不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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第五十九話 ”王”の呪術師

 

『……それとも、あんたも、呪術は気色悪い口か?』

 

命の恩人に拒絶されるかも知れないという不安はあったが、結局それは杞憂に終わる事となる。()はラレンティウスの提案―――呪術を学ぶ事を快諾し、その手に呪術の火を受け取ったのだ。

 

呪術の火とは呪術師の身体の一部。ならば、これは言うなればラレンティウスの分身でもある。今後の()の旅路で役立つのならば、それは喜ばしい事だ。

 

『ありがとう、大切に使わせてもらうよ』

 

『おう。せいぜい、大事にしてくれよな』

 

祭祀場の片隅で交わした、何てことのない会話。

 

あの時の()は、まだ大層な装備を身に着けてはいなかった。どこにでもあるような鎧に、どこにでもあるような武器。どこを見ても、普通の不死人だった。

 

『それじゃあ、また』

 

『じゃあな。無事でいろよ、あんた……亡者になんてなるんじゃねえぜ』

 

『うん……必ず、また来る』

 

これまで幾多の不死人が挑み、そして心折れた旅路。それに挑戦する、名もなき不死人の一人だった。

 

それが、まさか。

 

あらゆる世界、あらゆる時代の神々を殺す者―――『闇の王』となろうとは、この時のラレンティウスは、思ってもみなかった。

 

 

 

 

 

二人の交流はその後も続いた。

 

()の旅は続いていた。全てが順調という訳ではなかったのだろうが、その折れぬ心で立ちはだかる敵を打ち倒し、ソウルによって肉体を強化し、確かな実力を磨いていた。

 

そして、呪術も。

 

『やあ、ラレンティウス』

 

『おお、来たか!じゃあさっそく取り掛かろう』

 

獲得したソウルにより呪術の火を強化する。生粋の呪術師にのみ許された秘儀でもって、ラレンティウスは()の力を更に高めた。旅に同行できない自分が出来る唯一の手助けはどうやらきちんと役立っているようで、それがとても嬉しかった。

 

『……っと、よし。これで終わりだ』

 

『ありがとう。本当に助かるよ』

 

『気にすんな。これ以上の強化はもう無理だが、出来る事は全部やった。それに……教えられる呪術も、もう無いからな』

 

そう、手伝える事はもうないのだ。己の持つ呪術の知識を全て伝えたラレンティウスは満足そうに、しかし少しだけ寂しげに頷いた。

 

漂いかけたしんみりとした空気を払うように、彼は話題を変える。

 

『この地のどこかに、伝承にある最初の王の一人、呪術の祖だと言われているイザリスの魔女ってのがいるらしいんだが、果たして本当にいるのかどうか……なあ、あんた。もし道中でそれらしい奴を見かけたら、教えてくれないか?』

 

自分では出来ない事を頼むのは気が引けたが、それでも呪術師のはしくれだ。ラレンティウスは自身の欲求を抑える事が出来ず、ついついそう口走ってしまう。

 

『そいつなら俺が知らない呪術を知っているだろうし、あんたの旅の助けにもなると思う。勿論気が向いたらで良いんだが……』

 

尻すぼみになる頼み事にも、()は当然とばかりに首を縦に振ってくれた。

 

『良いとも。その時は真っ先に知らせるよ』

 

『良いのか!?……本当に、何から何まで悪いな』

 

『謝らないでくれ。君の助けがあって僕はここまで来れたんだし、お互い様だよ』

 

()はそう言って、旅に戻っていった。

 

知らせを座して待つだけの身というのが何とも歯痒かったが、それでも、どうしようもない事はどうしようもない。せめて()の旅路の成功と、その身を案じる事しか出来ない。

 

その後、ラレンティウスは再び会える時を待ち続けた。

 

数日後か、数か月後か、数年後か、数十年後か。どれほどの時間が経過したのか分からないが、ともかく長い間待ち続けた。

 

その果てに再会した()は―――酷く変わってしまっていた。

 

 

 

 

 

ガシャリ、という硬質な足音がラレンティウスの耳を叩いた。

 

『っ!あんたか!?』

 

見なくても分かる。わざわざ祭祀場のこんな一角に来る人物なんて、()以外にはいないのだから。

 

『心配したぜ、随分と久しぶりじゃない……か……』

 

久しく会っていない友人を歓迎するかのような笑みを浮かべて顔をそちらへやったラレンティウスは……しかし、その恰好のまま固まってしまう事となる。

 

『ラレンティウス』

 

『……あ、あんたか?』

 

『ああ』

 

上級騎士の鎧に身を包んだその姿。顔を兜で覆い隠してはいるが、直感でこの男が自分の待っていた人物であると理解する。

 

理解は出来るのだが、その雰囲気は以前に会った時とはまるで別物。暗く冷たく、近寄りがたい空気を醸し出す甲冑姿の男に、ラレンティウスはごくりと生唾を飲み込む。

 

しばしの静寂が降りる。

 

やがて、その静寂を破ったのはラレンティウスの方だった。

 

『……ああ、その……そうだ、頼み事の方はどうなった?それらしい奴はいたか?』

 

聞きたいのはそんな事ではなかったのだが、気を紛らわせるかのように口をついて出た言葉。本人も半ば諦め、期待などしていなかったのだがその問いかけに対し、男は僅かに右手を動かした。

 

その瞬間、呪術師の視界に()()()()が映る。

 

男の余りの変貌ぶりに今まで気が付かなかったが……それはラレンティウスが強化した呪術の火よりも更に輝きを増した、彼の知らない“火”であった。

 

『! あんた……それ……っ!?』

 

フードの奥の目が一際大きく見開かれる。この瞬間だけは全ての事が遠ざかり、その“火”に釘付けとなってしまう。

 

『それをどうしたんだ!まさか、見つけたのか!?教えてくれっ、俺もその“火”を知りたい!!』

 

長らく座ったままの腰を上げ、男に縋りつく。

 

肩を揺さぶり懇願するラレンティウス。しかし男の返答は、彼の望むものではなかった。

 

『……すまないが、お前の思い違いだ。これはお前がくれた“火”だ』

 

『………そう、か………俺の、勘違いか……』

 

ラレンティウスは力を失った両手をぶら下げ、項垂れる。

 

そんなはずがない、見間違えるはずがないと言いかけたが、目の前の男が違うと言っているのだ。ならば、きっとそうなのだろう。それなりに長い付き合いの男を問い詰めるような真似などしたくなく、彼の追求はそこで途絶えた。

 

『……少し良いか。話がある』

 

『……話?』

 

数秒後、男は再び語りかけた。

 

そして、決して長くはない会話の後……ラレンティウスは新たな道を進む事となる。

 

 

 

 

 

呪術の全てを知り、その業を極める。それは呪術師の本懐であり悲願でもある。そんな千載一遇の好機を逃したかに思われたラレンティウスに再びその機会が回って来たのは、『闇の王』と行動を共にしてからしばらくの時であった。

 

無数に存在する世界に降り立ち、そこで神を見つけ、『真の人の世』を作るという名目のもと殺戮を行う。幾つ目かの世界での神殺し、その終盤で『闇の王』が行使した“混沌の呪術”に、ラレンティウスは時を止めて見入っていた。

 

【神殺しの直剣】にてとどめを刺された神の断末魔が木霊し、焼け爛れた荒野に静寂が落ちる。

 

『……少し、外してくれ』

 

『闇の王』の言葉に、青き戦士を含めた四人の不死人は素直に応じる。二人きりとなった荒野にて、ラレンティウスは絞り出すように口を開いた。

 

『……やっぱり、隠してたんだな』

 

『ああ』

 

それは彼があの時見た“火”についての事。

 

なぜ真実を話してくれなかったのか。問いただすのではなく、その理由を知りたいのだと、ラレンティウスは切実な口調で尋ねた。

 

『話せばきっと、自分の目で確かめに行くと言い出しただろう』

 

『……ああ。俺も呪術師のはしくれだ、自力でどうにかしようとしただろうな』

 

『そうなれば、お前はきっと亡者になっていた。だから言わなかった』

 

今とは違い、あの時のラレンティウスは()()()()

 

最下層で出会いを果たした彼は、以降はずっと祭祀場の一角にいた。戦う機会などあろうはずもなく、故に戦闘の技術など磨きようがない。『闇の王』の言葉はもっともだった。

 

地の底にある病み村、その道中で力尽き、亡者となっていたに違いない。そうなる事を予想した『闇の王』は真実を伏せたのだ。

 

『弱さ』という容赦のない理由を突き付けられるも、ラレンティウスは怒らなかった。己の身の丈は理解していたし、その理由には邪なものは何一つなかったからだ。むしろ気を遣わせてしまったという後悔の念すら浮かんでくる。

 

『だが』

 

しかし、『闇の王』は次のように続けた。

 

『今のお前は違う。あの程度の試練など乗り越え、自分の力のみで彼女の元へと辿り着けるだろう』

 

『……!』

 

『無理に私に付き合う必要はない。お前は、お前の望む道を進んで良い』

 

そう、『闇の王』は見抜いていたのだ。ラレンティウスの生来の性格を。

 

人嫌いを自称しているものの、実は気が良く、そして話し好き。神殺しの邪魔になる存在には容赦はしないが、それでも気乗りしないような表情を良く浮かべていた……本質的に“殺す”という行為に向いていないのだ。

 

ラレンティウスは『殺す者』ではなく『呪術の神髄を目指す者』。今しがた行使した“混沌の呪術”を目にした際の反応こそが、その事実を明確に物語っている。

 

『……はは、参ったな』

 

だが、しかし。

 

ラレンティウスの返答は、『闇の王』の思っていたものではなかった。

 

『気を遣わせて悪いが、遠慮しとくぜ。俺はもうあんたに付いて行くって決めたんだ。それに、何か放っておけないしな』

 

『……それで良いのか』

 

『ああ。世話になりっぱなしだったのに、その恩をやっと返せそうなんだ。だから、一緒にいさせてくれ。そして良ければ……あんたが俺に教えてくれ、その呪術を』

 

『……私は呪術師ではない。この“混沌の呪術”も神を殺すための手段に過ぎない。それでも……良いのか』

 

僅かに顔をうつむかせた『闇の王』の肩に手を置き、ラレンティウスはにやりと笑った。

 

『良いんだ。あんたが教えてくれる呪術を元に、俺は俺なりに神髄を極めるさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呪術『混沌の嵐』によって、辺り一面は焦土と化した。点々と消え残る溶岩はなおも灰の大地に極熱を放ち、あたかも地獄のような光景が戦場に広がっている。

 

そんな中にいるのは、ただ二人。

 

呪術師ラレンティウスと、【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガだ。

 

「まだ生きているみたいだな。嬉しいぜ」

 

「……づっ……はぁッ……!」

 

立っているだけで全身の水分を失いかねない熱に晒されながらも、ラレンティウスの態度は常と変わらない。一方でベートは片膝を突き、喘ぐような呼吸を漏らしていた。

 

回避し切れなかった火柱の一つが彼の左脚を飲み込んだのだ。負傷した脚を覆っていたメタルブーツ《フロスヴィルト》は焼失し、表面を無残に炭化させた肌を露出させている。

 

その火傷を、ベートの炎が舐めとる。

 

比喩でなく一回りも巨大化した四肢の炎に、ラレンティウスは口角を吊り上げた。

 

「やっぱりすげぇな、その“火”は。そんな性質は呪術にはねえ。なぁ、それに上限はあるのか?」

 

「……黙れ……!」

 

「つれねぇなあ。お互いこれが最後の戦いになるかも知れないんだ。もう少し喋ろうぜ」

 

「黙れってんだ……!!」

 

未知の“火”への素直な感想もベートにとっては腹立たしいだけ。しかし、その怒りすらも彼は糧とする。

 

呼吸をするたびに焼けつく肺、全身を苛む傷の痛み、それを喰らって膨れ上がる炎―――全てをつぎ込み、炎狼はその『牙』をより強靭に研ぎ澄ましてゆく。

 

「てめぇの下らねぇ話になんざ、付き合ってる暇はねぇんだよッ!!」

 

荒々しい怒号と共に、戦闘が再開される。

 

立ち上がったベートは地面を踏み砕くと、そのはずみで大小さまざまな岩盤が起き上がった。そして再び地面に落下するよりも速く二つの塊に蹴撃を見舞い、ラレンティウスへと投げつける。

 

「はっ、そう来るか!!」

 

砲弾さながらの速度で迫る二塊の岩に、ラレンティウスは腰に収めていた『ハンドアクス』を取り出した。

 

呪術師だからとて、呪術以外はからきしという訳ではない。ましてや『闇の王』の元で神殺しの旅を続けていたのだ。今やそのハンドアクスはそこらの武器を凌ぐ逸品となり、それを扱う膂力と技量もロードランにいた頃とは比べ物にならない。

 

瞬く間に岩を打ち砕いたラレンティウスは、すでに肉薄していたベートと視線を交わす。肉弾戦を得意とするベートの拳はすでに放たれており、それ真っすぐに頭部を狙っていた。

 

「ッらぁ!!」

 

ボッッ!!と炎の尾を引く拳。それを紙一重で避けたラレンティウスは呪術『大発火』を行使した。

 

手元に巨大な炎を発生させるという単純な呪術だが、それはこのような近間でこそ真価を発揮する。猛熱に晒されたベートが勢いを殺されのけ反り、その隙を突いてハンドアクスによる反撃を見舞う。

 

真横から迫る肉厚な刃。幾つも傷を刻んだ腹部を薙ぐ軌道で振るわれたそれを……ベートは左拳で迎え撃った。

 

「っ!?」

 

ラレンティウスの顔が、ここにきて初めて驚愕の色に染まる。

 

当然、真っ向から殴り掛かれば無事では済まない。ベートの固められた拳は半ばまで刃が埋まり、新たな流血を見せている。

 

が、それだけだった。

 

鍔迫り合いの如く互いの力は拮抗し合い、反撃の勢いは見事に相殺されていた。そればかりか……咆哮と共に、ベートは更に拳を唸らせる。

 

「ぐっ……ぉおオオッッ!!」

 

「な―――っ!?」

 

新たな傷により火力を増した炎を巻き上げ、渾身の左拳が振り抜かれた。力負けしたラレンティウスはとっさに右腕で防御の構えを取るも、踏み止まる事ができずに後方へと殴り飛ばされてしまう。

 

盛大な音を立てて粉塵が巻き上げられる。『深層』程度のモンスターであればこれで終わりだが、ベートは油断なく前だけを見据えて拳に埋まったハンドアクスを乱暴に引き抜いた。

 

やがて、灰色のもやの中からラレンティウスが現れた。

 

彼は()()()()()右腕のマンシェットを見下ろした後に顔を上げ、笑みを消した表情のままに口を開く。

 

「なるほどな……際限なしか」

 

その瞳が射抜くのはベートの四肢に宿る炎。それは戦闘を開始した時よりも明らかに大きくなっており、今や彼の身長の三倍にも迫らんばかりだ。

 

猛々しく、赤々と燃える炎。それはラレンティウスがこれまでに目にしてきた何ものよりも強大であり、そして油断ならないものだった。

 

「傷を負う程に強くなる、か。これは悠長にやってる場合じゃないな」

 

「………」

 

「……ああ、悪い。今更な話だった」

 

ぞり、と、頬に刻まれた火傷を指でなぞり、ラレンティウスは右手の“火”に意識を集中させ始める。それを感じ取ったのか、ベートもまた腰を沈め、攻撃のための構えを取る。

 

流れ落ちた血さえも蒸発するような灼熱が支配する只中。二人は互いの一挙手一投足が己の勝利、あるいは敗北に繋がる事を理解していた。その上で相手の攻撃を上回る一撃を繰り出すべく、来たるべきその時を待つ。

 

一秒後か、数秒後か。十には満たないであろう睨み合いの末―――動いたのは、やはりベートからであった。

 

揺れ動く炎の頭を置き去りに瞬時に加速を終えたベートは、最大速度で疾駆する。予備動作の一切ない接近に、ラレンティウスは目を見開いて次の行動を見極めんとした。

 

来たのは右腕による大薙ぎ。

 

軌道上にあるもの全てを焼き尽くす狼の上牙(オルガ)をどうにか回避したラレンティウスに、矢継ぎ早にけしかけられた下牙(ベネト)の蹴撃。直前で身を引くも、これは完全に避けきる事は出来ず、胴の大部分に灼熱の牙が喰らい付いた。

 

「づぅっ!!」

 

体勢を崩した隙を見逃さず、ベートは追撃を仕掛ける。真下からすくい上げるような炎拳を見舞おうと腕を引いた―――直後、その琥珀色の瞳をあらん限りに見開いた。

 

「ッ!!」

 

倒れかけの体勢からラレンティウスが放ったのは『火の玉』だ。呪術師の象徴とも言える炎が視界一面に広がり、ベートはぶつかる寸前で地を蹴り上空へと高く跳躍する。

 

「チィッ!!」

 

鋭い舌打ちと共に飛び上がったベート。

 

その最中で、見た。痛みに顔を歪ませつつも不敵に笑うラレンティウスを。その手の中で怪しく渦まく、次なる呪術の誕生を。

 

振りかぶられた右腕。何かを投げつけるような動作に違わず……その手からは呪術『混沌の大火球』が放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『闇の王』は混沌の呪術のみならず、“火”さえもラレンティウスに分け与えた。

 

魔女の手によって更なる高みへと昇華されたそれは、かつて自分が分け与えたもの。故にそれはラレンティウスが持つ“火”と溶けあい、ロードランにいた頃とは比べようもない程に、強く生まれ変わった。

 

だが……心なしか、その“火”はどこか冷たかった。

 

気のせいに過ぎないのかも知れない。しかしラレンティウスには、その冷たさは『闇の王』の変化を暗示しているような気がしてならなかった。神々を殺すという新たな使命を見出した彼が、本質的に別の()()へと変貌を遂げつつある―――そんな考えを捨てきれずにいたのだ。

 

それを裏付けるように、『闇の王』は少しずつ変わっていった。神々を滅ぼした数が百を超えた辺りから少なかった口数が更に減り、自分たちと接する時の態度も機械的なものに変化してゆく。

 

だからといって、今更どうしろと言うのか。

 

『今更どうしようもない。俺たちは、ただ彼と共に在り続けるしかないんだ―――神々を殺し尽くすか、俺たちが消えてなくなる、その日まで』

 

太陽が描かれた鎧を黒ローブで隠した戦士の言葉に、ラレンティウスは頷くしかなかった。

 

そう、共に在り続けるしかないのだ。さもなければ、酷い裏切りとなってしまう。彼……『闇の王』への恩を返す為に付いて行くと決めたのは自分なのに、それを反故にするような真似だけはしたくなかったから。

 

何か手はあったのかも知れない。しかし、その段階はとうに過ぎている。踏み止まれる地点を誤った以上、前に進むしかない。

 

神々を殺し尽くし、あらゆる世界に真の人の世を到来させる……『闇の王』の掲げる大義の裏にどのような考えがあったとしても、今更止まる事など出来ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そうだ、これが俺の呪術の神髄だ!!)

 

火の業を極めんとする呪術師としてではなく、“王”の臣下としての呪術師の神髄。彼と共に在り続ける為だけに己の技術を磨き続けた、ラレンティウス渾身の『混沌の大火球』がベート目掛けて放たれる。

 

それは火球の域を超えていた。煮え滾る溶岩を内包した灼熱の大塊が、人の身体などひと息の内に飲み込まんと大口を開けている。

 

一度(ひとたび)触れてしまえば死は免れない。

 

そんな大熱量の塊を前に―――ベートもまた、四肢に宿る劫火の(あぎと)を開いた。

 

 

 

「るおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

 

 

響き渡る炎狼の雄叫び。

 

直後、轟音さえもかき消す凄まじい熱波が発生し、ラレンティウスの頭上で火球が爆発した。

 

振りまかれる溶岩、散り散りにはじけ飛ぶ炎、刹那の輝きを見せる火の粉。そんな灼熱の壁を打ち砕き……ベートが姿を現す。

 

上衣は焼け落ち、無事な部分などほとんどない。身体の大部分を重度の火傷に包まれながら、その琥珀色の双眸に宿る戦意は毛ほども衰えてはいない。

 

身動きの取れない上空でベートは身体を捻り、加速。鞭のようにしなる利き足に劫火を纏い直し、眼下の一点へと向けて『牙』を剥き出した。

 

(……ああ、畜生。ここまでか)

 

己の持ちうる全てをつぎ込んだ一撃を突破されたラレンティウスは目を見開き、そして小さな笑みを浮かべる。これ以上の抵抗は無意味であると、目の前に迫る“火”が告げているからだ。

 

やれるだけの事はやった。ならばせめて、無様な姿だけは晒すまいと上空を見据える。彼は残された僅かな時間で右手に宿る“火”を確かめるように軽く握り、そして静かに目を閉じた。

 

(すまねぇな……“王”)

 

別れの言葉は間に合った。

 

瞬間、ベートの踵落としが炸裂し―――ラレンティウスの身体を縦断した。

 

 

 

呪術師として生まれ落ち、不死となり、その後の半生のほとんどを『闇の王』と共に歩み続けた男は、亡骸も残さず灰塵に帰した。

 

“王”の呪術師は、こうして壮絶な最期を遂げたのだった。

 

 


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