だらだらと引き延ばしていると終わりそうにないので、戦闘シーンはカットしています。後のメインは必ず描写しますので、ご了承下さい。
「――では、諸君。参ろうか」
日を越え、光は落ちて闇が空を覆った刻。
隠れ家に集った、このサイネリア島にいる全ての狩人たちは、ヴァルトールの言葉の下、一斉に件の研究所へ向けて疾走を開始した。
とはいえ、彼らが直接白金魔導研究所へ真正面からぶつかるわけではない。
今回は数こそいれども、狩人たちは基本、大軍相手の戦いに弱い。
真正面からぶつかれば、それこそ布かれた防衛戦力によってたちまち囲まれ、全滅こそないが、戦力を大きく削られる可能性は大だ。
だからこそ、ガスコインを筆頭とする調査班は、
「——ぶっはぁ!」
水面を食い破るように、続々と浮き上る狩人たち。
軽装とはいえ、基本水中戦を行う機会がない彼らにとって、水中を泳ぐことは獣を相手に戦うよりも難しいかもしれない。
狩人装束に溜まった水分を限界まで絞り出し、改めて周囲を見回すと、そこは自然の底に埋もれていた場所とは思えない場所だった。
「……貯水湖か」
「ああ。話によれば、あの研究所の持ち主……ブラウモンとかいうジジイの魔術は、特に水が必要だそうだ。
時間をかけて人やら書物やらで奴さんの人物像や得手とする魔術、その魔術の性質を調べ上げた結果、水中を調べてみたんだが……」
「大当たり……だったな」
枯れ羽の狩帽子から水を絞り出しながらギルバートが言うと、その隣で斧を担ぎながら「おう」とガスコインが唸るように応じた。
「んで、調べた時に分かったんだが、どうもこの貯水湖。ただの水溜め場じゃあないらしい」
「……? どういうことだい?」
「アレだ」
担いだ斧の先端で前方を指し示すと、その先に見える水溜まりから、巨大な
それから続くように2本、3本、4本と。続々と水面を突き出るハサミ。
やがてそれらが6本に到達すると、ようやく本体もその姿を晒し、その悍ましい全貌を狩人たちの前に現わした。
「蟹か……それにしてもデカい」
「ハサミも6つときたか。これは、明らかに自然発生したものではないな」
「アレだけじゃないぞ。——
再びガスコインがそう言うと、他の水面からも同様に何かが現出し、それぞれの異形を晒していく。
巨大烏賊、半魚人、
「……あのジジイ、とんだ狸だったみたいだね」
「いずれにせよ、この怪物の壁を突破しない限り、我々は先へは進めんな」
ガ――ギィィンッ! と。
虚空より戻した
そうして新たに手にした武具――『回転ノコギリ』の先端を喧しいほどに駆動させ、ヴァルトールは謳い上げるように狩人たちへと叫んだ。
「さあ、同士たちよ。狩れ。狩って、狩って、狩り尽して、糞虫どもを潰して、潰して――潰し尽せぇッ!!」
ノコギリが唸る。斧が振り上げられ、鋭刃が空を裂く。
猛々しくも恐ろしい狩人たちの狩りは、開戦の銃声と共に幕を上げた。
*
「……っく……あ、ぅあああ……ッ!?」
苦悶に満ちた少女の声が響く。
研究所の最奥。その領域に囚われた少女、ルミアの身を、非人道的な業が苛んでいた。
その身に刻まれたルーンの術式により、膨大な量の魔力が彼女の身を疾走し、彼女の意思に関係なく、その異能を行使させられている。
「ふふッ、ふは、ふははははははッ! いいぞ、いいぞッ!」
その凄惨な光景を目にして、しかし悲哀を抱くどころか狂気を帯びた歓喜で、その顔を満たす男がいた。
バークス=ブラウモン。この『白金魔導研究所』の主であり、今は天の智慧研究会への入会を望む者。
かの結社への入会のため、仲介人であるエレノアから求められた『Project: Revive Life』の儀式を行っているのだが、その調子については、彼の様子を見れば言うまでもないだろう。
「成るッ、成るぞぉ! 『Project: Revive Life』は今日、ここに成る!
このバークス=ブラウモンの手によってだ……ふははははははははははははッ!!」
「流石はバークスさん、お見事な腕前です」
実験の順調さに哄笑を上げるバークスの傍で、青髪の青年がにこやかな笑みを湛えたまま、彼の実験の結果を讃える。
無論、その笑みは仮初めのものであり、心の内では微塵もこの結果が彼の腕前によるものだとは思っていない。
そもそもこの儀式を始める前に、バークスにこの儀式に必要な術式を丸ごと提供したのが彼なのだ。
故に出来て当然、というのが青年の本音であり、それなのにこうして馬鹿みたいに高笑うバークスの姿に、呆れと苛立ちを抱いてならなかった。
(まあ、いいさ。どうせこの男は俺の踏み台だ。せいぜい、一瞬の勝利の美酒に酔えばいい……)
そんな思いを抱きながら、青年は部屋の隅へと目を向けると、そこには彼と同じ青色の髪を持つ、小柄な少女の姿があった。
リィエル――短い間とはいえ、かつてルミアの学友として在った少女は、今は彼女から目を背ける形で後ろを向き、その小さな手と肩を震わせていた。
「リィエル、大丈夫かい?」
「……」
青年からの問いかけに、リィエルはしかし無言だった。
かつての友人に対して、このような仕打ちを行ってしまったことに対する罪悪感か。
これはこれで都合がいいのだが、と考える青年だったが、同時にこの先、どこまで使い物になるのかと密かに疑問に思った。
——その時だ。
「——何事だ!?」
研究所内を地鳴りのような大音と、僅かな揺れが襲う。
突然の出来事に思わず叫ぶバークスだが、その近くにいたもう1人の協力者エレノアは、冷静に遠見の魔術を行使して、その原因を探っていた。
「第4区画に侵入者ですわ。数は4名……成程、
「どういうことだ、エレノア殿!?」
全く話の意味が分からないバークスに、エレノアは感情を感じさせない声で詳細を告げた。
「我ら組織の
この施設に、我ら『天の智慧研究会』が何らかの形で関わっていることを知れば、必ずやかの御方はやってくるだろう、と」
「では、貴様らとの関わりを確信したから攻めて来たと? 何だそれは、その馬鹿者の名は何という!?」
「——『血塗れの殺人鬼』」
「——ッ!?」
「——ッ!」
「……」
エレノアが呟いたその名は、その場にいる全ての者たちに、個々の反応を示させた。
バークスと青髪の青年の顔には僅かに恐怖の色が滲み、リィエルは僅かに警戒の念を抱く。
そしてルミアは……
「あの人が……? どうして、また……」
「……ええいッ、映像を出せ!」
モノリス型の魔導演算機に拳を叩きつけると、既に展開していた儀式のデータの横に、映像を映す法陣が出現する。
そしてそこに映し出された光景を目にした時、バークスらは目を見開き、絶句した。
『——おおおおおおおぉッ!!』
迫る巨大蟹のハサミを
大男は巨大蟹の動きが止まるのを確認すると、もう片方の手に握った長大な柄を持つ斧を振り上げると、力のままにそれを振り下ろし、重い斧刃が巨大蟹を脳天から叩き割った。
続けて映し出された光景では、鴉羽の衣装を纏う、ペストマスクのような嘴仮面の被った人物が、半魚人の群をその手に帯びた双刀で細切れに刻んでいた。
その近くでは、粘液状の異形を回転する丸鋸で絶えず抉り刻んでいる、奇妙な鉄兜の男がいた。
兜のせいで顔は見えないが、おそらく笑っているのだろう。そうでなければ、その喧しいほどに唸る駆動音すらも超える、この悍ましい狂笑が聞こえる筈がないからだ。
そして最後に映し出されたのは、巨大蟹にノコギリ鉈を叩きつけ、後方より迫る半魚人を短銃の弾丸で貫く1人の男の姿。
4年も活動していれば、その容姿の特徴などは既に多くへ知れ渡っている。——『血塗れの殺人鬼』だ。
「な――何なのだ、あの連中はッ!?」
バークスが叫ぶが、それも無理はない。
彼が生み出した
寧ろ、エレノアは腕の立つ魔術師ならば、彼の合成魔獣など壁にすらなり得ないと考えていたが、それはあくまで相対する者が
だからこそ、この光景はエレノアをして、驚愕に値するものだった。
魔術を用いることのない、純粋な
(お仲間がいるやもしれない、とは伝えられていましたが、まさかその方々もあれ程の力量とは……)
そうこうしている間に、件の貯水湖での戦闘は終了し、狩人たちは先へ進まんと既に行動を開始していた。
「ぐ、ぐぅぅ……ッ! 魔術も扱えぬ、力だけの低能力者どもがぁ……!」
廃棄個体とはいえ、自身の手掛けた合成魔獣をいとも容易く葬り去った彼らの様子が気に入らないらしく、禿頭に青筋を浮かべながら、ぎりりと歯軋るバークス。
しかし、そんな彼らのことなど構うことなく、貯水湖より新たな侵入者がその姿を見せた。
そしてその者たちは、先程の狩人らとはまた別の意味で、彼らを驚愕させるに足る人物たちであった。
「……アルベルト様と、グレン様?」
*
湖の中を黒魔【エア・スクリーン】で移動し、辿り着いた貯水湖の先で、グレンらはまず、その光景に己が目を疑った。
無数に散らばる魔獣の肉片。積み上げられた異形の骸。撒き散らされた臓物と鮮血。
血や死体に耐性のない輩が見れば、確実に吐き気を催すであろう冒涜的光景。
だが、既にそれ以上の光景を嫌というほどに見てきた2人にとっては、そこまで酷いものではなかった。
問題はその光景ではなく、その光景を創り上げたであろう者たち。
そしてより厳密に言えば、その集団の中にいる、とある人物だった。
「おまっ――『血塗れの殺人鬼』!?」
「……どうして貴様がここにいる」
「……ん?」
「あんたの知り合いかい?」
「……顔見知りではある」
グレンの方は先日、浜辺で顔を合わせたので分かるが、まさかアルベルトまで来ているとは予想外だった。
何故この場に現れたのか、その理由を互いに話し合うと、成程、確かに納得してしまえる内容ではあった。
グレンらは攫われたルミアを取り返しに行くのと、その元凶である白金魔導研究所の外道魔術師たちを叩き潰しに。
ギルバートらは研究所にいるという『天の智慧研究会』を含めた、外道魔術師たちの一掃。
奇しくも、ルミアの奪還を除けば彼らの目的は一致していた。
「まさか、またル――あの小娘が攫われようとはな。加えて、あの猪娘が裏切るとは……」
「情けねえ話だが、事実だ。……っていうかお前、いつの間に仲間作ったんだ!?」
「いつの間に、ではない。彼と俺たちは同士。同じ夜を生き、志を共にした同士だよ。ゲロ吐きの青年」
「同士、ねぇ……ん? おいちょっと待て、そこの官憲服のあんたと、鴉羽の嘴仮面のあんた、まさか……」
「そこまでだ、グレン。……お前がここにいるのも、これまでと同じく外道魔術師狩りのためだということは理解した。
仲間がいることはグレンと同じく驚きだが、まずは確認しておこう」
「何だ、狙撃手?」
「目的が一致しているのなら、協力もあり得る。……そう考えていいか?」
「……ほう?」
競技祭の時の態度が嘘のように思える、柔軟な姿勢に思わずそう呟く。
4年前の、初めて邂逅して以降、幾度となく命のやり取りを行った仲ゆえ、この男がどういう人間なのかは既に把握していた。
現実主義者、“1を切って9を救う男”、演技屋——。
目的遂行のためならば、多少の犠牲もやむなしと判断できる強さを持った男、それがアルベルト=フレイザーだ。
そしてこの状況の場合、“1”とはギルバートという長年の宿敵に対する個人的感情。“9”とは、宿敵とその仲間たちを、共通の目的のもとに一時的な協力体制を布くこと。
少々意味合いは異なるが、個人の感情さえ捨て去れば、その見返りとして戦力増強を行えるのだ。
勿論、相手方が承諾すればの話だが、アルベルトはほぼ確信していた。
絶対に乗ってくる――と。
「俺を目の敵にしていた男とは思えんセリフだな」
「否定はしない。だが、今この状況で個人の感情を優先すれば、この先どうなるのかの予想など容易い」
「だから個人の……俺への敵対心は捨て、協力を申し出た、と?」
「一時的なものだ。だが、互いに最終目標が一致している以上、この条件を利用しない手はない。……違うか?」
「……っ」
相変わらず、機械のような男だ、と。マスクの下で呟く。
他の狩人たちは別に協力に対して抵抗はないらしく、寧ろ敵の掃討に役立つならば、利用すべきだろうと考えているようだ。
グレンの方も特に問題……ゲロ吐きと呼ばれたことには不満があるらしいが、それ以外は大丈夫らしい。
ならば、出すべき答えは定まった。
「……良いだろう。一時的な協力だが、今回の掃討に限り、我らとお前たちは同盟だ。
互いに利用し合おうではないか、狙撃手、小僧」
「元よりそのつもりだ。……それよりも、
アルベルトの指し示した方角。そこから来たのは、新手の合成魔獣たち。
蝙蝠の翼を備えた獅子の群と、その奥に控える、一際巨大な体躯を持つ宝石亀。
間違いなく、敵方の放った魔獣の最高戦力だろう。
続々と現れる侵入者たちの身勝手な振る舞いに、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのやもしれない。
「獣、獣、獣……わらわらと寄ってくるものだなぁ」
「ちょっとあんた、笑いながらぶつくさ呟いてんじゃないよ。気味が悪い」
回転ノコギリを駆動させ、ギャリギャリと金属音を掻き鳴らすヴァルトールを、その横で血振りを済ませながらアイリーンが諫める。
「あの亀……頭から叩き潰せば済むか?」
「そう簡単にはいくまい」
長斧へと形態変化させながら呟くガスコインと、その横でいつでも放てるように指を突き出すアルベルト。
「さて、3度目の共同戦線だ。以前以上に上手くやれよ、小僧」
「それはこっちのセリフだっての。てめえも、ドジかまして足引っ張んなよ!」
互いに短銃、魔銃を構え、その銃口を迫り来る魔獣の群に向ける。
狩人と魔導士、その共同戦線の第一戦は、両者の銃声を以て始まりを告げた。
*
完璧だった。完璧な筈だった。
解放した合成魔獣、その中でも高性能の個体を全て解き放ったにも関わらず、未だ侵入者たちはその命を絶やしてはいなかった。
解き放った魔獣の中には、自身の最高傑作である魔鉱石をふんだんに使った宝石獣までいるというのに、あの若魔導士2人と、そして鉄を振り回すだけの凡人ども相手に苦戦を強いられているというのが現状だった。
『クハハハハハッ!』
通信法陣越しに見える鉄兜の男が、丸鋸を付けた槌鉾で有翼獅子たちを抉り刻みながら哄笑している。
魔導士どもはまだいい。戦にしか魔術を用いぬ低能どもとはいえ、魔術を扱う資格と知識だけは有しているのだから。
だが、先に侵入してきた4人は違う。
旧時代的な、あるいは全く見覚えのない武器を振り回し、力のままに暴れ、蹂躙するだけの存在。
獣も同然といっていい連中に、廃棄を含め、己の作品たちが蹂躙される光景は、バークスにとって屈辱以外の何物でもなかった。
特に今しがた映っている鉄兜の男などは、先程から狂気じみた哄笑を上げ続けているので、煩いことこの上ない。
(かくなる上は、私自ら打って出て……!)
歯が砕けんばかりに噛みしめて、怒りを露わにするバークス。
そんな彼とは別に、エレノアは1人、少し離れた位置で此処にはいない誰かと会話の最中にあった。
「はい……ええ。この勢いのままですと、グレン様や狩人様方がこちらに到達するのも時間の問題でしょう」
相手はやはりというべきか、その姿を確認することすらできない未知の存在。
一応、彼女と同じく『天の智慧研究会』に属する身の者ではあるのだが、その存在は他の第三団《天位》の面子同様、謎に包まれている。
やがてその存在と話を進めていくと、新たな指示が下ったのか、エレノアは珍しく目を丸くし、疑問の声をソレへ向けて放った。
「……大丈夫なのですか? いえ、別に彼らを
『――』
「……かしこまりました。では、予定を変更して、彼らをここに」
「――何をしているのだ、エレノア殿!」
振り向いた先では、バークスが研究室入り口を指差していた。おそらく、グレンらのいる第4区画方面へと向かう気でいるのだろう。
今度は魔獣などではなく、自分自身で彼らを打ち倒しに行くつもりなのだろう。
あれだけの凄まじい戦闘を見ておきながら、自身と彼らとの実力差も分からないのかと、と。エレノアは心の内で呆れ果てるが、だからと言ってこのままむざむざと行かせるわけにもいかない。
最優先すべきは大導師からの命であるが、第三団に属する者たちからの命もまた絶対。
可能な限りは、与えられた任務を実行しなければならない。
「お待ちになってください、バークス様」
「なにィ……!?」
この状況において、自分の判断こそが正しいと信じるがゆえ、エレノアからの静止の言葉を受けた途端、バークスの禿頭の青筋が一層太く浮かびあがった。
しかし、エレノアは特に気にする様子もなく、言葉の先を続ける。
「皆様はここで待機を。例えここまでの道のりで、グレン様たちがどのような行為を働こうとも、決してこの場から動いてはなりません」
「何故、貴様にそのようなことを――!」
「それが、第三団……朧なる御方からのご指示ゆえに」
「……?」
バークスや、リィエルの兄を名乗る青髪の青年は、その呼び名に対して首を傾げるだけ。
しかしその時、苦悶の内にあるルミアだけが、
遥か彼方、あるいはすぐそこで響く、狂気に満ちた何者かの哄笑を。
*
合成魔獣の群を殲滅した後、ギルバートとグレンたちは、貯水湖の先にある扉を開け、その先の通路を進んで行った。
薄暗い道の先には、仄かな明かりが点いており、そこを目指して歩を進めると、一行は開けた空間へと出た。
「ここは……」
そこは、どうやら保管庫だったらしい。
壁や天井に取り付けられた結晶型の光源と、それらが照らす、空間内に無数に配置されたガラス円筒。
謎の液体に満たされた円筒の中には何かが入っているらしく、グレンはその中身を確かめようと円筒の1つに近づき――そしてすぐに後悔した。
「……っ!?」
「……!」
すぐ隣で、別の円筒の中を見ていたアルベルトも同様に、いや、あるいはグレン以上に険しい顔をして、ガラスに穴が空きそうなほど鋭い目付きで、その中身を凝視した。
「――
同じように手で円筒に触れつつ、ギルバートがその中身の正体を口にする。
それは他の狩人たちも同様であり、ガスコイン、アイリーン、ヴァルトールらの3人も、同じように円筒に触れ、その中で浮かぶ脳髄を凝視していた。
「『感応増幅者』、『生体発電能力者』、『発火能力者』……先の1つの名前は、以前ヒューイとかいう若造の口から聞いたことがあるな」
「……おそらくは、この脳髄は全て『異能者』のものなのだろう。あるいは、彼らの成れの果てと言うべきか……」
淡々と、しかし確かな怒りの籠った声で言うアルベルト。
円筒の羅列を潜り抜け、先へと進むと、そこには既にガスコインの姿があり、彼は最奥に位置された円筒の
その円筒の中に見えたのは、他のものとは異なり、まだ肉体を保っている被験者の少女。
一瞬、まだ助かるやもしれないという希望が見えたが、それはすぐさま絶望へと叩き戻されることとなった。
まず、その少女には手足がない。
体には無数のチューブが繋がれて、開いた双眸には既に生気は失われていた。
『生きている』のではなく『生かされている』、という表現が適切だろう。
この研究所の主であるバークスによる非道な実験の数々を受け、心は死に、体も外的補助が無ければ、生物として生きることすらできない。
いや、もはや既に彼女は、死んでいるも同然だった。
――コ、ロ、シ、テ。
「……ああ」
――任せろ。
帽子の下で一層低い声を発すると、ガスコインは左手の短銃を上げ、その銃口を円筒越しに成れ果ての少女の額へと宛がう。
バァン――ッ! 短い銃声の後、円筒はガラス片をばら撒きながら砕け散り、その中にいた少女も、無数のチューブから解放させる形で冷たい床の上に放り出された。
放たれた散弾が少女のか細い身を貫き、一層ひどい有り様と化しているが、不思議と顔だけは穏やかだった。
その少女であったモノの傍に片膝をつくと、胸の前で両手を合わせ、頭を僅かに垂らして祈りを捧ぐ。
せめて、その死後は安らかであれ。願わくば、来世は幸福な生を送れるように――と。
「……小僧、狙撃手。ここら一帯の円筒を全て破壊するぞ」
正直な話、脳髄
聖杯による地下迷宮創造の儀式の際、用いる素材が常に人体パーツであったことから、今さら人間の脳を見た程度で、驚くことはない。
しかし、驚きはせずとも、怒りは溢れるものだ。
この異端の実験場を生み出した主は、この脳髄の主であった『異能者』たちを、人間とは見ていなかった。
ただ自身の利益がため、他者の尊厳を穢すことも厭わない冒涜的所業。
場所も異なり、目指すべきものも異なるとはいえ、ギルバートはこの実験場に、かつてのビルゲンワースと医療教会を重ねていた。
優れた技術も、使い方を誤れば神をも穢す業となる。
その驕りと傲慢、行き過ぎた欲が神の領域にまで伸び、結果、神――上位者たちはあの都に呪いをもたらしたのだ。
この研究所の実験も、いずれ同じ道を辿ることになろう。ならばこそ、ここで徹底的に叩かずして、何が狩人か。
「人の域を過ぎた行いは悪業も同然。ならば、この場の徹底的破壊を以て、犠牲者たちへの弔いとする」
――異論はないな?
そう問う彼の声に、反論する者は誰もなく。
間もなくして、その場を銃火と紫電が走り、刃が立ち並ぶ円筒全てを切り刻んだ。
せめて、この悪夢を忘れられるように――その一縷の願いを込めて、彼らは怒りの蹂躙を続けた。
*
実験場を叩き潰し、新たに見出した通路を駆け抜けた先。
閉ざされた扉を足で乱暴げに突き破ると、そこに見えたのは巨大広場。
先の実験場とは異なる、より大規模な実験のために造られたのだろう広域実験場。
その最奥で鎖に繋がれ、吊るされる形で少女――ルミアはいた。
「――ルミア!」
「……先生ッ!」
グレンの呼び掛けに、ルミアは涙目ながら精一杯の声で応える。
目的のルミアは目と鼻の先で、後は彼女を取り戻して即退散……というわけにはいかないだろう。
元よりそのつもりであったが、やはりと言うべきか、その場にはグレンらが考える敵の全てが揃っていた。
エレノア、バークス、青髪の青年、そして――
「リィエル……」
「……」
グレンの視線に気づき、リィエルはすぐさま顔を逸らして彼の視線から逃れる。
言いたいことは山ほどあるが、まずは優先すべき案件を片付けてからだ。
そう思い、リィエルの隣に立つ青髪の青年を睨みつけ、続けてバークス、最後にエレノアといった具合で視線を移していくと、エレノアの方もグレンの視線を察してか、薄気味悪い微笑で応じた。
「ようこそ、皆々様方。ここまでお越し頂きまして、恐悦至極に存じます。
我らが主、そしてかの方に代わり、お礼を申し上げ致しますわ」
「はっ、何が礼を申し上げるだ! どいつもこいつも奥に引き籠って、こうして追いつめられてるだけじゃねえか!」
「貴様……!」
グレンのあからさまな挑発に、またしてもバークスが憤怒を露わに歯軋るが、それをエレノアが片手で制して止める。
「いえいえ、我々としましても、可能であれば皆様をお迎えさせて頂きたかったのですが、生憎と、
「どういうことだ」
指をつきつけ、すぐにでも魔術を放てるように構えるアルベルト。
彼とは昨晩のうちに一戦交えているゆえ、その戦闘能力の高さをエレノアは知り、経験済みだ。
その上でなお、彼女は姿勢を崩すことなく、語りを続けるべく言葉を発し続けた。
「皆様全員がここへ参られるかどうかは、正直僅かに疑っておりましたが、誰一人欠けることなくお越しくださいまして、私も感激にございます。……ですので」
その瞬間、エレノアの口元に歪みが生じた。
これまでの張り付けた薄気味悪い笑みではなく、彼女自身の本性を顕す――狂気に塗れた凶笑。
「いよいよ御開帳の刻でございます。かの御方より預かりし、その偉大なる力の一端。
かの方は支配下ではなく、あくまで同盟者であると仰られていましたが……私としてはどちらでも構いません」
実験場の中心域。その中空に生じた『虚空の歪み』。
先の見えない暗黒の孔の先より何かが蠢く気配を感じると、グレンやアルベルト、そしてエレノアの味方である筈のバークスと青年、リィエルすらも頭を抱え、生じる痛みに耐えるように指先を頭皮に食い込ませた。
「ぐ、ぐぁ……っ!?」
「こ、れは――!?」
「先生! アルベルトさん! ――く、ぅ……!?」
皆に遅れて、ルミアも脳裏に生じた痛みに苦悶の声を漏らす。
しかし、その瞬間に彼女はまた、件の哄笑を聞き取った。
存在するが認識できない、全く矛盾した奇妙不可解なる者の言葉。
それが少しずつ、だが確実に明確化して聞こえるようになっているのだが、今のルミアには、それに割く意識の余裕はなかった。
やがて歪みは広がり、ある程度の大きさにまで膨れ上がると、その奥から伸びた
グレンらにはソレが見えない。しかし招き手であるエレノア、そしてギルバートを始めとする狩人たちは、しっかりとその姿を瞳に捉えていた。
そしてソレは、自らがその次元に干渉しやすくするよう、存在のレベルを低下させ、そこでようやくグレンたちもその姿を視認するに至った。
あるいは――見ない方が幸せだったのかもしれないが。
「な――」
そこにいたのは、巨大な
痩せすぎた体躯。7本の長腕。サボテンにも似た、複雑な網目を持つ特徴的な頭部。
言葉で表せばこの程度だが、しかしそれは、その言葉でしか言い表わすことのできないことの証明でもあった。
形容し難い巨躯を誇り、彼らの前に姿を現わした者。その真名は――
「――『アメンドーズ』……!」
『――ッ!!』
人の身では理解することの叶わない超越存在の咆哮。
かつて狩人たちの住まう都に呪いをもたらし、ヤーナムを地獄と変えた存在――『上位者』の一角が、彼らの前に再臨を果たした。