不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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第三十四話 それこそが

「さあ、入ってくれ」

 

案内されたのは以前に通された工房とは別の場所だった。以前も適当に空いていた所に入ったのだろう。今回もそれと同様に、空いていた場所にやって来たという訳だ。

 

しかし、案内された部屋には所狭しと武器が置かれていた。

 

冒険者の基本武器となる剣はもちろん大剣や槍、斧やメイス。果てはファーナムが扱うような、一般的な冒険者が振るうには困難極まる特大剣までもが置いてある。

 

まるで自身がソウルの内に所有する武器の数々を並べられたかのような光景を前に、気が付けばファーナムの口は自然と動く。

 

「……随分と多いな」

 

「おう。全て手前が鍛え上げたものだ」

 

誇るような口ぶりでそう答えた椿は作業台に陣取り、砥石やらといった道具を並べる。ごちゃごちゃと物が散乱した台の上であってもそれらが雑に扱われている形跡は見受けられず、まさしく職人の為の道具という印象だ。

 

「ほれ、見せてみよ」

 

「ああ」

 

ファーナムは腰に携えていた『椿の直剣』を抜き、差し出す。すっかり体の一部となっていた重さがなくなり、妙な身軽さを覚えてしまった。

 

剣を受け取った椿は柄に手をかけると、そこで眉間にしわを寄せる。

 

彼女が握る柄。そこに巻かれた黒革には分かりにくいが血が付着していた。少し指先で擦れば粉となって落ちてくるほどに、それは黒く乾いている。

 

 

「ふぅむ……ファーナムよ」

 

「どうした」

 

相変わらず眉間にしわを寄せながらそう呻いた椿に、ファーナムはどうしたのかと疑問を抱く。

 

その疑問への答えは、椿が剣を鞘から引き抜く事で解消された。

 

「どうしたもこうしたもあるか。見てみよ、この刀身を!」

 

室内を淡く照らす魔石灯の明かりに晒された刀身には、べっとりと血糊がへばりついている。大部分が黒く乾いてはいるが、血振りもせずに鞘へと納めたのであろう、未だ乾き切っていない部分もある。

 

鞘から解き放たれた刀身から放たれる独特の生臭い匂いに椿は顔をしかめつつも、それを作業台の上へと置いた。そして足元に置いてある水の張ったバケツに、手近なタオルを突っ込む。

 

「碌に血も落としもせず鞘に戻しおってっ。これでは剣の寿命が無駄に減ってしまうわ!」

 

「む……」

 

刀身にへばりついた血糊を濡れタオルを使って落としていく椿。その横顔には武器を粗末に扱っている者への怒りと呆れがしっかりと見られる。

 

ダンジョン24階層から帰ってきたあの日。鎧に付いた血や汚れは道中立ち寄ったリヴィラの街である程度は落としたが、この剣については鞘に納めて以降そのままであった。

 

ファーナムにとっても当然武器とは大切なものだが、それでも致命的に壊れさえしなければいつでも篝火で直るものでもある。己のソウルと武器とを同化させる事が出来る、不死人ならではの特殊能力というやつだ。

 

もちろん簡単な手入れくらいは彼にも出来る。本拠(ホーム)の自室にいる時などは大抵仕舞い込んだ武器を並べ、一つ一つ整備している程だ(その行為に意味があるかはともかく)。

 

しかしこの剣は鍛冶師である椿が精魂込めて作った一振り。わざとではないにしろ、それを粗末に扱ってしまった事に、ファーナムは今更ながら罪悪感を覚える。

 

「……すまん」

 

「ふんっ……まぁ、状態はそれほど酷くない。しっかりと手入れしてやれば問題はなかろう」

 

言い終わるや否や、作業台へと向き合った椿は手にしていた剣をその上に置く。粗方の血は落とし終えたが、細部にまで染み込み固まった血液は簡単には落とせない。

 

目の前に広げられた道具を手に取り、本格的な作業に取り掛かる。

 

ここからは完全に椿の時間だ。以前にも目撃した驚異的な集中力を思い出したファーナムは、邪魔になるまいと彼女から距離を取ろうとした、その時だった。

 

「なぁ、ファーナムよ」

 

不意に椿が語りかけてくる。

 

相変わらず目線は作業台の上。固まった血液を取り去り、僅かながら摩耗した刀身を砥石で鋭く研ぎ直している。

 

シャリ、シャリ、という音が木霊する中、椿は続ける。

 

「手前は鍛冶以外の事は良く分からん。人の心の機微にも疎くての、それが原因でよくヴェル吉にも怒鳴られた」

 

「ヴェル吉?」

 

「ああ、【ヘファイストス・ファミリア】(うち)の団員の鍛冶師でな……っと、話が逸れるところであった」

 

いかんいかん、と笑いながら椿は剣を研ぐ手をとめ、ここでようやくファーナムへと向き直る。

 

眼帯をしていない右目でじっとこちらを射抜くその視線に、妙な胸騒ぎを覚えるファーナム。果たしてそれは的中し、彼は今も自身を苛み続けているものの確信に迫った言葉を浴びせられた。

 

「ファーナムよ、ダンジョンで何かあったか?」

 

「!」

 

余りに直球すぎるその問いかけに、即座に返答する事が出来ない。

 

「……心の機微には疎いのではないのか」

 

数秒の間を置いてようやく口から出たものは問いに対する答えではなかった。今さっき、椿自身が言っていた事と正反対の鋭さをもって指摘されたファーナムは、これが精一杯という風に言葉を絞り出す。

 

「心当たりがあるようだな」

 

ファーナムから返ってきた言葉に、椿は口の端を僅かに吊り上げた。予感が的中したが故の笑みを零すと、彼女は再び剣へと目を落とす。

 

まとわりついていた血液は全て落とされ、しかし未だに小さな傷が残る刀身。その表面に映った椿の顔は真剣そのものだ。

 

「なに、簡単な事よ。武器とは担い手の半身であり、その者の心を大いに反映させる」

 

「反映……」

 

「力任せに乱暴な扱いをすれば、剣はすぐ折れてしまうだろう?そういった場合は大抵、振るう者の心に余裕がなかったりするのだ」

 

例えばモンスターに囲まれた時、多くの冒険者はパニックに陥ってがむしゃらに武器を振るうだろう。しかしそれが剣などの刃物であった場合、力任せに扱ってはあっという間に壊してしまう。

 

折れた剣や武器を通して、椿はそういった冒険者の心が見える(・・・)。鍛冶師として武器と向き合い、その威力を自身の腕で確かめている内に、いつの間にか身に付いた能力だった。

 

「お主の性格は大体把握している。武器の扱いに関しても並み以上……いや、下手をすればそこらの鍛冶師よりもよっぽど長けているはずだ」

 

「………」

 

「そんなお主が血も拭わずに剣を鞘へと納め、そのままの状態で放置しとった。察するに、何か大きなものでも抱え込んでおるのではないか?」

 

己の命を預ける武器の手入れを忘れてしまう程の何かを……そう告げてくる椿に対し、ファーナムは口を噤む事しか出来なかった。

 

ダンジョンから帰って来てからずっと抱き続けている、ある思い。

 

それは到底人に語れるものではなく、故にファーナムは葛藤し続けている。己の正体を知るロキやウラノス、あるいはフェルズにでも打ち明ければ楽になるであろう。

 

それでもそうしなかったのは、恐ろしかったからに違いない。口にしたが最後、他ならぬ自分自身がそれ(・・)を肯定してしまいそうだったから。

 

「だんまりでは分からん。手前で良ければ相談に乗るが?」

 

だから、椿にも打ち明ける事は出来ない。

 

この思いは己の内に留め続けなければならない。

 

「……すまない。こればかりは、言えん」

 

「……そうか」

 

無理に詮索する気はないのか、彼女はその後黙々と剣を研ぎ続けた。

 

元の輝きを取り戻した剣を鞘へと納め、ファーナムはそれを腰へと差す。まだ受け取って一週間も経っていないのだが、その姿は様になっている。

 

「すまない、時間を取らせた」

 

「気にするな、手前から言った事だ。それよりも今後はきちんと武器の面倒を見てやれ」

 

「ああ」

 

軽く言葉を交わし、ファーナムは部屋を出て行った。

 

パタリと閉ざされた扉を前に、椿は作業台に腰かけながら、一人口を開く。

 

「ファーナムよ……お主はまだ()が落ち切っておらん」

 

その呟きは宙を彷徨い―――。

 

「そのままでは、折れてしまうぞ」

 

―――届かせる相手もいないまま、静かに虚空へと消えていった。

 

 

 

 

 

その後、ファーナムはオラリオの街中を歩き続けた。

 

時に武具店、時に雑貨店などを見て回り、気が付けばすでに夜になっていた。街中の酒場では冒険者たちが一日の締めくくりとばかりにジョッキを呷り、騒がしい笑い声を響かせている。

 

そんな彼らに混じって酒を飲む事もなく、ファーナムは一人ある場所へと足を運ばせていた。

 

それは篝火である。彼ら不死人が拠り所とするものであり、一つの拠点ともなる場所だ。

 

一般人であればまず近寄らないような荒れ果てた有様だが、そんなものは不死人たちには関係ない。毒の溜まった地の底であろうが、溶鉄溢れる城の中であろうが、凍てつく氷の大地であろうが、篝火さえあれば彼らはつかの間の安息を得られるのだ。

 

「………」

 

無言で篝火の前に座り込んだファーナムは、兜の奥で静かに目を閉じる。

 

そうしているだけで一日の疲れが癒え、身体の底から活力が漲ってくる。ドラングレイグでの殺伐とした日々とは比べ物にならない程に平穏と言えるオラリオでの日常だが、それでもある程度は疲れも溜まってくるものだ。

 

体力が全快したファーナムであったが、その顔色は優れない。身に纏ったどこか暗い雰囲気は散る事なく、未だ憑りついたまま。無理に追い払う事も出来ずに、彼はただその場に座り続ける。

 

「………っ」

 

街灯一つない周囲を照らすのは篝火のみ。暗闇にぽつんと存在するその明かりに照らされた鎧姿は、傍目からでは生きているかすら分からない程に微動だにしない。時折僅かに肩を震わせるものの、それだけだ。

 

「俺は………俺は………」

 

やがてゆるゆると右手を動かし、視界を塞ぐように顔を覆うファーナム。すでに固く閉ざされている瞳にとって無意味なその行為に、やはり意味などありはしない。

 

右手は拳の形を作る。手甲の革部分がギチリと軋み、そこに込められた力の強さを物語っている。

 

「……俺はっ」

 

とうとうファーナムの声は震え出した。地面に座り込むその背は丸くなり、何かを堪えているようにも見える。

 

抱いている思いは疑念に変わり、疑念は彼をある確信へと導こうとする。それを認めてしまえばファーナムはもう戻れない。心が折れてしまった者が、再起不能になるように。

 

「俺は―――どっちだ?」

 

不意に零れ落ちた疑問。

 

当然の事ながら、それに答えてくれる者などはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本拠(ホーム)へと戻る頃にはもう夜の(とばり)が落ち切っており、空には無数の星が輝いていた。メインストリートから離れたこの場所に聞こえてくるのは僅かな喧噪の音色のみで、閑静な雰囲気が漂っている。

 

夜遅い帰宅を果たしたファーナムを迎えたのは門番の団員のみ。僅かな言葉のみを交わして門をくぐり、その先にある庭園を進んで行く。最低限の広さしかないその空間はすぐに反対側へと辿り着き、同時に館の入り口に到着した。

 

寝ている団員もいる事だろう、とファーナムはゆっくりと扉を開く。

 

ほとんど物音を立てずに中へと入り、そのまま自室がある上の階へと通じる階段へと向かおうとして―――その足を止めた。

 

「……?」

 

彼の耳が捉えた僅かな物音。それは大食堂から聞こえてきて、何やらごそごそと物を漁っているような印象を与えてくる。

 

恐らくは誰かが夜食になりそうなものでも探しているのだろうが、万が一という事も無くはない。念の為にも、とファーナムは方向転換し、大食堂へと向かう。

 

半開きになった扉の隙間に身体を滑り込ませ、中の様子を窺う。案の定キッチンの方には小さな明かり―――魔石灯のものだ―――が見え、それが一人分の影を作り出していた。

 

ファーナムは鎧を着込んでいるにも関わらず物音一つ立てずに近付き、物色中の人物を確認する。そして―――。

 

「何をしているんだ」

 

「うひゃあ!?」

 

呆れを含んだ声色でその人物に……否、神物(じんぶつ)へと言葉をかけた。

 

素っ頓狂な声で驚き尻もちをついたのは、やはりと言うべきかロキだった。もはやセットにでもなっているのか、傍らには口の空いた酒瓶とグラスが置いてある。

 

キッチンを物色していたのも、大方酒の肴になりそうなものを探していたのだろう。こんな時間まで酒を飲んでいる主神に、さしものファーナムも呆れを隠し切れない。

 

昨夜の雰囲気などまるで感じさせない、ただの酔っぱらい同然と言った姿のロキは、ようやくファーナムの存在に気が付くと尻もちをついたままの恰好で彼を見上げる。

 

「って、ファーナムかい。もぉ~脅かさんといてやぁ~」

 

「お前が勝手に転んだのだろう」

 

嘆息しつつも手を差し出し、ロキを引き起こす。立ち上がった彼女のもう片方の手には干し肉が数個握られており、どうやらお目当てのものは見つかったらしい。

 

その干し肉を見て、ふとファーナムは酒とコーヒー以外を口にしていなかった事を思い出す。

 

オラリオにやって来てからようやく身に付き始めた空腹感を忘れ、そしてそれに対して今まで気が付きもしなかった事。その事実を容赦なく突き付けられてしまう。

 

―――――所詮は醜い足掻きに過ぎん。人の振りなどしたところで無意味だ。

 

そんな誰か(自分)の声が、頭の中に響き渡る。

 

「………」

 

「ファーナム?どないしたん……」

 

急に黙り込んでしまったファーナムに、ロキは兜に覆われた彼の顔を見上げた。

 

「……っ」

 

そうして、僅かに見開かれる双眸。

 

糸のように切れ長の瞳にある感情の色を宿した女神は、手にしていた干し肉と酒瓶、そしてグラスをキッチン台の上に置き、改めてファーナムに向き合う。

 

「ファーナム」

 

「っ!……ああ、どうした?」

 

彼女の声で我に返ったファーナムは、ここでロキが纏っている雰囲気が先程までと異なっている事に気が付いた。それを裏付けるかのように彼女の表情は真剣そのもので、酔いも完全に醒めている。

 

「……ロキ?」

 

一体どうしたと言うのか。浮かび上がった疑問を言葉にしようとしたが、その直前にロキの方が先に口を開く。

 

「昨日の夜、ウチは言うたな。無理に聞き出そうとは思わん、整理がついたら話してくれって」

 

「!」

 

ロキの口から出た言葉に瞠目するファーナム。

 

何故今、あの時の事が話に上がっているのか。心の中を見透かされているような感覚に陥ってしまう彼に、女神は僅かでも時間を与えようとはしない。

 

「あの言葉は本当や。無理に聞き出すのも悪いし、自分もキツいやろ。話をするんはちゃんと時間を置いてからにしようと思っとったんやけど……」

 

「お、おい。少し待ってくれ」

 

そんなロキに対し、ファーナムは半ば無理矢理に話を中断させた。

 

彼らしくもない。と、この場に他の者がいればそう思うだろう。ダンジョンではどうあれ、普段の彼は大人らしい余裕と落ち着きを持ち、その事は他の団員たちにも広く知られている。

 

その彼が、ロキの言葉を遮ったのだ。まるで何かを誤魔化そうとしているかのように。

 

「急にどうしたんだ?聞き出すだの時間を置いてからだの、何の事やら俺にはさっぱり―――」

 

「嘘や」

 

ぴしゃりと断言するロキの目は揺るがず、ファーナムの逃げ道を塞いでしまう。

 

苦しい言い逃れをしようとした口は閉じ、気まずい沈黙が落ちる。

 

「……ああ、そうだったな。神に嘘は……」

 

「せや、神に嘘は通じん」

 

今もこちらを見上げてくるロキから目を逸らすように、ファーナムは顔を伏せた。それでも彼女から注がれる視線は途切れる事がない。

 

「頼む、ファーナム。話してくれ……でないと自分、きっと潰れてまう」

 

ロキは優しさと同時に、確固たる意志を感じさせる口調でもって語りかける。

 

何があっても逃す気はない。それを理解してしまったファーナムは若干の逡巡の色を見せるも、やがて観念したかのように僅かに肩を落とした。

 

「聞いていて楽しい話ではないぞ」

 

「せやろな。それでも抱え込んどるままよりはずっとマシや」

 

「……ここではなんだ。場所を移そう」

 

「ん。分かったわ」

 

適当な場所とはどこかを考え、書庫だという結論に至る。時刻は深夜、そこを訪れる者も部屋の前を通る者もいないだろうとの考えのもと、二人は足を運ばせる。

 

それまでの間、張り詰めた空気を和ませるようにロキは自身の雰囲気をもとの気さくなものに戻していた。気休めにもならないだろうが、少しでも彼の気を楽にしたいが為に。

 

大して移動に時間がかかるはずもなく、目的地へとやって来た彼らは物音を立てないよう注意を払いながら書庫へと入る。長机を挟み、対面する形で椅子に座ると、ファーナムはゆっくりと話し始めた。

 

未だ彼の胸中に渦巻く様々な感情。気を抜けば叫び出してしまうかもしれない衝動を噛み殺しながら……ゆっくりと、話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来る日も来る日も、殺し、殺し、殺してきた。

 

来る日も来る日も、殺され、殺され、殺されてきた。

 

彼の地、ドラングレイグではそれが日常であった。ごく一部の特別な場所を除いて至る所に敵はおり、一瞬でも気を抜けば即座に“死”がやって来る、そんな場所だった。

 

しかし、慣れというものはどんなものにも存在する。亡者やデーモン、異形の類を殺す度にその手際は洗練されてゆき、次第に弱点も理解していった。

 

その頃には最早、殺す事に躊躇は感じなかった。当たり前だ、敵は理性も知性もない怪物である。そんな者たちを前に何を躊躇する事があるだろうか。

 

『呪いをまとうお方。ソウルを求めなさい』

 

緑衣に身を包んだ竜の子の言葉に従い、ソウルを糧に力を手にした。尋常ではないソウルの持ち主たちも屠り、こちらの世界に侵入してきた闇霊たちも殺した。

 

全て一筋縄ではいかない曲者揃いであったが、最後には常に勝利した。何度殺されようがその度に立ち上がり、殺し返してやった。屈してしまえばソウルを失い、亡者に成り下がってしまうのだから。

 

だから、殺し続けた。

 

殺して殺して、殺し続けた。

 

亡者になどなって堪るものかと、ソウルを求め続けた。

 

武器を振るわぬ日がない日々。血と悲鳴に塗れぬ日がない日々。そんな凄惨極まる世界にあってなお、自分は亡者にはならなかった。

 

だからまだ大丈夫。自分は亡者などではない。

 

―――――そのはずだった。

 

 

 

 

 

「その考えに疑問を抱いたのは、ちょうどあの時だ」

 

薄暗い書庫の中、魔石灯の淡い明かりだけが二人の顔をぼんやりと照らしている。ファーナムは相変わらず兜をしたままで、その奥の表情を窺う事は出来ない。

 

長机の上に両手を無造作に投げ出している彼に対し、ロキは手を組んで話を聞いている―――無造作に投げ出された手と、きちんと組まれた手。それらはまるで、両者の心の内を現しているかのようだ。

 

「24階層で戦った敵……発火装置を身体に括り付けた死兵たち。徒党を組んでこちらを道連れにしようとした彼らに向け、俺は火矢を放った」

 

「………」

 

「火矢は一人の死兵の胸に突き刺さり、爆発した。火炎石に引火したんだ。それが引き金となって周囲の死兵たちも誘爆し、辺り一面が火の海になった」

 

「………」

 

「それでも生き残った者たちはいた。四人だった。俺はその内二人を火矢で殺し、一人は投げナイフで額を穿って殺した。最後の一人はその喉をダガーで切り裂き、殺した」

 

淡々と、ファーナムの口から24階層であった全ての出来事が語られる。

 

自らの手で始末した死兵たちの末路。爆発し、焼かれ、額を穿たれ、喉を切り裂かれて死んでいった者たち。その全てを忘れる事無く、ファーナムの脳は鮮明に記憶していた。

 

当然、その手に伝わった感触も。

 

「敵ではあったが、彼らはれっきとした人間だった。それは間違いないし、疑う余地もない………なあ、ロキよ」

 

「……なんや?」

 

ここで初めて、ファーナムがロキの名を呼んだ。

 

話を開始してから早数十分は経過しており、ようやく一人語りからの流れが変わる。

 

「彼らを手に掛けた時、俺は何を感じたと思う?」

 

「………」

 

しかしそれは、より暗く、より淀む方向へと、だ。

 

「……何も感じなかった(・・・・・・・・)

 

空白となった時を打ち破るファーナムの声。そこには何の感情も込められておらず、聞いた者の背筋に冷たいものが走るような、そんな印象を与える。

 

ロキは動じず、じっと耳を傾けたままの姿勢だ。何も語らない、答えない主神に対してファーナムはフッと笑い、再び言葉を紡ぎ始める。

 

「同じだったんだ、亡者を殺した時と。心は痛まなかったし、動揺する事もなかった」

 

亡者は何も感じない。殺す事にも、殺される事にも。ただソウルを奪う、それだけしか行動原理はない。

 

それと同じ感覚を、ファーナムは感じたのだと言う。相手は亡者ではなく、人間であるにも関わらず。

 

「……この通りだ、ロキ。これが“俺”というものの正体だ。所詮は殺す事しか出来ない、いざ殺すとなればそこに何も感じない……はは、まるで亡者ではないか」

 

……いや、違うか。

 

力無く笑ったファーナムはそこで区切り、更に続ける。

 

「とっくの昔に、俺は亡者になっていたんだ。悍ましい真実から目を背けて、まだ不死人だと、まだ大丈夫だと、自身を偽り続けてきた……」

 

彼の地での殺し、殺され続ける日々。

 

終わりの見えない苦難の旅路は数百年に及び、“彼”という不死人の精神を少しずつ食い荒らしていった。ふと気が付けば、人間であった時の人格など、もはや存在していなかった。

 

日ごとに薄れてゆく自我。“彼”は正気を保つために偽りの人格を作り上げ、それに相応しい言動を心掛けてきた。そうして出来上がった新たな“彼”は、莫大なソウルをその身に宿す程にまでに成長を遂げた。

 

しかし、それに何の意味があると言うのか?

 

元の人格を塗り潰し、偽りの人格で己を書き換える。奪ってきたソウルも、出会った者たちとの関係も、全て新たな“彼”によるものだ。そして現在は“ファーナム”と名を変え、やはり偽りの過去で周囲に溶け込んでいる。

 

傍から見ればごく普通の冒険者。しかしそれは偽りだらけの存在であり、元の“彼”はそこにはいない。それでも亡者ではないと、まだ不死人であると自身に言い聞かせてきたファーナムの考えに、決定的な亀裂が入ってしまった。

 

 

 

―――――(俺たち)を殺しておいて何も感じなかったんだろう?

 

―――――それなのに何故、まだ大丈夫だと思っていたんだ?

 

―――――最早お前は不死人ではない……ただの亡者だ。

 

 

 

誰か(自分)が彼らの姿と声を借りて、ファーナムを責め立てる。

 

脳裏に浮かび上がる彼らは皆一様に焼け、爛れ、燃えていた。人の形を保っていない者も、崩れ落ちた喉を震わせて、彼へと呪いを紡ぎ続けている。

 

その呪いを、ファーナムは受け止めきれない。

 

「亡者である事すら理解していなかったとは、なんと滑稽な……とんだ茶番だ」

 

かき消えてしまうようなファーナムの長い独白は、こうして終わりを告げた。

 

もう彼は元には戻れない。自分自身が、その在り方を否定してしまったのだから。抜け殻のようになってしまったファーナムの鼓膜は、もう誰の言葉にも震える事はないだろう。

 

気付いてしまった不死人は終わり、亡者化が急速に進行する。

 

深淵にも似た深い闇の中へと、ファーナムの意識が落ちてゆく―――――。

 

 

 

 

 

「それはちゃうで、ファーナム」

 

 

 

 

 

その直前。

 

女神の声が降りかかった。

 

「………ロキ?」

 

「なんや、聞こえんかったんか。なら何度でも言うたるわ」

 

ふらふらと顔を上げたファーナムの瞳が映し出したのは、朱色の髪をした女神の姿。よく知っているはずなのに、彼女の名前を口に出すのが妙に遅れてしまった。

 

そんな彼を心配する様子もなく、ロキはいつもの調子で喋り始める。

 

「自分は亡者やない、それはウチが保証したる」

 

「何を……言っている……?」

 

臆する事無く語られたロキの言葉に、ファーナムは信じられないものを見るような目を向けた。

 

今の独白をどう捉えれば、そのような言葉を吐けるのか。この場の空気に流されて適当な事に言っているだけなのではないかと、抱いた疑念を消し去る事が出来ない。

 

「気休めのつもりか」

 

「いいや、大真面目や。自分は亡者なんかやない」

 

「っ、お前に何が分かると言うんだ……!?」

 

突き放すような自身の言葉にも、ロキはその態度を変えようとはしない。ただ真っすぐにこちらを見つめ、亡者ではないと言う。

 

眷属思いの良い神だとファーナムは思った。彼女の言葉には芯があり、無条件に縋りつきたくなる。しかしそれは出来ないのだ。他ならぬ自分自身が、亡者であると認めてしまったのだから。

 

絶望的な事実と救済の言葉。その二つの間を彷徨うファーナムの口調は次第に荒くなり、同時に落ち着きを失っていく。

 

「……自分が歩んできたここまでの記憶。苦しいばっかの数百年なんて、呑気な神々(ウチら)には想像もつかんわ」

 

「はっ、やはりな。所詮は気休めの言葉だったか」

 

「だから、それはちゃうって言うとるやろ、ファーナム。自分は亡者やなくて―――」

 

「黙れッッ!!」

 

とうとう堪らずに、ファーナムは立ち上がった。

 

その衝撃で椅子は倒れ、乾いた音を響かせる。それなりに広い書庫に響くのは彼の叫びのみ。怒りと悲痛がない交ぜとなった感情の奔流が、その口から迸る。

 

「今更哀れみなどいらない、そんなものは無意味だ!いっその事突き放せば良いだろう!それを上辺だけの言葉で慰めて、慈母にでもなったつもりか!?」

 

「………」

 

「俺は亡者だ!人を殺しても心も痛まなかった(けだもの)だ!悍ましく、気色悪く、救いようのない……モンスターだっ!!」

 

モンスター。

 

下界において人類に仇成す最大の脅威にして、最も汚らわしい存在。そんなものと自身とを同等に扱うファーナムを、ロキは悲しげに見つめている。

 

その目を見るのが辛くて、それでも努めて無視する。酷い事を言っても湧き上がる感情は留まる所を知らず、血を吐くような思いで腹の底に溜まったものをぶちまける。

 

「好きで亡者になった訳じゃない!当たり前だろう!?誰がなりたくてそんなものに……!誰がしたくて、あんな事……っ!!」

 

感情を上手く操作出来ていないのだろう。ファーナムは自身の言葉に脈絡がなくなってきている事に気が付いていない。

 

「ああするしかなかった。そうでなければレフィーヤやフィルヴィス、他にも多くの者たちの命が失われてしまったかも知れない……彼らを、全員を救う方法を考える余地などなかった!」

 

彼の叫びが示すのは、24階層での戦闘の一幕。襲いかかってきた死兵たちを、彼は自身の手で殺したのだ。

 

「それでもっ!それでも考えてしまうんだ!もっと他に方法があったのではないかと、殺す以外の選択肢があったのではないかとっ!」

 

過ぎ去った時間は戻らない。奪ってしまった命も戻らない。不可逆という世界の理を前に、ファーナムはこれ以上ない程に打ちのめされた。

 

 

 

「考えずにはいられないんだよっ、ロキ!俺が……この亡者(おれ)がっ、人間(かれら)を殺したのは間違ってたんじゃないかって!!」

 

 

 

息を切らし、ファーナムは遂に言い切った。

 

普段の冷静な姿は見る影もない。取り乱し、癇癪を起こした子供のように叫び散らした彼は、遂に腹の底の奥深くにあったものを吐き出した。

 

常に使っていた硬い口調は崩れ去っていた。それは尋常の精神状態ではないからか、それとも、それこそが本来の彼(・・・・)であったが故なのか。

 

心中を吐露し、全てを曝け出したファーナム。

 

それらを聞き届けたロキはおもむろに立ち上がり、テーブルを押しのけて彼の前へと立つ。手を伸ばし、兜に覆われた彼の顔を両手で挟むように触れ―――――そして。

 

 

 

 

 

「だからこそ、自分は亡者やない」

 

 

 

 

 

そう、力強く断言してのけた。

 

「その葛藤と後悔こそが、亡者と人間(・・)の違いやと。ウチはそう思うで」

 

「……なん、だって……?」

 

兜越しに伝わる確かな熱。

 

それを感じ取ったファーナムは、震える唇を必死に動かしてどうにか言葉を発する。

 

暗闇に迷った者が一筋の光に縋るように、彼は差し伸べられた救いの言葉に聞き入った。

 

「ちょっと前までのオラリオは闇派閥(イヴィルス)が蔓延っててな。そこかしこで子供たち同士が戦っててん。毎日、毎日、混乱と悲鳴が続いてた」

 

「毎日……」

 

「そう、毎日や。フィンたちもその時は戦闘に参加して、闇派閥(イヴィルス)相手にドンパチしたもんや」

 

語られるのはオラリオの暗黒期。秩序と混沌の二大勢力が日々激突し、人々が恐怖に震えていた時代だ。そんな中でフィンたちは騒乱を止めるべく動いていたのだ。

 

「ウチらにその気がなくても、相手は殺す気満々や。捕縛が第一やってんけど、どうしようもない時もあった……皆、殺したくて殺した訳じゃないんよ」

 

「ッ!!」

 

その言葉に、ファーナムの双眸はこれでもかと見開かれる。

 

ロキの言わんとしている事を理解した彼の視界が、ゆっくりと歪んでいった。

 

「ファーナム……辛いやろうけど、受け止めるんや。亡者になったなんて言うて逃げたらあかん。自分がそいつらの事を覚えてい続けるんや。皆そうしてきた」

 

「………っ、ぁ……!」

 

「そして思い出しぃ。自分は殺しただけやない、レフィーヤたちの命を救ったんやって」

 

「ぁ……ぁあぁ……っ!!」

 

双眸から溢れる感情に歯止めは聞かず、嗚咽が漏れる。両足は震え、立っている事すらままならなくなってしまう。ずるずると崩れ落ち、両膝をついてロキの前に跪く。

 

魔石灯が二人の姿を淡く照らし出す。その光景はまるで、聖堂に飾られている絵画のようだ。甲冑姿の騎士が神前で懺悔している、そんな一幕を切り取ったかのような。

 

「……彼らの顔が、声が、頭から離れないんだ。何をしていても、どこにいても……最期の瞬間が、頭の中に……!」

 

「うん」

 

「人の名を口にしていた。あれはきっと、親しい者の名だ……彼らにも、愛する者がいたんだ……!」

 

「うん」

 

「……オリヴァスと言う怪人(クリーチャー)を、俺は惨たらしく殺した……これ以上ない位に、残酷に。それでも俺は……お、俺は……っ!」

 

床を縋る両手が震える。

 

背を丸め、芋虫のように縮こまったファーナムを、ロキはそっと包み込む。その場にしゃがみこみ両腕をいっぱいに広げ、安心させるように優しくその背を撫でた。

 

そして、こう言うのだ。

 

「大丈夫……自分はきちんと人間(・・)や」

 

その葛藤こそが人間たる証であると、その後悔こそが人間たる証なのだと、ロキは断言する。何故なら誰かの為に怒る事も、誰かの死を悼む事も、亡者には出来ない事なのだから。

 

嗚咽を滲ませ、小さく身体を震わせ続けるファーナムに、ロキは無言で寄り添い続けた。その震えが止まるまで、ずっと。

 

やがて夜が明け、人々が新たな一日を歩み始める頃……ファーナムもまた立ち上がり、再び前を向くのであった。

 

 




ようやく書けました。

やっぱりこういうのは描写が難しいですね。思った以上の文字数になってしまいました。

外伝の最新刊も怒涛の展開でしたので、この熱を原動力にして最後まで書き続けたいと思います。よろしくお願いします。

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