不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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第二十六話 許されざる者

「あいつが……」

 

耳朶を震わす声に、アスフィは思わず動きを止めた。

 

それが今も自身を支えてくれている、この鎧姿の男性から放たれたものだと理解するのに僅かな間を要した。それほどまでに、兜の奥から聞こえてきた呟きは冷たいものだったのだ。

 

「アスフィ!」

 

と、そこへ。ルルネとその仲間である数人の冒険者たちが駆け寄ってきた。

 

彼らは今もちらほらと現れる食人花たちを倒しながら突き進んでおり、一団の最後尾にはレフィーヤとフィルヴィスの姿も見える。武器と魔法を駆使して戦うその姿には、一片の不安も感じられない。

 

そんな彼らに負けてられないとばかりに、アスフィは力強く立ち上がる。血を失ったために少しふらつくものの、それさえ除けば体調は万全と言って良い。

 

「ありがとうございます。見ず知らずというのに助けて頂いて……」

 

「気にする事はない。それよりも、もう動いて平気か?」

 

「ええ。貴方がくれた万能薬(エリクサー)のお陰で、もうほとんど回復しました」

 

「なら良い」

 

アスフィが言う万能薬(エリクサー)とは、ファーナムが彼女に飲ませた『女神の祝福』の事だ。太古の女神によって大いなる祝福が施されたこの水は、使用者のあらゆる傷と異常を癒す効果がある。

 

オラリオに出回れば数十万ヴァリスは下らない程の高価な代物。恩を着せる事に興味のないファーナムはアスフィの容体だけを確認すると、腰に差した鞘から直剣を抜き放った。

 

「俺は行く。あとはルルネたち(かれら)と一緒にいると良い」

 

「え、ちょっと、私はもう……!?」

 

アスフィが言い終わるよりも先に、左手に新たな得物『黒鉄刀』を装備したファーナムは地面を砕かんばかりの速度で地を蹴った。

 

「!」

 

その接近に白ずくめの男は即座に気が付いた。

 

ベートと激しい攻防を繰り広げていた男は、周囲の食人花たちに指示を送る。奇襲用に待機させていた全ての個体が一斉に振り向き、接近してくるファーナムの元へと殺到した。

 

「やれ、食人花(ヴィオラス)!」

 

男の命令とモンスターが持つ本能に従い、口を大きく開く食人花たち。やって来た冒険者を身に着けている鎧ごと哀れな肉塊に変えるべく、咆哮を轟かせながら醜悪な牙を剥く。

 

しかし数々の修羅場を潜り抜けてきたファーナムにとって、この程度の数は問題にすらならない。

 

彼は最初に襲い掛かってきた食人花の顎の下に潜り込むと、左手に持った黒鉄刀の一振りを解き放つ。黒い刀身は滑るようにして長大な身体へと吸い込まれ、そして鋭い一閃が振り抜かれた。

 

頑丈さと切れ味を併せ持った黒鉄刀は、食人花の硬質な表皮も問題にしなかった。一刀の元、首を落とされた食人花は、直後に忘れていたかのように短く悲鳴を上げる。

 

『ギィ!?』

 

その姿には目もくれず、ファーナムは次なる一斬を放つ。

 

横から来ていた食人花の頭を直剣で縦割りにした後、口腔内の魔石目掛けて切っ先を突き出した。急所を砕かれた身体は灰となり、同族へと降りかかる。

 

動きが止まったその瞬間を好機と見たのか、今度は二匹の食人花が同時に飛び出してきた。一匹は下から突き上げるように、もう一匹は頭上から丸呑みにするように。

 

それをバックステップで難なく回避する。

 

衝突する二匹の食人花。急所である魔石が内包された頭部が重なった瞬間を見逃さず、ファーナムは重い踏み込みと共に直剣と黒鉄刀を振り放つ。

 

十字架を斜めにしたような斬撃は、二匹の食人花の頭部を諸共に斬り裂いた。一拍遅れて噴き出す体液を全身に浴びながら、彼の攻撃は更に激しさを増していった。

 

その光景を目にした白ずくめの男は戦慄した。ファーナムが並みの冒険者ではないという事は何となく察しがついてはいたものの、これ程までとは思いもしなかったからだ。

 

食人花の噛み付きや突進を躱しつつ、返す刀で繰り出す一撃を以て屠り去る。足元近くまで伸びるコートの裾を翻し、目にも止まらぬ速度で両手の得物を振るうその姿は、さながら英雄譚に登場する二刀流の騎士のようである。

 

「よそ見してんじゃねぇ!」

 

「がッ!?」

 

そして、ついにベートの蹴りが白ずくめの男を捉えた。

 

ファーナムに気を取られていた隙を突かれ、男のこめかみに鋭い回し蹴りが炸裂。その威力は相当のものだったが、被っていた骨兜は亀裂を生じさせるに留まった。

 

それでもまともに攻撃が通ったのは大きかった。牙を剥き出しにした狼は眦を裂き、男が体勢を整えるよりも速く追撃を仕掛ける。

 

間合いを更に詰めて肉薄し、ベートは男の顎を膝蹴りで撃ち抜いた。そのまま空中を一回転する最中(さなか)に身体を捻り、ダメ押しのように足刀を打ち出す。

 

「オラァッ!!」

 

「ごっ……!?」

 

連続して三発の蹴りを頭に食らった男は、しかしまだ意識を保っていた。骨兜は既に半壊しているにも関わらず、それでも目の前の敵を始末すべく拳を握り固める。

 

「図に、乗るなぁっ!!」

 

風を切り裂き打ち出された拳。

 

それは着地したベートの位置を正確に予測し、彼の頭を粉々に弾き飛ばした―――――かに思われた。

 

「―――」

 

男の身体が硬直する。

 

理由は明白であり、突き出した腕には一振りの刀が突き刺さっていた。

 

黒光りする刀の根本を握るのは甲冑に覆われた左手。割り込んできたファーナムが突きを放ち、ベートへと迫っていた拳を止めたのだった。

 

「なっ……!」

 

驚愕を言葉にするよりも先にファーナムが動く。

 

突き刺した刀を振り切り、男の腕を半ば切断。次いで右手の直剣を振りかぶると、頭頂部目掛けて一気に振り下ろす。

 

「ッ!?」

 

男はすんでの所でこの一撃を回避した。直剣の切っ先は骨兜の一部を破壊し、そして上半身に縦一本の赤い線を刻み込む。

 

腕からの出血が(くう)を彩る中、男は後方へと大きく跳んだ。次の攻撃が来ては堪らぬとばかりの、全力の退避行動だ。

 

「別に礼は言わねぇぞ。あんな馬鹿正直な攻撃、目を閉じてても躱せらぁ」

 

「だろうな。だからその心配はいらんぞ、ベート」

 

「……けっ。堅物のクセに言いやがる」

 

軽口を交わし合うファーナムとベート。視線を外して鼻を鳴らすも、ベートは言う程苛立ってはいないようだ。

 

一方で、着地した男は斬られた腕を庇いながら二人を睨みつけていた。特に出血を与えたファーナムに対しては、憎悪にも似た感情が込められている。骨兜の下半分は破壊され、露出した口元が怒りに歪んでいた。

 

「貴様らよくも……よくも『彼女』から賜ったこの身体に、これ程の傷をつけてくれたな……!」

 

男の口から語られた『彼女』なる者の存在。

 

それはこの場にいる全員が初めて耳にしたもので、同時に一連の事件を解明する上で重要な手掛かりになりうるものであるとアスフィは理解した。彼女は少しでも情報を集めるべく、男へと質問を投げかける。

 

「答えなさい。貴方は何者で、ここは一体何なのですか!」

 

口火を切った彼女の問いに、全員の視線が白ずくめの男へと集中する。

 

すると男は途端に怒りを霧散させ、余裕すら感じさせる笑みを浮かべ始めた。その笑みはどこか恍惚としており、まるで神の奇跡を目撃した聖人のようですらある。

 

「……くっ、はは。私が何者か、か」

 

肩を揺らして笑う男。それによって半壊した骨兜には次々に亀裂が生じる。

 

パキリ、ピキリと罅割れ、剥がれ落ちてゆく白い欠片。やがて決定的な亀裂が入り、顔を覆っていた全てが地面へと落ちていった。

 

遂に暴かれた男の素顔。それは異様に色白く、死人を彷彿とさせる肌色をしていた。

 

無造作に伸ばされた髪は肩の位置よりも長く、肌と同じく真っ白に染まっている。純白というよりも本来あるべき色素が欠落した印象のそれは、得も言われぬ不気味さを醸し出す。

 

「あれが、今回の事件の犯人……!」

 

ごくりと喉を鳴らすレフィーヤ。しかし彼女はここで、共闘した【ヘルメス・ファミリア】の団長であるアスフィの様子がおかしい事に気が付いた。

 

男に問い詰めた張本人である彼女は瞠目し、その顔を驚愕の色に染め上げていた。そして自身の傍らに立つフィルヴィスなどは、全ての表情が抜け落ちたまま両目だけを大きく見開いている。

 

困惑するレフィーヤを前に、アスフィの口から呟きが漏れる。

 

「オリヴァス・アクト……」

 

「それって……まさか、あの【白髪鬼(ヴェンデッタ)】か!?」

 

堪らずといった様子で叫んだのはルルネだった。【ヘルメス・ファミリア】の団員たちも彼女の言葉に驚き、そして明らかな動揺が駆け巡る。

 

ベートも目を眇めており何かを知っている様子だ。ファーナムの表情は兜に覆われているために窺う事は出来ないが、意識は変わらずに男の方へと向けられている。

 

「あり得ない……何故、死者がここに!?」

 

アスフィの疑問もまた、ルルネと同じく叫びとなって放たれた。

 

レフィーヤたちの驚愕と動揺を含んだ視線、そしてフィルヴィスから向けられる激しい怒りの感情を一身に浴び、オリヴァスと呼ばれた男はにやりと嗤ってみせる。

 

彼らを見渡す薄く開かれたその双眸は、黄緑の光を宿していた。

 

 

 

 

 

オリヴァス・アクト。これが白ずくめの男の本名である。

 

闇派閥(イヴィルス)がまだオラリオの表舞台に堂々と姿を見せていた頃。【白髪鬼(ヴェンデッタ)】の二つ名で恐れられていた、推定Lv.3の賞金首だった男だ。

 

そう、賞金首だった(・・・)

 

オリヴァスはかつての事件『27階層の悪夢』の首謀者であった。フィルヴィスと彼女の仲間たち、そして当時の有力派閥らが多く巻き込まれた、長く語られる事となる最悪の大惨事だ。

 

世界に破壊と混沌をもたらす組織、闇派閥(イヴィルス)に与していた彼は他の仲間と共に、この階層で大規模な『怪物進呈(パス・パレード)』を引き起こした。オラリオの秩序を担うフィルヴィスたちを一網打尽にすべく、捨て身の凶行に及んだのだ。

 

階層全てのモンスターを焚きつけ、更には階層主まで登場した大混戦。敵味方が入り乱れた戦場は至る所で血だまりが生まれ、闇派閥(イヴィルス)と冒険者双方の亡骸で溢れ返ったという。

 

そしてその代償は、オリヴァス自身にも返ってくる事となった。

 

モンスターに下半身を食われた彼は、血と臓物を零しながらダンジョンの奥へ奥へと這いずった。耳の奥に消え残るモンスターの息遣いと、己の身体を咀嚼する(おぞ)ましい音。この世の地獄のような苦痛を味わいながらも、しかしオリヴァスは死ぬ事が出来ないでいた。

 

器を昇華させた肉体は下半身を失っても即死を許さなかった。皮肉にも神によって与えられた強靭な生命力が、苦痛から逃れる唯一の救い()を奪う事となったのだ。

 

潰れた両目から血涙を流し、オリヴァスはダンジョンの中を彷徨い続けた。

 

こんな時に限ってモンスターは現れず、彼の命を絶ってくれる存在はどこにもいない。真綿で首を絞められるが如く、命の灯はゆっくりと小さくなっていった。

 

痛い。

 

寒い。

 

暗い。

 

あらゆる負の感情が溢れてくる中、オリヴァスは己が主神へ呪詛を漏らした。自らがしてきた行いを棚に上げ、このような地獄を強いる神を呪い続けた。

 

やがて彼は力尽きた。多くの者を死に至らしめた男の、みじめな暗い最期だ。

 

静寂に包まれたダンジョン。

 

そこへ一本の触手が現れた。触手は、もはや血だまりすらも生まれない程に血を流し続けた男の亡骸に這い寄ると、その胸部へあるものを近付けた。

 

その正体は毒々しい輝きを放つ、極彩色の魔石。触手は死人の色をした皮膚を突き破り、鼓動を止めた心臓を押しのけて、極彩色の魔石を完全に(うず)めた―――――直後。

 

ギンッ!と、オリヴァスの双眸が大きく見開かれた。

 

そう、彼は息を吹き返したのだ。元の色を忘れた瞳は黄緑の色彩を帯び、同時に全身の傷が塞がり始めた。欠損した下半身も、まるで蜥蜴の尻尾のように再生が始まった。

 

断面からはぼこぼことした肉瘤が生まれ、波打ち、やがて下半身は完全に元の形を取り戻した。瞳と同じく黄緑色をした足で立ち上がったオリヴァスは視線を彷徨わせ、そして触手を見つけた。

 

『ぉぉ……ぉおお!!』

 

神への呪詛と共に死んでいった男は、まるで敬虔な信徒のようにその場に跪いた。

 

己に二度目の命を与えてくれたこの触手を恍惚とした表情で見つめ、そして新たな使命を見出した。

 

オリヴァス・アクト……これがかつて【白髪鬼(ヴェンデッタ)】と呼ばれた男の、怪人(クリーチャー)としての再誕の瞬間であった。

 

 

 

 

 

「私は死から蘇ったのだ。他ならぬ『彼女』が下さった慈悲によってな」

 

そう言うとオリヴァスはおもむろに、自らの左腕を動かす。

 

ファーナムによって傷つけられた腕を、レフィーヤたちに見せつけるようにして高く掲げる。すると機を見計らったかのように、未だ血を流していたはずの傷口が目に見えて塞がってゆくではないか。

 

まるで時間が巻き戻るかのような脅威の回復力。治癒薬(ポーション)に頼らない自己治癒能力は明らかに人の域を超えており、それがオリヴァスの語った転生(・・)の信憑性を一気に跳ね上げた。

 

絶句する一同を前に、ついに堪え切れなくなった彼は哄笑する。

 

「これが『彼女』の力だ!死した私の魂を冥界から呼び戻し、二度目の命を与えて下さった『彼女』の力!」

 

歓喜に打ち震え『彼女』への賛美を叫ぶその様は鬼気迫り、見る者の背筋を冷たくさせる。まるでそれ以外が目に入っていないかのような姿は、狂信者(ファナティック)という言葉がぴったりと当て嵌まった。

 

人間(こども)の考えを重んじるとのたまい、何もしない神共とは違う!本当の“神”とは、その寵愛を与えた者に万能の力を与えるのだ!この私のようにな!!」

 

一度死した身であるが故なのだろう、オリヴァスの言葉には絶対の自信がこもっていた。

 

復活という奇跡を体験した闇派閥(イヴィルス)が、死に瀕した自分に救いの手を伸ばさなかった主神を捨て、『彼女』なる存在へ心酔してしまう。笑ってしまう程に単純な理屈である。

 

「だから私は『彼女』の思いに殉じる!空を見たいという願いを成就させるべく巨塔(バベル)共々、見事このオラリオ(都市)を破壊して見せよう!!」

 

「!?」

 

そしてオリヴァスの口から語られた目論見(もくろみ)

 

巨塔(バベル)の破壊、ひいてはオラリオの崩壊は、モンスターが再び地上に溢れ返る事を意味する。『古代』に繰り返された戦乱と悲劇の再来に繋がる企みを明かしたオリヴァスに、皆が一様に驚愕を隠せないでいた。

 

そんな中で一人、静かに声を漏らす者がいた。

 

黒い長髪を揺らし、噛み締めるあまり血が垂れている唇で、忌々しいその名を口にする。

 

「オリヴァス・アクト……!」

 

「む?」

 

決して大きくはない声だったが、それはオリヴァスの耳にしっかりと届いた。彼は浮かべていた狂笑を引っ込めると、声の出どころへと訝しげな視線を送る。

 

交差した両者の視線。

 

特に感情のこもっていない黄緑の瞳を射殺さんばかりに睨みつけるのは、激情の炎が宿った真紅の双眸。『27階層の悪夢』唯一の生還者であり、同時に心に消える事のない傷を負ったエルフの少女……フィルヴィス・シャリアだった。

 

「何か用か、エルフよ?」

 

「忘れたとは言わせないぞ。お前のせいで私は……私の仲間たちは………!」

 

「……あぁ、そういう事か」

 

言葉の端々に怨嗟を滲ませるフィルヴィスに、オリヴァスもようやく彼女の正体に気が付いたようだ。

 

かつて自分たちが引き起こし、多くの血が流れた惨劇の被害者である少女に対し、しかしオリヴァスは欠片も怯みはしなかった。むしろ開き直った風で、見下すように冷ややかな笑みを浮かべる。

 

それはあの惨劇を目の当たりにしてなお、オラリオに降り立った神に仕える者に対する哀れみすら感じさせるものだ。

 

「お前もあの場にいたのならば分かるだろう。神というものは肝心な時に何もしない、ただ私たちを玩弄するだけの存在だ」

 

「……何が言いたい」

 

「かつて私も神の僕だった。しかしあの時に一度死に、そして『彼女』に救われ、ようやく神の呪縛から逃れる事が出来た」

 

「何が言いたいのかと聞いているッ!!」

 

徐々に感情の抑えが効かなくなるフィルヴィス。

 

言葉を発せないアスフィやルルネたち、そして傍らにいるレフィーヤは口を噤んで彼女の横顔を見つめる中。

 

オリヴァスはもったいぶるように口を開き……そして、特大の爆弾を投下した。

 

「つまりだ。私はあの惨劇の首謀者であると同時に、被害者でもある。だから痛み分けといこうじゃないか、エルフよ」

 

「―――――ッ、貴様ぁあああああっ!?」

 

「だっ、駄目です!?」

 

抜け抜けとそんな事を言い放ったオリヴァスに、ついにフィルヴィスの怒りが振り切れた。

短杖(ワンド)を手に取り、一気に駆け出そうと身を乗り出す。しかしベートとの互角の肉弾戦を見ていたレフィーヤが、彼女の身体を抱き留める。真正面から戦ってもどうなるかは分かり切っているからだ。

 

それでも怒りに我を忘れているフィルヴィスは激しく抵抗した。見かねたルルネたちまでもが引き留めにかかる程に彼女は怒り狂い、憎悪に染まった眼差しを仇敵へと注ぎ続ける。

 

「離せっ、離せえッ!?」

 

そんな彼女をオリヴァスは見下し、嗤っていた。

 

「ふん、まるで獣だな」

 

未だ神に“縛られている”哀れみと嘲りが混在するその瞳はぐるりと一同を見回す。

 

暴れるフィルヴィスとそれを抑えるレフィーヤたち。頬に一筋の汗を流すアスフィ、変わらずに臨戦態勢をとっていたベートへと視線が移ってゆき、そしてファーナムの所で止まった。

 

浮かべていた笑みを消し、オリヴァスは怒りの表情でファーナムを睨みつける。

 

「この肉体に血を流させたのは確かお前だったな。その行いは『彼女』への侮辱に等しい……死をもって償ってもらうぞ」

 

「………」

 

身勝手な怒りを向けてきた事に対し、ファーナムは何も答えない。顔を僅かに伏せ、表情の窺えない兜の奥から、ただ静かに視線を送るのみである。

 

そのままの恰好で、彼はオリヴァスへと一つの問いを投げ掛ける。

 

「……あの死兵たち」

 

「なに?」

 

「身体に火炎石を巻き付けたケープの集団。彼らに自爆を命じたのは、お前か?」

 

「はっ、何を言い出すかと思えば」

 

オリヴァスは再び口を嘲笑の形に歪ませ、問いを投げ掛けたファーナムを嘲る。

 

「確かにあれらとは協力関係にある。闇派閥(イヴィルス)の残り粕とは言え多少は役に立つと思っていたのだが……やはり無能は無能だったな」

 

次いで嘲りは死兵たち、かつては多く存在した闇派閥(イヴィルス)の構成員、その残党たちへと移ってゆく。

 

彼らを扱き下ろす言葉にピクリ、とファーナムの肩が揺れる。そんな事には気が付かないオリヴァスは、爆死していった彼らへと辛辣な言葉を次々に並べていった。

 

自身も過去に所属していた組織に対する思い入れは欠片もなく、協力者である彼らをオリヴァスは『無能の集団』と断じる。オラリオを崩壊させるという共通の目的の為だけに手を組んだ者同士の、非常に淡泊な関係という事が分かる口ぶりだ。

 

「所詮は神に操られるだけの者たちだ。何を吹き込まれたのか知らんが、自爆まで行うとは見上げた根性だと思っていたが……敵も満足に道連れにも出来んとは、全く使えぬ奴らよ」

 

それが決定的な一言となる。

 

「……?」

 

不意に、ベートの耳が硬質な響きを感じ取った。

 

それは自身の隣に立つファーナムから聞こえてきた音で、恐らくは歯軋りによって生じたものであろう。思い切り食い縛るというよりも、何かを抑え込むかのような、そんな印象を抱いた。

 

ファーナムは未だ激情に支配されているフィルヴィスを一瞥した。多少落ち着きを取り戻しているのを確認すると、彼は手にしている直剣を鞘へと納めながらベートに語り掛ける。

 

「ベート、あれは俺がやる。手を出すな」

 

「……あぁ、好きにしろ」

 

僅かに瞠目しながら、ベートは道を譲るかのように半歩下がる。何を感じ取ったのか彼は戦闘を譲り、大人しく身を引いたのだ。

 

この行動に当然レフィーヤは驚いた。好戦的な狼人(ウェアウルフ)の中でも特に血の気が多いベートが、自ら出番を譲った事が信じられなかったのだ。

 

しかし彼女はそれ以上に、形容し難い悪寒のようなものをファーナムから感じ取っていた。

 

一同の前へと歩み出たファーナムは止まらない。一定の歩調を保ったままオリヴァスの元へと向かってゆく後ろ姿に迷いはなく、強い決意が感じられる。

 

右手に持っていた剣を鞘へと納めた意図は分からないものの、オリヴァスの自信は揺るがなかった。食人花の猛攻を凌ぐ力に驚きはしたが、それよりも己に血を流させた事の方が重要だったからだ。

 

『彼女』から与えられたこの身体を傷つけた者へ制裁を。今の彼の脳内を占める感情はこれだけだ。

 

馬鹿正直に真正面から来るのならば好都合。先手を打ち、こちらから攻撃を仕掛けるべく腰を(たわ)めようとした……次の瞬間。

 

 

 

返り血で汚れた銀の兜が、オリヴァスの眼前に広がっていた。

 

 

 

「ッ!?」

 

目を見開くオリヴァスに、ファーナムは左手の得物を振るう。

 

先手の先手を取って一気に間合いを詰めたファーナムは、同時に黒鉄刀を振りかぶっていた。肉薄した瞬間に放たれた刃は縦に振り降ろされ、それをオリヴァスは横に身体を逸らせる事で回避する。

 

上半身のすぐそばを通過した鋭い一閃に、彼は顔を引き攣らせる。しかしそれは直後、身体の一部分より生じた熱によって更に険しいものとなった。

 

「づっ、あ!?」

 

ヂャクッ!という水っぽい音と共に脇腹に突き刺さったのは一本の短剣だった。それはファーナムが右手に隠し持っていたもので、オリヴァスはその存在に気が付かなかったのだ。

 

突き刺さった刀身はほぼ肉体に埋まっているものの、付け根部分から僅かに覗くそれは黒く染まっている。持ち手部分も同じく黒く、何とも不吉な印象を与えてくる。

 

咄嗟に突き飛ばして距離を取ったオリヴァスを、しかしファーナムは追わなかった。容易に追撃できたはずなのにそうしなかった彼に対し、ベートとレフィーヤ、そしてフィルヴィスも何が起きたのかと訝しむ。

 

「ぐぉおお、ぉぉぉおおおおおおああぁぁぁぁ……!」

 

そんな彼らの耳に、苦悶に満ちた男の声が飛び込んできた。

 

見ればオリヴァスは片膝立ちの恰好で、脇腹に刺さった短剣を引き抜こうともがいていた。どうやら容易には抜けないらしく、両手で持ち手部分を掴み、ようやく摘出に成功する。

 

彼は自身の血に濡れた短剣を、忌々しく地面へと投げ捨てた。

 

「ひっ……!」

 

地に転がった短剣を目にした【ヘルメス・ファミリア】の魔導士である小人族(パルゥム)の少女が、悲鳴を上げかけた口を両手で塞ぐ。

 

その短剣はひどく歪んでいた。

 

刀身は湾曲し、先端には逆棘まで施されている。一度突き刺されば容易には引き抜かせない、そんな悪意を感じさせる武器に、ルルネたちは鳥肌が立つのを覚えた。

 

しかし、刃に込められた悪意(・・)はまだ終わらない。

 

「がはっ!?」

 

突如として吐血するオリヴァス。

 

内臓が傷つけられた為かと推測したレフィーヤであったが、どうにも違うらしい。地面に手までついて苦しむ様子は尋常ではなく、今もどす黒い血が次々と吐き出されている。

 

一体何が起きたのか、レフィーヤを始めとした誰もが理解出来なかった。その中で唯一、アスフィだけがある可能性に行き着く。しかしそれを言葉にするのは(はばか)られるのか、口を噤んで動かない。

 

そんな彼女の葛藤を一蹴するように、短剣を突き刺した張本人であるファーナムは言い放った。

 

「どうだ、地の底に溜まり溢れた毒の味は?」

 

「がふっ……毒、だと……!?」

 

オリヴァスを苦しめていたものの正体、それはあろう事か『毒』であった。

 

通常の冒険者であればまず使う事のないそれは、主に暗殺者などの後ろめたい者たちが用いる物だ。モンスターにも使えない事はない。しかし遅行に過ぎるきらいがあるためほとんど使われないそれが、よりにもよって短剣に仕込まれていたのだ。

 

正確にはこの短剣『ミダの捻くれ刃』は人の手によるものではなく、毒の妃のソウルによって生まれたもの。故にソウルの持ち主の性質を色濃く受け継ぐのはごく自然な事なのだが、そんな事を知らないアスフィたちは戦慄する。

 

そんな武器を隠し持っていたファーナムへと、今までと違った視線が集中した。

 

「き、貴様……ただの冒険者が、そんな物を……!」

 

「卑怯とでも言うつもりか」

 

悪態をつくオリヴァスに、ファーナムは黒鉄刀をソウルへと還しながらそう返答する。その光景を見慣れたベートとレフィーヤ以外の者たちが目を丸くする中、彼は新たに二つの武器を取り出した。

 

「お前は……貴様は、余りに多くの死を引き起こした」

 

それは共に禍々しい形をしていた。

 

「死してなお害悪をばら撒き、人々の死と嘆きを嘲笑った」

 

それは獲物へ苦痛を与える事に特化していた。

 

「もはや度し難い。ただ死ぬだけで赦されると思うな」

 

攻撃を加えた対象の皮膚を引き裂き、肉をすり潰し、骨を打ち砕く。

 

血みどろの肉塊を作るためだけに生み出されたような凶悪な武器。『縛られたハンドアクス』と『トゲ棍棒』を手に、ファーナムは……

 

 

 

 

 

「出来るだけ長く……苦しみ抜いてから死ね」

 

 

 

 

 

極めて冷酷に、死を宣告した。

 

 




(悲報)ファーナムさん、ガチでキレる。


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