最早、取り返しはつかない。
この戦いには勝者はなく、敗者もなく、双方がただ無意味に血を流すのみ。
他の者たちは戦闘に気を取られているが、彼には分かる。今こうしている間にも事態は悪化の一途を辿っている事を。“王”の身に何が起きているのか……背後から伝わってくる冷たい予感を、その粟立つ肌で感じ取っていた。
が、今更何が出来ようか。
その段階はすでに遠く過ぎている。止まる事の出来ないところまで来てしまった以上、進むしかない。振り返ったところで道はなく、立ち止まればそこで朽ち果てるだけなのだから。
(抗う者……名も知らぬ不死人よ。すまなかった)
視線の先で血を流しながら二槍を振るうフィンを相手取り、ソラールは胸の内でそう呟いた。
“王”を頼む、などと口走ってしまった事を。
もっと早く、自分の手でケリを付けられなかった事を。
―――――あの時、
在りし日の太陽の戦士。
そして、『闇の王』の臣下としてのソラール。
(そして、どうか許してくれ―――友よ)
彼の胸の内に残る後悔は……ただ、それのみ。
「【アルクス・レイ】!!」
山吹色の長髪を振りまき、魔力と気迫を織り交ぜた声が飛ぶ。直後、展開された
「はぁっ、はぁっ……あうっ!?」
魔法が命中した事に安堵するも束の間、それが原因で足のもつれたレフィーヤに新たな凶刃が迫る。
「レフィーヤ!!」
「がッ!?」
しかし、それはリヴェリアが許さない。魔導士とは言えその肉体はLv.6のもの、鋭く突きだされた彼女の杖の石突きが相手の喉を穿ち、怯んだ隙にレフィーヤの手を取ってその場から離れる。
「こっちだ!」
「っ、すみません、リヴェリア様……!」
「気にするな、それよりも走れ!」
走る、走る、走る。
怒号の飛び交う戦場で、二人は
十全な状態で
が、未だ狙撃に適う場所は見つけられていない。
戦況は先ほどよりも更に混沌とし、敵味方がそこら中に入り乱れている。身を隠せそうな場所はなく、あったとしてもすぐさま闇の騎士たちが駆け付けてくる。動けば動くほどに深みにはまり、時間ばかりが過ぎてゆく。
リヴェリアは魔法で辺り一面を掃討する事も考えたが、それも駄目だ。一撃に全てをつぎ込まなければ勝てないであろう相手が待っている以上、これ以上の魔法の行使は控えなければならない。
(何か手は……!)
リヴェリアは形の良い眉を歪ませ、レフィーヤの手を引きながら戦場を走る。
横目で確認すれば、四人のロイエスの騎士が今もグリッグスと闇の騎士たちと交戦していた。彼らが抑えている間にこちらも攻撃の準備に取り掛からなければならないというのに、状況がそれを許さない。
思わず歯噛みしそうになった彼女に、背後から弟子の声が上がった。
「リヴェリア様!?」
「ッ!」
それは警告の声だった。リヴェリアの一瞬の油断を突き、刺剣を手に姿勢を低くして突貫してくる敵の姿があったのだ。
白骨の仮面の奥に殺意を滾らせる闇の騎士は、その勢いのままに彼女の腹部を刺し貫こうとした―――が、その身体が突然、前のめりに崩れ落ちた。
糸の切れた操り人形のように倒れ込んだ闇の騎士の
「……こんな偶然もあるものね」
ぽつりと呟かれたその言葉は、二人の目の前に現れた不死人のものだった。
彼女は右手の得物……たったいま闇の騎士の首を斬り落とした『闇朧』をヒュンと鳴らし、血振りをしながらニコリと笑いかける。
「困ってるんでしょ?これもきっと何かの縁だし、手を貸すわよ」
―――実体 古い闇姫が現界しました―――
リヴェリアとレフィーヤが動き回っている間、グリッグスとその取り巻きの闇の騎士たちは、ロイエス騎士たちと交戦していた。
主に剣戟を奏でているのは闇の騎士とロイエス騎士だ。彼らは一歩も引かず、戦力はどうやら拮抗しているようだ。数ではおよそ二倍以上はある不利をものともせず、痩身の騎士たちは互いに背を守り合いながらそれぞれの得物を振るっていた。
(さて……まだかかりそうかな、彼女たちは)
そんな戦場を眺めながら、グリッグスは悠々と、しかし油断なく周囲に意識を向けていた。
彼の狙いはリヴェリアとレフィーヤが仕掛けてくるであろう攻撃を真正面から打ち破る事。異なる世界の魔術を己の魔術で圧倒し、彼の師……“ビッグハット”ローガンの叡智を証明する事こそを目的としていた。
魔術師としての性とも言える。奇しくもラレンティウスがベートの魔法に見た“火”と似たような感情を、グリッグスも共有していたのだ。
が、己の本分を忘れてはいない。
今の彼はただの魔術師ではなく、『闇の王』の配下。敵対勢力の殲滅こそが使命であり、故にいたずらに時間をかける訳にはいかない。
リヴェリアたちがこの場から姿をくらましてからすでに五分が経過したが、未だ動きは見られない。こちらを倒す算段が付いていないのか、それともそのまま逃げ出したのか……いずれにせよ、そろそろ動かねばならない。
「……仕方がない」
グリッグスはスッ、と杖を掲げて魔力を練り上げる。
この世界の理に縛られない『ソウルの魔術』は詠唱を必要とせず、魔術は即座に発動した。放たれた『強いソウルの太矢』がロイエス騎士の内の一人に迫り、脚を直撃。白銀の鎧は無残にも砕け散り、周囲にソウルを振りまいた。
『―――!』
ガクンッ!と膝を折ったロイエス騎士に殺到する闇の騎士たち。仲間の危機に助太刀しようと他のロイエス騎士たちが動き出すも、そこへグリッグスの更なる魔術が襲い掛かる。
「今だっ!」
「畳みかけるぞ!」
おおおおおおっ!!と闇の騎士たちが殺到し、剣が、槍が、槌が振り下ろされる。蟻に群がられる哀れな餌のように、ロイエス騎士たちはその身を黒く塗り潰されていった。
(さあ、早く出てこなければ、彼らがやられてしまうぞ?)
水平だった天秤を傾けたグリッグスは、笑みを浮かべる事もせずにリヴェリアたちの出方を窺う。彼が纏う
そんな折、ふと彼の脳裏に―――かつての記憶が呼び起こされる。
ヴィンハイムにある『竜の学院』。かつてのグリッグスはそこに密かに存在する“裏の魔術師”であった。
通常の学徒とは異なる黒い魔術師のコートを身に着ける彼は、真っ当な魔術師ではなかった。表に出る事のない、汚れ仕事専門の魔術師。知の探究者という一般の描く像とは正反対の、後ろ暗い生き方をしてきた。
どうしてそうなってしまったのかは彼自身にも分からない。ただ確かなのは、もう二度と真っ当には魔術を学ぶ機会などないだろうという事だけだった。
しかし、そんなグリッグスに転機が訪れる。不死となったのだ。
それも、密かに師と仰いでいた大魔術師……『ビッグハット』ローガンと共に。
不死は人の世にはいられない。追放され、『北の不死院』へと送られる。そうなる前に、グリッグスはローガンと共にロードランを訪れた。
天にも昇る心地だった事を彼は覚えている。かの大魔術師と共に魔術を探究するという栄誉の前には、不死人になったという事実に感謝すらしたほどだ。
神の住まう都、アノール・ロンドにあるという神の書庫を目指すローガンと行動を共にしていたグリッグスだが、しかし大魔術師は書き置きだけを残して一人先へ行ってしまった。その意味を危険に巻き込まない為と受け取ったが、それでも諦め切れない。
―――でなければ、何のために不死となったのか。
彼はローガンの後を追った。しかし不幸にも、道中で亡者たちに襲われてしまう。どうにか民家に逃げ込んだは良いものの、亡者盗賊に鍵をかけられてしまうというおまけ付きだ。
『誰かいないか!鍵を開けてくれ!』
扉は存外に重く頑丈。魔術で壊す事も考えたが、あの俊敏な亡者盗賊たちを相手に魔術の無駄撃ちは避けたい。故に彼に出来たのは、情けなくも外に助けを求める事だけだった。
無論、こんな場所など誰も通るまい。それでも一縷の望みに懸けて叫び続け―――偶然にもそれが、
裏の魔術師であった自分が誰かに魔術を授ける立場になろうとは思いもしなかったが、彼にとってそのひと時は貴重なものだった。ローガン程ではないにしろ、なりたかった魔術師像に近づけた気がしたから。
やがて時が経ちローガンが帰って来たが、またすぐに発ってしまった。その際に置いていった師の蔵書を元に、グリッグスは
『やはり師は、神の書庫を目指されたのだろう。知識に関しては誰よりも貪欲な方だから、当たり前の事だ』
『神の書庫と言うと、アノール・ロンドにあるという……?』
『ああ、以前にも君に話した事があるだろう。私も君に師の魔術を全て伝え終えてから、そこを目指そうと思う』
ローガンの魔術は他の追随を許さない。
故に教える身であるグリッグスもそれは中々に難しく、また学ぶ側である
『あそこは危険だ、巨人の兵がそこかしこにいる。それでも君は、行くのか?』
『勿論。力不足である事は承知しているし、辿り着けないかもしれない……それでも行かなければならないんだ』
『どうしてそこまで……』
『……言ってしまえば、単に私の意地だ。老ローガンの後を追いたいという、子供じみた我がままのようなものさ』
ふっ、と小さく笑ったグリッグスはローガンの残した蔵書に視線を落とし、それを指でなぞる。
裏の魔術師として生きてきた、人であった頃の半生。その時から抱いていた願望は、純粋に魔術を極めてみたいというものだった。
それが、不死となった今になりようやく叶いそうなのだ。ここでローガンの後を追わなければ、どうして不死になったのか分からない。挫けそうになる度に思い出してきた行動理由を胸に、グリッグスは顔を上げる。
『君には君の使命が、私には私の願いがある。だから、どうか止めないでくれ』
『……分かったよ、グリッグス』
残る師の魔術は僅かに一つ。次にそれを教えた時が、最後の別れになってしまうだろうとグリッグスは予感していた。互いに過酷な旅路を歩む者同士、楽観視などできようはずがない。
しかし、運命は時として思いもよらぬ方向へと進むもの。
再びやって来た
出会ったばかりだというのに、古い闇姫はリヴェリアとレフィーヤの為に尽力していた。うす汚れた上衣を翻し、戦場を駆け、二人に迫る脅威を片端から排除してゆく。
「このっ!?」
「ふッ!」
鋭く突き出された槍を闇朧でいなし、左手の『影の短剣』でもってすれ違いざまに首を掻き切る。その身体が倒れるよりも早く、次なる敵の元へと彼女は走り出していた。
「すごい……!」
「ああ、凄まじい戦いぶりだが……」
おかげで二人は先ほどよりも安全に行動出来ている。つかず離れずの距離で護衛に当たる古い闇姫の手腕に舌を巻くレフィーヤだったが、リヴェリアは彼女が発した言葉が妙に頭に残っていた。
(“こんな偶然”?一体何の事を言っていたんだ……)
その言葉の意味をリヴェリアは知る由もない。それは古い闇姫が一方的に抱いた感想なのだから。
……端的に言ってしまえば、ドラングレイグでの旅路において、彼女は緑衣の巡礼に恋心を抱いていたのだ。同性愛の気のある彼女であったがその恋は結局叶わず、
ファーナムの魔法に応じて呼び出された戦場で出会ったリヴェリア。彼女の纏っていた緑色の
(顔つきも全然違うけど、放っておくのも何か嫌だしなぁ……)
闇の騎士の構えた盾を闇朧で斬り付ける。半ば“ずれた”場所に存在する刀身はその盾を貫通して斬撃を見舞い、よろけた所を影の短剣にて止めを刺す。
目の回るような戦闘の最中に頭の片隅でそんな事を考えていた古い闇姫であったが、やがて自分の中で納得のいく決断を下した。
(ま、協力者なんだし別に良いか。それにすっごい美人だったし)
女神にも引けを取らないあの美貌を思い出し、にへ、と古い闇姫はだらしなく顔を緩ませた。
「……っ!?」
「! どうかしましたか、リヴェリア様!」
「い、いや。何でもない……」
その背後でリヴェリアがなぜか急に悪寒を感じた事を、彼女は知らない……。
ともあれ、戦闘は続いている。気を取り直したリヴェリアは改めて辺りを見渡し、魔法を撃つに適した場所がないかを模索した。
すると彼女の視線の先に、周囲と比べて戦闘が激しくない場所があるではないか。数人の闇の騎士と不死人たちが戦っているが、それさえ除けばこれまでで一番理想的な攻撃場所となるに違いない。
「あそこだ、あの一帯を目指す!」
「っ! 分かった!」
リヴェリアの言葉に古い闇姫は顔を引き締め直し、指示通りの場所を目指して走り出した。
即座にその戦闘に加わり、背後から致命の一撃を見舞う。突如の事でがら空きだった背中に深く刃を突き立てられた闇の騎士は呻き声を漏らして倒れ込み、それと相対していた不死人は目を丸くして驚いたように彼女の顔を見つめた。
「詳しい説明は出来ないけど、この一帯を死守するから手伝って!」
「えっ……」
「返事は!?」
「ぁ……はい」
「よしっ!」
その不死人の返事を受け、古い闇姫は残りの敵を片付けに行ってしまう。
突然の出来事に呆気に取られるも己の本分を思い出したのか、得物である『黒鉄刀』を構え直してその不死人は……
―――実体 高笑いのフレイムが現界しました―――
(びっくりしたぁ。いきなり大声出すんだから)
『砂の魔術師』装備に身を包んだフレイムは大剣を手に、別の闇の騎士へと戦闘を仕掛けた。
振り降ろされる漆黒の太刃。それをどうにか防いだ相手はすかざす剣で斬り返すも、これをフレイムは紙一重で避ける。
「ちぃ!」
躱された事に舌打ちする闇の騎士はその後も二度、三度と切り掛かるも、やはり紙一重で躱されてしまう。次第に苛立ち、罵声すら上げ始める敵は、フレイムの目が鋭く光った事に気付かない。
「えぇい、ちょこまかとっ!!」
業を煮やした闇の騎士が剣を振り上げる。その瞬間こそを狙っていたフレイムはすかさず黒鉄刀を腰に溜め、そして一刀の元に胴を切り裂いた。
「かっ……!?」
一瞬の出来事に、敵の喉からは掠れた音しか出てこない。
血とソウルを振りまき倒れた亡骸を足元に、フレイムはその豊かな双丘をたゆんっ、と揺らしてひと息ついた。
(死守する、か。という事はあの人もここで戦うって事?)
ちらりと横目で古い闇姫の事を窺い、彼女は眉をハの字に寄せる。
(次に話しかけられたら、僕、上手く喋れるかな……)
ないとは言い切れない展開を想像したフレイムは、憂鬱そうに溜め息を吐くのであった……。
「よし、ここなら奴ヘ魔法も届くだろう。準備にかかるぞ」
「はい!」
古い闇姫とフレイム、そして数名の不死人たちが闇の騎士たちの相手をしている間に到着したリヴェリアは足を止めて周囲を見渡す。この場所が狙撃に適う地点であると認めた彼女はレフィーヤへと振り返り、手はずの説明をしようと口を開いた。
が、その時。数十Mは離れた先で大きな衝突音が響き渡り、次いで盛大な土埃が舞い上がった。
戦場の中であっても一際大きなその異変にレフィーヤの肩が跳ね、反射的にそちらへと視線を向ける。
「な、何が……、っ!?」
そして、悲鳴を抑えるように手を口にやった。
レフィーヤ、そしてリヴェリアの視線の先に広がる光景……それは一人のロイエス騎士が、
それだけではない。近くには片足を失ったり、あるいは全身に幾つもの穴が穿たれたロイエス騎士たちがいた。無惨な姿を晒す彼らの周りを、何人もの闇の騎士が取り囲んでいる。
「……おや、ようやくお出ましか」
決して大きくはないその声。
オラリオが誇る二人の魔導士と、不死の魔術師。
互いにとって本当の戦いの幕が、静かに切って落とされた。
~今回登場した不死人~
古い闇姫 Ciels様
高笑いのフレイム PLUS ONE様
以上のお二人です。本当にありがとうございました。
~以下、謝辞~
これでご応募頂きました不死人は、全員登場となりました。
読者の皆様に考えて頂いたキャラクターを出すという試みは初めてで、描写力不足な面も多々あったとは思いますが、私としても話の展開を多く考える事ができ、とても勉強になりました。
また、自分では考えもしなかった不死人の設定や性格なども多く拝見する事ができました。今後の作品作り、キャラクター作りに活かしていきたいと思います。
これもご応募頂いた皆様のおかげです。本当にありがとうございました。話の展開次第では再登場してもらう不死人が出るかも知れませんので、今後も読んで頂ければ幸いです。
再度にはなりますが、本当にありがとうございました。