不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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第七十二話 旅の果て

 

ダンジョン内を逃走していたリドたちが。

 

冒険者たちの救出に当たっていたシャクティたちが。

 

『リヴィラの街』防衛に奮起していたボールスたちが。

 

そして第50階層の安全階層(セーフティポイント)にて必死に防衛戦を繰り広げていたアキたち【ロキ・ファミリア】の第二軍が、その動きを止めた。

 

「……消えていく……?」

 

蠢く何か、『深淵』は突然動きを止め、やがて息絶えるかのように跡形も無く消滅した。

 

唐突に現れ、唐突に消えた。何から何まで不明のまま終わったこの出来事に、真相を知らぬ者たちはただ茫然とする他なかった。

 

そして、その真相を知る者たちは―――。

 

 

 

 

 

ガランッ、と武器が落ちる。

 

それは剣であり、槍であり、斧であり、槌である。杖やタリスマンという分類すら異なる得物は、ただ一人の不死人へ捧げられた忠誠と覚悟の証でもあった。

 

「……“王”?」

 

それを落とした事にも気付かず、白骨の鎧に身を包んだ闇の騎士たちが呆然と立ち尽くし一点を見つめる。その姿に戦闘中だった不死人たちも動きを止め、彼らと同じ方向へと視線を向ける。

 

この場にいる者全ての視線が、灰の大地の最奥へと向けられていた。

 

闇の騎士たちは理解する。先ほどまであった強大な気配が消えた事を。そして自分たちとこの世界を繋げていた者、『闇の王』の力を感じ取れなくなっている事に。

 

「そんな、馬鹿な……」

 

「嘘だろう……?」

 

「“王”が……我らの、希望が……」

 

立ち尽くす者、その場に崩れ落ちる者。『闇の王』の掲げた神殺しに賛同した者たちが、絶望と共に戦意を喪失する。

 

「か、勝った………?」

 

その中で、盾を構えていたラウルが呆けたように呟いた。

 

ふらふらと立ち上がった青年の心に、確信と共に歓喜が沸き起こる。

 

「勝った……勝ったっ、勝ったっす!!」

 

擦り傷まみれの顔を破顔させ、ラウルはついに叫んだ。

 

「団長たちが、勝ったんだああぁぁああああああああっ!!!」

 

―――おおおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!と、割れんばかりの歓声が巻き起こる。

 

武器を掲げ、声を張り上げ、勝利の雄叫びを上げる。

 

激闘の末に勝利を手にした不死人たちは互いの健闘を称え合った。ある者は全身で喜びを表現し、またある者は戦死した同胞へ静かに祈りを捧げる。バラバラではあるが、皆一様にこの勝利を喜んでいた。

 

 

 

「これで借りは返せたか……」

 

全身に傷を刻んだ蠍の下半身を持つタークは、その口元に滅多に浮かべない笑みを湛える。

 

「此度の戦、我らの勝利であるぞ!バンホルト殿!!」

 

「ああ……私は死に損なってしまったがな」

 

「ワハハハハッ!何を申されるか、互いにまだまだこれからであろうに!」

 

血に塗れながらも豪快に笑うバンホルトに、ヴァンガルもまた微かに笑って見せる。

 

「そうか、貴公……勝ったのだな」

 

そしてルカティエルは、灰の大地の最奥を見つめていた。

 

彼女は自身の指先へと視線を落とす。そこからは小さな光の粒子が溢れ、元の世界への送還の時が近付いている事を告げている。

 

「積もる話もあったのだがな……」

 

言葉の端に一抹の寂しさを滲ませるも、ルカティエルはふっ、と微笑んだ。

 

「まあ、次に会ったその時にでも、互いに語り合おう」

 

 

 

現界した不死人たちが元の世界へと還ってゆく。

 

その誰もが、満足げな笑みを浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『闇の王』が消滅する。

 

肉体の一片すらも残さずソウルの粒子となって消えてゆくその様子を、ファーナムは静かに見ていた。何か一つでも違っていれば、自身もまたこうなっていたのかも知れないのだと思いながら。

 

(さらばだ……『闇の王』)

 

これまで戦ってきた中でも最大の敵、そして偉大なる先達への別れの言葉を心の中で告げる。

 

そしておもむろに立ち上がろうとして―――ぐらりと視界が揺れた。

 

(ああ、そうだった、な……)

 

今になって身体に限界が訪れる。

 

右腕を肩と肘のちょうど中ほどで切断したためか、重心が崩れてバランスが取れない。血も大量に失ったせいもあり、思考も霧がかったように曖昧だ。

 

そのまま力なく倒れ込む……その寸前のところで、ファーナムは抱きかかえられた。

 

「大丈夫かい?」

 

「……フィン、か?」

 

霞む視界で確認すれば、目の前にはフィンがいた。

 

彼だけではない。ファーナムの周りには、いつの間にか全員が集まっていた。誰もがファーナムに負けず劣らず満身創痍で、それでもなお力強い出で立ちで彼を見つめている。

 

「……自分たちの心配が、先じゃないのか……?」

 

「まあ、正直もう限界だけどね。けど、君ほどじゃないさ」

 

「……はは、そうか」

 

軽口を叩ける以上、確かに命に別状はないのだろう。

 

今まで瀕死だったのは『深淵』が肉体を蝕んでいたせいだ。『闇の王』を倒し、『深淵』も消滅した。故に彼らは重傷なれど、こうして自分の足で立つ事が出来るのだ。

 

それを抜きにしても動けるのは上級冒険者の肉体と、これまで潜り抜けてきた修羅場の数が違うからに他ならないのだが。

 

「っ……皆は、どうだ……」

 

「ファ、ファーナムさんっ!動いちゃ駄目です!」

 

フィンの手を借りて立ち上がったファーナムをレフィーヤが制止する。この中でも比較的傷の少ない彼女は安静にするよう慌てて駆け寄ったが、それが決定打となった。

 

偶然にも肩に当たった彼女の手がなんとか立ち上がったファーナムの体勢を崩し、結果、フィン諸共に彼を地面に叩きつけてしまったのだ。

 

「ぐふっ」

 

「うぐっ」

 

「きゃっ、ファーナムさん!?すっ、すいません!?」

 

「団長ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

「ちょ、ティオナ!駄目だって!ファーナムをぶん投げちゃダメーーー!?」

 

「ちっ、馬鹿どもが……」

 

「……?」

 

「ふっ、はははははは!全く、揃いも揃って元気なものだ!」

 

「「 ………はぁ 」」

 

崩れ落ちるファーナム。その下敷きとなるフィン。驚くレフィーヤ。そして絶叫するティオネ。

 

動転したティオネをなだめるティオナと、やってられねぇと唾を吐くベート。その様子をきょとんとした顔で見守るアイズと、大笑いする椿。

 

【ロキ・ファミリア】が直面した最大の敵との戦闘の直後に発生した混沌(カオス)な状況に、最古参組のガレスとリヴェリアは揃って溜め息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

しばらくして、ファーナムたちは灰の大地を歩いていた。

 

リヴェリアによる応急処置を受けたファーナムは、今は椿の肩を借りている。腰の鞘に納めた直剣に目を落としながら、ファーナムはポツリと呟いた。

 

「色々と、すまなかった」

 

「む?」

 

「この剣があったから勝てた。これからは何があっても、手入れは欠かさないようにする」

 

思い出すのはかつての記憶、椿に剣の手入れについて苦言を呈された時の事だ。

 

あの時は自身の中で激しい葛藤を抱いていたが、その後のロキの言葉によってファーナムの中ではっきりとした目標を持つ事が出来た。

 

そんな記憶を、ふと思い出したのだ。

 

「ふっ、何を言い出すかと思えば。それは当たり前の事だ、戯け」

 

にやりと口角を吊り上げる椿に、ファーナムも兜の奥で苦笑する。

 

「それと、そういう時は謝るのではない。『ありがとう』と言うのだ」

 

「……そうか」

 

本当に、まだまだだなと思う。

 

そんな事を考えながら歩いていた時だった。前方から、複数の声が聞こえてくる。

 

「団長!」

 

「皆さん、ご無事ですか!?」

 

「あっ、ラウル!みんな!!」

 

灰ばかりの大地に現れた複数の人影。後方に残してきたラウル、ナルヴィ、アリシア、クルスの四人が、こちらへ駆け寄ってくる姿が見えたのだ。彼らの声に一早く反応したティオナが、喜びで溢れた声で彼らを迎える。

 

「良かったー!みんな無事だったんだー!」

 

「皆さん!その怪我は……動いて大丈夫なんですか!?」

 

「見ての通りよ。どうにか歩けるけど、正直もうゴブリンの相手だってしんどいわ」

 

四人はフィンたちの姿に慌てふためいていた。

 

誰もかれもが血塗れで傷だらけで、今までに見た事がない程の深手を負っていた。その中でもファーナムは最も重傷で、右腕を失ったその姿に、ラウルたちは沈痛な面持ちとなる。

 

「ファーナムさん、その、腕が……」

 

「気にするな。こんな傷、篝火に当たればすぐに元通りになる」

 

「え?」

 

腕の切断という大怪我を、さも当然かのように治ると言い切ったファーナム。当たり前のように放たれたその台詞に、この場にいる面々は唖然とした表情を作る。

 

「……その腕が治るのかい?」

 

「そうだが……ああ、言ってなかったな」

 

「……蜥蜴(とかげ)かなんかかよ、てめぇは」

 

「いいや、俺は不死人だが」

 

「反応に困る返答じゃのう……」

 

「……すごい」

 

「あ、アイズさんっ?」

 

漂いかけた重たい空気が霧散する。

 

未だダンジョンの奥深くではあるが、彼らを胸中に宿るのは、戦いに勝利した者たちにのみ許される安堵の感情だ。

 

どうにかなったが、帰路はどうするか。ギルドにはどう報告するか。そんな帰還に関する事を彼らがしばし話し合っている時……ファーナムだけが、こちらへと向けられる視線に勘付いた。

 

「………」

 

「……どうか、したんですか?」

 

「……いいや、何でもない」

 

ひょこ、と顔を覗かせるアイズに、ファーナムはそう言って誤魔化した。

 

その視線の主に、何となく当たりを付けながら。

 

 

 

 

 

「……ああ、勝ったのだな、貴公」

 

常に被っていたその兜を脱ぎ去り、素顔を晒したその男……ソラールは静かに呟いた。

 

彼の足元には、横たえられたジークリンデがいた。彼女の纏っていたカタリナ鎧は半壊しており、気を失ったその姿はまるで眠っているかのように穏やかだ。

 

彼女をここまで連れてきたソラールは、この場所で戦いの行く末を見届ける事とした。その結末がどうであれ、全てを受け入れる。そう心に決めて。

 

そして、勝負は決した。

 

神殺しの旅団の首魁。『闇の王』と呼ばれた不死人は、完全に消滅した。元いた世界とこの世界とを繋げていた力が弱まっている事が、その何よりの証左だ。

 

「……すまない。本当は俺が……いいや、俺たちがやらなければならない事だったというのに」

 

ソラールは消えゆく己の指先へと視線を落としつつ、誰にも届く事の無い呟きを落とす。

 

それは謝罪であり、感謝でもあった。どうしたって自分には決して出来なかったであろう、『闇の王』を、友を止める(殺す)という役目をファーナムたちに託した事への、ソラールの独白であった。

 

どれだけ悔やんでも、望んでも、過去は決して戻らない。変えられない。それは悠久の時を歩む不死人であって、唯一常人と分け隔てなく定められた絶対の掟だ。

 

だからこそ、ソラールは強く心に刻み込み、誓う。己の犯した過ちを、そしてこのような過ちを、二度と繰り返さない事を。

 

如何なる理由があったとて―――かつて絶望の淵にいた自分をもう一度立ち上がらせてくれた、無二の友へと向けて。

 

「俺はもう間違えない。だから、どうか見ていてくれ」

 

間もなく、ソラールはジークリンデと共に元の世界へと送還される。

 

待っているのは、どうしようもなく終わっている世界だろう。停滞し続けるか、あるいは別の形で終わりを迎えるだけの世界だろう。

 

それでも、ソラールは歩き続ける事を決めた。

 

もう間違えないと。最期の瞬間まで自分を誇れる道を歩もうと決めたのだ。

 

そう。

 

あの不死人、ファーナムのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灰色の戦場は、流された血によって(まだら)な化粧を施されていた。

 

散ったいった者たちの墓標のように突き立てられているのは剣や槍、その他さまざまな武器だ。そのどれもが欠け、折れ、罅割れ、この場で壮絶な戦闘が繰り広げられた事を物語っている。

 

共に戦った不死人たちの姿はない。ファーナムの魔法の効果が切れ、皆もとの世界へと還っていったのだ。

 

後に残されたのは闇の騎士たちのみ。不吉な白骨の装束を纏う彼らは、しかし今や呆然と立ち尽くすか、或いは絶望に打ちひしがれるかのよう項垂れている。

 

「こいつら、まだ……!」

 

「待て……もうこれ以上は、必要ない」

 

報復を危惧したティオネたちが戦闘の構えを取るが、それをファーナムは左手で制す。

 

彼らに戦意がない事は、彼がよく理解していた。

 

「奴らはもう戦えない。警戒も必要ない」

 

「分かるんですか……?」

 

「ああ……同じ不死人だからな」

 

レフィーヤの問いかけに、ファーナムは答える。

 

敵であれ、彼らは不死人である。

 

不死人とは、死を奪われた者。終わりの見えない旅を歩まざるを得なくなった者。心の拠り所、希望がなくては、亡者と成り果てるのをただ待つだけしか出来ない。

 

彼らにとっての希望は『闇の王』であった。彼が掲げた“全ての世界の神々を殺し尽くす”という使命は、闇の騎士たちにとって唯一、不死人として生き続ける為の糧だったのだ。

 

故に、心折れた不死人の末路は―――。

 

「………」

 

ファーナムの言葉に誰もが口を閉ざした。

 

自分たちの世界を破壊しようとした者たちである事に変わりはない。

 

しかし想像を絶する程に残酷な世界、過酷な旅路を強いられた者たちがその果てに得た希望、『人の子らの救済』という使命を失ってしまった彼らを、【ロキ・ファミリア】の面々はどうしても責める事が出来なかった。

 

「何だか……悲しいですね」

 

「それが俺たちという存在だ……俺も何か一つでも違っていれば、同じようになっていたかも知れん」

 

闇の騎士たちが消えてゆく。彼らが抱いた唯一の希望と共に。

 

その姿に、ファーナムは自然と己を重ねていた。

 

「……でも」

 

そこで、アイズが口を開いた。

 

「でも、ファーナムさんは諦めませんでした」

 

「……!」

 

ファーナムが振り返る。

 

兜に覆われたその顔を、アイズは真っすぐに見つめ、更に続けた。

 

「諦めなかった人だけが報われるって、教えてくれました。だから私たちも戦えたんです」

 

その言葉に思い返されるのは、ドラングレイグでの記憶。殺し、殺される日々を送り続けた数百年。

 

尋常ではないソウルを持つ者たち。渇望の王妃デュナシャンドラ。そして最後に己の前に立ちはだかった原罪の探究者アン・ディール。彼らとの死闘の末に、ファーナムは擦り切れた思考のままに石の玉座へと着いた。

 

そんな、何もかもを投げ捨てたはずの自分を諦めなかった者だと、アイズはそう言った。

 

「だから、ファーナムさんなら、きっと大丈夫です」

 

口下手な彼女が必死に紡いだ言葉が、ファーナムの胸を強く打つ。

 

「すまない……いいや、違うな」

 

すでに口癖となってしまった言葉をすぐさま訂正する。

 

こういう時、言うべき言葉はそれではない。この世界でファーナムが学んだ数多くの事の内の一つであった。

 

 

 

「……ありがとう」

 

 

 

同時に、灰色の景色に変化が生じる。

 

蜃気楼のように周囲が歪み、視界に緑が溢れ出す。本来あるべき姿ではない、『穢れた精霊』によって熱帯林へと変貌を遂げた第59階層が、一同の前に再び現れた。

 

「も、戻った……?」

 

「やった、帰ってこれたんだ!」

 

それは『闇の王』の力が消失した事を意味している。

 

オラリオの危機は、完全に消え去ったのだ。

 

「竜どもの遠吠えが聞こえない。これなら帰路も安全に進めそうじゃ」

 

「ああ、だが悠長にはしていられない。皆、すぐに移動しよう」

 

ダンジョン中に現れた『深淵』の影響により、モンスターたちも怯えて姿を隠しているようだ。フィンの判断のもと、一同はすぐさまアキたちが待つ安全階層(セーフティポイント)へ帰還するべく歩みを再開する。

 

にわかに交わされる雑談。壮絶な戦闘を終え、誰一人として欠けずに生還できた喜びを分かち合う、安堵の空気が漂う。

 

その中で。

 

唯一ファーナムだけが、口を閉ざしていた。

 

「……む、どうしたファーナム?」

 

肩を貸している椿が歩き出そうとしても、彼は動こうとしない。何かを悟ったような、そんな雰囲気を纏いながら。

 

そうして、口を開いた彼が発したのは。

 

「……悪いが、俺はここまでだ」

 

―――あまりにも唐突な、別れの言葉だった。

 

「……え?」

 

呆けたような声が上がる。

 

誰のものかは分からない。しかしファーナムが放ったその言葉に、誰もが疑問と困惑を抱く。

 

「ここまでって、ど、どういう事ですか?」

 

「ファーナム、何を言っている」

 

レフィーヤとリヴェリアの声に続き、全員の視線がファーナムへと向けられる。それらを一身に浴びながら、彼は落ち着いた様子で語り始める。

 

「……ずっと疑問に思っていた。なぜ俺は、この世界に来たのかと」

 

いつだったか、夢で聞いた声が蘇る。

 

―――亡者よ。それは本当にお前が望んだ最期なのか?

 

―――もしもお前が、あの結末に僅かでも疑問を抱いているのだとすれば、私はお前に寄辺を与えよう。

 

―――考えろ。お前は何者で、何を望んでいるのか。

 

「きっと、だからこそ俺はこの世界に来たのだろう。俺が何者で、何をすべきか……いいや、何をしたいかを思い出すために」

 

そう言い、振り返ったファーナムの視線の先に、異形の者が現れる。

 

赤々と燃え盛る炎を纏った枯れ木。それらが形成するのは巨大な人の顔。ドラングレイグの王ヴァンクラッドの実兄にして、原罪の探究者―――。

 

「そうだろう……アン・ディール」

 

「これは……!?」

 

突如として現れた異形の者に、フィンたちの間に緊張が走る。

 

それを無言で制したファーナムは、落ち着いた様子で振り返った。

 

『数多の試練を超えた不死人よ……答えを聞こう』

 

「ああ……」

 

その問いに、ファーナムは。

 

 

 

「俺は、もう諦めない」

 

 

 

ただ一言、そう告げた。

 

『……そうか』

 

アン・ディールもまた、そうとだけ答える。そしてその身体は、消え失せるようにして樹海と化した空間へと溶けていった。

 

僅か数十秒の内に起こった事態を、フィンたちは未だ飲み込めずにいる。死闘を終え、疲れ果てた脳が見せた幻覚だと言われた方がまだ信じられるほどに。

 

今のは何だったのか、答えとは何か。それらの疑問を投げかける前に、今度はファーナムの身体に変化が起きた。

 

「ファーナムさん……!?」

 

アイズの息を飲む声が小さく響く。

 

彼らに背を向けたファーナム。その身体から、淡い光の粒子が立ち上り始めたのだ。それは先の戦闘を終えて自らの世界へと還っていった、数多の不死人たちと全く同じ光景である。

 

「俺のいるべき世界はここではない。だから……俺はここまでだ」

 

「ここまでって……待ってよ!ファーナムが不死人だって、そんなの気にする事……!」

 

「そうではない。これは俺が、俺自身で決断した事だ」

 

自身が不死人である事に、この世界の住民たちとは違う事に負い目を感じているのならと言うティオナに、そして未だ動揺する彼らに、彼は諭すように語りかける。

 

「思い出したんだ。俺が立てた誓いを」

 

それは在りし日の彼が心に決めた事。

 

この身に現れた闇の刻印。それによって彼は妻子の元を離れ、過酷を進み続けなければならなかった。

 

その中で、彼は誓いを立てたのだ。世界から不死の呪いを根絶し、これ以上の悲劇を繰り返させはしないと。

 

「先の見えない旅路、終わりの見えない戦いの果てに、俺は道を見失っていた……だがこの世界に来て、お前たちと出会って共に生き、戦い、ようやく思い出したんだ」

 

不死人となる以前の自分を。不死人となった自分が立てた誓いを。

 

二度と会えるはずのなかった妻子と夢の中で出会い、二人がどれだけ自分を愛してくれていたのかを知った。恨まれて当然だと思っていたのに、あんなにも温かい言葉をくれた。

 

だからファーナムは戻らねばならない。再び過酷を歩まねばならない。

 

だが、これは決して悲劇ではない。

 

「俺はもう諦めない。だから……心配はいらない」

 

「……分かったよ」

 

ふっ、とフィンは苦笑する。

 

聡明な小人族(パルゥム)の団長は、その言葉に込められた意志の強さを正しく理解した。その上で、彼が【ロキ・ファミリア】を去る事を、決して許しはしなかった。

 

「でも、これで終わりじゃない。君が誓いを果たしたその暁には、また戻ってきてもらうからね」

 

「ああ。約束する」

 

ファーナムもまた、当然だと頷きを返す。

 

淡い光の粒子はすでに全身を包み込み、輪郭は陽炎のように曖昧なものになっている。許された残り僅かな時間で、ファーナムは兜を脱ぎ去った。

 

開けた視界に仲間たちの姿が広がる。

 

この世界で得た、かけがえのない者たち。この中の誰よりも長く生きているにも拘わらず、教えられる事はとても多かった。

 

笑みの絶えない住民たちの暮らし。ダンジョンに挑まんとする冒険者たちの気高さ。そして仲間と背を預け合い、戦う事の意味……何もかもが得難く、この上なく眩しい事だった。

 

そして、この世界に未だ潜む『闇』も知った。

 

かつてオラリオを襲った『邪悪』の残滓。英雄の都の奥深くで蠢く闇派閥(イヴィルス)の残党たちとの戦いで、ファーナムは激しい葛藤と後悔を抱く事となった。仲間の命を天秤に掛けられ、容易く人を殺してしまった自分自身に対して。

 

そんな時に救ってくれたのは、あの女神(かみ)の言葉だった。

 

自身が抱いた葛藤と後悔こそが、自身が人である何よりの証拠なのだと。だからファーナムは再び立ち上がる事ができた。立ち上がる力を与えてくれた。

 

……いいや、違う。

 

最初から、すでに救われていた。

 

 

 

女神(お前)がいたから―――今のファーナム()がいるんだ)

 

 

 

「最後に、頼まれてくれるか」

 

微笑みを浮かべたファーナムは、フィンたちにある言葉を託す。

 

それは、たった一言だけ―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第50階層の安全階層(セーフティポイント)。アキたちが死守した拠点に、フィンたちが帰ってきた。

 

「団長!?」

 

「皆さん!ぶ、無事ですか!?」

 

【ロキ・ファミリア】の第二軍である団員たちが雄叫びを上げる。未到達領域への進攻(アタック)に挑み、そして生還した英雄たちへの、心からの喝采であった。

 

見た事もないほど満身創痍の姿に、彼らは戦慄した。そして、今の自分たちでは決して届かない高みへと挑んだ冒険者たちへ、心からの称賛を捧げた。

 

しかし、その熱気は次第に冷めていった。

 

帰還した英雄たちの中に、一人だけ姿の見えない者がいたからだ。

 

「団長……ファーナムさんは……」

 

「……皆、聞いてくれ」

 

顔色すらも窺わせない硬質な声色をもって、フィンはアキたちに耳を傾けさせる。

 

「僕たちは、これまでにない程に熾烈な戦いを強いられた。その末に、一人の勇気ある冒険者の尽力によって、辛くも勝利する事が出来た」

 

その冒険者とは誰か。誰の事を言っているのか。それが分からぬ者など、ここにはいなかった。

 

口を噤む全員の前で、フィンは毅然とした態度で言い放つ。

 

「その冒険者の名は―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ファーナム?」

 

【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)、黄昏の館で。

 

ロキの声が、小さく響いた。

 

 




ラスト一話。

よろしくお願いします。

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