不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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第二十八話 忍び寄るは四つの鉄靴

黒焦げの焼死体となった死兵たちの身体に取り付いた火の粉が、ぱちぱちと小さな音を立てている。漂ってくる匂いは抗い難い吐き気を誘うも、生死がかかった状況を前にした冒険者たちは努めてそれを無視してきた。

 

しかし、今だけは違った。そんなものは意識の外だった。

 

彼らの視線は一点に集中している。肩回りを覆う白い毛皮が特徴的な、緑を基調とした布地を取り付けた鎧。それを纏う大柄な冒険者の背中に。

 

残虐極まる方法でオリヴァスを処刑(・・)したファーナムへと注がれる感情は様々だった。戸惑い、怯えといったものもあるが、中でも一番多かったのは“嫌悪”かも知れない。

 

人であるならば誰しもがモンスターに抱く感情……嫌悪感。長い殺戮と闘争の歴史の中で人々の内に強く根付いた圧倒的な忌避感は、モンスターを見極める上での、ある種の探知機(センサー)のような役割にすらなっている。

 

オリヴァスが自分の正体を嬉々として語った時が良い例である。

 

彼がもう人の領域にいない、異形の存在であると理解した瞬間、レフィーヤは吐き気を伴う嫌悪感を抱いた。例え人の形をしていようとも、そうであると分かってしまった以上、人間はその嫌悪感を拭い去る事は出来ないのだ。

 

だからこそ、彼らは戸惑っていた。

 

ファーナムが人の形をした化け物(なにか)……そんな突拍子もない想像が、頭の中にこびり付いて離れない事に。

 

自分たちを身を挺してまで救ってくれた男が見せつけた、オリヴァスに対するあまりにも残酷で恐ろしい行いは、それ程に彼らの心に深い衝撃を与えていた。

 

 

 

 

 

既に事切れたオリヴァスの死体を、ファーナムは感情の読み取れない瞳で眺めていた。

 

腹部に突き刺さったチャリオットランスは根本まで達しており、彼の胴を半ばまで千切りかけている。血塗れになった顔は恐怖に凍り付き、その壮絶な最期がどれほどの苦痛を伴ったのかを物語っていた。

 

「………」

 

ファーナムは思い返す。自分のした一連の凶行を。

 

切っ掛けとなったのはオリヴァスの言葉だった。他者の命を軽んじる彼の言葉は許し難く、故にファーナムは動いた。激高するフィルヴィスの姿を目撃したもの原因の一つだろうが、確かに彼が抱いた怒りは本物だったのだ。

 

しかし、今になってこんな思いが芽生えてきた。ここまでする必要が、果たしてあったのだろうか、と。

 

実のところ、ファーナムは一連の凶行の際の記憶が曖昧であった。身の毛もよだつような所業も、嫌に饒舌だった言葉の数々も、どれもいまいち自分の行いとしての実感がなかった。

 

怒りに我を忘れていた、という奴なのかも知れない。だが不死人となって久しい自分が、これほど容易く感情に流される事があるのだろうか。それともオラリオでの数々の出会いを経て人間らしさを取り戻した、という事なのだろうか。

 

恐らく違う、とファーナムは自問自答する。

 

これはきっと、もっと根源的な……不死人となる以前の、人間だった頃の名残だ。

 

他者の命を軽視し、身勝手な理由で他者を傷つける。そんな行いを許す事が出来ない。ファーナムという不死人は、元はきっとそういう人間だったのだろう。そしてオリヴァスの言葉にその感情が昂り、暴走し、今回の凶行に繋がったのだ。

 

「………」

 

だとしても、である。

 

ファーナムが見せつけた行為は、確実に他の者たちの心にも残り続ける事だろう。それ程までに常軌を逸していたのだ。

 

いくら極悪人であるからといって、あれ程までに残虐な方法で命を奪ったファーナム。狂人、異常者、あるいは化け物と罵られても無理もない行いだという事は、流石に理解できる。

 

これまでのような関係を取り戻す事は不可能かもしれない。そう覚悟を決めつつ、ファーナムがレフィーヤたちのいる後方を振り返ろうとした……その時である。

 

 

 

ドゴッ!!という破壊音が上がり、大空間の一角が突如として爆散した。

 

 

 

「ッ!?」

 

同時に一つの影がファーナムのいる方へと飛んでくる。

 

それは地面に叩きつけられ、ガガガガガッ!と地面を削りながら勢いを失速させてゆく。ようやく静止したのは10M程の距離が空いた場所だ

 

全員の意識がそこへと注がれる。

 

土煙の中から最初に現れたのは血のように真っ赤な髪の毛。身体は成人した女のもので、全身の至る所に裂傷による出血の跡が見て取れた。

 

「ぐっ……!?」

 

呻きを漏らす女は手の中にある刃の折れた大剣を放り投げ、忌々しい目で壁に空いた大穴を睨む。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

その視線の先にあるのは金髪金眼の少女の姿。彼女もまたその身体に傷を多く刻んでおり、盛大に肩で息をしてはいるものの、その目に宿った戦意は欠片も衰えていない。

 

この場所へとやって来たアスフィたちと最初の段階で分断され、行方が分からなくなっていた少女―――アイズの姿が、そこにはあった。

 

「アイズさん!?」

 

レフィーヤから驚いたような声が上がり、アイズもそれに反応する。どうしてこの場に彼女の姿があるのか戸惑っていた様子だったが、すぐにベートとファーナムにも気が付き自分の捜索に来たのだと察した。

 

状況を瞬時に理解したアイズはすぐに意識を切り替えて眼下の赤髪の女、レヴィスの元へと向かっていった。立っていた場所から躊躇いなく跳躍し、愛剣《デスペレート》の切っ先を振りかざす。

 

レヴィスもみすみすやられる訳ではない。Lv.6へと昇華したアイズの身体能力に今まで苦しめられたとはいえ、これ程距離の空いた場所からの攻撃に対処できない事はない。

 

振るわれた剣が己を穿つよりも先に、後ろ向きに跳んで攻撃を回避。直後に必殺の刺突が地面を抉るも、すでにその場にレヴィスはいない。更に後退して体勢を整えようとした彼女であったが―――――。

 

「させん!」

 

「な―――――ッ!?」

 

気付けば肉薄していたファーナムの姿に、オリヴァスと同じ黄緑の瞳が見開かれる。アイズのみを敵と見なしていた彼女の盲目が、甲冑の騎士の接近を許してしまったのだ。

 

腰に差していた椿の直剣。それを抜き去ると同時に駆け出したファーナムは、アイズと挟撃する形でレヴィスへと剣を振り下ろした。

 

「ぐうっ!?」

 

間一髪、振り下ろされた剣の直撃を回避する。しかし無理な体勢からの完全に避けきるのは無理だったようで、交差する瞬間に切り裂かれた肩口からは血が吹き上がっていた。

 

それでも跳躍の勢いを衰えさせず、レヴィスはファーナムの隣をすり抜ける形で逃走に成功する。その最中(さなか)に変わり果てたオリヴァスの死体を目にして僅かに瞠目するも、次の瞬間にはその死体へと向かって進路を急変更させた。

 

一体何のつもりなのか。敵と思しき男の死体にぎょっとした顔を見せたアイズであったが、彼女が取ったその不可解な行動に対する疑問は、直後に氷解する事となる。

 

壁に磔にされていたオリヴァスの死体。レヴィスはその首を片手で鷲掴みにすると、力任せのまま強引に引き剥がしたのだ。

 

千切れかかっていた腰はその衝撃で完全に破壊され、上半身と下半身は無残にも泣き別れとなってしまった。残された下半身はその場で膝を折り、臓腑を晒しながら地面に倒れ込む。

 

何故わざわざそんな真似を、と固まる冒険者たち。彼らの疑問と警戒もどこ吹く風という様子のレヴィスは離れた場所までやってくると、そこで初めてまともにオリヴァスの死体へと目をやった。

 

恐怖に引き攣った血塗れの顔。ファーナムによって両腕を奪われ、仲間であったはずの者の手により死体さえも激しく損壊させられた哀れな男に、レヴィスは淡々とした言葉を贈る。

 

「あれだけ豪語しておいてこのザマか、無能め」

 

冷酷さを隠しもしない声色。

 

そして彼女は物言わぬ肉塊となったオリヴァスの胸部目掛け、鋭い手刀を突き出した。

 

「!?」

 

突然のこの行動の意味が分からず唖然とするルルネたち。彼女たちの動揺をそのままに、レヴィスは死体の胸に埋めていた手を勢いよく引き抜く。

 

血が纏わりついた手には何かが握られていた。それは怪しい輝きを放つ、掌に収まる程の大きさの結晶体。芋虫型、食人花にも共通して見られた、極彩色の魔石だった。

 

ドクンッ、と。全員の胸に嫌な予感が去来する。

 

魔石が内包されていた事から、オリヴァスがモンスターと同等の存在である事は確定した。証拠に魔石を失った身体はモンスターと同じく瞬く間に灰へと還り、レヴィスの足元に小さな山を形成している。

 

しかし問題はそこではない。わざわざ魔石を引き抜いた理由である。

 

その答えに本当は誰もが行き着いていた。しかし口に出せずにいる中、渦中のレヴィスはまるで見せつけるように手の中にある極彩色の魔石を口元へと近付け―――――そして、それを飲み込んだ(・・・・・)

 

言葉を失うアスフィ、ルルネ、そして【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たち。アイズたちもその姿に顔を険しくし、湧き上がる嫌悪感とそれ以上の危機感に感覚を鋭く尖らせる。唯一心を乱されなかったのは、すでに仮面の人物と邂逅した時にこれと似た光景を見ていたファーナムだけだ。

 

魔石を吸収した影響か、レヴィスの身体に刻まれていた傷が次々に修復されてゆく。アイズによってつけられた裂傷は瞬く間に完治し、ファーナムが切り裂いた肩の傷も目に見えて塞がってゆく。

 

「せめて血肉(たし)となって、『アリア』奪取の礎になれ」

 

ぐぐ……、とレヴィスは身体に漲る力を確認するように拳を握り、アイズへと意識を向ける。そしてその隣に立つ男、かつてリヴィラの街の一件で彼女に重い一撃を与えたファーナムに対しても。

 

「……あの時の礼がまだだったな」

 

「………っ!」

 

危うさを増した黄緑の瞳がファーナムを射抜く。

 

魔石を取り込み、己の力を高めるというモンスターの理。【ステイタス】に頼らない、モンスターのみに許されたランクアップの方法。

 

そんな弱肉強食の業を見せつけられた一同に―――『強化種』の怪人(クリーチャー)が襲い掛かった。

 

 

 

 

 

レヴィスの身体が地面すれすれのところを滑空して迫り来る。彼女はファーナムとぶつかる直前、緑肉に覆われた地面に腕を突き刺し、そこから血のように赤い歪な大剣を掴み取った。

 

予想外の方法で武器を補充した事に驚きを見せるも、ファーナムは左手に盾を出現させる。これまでいくつもの戦場を共にしてきた愛着のある盾の一つ、王国のカイトシールドである。

 

それを構えた瞬間、重く激しい衝撃が発生した。振るわれた大剣と盾との間で猛烈な火花が弾け、グンッ!とファーナムの身体が後ろへ押される。

 

「ぬぅ……!?」

 

以前に戦った時よりも明らかに力が増している。その原因がオリヴァスの魔石を取り込んだ事による『強化』であると分かっていてもなお、出鱈目なまでの力の向上ぶりは目を疑う程であった。

 

冷や汗を流すファーナムに対し、レヴィスは涼しい顔のまま拳を振るう。盾へと吸い込まれた剛拳の威力は凄まじく、これによって防御の体勢が崩されてしまう。

 

盾を構えていた左腕が弾かれ、胴を晒す格好となったファーナム。

 

すかさず迫って来るのは赤い大剣の切っ先だ。ろくな切れ味など全くなさそうな刃ではあるが、先端は鋭く尖っている。彼女の膂力と合わされば、鎧を着込んだ相手であろうと貫くのは容易であろう。

 

「死ね」

 

レヴィスの無感動な声が投げかけられる。その呟きは大剣に乗り、鋭い切っ先がファーナムの胸を貫かんと吸い込まれる―――――

 

「ッ!!」

 

―――その直前。

 

風を纏ったアイズにも迫る速度で剣を振るい、凶刃の一突きを切り払った。

 

目を見張るレヴィス。彼女の攻撃を渾身の力で退けたファーナムは背中から倒れ込むようにして戦線を離脱、彼と入れ替わりにアイズが跳躍して姿を現した。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 

大きく力を増した相手にアイズも魔法の使用を余儀なくされる。『風』を纏わせた剣は気流を発生させつつ、紅の大剣と真っ向から鍔迫り合った。

 

金髪金眼の少女の本気を前にしてもレヴィスの冷静さは揺るがなかった。魔法を使っているというのに互角、あるいはそれ以上の力でアイズを押し返している。

 

「くっ……!?」

 

「順番が狂ったが、まぁいい。やはりお前が先だ」

 

そう言ったレヴィスはあっさりと対象を変え、目の前にいるアイズへと集中させる。

 

背中から倒れ込んだファーナムは地面を転がりながらも受け身を取り、素早く体勢を整え直していた。後方にいたベートもこの戦闘からアイズ一人でレヴィスを相手取るのは困難と判断したのか、今にもこちらへ駆け付けようとしている。

 

上級冒険者が三人がかりであればこの劣勢も覆せる。それは確かな事実ではあったのだが、やはりそう簡単にはいかなかった。

 

巨大花(ヴィスクム)!」

 

女の命令の声が飛ぶ。直後、大支柱に取り付いていた超大型のモンスターが動きを見せる。

 

残り二体となった内の一体が、べりべりと身体を大支柱から引き剥がしているのだ。轟音と腐臭をまき散らしながら迫り来る巨体は、その全身を使ってベートたちを叩き潰そうとしていた。

 

凍り付いたのはルルネたちだった。つい先程オリヴァスが呼んだものの再来、ファーナムに向けられた超重量を誇る巨大な塊が、今度は自分たちに牙を剥いたのだ。

 

「仲間が死ぬぞ」

 

「っ!」

 

巨大花のいる方を振り向いたファーナムに投げられたレヴィスの声。アイズとの戦闘に余計な邪魔が入らない様に心を乱しにかかる怪人の思惑通り、兜の下の表情は焦りに歪んだ。

 

アイズを放っておく訳にはいかない。されど巨大花の攻撃にはもう時間の猶予がない。ベートがいるといっても、あれほどの巨体は個人の力だけでどうにか出来るものではないのだ。

 

二択を突き付けられたファーナムは僅かに逡巡したものの、その迷いはほんの一瞬に過ぎなかった。

 

「すまない、アイズ!」

 

「大丈夫です、行って下さい!」

 

短い謝罪を述べ、アイズとは正反対の方向へと走り出す。

 

直剣を再び鞘へと納めつつ、同時に盾をソウルへと溶かした彼は大きく声を張り上げた。

 

「ベートッ、俺の方へ飛ばせ(・・・)!」

 

「!?」

 

飛んできた声に目を見開いたベート。それは他の者たちも同じであった。

 

これ程の巨体をこちらへ寄越せという指示は自殺行為とも取れる。しかしそれを口にしたのは他ならぬファーナムであり、事実彼は一匹仕留めている。

 

何を考えているのかは分からないが、何か考えがあるに違いない。そう踏んだベートは助走をつけて大きく跳躍し、迫り来る巨体へ向けて強烈な蹴りを叩き込んだ。

 

「クソ!どうなっても知らねぇ、ぞっ!!」

 

蹴りが直撃した部分の肉が抉れ、陥没する。これによって軌道を変えられた巨体はベートたちから狙いが逸れ、接近するファーナムの頭上へと落ちてゆく。

 

先程の焼き直しのような光景だが、今度はその巨体の横っ腹が迫って来ている。逃げ口となる大口はなく、このままでは無残に肉塊となるのがオチだ。

 

恐怖すら抱く圧倒的な物量を前にしたファーナムは、しかし動じる事はない。

 

彼は疾走したまま無手の両手を束ね、まるで何かを持っているかのように大きく振りかぶる。次の瞬間その手の内でソウルが収束してゆき、一つの巨大な剣を形作った。

 

まるで溶けた鉄を歪な鋳型に流し込んだような造形で、洗練という言葉からは遠くかけ離れ、それ故に荒々しい力強さを感じさせる。

 

それはかつて王の双腕として名を馳せた黒い騎士の得物であり、『黒霧の塔』で対峙し、その果てに倒したかの騎士のソウルから錬成された代物である。

 

名を『煙の特大剣』。

 

反逆者と呼ばれ、追放された先で見出した己を奮い立たせる母性。それを宿した闇の子ナドラと共にあり続けた男……煙の騎士レイムが振るった特大の得物が、ファーナムの手中に現れた。

 

「おぉ―――」

 

ザリッ!と地面を削って急停止したファーナムの身体。十分に振りかぶられた特大の鉄塊は、眼前へと迫った巨体へと照準を定めている。

 

そして。

 

 

 

「―――ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

 

 

迸る咆哮もそのままに、大上段からの斬撃が繰り出された。

 

逃げ口がなければ切り開けば良いとばかりに、煙の特大剣は巨大花の巨体を一刀両断する。見上げる程の長大な体躯に太い亀裂が走り、そこから大量の体液が噴出した。

 

『ギッ――――――――――ァァアッッ!?』

 

魔石が埋まっている頭部を直撃していないにも関わらず、ファーナムの放った一撃は明らかに致命傷だった。

 

断裂した悲鳴と共に二つに分かたれた巨体はもがき苦しむ素振りを見せたが、それも長くは続かなかった。ビクリと痙攣した巨大花の身体はそれを最後に動かなくなり、ズウゥンン……と盛大な粉塵を舞い上げる。

 

アイズのような『風』を付与する事もなく、単純な膂力のみで巨大花の巨体を両断してのけたファーナム。

 

彼は斬撃によって強引に切り開いた()の真ん中に立っており、煙の特大剣を振り抜いた格好で立っている。余りにも常識離れした光景に、【ヘルメス・ファミリア】の誰もが固まってしまっていた。

 

「ちっ、やはり巨大花(ヴィスクム)一匹だけでは無理か」

 

が、これを目撃したレヴィスは舌打ちするのみであった。

 

彼女はアイズと打ち合う最中にも彼の動きを気にしていた。他の冒険者たちとはどこか違うように感じられるファーナムを警戒していたという事もあり、巨大花が一撃で倒されてもさほど動揺はしていない。

 

「……仕方がない」

 

「っ!?」

 

そう呟くと同時にレヴィスは一際重い一撃を放つ。これをどうにか剣で防いだアイズであったが、勢いまでは殺しきれずに大きく後方へと弾き飛ばされてしまった。

 

「アイズさん!?」

 

「アイズッ!!」

 

レフィーヤとベートの声が重なる。

 

少女の小さな体は地面で一度バウンドし、もう一度宙へと投げ出される。『風』を展開していた為ダメージは少ないものの、突如のこの行動に不可解だという思いが沸き上がってきた。

 

今の今まで執着していたのが嘘のように、自分からアイズとの距離を取った理由。それはあるもの(・・・・)の存在にあった。

 

巨大花が取り付いていた大支柱。その根元に寄生していた、(おんな)の胎児を内包した緑の球体。リヴィラの街の一件で目撃された『宝玉』である。

 

未だ貪欲に養分を吸収し続けていたそれを鷲掴みにし、強引に引き剥がす。悲鳴にも似た奇声を上げる『宝玉』を無視し、彼女はそれをアイズが空けた大穴へ向かって放り投げた。

 

何を、と全員の視線が集中する。一直線の軌跡を描く『宝玉』は吸い込まれるようにして飛んで行き―――――漆黒色の手によって受け止められた。

 

「あいつは……!」

 

ファーナムの呟きが漏れ、次いでベートが苛立たしげに顔を歪めた。

 

『宝玉』を掴んだ者。それは紛れもなく25階層で遭遇し、この場所に来る際に取り逃がしてしまった仮面の人物であった。幾何学模様が入った仮面は特徴的で、どうしたって見間違いようがない。

 

仮面の人物は一切の感情が窺えない視線を一同へと向けている。じっとりとした嫌な視線が突き刺さるのを肌で感じつつも、ファーナムもまた負けじと睨み返す。

 

「完全ではないが、十分に育った。エニュオへ持っていけ!」

 

『……アア、分カッタ』

 

そんな睨み合いもレヴィスの声によって終わりを迎えた。仮面の人物は踵を返すと、即座にその身を眩ませる。『エニュオ』なる人物の元へと『宝玉』を持っていく気なのだろう。

 

「させるかよ!」

 

そうはさせじとベートが猛り、俊足をもって大穴へと向かって疾走する。アイズも一拍遅れて追いかけようとするも、やはりレヴィスによる邪魔が入った。

 

何らかの命令を下したのか、天井と壁面を埋め尽くしていた蕾が一斉に開花。産声を上げた大小様々な食人花が生まれ落ち、二人の行く先を塞いでしまったのだ。

 

「!? ちぃっ!」

 

頭上より降りかかる大量の食人花の(あぎと)。ベートはそれを回避しながら蹴りを叩き込み、アイズは『風』を纏わせた剣で一気に切り払う。

 

しかし数が尋常ではない。この大空間に控えさせていた全ての食人花が一斉に動き出したのか、その脅威は離れた場所にいるファーナムたちにも迫っていた。

 

「お、おい!これは流石にヤバいんじゃないのか!?」

 

「見れば分かるでしょう!ヤバいどころじゃありません!!」

 

全員の気持ちを代弁するルルネにアスフィが逼迫した声で答える。

 

彼女の仲間である獣人やドワーフは近接武器で手近な個体を撃退しているが、その数に対して人手が不足している。今はまだ拮抗を保っているが、このまま増え続ければ数の暴力によって蹂躙されてしまう事だろう。

 

(不味い―――――!)

 

ファーナムは全ての元凶を睨む。

 

ずぞぞぞぞ……と悍ましい音と共に養分を吸い上げる巨大花。それと食人花たちの一斉開花は連動している事は明白で、あれをどうにかしない事には事態は好転しない。

 

煙の特大剣を傍らに突き刺したファーナムは、巨大な弓を取り出した。手持ちの大弓の中では最も飛距離の出るそれは動物の骨を組み合わせた精緻な作りをしており、ラル・カナルで生まれたと言われている。

 

敵を威嚇する目的もあるこの武器『双頭の大弓』に破壊の大矢を番え、力の限りに引き絞る。狙いは巨大花の頭部であり、魔石を内包した部分を射抜くべくその目を(すが)めたが……。

 

『アアァァァアアアアアアッ!』

 

「!」

 

数匹の食人花が、地面を蛇行して押し寄せてくる。弓を弾き絞った無防備な状態を晒す今のファーナムは格好の的であり、その隙を突いて襲ってきたのだ。

 

心の中で舌打ちした彼はやむなく構えを解き、傍らにある煙の特大剣を取ろうとしたが、そこに小さな影がやって来た。

 

「【盾となれ、破邪の聖杯(さかずき)】!」

 

食人花とファーナムの間に身体を滑り込ませ、彼を守るように左手を前へと突き出す。並行詠唱によって既に完成されていた魔法を解放した彼女は―――フィルヴィスは、白く輝く円形の障壁を展開させた。

 

「【ディオ・グレイル】!」

 

直後、食人花たちが障壁に激突する。眩い閃光を発する盾に守られたファーナムが瞠目していると、フィルヴィスは肩越しに彼を見て、そして叫んだ。

 

「私が抑えている、早くやれ!」

 

「……ああ!」

 

己の危機に駆け付けてくれた彼女の意志を受け取ったファーナムは、巨大花へと意識を集中させた。

 

これでもかと引き絞られた弦が悲鳴を上げたと同時に眦を裂き、そして勢いよく破壊の大矢を放つ。円形の衝撃はすら発生させた射撃は一直線に飛んで行き、狙い通りに巨大花の頭部を大きく穿った。

 

『ギイァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

着弾と同時に弾けた頭部の激痛に、割鐘の絶叫が轟いた。しかし巨大花は死んではいない、食人花とは比べ物にならないほど分厚い表皮が、魔石の破壊を妨げたのだ。

 

体液を噴出させる巨大花は取り付いていた大支柱から身体を引き剥がし、痛みに任せて地面へと落下しようとしている。養分の吸収を断たせ、これ以上の食人花の増加は防げたものの事態は深刻だ。乱戦状態となった状態では全員が避難するのは不可能に近い。必ず誰かが犠牲になってしまう。

 

恐れていた最悪の展開。その事実にフィルヴィスとレフィーヤが目を見開き、アスフィとルルネたちが絶句する―――――。

 

 

 

「アイズッ、やれ!!」

 

 

 

―――――が、まだ希望は残されていた。

 

フィルヴィスが引きつけていた食人花の掃討に移行しつつ、ファーナムが鋭い声を飛ばす。

 

それに応えたのは剣の閃きだった。刀身に展開していた『風』を全身に纏わせたアイズは、砲弾の勢いで落下しようとする巨大花の頭部へと迫る。

 

「くそ、行かせ……!」

 

「行かせるかァ!!」

 

「ぐっ!?」

 

やらせまいと動いたレヴィスであったが、これをベートが阻止。自慢の足刀で怪人の足止めをする。もはや彼女の歩みを妨げるものは皆無であった。

 

空中ですれ違いざまに複数の食人花を切り裂き、剣の切っ先を定める。狙いはファーナムが穿った頭部の傷であり、肉に埋まっていた魔石が僅かに顔を覗かせている。

 

「ふっ!!」

 

露出した急所を見定めたアイズは唇を固く引き結び、渾身の一突きを繰り出す。それは寸分違わず魔石を直撃し、破壊した。

 

「……うおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

大きく震えた巨大花の身体。直後にその全身は分解し、大量の灰が冒険者たちの頭上に降り注ぐ。灰に塗れたものの圧死を免れた彼らから歓喜の声が上がり、一気に士気が回復していった。

 

「この機を逃さずに反撃を!【千の妖精(サウザンド・エルフ)】、広域魔法をブッ放して下さい!!」

 

「は、はい!」

 

知らず口調が荒くなったアスフィの指示に従い、レフィーヤは詠唱に移った。魔力の波動を漂わせる彼女目掛けて多くの食人花たちが寄ってくるが、それをルルネたちが身を挺して守る。

 

そんな彼らの輪に加わるべく、食人花たちを始末し終えたファーナムはフィルヴィスと共に戦場を疾走する。

 

互いに互いの身を守り合いながら戦う彼らの姿は、まさに誇り高き戦士のようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り広げられる激しい戦闘の余波は()()()も感じ取っていた。しかし、それによって心を揺さぶられる事などは絶対にありはしない。

 

それらに意志はない。

 

かつてあった気高き誇りも、王への忠誠も、今や煤けた鎧を残すのみである。

 

それらに意思はない。

 

劫火(ごうか)によって歪められた鎧に相応しい、冷酷な刃を振りかざすだけの存在と成り果てた。

 

それらに意味はない。

 

幾千、幾万の時が流れようとも、灰は今この瞬間も世界を彷徨い続けるのだ。

 

そして四つの鉄靴は最も原始的な欲求を満たす為に、異形と化した通路をゆく。

 

ただ一つ―――――強大なソウルの気配を目指して。

 

 


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