それは奇跡『雷の槍』の亜流とも、原型とも言われていた。
術者の周囲に落とされる落雷は無作為で、狙いを付けられるようなものではない。その一方で、幸運に愛されている者であれば、それは見事に敵を打ち払ってくれる事だろう。
幸運に恵まれているかはともかくとして、雷の力とは強大なものだ。今や名前すら忘れ去られた、かつて太陽の神と崇められた者の一族が用いたという伝承からも、その片鱗が窺い知れる。
そしてその威力を見せつけるかのように落雷は―――――『天の雷鳴』は、芋虫型たちの身体を次々に貫いた。
『ギィアアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』
轟音と共に放たれた雷は、ファーナムの周囲にいた芋虫型たちへと吸い込まれていった。
迸る雷光は瞬く間にその身体を焼き尽くし、すぐ隣にいた芋虫型へと伝播してゆく。目を焼かんばかりの眩さに仮面の人物は身を屈め、片腕を眼前にかざして光を遮る。
やがて落雷の衝撃が収まり、その手を下ろす。そうして視界に飛び込んできた光景に、仮面の人物は今度こそ言葉を失った。
『―――――ッ!?』
ファーナムを取り囲んでいた芋虫型の群れ。それらは今や煙を上げ、
雷に貫かれた身体は瞬間的に炭化し、爆発する事さえ許されなかった。完全に絶命した個体もあるのか、辺りにはちらほらと極彩色の魔石が散らばっている。比較的大きな個体はまだ生きているが、それでも瀕死の状態だ。
その中央でしっかりと立つファーナム。左手にはこの雷を呼び寄せた器具である『奇跡』の触媒、『司祭の聖鈴』が握られていた。
『貴様……一体、何ヲシタ!?』
そんな事を仮面の人物が知る由もなく、当然の疑問は怒声となって吐き出される。
「それを聞いてどうするつもりだ?」
しかしその問いにファーナムが答える事はなかった。
彼は腰から直剣を引き抜くと、その切っ先を仮面の人物へと突きつける。その光景は、あたかも最初に対峙した時を彷彿とさせる。
「お前を捕らえ、知っている事を洗いざらい吐いてもらう。このモンスターどもの事も、赤髪の女の事も、『宝玉』も、全てだ」
『グ……ッ!』
仮面の人物は呻きを漏らした。
芋虫型たちはほぼ全滅。辛うじて動ける個体もいるが、ファーナムの相手にはならないだろう。巨体故に即死を免れたものの、這って動く力も残されていない。出来る事は腐食液を吐き出すくらいか。
『………!』
と、そこで。仮面の人物は何を考えたのか、生き残った芋虫型にある命令を飛ばした。
それを受けた芋虫型は黒く焼け焦げた身体を蠢かせ、そして天井へと腐食液を吐きかける。ちょうど、ファーナムの頭上を目掛けて。
「ッ!」
危機を察知したファーナムはいち早くその場から飛びのき、地面を転がって回避する。重力に従い落下する腐食液と、溶解した瓦礫が地面に激突する中で、ファーナムは天井部分を見上げた。
そして、ようやくその意図に気が付いた。
「穴が……!」
ファーナムが先ほどまでいた場所。そこの天井部分には、大きな穴が形成されていた。腐食液によって溶解して出来たその穴の奥には、迷宮ならではの暗闇が広がっている。
蟻の巣状に広がっているダンジョンの迷宮構造。その中でもこの空間は、上層である24階層に一際近かった。仮面の人物はそれを利用し、芋虫型の腐食液で強引に脱出口を作ったのだ。
仮面の人物は穴が出来ると同時に駆け出していた。芋虫型の巨体を駆け上がり、そのまま天井に空いた穴へと逃れてゆく。
敵わないと判断するや否やのこの行動。今度こそ、本当の逃走だった。
「くッ!」
すぐに後を追うファーナム。
しかしまだ息のある芋虫型が再び腐食液を吐き出し、その行く手を阻む。
「! ちィッ!」
舌打ちしながらも、飛んでくる腐食液を回避しつつ接近。仮面の人物と同じように芋虫型を足場にして、天井の穴へと飛び込んだ。そして24階層の地面に着地すると、素早く聖鈴を鳴らして『奇跡』を行使する。
呼び出したのは『雷の槍』だ。『天の雷鳴』のように広範囲に雷を落とす事は出来ないが、その名の通り、槍のようにして標的へと投げつける事が出来る。
ファーナムは手に宿した雷を振りかぶり、そして思い切り投擲する。
『ギイィッ!?』
『雷の槍』は穴を通過して、巨大な芋虫型の頭部に深く突き刺さった。身体の内部から焼き尽くされるその衝撃に、奇声じみた断末魔の叫びを上げる。
最後の芋虫型の始末を終えるも、息つく間もなく目の前に広がる通路へと視線を飛ばした。
穴を抜けて戻ってきた24階層は、25階層とほぼ変わらない迷宮構造だ。現在ファーナムはその通路上におり、その先は二方向の分かれ道となっている。
そして、その片方の通路の端に、はためくローブの裾が見えた。
「そこか……!」
仮面の人物が逃げた方向を確認したファーナムは、全速力でその後を追う。
迷宮内での逃走劇が、再び幕を開けた。
「……あン?」
ピクリ、とベートの耳がある音を捉えた。
「どうしたんですか、ベートさん?」
先頭を歩いていた
ベートは彼女の問いに言葉を発さず、今まで歩いてきた方向……己の後ろに広がる通路へと目をやる。
24階層を進むベートたち一行は、アスフィが導き出したのと同じ方法で
リヴィラの街で聞き出した情報をもとに、一行はアイズが向かった先は
そして目的の
「……誰か来やがる」
鋭い目つきのまま言い放ったその言葉に、レフィーヤとフィルヴィスも緊張した面持ちになる。
今まで他の冒険者と遭遇する事はなかったし、モンスターも全て倒してきた。しかしベートがわざわざ足を止めて警戒している姿に、二人は得物を握る手に力がこもるのを感じていた。
そして、三人の視界に現れたもの。
それはこちらへ向かって駆けてくる、仮面をつけた謎の人物。そしてその後ろを追うのは、全身を重装鎧で覆っている一人の冒険者―――――。
「ファーナムさん!?」
「テメェ!なんでこんな所にいやがる!?」
レフィーヤの驚きに彩られた声に、ベートの声が重なる。通路を反響して伝わってきたその声にファーナムはハッと目をやり、そして声を張り上げる。
「ベート!そいつを止めろッ!」
「あァ!?」
命令口調で放たれたその言葉に、ベートの眉間にしわが刻まれる。しかし只事ではない状況は誰の目にも明らかで、彼はちッ!と舌打ちしながらも、次の瞬間には地面を蹴っていた。
一方で、接近してくるベートの姿に仮面の人物は瞠目する。逃れた先にまでファーナムの仲間がいた事は誤算だったが、即座にこの状況を脱する為の思考に切り替える。
仮面の人物は、ベートが空中で蹴りの構えを取っているのを確認すると同時に、ローブをはためかせて身体を無理やりに捻る。その直後、ベートの放った蹴りはその身体を掠るに留め、脇をすり抜けていってしまう。
「!!」
今度はベートが瞠目する番だった。
ギリギリとは言えLv.5の冒険者の攻撃を回避して見せた仮面の人物の後ろ姿を、着地した彼は苛立ち込めて睨みつける。その隣をファーナムが通り過ぎてゆき、ベートもまた遅れを取るまいと駆け出した。
「おい、鎧野郎!あいつは何だ!?」
「説明は後だ、奴を逃す訳にはいかん!」
仮面の人物はレフィーヤの隣をすり抜け、フィルヴィスの迎撃をも回避して奥の通路へと走り去ってゆく。ファーナムはベートの追求に逼迫した声で答えつつも、その足を止めずに追いかける。
「ウィリディス、私たちも!」
「っ、は、はい!」
レフィーヤとフィルヴィスも加わり、四人は通路の奥へと駆けてゆく。最も足の速いベートが先頭となり、次にファーナム、フィルヴィス、最後にレフィーヤという順だ。
小さくなってはいるものの、まだ仮面の人物を視認する事ができた。その後ろ姿を捉えながらも、ファーナムの脳裏にはある疑問が浮かんでいた。
(何故、奴は24階層に逃れた?)
それは先ほどの戦闘、巨大な芋虫型に命令を送った事に起因している。逃走するだけならば入ってきた場所から逃げれば良いのに、何故天井に穴を空けて逃げるという面倒臭い手段を取ったのか。
24階層、というもの引っかかる。それはフェルズが言っていた、モンスターの大量発生が起きたという階層なのだ。もしもこの異常事態に仮面の人物が関わっているのだとしたら、この通路の先にあるのは恐らく―――――。
「何だ、ありゃあ!?」
先頭を走っていたベートの声にファーナムたちはハッと目をやった。
そして息を飲む。
通路の前方に現れたもの。それは気色の悪い色をした、緑色をした肉壁であった。ぶよぶよと、まるで生きているかのように蠢く肉壁は、本来のダンジョンには存在しないはずのものだ。
実はこれこそが、モンスターの大量発生の原因であった。
北の
そしてその肉壁へと―――――正確にはその中央にある、幾重もの花弁が折り重なったようにも見える『門』へと、仮面の人物は身を躍らせた。
「!?」
その身体がぶちあたる直前、『門』は突如として
その数秒後、追いついたベートが肉壁へと蹴りを見舞う。
ぶちゅりっ!と『門』が弾けて肉片が飛び散る。壁の内部は至る所が肉で覆われた空間が広がっており、あたかも肉で出来たダンジョンのようだ。しかし肝心の仮面の人物がいない事に、ベートは盛大に舌を打った。
「クソがっ!どこ行きやがった!?」
怒号を放つ彼のもとにファーナムたちも追いつく。
全員が内部に入る頃には肉壁の修復が始まっており、損壊部分は歪な瘤により、ぼこぼこと盛り上がっていた。
「ここは……」
「目的の
眼前に広がる奇妙なダンジョンの姿に、レフィーヤとフィルヴィスは呆けたように呟いた。そんな様子の二人に、ファーナムは状況を確認する為に詰め寄る。
「今、
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
矢継ぎ早に質問を投げかけてくるファーナムに、レフィーヤは杖を両手で握り締めながら待ったの声を上げる。彼女自身も先ほどの追跡劇について行けず、またこの変貌したダンジョンの様に混乱しているのだ。
わたつく彼女を見かねたのか、傍らに立っていたフィルヴィスが二人の間に割り込み、手短に状況を説明する。
「私たちはこの階層で起きているモンスターの大量発生、その調査に赴いた【
「お前は……」
「“お前”ではない。フィルヴィス・シャリア、【ディオニュソス・ファミリア】の冒険者だ」
怪訝な様子のファーナムに対し、フィルヴィスは凛とした態度を貫く。かなりの体格差にも関わらずまっすぐに顔を直視してくるその姿には、誇り高いエルフの性格が滲み出ていた。
彼女は続いてアイズに関する情報を話し始めた。ダンジョン内で依頼を受けた事、他の協力者たちと共にこの場所を目指していたらしい事。それらを聞いたファーナムは、ようやく現状を把握する事が出来た。
(フェルズ……アイズに調査を依頼したのは、やはりお前か)
フェルズが話していたモンスターの大量発生。そちらについては彼が何とかすると言っていたが、何という運命の悪戯か、ファーナムまでもがその現場に辿り着いてしまったのだ。
そしてこの裏には、あの赤髪の女の仲間も存在する。ただの大量発生ではない今回の事件に、ファーナムは頭の中でパズルのピースが噛み合うのを感じた。
それが何を示しているのかはまだ分からない。しかしそれはきっと、碌でもない事に違いない。
「いつまで喋ってやがる!さっさと行くぞ!」
その声に振り返ってみれば、ベートは既に奥へと続く通路を走り出していた。その先の地面に散らばっているのは灰。すなわち、モンスターの死骸である。
灰は通路の奥の方にもあり、それに混じってアイテムらしき欠片も見受けられる。どうやらアイズと他の協力者たちはこの通路を進んで行ったのだろう。ベートはそれらを道標にして、通路を疾走していった。
「俺たちも行くぞ!」
「はい!」
ファーナムたちもベートに続き、肉の通路を突き進んでゆく。道標は断続的に続いており、それのお陰で迷う事はなかった。
進んでゆくにつれ、耳に伝わってくる音があった。
剣戟、爆発音、そして悲鳴。この通路を突破した先に待ち構えているであろう光景に、ファーナムはごくりと生唾を飲み込む。
そして彼が目にしたものは―――――。
ベートが蹴り割った『門』は完全に修復されていた。肉壁は何事もなかったかのように蠢き、変わらず不気味に脈打ち続けている。
その肉壁のすぐ隣。本来のダンジョンが有する岩の壁に、ある異変が起きた。
まるで霧が晴れるように壁の存在が希薄になり、遂には完全に無くなってしまう。代わりに出来たのは洞窟の入り口で、大柄な者でも余裕をもって通れる程の大きさがある。
そして―――――ガチャリ、と。鉄靴の音が響く。
足音の数は四つ。不規則なそれらの音は、しかし互いに一定の距離を保ったまま行進を続けていた。
その行進が止まる。鉄靴の持ち主たちは蠢く肉壁の前で立ち止まり、何かを感じ取ったのか、その場から動こうとしない。
やがて先頭に立つ者が動きを見せた。
手にしていた得物を緩慢な動作で振り上げる。その得物は特大級の大剣であり、本来はとても片手で扱えるような代物ではない。それ程の重量物を、まるで苦にもせず扱っているのだ。
次の瞬間、
砕け散った肉壁の欠片を踏み潰しながら、鉄靴の行進は再開された。ぐじゅり、ぐちゃりと悍ましい音を立てながら、通路の奥へと進んでゆく。
まるで、その先にある
「………!」
その異変を“黒ローブ”も感じ取った。
他の仲間は現在出払っている。数多の同胞たちへ“王”の言葉を伝える為に、他世界に赴いているのだ。
故に、動けるのはただ一人。
“黒ローブ”は腰を上げ、篝火の前に手をかざす。“王”が不在でも扱えるのは、それが彼ら全員の拠り所であるからに他ならない。
やがて篝火は大きく燃え盛り、“黒ローブ”の全身を呑み込んだ。
火が治まる頃にはその姿はかき消えていて、漆黒の中で浮き上がる篝火だけが、煌々と燃え続けていた。
肉の通路を超えた先にあったのは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
過去に何度も戦った食人花の群れに、顔を隠し上半身をケープで覆っている謎の集団。そしてそれら二つの勢力に、今や飲み込まれかけている冒険者たちの姿。
そこかしこで爆発が起こり、食人花が、謎の集団が、冒険者たちが、雄叫びとも絶叫ともつかない声を発している。
「これは、一体……!?」
余りの光景に、ファーナムですらが言葉を失う。
三勢力入り乱れたこの混戦では、まともな指揮を取れる者はいない。状況に応じて行動するしかないと踏んだファーナムは先に動いていたベートに続き、一先ず戦っている冒険者へ助太刀する事にした。
「【誇り高き戦士よ、森の射手隊よ。押し寄せる略奪者を前に弓を取れ。同胞の声に応え、矢を番えよ】」
レフィーヤは杖を構え、前方に固まっている食人花たちへと砲撃の準備に移る。
「【一掃せよ、破邪の
詠唱によって無防備となっている彼女を、フィルヴィスが超短文詠唱の魔法で援護する。旅の道中で親交を深めた二人のエルフは、出会って間もないというのに上手い連携を見せていた。
「【ディオ・テュルソス】!」
この混戦下であっても冷静に対処できるフィルヴィスの姿に、ファーナムもレフィーヤを任せておけるという確信を持つ。彼は手にした直剣を振るって食人花を屠りながら、苦戦を強いられる冒険者たちの元へと急行した。
「ひっ、ひぃいい!?」
途中で素早く指輪を交換する。あちこちで起きている爆発の様子から、新たに『炎方石の指輪』を付け、『壁守人の盾』も持ち出す。炎に対する耐性を上げる指輪と炎カット率の高い盾を装備したファーナムは、顎を開いていた食人花へと斬り掛かる。
『ギャッ!?』
切り落とされた食人花の頭部は、座り込んでいたドワーフの冒険者のすぐ隣へと落下する。急に降って湧いた救いの手に呆然とする彼の手を引っ掴み、強引に立ち上がらせる。
「あ、あんたは……」
「礼はいい。それよりも状況を説明してくれ」
ファーナムは何より、現状を把握したかった。
食人花は分かるが、あのケープを羽織った集団に関しては全く知らない。モンスターではないようだが、かと言って冒険者にも見えない。食人花とも戦っているようにも見えるが、どこか妙な挙動をしている。
倒していい相手か、そうでないのか。それをはっきりさせる為に、ドワーフの冒険者に説明を求めたのだ。
だが、
「おおおぉぉぉおおおおおおおっ!!」
二人の元に走り寄ってくる男がいた。雄叫びを上げて突進してくるその男はケープをはためかせ、そこにくくり付けられた
「この魂、どうかクレアの元へと届かせ給えぇーーーーー!!」
訳の分からぬ事を叫ぶ男。
何をするつもりなのか。見当が付かないファーナムとは対照的に、ドワーフの冒険者の顔は凍り付いていた。ともかく向かってくる以上は何らかの対応をしなくてはならない。彼は盾を構えて衝突に備えようとする。
が、突如。横合いから飛んできたナイフが、男の首へと突き刺さった。
「!?」
突然の出来事に目を剥くファーナム。
ナイフが突き刺さった衝撃により男の身体は力を失い、ぐらりと傾いた。走っていた勢いをそのままに、その手に握られていた紐が引かれる。
瞬間、男は
放たれた衝撃と熱量がファーナムを叩く。5Mもない距離での爆発は凄まじく、隣にいたドワーフの冒険者は身を屈めて爆風を耐えている。
しかしファーナムは、呆然とした様子でその場に立ち尽くしていた。
その目は燃え盛る男の身体を見ていた。未だ原型を留めたまま焼かれる一人の男の末路に、目を見開いたまま動く事が出来ずにいた。
これは、一体なんだ?
何故、自爆などという真似を?
何故、自ら死にに来た?たった一つしかない命を持つ、不死人でもない人間が。
死にたくても死ねない、死に切ることが出来ない不死人であるファーナムは、自爆を敢行した男の行動が理解出来なかった。
誰よりも命の価値、その尊さを知っているが故に、自ら命を捨てる意味が分からなかった。
「あんた!大丈夫か!?」
立ち尽くすファーナムへと投げかけられる声があった。声の主は褐色の肌に犬の耳を持つ少女、ルルネである。先ほどナイフを放ったのも彼女で、間一髪で爆発に巻き込まれるのを回避させたのだ。
「あいつらは死兵だ、『火炎石』をくくり付けてる!近付いたら爆発に巻き込まれるぞ!」
「死兵、だと……!?」
ケープの集団の危険性を説くルルネの声に、ファーナムは頭を殴られたような衝撃を受けた。自ら死にに来る者たち、その正体を突き付けられ言葉を失う。
同時に、理解してしまった。
今もあちこちで乱発する爆発。敵味方の区別なく燃え盛る火柱。その中心にいるのが、全て人であるという事に。
愕然とするファーナムであったが、彼の元へと駆け寄る者がまた一人。例によってケープで上半身を隠した、死兵の内の一人だ。ルルネはぎょっと目を見開き、しかしすぐにナイフへと手を伸ばす。
しかし、それよりも速く、ファーナムが死兵の元へと走り出していった。
「ちょっ、あんた!?」
ルルネの制止の声には耳も貸さず、ケープの人物へと接近する。相手もまさか近付いてくるとは思わなかったのか、慌てた様子で発火装置へと伸びる紐を手繰り寄せた。
が、その手をファーナムが掴む。盾さえ放り投げて空いた左手で、相手の腕を止めたのだ。
「っ、離せ!」
目深に被ったフードの奥から聞こえてきたのは女の声だった。まだ年若い、それこそ長い時を生きてきたファーナムからすれば子供にしか見えない彼女は、掴んでいる手を振りほどこうと必死に足掻く。
しかしファーナムの膂力は並み外れている。そんな事では振りほどく事など出来ない。彼は直剣を握ったまま女を抱き寄せ、そして声を張り上げた。
「こんな事は止めろ!死んで何になると言うんだ!」
「……っ!」
「たった一つしかない命……無駄にするんじゃないッ!!」
それはもはや怒号だった。
そう、ファーナムは激怒しているのだ。命と引き換えに自爆を行う彼らに。生きてダンジョンから戻る。そう胸に決めた冒険者たちとは全く異なる、歪な覚悟に。
その声に、女の双眸は大きく見開かれる。一瞬だけ時が制止し、振りほどこうとしていた抵抗の力が弱くなる。その変化に気が付いたファーナムは、僅かに安堵の息を漏らした。
「何をしているっ!」
が、そこに飛び込んできた声があった。
出処は一人の死兵の男からで、その手は既に紐を握っている。突進しながら大声で怒鳴りつけた男は、女へと言葉を叩きつける。
「我らの悲願を忘れたか!?死を超え、我らが
男はそう言い残し、他の者たちと同じ末路を辿っていった。直前に、何者かの名を口にして。
まずい。瞬間的にそう感じたファーナムは、天秤が悪い方へと傾く光景さえ幻視してしまう。女は空いた手を胸に携えて、虚ろな目でぶつぶつと何事かを呟いている。
どうにかしなくては、と焦るファーナムに更なる追い打ちが迫る。左右から食人花が迫ってきたのだ。二匹は挟み撃ちにするかの如く大口を開き、ファーナムと女を視界に捉えている。
「っ!!」
咄嗟にファーナムは両腕を振るった。
直剣が握られていた右手は、大口を開いていた食人花の上顎を貫く。紫色の体液を噴出させ、その痛みに長大な体躯が視界の端で暴れていた。
それとは対照的に、左手には何も握られていない。盾を投げ捨て咄嗟に武器も持たなかった左腕は、がっちりと食人花の顎に喰らい付かれていた。優秀な鎧のお陰で食い千切られてはいないが、鋭い牙が腕に食い込んでいる。
「ぐうっ……!」
兜の奥から
歯を食い縛りつつ、この状況を脱する一手を考える。まずは直剣を引き抜き、返す刀で左腕に喰い付いている食人花を斬り付けてやろう。
「………ヴァレリー」
その思考を、女の声が中断させた。
「――――――――――」
ファーナムの思考に空白が生じる。
女は左右に食人花が居るというのに、気が付いてすらいないように立ち尽くしている。その右手はファーナムの拘束を解かれており、自由になった手は既に発火装置へと繋がる紐を掴んでいた。
「待ってて……いま、
零れ落ちる涙と共に呟かれた言葉。
それは戦火の渦の中へとかき消えて。
「ッ、よせ―――――!!」
直後。
制止の声も空しく、ファーナムの視界は赤く燃え上がった。
ダンまち本編14巻が出ましたね。
相変わらず素敵な文章と多くの表現方法に、読んでいて本当に引き込まれます。
このような文章を目指して、今後も精進致します。