚することもできない。

 しかし、この鐘の音色は狩人たちのみ聞き取ることを可とし、どれほどの距離を隔てようとも、その音色は彼らの耳に必ず届く。
 来るか来ないか、それは運に任せるほかない。
 あるいはある程度の信頼を築いていれば、彼らはきっと、いち早く駆けつけてくるだろう。積み上げた信頼とは、このような場面でこそ活用すべきなのだ。

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