「あれは……」
「どうしたんだと思いますよ? まさか海にセルリアンですか?」
「いや、そうじゃない」
俺の視点が一点に集中したのを見て取ったのか、チベスナが俺の視線の先を追う。……まぁ追ったところで、チーターである俺の視力だから視認できたのをチベスナが目視できるはずもないのだが。
「フレンズだよ。何か……絵を描いてるみたいだが」
「絵ですか? 珍しいフレンズもいたものだと思いますよ……チーター以外に絵を描いてるフレンズなんて見たためしがないと思いますよ?」
「まぁそうだろうな」
基本、フレンズが創作活動に手を出してるケースなんて見たことないしな。アプリ版にはいたのかもしれんが、多分そこまで含めてもだいぶレアケースだったんじゃないだろうか。
そう考えると、あの絵を描いてるフレンズはだいぶ珍しい部類だと分かる。
…………いや、『絵を描いてるフレンズ』って呼ぶのも白々しいな。
「んじゃ、せっかくだし話でも聞いてみるか?」
「さんせーだと思いますよ!」
二人で頷き合い。
俺達は、タイリクオオカミのもとへと歩き出した。
「ん、きみたち、見ない顔だね」
タイリクオオカミの元まで近寄っていくと、タイリクオオカミはある程度距離が詰まった段階で耳をぴくりと動かし、絵を描く手を止めて立ち上がりこちらの方へ向き直った。
背格好は、大体俺と同年代──つまり高校生から大学生くらい。イヌ科のフレンズに特有のブレザー姿だが、今まで見たフレンズと違って黒系の色だからか、だいぶ大人びた雰囲気を感じる。
もっさりとした白いメッシュの入った黒髪は、シルエットを見ただけでオオカミという感じがするからフレンズって不思議だ。チベスナも一目見ただけでチベスナ感あったしな……。
……しかしこのオオカミ、ブレザーの胸元から直接生肌が見えているのはどうなんだ……? チベスナくらいならともかく、俺と同じくらいのサイズ感でそういうことやられるとちょっと目のやり場に困るっていうか……。
「チベスナさんはチベスナだと思いますよ。こっちはかんとくのチーター。われわれは旅をしているんだと思いますよ」
「監督じゃないが」
左手でネコの手挨拶をしそうになる右手を押さえつけながら、俺はチベスナの挨拶に付け加える。鎮まれ、俺の右手……!
「あはは、わたしは作家のタイリクオオカミだよ。この先のろっじに滞在してるんだ」
「へー、この近くにあるのか」
海沿いをずっと歩いてたから、地図とかあんまり見てなかったな。多分オオカミの言ってるロッジはアリツカゲラのロッジだと思うが、けっこう近くまで来てたんだな。
っていうかオオカミ、この時点でロッジ住まいなんだ。アニメに登場したフレンズの現状から、今が大体アニメから見てどのくらい前なのかとか推察できそうだなー……面倒だしやらないけど。
「ところでチーターのその手はどうしたんだい?」
そこで、オオカミが目敏く俺が抑えている右手に目を付けたらしく、そっちの方を指差してくる。この右手は未だにネコの手挨拶衝動から解放されないため、とりあえず気分が切り替わるまではこのままなのである。
「ああ、これか。気にしないでくれ、克服してる最中なんだ」
「今日はいつもの挨拶やらないと思いますよ? 無理するのは身体によくないし、ほどほどがいいと思いますよ」
「いいんだよ無理じゃないから!」
余計なことを言うチベスナに、俺はそう返しておく。ネコの手を我慢するのが体に悪いなら、俺は病弱キャラの誹りを受けることも憚らないぞ。っていうか既にすぐに疲労するヤツみたいな認識はされてる気がするし。
「ふーむ……よくないね……」
と、そこで顎に手をやったオオカミが、俺の手を見ながら深刻そうな声色でそう言った。
「何がだと思いますよ?」
「いやね。きみたちは知らないかもしれないが……わたし達フレンズには、けものだったときのクセというものがあるらしいんだよ」
「? チベスナさんはよく分からないけど、そういうものだと思いますよ?」
「そういうものなのさ。そして察するに、そこのチーター君はけものだった頃のクセを抑えようとしている……。これはよくない」
「やっぱりだと思いますよ! チベスナさんの言う通りだと思いますよ!」
「いやいや……」
っていうか、いつものオオカミのほら吹きだろ? いや俺はいつものっていうか今初めて体験しているんだが、純真無垢なフレンズならともかく、ヒトの前世を持つ俺には通用しないぞ。
「なんと……! クセを抑え続けていると、いずれそのクセが抑えきれなくなって……やがて抑えていた分のクセが一気に……!!」
「わー! ネコの手が強くなりすぎてチベスナさんがネコパンチされると思いますよ! チーター今すぐやめて!」
「やるか馬鹿!」
べし! と俺はチベスナにツッコミを入れる。
が……。
「……あ」
①俺はネコの手挨拶衝動を抑えていたが、抑えていたというところからも伺えるように、俺の右手はネコの手状態であった。
②俺の利き手は右手だった。
③チベスナのボケに対し咄嗟にツッコミを入れたため、利き手を使ってしまった。
これらの状況から導き出される結果。それは……。
「……やっぱりネコパンチだと思いますよ」
なんか…………下手にネコの手で挨拶するよりも精神的にダメージがデカイ……。
「いやあ、すまなかったね。さっきのはただの冗談さ」
「まったくもう! 本気にしてしまったと思いますよ! とんでもない冗談だったと思いますよ!」
「わたしも冗談が本当になったのはさっきが初めてだったから、すごいびっくりしたね……」
きみたちは面白いね、とオオカミは小さく笑う。いやほんと……恥ずかしいので忘れてほしい。
「それはそうと、きみたちは旅をしているんだって?」
「そうだと思いますよ」
話を切り替えるように、オオカミがそんなことを問いかけてきた。
お。オオカミは旅の概念が分かるのか。まぁ絵をかけるくらいだし、そういうヒトの文化的なものについて他のフレンズよりも詳しいのかもしれないな……。
確かアニメの話を見た限り、けっこう森林地方にも足を運んでいるみたいだし。
「旅ね、わたしも此処に来る前は色々なちほーに足を運んだものだよ。ろっじが気に入ったから今はここにいるけどね」
「そのロッジってところに住んでるのか」
「いや、住んでる……というとちょっと違うかもね。基本的にはあそこをねぐらにしているけど、その周りをなわばりにしている……って感じかな。帰らない日ももちろんあるよ」
「おおざっぱだと思いますよ」
「ふふ、まぁすみかが広いだけと思ってくれればいいよ」
そう言われても、チベスナはいまいちよく分からないようだった。
俺はなんとなくオオカミの言っていることが分かるが、チベスナはジャパリシアターを縄張りにするところからも分かるように『明らかに区切られた範囲』を縄張りにする傾向があるみたいだしな。このへんは『巣』を重視する元動物のフレンズと、『縄張り』を重視する元動物のフレンズ……みたいな差異があるのかもしれないな。
「今はもうそこまで旅をしたいとは思わないけど、旅はいいものだよ。きみたちも楽しむといい」
「ええ。チベスナさん達はパークを一周するんだと思いますよ! そのあとはじゃぱりしあたーに帰ります」
「へえ、パークを? それじゃあ体に合わないちほーも通ったりするんだね。大変だな……」
「まったくな」
感心したように言うオオカミに、俺は実感のこもった同意を返す。
ほんとマジで、大変なんだよなぁ……。っていうか、今思ったけどこのあとも雪山地方が控えてるんだよな。ああ……ほんとどうしよう。距離的にこの先のロッジを超えたらすぐだろうし、今のうちから寒さ対策考えとかないとなぁ。
「そういえば、そういうオオカミはもともとどこから来たんだと思いますよ?」
「わたしかい? わたしはしんりんちほーに住んでたね。特に暮らすのには不自由しない場所だったけど、旅がしたくてね……。まぁ、旅をする前にとしょかんで色々とはかせ達に世話になったんだけど」
「としょかんですか。そういえばチベスナさんも最近行ってませんね……」
「俺は行ったことないしな」
「えっ」
と言うと、オオカミはもちろんチベスナにも驚いた顔をされた。あれ……? フレンズが図書館に行かないってそんな珍しいことなんだろうか。
アニメ見た感じだとサーバルは博士達と初対面って感じだったし、図書館に行かないフレンズもそこそこいるんじゃ……、……いや、初対面のサーバルですら図書館の存在は知ってたわけだし、そのくらい周知される程度には色んなフレンズが図書館に行っていたと見たほうがいいか。
「わたしが絵を描くようになったのも、図書館で見た本の影響なんだよ」
「はー……チベスナさんと似ていると思いますよ」
で、図書館未経験の俺をよそに、図書館で色々と学んだらしいチベスナとオオカミは意気投合していた。そっか、二人とも図書館で映画だの漫画だのについて調べてたんだなぁ。
「でもオオカミ、けっこう絵がうまいと思いますよ。チベスナさん達も絵は描けますけど、これは……」
言いながら、チベスナはオオカミのスケッチブックらしきものを覗き込む。便乗して俺も見てみると、そこには波に乗るフレンズのイラストが描かれていた。
なるほど、このイラストの資料として海を見ていたのか……。そして上手い。普通に絵師の人のアナログ絵くらい上手いぞ。なんだこれ……。
「ふふ、ありがとう。けっこう練習するのに苦労したからね、そう言ってもらえると嬉しいよ」
そんなチベスナの言葉に、オオカミは本当に嬉しそうに表情を綻ばせた。
……そうだよなぁ、練習したに決まってるよなぁ。
フレンズになって、初めて字を書いたときの悲惨さを知っているからこそ、そしてそこから人並みに文字が書けるようになるまで練習したときの難しさを知っているからこそ、オオカミが軽い感じで言っている『苦労』がどれほどのものだったのかが分かる。
図書館でなれない鉛筆を持って、少しずつ少しずつ絵を上達させていくのに……どれほどの時間と苦労があったのか。それは俺には想像もつかない領域だ。
まして他に見せる人なんて博士と助手くらいしかいなかったんだろうし、俺にとってのチベスナみたいに一緒に上達する仲間もいなかったことを考えると…………それはとても孤独な挑戦だったんじゃないだろうか。
……すごいなあ、俺には多分、真似できない。
「そうだ。せっかくだし、他にもわたしが書いたイラストを見に行くかい? ろっじにいっぱいあるんだ」
「見たい見たいと思いますよ! チーター、いいでしょう?」
褒め言葉に気を良くしたのか、同行を提案したオオカミに、チベスナは目を輝かせながらこっちに話を振って来る。
まぁ、どのみちロッジには(宿としての)用があったわけだし、同行は願ったりである。俺は軽く頷いてこう返す。
「ああ、よろしく頼むよ、オオカミ先生」
……そんな感じで、俺達はオオカミ先生と共にロッジへと向かうことになった。
オオカミ先生はチーターにとっては初めて出会う創作者なので、色々思うところがあったようです。