ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

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第9夜 因縁は断たれず

『――任務、お疲れ様です』

 

 

 耳に当てた宝石型の魔導器より響くその声。

 暗い夜闇のさらに深奥。

 人目の届かぬ闇黒の領域に、その人物の姿はあった。

 

 角を備え持つ獣皮の頭巾。

 血に濡れ、獣皮を羽織ることで乾くことのない深紅を帯びた異邦の衣服。

 数年ほど前より、アルザーノ帝国の夜を騒がせている怪人。

 血に濡れた外套を纏う『血塗れの殺人鬼』……その偽者である男だ。

 

 

『隠密に優れた術の担い手とはいえ、はぐれ魔術師如きに我が組織の秘密を知られてしまったとは。

 此度の一件、貴方様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません』

 

「構わん」

 

 

 魔導器越しの相手の言葉を、ひどく興味なさげな口調で応じた。

 元より秘密を知った相手を始末するなど、男にとってはごく当たり前のことであり、それが彼に与えられた唯一の仕事(しめい)だ。

 それにこの魔導器越しの相手も、心底より彼に対して謝罪をしているわけではないのは、その声音から容易に察することができた。

 

 

「お主たちが如何な不手際や失敗を晒そうとも、その後処理を私がこなせば済むだけのことだ」

 

『ええ。ですが、今回の一件は何とも情けない話で……』

 

「情けなかろうと何であろうと、これが私の仕事であり、お主たちとの間に交わした契約だ。

 それに……これ以上、お主の心の籠らぬ謝罪など聞いていても、無駄に時を浪費するだけだ」

 

『……』

 

 

 耳に当てた宝石から声が途絶える。

 その代わり、間もなくしてクスクスと笑い声のようなものが聞こえ始め、男の耳をその音で満たす。

 耳障りに響くその笑声には確かなる悪意が込められていて、その声の主の本質が窺えた。

 

 

「……本題に入ろうか。それで、お主は何の用で私を呼び出した?」

 

『っふふ……ええ、そうですね。では、貴方様のお望み通り、()()に移るとしましょう』

 

 

 何者も知らぬ暗がりの中で行われる会話はやがて終わりを告げ、全てを聞き終えた男は通信を切り、闇の中から空を見上げる。

 天に頂く満月は、今宵も淡く、そしてどこか怪しげな光を以て地上を照らしている。

 だが、そんな月光でさえ真なる闇――その深奥に隠れ潜む者共の姿を照らし暴くことは不可能だ。

 

 

「嘘か、真実か……あの狂人の言葉に信を置くことに危険がないわけではないが……」

 

 

 それでも、きっと行かねばならないのだろう。

 いや、そうでなければならない。

 如何なる苦難、危険が待ち受けていようとも、彼には為さねばならぬ使命がある。

 例えあの悪夢より解き放たれ、こうして再び肉の体を得ようとも変わらない。

 

 秘密を――教会の秘匿たるあの漁村の存在を知った者には、終わりなき死を与える。

 それこそが、彼――教会の刺客、狩人ブラドーの使命なのだから。

 

 

「一縷の希望……はたしてそれは応えてくれるかね」

 

 

 そんな呟きを最後に残して、狩人ブラドーの姿は夜闇の内から消失。

 そして街は変わらぬ夜の中、朝陽が来るのを待ち続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 偽者が現れたらしい地方都市を離れ、早数日。

 ギルバートはその装いを狩人の黒装束から町医者としての白衣姿へと変え、馬車に揺られながらようやくフェジテの街へと辿り着いた。

 普通ならば、このまま診療所の方へと帰宅するのだが、どうも街の様子が妙ににぎやかだ。

 人々のにぎわいを頼りに、視線をあちらこちらへと向けるとその要因たるは街の最奥、魔術学院にあると理解し、そこで今何が行われているのかを彼は思い出した。

 

 

「そうか。今日が競技祭だったか」

 

 

 件の事件が起きた地方都市に赴く前に、そろそろ競技祭開催の時期であることは知らされていた。

 とはいえ、所詮は医務室の法医師補佐に過ぎない彼は担当のクラスを持っているわけでもなく、去年の競技祭――より正確には、競技祭内で使われた魔術の数々を見て十分に満足したため、今年の競技祭に関してはそこまで興味はなかった。

 

 加えて今回の偽者が起こした殺人事件もある。

 これまでギルバートが帝国政府に抹殺ではなく、捕縛の条件で狙われていたのは、偏に彼の殺害した人物たちの種類によるものだ。

 悪行を働く外道魔術師たちを、その理由はともかく悉く殺戮してきた彼は帝国の民衆たちにとっては英雄(ヒーロー)も同然であり、それは以前の血文字による警告の件を経て、支持者の数が減少した今でも同じだった。

 

 今はまだ目立った動きはしていないようだ。

 だが今後、何の関係もない一般人に手を出すようなことがあれば、『血塗れの殺人鬼』は外道殺しの狩人から、単なる殺戮者へとなり下がる。

 

 

(それだけは絶対に避けねば……)

 

 

 民衆からの支持は、時として足枷になることもあるが、ギルバートにとっても都合の良いものだった。

 国とは民あってこそ成り立つものであり、その基盤たる者たちが暴走でもすれば、少なからず帝国に影響がでることはまず間違いない。

 故に政府も『血塗れの殺人鬼』を抹殺することは避け、秘密裏に捕縛する道を選ばざるを得ない状況なのだが、その殺人鬼(ギルバート)が真に単なる殺戮者へと成り果てれば、政府はそれを機にギルバートを抹殺しに掛かるだろう。

 

 いや、死ぬこと自体に恐怖は無い。

 そもそも死してもそれは“夢であった”と片付けられてしまうギルバートにとって、死とは()()恐れるに足りぬ概念なのだ。

 問題は殺されること自体よりも、政府に追われるという状態だ。

 未だ目的を果たせず、そのために各地へ出向くことも少なくないギルバートにとって、これは非常に厄介なことだ。

 自由に行動できる現状態を崩させぬためにも、偽者には消えて貰う必要があったのだが……。

 

 どうやらそのことばかりを考えていたこともあってか、競技祭の開催日をど忘れしてしまっていたようだ。

 

 

「それにしても、やけに今年の競技祭は盛り上がっているな」

 

 

 今年の競技祭の熱が去年のものとは比ではないのは、一見しただけでも充分に分かるほど。

 幾ら国内最高峰の魔術学院とはいえ、ここまでの盛り上がりを見せるなど普通ならばあり得る筈がない。

 それだけの理由がある――そうギルバートは推察し、何かを見据えるように学院の方へとその視線を向けた。

 

 

「……取り敢えず、行ってみるか」

 

 

 手持ちの黒カバンを携え、白衣をなびかせて彼は向かう。

 そこに待ち受けているモノ。後に起こる事件をどこか本能的に感じながら。

 彼は学院に続く道を進み始めた――。

 

 

 

 

 

 

 学院の護衛係に身元を証明し、学院内に入るギルバート。

 競技祭の開催場所は、去年と学院内北東にある魔術競技場に間違いないだろう。

 歓声もそちら側から聞こえてくるし、あそこ以外であんな大規模な祭事を行うことはできない。

 

 取り敢えず中の様子だけ見て、少ししたら学院を出ようと考えていた、ちょうどその時だ。

 

 

「……あれは」

 

 

 競技場から複数人、軽甲冑と緋色の陣羽織に身を包んだ男たちが出て行く姿が見えた。

 このアルザーノ帝国においては珍しい、鎧の類を身に着けた者たち。

 それにあの陣羽織。直接見たことはないが、話では聞いたことがある。

 

 『王室親衛隊』

 アルザーノ帝国、その頂点に君臨する女王の守護者。

 王室一族を何より、誰よりも優先的に守護し、その際には己が命さえ惜しむことのない忠義者たち。

 彼らがここに居るということは、この学院に王族の誰かがいることは確実。

 

 その彼らが、主の守護の任を離れてどこかへ向かうということは、何か良からぬことが起きた証明とも言える。

 彼らを追うか、それとも放っておいて競技場へと向かうべきか。

 

 

「……考えるまでもないな」

 

 

 周囲の視線に注意を払いつつ、姿を隠せるような物陰へと移動し。

 虚空を歪め、その歪みに手を突っ込んで取り出した青い液体で満たされた瓶の蓋を開け――その中身を一気に呷る。

 

 薄れゆく存在。脳を襲う僅かな痺れ。

 これまで幾度となく服用してきた秘薬によって半透明化したギルバートは、装いはそのままに人気のない道を進み、親衛隊の後を追った。

 彼らが向かう先は競技場とは真逆の方角。

 学院を取り囲む鉄柵の辺りまで来て、彼らはようやくその歩の速度を緩め、そこに居た()()()()と接触した。

 

 

(あれは、グレンと……ルミア君?)

 

 

 鉄柵近くの木々の下にいた男女――グレン=レーダスとルミア=ティンジェル。

 その2人を取り囲むように親衛隊5人は散開し、彼らに何かを問いかけるようにその口を開いた。

 1度目の問いに対し、おそらく問いの相手であろうルミアは訳が分からなさそうにグレンの方を見て、2度目の問いに今度は戸惑いながらも答えた。

 

 するとその答えを機とし、親衛隊は一斉に腰に佩いた細剣(レイピア)を抜剣。

 その鋭き切っ先を全て、ルミアの方へと向けて、隊長各らしき衛士が堂々たる叫声を挙げた。

 

 

「傾聴せよ! 我らは女王の意思の代行者である!」

 

 

 忠義に篤い親衛隊らしい、何とも堂々たる一声は何者の発言も許さぬ圧のようなものが込められている。

 さながらそれは、これより述べる事の一切が真実であり、我らにこそ正義があると言うかの如く。

 

 

「ルミア=ティンジェル。恐れ多くもアリシア七世女王陛下を密かに亡き者にせんと画策し、国家転覆を企てたその罪、もはや弁明の余地なし!

 よって貴殿を不敬罪および国家反逆罪によって発見次第、即、手討ちとせよ。これは女王陛下の勅命である!」

 

(……!)

 

 

 女王の暗殺。

 それがルミアが犯さんとしていた罪であると、そうあの親衛隊の男たちは言っていた。

 だがおかしい。あり得ない。できる筈がない。

 ルミアという女生徒については、そこまで深く知っているわけではない。

 

 だが、彼女の性格についてはそこそこ知っていたし、何よりあの日――ヒューイ=ルイセンの自爆テロ事件の際に見せてくれた、あの微笑と『ありがとう』の言葉から察するに、暗殺なんて考えるような娘ではないのは確かだ。

 ヤーナムという狂気に満ちた魔境(せかい)で生きたからこそ、分かることがある。

 狂気を隠し、内側を悪意に蝕まれた人間。

 狂気の渦の中においてなお、正気を保ち、善性を失わぬ人間。

 少なくともルミア=ティンジェルという少女には、誰かを殺そうなどという悪意に満ちた念は存在しない。これだけは断言できる。

 

 

「――ふざけんな!」

 

 

 親衛隊の衛士たちの言葉に、遂にグレンが憤怒を露わとし、叫ぶ。

 普段は性格的に難が見られる彼ではあるが、その根本は善性寄りだ。

 こんな一方的で、理不尽な行いに涼しげな顔で居られるような人間ではないし、それは自爆テロ事件を通してよく理解していた。

 

 とはいえ、あの人数を相手にルミアを連れて逃げ切るなど、そう容易いことではない。

 ヤーナムの群衆や地下のネズミ共を相手して来たから、対多人数戦や多数の追手からの逃走が如何に難しいものかなど、嫌というほどに知っている。

 

 真実を隠すための虚偽とはいえ、事件の際に1人隠れていたとなっている自分を擁護してくれたルミア。

 今後何か起きた際、確実に何らかの役に立つであろうグレン。

 掛けられた恩義と、利用性を合わせて考えた上で、ここで彼らを見捨てるという選択は既に無くなっている。

 では、どうすれば彼らの助けとなれるか。

 つい先日、バーナードら『特務分室』と()り合ったばかりだ。ここで『血塗れの殺人鬼』として親衛隊を殺害するのは良策ではない。

 

 では別の衣装を纏い、戦闘不能状態にまで追い込むか?

 普段の黒い狩人装束は、ノコギリ鉈や短銃と並び、『血塗れの殺人鬼』のトレードマークとして既に知られてしまっている。

 だが逆に、それ以外の装束は着てこなかったため、全くと言っていいほど別の姿でのギルバートの存在は知られていない。

 

 

(顔隠しの装束ならば、アルデオ……いや、やつしの装束か?)

 

 

 薬の効果も薄れかけてきている。

 早急に着替えねば、逆に親衛隊に見つかり、最悪彼らの助けとなるどころか足手纏いになってしまう。

 思考に思考を重ね、ある姿を思い出した彼は、だがその顔に明らかな嫌悪感を滲ませた表情を浮かべ。

 

 

(っ……状況が状況。親衛隊を殺さず、そして確実に彼ら(グレンたち)を逃がせるならば()()が最良……)

 

 

 計画の確実性を優先する思考と、人間としての誇りを優先する思考が脳内で鬩ぎ合う。

 上位者共の力を研究し、超越的思考へと至るための過程で生み出された術技『秘儀』。あれを扱うことに躊躇いはない。

 だが、()()だけは受け入れ難かった。初めてあの姿となり、敵対者を蹂躙した時の感覚を今でも覚えており、その悍ましさから彼は心底よりアレになることを拒み続けて来たのだ。

 

 それでも、確実に計画を成功へと導けるのは、おそらくアレだけ。

 単純な攻撃力でもなく、かと言って特殊な能力によるものではない。

 視覚的衝撃――それこそが今、最もこの状況に必要な要素だった。

 

 

「……なるしか、ないのか」

 

 

 苦悩の末に出した決断のもと、彼は虚空に再び手を伸ばし、そこから1つの装束と大型の工房道具を取り出し。

 白衣からその装束へと着替えた後、彼は道具を用いて、己が脳内に1つの『秘文字』を焼き付けた――。

 

 

 

 

 

 

 グレン=レーダスは、必死で思考を巡らせていた。

 ルミアの命を狙う王室親衛隊、その精鋭5人。

 いずれもが卓越した技量を有し、加えて1人の例外なくその身を耐魔術装備で固めている。

 おそらく単純な近接戦闘能力だけならば、グレンよりも上を行き、それだけでなく先程の動きから察するに連携練度も極めて高いと見た。

 

 まともにぶつかれば、まず間違いなく自分の方が殺られる――。

 そう思わざるを得ないほどに彼らという障害は手強く、故にルミアを連れてここから逃げ出すことは至難の業だ。

 

 

(いや……方法がないわけじゃねぇ)

 

 

 ルミアを連れ、確実にこの場から脱する術はある。

 だがそれを実行に移すには、彼らに隙を生じさせねばならない。

 一瞬でいい。ほんの一瞬、彼らの意識が自分から離れれば、それを実行し、ルミア共々ここから脱することができる。

 

 問題は、その隙をどう作るか。

 そんな思考で頭の中を満たしていたその最中、1人の衛士がグレンから視線を外し、別方角へと視線の向きを変えた。

 

 

「おい、そこのお前。そこで何をしている」

 

 

 衛士の視線の先に見えたのは、ボロボロの黒布で上半身を覆った誰か。

 被った黒布は如何にも自分は怪しい人物ですと証明しているようなものであり、加えて纏う空気もどこか不気味さを感じさせるものがある。

 その人物は一歩、また一歩と足を進め、徐々に彼らとの距離を縮め、近寄ってきている。

 

 得体の知れなさと、その不気味さ。

 その双方が合わさることで、言葉に表し難い恐怖が生まれ、そしてそれに相対する者は恐怖に当てられ、正常な思考ができなくなってしまう。

 

 

「おい、それ以上こちらへと来るな。我らは今――」

 

「……」

 

「っ、聞いているのか貴様! 我らは王室親衛隊。我らが言葉を聞き入れぬとなれば、相応の罰を覚悟して貰うぞ!」

 

「……」

 

「く……来るなと言っているのが分からんのか!?」

 

 

 無言。ただひたすらに無言を貫き、迫って来る黒布の怪人物。

 顔はおろか、声さえも発さぬ得体の知れない輩の登場に他の衛士たちにも徐々に恐怖が浸透し、彼らの顔に怯えの色が滲み出し始めた。

 

 

「っ――来るなァ!」

 

「っ、馬鹿者!」

 

 

 遂に耐え切れなくなった1人の衛士が、手に握る細剣で以てその人物の纏う黒布を切り裂いた。

 感情に任せたその攻撃行動は、例え女王陛下の任務遂行のためとはいえ、その行いは愚かの一言に尽きた。

 グレンや他の衛士たちしか見ている人間がいないとはいえ、彼は決して剣を抜くべきではなかったのだ。

 

 そしてその愚かさが故に、裂かれた黒布の隙間から――ソレはその正体を晒した。

 

 

「な――ごぁっ!?」

 

 

 首に巻き付き、締め上げる長いモノ。

 ぬるりと滑りを帯びたそれは死体のように蒼褪めていて、生理的嫌悪感を抱かざるを得ない気色悪さに満ちたソレは――触手。

 見れば頭に当たる部位も人間のそれではなく、白い木のようにも見えて、だが明らかにこの世のものとは思えない冒涜的形状。

 黒布の下に隠し、秘されていたものの正体は、文字通りの“怪人”だったというわけだ。

 

 

「ば、化け物!?」

 

「ひ、怯むな! 全員で取り囲み、一気に仕留めるのだ!」

 

 

 隊長らしき衛士の指示に従い、捕えられた1人を除く衛士たち全員が怪人を囲うように陣形を組む。

 女王――より正確には、総隊長であるゼーロスからの命さえ、今の彼らの脳内からは忘却されている。

 未知なる脅威、得体の知れない恐怖に直面した時、人は己が命を最優先に考える。

 

 彼らの今の行動も、正体不明の怪人を仕留めるためのものだが、大元を辿るとそれは自らの生存欲求から生じたものに他ならない。

 

 

「先生、あれは……」

 

「ああ……何だかよく分からねぇが、とにかく助かった!」

 

 

 予定とは少し違うが、衛士たちの意識が外れた今が好機。

 グレンはルミアを抱え、彼らに気付かれぬよう迅速にその場から抜け出し、何らかの魔術を行使して鉄柵を飛び越え、学院の外へと出て行った。

 

 

(行ったか……)

 

 

 触手による薙ぎ払いや、口に相当する部位から吐き出す粘液によって4人の衛士たちを相手取るも、状況はそこまで良いものとは言えない。

 何せ片腕を衛士1人の拘束に使っているのだから、使える主な武器はもう片方の触腕と粘液だ。

 触手に関してはその気になれば頭のあらゆる部位から出すこともできるのだが、自在に操れるわけでもなく、何より加減を間違えれば殺しかねない。

 

 だが、無駄に時間を費やして彼らの相手をしていても意味はない。

 そう考えたギルバートは拘束していた衛士を離すと、わざと4人の方に返すよう放り投げた。

 地面に叩き付けられ、その衝撃でせき込む衛士を他の仲間が起き上がらせると、仲間が戻り、人質もいなくなったことに親衛隊は気力を取り戻し、ギルバートに対する恐怖を強引に引き剥がした。

 

 

「行くぞ――!」

 

 

 隊長各の一声のもと、剣を構えて一斉に襲いにかかる衛士たち。

 この連携攻撃を以て必殺を成す――!

 そんな意気込みが感じられる彼らの猛進を前に、だがギルバートは臆する様子も見せず、それどころか受けて立たんとばかりの屹立の姿勢で彼らの攻撃を待っていた。

 

 剣の切っ先が届くまで、あと5歩、4歩、3歩。

 2歩、そして1歩のところまで彼らが距離を縮めて来たところでギルバートは己が体を限界にまで反らし、その触腕を体に巻き付けると。

 

 

「――吹キ飛ベ」

 

『――!?』

 

 

 轟――ッ!!

 それは、例えるならば極小の惑星爆発。

 宇宙的神秘を宿した爆発が怪人態のギルバートを中心に発生し、衛士たちを襲う。

 猛烈な衝撃が全身にかかり、握り持つ剣さえも折れて、1人の例外なく衛士は文字通り吹き飛ばされ、木々や地面、鉄柵に叩き付けられて意識を失った。

 

 

「フン……」

 

 

 敵を片付け、巻き付けた触腕を戻すと彼は周囲を見回し、その状況を確認する。

 そう遠くない場所から聞こえる声。その言葉から察するに、残りの親衛隊衛士が応援としてやって来たのだろう。

 その数について詳しく知る術はないが、少なくとも今しがた相手した連中以上の人数がこちらへ向かって来ているのは確かだ。

 

 

「面倒ダナ……此処ラデ退クノガ賢明カ」

 

 

 そうとなれば行動は速く。

 伸ばした触腕で鉄柵を掴むと、弓弦に番えた矢の要領で鉄柵を飛び越え、学院外区へと移動した。

 グレンたちがどこにいるのか、どこへ向かったのか。それは分からない。

 が、親衛隊から逃れるために、あの男はまず人目を避けられる場所を探すことだろう。

 

 ならばこちらも同じく、人目の届かぬ場所へ向かえば良いだけのことだ。

 幸いにもここはフェジテ。長年に渡り、夜毎この街で外道共を始末して来た彼にとって、もはや庭のようなものだ。

 人目を避ける場所の心当たりなど、幾らでもある。

 

 

「……行クカ」

 

 

 姿もこの眷族じみたものから元の人間としての姿に戻さねばならず。

 故にギルバートはまず、その場で最も近い人気のない場所を探しに向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 学院内にて発生した極小爆発。

 爆弾によるものではない、神秘を帯びた明らかに人業の類ではないそれを視認して、“彼”は珍しくその双眸を大きく見開いていた。

 あの狂人――『天の智慧研究会』に属する魔術師より知らされた情報から、このフェジテでならば見つかるかもしれないと思っていたのだが。

 

 

「まさか、こうも早くにその可能性を見出せるとは……」

 

 

 あの爆発は魔術によるものではない、もっと濃密な神秘によるもの。

 爆発の業そのものを直接この目で見たことはないが、たった今確認したアレは、かつてビルゲンワースや医療教会が見出し、創造した人外の御業『秘儀』に近しいモノだ。

 

 それを行使し得る者は、おそらくかの超越存在『上位者』に見えた者共。

 あるいは医療教会やビルゲンワースに少なからぬ関わりを持つ輩。

 そしてその何れかから、その御業を盗み出し、神秘に触れた愚者。

 

 何れであれ、その人物がヤーナムに関わりを持っていることは確実であり、それ即ちあちら側の世界から飛ばされて来た異界人であることの証明。

 もし、その人物が『血塗れの殺人鬼』であり、その殺人鬼が彼――ブラドーの知る愚か者(じんぶつ)ならば、為すべきことなど1つしかない。

 

 

「何であれ、この目で確かめねば事は始まるまい。

 もし、かの殺人鬼が私の知るあの男ならば……クハハッ、クハハハハハ……!」

 

 

 使命に狂い、もはや何が正しく、何が間違いであるのかさえ分からず。

 それでもなお、己が信ずるものに縋るよう、獣皮の殺し屋は得物を携え、街へと向かう。

 暴かれるべきではない、隠し続けるべき秘密を知った愚者を。

 

 この手で――殺すために。

 

 

 

 

 フェジテ西地区・一般住宅街。

 とある人気のない路地裏にまでやって来たグレンとルミアは、どうにか親衛隊の追手から逃げ切ることに成功した。

 あの後、別の場所から駆けつけて来た親衛隊に追われ、命懸けの鬼ごっこを繰り広げることとなったが、この通り今は完全に撒いている。

 

 抱えていたルミアを下ろし、それからセリカと連絡を取っては見たが、これといった情報は得られなかった。

 だが1つだけ、彼女は気になることを言っていた。

 

 

「俺だけ……俺だけが、この状況を打破できる、だと……?」

 

 

 何故、女王陛下はルミアを討つ勅命などを下したのか。

 親衛隊が暴走するに至った真の理由とは何なのか。

 色々と謎は多いが、その答えをセリカは確かに知っていて、その上で彼女はそれを口にはしなかった。いや、()()()()()()

 

 

「わけ分かんねぇ……そんでもって、どうやって俺1人で女王陛下のところまで行きゃいいんだよ……クソッ!」

 

「先生……」

 

 

 苦悩するグレンの姿を見て、ルミアは呟くように彼の名を呼んだ。

 元を辿れば、彼女の存在そのものがグレンをこの一件に巻き込んだようなものだ。

 故に全ては自分に非がある、と。心優しい彼女ならば、そう考えてしまうだろう。

 

 だがそれでも、グレンは彼女を救おうと決めていた。

 どんなことになろうとも、彼女の命を守り切る。

 

 ――俺だけは絶対、お前に味方してやる。

 

 かつて交わした約束のためにも、彼女を守り切らばければ――。

 

 

「だが、一体どうすりゃ……」

 

「――苦悩の色が滲み出ているな」

 

 

 ふと――聞き覚えのある声が耳奥に響いた。

 それはおよそ一ヶ月半前の時、あの自爆テロ事件の際、グレンと共に事件を解決に導いた協力者のものであり。

 同時にこのアルザーノ帝国において、今最も有名な殺人鬼の声。

 

 路地裏の先にて、黒い外套と短マントをなびかせ、屹立するその姿。

 忘れようにも忘れ難い、深く脳裏に刻まれた黒装束。

 変わらぬ装い、変わらぬ得物、そしてどこか特徴的なその口調。

 『血塗れの殺人鬼』――ギルバートだ。

 

 

「お前……何で……!」

 

「……思ったよりも早い再会だな、《愚者》の小僧。そして……」

 

 

 纏う外套を風になびかせ、彼らのもとへと歩み寄る。

 以前と変わらぬその姿は、紛れもなく闇世界の処刑者たる彼のもの。

 だが不思議にも、今日の彼からは殺気と呼べるものは微塵も感じられない。

 

 

「小娘……いや、ルミア=ティンジェルか」

 

「え……? ど、どうして……」

 

「何故、と? お前はかの結社が求めた存在。

 ならばその名を知っておくなど、当然のことだ」

 

 

 今回は前回とは異なり、目元辺りを包帯で覆い隠してはいないため、その目元の動きで彼の感情が僅かながら読み取れる。

 とはいえ、ルミアに対して吐いた言葉から察せられるように、彼にとってルミアの名を知ることは、己が目的達成のために『必要だったから』なのだろう。

 ……少なくとも、『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)の正体を知らないグレンは、そう思っていた。

 

 

「お前が居るってことは、つまり……」

 

「……残念だが、今回は事情が少し異なる。

 簡潔に言えば……学院の様子が妙だったから来た。それだけだ」

 

「それだけって……まあいい。あのカリフラワー怪人もそうだが、今日は運よく意外な助っ人に恵まれてる。

 ……いや、こんな目に遭ってる時点で俺の運勢最悪なんだが」

 

「それで? 一体何が起きているのだ、小僧?」

 

 

 異形の武器を携えたまま、器用に腕を組むギルバートからの問いに、グレンは少し悩むが状況を考え、その末に先程セリカとのやり取りを説明した。

 曰く、セリカは動くことができず、そして女王陛下の出したというルミア討伐の勅命についても話すことができない。

 つまり彼女は現在、下手に動くことのできない状況にあり、その全てを解決できる鍵はグレンにあること。

 

 

「ふむ……お前にしか打破できぬ状況」

 

 

 姿勢は崩さぬまま、左目のみを伏せて呟きを漏らす。

 かの大魔術師、『灰燼の魔女』ことセリカ・アルフォネアについてはよく知っていた。

 町医者としての表向きの姿と、狩人としての本来の姿の時においても直接的な関わりこそ多くはなかったが、良くも悪くも彼女は有名人で、それ故か情報も山というほどに存在した。

 

 400年の永き時を生きる『永遠者』(イモータリスト)

 200年前の戦争においては、外宇宙より召喚された邪神、その眷族を見事討ち果たした伝説を持つとされる、間違いなく大陸最高最強の魔術師だ。

 その彼女でさえ動くことの叶わない状況となると、それは単純な力でどうにかなるようなものではない、もっと複雑かつ難解な状況に違いない。

 

 

「……小僧。貴様、何か心当たりはないのか?」

 

「あったらこんな風に悩んじゃいねぇよ」

 

 

 諦めとさえ取れるその言葉を、だがギルバートは尤もであると受け取った。

 いずれにせよ、情報が少ない。このまま行動したとして、はたして事が上手く進むかどうか怪しいところだ。

 女王のもとへ向かう前に、解決策の1つか2つは考えていかねば、待っているのは失敗――最悪は死だ。

 

 

(『天の智恵研究会』がそう易々と諦める筈もない。となれば、奴らがまた彼女を狙うのは必然であり、今ここでルミア=ティンジェルに死なれるのは、俺にとっても手掛かりを失うも同然……それはよろしくない)

 

 

「――っ!」

 

 

 不意に。

 抜き身の刃にも似た殺気が彼らを襲う。

 その殺気に反応したギルバートは、ほぼ反射に近い形で右手のノコギリ鉈を長鉈形態に変形させ、その肉厚の刃を振るった。

 

 ギィン――! と鳴り響く鋼同士の打ち合う音。

 噛み合う2つの刃越しに見えるのは、尻尾のようになびく青い長髪。

 顔は驚くほどに無表情で、それ故に感情が一切読み取れず、ある種の不気味ささえ感じられる。

 

 

「――リィエル!?」

 

 

 ――リィエル。

 そう。確かそんな名前だった。

 表情そのものが死滅してしまったと言っていい程の無表情。

 幼さを残した顔付きに、小柄な体躯とその外見には似合わぬ、鉄塊が如き大剣。

 

 あの夜。初めて特務分室と接触した際に顔を合わせた魔導士。

 グレンと共に『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)を手こずらせ、その特大の刃で以て彼の命を刈り取りに掛かった少女魔導士。

 

 

「――リィエル=レイフォード。突撃一辺倒の猪め……」

 

「今度は逃がさない。――斬る!」

 

 


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