やりすぎたか……?
『縛られたハンドアクス』。不死刑場で見つかったこの斧は元の性能を著しく低下させた代わりに、巻き付けられた鎖とトゲは出血の効果を持ち、相手に苦痛を強いる。
『トゲ棍棒』もその見た目に違わず、殴り付けた対象を血だるまにする。流罪の執行者のソウルより生み出されたこの武器は、元となった者の残虐性をそのまま受け継いでいた。
この二つの武器を手に、ファーナムは歩み出す。
兜の奥より冷たい視線を浴びせる先にいるのは、ようやく吐血が治まりかけている白髪の
「オリヴァス、と言ったか……楽に死ねると思うなよ」
抑揚のない平坦な声。しかしそこに込められた殺意は並々ならぬものであり、宣告がハッタリではない事を証明していた。
普段の物静かなイメージからは想像もつかないファーナムの姿に、レフィーヤは半ば呆然としながらベートに問いを投げ掛ける。
「ベートさん。ファーナムさんは、一体何が……?」
「知るかよ、ンな事」
そんな彼女の問いを一蹴するベート。
しかし彼はフンと鼻を鳴らすと、仏頂面のままこう続けた。
「だが……ありゃあ、
何かを確信しているベートの言葉に、レフィーヤはごくりと生唾を飲み込んだ。ようやく冷静さを取り戻したフィルヴィスも、有無を言わせぬ雰囲気を醸し出すファーナムの後ろ姿を見送っている。
「………」
フィルヴィスは思う。
本当は自分も駆け出したかった。仲間の命を奪っていった事件の元凶が目の前にいるこの場で、溢れ出る感情の言いなりとなって自ら引導を渡してやりたかった。
彼我の実力差は重々承知している。自殺行為だと止められようが、刺し違えてでもあの男を自分の手で殺してやりたかった。それ程に怒り狂っていたのだ。
それでも彼女がこうして落ち着きを取り戻せたのは、
集団でこちらへと向かってきた死兵たち。彼らを単身で撃破し、最後の一人の喉元を切り裂いたファーナム。フィルヴィス自身も含めて多くの者の命を救った、甲冑に身を包んだ男。
そんな彼に見た、
その彼がこれほどまでに激怒している。今日初めて出会ったはずのオリヴァスに、もしかすると自分以上の怒りの感情を向けている。余りに急激な変貌ぶりは、真っ赤に染まった彼女の思考に冷や水を浴びせかけた。
「……ファーナム」
我知らず、冷静さを取り戻したフィルヴィスは彼の名を口にしていた。
自分では成し得ない復讐を託しての事か。それとも、どこか危うさを感じさせる彼の身を案じてか。あるいはその両方か。
呟いた名に込められた意味は、彼女自身にも分からなかった。
「はぁ、はっ……楽に死ねると思うな、だと……?」
刃を突き立てられた脇腹と毒に侵された内臓。それらを驚異的な回復力をもって修復してゆくオリヴァスは、こちらへと近付いてくるファーナムをこれでもかと睨みつけた。
(ふざけるな、それはこちらの台詞だ!)
目の前にいる男はあの
それでもなお、オリヴァスの怒りは静まらない。一度ならず二度までもこの身体に血を流させた男を、今度こそ『彼女』から貰い受けたこの力でねじ伏せてやろうと密かに意気込む。
幸いまだ傷の回復具合は気付かれていないようだ。このまま何も知らずに近付いてきた所を不意打ちし、一瞬の内にケリを付けてくれる。長い白髪に隠れた顔に暗い笑みを張り付け、静かにその時を待つ。
(そうだ、来い。その時が貴様の最期だ……!)
そして、ファーナムはオリヴァスの目の前までやって来た。両者の距離はもう1Mもない。あと一歩前へと近付けば、こちらの攻撃が届く範囲に入る。
オリヴァスは上手く事が運んでいく様子にほくそ笑む。彼の胸中を知る由もないファーナムは、何の躊躇いもなくその足を進ませた。
(馬鹿め!!)
踏み込んだ足が緑肉で覆われた地面に着いた、その瞬間。蹲っていた姿勢からガバッ!と起き上がったオリヴァスは、握り固めた拳を振りかざす。
常人の反射神経を凌駕した動きを感知出来たのはLv.5のベートと、優れた魔法剣士のフィルヴィスのみ。一拍遅れたレフィーヤが勘付いた時には、その拳は既にファーナムの眼前へと迫っていた。
「ファーナムさ……!?」
一瞬の出来事に彼女は杖を握りしめたまま、せめて注意の声を届けようとする―――が、それは杞憂に終わる事となった。
ブンッ、という重たい風切り音と共にファーナムの右腕が
レフィーヤの目が辛うじてその残像を捉えた時には……オリヴァスの拳は、振るった腕ごと無残にひしゃげていた。
「なぁ……!?」
驚愕の声を漏らしたのは他でもないオリヴァス自身である。彼は破壊された己の腕を信じられないように見つめ、黄緑の双眸をあらん限りに見開く。
真正面から打ち抜かれたのであろう。拳は原型を留めておらず、全ての指はあらぬ方向を向いている。前腕部も折れた骨が肉を突き破り、思い出したかのように今更になって血が噴き出した。
「よそ見とは余裕だな」
呆けていたオリヴァスに冷たい声を投げかけた時には、ファーナムは既に得物を振り上げ終わっていた。
頭上に構えるのは今しがた振るった縛られたハンドアクスではなく、もう一方の武器であるトゲ棍棒。鈍器から生える無数のトゲは怪物の牙の如く、真っ赤な血を求めて舌なめずりをしている。
「っ―――――!!」
オリヴァスは身を翻して後ろへと逃れようとした。が、振り下ろされたトゲ棍棒が僅かにその身体を捕らえ、背中の一部分を抉り取る。
「づぁ!?」
千切れ飛ぶ肉片。それは血液を滴らせながら落下してゆき、べちゃりと地面に同化した。
己の肉体の一部が抉られた瞬間に這い上がってきたぞわりとした感覚は一瞬で痛みへと変わり、オリヴァスの脳に危険信号を送る。早く逃げろ、ここから避難しろと、肉体が警鐘を鳴らす。
そうはさせじとファーナムの追撃が繰り出される。
右肩を直撃した重打によって体勢を崩されたオリヴァスは、その場でうつ伏せに倒れ込んでしまう。そして晒された背中を、嵐のような連撃が襲い掛かった。
「ぎっ、ぎゃぁぁああああああああああぁぁあああああッッ!?」
歪な手斧と槌による猛撃猛打。オリヴァスの絶叫に混じり、ぢゃぐっ!ぐちっ!という生々しい音が絶え間なく奏でられる。
噴き出した血が霧に変わり、周囲には細かい肉片と千切れた皮膚がばら撒かれてゆく。ファーナムは獲物を逃がさぬようにと腰を踏みつけ、筋線維が露出した背中をなおも削り続ける。
地獄の責め苦。そうとしか表現出来ない光景が、そこには広がっていた。
「うぶっ!?」
それを見てしまった【ヘルメス・ファミリア】の団員の一人が、耐え切れずに胃の中のものをぶちまける。どうにか耐えている者も顔を真っ青にし、手を口に当てて様々なものを堪えるのに必死だった。
「な、何やってるんだよ、あいつ……」
真っ青を通り越して顔を土気色にしたルルネが怯えたような声で呟く。しかしそれも無理もない事である。
事実、同じファミリアであるレフィーヤも顔面を蒼白にし、身体を小さく震わせている。気絶しなかったのは【ロキ・ファミリア】の一員としての矜持か、あるいはそれすら出来なかっただけなのか。
ベートは特に大きな変化を見せない。ただ頬の入れ墨を歪めながら、ファーナムの行いを眺めているだけだ。フィルヴィスも最初は驚愕したものの、今は別の表情を浮かべていた。
三者三様、それぞれの感情が胸の内に渦巻く中。ようやく動きを止めたファーナムは踏みつけていた足をどかし、倒れ伏すオリヴァスを無言で見下ろす。
血に塗れた背中は酷いありさまだった。
皮膚と肉を毟られた背中は凸凹に歪み、一部は背骨までもが露出している。千切れた筋線維がばらばらに解け、死体に群がる蛆のように散りばめられていた。
「ぎっ……ぁが……!」
彫像を削り出すように、少しずつ肉を抉り取っていった苦痛は想像を絶するものだった。モンスターにやられるよりも酷い傷は、知性や感情といった複雑なものを併せ持つ“人間”ならではの残虐性を物語っている。
少なくない量の肉片がこびりついた両の手の武器。その内の一つであるトゲ棍棒を消し去ったファーナムは踏みつけていた足をどかし、次いでオリヴァスの左腕をがしりと掴んだ。
「大した回復力だが」
「き、さま……」
そう語る通り、背中に刻まれた傷はもう修復が始まっていた。ぼこぼことした肉瘤がいくつも沸き上がり、失った肉と皮膚を一から作り直しているのだ。
だが痛みが完全に引いた訳ではない。激痛は疼痛へと変化してゆき、長々と彼を苛む。なんとか顔を動かして睨みつけるも、漏れ出た罵倒の声に覇気はなかった。
そんな苦痛の
「これならどうだ?」
瞬間、ファーナムはオリヴァスの肩を踏み砕き。
そこから伸びる左腕を
「があぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」
獣じみた咆哮と共に新たな鮮血が宙を彩る。
肩回りの骨が粉砕され、辛うじて筋肉のみで繋がっていたオリヴァスの腕は、ファーナムの手によって没収された。彼は奪った腕をつまらなそうに一瞥すると、ぞんざいに地面へと投げ捨てる。
復讐ではない、報復でもない。これはもはや解体だ。少なくともこの場にいる者たちにはそう感じられた。
堪え切れなくなった者たちが次々と脱落してゆく。レフィーヤはせり上がってきたものを涙目で飲み込み、強い殺意を抱いていたフィルヴィスですらも目を背ける。流石のベートもその顔を大きく歪めて不快感を露わにする。
常軌を逸した凶行。フィルヴィスに代わって復讐しているにしても残酷すぎるこの仕打ちは、この場にいる全員に、ファーナムという男の人間性に疑問を抱かせるには十分過ぎた。
一方で、目玉を剥いて歯を食い縛るオリヴァス。口の端から泡を吹き、半ば再生した片方の手で緑肉の地面を掻き毟る様には、もう元の余裕は皆無であった。
「ぐううぅぅううぅぅぅぅ………!!」
断面からはやはり肉瘤が生まれてきたが、その勢いは弱い。どうやら肉体の修復力に対して損傷が激しすぎるようだ。
虫の息を言っても過言ではないオリヴァスに、ファーナムはなおも冷酷だった。
「あと三つだ」
(………っ!?)
『あと三つ』。
その数字が何を意味しているのか分からない程、まだオリヴァスの思考は死んでいなかった。
つまり、この男はまだやる気なのだ。残った腕を、そして次は両足を、同じように引き千切る気なのだ。
青白い肌を更に蒼白にし、オリヴァスは蘇って以来感じる事のなかった感情を味わう事となった。
その感情の名は“恐怖”と言う。
「おぁああああ!!」
胸の奥底から爆発的に膨らんだ感情はオリヴァスに瞬間的な力を与えた。瀕死の身体に力を漲らせて跳ね起きた彼は、同時に声を張り上げる。
「ヴィ、
ファーナムもこの行動は読めずにオリヴァスを逃してしまった。すぐに追いかけようとするも、その身体に大きな影が覆いかぶさる。
べりべりべりっ、と何かが剥がれる音が大空間に木霊し、強烈な腐臭が鼻腔に突き刺さる。音の正体を突き止めるべく顔を向けるも、その頃にはもう遅かった。
馬鹿馬鹿しいほどの質量と体躯を持つモンスター。そんなモノがファーナム目掛け、大口を開いて落下してきたのだ。
「散れっ!!」
緊急事態を察知したベートの声を全員が瞬時に理解した。
咄嗟に動けない者の服や腕を掴み、大慌てでその場から飛びのく。レフィーヤは気付けばフィルヴィスに手を引かれ、身体は宙に浮いていた。
余りの急展開に目を白黒させながら、彼女は口を開く。
「ファーナムさん!?」
巨大花が落下してきた、まさにその場所にいた者の名を叫ぶ。轟音と土煙は一瞬の内に少女の声をかき消し、この空間にあった全てを塗り潰していった。
間一髪、被害を免れた冒険者たち。やがて舞い上がった粉塵が晴れてゆくと、巨大花が与えた破壊の規模が浮き彫りとなった。
落下地点には大きなクレーターが出来ており、その衝撃で地面を覆っていた緑肉はずたずたになっている。巨大花にもダメージがあったのか、巨大な体躯を横たえたまま動かない。
呆然とする冒険者たち。そんな彼らの反対側で、むくりと起き上がる人影があった。
自らも落下の衝撃に地面を転がりながらも、なんとか無事だったオリヴァスだ。彼は失った腕をもう片方の手で庇い、短い呼吸を響かせる。
「ハッ、ハッ、ハッ……は、はは」
全身を血と泥で汚した男の喉から、意図せず乾いた笑い声が湧き上がってきた。
「クハ、ハハハッ、ハハハハハ!!どうだ、冒険者めっ!?これで私の勝ち……」
巨大花の直撃を受けて生きてはいないだろうという確信と、命の危機から脱せたという安堵感。次第に薄れてゆく“恐怖”の感情に、汗まみれの顔に歪んだ笑みを浮かべようとする―――――が。
微動だにしなかった巨大花の身体。その頭頂部が、突如として
何が起こったのかと注視する冒険者たち。
そして中途半端な笑みを張り付けたまま固まるオリヴァス。
全員の視線が集まる中、巨大花の頭部からずるりと這い出てくる一人の男の姿。手には気味の悪い色の体液に濡れた、刃こぼれの目立つ異様な大きさの包丁が握られていた。
手の中にある武器と同様に全身を巨大花の体液で汚した男……ファーナムは、固まったままのオリヴァスを兜の奥より射抜き―――――
「まだ終わらんぞ……続きだ」
変わらぬ調子で、そう告げた。
「―――――ヒッ」
その声に喉はひり付き。
表情は罅割れ。
たった一つの感情に支配される。
「ひいいぃぃぃぃああああああああああああああああああっっ!!?」
“恐怖”という感情に。
もうどうでも良かった。ファーナムへの怒りも、『彼女』への忠誠も、全てを投げ出してしまった。今この瞬間、目の前にある恐怖から逃れられるのであれば、その後で死んでしまっても構わないという程に。
顔を涙と涎でぐちゃぐちゃにしながらオリヴァスは踵を返す。しかしファーナムが二度も取り逃す訳もなく、手に握られていた異様な武器『肉断ち包丁』を逃げる後ろ姿へ向けて投擲した。
まっすぐに飛んでいった刃は標的の右腕を切断した。滅茶苦茶に振り回していた腕の肘から先を斬り落とし、肉厚な刀身は地面に深く食い込んでようやく静止する。
「ギィ!?」
衝撃によってバランスを崩したオリヴァスは無様に地面に倒れ込んだ。早く立ち上がろうとするも両腕を失い、恐怖に駆られた身体は上手く動いてくれない。
彼は倒れた格好のまま、ずるずると地面を這いずる。皮肉にもそれは、一度目の死を味わったかつての姿と全く同じだった。
ただ違うのは……その後ろに
「ひっ、ひいぃぃ……!」
長く伸びる赤い線を描きながら無我夢中で無意味な逃走を続けるも、すぐに終わりを迎える事となる。辿り着いたのはこの大空間の壁際、オリヴァスという男が最後に辿り着いた終着点だった。
「ぁあ、ああぁぁぁ………!?」
か細い悲鳴が目の前の壁に縋りつく。しかし当然ながら何も返ってくる事などなく、代わりに歩みが止まる音が背後から聞こえてきた。
這いつくばったまま肩越しに振り返るオリヴァス。その喉を、硬い皮手袋の感触が掴み上げる。
ファーナムは彼が決して逃れられないように青白い喉を引っ掴み、そのまま壁へと叩きつけた。喉を締め上げられながら立たされたオリヴァスの眼球は圧迫され、陸へと上げられた深海魚のようにせり上がってゆく。
「ぎっ、ィィ………!?」
点滅する視界の中で彼は見た。
己の首を締め上げる男のもう片方の手に握られている、巨大な金属の塊。鋭い十字の刃を備えたそれは、かつて不死刑場で猛威を振るっていたチャリオットの車輪に装着されていた凶器だった。
『チャリオットランス』。刑吏のチャリオットのソウルから生み出された、苦痛を与える事のみを突き詰めた最悪の武器である。
本来は突撃と共に使用する為、相手を押さえつけての使用は想定されていない。しかしファーナムはあろう事か十字の刃を握り、無理矢理長さを調節して使おうとしているのだ。
出来る限りオリヴァスを長く苦しませる。その為だけに、自身の掌を切り裂いてまで。
「ッ……ッゥ……!」
力が入らない両足の代わりに、肘から先のない右腕をばたつかせる。しかしそれもささやかな抵抗でしかなく、鋭い刃の切っ先は無常にも腹部へゆっくりと潜り込んでいった。
「~~~~~ッ!?~~~~~ッッ!!」
満足に動けず、悲鳴すら上げられない。
圧迫された声帯は震える事すら許されず、代わりに口から、鼻から、眼球から、どす黒い血が流れ落ちてゆく。勢いなく垂れ流される血の線は、残された命の灯がもう僅かである事を知らせていた。
長大な十字の刃は肉体を貫通し、反対側にある壁までも突き進んでゆく。半ばまで突き刺した後は持ち手部分に手をかけ、一気に根本まで押し込む。
「ッ、…………」
びくりっ、とオリヴァスの身体が小さく痙攣した。標本に貼り付けにされた虫の如く壁に固定された男の喉から手を離したファーナムは、真っ赤に染まった双眸を正面から見据える。
「………ぁ」
血を垂れ流すオリヴァスの口が小さく震えた。
もはや悲鳴も『彼女』への慈悲を乞う気力もない彼は、二度目の命をこの言葉で締め括る。
「ぁ……ぐ、ま」
がくりと垂れ下がる首。
最期の言葉を聞き届けたファーナムは、兜の奥で小さく呟いた。
「違うな……俺は不死人だ」
何がヤバいってこの光景を見せつけられてるレフィーヤたちのsan値がね……。