不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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長らくお待たせして申し訳ありません。暑さやら何やらで意欲がやられていました。

これからもどうか、見てやって下さい。


第六十五話 幕開け

 

『……太陽、俺の太陽よう……』

 

廃都イザリスにて、在りし日のソラールは絶望の淵に立たされていた。

 

求めていた太陽を見失い、全ての気力が尽きかけている。彼の熱く燃えていた火は陰り、何も分からぬ亡者へと堕ちようとしていたのだ。

 

その背に、『闇の王』は声をかけた。

 

『……ソラール』

 

『………あぁ、貴公か………』

 

これまで幾度となく語りかけてくれた強い口調も、今や見る影もない。

 

力無く座り込む彼は首だけを動かして振り返る。兜に覆われたその目に『闇の王』の姿が映っているのか、それすら怪しかった。

 

その姿に、『闇の王』の心はどうしようもない焦燥感に駆られた。

 

明確な理屈などない。ただこのままでは、ソラールは遠からず亡者へと堕ちてしまうと、そんな確信だけがあった。

 

『……私と共に来い』

 

意図せず出たのは、そんな言葉だった。

 

不死の呪いを根絶させる術はなく、己が愛した少女の死に意味を見出す事も出来ない―――そう思い知らされた彼は、半ば自暴自棄となった思考で、数多の世界に散らばる神たちを殺す道を選んだ。

 

そんな白痴じみた脳でも、たった一人で出来る事の限度というものは分かる。有象無象の不死人一人に出来る事などたかが知れている。遠からず朽ち果て、何も残せずに消えてゆくのだ。

 

しかし、共に戦う者が居れば?

 

無謀としか言えない道のりにも、光を見出せるのでは?

 

故に『闇の王』は、彼の心に()()()()()

 

『私がこれから成す事に、協力して欲しい』

 

『……何、を……?』

 

『“神殺し”。数多の世界に蔓延る神々どもを、この手で殺し尽くす』

 

太陽(導き)を失ったソラールに、それに代わる(導き)を与える。

 

澄んだ水面を泥で汚すように、『闇の王』はソラールに手を差し伸べた。自らの行いがどれほど卑怯で卑劣であるかを理解しているというのに、先の台詞がなぜ咄嗟に口をついたのか、それだけが分からない。

 

己の為に他者を利用しようとするエゴと、ソラール……()を亡者へと変貌させたくないという思い。その二つが共に『闇の王』の中に存在し、彼の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

 

この選択は正しいのか否か。遂ぞ、結論が出る事はなかった。

 

それよりも前に―――ソラールが『闇の王』の手を取ったからだ。

 

『……良いのか?』

 

『……ああ、勿論だとも』

 

 

 

―――友の頼みだ。

 

 

 

そう言ってソラールは。

 

兜越しに、微かに笑うのだった。

 

 

 

 

 

それからはもう、歯止めが効かなくなった。

 

 

 

『力を借りたい。共に来てくれるのならば心強い』

 

ある時は、心の折れかけた青き戦士に。

 

 

 

『……少し良いか。話がある』

 

ある時は、呪術を極めんとする呪術師に。

 

 

 

『ならば、私と共に来い』

 

ある時は、師を亡くした魔術師に。

 

 

 

『行くあてがないのなら、私たちと共に来ると良い』

 

ある時は、父を殺めてしまった少女に。

 

 

 

心の隙に付け込み(導き)を流し込む。それを毒とも理解できない彼らは承諾し、神殺しの一党へと加わった。

 

多くの同胞たちも同様だ。不死の呪いで心身をすり減らし、次第に亡者へと近付いてゆく実感。その疲弊した心に『闇の王』は付け込み、着々と『神殺しの旅団』の数を増やしていった。

 

しかし時が経つにつれ、始めの頃に抱いていた感情は徐々に薄れていった。

 

ソラールたち、友を己のエゴに付き合わせている事に対する罪の意識も。

 

多くの同胞たちを欺き、偽りの大義を振りかざす事にも。

 

そして、己の行いが、本当に正しいのかさえも……。

 

それに呼応するように、腰に佩いた『神殺しの直剣』から滲み出る『深淵』が、『闇の王』の心を少しずつ、少しずつ侵していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、ふと考える事がある。

 

今の自分を見て、彼女はどう思うのだろうと。

 

よく頑張ったねと、褒めてくれるだろうか。

 

危ない事をして、と怒るだろうか。

 

それとも……悲しむだろうか。

 

―――――私は、私の復讐は、間違っているのだろうか―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな過去の記憶も、疑問も。

 

今の彼は、思い出せない―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハア゛ァァアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!!』

 

汚泥を煮詰めたような声が『闇の王』の兜より響く。

 

その兜も手甲も焼け爛れたかのように歪み、サーコートは毒々しい血管にも似たものがへばりつき、脈打っている。甲冑も含め『そのような形をしたモンスター』と言われれば誰もが納得するであろう。

 

そんな『闇の王』と数秒前まで激戦を繰り広げていたアイズは―――現在、砕けた岩盤に埋もれるようにして、うつ伏せの状態で倒れていた。

 

「はぁッ、はぁッ、はぁッ……!!」

 

額には玉の汗が浮かび、その呼吸は酷く荒い。健康的で瑞々しかった肌も、今や『呪い』でもかけられたかのように青白い。

 

……否。それは正しく『呪い』なのだろう。

 

『闇の王』の身体を覆い、滴り落ちるは『深淵』。この世のありとあらゆる負の感傷を凝縮させたようなそれは、かつて一人の英雄を飲み込み、その在り方さえも歪めてしまったほどに強大かつ凶悪な代物だ。

 

何人(なんびと)の手にも余る呪いの奔流。その僅か一滴を肩に受けただけで、アイズでさえも身体を硬直させてしまった。

 

そんな絶体絶命の状況下で彼女が幻視()た『闇の王』の狂笑。直後、アイズは全身全霊の力で以て周囲の『風』をかき集め、それを愛剣《デスペレート》に付与させた。

 

そして、刃が交わる。

 

高密度の『風』を纏った刃が、『深淵』に塗れた刃を迎え撃つ。刹那の拮抗の末、アイズの身体は弾かれたかのように後方へと吹き飛ばされたのだ。

 

「くぁ―――ッ!?」

 

吹き飛ばされ、地面に接触し、その身体で岩盤と土埃を巻き上げながら地面を削り、ようやく衝突の勢いが殺される。傷ついた身体に更なる負傷が刻まれるも、アイズにとってそれらは些末なものに過ぎなかった。

 

「……か、はっ……!?」

 

喉奥よりせり上がったか細い苦悶の声。その原因となったのは彼女の胸の上部、鎧を切り裂き刻まれた僅かな傷だ。

 

通常ならば気にも留めない小さなその傷は、しかし他ならぬ『神殺しの直剣』によってつけられたもの。文字通り神をも殺す呪いの片鱗を己の内に流し込まれたアイズは、遂に動きを止めてしまう。

 

(不味、い……っ!)

 

常人であればとっくに発狂していても可笑しくない程の呪いの奔流に蝕まれながらも、アイズは状況を打破すべく必死に頭を回転させる。

 

理性を失くした『闇の王』の前に、もはや言葉は意味を成さないだろう。距離を取るべく起き上がろうとするも、すぐに腕から崩れ落ちてしまう。瓦礫の中でもがく事しか出来ない今の彼女は、さしずめ強大な捕食者を前に成す術の無い、哀れな獲物という訳だ。

 

『オォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァ……』

 

「くっ、う……ッ!?」

 

“死”の予感が全身を包み込んでゆく。

 

比喩抜きでそう感じ取ったアイズは、それでもその金色の瞳だけは『闇の王』から逸らそうとはしなかった。それは、今まで己を築き上げてきたものを否定する行為に他ならないから。

 

幼い頃よりひたすらに力を求めて戦ってきた自分が、この『闇の王』(現実)から目を背けるなど、あってはならないのだ。

 

(諦め、ない……!!)

 

いつの日か、アイズは己にかけられた言葉を思い出す。

 

『最後まで諦めなかった者こそが何らかの形で報われる』。それはファーナムが【ロキ・ファミリア】に入団して間もない頃、あの酒場でアイズからの問いに返した言葉であった。

 

あの時はよく分からなかったが、今ならば何となく理解できる。あれは言葉通りの意味でもあるが、同時に『諦めてしまえば、そこで全てが終わってしまう』という意味でもあるのだと。

 

最後の最後まで足掻き続け、全てを出し尽くす。そうしない内に諦めてしまう者には、天は何も与えてはくれない―――全くもってその通りだ。

 

故に、諦める訳にはいかない。

 

己の歩んできたこれまでを否定させない為にも。そしてファーナムもまた、死の淵で今も抗っているのだから。

 

「っく、ぅ……!」

 

のろのろと緩慢な動きで起き上がるアイズ。ただ気力のみで身体を動かす彼女は、震える剣先を『闇の王』に突き付ける。

 

『闇の王』は兜越しにその目を爛々と光らせていた。今まで追撃もせずにただじっと見つめているその姿は、弱った獲物を追い詰める事を愉しんでいるかのようだ。

 

『ハァアアア゛ア゛ア゛アァァ……』

 

理性を失くしているにしては余りに嗜虐的な色を宿した唸り声を漏らす『闇の王』は腰を落とし、ついに凶剣の切っ先を引き絞る。どうやら『深淵』による高速移動を用いた一突きにて、アイズの身体を真正面から貫くつもりらしい。

 

死に体同然のアイズにこれを防ぐ術はない。ならば残された僅かな体力を全て費やし、迎撃する他に手段はない。揺るがぬ決意を宿した金の双眸が、『闇の王』を真っ直ぐに見据える。

 

激突の直前に訪れる空白の時。

 

一瞬が何倍にも引き延ばされたかのようなその時間は、しかしすぐに終わり―――その時が来た。

 

初手から最高速度。『深淵』の飛沫をまき散らし、絶死を伴った凶剣の切っ先がアイズの胸へと吸い込まれる。

 

避けられない、避けようがない。ならば相打ちも覚悟で、こちらも剣を叩き込もう。アイズは『風』も纏わぬ愛剣を固く握り、己の全てを賭した最後の一撃を繰り出さんとした―――その瞬間。

 

 

 

ドッッ!!と、両者の間に金の長槍が突き刺さった。

 

 

 

「ッ!?」

 

その驚愕はアイズか『闇の王』か、それとも両者のものか。

 

何の前触れもなく現れた金槍の輝きに『闇の王』は動きを止め、アイズは目を見開く。そしてそれが飛んで来た方角に顔を向ければ……そこには()()が居た。

 

「アイズ!!」

 

「大丈夫ーっ!?」

 

「くたばっちゃいねぇだろうな!?」

 

「……みんな!」

 

視界に映るのは仲間の姿。ティオネ、ティオナ、ベート。椿とガレス、そしてフィンが猛烈な勢いでこちらへと駆けてくる。

 

驚きを声に乗せたアイズに呼応するように、『闇の王』も振り返った。同時に弧を描いて飛来してきたのは、破損した『グレートアクス』だ。

 

刃が半ばから折れているものの重量物である事に変わりはない。にも拘わらずそれを投げナイフかの如く投擲して見せたのは、剛力の化身であるガレスであった。

 

『ィア゛アァッ!!』

 

『闇の王』は迫り来るグレートアクスを打ち払いガレスを睨む。が、すぐさま第二撃の投擲がなされた。

 

「アイズから離れぃ!!」

 

ここはファーナムと『闇の王』が戦った場所。その爪痕である壊れた武器は至る所に散乱しており、投げるものには困らない。矢継ぎ早に『ゲルムの大槌』を投擲し終えたガレスは落ちていた『獅子の大斧』を拾い上げており、すでに振りかぶっていた。

 

更にはベートが肉薄。両手足に猛火を纏ったその攻撃は、躱してなお身を焼くのには十分過ぎる。ガレスの投擲を打ち払ったとて、『闇の王』は炎狼の追撃に対処せざるを得ない。

 

「がるあぁあああああああああッ!!」

 

『ヲォ、ォオアアッ!!』

 

【ロキ・ファミリア】が誇るドワーフと狼人(ウェアウルフ)の戦士が『闇の王』を引き付けている隙に、フィンの的確な指示が飛ぶ。

 

「椿、アイズを引き離せ!」

 

「応よ!」

 

次の瞬間にはアイズの視界はぶれ、一気に『闇の王』との距離が開いた。気が付けば彼女は椿の肩に担がれており、乱れる自身の長髪の隙間からは傷一つない褐色の肌が見て取れた。

 

「椿、怪我は……!?」

 

「手前なら心配無用よ!ここへ向かう途中でガレス共々、怪我は完治させてきたからのぅ!」

 

戦場の聖女(デア・セイント)】さながらであったわ!そう言って呵々(かか)と笑った椿は十分に距離をとった場所にアイズを横たえらせる。数秒遅れてティオネとティオナ、そして槍を回収したフィンの三人も合流し、アイズの顔を覗き込んだ。

 

「アイズっ、怪我は!?」

 

「馬鹿ティオナ!揺らすんじゃないわよ!」

 

アマゾネスの姉妹のいつも通りのやり取りにアイズは小さく笑みを浮かべる。万が一の事も考えていたが、この様子ならどうやら心配はいらないようだ、と。

 

フィンも同様だ。傷だらけではあるものの、その瞳に宿る【ロキ・ファミリア】首領としての輝きは欠片も失われてはいない。

 

が、この場にいない者たちがいる。それはリヴェリアとレフィーヤだ。

 

魔法においては自分より何倍も格上であり、その使い方、戦い方も心得ている。そんな彼女たちがやられたとは考えにくいが、それでもアイズの唇は二人を、そして道中目にしたであろうファーナムの安否を問いかける。

 

「フィン、二人は……それに、ファーナムさんは……?」

 

「……大丈夫だ。リヴェリアとレフィーヤなら、彼の傷を治す為に残してきた」

 

「そ、う……良かった」

 

「それよりも今は君だ、アイズ。辛いだろうが教えてくれ、何があった」

 

フィンにはアイズの身に尋常ではない何かが起きた事を、漠然ながら分かっているようだ。

 

全身に傷を負うような事態はこれまでの『遠征』でも何度かあった。しかしそれらの時と比べ、今回は明らかに様子が違うのだから。

 

「あの人が纏っている、泥みたいなもの……あれに触れちゃ駄目。あの剣も、掠りでもしたら……私みたいに、なる……」

 

「……分かった、それだけで十分だよ」

 

アイズは自分の身に起きた事、そして『闇の王』の変貌について出来る限り詳細に、かつ手短に伝える。

 

事態を把握したフィンは肩越しに背後を振り返り、『闇の王』との熾烈な攻防を繰り広げるガレスとベートへと視線を向けた。

 

二人の動きは鈍っておらず、アイズの言う()、つまりは『深淵』をその身に浴びてはいないようだ。しかしそれもいつまで続くかは分からない。早急に加勢が必要だ。

 

「君はここで休んでいてくれ。僕たちは『闇の王』を倒しに行く」

 

「っ、フィン……」

 

フィンの声に、ティオナたちも動く。

 

ここへ来る途中で傷を癒したという椿を除いた三人は、アイズと同じく満身創痍の状態だ。それでも半ば壊れかけた得物を手に、傷だらけの拳に力を込め、先程までアイズが立っていた戦場に飛び込もうとしている。

 

「待って、私も……!」

 

「駄目だ、アイズ。君は休んでいろと言ったはずだ」

 

自身もまた戦場に戻ろうとするアイズの懇願を、フィンは短く切り捨てた。

 

今の彼女が剣を取っても出来る事はないに等しい。それは本人も心の底では分かっている事なのだが、幼い頃よりの性質からか、無理にでも動こうとしてしまう。

 

そんなアイズをフィンもよく理解している。故に、次にこう続けた。

 

「今は体力の回復に専念するんだ。君が満足に動けるようになるまでは、僕たちが受け持とう」

 

「!」

 

アイズの気持ちを汲んだその言葉は、彼女を押し留めるには十分だった。

 

『後は自分たちに任せろ』ではない。『ひとまずは自分たちが受け持つ、だから早く戻ってこい』という意味を持つ返答に、アイズは今の自分が取るべき行動を真に理解する。

 

「……うん、分かった」

 

回復薬(ポーション)はなく、傷口を抑える布すらないが、時間さえあれば多少は体力も回復させられる。『深淵』を受けた傷口も浅かったせいか、先程と比べると幾らか身体の調子もマシになっている。

 

「すぐ戻るから……みんなも、気を付けて」

 

「ええ。あんたもさっさと来なさいよ、アイズ」

 

「そうそう!じゃないとあたしたちが先にやっつけちゃうよー?」

 

いつもの調子に振るまう二人の声も、アイズの心に安らぎをもたらしてくれる。そのまま彼女は目を閉じ、静かに胸を上下させ始めた。

 

束の間の休息。回復に専念するという言葉は、どうやら本当のようだった。

 

「戦場のど真ん中で眠れるとは、いやはや大したものではないか。のう、フィン?」

 

「何かあればすぐに目を覚ますさ。どんな状況でも身体を休ませられるというのは、冒険者の基本だからね」

 

それでもここまで安らかな寝顔を浮かべられるというのは、やはりフィンたちの存在があるからに違いない。

 

全幅の信頼を置かれている彼らはそれに答えるように、決意に満ちた表情で身体ごと振り返る。

 

「……さて、僕たちも行こうか」

 

言うや否や、四人の脚は地を蹴った。

 

常人の目には姿がかき消えたかのようにしか見えない速度で目指すは、無論『闇の王』である。

 

「いぃ―――ぃいやああッッ!!」

 

先手を取ったのはティオナだった。

 

片刃を失った大双牙(ウルガ)を器用に扱い、怪力を以て振るわれた刃が地面を深く斬り抉る。捲り上げられた岩盤は無数の礫となり、ベートと肉弾戦を繰り広げていた『闇の王』の元へと迫る。

 

「ッ!!」

 

それを獣の反射神経で察知したベートが、即座にその場から離脱する。

 

直前に右脚を唸らせ、炎の煙幕を作る。それにより『闇の王』はティオナからの攻撃に反応するのが一瞬遅れてしまった。

 

『ギィッ!!』

 

弾丸さながらの石礫を全身に喰らうも、それだけで倒れる訳もない。硬い皮膚を持つモンスターすら穴だらけにする攻撃にも、『闇の王』は僅かに後ずさりするだけであった。

 

その“隙”を、椿が鋭く突く。

 

相手の腰の位置よりも更に低く。極端なまでの低い踏み込みから放たれるのは、音速の居合いだ。鞘に納められた太刀が閃き、『闇の王』の身体を左下から斬り上げる。

 

『深淵』に覆われたその下にある鎧により肉体には届かないものの、十全ではない体勢で斬撃を受けた事により、さらに後方へと追いやられてしまった。

 

『ゲッ―――ッッ!?』

 

そこへ襲い掛かるフィン。椿の背後から音もなく影のように現れた彼は、鮮血色に染まった双眸をカッ!と見開き、渾身の突きを見舞う。

 

長槍の石突きが突き上げるように『闇の王』の喉を深く抉り、遂にその両脚が地面から離れた。

 

そして。

 

「やれ、ティオネ!!」

 

「はいっ!!」

 

フィンと椿の正面、そして『闇の王』の背後を取っていたティオネが、フィンの指示に声を張って答える。その手にはいつの間に拾ったのか、ファーナムが落とした『ラージクラブ』が握られている。

 

「ぶっ飛べええぇぇええええええええッッ!!」

 

腰を思い切り捻り、咆哮と共に身体を真横から殴りつけるティオネ。強化された彼女の膂力にラージクラブはへし折れ、『闇の王』はおよそ100M(メドル)程も吹き飛ばされていった。

 

やがて『闇の王』は重力に従い地面へと落下し、派手な音と土埃を上げる。その光景を油断なく睨むフィンたちの身体は、『深淵』の一滴も汚されてはいなかった。

 

「すまないガレス、少し遅くなった」

 

「なに、全て片付いた後に酒でも奢ってくれれば良いわい」

 

「おっ。なら手前も誘ってくれっ、久々に一杯やりたい気分での!」

 

「ほう?お主がそんな事を言うなぞ、明日は雨かも知れんな」

 

「ははは。二人とも、もう祝勝気分かい?」

 

合流を果たしたフィンにガレスの気軽そうな声がかけられる。そこに椿も加わり、束の間の穏やかな空気が流れる。

 

「おいコラ馬鹿アマゾネス!さっきはよくもやってくれたなァ!!」

 

「えー?ちゃんと避けれたんだから良いじゃーん。ってゆーかベート、何で燃えてるの?」

 

「やる気十分って事でしょ。アイズは今ちょっと休んでるから、良いところは見て貰えないでしょうけど」

 

「あー、それは……ご愁傷様?」

 

「……マジで蹴り殺されてぇのか、テメェらは……ッ!?」

 

ティオネとティオナ、そしてベートの三人もいつもの調子だ。一触即発に見える雰囲気も、当人たちにとっては普段通りのもの。

 

張り詰め過ぎず、緩め過ぎず。程良い緊張を維持したまま、椿を加えた【ロキ・ファミリア】上位陣は、晴れつつある土煙の奥へと鋭い眼光を飛ばした。

 

『………ハア゛ァァ………』

 

巨大な岩盤を片手で押しのけ、起き上がる『闇の王』。連携の取れた一連の攻撃を前にしても、致命傷たり得るものはなかったらしい。

 

しかし、それも想定内。

 

想定外が起こる事こそ、冒険者にとっては想定の内なのだ。故に、平然と起き上がる『闇の王』を前に動揺する者など、誰一人としていなかった。

 

「アイズには悪いが、長引かせるつもりはない」

 

誰に言うでもなく、極自然な風にフィンが口を開く。

 

「今この瞬間にも、多くの不死人たちが戦っている。僕たちがいるこの場所を維持する為、血を流して戦っている者たちがいる……そして、ファーナムも」

 

『魔法』の行使で細かな指揮を捨てたフィンは、しかし、それでも言葉を紡ぐ。理性さえも捨て去った『闇の王』に、言い放つように。

 

多くの不死人たち、そして彼らをこの世界に繋ぎ止めているファーナムもまた、戦っているのだ。

 

そんな勇敢な彼らに無様な姿を晒さぬよう、【ロキ・ファミリア】首領にして小人族(パルゥム)の勇者は、決意を言葉に表す。

 

 

 

 

 

「もう一度言おう、長引かせるつもりはない……二分以内にケリを付ける」

 

 

 

 

 

堂々たる宣言が放たれる。

 

最終決戦の幕が、切って落とされた。

 

 


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