ジャパリパーク編その2要素はありません。
「はッ……はッ…………」
荒い吐息の音が耳に届いた。
いやにうるさいその吐息の出所を確認しようとして、気付く。この吐息は、俺のものだ。
それに気づくと同時、ようやっと身体が意識に追いつき――疲労の波が俺の自意識を押し流そうとする。
脚は重く、腕は引きつり、全身が鉛の泥にまみれているような不快感と重量感に苛まれているが、それでも俺はここで倒れるわけにはいかなかった。
「――どうしたチーター、お前の力はその程度か?」
ようやく顔を上げたところで、俺の目の前にいた『そいつ』はいっそ鼻白んだような様子で俺に声をかけた。
規格外。
その言葉が、俺の脳裏をよぎる。圧倒的な力に、豊富な経験。そのすべてを十全に駆使した狩人が攻めたててくるのだ。これを脅威と言わずなんと言うだろうか。
「はッ……はッ……いいッ……加減に、しろよ!」
思わず吐き捨て、俺は向かってくるヒグマを迎え撃つ。
急速に世界の流れが遅延していき――砂埃を構成する粒子の一粒一粒すら捉えられる瞬間に入り込みながら、ふと、俺の頭にはこんな疑問がよぎっていた。
どうして、こんなことになったんだろう……?
それはようやくヒグマの怒りが収まったあたりのことだった。
調子に乗っていたリカオンにお灸を据えたヒグマが気を取り直した段階で、チベスナがこんなことを言ったのだ。
「で、結局えいがはどうなったと思いますよ?」
「あっ」
そうだった。すっかり忘れてたが、俺達は撮影のためのロケハンを兼ねてさっきまでのアスレチック巡りをしていたんだった……。全然忘れていた。
「……チーター、もしかして何も考えてないとかはないですよね?」
「安心しろ、それはない」
心配そうに言うチベスナに、俺は胸を張って答える。
そもそもネタは既にできているのだ。さっきロケハンしている最中に撮れそうな場所も大体決めてたし……あとは、脚本を形にしてハンター達とチベスナに伝えればいいだけだ。
「今回は、せっかくハンター達と一緒に撮影するんだし本格的なアクションにしようと思ってるんだ」
その前に、とりあえず方向性を説明しようと俺は四人に向けてそう切り出した。
もちろんフレンズの身体能力なら基本的にアクション向きなのはその通りなのだが、たとえばヘラジカ組やライオン組でアクションをやったら確実に暴れ放題の無法地帯になって映画撮影どころじゃなくなるだろう。その点ハンターは高い身体能力を持ちつつ、経験によってその働きを制御できる。その上、自分たちの力を自制することもできるのでよりアクション映画向きというわけだ。
「あくしょん?」
……が、ハンター達にはあまり耳なじみのない言葉だったということを忘れていた。
そんな俺の説明を引き継ぐように、チベスナが前に出てきて胸を張る。
「ふふん。チベスナさんは分かると思いますよ。あくしょんというのは……こう……ほあーっ!! って感じです」
「チベスナ……まぁそれもアクションだとは思うが……」
でもその片足立ちのポーズ、明らかにアクション映画の中でも香港系の流れが入ってきてるよな? 完全に知識に偏りが生じてるよな? やっぱりチベットが生息地だから近場の文化に影響されやすいとかなんだろうか?
「こ、こうか? ほあーっ!」
「うーん……オーダー、きつそうです……」
「そうですか? わたしはなんだかこの体勢、しっくりくるんですけど」
そんなチベスナを真似て、ハンター達もポーズを決める。
……女の子四人が片足立ちになって、片手を地面に水平に、もう片手を頭の後ろに回す……というポーズをとっている光景、控えめに言って地獄絵図系の何かだな……。
しかもキンシコウは頭の後ろに回した手に持った如意棒的なヤツもあって妙に様になってるし。
まぁ、キンシコウが似合うと分かっただけでも、今回のチベスナのボケはもうけものか。何せこれから撮影する映画にとって、キンシコウの演技の仕上がりはなくてはならないものだからな。
「で、チーター。今回もタイトルは決まってるんですか?」
「ああ――」
目を輝かせながら(傍目から見たら分かりづらいけどな)問いかけるチベスナに、俺はもったいつけて頷く。
今回の題材は――。
「『ジャパリ西遊記』だ!」
――
だが、その旅は至難を極めた。
何せちほーどころかエリアを跨ぐほどの長い長い旅路である。その上道中にはチベスナを突け狙う妖怪セルリアン達の妨害もあったのだからたまらない。
「わあ! 来たと思いますよ!」
「お師匠さん、ここは一旦引きましょう! こちらに木の砦があります!」
おそらく木の上に括りつけられたであろう、高い視点から二人を見下ろすカメラの下で、チベスナとキンシコウが話している。
走っていく二人の後ろからは、何やら大量のタオル的なものを繋ぎ合わせて作った布的なものを被ったナニカが迫ってきていた。
端っこからにょろっと出ている長いしっぽの先とかブーツのせいでチーターであることは丸分かりでありとても滑稽なのだが、そもそもほかのフレンズ達はコスプレとか一切していないのであれだけでも十分というのがチーターの判断なのだろう。
うぅぅ~……という呻き声は、一応チーター渾身の演技らしい。
――そう。
今回、西遊記の三蔵法師御一行様をキャスティングしてしまった影響で、敵役となる妖怪役をチーター自ら演じざるを得なくなってしまったのだった。
そこは沙悟浄を削るなりしてキャスト調整しろよ、とおそらくチーターも平時なら思っていたことだろうが、そこは岡目八目。ともかく今日のチーターは監督兼カメラマン兼妖怪役なので、こうしたアングル設定の工夫があるのであった。
「わ、わあ! き、来たぞ二人とも! 早く行こう!」
「うぅ、オーダーキツイですよ~」
その二人に、ヒグマとリカオンも追従する。
ヒグマはなんとなく演技に照れが入っている様子だった。
「……! ダメです、間に合いません! ここはわたしが撃退しますっ!」
「うぅぅおおお~……」
急げば普通に逃げ切れそうな速度差だったような気がするのだが、脚本の都合で逃げられないことを悟ったキンシコウはそのまま殿となって、チーター扮する妖怪セルリアンと相対する。
如意棒を構えたキンシコウのカットは、定点から撮影されたヒキの画であることを差し引いても今回随一と言えるほどの画になりようだった。
「うおおお……食ってやる~!」
「さあ、行きますよ――ていっ!」
胡乱極まりない妖怪ロールプレイに余念がないチーターに呼応してキンシコウが構えるのと同時――殺陣が始まった。
いかに演技が胡乱とはいえ、二人はフレンズ。身体能力が常人をはるかに超越しているのは当然のことで、たとえ胡乱な殺陣であってもその鋭さは超人クラスだった。
まず最初に跳躍したチーター(飛び上った拍子に中身が完全に丸見えだった)を、キンシコウが如意棒で防御。弾いて吹っ飛ばすと、チーターが着地する前に突進し、ボディに如意棒できつい一撃を加えた。
「ぐうっ……!」
高速移動の応用でそれを防御していたチーターがその場で攻撃を受け切ると、キンシコウは反撃を警戒し飛び退く。それから一瞬遅れてチーターの蹴りが虚空を両断した。
……完全にバトルものっぽい空間が展開されていたが、無論蹴りということはチーターの脚は丸見えなので、妖怪役としてはダメダメなのだった。
チーターも既に自分の役作りの拙さについては自覚していて、それを含めてネタ的な面白さを追求しているのかもしれない。
「く……強い。しかし逃げる時間は稼げました。ではこれにて!」
「うぉおお……次は……食う……!」
――そして場面は変わり、アスレチックの上。
「ふう……妖怪セルリアンはここまでは来れないようだと思いますよ……」
呟くチベスナの声と共に映し出されるのは、アスレチックの下で恨めしそうな怨嗟の声を上げている妖怪セルリアンもといチーター。役作りが雑極まりないわりには何気にけっこうな演技派であった。
現在の視点はチベスナ。
おそらくはチベスナがカメラを持っているのだろう。その視点がぐいっと回り、ヒグマ達を中心に収めた。そして、画面外からチベスナの声が入ってくる。
「それで、これからどうすると思いますよ? チベスナさんはあんまり妖怪セルリアンと戦いたくはないと思いますよ」
「うむ、そうだなぁ……」
「あ、ヒ……八戒さん。わたしから提案があるんですけど」
完全に自分が三蔵という役名であることを忘れているチベスナに、八戒なのに妙に態度がでかいヒグマ、対照的に孫悟空なのに腰の低いキンシコウなど色々問題はあったが、それはそれとして物語は進行していく。
「なんだ、悟空?」
「ええっとですね……。おそらく妖怪は、お師匠様の匂いを嗅ぎつけて襲ってきていると思うんです。それなら、お師匠様の匂いを皆にすりつけてから、バラバラになってあすれちっくから出て行けば……」
「なるほど!」
言いかけたキンシコウに被せるように、リカオンがぽんと掌を打つ。
「匂いが散らばっていくから、妖怪の鼻も混乱するというわけですね。ナイスオーダーです!」
「ないすおーだーってなんだと思いますよ?」
チーターの雑なキャラ把握による脚本の弊害である。
「しかし、キンシコウの言うことにも一理あると思いますよ」
「…………チベスナさん、チベスナさん、名前、名前」
「……あっ、悟空。悟空です」
言い直して、
「ここは悟空の言う通り、皆さん散らばって逃げようと思いますよ。……あっチーター戻ってきましたね。はいこれ」
ここで、視点がチベスナの一人称から三人称(チーター)に切り替わる。受け渡しが全体的に雑極まるのはご愛嬌である。
「では! みなさん……武運を祈ります。無事に逃げ切れたら、この先の池で合流すると思いますよ!」
「はい!」
「おう」
「ええ!」
――で、場面は変わりアスレチックの下。
先ほどのシーンと同じように定点になったカメラが映しているのは、ヒグマだった。
かなりヒキの画なので、ここでアクションシーンを撮るつもりらしい。
「フフフ……まずはキサマからだ」
ドスをきかせた感じの声が画面外から響き、その声の方へヒグマが振り返る。そこから一拍空いて、画面右端からタオルゴースト的ないでたちのチーターが現れる。
「な、なに……!? お前、何故……キンシ、お、おほん。悟空の話だと……」
「甘いな……。俺様は自在に分身ができるのだ! 匂いが分散されようと、そのすべてを襲えばいいだけのことよ!」
「な、なにーっ!?」
衝撃の真実である。
「もっとも、分身すればそれだけ力も分散されてしまうから、一人一人のパワーは弱くなるがな……」
「なっ、なんだと。それなら――わたし達一人一人がお前を倒してやればいいだけのことじゃないか!」
「できるかな?」
「ふっ! 三蔵法師一行を、なめるなよ!」
そして、二人の戦いが始まる。
流石にハンターという本職の戦闘者だけあり、その動きはすさまじかった。機敏に動き、チーターの背後をとって攻撃を加える。それでいて、チーターのことを本気で攻撃しているわけでもないため、チーターも殺陣をしつつ演技に集中することすらできていた。
事ここに至って、チーターの目論見はほぼ達成できていたといってもいいだろう。――この時点では。
「わっ、とっ、ほっ……ぐ、ぐわー、やられたー!」
ほどよい頃合いで、そう言いながらチーターが退場する。
この後は簡単だ。ヒグマが勝ち誇り、それからほかの仲間達を案じてシーン終了。その後は順繰りほかのハンターの撮影をすればいいだけである。
だが、そうはならなかった。
「…………ヒグマ? セリフ、セリフ」
画面外にはけたチーターがヒグマに声をかけるが、何故かヒグマは黙ったままだった。
そしてヒグマは、画面外のチーターに向けてこんなことを言う。
「チーター。お前、今手を抜いてたろ?」
ヒグマの表情は、とても納得がいっていそうな形ではなかった。
「へ? あー、ちょっと待ってくれ? どうした?」
ヒグマの様子が冗談ではなさそうだったので、チーターもタオルをどけてから画面内に戻って来る。そんなチーターに、ヒグマはこう切り返す。
「だって、事前にやったたて? の打ち合わせはもうちょっとキビキビした動きだっただろう。今みたいな動きじゃなかった」
「え、いやあのそれは、打ち合わせの時と違ってタオルとか被ってて動きづらいしこの後ほかのヤツらの撮影もあるから体力温存で……」
「わたしが、不甲斐ないからか?」
この時点で、雲行きが超怪しくなり始めていた。
「確かに、ハンターとしてみんなを完璧に守り切ることはできてない。お前らのときもそうだった。……さいきょーには程遠い。でもなチーター。それでも、お前に心配されるほどわたしは弱くないぞ」
「いやあの……」
ヒグマの瞳は、なんだかちょっと光をともしているようですらあった。
チーターとしては誤解ですと叫びたいのだが、本番の段階で特に相談もせずに『あっこれ意外と疲れるな』と思って手を抜いていたのは事実だったのでなんとも言い逃れしようがないのが辛いところだった。
「それについては悪いんだけども、俺はそんなに、」
「いいさ。チーター、お前はやさしいヤツだからな。お前がそう考えるのはわたしが昨日お前に不甲斐ないところを見せてしまったからなのも分かってるよ」
チーターが弁解しようとするが、時すでに遅し。
その瞳は――もはや煌々と、溢れんばかりの光を宿していた。
「
…………。
その意気込みについては非常に感謝したいチーターだったのだが。
それはそれとして、チーターは学んだ。
プロ意識や技量の高さを見込んでお願いをするなら、ちゃんとそれに見合った筋を通さないといけない……ということを。
「言い訳のしようもない……」
で、俺の視線の先ではヒグマが正座してしゅんとしていた。
その目の前ではキンシコウが仁王立ちして、ハッスルしてしまったヒグマにお説教をしていた。俺? 俺は端っこの方でチベスナに看病されつつ横たわっている。
だって、ヒグマの相手だぞ? しかもわりとガチめな感じだぞ? もちろんヒグマも怪我しないように加減はしてくれてたが、模擬戦でもそれなりに疲れるのは疲れるわけで……。
あと気苦労とかもあって、途中でいつまでたっても撮影場所に来ない俺のことを怪訝に思った三人が止めに入るなり、俺はこうして休憩モードに入っていたのだった。
ちなみに、撮影の方は無事に終了していた。
ヒグマとの戦闘でバテた俺にかわって妖怪役をチベスナが買って出て、それによってなんとかうまく回せたのだ。目立ちたがり屋のチベスナがタオルを被った地味な役を買って出るというのもそうだが、全体的に対応力が上がっている感じがしてチベスナの成長が垣間見えたものである。
「まったく……チーターさんは体力があんまりないフレンズさんだから体力を温存していただけだったというのに、ヒグマさんは勝手に勘違いして……」
「ま、まぁまぁキンシコウもそのくらいで。殺陣の精度を相談せずに低くした俺も悪かったわけだしな……」
それでもチベスナくらいじゃ気づかない程度の差ではあった自負があるけど……まぁそこはヒグマ相手だからというのもあるんだろうなぁ。
「……ま、それにヒグマが凄腕のハンターだってことも、文字通り身を以て知ることができたしな」
「うう……面目ない」
そう水を向けると、ヒグマはますますしゅんとしてしまった。
多分、ヒグマにとって俺というフレンズはかなりやりづらい部類なんだろうな。
なんか妙な苦手意識を持たれてしまってる気がする。妙な、というのは分かりやすい意味での『苦手意識』ではなく、なんかこう……いるだけで妙に肩肘張らせてしまっているというか、そんな感じのニュアンスだ。
「でも、チーターも凄かったと思いますよ? チベスナさん達が駆けつけてきたときは全然普通に戦ってましたし。ヒグマが止められたらすぐへばりましたけど」
「またお前は余計なことを……」
そういうこと言うとまた話がこじれるかもしれないでしょ。
「いえ、実際にそうだと思いますよ」
俺のぼやきに被せるように、キンシコウもチベスナの言に賛意を示す。
まぁ、実力を褒められるのは普通に悪い気はしないが……なんか雲行きが怪しい気がする。なんとなく、この流れは早く回避した方が良い気がする。
「あっ、そうだ。さっき撮った映画を一緒に、」
「チーターさん」
遮るように、キンシコウは俺に呼びかける。
「ヒグマさんは、わたし達の中でも一番に強いフレンズです。いえ……このパークの中を見渡しても、多分『さいきょー』だと、わたしは思ってます」
キンシコウの目は、とても真剣だった。
「そんなヒグマさんと戦って互角に渡り合うことができて……それでいて危険に対して『臆病』であれるフレンズというのは、そうそういないです。……わたしの言ってること、分かりますか?」
「…………、」
あー、恐れていたことが起こってしまった。
そんな風に思っている俺をよそに、キンシコウはこんな話を切り出してきた。
「チーターさん。……わたし達と一緒に、ハンターをやってみませんか?」
こっちに集中することにしたので今後は更新速度が多少上がると思います(詳しくは割烹で)。