不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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第三十六話 『遠征』前夜

【ロキ・ファミリア】の『遠征』二日前。

 

ギルド最奥、祈祷の間でギルド長ロイマンからの報告を聞き終えたウラノスは彼を退室させると、その双眸を閉じ静かに息を吐いた。

 

「―――やはり仕掛けるか、彼らは」

 

ウラノス以外に誰もいないかに思われた空間。その闇を切り裂き現れた黒衣の人物、フェルズは足音一つ響かせずに大神の隣へと移動する。

 

「先日の一件……24階層での戦闘から、まだ一週間も経っていないというのに」

 

「その程度でロキの子供たちは怯まない。それにダンジョンの攻略は、下界にいる我ら全員の悲願でもある」

 

ロイマンからの報告は【ロキ・ファミリア】の遠征に関するものであった。

 

前回は予想外の事態により撤退を余儀なくされたが、今回は違う。極彩色のモンスター―――芋虫型の吐き出す腐食液―――対策として【ヘファイストス・ファミリア】に作成を依頼した不壊属性(デュランダル)の武器がある。

 

加えて赤髪の女、レヴィスがアイズに向けて放った台詞『59階層へ行け』という発言。

 

59階層(そこ)には何かある。そう確信したフィンたちは、今回の遠征に踏み切ったのだ。

 

怪人(クリーチャー)に『彼女』、そして『エニュオ』なる者の存在。調べなければならない事は山積しているが、それだけではない」

 

「ああ。例の入口(・・)についても、調べを進めなくてはならない」

 

口に出して情報を整理するウラノス。その隣に立つフェルズは顎に手を当てて考える素振りを見せ、もう一つの不安要素を語る。

 

それは数日前、24階層から帰還したファーナムとの話し合いの場で立てたある一つの仮定の話である。

 

「以前にダンジョンに現れた闇霊(ダークレイス)……喪失者の出現を、私は察知する事が出来た」

 

「一方で亡者らしき集団、不死人と思しき黒フードの二人組、そして今回の黒騎士たち。そう言った者たちの出現には気が付く事が出来なかった」

 

ウラノスの言葉をフェルズが引き継ぎ、互いに情報を整理し合う。

 

前者と後者の決定的な違い。それはウラノスが侵入を察知出来たか否かという点にある。

 

「ダンジョンに何らかの異常があった場合、私が気付かないはずがない。だが事実としてそれを察知する事が出来なかった。このような事態は過去千年を遡っても、一度も経験した事がない」

 

ダンジョンからモンスターが溢れ出るという地獄絵図。それを絶大な神力を以て抑え続けているウラノスは、言わばダンジョンという“世界”の主である。

 

その考え方は以前ファーナムからの説明にあったものに似ている。曰く、闇霊(ダークレイス)が侵入すれば世界の主たる“自分”はすぐにその異変を察知できるとの事だ。

 

人体に置き換えて考えた場合、闇霊(ダークレイス)はちょうど異物に当たる。砂などのごく小さなものであったとしても眼や喉の粘膜は敏感にそれを感じ取り、即座に異変を知らせてくれる。

 

しかし、病原菌はどうか。目に見えない程小さなものであれば気付かずに体内へ入り込んでしまう事だろう。そして潜伏期間を経て、症状を発症するのだ。

 

「この考え方は飽くまで例えだが、そうであるとすれば話は分かりやすい」

 

「ああ」

 

フェルズの頷きに呼応するかのように、或いは解を導き出したかのように、松明の火がパチリと弾ける。

 

ウラノスが喪失者の存在には気付く事ができ、なぜ亡者や黒騎士たちには気付く事が出来なかったのか。その理由は、つまり―――――。

 

「侵入と侵蝕の違い、と言ったところか」

 

侵入と侵蝕。

 

前者は強引に入り込む事を、後者はしだいに侵し、蝕む事を意味する。ウラノスが出現を察知出来たか否か、それを区別する為にフェルズが使ったこの言葉は非常に的確であった。

 

「だが何故、黒騎士たちの出現は察知出来なかったのだろう。あれは明らかにダンジョンで生まれたものではない」

 

「……これもまた仮定の話だが」

 

考え込むフェルズに対し、ウラノスは固い表情を崩さずに続ける。

 

「あれらの事をファーナムは、自身がいた時代よりも遥か以前の存在だと言っていたな」

 

ファーナムの証言によって導き出された黒騎士の正体。

 

遥か以前、光の王に仕えていた騎士たちの成れの果て。業火によって焼かれ、不死の巡礼たちの前に試練として立ちはだかったという逸話も残る程に、彼らは強大だった。

 

あれらがまた現れた時、その場にファーナムや【ロキ・ファミリア】のような第一級冒険者がいるという保証はない。もしかするとダンジョン上層に出現するかも知れないのだ。

 

そうなった場合、多くの冒険者に被害が出るのは明白。起こりうる最悪の場合に備えなくてはと、フェルズは密かに気を引き締める。

 

「ああ。だが、それがどうかしたのか」

 

「ファーナムの話しぶりから考えるに、彼は今まであれらと遭遇した事はなかった。つまり、あれらは彼の世界にはいなかった者たちだと考えられる」

 

「!」

 

ウラノスの言わんとしている事を察した愚者は、即座にその可能性に至った。同時に、身体が強張る感覚を味わう。

 

判断材料は不足し、そもそもファーナムがいた世界についての知識も十分ではない。仮に事情に精通している者がいたとすれば、鼻で笑われるかも知れない。

 

しかし、それを否定し切れないのもまた事実である。むしろこの状況では、それこそが一番筋が通っているようにも思えるのだ。

 

「ウラノス、まさか……」

 

この身体が生者であれば、生唾を飲み込んでいる事だろう。

 

そんな事を思いながら、フェルズは続ける言葉を絞り出す。

 

「……ファーナムのいた世界とは()()()()()()()。そことダンジョンが繋がっていると、そう言いたいのか?」

 

考え至った可能性を述べたフェルズは、玉座に鎮座する大神の言葉を待つ。

 

出来る事ならば否定してほしい。そんな子供じみた願望さえ抱いてしまう程に、事態は更に深刻の色を深めてゆく。

 

「現状、そう考えるしかない。何しろ我々は余りに知識が不足している。であればあらゆる可能性を考え、それに対する手段を講じるしかない」

 

「対抗策と言われたところで、すぐに出来る事など……」

 

「分かっている。が、やるしかないのだ」

 

まるで暗闇の中で鍵を探すようなもの。

 

無理難題を強いてくる異常事態を前に、しかしフェルズは泣き言を言うつもりはなかった。そうしている時間があるならば、もっと有用な使い道がある事を知っているからだ。

 

「リドやグロスたちにも応援を頼もう。()の良い者たちを使ってダンジョン内の異変を可能な限り拾っていく」

 

「……すまない」

 

「気にするな。どの道、無視は出来ないのだから」

 

パチリ、と、再び松明の火が弾ける。

 

燃え続ける火は心なしか、先程までの勢いを失っているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ロキ・ファミリア】の『遠征』前日。

 

ファミリアの者たちは相変わらず、各々準備に駆け回っていた。下位の団員たちは必要な物資の調達と確認、フィンやリヴェリア、ガレスといった古株はアタック当日の立ち回りや、不足の事態に備えての最終確認といった具合だ。

 

アイズたち若き幹部勢はそれぞれ、自分の時間を有意義に使っている。中でもレフィーヤは並行詠唱を練習しており、ようやくモノになり始めてきた。リヴェリアの後任を期待されている故、これはファミリアにとっても大きな進歩であると言えた。

 

さて。

 

そんな中、ファミリアで過ごした時が最も浅く、そして最も幹部勢(かれら)に近い者は現在、一人瓦礫が点在する場所に腰を下ろしていた。

 

時刻は既に夕方。沈みゆく太陽が赤みを帯び、オラリオの街並みを真っ赤に染めてゆく頃合いだ。

 

そんな中、夕焼けとは別の輝きによってその身を赤く染めるファーナムは、手にした直剣を無言で眺め続けていた。

 

「………」

 

それは椿に作成してもらった直剣。取り回しがし易く、しかし肉厚で重厚な感触は非常に手に馴染む。近いものであれば、『番兵の直剣』が挙げられるだろう。

 

しかしそれはオーダーメイドの品ではない。祭祀場にいた竜の番兵を倒し、偶然手に入れたものだ。完全に自分専用に作られたこの直剣と比べれば、やはりどうしても差が出てくる。

 

「扱い易さを取るか、一撃の威力を取るか、か」

 

明日は遂に『遠征』だ。ファミリアに入団してから初の大仕事に、ファーナムも自然と力が入る。

 

思い返せば、今までの旅路はいつも一人であった。道中で白霊と共闘する事もあったが、それも飽くまでその場限りの関係。昨日の敵は今日の友という言葉があるが、その逆もまた然りであった。

 

その点で言えば、ファミリアという絶対に等しい信頼関係を築いた仲間を持つのは、初めての事なのかも知れない。

 

「……もっと早く、気付くべきだったな……」

 

自嘲気味にそう呟くファーナム。彼の脳裏に過ぎるのは、かつての旅路で特に印象に残っていた者たちの姿だ。

 

一人は蒼の大剣を担い、遠くドラングレイグにまで武者修行に来た偉丈夫。

 

もう一人は最後まで呪いに抗い、その果てに姿を消した高潔な女騎士。

 

彼らとの邂逅は全くの偶然であった。数多の不死人がそうしてきたように、ファーナムもまた彼らを都合の良い道具のように扱い、名ばかりの共闘という関係性を築いていた。

 

彼らからの接触も多々あった。しかしその時はロクに取り合わず、ほとんどを生返事で返していた。自分以外はどうでも良い、そうとすら思ってしまう程にファーナムの心は荒んでいた。

 

だが、それでも、彼らは話しかけてきてくれた。

 

彼は己が野望を、彼女は己が苦悩を。一不死人に過ぎない自分に打ち明けてくれた。

 

にも関わらず、自分は………。

 

「……いかんな、これでは」

 

柄にもなく、気が沈んでいくのが分かる。明日は遠征だというのに、これでは支障をきたしてしまうかも知れない。

 

過ぎ去った時間は取り返せない、それは不死人であっても同じ事である。今大事なのは目の前の事。そう思い込む事にしたファーナムは、急いで明日の支度に取り掛かる。

 

覚えておく魔術、奇跡、呪術は何か。装備品は十分か。万が一に備えて、武器を一通り点検しておくべきか……考えうる事態に備えてあらゆる対策を講じる。

 

やがて小一時間ほどの時間が経過した時、彼はふと違和感を覚えた。

 

それは以前にも経験した事のあるもの。彼は作業の手を止め、おもむろに後ろを振り返り口を開く。

 

「どうした、何か用か」

 

「―――やはり気付いたか」

 

ぐにゃり、と、虚空を歪めて現れる黒いローブ姿の人物。

 

自らが作成した魔道具(マジックアイテム)を取り去って現れたフェルズは肩をすくめ、堪らないと言った風に口を開く。

 

「いや、なに。明日はいよいよ【ロキ・ファミリア】の遠征だからね。激励の意味も込めて、君に会いに来たんだよ」

 

「はは、それは嬉しいな」

 

珍しく軽口を叩くフェルズに軽い驚きを覚えるも、ファーナムは素直にその言葉を受け取った。

 

不死人とは似て非なるとは言え、オラリオで出会った数少ない()()()の理解者。その者がわざわざ会いに来てくれたという事に、自然と頬が緩んでしまう感覚を覚える。

 

「それで?本当にただ挨拶に来た訳ではないだろう?」

 

「……余韻も何もないな、君は」

 

いきなり確信をついてくるファーナムにフェルズはげんなりしながらも、用意していた

魔道具(マジックアイテム)を取り出した。

 

それは小さな、掌に収まる程の大きさの水晶だった。ご丁寧に紐が取り付けられており、鎧のどこにでも装着出来るようになっている。

 

「私が作ったものだ。これを通じて、私が持つ片割れの水晶にダンジョン内の景色が映し出される」

 

「そんなものが……」

 

「作成には中々苦労したがね」

 

離れていても状況を把握できる水晶を受け取ったファーナムは、それを鎧の腰部に括り付ける事にした。

 

革のベルトの穴に通し、解けないよう固く結び締める。これで水晶自体が破損しない限り、彼がいる場所の映像が直にフェルズの元へと送り届けられるようになった。

 

「これは……ダンジョン内の異変を調べる為か」

 

「そうだ。だがまぁ、未だ見ぬ第59階層の全貌を明らかにする為、という意味もあるが」

 

いかな異常事態があるとて、ダンジョン攻略という使命を忘れてはならない。抜け目なく情報を集めようと奮闘する『賢者』の姿に、ファーナムの口角は再び吊り上がってしまう。

 

「それは結構だが、俺の事も尊重してくれよ?四六時中見られていては、おちおち飯も食えない」

 

そう言って軽く笑うファーナムであったが、ここでふと、ある事に気が付く。

 

彼なりの冗談を言ったつもりであったが、それを目の当たりにしたフェルズは無言で立ち尽くしたままなのだ。鳩が豆鉄砲を喰らったような、そんな表現がぴったり当てはまるような、そんな空気を纏ってさえいる。

 

一体どうしたのか。

 

「……おい、フェルズ?」

 

予想外の反応にファーナムが戸惑っていると、再起したフェルズがおもむろに話しかけてきた。

 

「……ああ、その、すまない。ファーナム」

 

「どうしたんだ、急に固まって」

 

「いや、なに。少し虚を突かれてね」

 

「?」

 

フェルズの言いたい事が分からず、ファーナムは首を傾げてしまう。

 

その仕草すら驚きを与えるものであったのか、黒ローブ姿の愚者は動揺を絵に描いたかのように肩を揺らし、そして語る。

 

 

 

「少し見ない間に……随分と()()()()なったな」

 

 

 

「   」

 

 

 

その言葉に。

 

その事実に。

 

ファーナムは―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロキー、お願いしまーす」

 

「ぬあぁぁああああ!まだっ、まだおるんかーーっ!?」

 

もう間もなく深夜に差し迫ろうという時間に、神室(しんしつ)から女神の絶叫が木霊する。

 

その正体はロキである。翌日に迫った『遠征』に向けて、今日まで自主練習やダンジョンで鍛えた己の【ステイタス】を更新しようと、多くの眷属たちが列を成してやってきたのだ。

 

一人や二人であればそれほど時間はかからない。だが【ロキ・ファミリア】はオラリオでも有数の巨大ファミリア。その眷属の数は並みのファミリアを優に超えている。

 

「おのれ特訓流行(ブーム)、おのれアイズたんっ!?」

 

最も力のある彼女に触発されたという事もあるのだろう。鍛錬の成果を確かめたいという者は一向に後を絶たない。ここにはいない少女に愛憎入り混じった雄叫びを放ちつつも、ロキはその手は止めなかった。

 

普段であれば『おひょー!眼福やー!』とでも叫んでいそうな状況にも関わらず、その顔には疲労の色が浮かんでいた。彼女がようやく解放されたのは、それからおよそ三十分後の事である。

 

「くぉおお~~~、ようやく終わったぁ~~~……」

 

指の腹に針を刺し、神血(イコル)を滴らせる。

 

これを繰り返した結果、ロキは指を咥えたままロクに動けない有様となってしまった。実に地味だが、それでも痛いものは痛い。天界では万能の神は現在、ベッドの上で寝転がりながら一柱(ひとり)目尻に涙を溜めつつ、何とも言い難い疲労感に苛まれていた。

 

「あー、酒でも飲みたいわぁ……」

 

最後に更新に来たベートを見送り、重労働へのご褒美として酒を飲みたい感覚に駆られる。しかし明日は『遠征』当日である。フィンたちの見送りもあるので、今から飲んでは支障をきたしかねない。

 

というか、絶対深酒になる。

 

あぁでも、少しだけなら……と悶々としていると、不意に部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「誰やー?」

 

自分から動く気力もないのか、ロキは扉を叩いた者に入室を促す。その言葉に従い入って来た者は、本拠(ホーム)であるというのに鎧を着込んでいた。

 

最初こそ違和感があったが、それももはや慣れたもの。相変わらずの恰好で現れた男……ファーナムはベッドの上でうなされている神を一瞥し、そして溜め息を吐く。

 

「だらしがないな、ロキ」

 

「しゃーないやろー。今やっと全員の【ステイタス】更新が終わったんやから」

 

「その事だが、俺も頼みたいんだ」

 

「えぇ、今からー!?」

 

もう今日は堪忍してー!?と駄々をこね始めるロキに再び嘆息しつつも、ファーナムは事前に用意しておいたあるものを取り出し、それをテーブルの上に置いた。

 

ゴト、という硬質な音をロキの耳が感じ取り、一体何かと音の発生源の方へと視線をやる。

 

瞬間、カッ!と見開かれる朱色の双眸。今の今までのだらしなさは何処へやら、俊敏な動きでテーブルに置かれたものを両手で引っ掴み、わなわなと震えながら頭上に掲げる。

 

「こっ、ここここコレは……っ!?」

 

「あぁ、神酒だ」

 

ファーナムが持ってきたものの正体。それは飾り気のない透明な瓶に詰められた神酒であった。

 

篝火で最終調整を終えた後の帰路、偶然目に入ったのだと説明する。彼自身でモンスターを倒して魔石を換金したは良いものの、肝心の使い道はほとんどない。それならばと、気まぐれで買ってきた訳である。

 

「手土産まで持って来たんだ。これで手を打たないか?」

 

「そりゃあもっちろん!十回でも百回でも、なんぼでも更新したるで!」

 

「いや、一回で十分なのだが……」

 

あからさまに機嫌を良くしたロキに苦笑しつつ、ファーナムは兜と鎧を脱ぎ去る。

 

露わとなった筋骨隆々の上半身。凹凸がはっきりと浮き上がった逞しい背を差し出し、神血(イコル)が垂らされるのを待つ―――が。

 

「……おい」

 

「んあ?なに?」

 

「何、ではない。何故グラスを持っている」

 

一向に始まらない【ステイタス】更新。何かと首を回して確かめてみれば、そこには両手に瓶とグラスを持ったロキの姿が。

 

まさか今飲むとは思ってもいなかったファーナムは頭痛を堪えるように額に手を当て、三度目の溜め息を吐いてしまう。

 

「流石に今から飲むのは止めておけ。二日酔いで酷い有様になるのは目に見えているぞ」

 

「えー………一口だけでも駄目?」

 

「子供か、お前は」

 

その後、ややしばらくして。

 

瓶をテーブルへと戻したロキはぶー、と頬を膨らませながらも、ようやく更新の準備に取り掛かった。

 

「んじゃ、コレは遠征帰りの祝杯っちゅう事にしよ。二人で飲もうな」

 

「せっかくなら他の者も誘ったらどうだ?お前のお気に入りのアイズでも……」

 

「あ、それは絶対にあかん」

 

「?」

 

雑談を交わしつつ彼女は針を用意し、指の腹を軽く刺す。ぷっくりと滲み出た血がファーナムの背に落とされ、【神聖文字(ヒエログリフ)】が浮かび上がってきた。

 

己の戦ってきた経験が肉体に反映されるのを感じ取りながら、ファーナムは無言で更新が終わるその時を待つ。

 

神によってのみ可能な、肉体という『器』の昇華。冒険者が多く生まれた今日のオラリオでは形骸化しているが、それは本来神聖な儀式である。無駄口を叩かずそれに向き合う彼の姿勢は、まさしく儀式という言葉に相応しいものであった。

 

もっとも―――――。

 

「はえー。いつ見てもゴツいな、自分の身体。よっ、ナイスカット!キレとるで!」

 

「………」

 

肝心の神がコレなので、いまいち締まらないのだが。

 

流石に溜め息はもう吐かない。というか、吐けない。いちいち真面目になるのが馬鹿らしくなってしまう。

 

「にしてもファーナム、自分、元気になったみたいで良かったわ」

 

「む?」

 

不意にかけられたこの言葉に、ファーナムは何の事かと考えを巡らせる。

 

が、すぐに考え至った。あの時の事を言っているのであろうと。

 

「あの時は悪かったな」

 

「ええって、気にせんで」

 

それは少し前の出来事。

 

己の中の葛藤を全て吐き出し、ロキが全て受け止めてくれた事を意味していた。あの時の彼女の言葉があったからこそ、今のファーナムがあると言っても過言ではない。

 

みっともないところを見せたと謝罪するも、ロキはそれを笑って許した。なんだかんだ言っても彼女はやはり神であり、その懐の深さに頭が上がらない思いを抱いてしまう。

 

「自分はこれから、もっともっと楽しい事があるんや。それと同じくらいに辛い事も、苦しい事もあると思う。けど、そんな時は思い出し。一人やないって」

 

「………ああ」

 

背を向けているために見えないが、きっと優しい顔をしているに違いない。声色から容易に想像できるロキの表情を幻視しつつ、ファーナムの口元に柔らかな笑みが浮かんだ。

 

【ステイタス】の更新ももうすぐ終わる。その間二人は何てことのない雑談を交わし、時々笑い合った。

 

ティオネとティオナの二人と組み手をした事。その時に荒らした中庭の件でリヴェリアに盛大にお灸を据えられた事。それを聞いたロキが噴き出し、汚いなとファーナムがげんなりする。

 

本当に何てことのない、ゆっくりとした時間が過ぎてゆく。そうして、やがて話題は一冊の本へと変わっていった。

 

「せや、自分『アルゴノゥト』の本買うたんやって?」

 

「知っていたのか」

 

「ティオナが前に言っててん、自分がその本持ってるとこ見たって。書庫にはそういうんは置いてないし、あるとすればティオナの部屋にしかないし」

 

「そうか、見られていたのか……」

 

どうやらティオナにとって自分は、完全に童話好き(なかま)と認識されてしまったようだ。偶然購入した本が原因で思わぬ話題となってしまった事に、ファーナムは何とも言えない表情を作る。

 

「別段深い意味があって買った訳ではないんだ。ただの気まぐれさ」

 

「ええってええって、隠さんでも。趣味と顔は関係あらへん」

 

「いや、だからな……」

 

玩具を見つけたとばかりにいじりまくるロキ。こうなったら中々止まらないと理解しているファーナムは、もうどうにでもなれとばかりに流れに身を任せる事しか出来ないでいる。

 

「なんや。あの童話の主人公に憧れとるんか?英雄になりたいんか?ん?」

 

「そんな訳ではないが……」

 

「誰にも言わんから!ほら、ウチにだけは言うてみ?」

 

(……ああ、本当に疲れる……)

 

思っていた以上に追求の手がしつこい神を前に、歴戦の不死人の心はついに折れた。

 

右手で顔を半分だけ覆いながらも、ファーナムは本心を打ち明ける。

 

「……俺は今まで、ずっと一人で戦っていた。誰の為とかではなく、自分だけの為に」

 

それはかつての旅路、ドラングレイグでの日々に起因していた。亡者と異形が蔓延り、死と隣り合わせだった戦いの毎日。

 

日増しに心は荒み、他人を気に掛ける余裕もなくなってゆく。それどころか己の“人間性”にさえも疑問を抱きかねない、そんな日々を送っていた。

 

「だが、オラリオに来て俺は変わる事が出来た。というよりも、取り戻す事が出来たと言うべきか?」

 

一度死ねばそこで終わり。過酷な試練と相応の褒美を与えるダンジョンに挑む冒険者たちと出会い、ファーナムの世界は一変した。

 

仲間を助ける為に命を投げ打つ。どれだけ危険でも決して仲間を見捨てない。そんな高潔な生き様を目の当たりにし、彼は『本来の自分』を僅かにでも思い出せたのだ。

 

「俺は全員に感謝している。だからこそ、俺の出来る事で恩を返したいんだ」

 

自分に出来る事は何かと考えた時、結局は一つしか思い浮かばなかった。

 

すなわち、戦う事。冒険者として剣を振るう事のみである。

 

「ダンジョンを共に歩き、攻略の一助となる。仲間の危機には即座に駆け付け、一人も死なせない。そんな“冒険者”に……俺はなりたいんだよ」

 

“英雄”でなくて良い。

 

地位も名誉もいらない。

 

ただ、誰に恥じる事のない“冒険者”になりたい。

 

初めてこの思いを打ち明けたが、不思議とつらつらと口にする事が出来た。以前の自分であれば決して口にする事など無かったであろう台詞に、今更ながら気恥ずかしさが込み上げてくる。

 

「すまない。恥ずかしい事を聞かせてしまった、忘れてくれ」

 

はぐらかすように笑いながら、ファーナムは首を回してロキの方を見る。

 

きっとにやけた顔をしているのだろう。そして盛大に笑われるのだ。そう覚悟を決めていたのだが、そこには全く予想外の光景が広がっていた。

 

「……ロキ?」

 

にやけた顔はそこにはなかった。きょとんとした顔もそこにはなかった。

 

ただただ、無表情。朱色の双眸をまっすぐこちらへ向け、ファーナムの瞳に自身の姿を反射させている。

 

「おい、どうした」

 

「……いや、なんでもない」

 

ファーナムの呼びかけに対しロキはそれ以上は何も言わず、淡々と手を進めていった。

 

何か不味い事でも言ったか?と僅かに不安に駆られるも、無理に聞き出す事も出来ない。それを許さない奇妙な気配が部屋の中には漂っていた。

 

「ほい。更新終わったで」

 

「ああ」

 

慣れた動きで鎧を着込んだファーナムは、【ステイタス】を写した羊皮紙を受け取ろうと手を差し出す。

 

が、それを掴む寸前のところで、ロキはひょいとそれを上へと持ち上げてしまった。

 

「?」

 

何故素直に渡してくれないのか?ロキが取った行為の意図が分からないファーナムは怪訝な顔で眼前の神を見下ろす。

 

「……ファーナム」

 

「なんだ」

 

やがてロキは口を開く。そこに先ほどまでの朗らかな空気はなく、張り詰めた糸のような、真剣な雰囲気が漂っている。

 

思わず身構えるファーナム。そんな彼へ、ロキは今度こそ手にしていた羊皮紙を差し出す。

 

「自分の思ってる事、したい事、よう打ち明けてくれた。だからウチも、もうこれ以上隠し事はなしや」

 

「何を、言っている……?」

 

「……見れば分かる」

 

ロキの視線は羊皮紙へと落ちる。ファーナムの視線も、自然と彼女の手の中にあるそれへと引き寄せられていった。

 

手を伸ばし、受け取った羊皮紙を広げる。

 

空白の名前欄。レベルに各ステイタスの数値。見慣れた文字と数値が羅列している。喪失者と戦った時よりも数値の伸びは良いが、やはりと言うべきか、飛躍的と言える程の進歩は見られない。

 

だが、ここでファーナムの目が大きく見開かれる。今までは見たこともない文字が、そこには書かれていたからだ。

 

そこは《魔法》の欄。以前には“ソウルの業”という記載しかなかったが、その下に新たなものが加わっていたのだ。

 

「これは……!?」

 

「今まで騙してて、悪かった。本当は最初から発現しててん」

 

僅かに眉を寄せながら話すロキ。その言葉すらも、今のファーナムには断片的にしか耳に入ってこない。

 

食い入るように文字を目で追い、その能力、効果に絶句する。

 

そして、その魔法名は―――――。

 

 




ようやくダンジョンに入れると一安心です。

日常風景とかはどうしても長くなって退屈になりがちですが、力を入れないといけない場面でもあるのでそこらへんの配分が難しいですね。

今後も、どうぞよろしくお願いします。

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