ロクでなし魔術講師と月香の狩人   作:蛮鬼

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第1巻
プロローグ -偽りの夜明け-


 ――己が思考の埒外にあるモノを知った時、多くのヒトはソレを求めずにはいられない。

 

 超次元。神域の智慧。超越存在――上位者の思考。

 

 およそ人の身では到達し得ぬ領域。絶対の禁域とも呼べるそこへ至るべく、多くの徒が研究に励み、探究を続け。

 そして、多くの禁と罪を犯した。

 古き都はもはや呪われ、悍ましい獣と汚物に溢れている。

 

 うんざりだった。

 

 獣も、上位者を名乗る化け物共も、何より全ての元凶である人の業も。

 全て、全てがうんざりだった。

 だからこそ、殺した。狩り尽したのだ。

 

 

『■■■■■■■ッ!!』

 

 

 耳に障る悍ましい末期の叫びと共に、その巨体が花畑へと倒れ込む。

 言葉に表すことさえできない、無数の触手を備え持つ怪物。

 剥き出しの骨の如き上半身と、不気味なぬめりを帯びた両足。

 顔に当たる部位には眼もなければ耳もなく、口さながらに空いた虚ろな穴が存在するのみ。

 

 『月の魔物』――それが怪物の名前だった。

 

 忌々しい狩人の夢。獣狩りの夜を繰り返す元凶たる、夜天の王。

 狂人どもの儀式を潰し、赤子を殺めても真なる夜明けを迎えることはない。

 この怪物を討ち果たすことで、ようやく全てが終わりを告げる。始まりの朝日が昇るのだ。

 

 

「……夜明けだ」

 

 

 倒れ伏し、刹那の間も置かずに血飛沫を上げて四散する魔物。

 しかし、その末路さえも視界に映すことなく、彼――狩人は夜天を見上げた。

 『ノコギリ鉈』を握る右手には、まだあの怪物を切った時の感触が残っている。

 硬く、しかし柔らかで、何とも云えないあの感触は、できることならすぐさま忘れたいものなのだが、そう思い通りにはいかないらしい。

 

 鉈を振るい、弾丸を見舞い、数多の道具、戦術の全てを駆使して討ち果たした人外。

 けれども、これで全てが終わりというわけではなく、この終末さえも新たなる始まりでしかない。

 儀式は潰した。魔物は倒した。なのに何故、この夜は明けない。

 

 繰り返される獣狩り。終わらない悪夢。

 これは一体どういうことか、新たな上位者の力によるものなのか。

 様々なIF(可能性)を生み出し、多くの時間をその思考に費やしてきたが、結局何も分からず終いだ。

 この夜明けも、所詮は仮初めのモノ。

 間も無くすれば自分の身は人から上位者へと変わり、そして再びあの悪夢が始まる。

 

 真に終わりなき、夢幻の内に広がる生き地獄。

 あのゲールマンが味わったものとは、もしやこういうモノだったのだろうか。

 

 

「まだ……目覚めには、遠いのか……」

 

 

 果ての無い悪夢に声なき慟哭を上げ、狩人の意識が徐々に消えていく。

 異邦より血の医療を求め、『青ざめた血』を求めたが故の罪なのか。

 “いつか、この悪夢が真に終わりを迎えんことを”

 

 その思いを心内に秘めて――狩人の意識は遂に、闇の中へ沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 はたして狩人は、再び狩りを全うした。

 境を失い、獣と成り果てたモノたちを。病の元凶、その儀式の主催たる狂人を。

 そして真なる黒幕、悍ましき月の上位者をその刃で、弾丸で以て討ち、悉くを狩り尽した。

 

 斯くして一夜は終幕へ至り、新たなる一夜が幕を開ける――その筈だった。

 

 迎える筈の夜は来ず、暗闇に意識を手放した狩人の姿もまた無く。

 詰まる所、これは次なる一夜の前の寄り道だ。

 空間転移を可とする多腕の上位者(アメンドーズ)の仕業か、それとも別なる何者かの手によるものなのか。

 確かなことはただ一つ。どうやら彼の苦難は、まだ終わりに至ることはないらしい。

 

 故に狩人よ。数多に在する獣狩りの徒が1人よ、暫しの別れだ。

 新しい悪夢(せかい)を――堪能したまえよ。

 

 

 

 

 

 

 “悪夢は巡り、そして終わらないものだろう”

 

 繰り返される悪夢の中で、幾度となく聞いたある狂人の言葉だ。

 人を人ならざる領域へと至らしめる何か――今は亡きビルゲンワースの学長、ウィレームの言葉を借りるのなら、『瞳』と呼ばれるモノを求め、上位者ゴースに対し、交信を試み続けたあの男の言葉は、最初に聞いた時は苛立ちしか覚えなかった。

 

 終わらない悪夢などない、と信じ続けていたあの頃が懐かしい。

 奇しくもあの男の言葉は現実となり、幾度獣や上位者どもを屠ろうとも、真の夜明けを迎えることは叶わなかった。

 だがもし、今再びあの男が同じ言葉を吐いたとしたら、()はこう答えるだろう。

 

 

 ――“これも貴様の云う悪夢なのか?”

 

 

「はぁ、はぁ……っ!」

 

 

 忙しない様子のまま、纏う黒ローブを風になびかせて男が走る。

 夜闇に包まれた、人知れぬ路地裏を駆ける男の正体は魔術師――世間的に云う、外道魔術師と呼ばれる輩であった。

 目的のためならば手段を選ばない、文字通り人間の道を外れ、外道と成り果てた彼らではあるが、故にその危険性は高く、例えそれがチンピラ同然でも決して侮ってはならない。

 

 だが今、その外道魔術師の様子から察するに、彼は間違いなく逃げていた。

 相手は魔術師か、それとも噂に名高きあの帝国宮廷魔導士か?

 いずれであれ、今の彼の手に負える相手でないことは確からしく、屈辱に耐えながらもこうして逃走し続けているのが現状だ。

 

 

「……!」

 

 

 逃走の果て、曲がった角の先へと進んだところで男はその双眸を見開く。

 目の前にあるのは壁。夜闇の黒に染め上げられた、街区によく見られる長大な壁である。

 最初のその姿を見た時は僅かに絶望したが、何と云うことはない。

 周りにあるものに飛び移り、高さを縮めていけば何とかなる。

 

 天辺にさえ到達すれば、おそらく()()を撒くことはできるだろう。

 生存への道が見えたことに口元を歪める男。

 未だ生を諦めない外道魔術師を、だがその考えごと嘲笑うかのように――その靴音が夜闇に響いた。

 

 

「――!?」

 

 

 夜風が街区を吹き抜け、纏うコートと短マントをなびかせる。

 妖しく輝く満月を背に、道を進んでやって来るのは1人の男。

 夜闇に隠れて見えにくいが、その身に纏う装束はここらではあまり見られない異邦のモノ。

 灰がかった黒色の装束は肌という肌を覆い隠し、短めの黒髪の上には枯れた羽根付きの帽子が見られる。

 

 ローブではなく、およそ魔術師らしくない装束で身を固めたその男は、確かに魔術師と呼ぶには酷く異質で、歪な存在だ。

 そもそも彼自身が、自分は魔術師ではないと云っているのだから、正しくは『魔術師らしくない』のではなく、『魔術師ではない』だ。

 では何故、外道魔術師はそんな彼に対し、逃走せざるを得ないほど怯えていたのか。

 その原因とは、彼の右手に握る()()にこそあった。

 

 血に塗れ、まだ温かさを残す刻々(ギザギザ)の刃。

 およそ人間相手に向けるには、あまりにも不適格で恐ろしいソレは、だが確かに人を死に至らしめるだけの性能(ちから)を有していた。

 そして右手とは逆の左手に握るのは、右の刃物とはまた異なる殺しの道具――短銃(ピストル)だ。

 

 ノコギリと銃――まともな魔術師ならば絶対に使うことのない組み合わせに男は再度、その顔に怯えの情を湛え、口元を引き攣らせた。

 

 

「何なんだ……一体何なんだよ、お前ぇ……!」

 

「……」

 

 

 魔術師の言葉に、男が答える気配はなく。

 手にした2つの得物――ノコギリ鉈と短銃を握り締めて、魔術師の元へと歩み寄っていく。

 

 カツン、カツン、カツン――一歩、また一歩と足を進めるたびに、硬い靴音が夜闇に鳴る。

 それに伴って握り締めた得物の1つが、さながら歯軋るように刃を不気味に鳴らしていた。

 その音を1つずつ耳にする度、魔術師は怯えを伴い、己が内で何度も問いを繰り返した。

 

 どうしてこうなった。何故、こんなことになったんだ。

 コイツを探り、隙あらば捕縛するのが自分に与えられた任務であったはず。

 なのに何だ、この男は。

 素性不明、多くが謎に包まれていることは聞かされていたが、こんな奴だったなんて聞いていない!

 

 魔術師でもなければ、ただの人間ですらない。

 組織の下っ端も同然である自分であるが、それでも充分に分かるほどの死臭、()()()()

 これでは、まるで殺人鬼か何かではないか――!

 

 

「何なんだよ――お前はぁッ!?」

 

 

 遂に我慢も限界にきたらしく、魔術師は呪文を詠唱し、男へ向けて魔術を発動。

 紡がれた詞。伴い、具現する劫火。

 夜闇を照らす灼熱の光は男の体躯を瞬く間に呑み込み、その一切を灼き尽くさんと燃え盛る。

 

 ――だが。

 

 

「――ッ!」

 

 

 灼熱の檻を突破して、黒影が魔術師の元へ迫る。

 目にも止まらぬ駿足に対処する術などあるはずもなく、呆気なく隙を突かれた魔術師の喉元には鋸刃が当てられ、頭の横側には銃口が突きつけられている。

 

 

「……1つ問う。お前たちは、この俺を捕えて何をする気でいる?」

 

 

 ギリ、と当てられた鋸刃が喉元に食い込み、鈍い痛みと共に鮮血が肌を伝う。

 虚言は許さない――そう警告しているのだ。

 

 

「異端が如き輩に、お前たちは何を求めている?

 人外を殺す術か、命を刈り取る力か?

 それとも……未だ手にすることの叶わない未知か?」

 

 

 口にした言葉、その何れであるのかは正直この際、どうでもいい。

 ただ分かったことは、その内のどれかが正解だったらしく、怯えに染まった魔術師の顔に一瞬、驚愕の表情が垣間見えた。

 

 

「……そうか」

 

 

 それを知れたのを機に、男は手にしたノコギリ鉈を振るい切り、その鋸刃で魔術師の喉を骨ごと斬り断った。

 盛大に噴き出る血飛沫。まだ温かみを残した赤い液体を全身に浴びながらも、男は表情1つ変えることなく、首を断たれた死体を暗がりの方へと放り投げた。

 最悪の場合とはいえ、自分の命を奪わんとさえ考えていた輩に慈悲の念をかける必要などはない。

 

 少しでも隙を見せれば、背後から命を奪われることを、彼は身を以て知っていたからだ。

 血に塗れた衣装――鮮血に彩られた狩人装束を照らすかのように、月光が彼へと注がれる。

 不吉、狂気の象徴でもあった月は、今や淡い光を放ちながら、夜天の下にある街を優しく照らしている。

 似たようなことを何度も経験している故、そこまで驚きはしなかったのだが、どうも()()は自分の知る場所ではないらしい。

 

 上位者か、狂人どもか、それともソレらとは異なる別のナニカか。

 何はともあれ、自分はあの悪夢より抜け出せた。

 例え再び戻ることになったとしても、今の自分は自由の身なのだ。

 けれども、やはり狩人の宿命と云うべきなのか、ここでも同様に“何か”がある。

 秘儀もどきの魔術なる業、外道魔術師、己を狙う者たちの存在。

 

 この場所に来てからそこそこの年月を経たが、結局、今も昔も自分の為すべきことは変わらない。

 

 

「狩りの、全う……」

 

 

 血塗れの体躯を掻き消すように、狩人の身は夜闇の内へと消えていく。

 そして新たなる旅路を祝福するが如く、夜天に頂く満月は、一層強い輝きを放つのだった。

 

 


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