「ったくよぉ。世間じゃ花見だってのに、なんで名探偵毛利小五郎がわざわざこんな島に出向かなきゃならんのだ。1週間前に届いたあんな手紙のせいでよ」
霧が深く、前もまともに見られない状況。そんな状況下の船上で小五郎はタバコを咥えながら愚痴を漏らしていた。
《次の満月の夜、月影島で再び影が消え始める。調査されたし 麻生圭二》
新聞を切り抜いた謎のメッセージ。王道というか典型的といった謎の手紙だがその分、無気味さがある手紙であった。
「良いじゃない、伊豆沖の小島でのんびり出来るんだから。ねぇコナン君」
「うん」
「だといいがな…」
月影島行きの船に乗り込んでいたのは小五郎と蘭、コナンに百々月の四人。完全に旅行気分の二人に対し百々月は探偵事務所に届いていた手紙を見て一人、呟く。
「月影島で再び影が消え始める…か」
手紙からしてただで終われるような感じではないのだがなぜ二人はあんなに余裕なのか。正直、見習いたいものだ。決して嫌みではない、本気で思っている。
一度、蘭の家で泊まってから小五郎とも仲良くなった百々月は探偵の見本を見せてやると彼に誘われ、こうして付いてきたのだ。
ーー
無事に島に辿り着いた百々月たちは船員に役場の場所を聞くとそれに従い、歩を進める。特に意味もない会話に花咲かせながら辺りを見渡すが予想通りあまり活気のない町で電柱や掲示板に村長選挙と書かれたポスターが目につく。
「おい、もうついたぞ」
小五郎の声で会話を終わらせた3人は役場の中に入り、問題の麻生圭二という人物を捜して貰うことにするが…。
「えっと…。麻生圭二、麻生圭二…居ませんねそんな名前の人」
「もっとよく捜してくださいよ。現にこうして彼からの手紙が」
「しかし住人名簿には載ってませんし、私もここに来たばかりで詳しくは」
どうやら名簿を見る限り、麻生圭二という人物はこの島に存在していないらしい。手の込んだイタズラかと思ったが50万という大金は既に支払われている所を見るとただのイタズラと切り捨てるのも納得いかない。
「どうかしたのかね?」
「あぁ、主任。この方が島の住人から依頼を受けていらしたそうで」
職員と小五郎、軽くもめているのを見てか奥から上司らしき人物が声をかける。
「依頼?」
「はい、麻生圭二さんという方の」
「なに、麻生圭二だと!?」
尋常ではない反応、彼の知り合いかと思いきや役場中が騒がしくなりこちらを見ながら小声で話し出す。この島のタブーに触れてしまったかのような反応だ。
「そんな筈はない。だって彼は10年以上前に死んでいるのだから」
主任の言葉に小五郎たちは驚き、百々月とコナンは小声で話し始める。
「こりゃ、楽には済みそうにねぇな。もも」
「依頼料の50万とあのメッセージを見て楽に済むと思っていたのか?」
「まぁ、俺とももが居れば何とかなるだろ」
「嫌な予感しかしないがな」
この状況をみるに依頼主が何かしらの重大な事を成して欲しいということは理解できた。百々月の心配をよそに主任に部屋に案内され麻生圭二に関する話を聞く。
麻生圭二は島出身の有名なピアニストで海外でも公演をするほどの人物だったらしい。それが12年前の満月の夜、彼は公民館で演奏した後。突然、家に閉じこもり家族を殺すと家に火を放ち死の間際まで《ベートーヴェンピアノソナタ「月光」》を弾き続けていたという。
「なるほど、確かに違和感が残る事件だな」
「てっことは俺たちにその調査依頼って事でいいのか?」
「聞く限りではな…」
ちゃっかりコナンは百々月の足の上に座りながら小声で会話をする。3人掛けのソファーのためコナンが誰かの足の上に座らねばならない。なら彼女の上に座った方が話しやすい。
「依頼者本人に会えれば手っ取り早いのだが」
「麻生圭二を騙っている以上、手のつけようがねぇよな。そんなに村の連中にばれたくねぇのか」
「それとも私たちに正体をバラしたくないのか」
「とにかく、もっと調べる必要がありそうだな」
どっちにしても相手が何かしらの意図を持って送ってきたのは事実、探偵としてはそれを解き明かして依頼を完了させる、それだけだ。
ーー
死者からの手紙に見せかけたイタズラと小五郎は見てメッセージを丸めようとするがコナンと百々月に止められる。
「依頼料の50万は大金です。やはり、何かしらの意図があっての事なのでしょう。名を明かせない理由があるにしろ一度、調査するべきではないでしょうか」
「確かにな、ならもっと詳しい事情を聞く必要があるな。とりあえず、公民館に行ってみるか。そこに麻生さんの友人の村長が居るらしいからな」
説得力というのは話の内容だけではなくその言葉を放つ人の評判や人格、特に年齢で大きく左右されるというのを最近よく思う。同じ事を小五郎にコナンが言っても納得はするだろうが嫌な顔一つするだろう。
「では行きましょう」
百々月の進言通り、小五郎たちは公民館へと向かう。
「それにしても今回の件、どう思う百々月?」
「はい、役場での反応を見る限り彼のことはこの島ではタブー、小五郎さんに依頼をした事を隠したがるのは分かるかと」
「だよなぁ。この手紙の意味が本当に麻生圭二の死の真相を突き止めろって事だったらな」
「そうですね」
小五郎の言葉のきれが悪い。彼もなんとなくだがこの答えに納得がいっていないようだ。公民館へ歩いていると白衣を着た女性の姿が見える。
「すいません、公民館ってどこですか?」
「あぁ、その角を曲がったら真っ直ぐ行って突き当たりに…あ、もしかして皆さん東京から?」
道を尋ねた蘭に笑顔で答えてくれた女性は明るい雰囲気で道を教えてくれ、東京から来たと知ると嬉しそうに話をしてくれる。
「はい、さっきの船で」
「へぇ、私の実家も東京なんですよ。この島は東京と違って素敵でしょう?空気は澄んでるし、とっても静か」
その瞬間、タイミングの悪いことに拡声器で大声を撒き散らす選挙車が通っていく。
「ではないか。もうすぐ村長選挙があるものだから」
「確かに、役場や電柱にポスターがありましたね」
百々月の言葉に頷いた女性は村長選挙について詳しく解説してくれる。
「えぇ、候補者はさっき通った漁民代表の清水さん。最近人気が落ちている現村長の黒岩さん。そして島一番の資産家、川島さん。患者さんの話では川島さんが…」
「あぁ、いえ看護婦さん。私たち村長選に興味は」
「私は医者の浅井成実、ちゃんと医師免許を持ってます」
「ドクターでしたか」
女性の医師など今の時代、珍しくもないものだ。
「貴方たち公民館に行くのなら今言った3人に会えるわ。今日は前村長の亀山さんの三回忌の法事をやるんです」
「前村長の」
「三回忌…」
成実さんと話を終えた百々月たちは案内された通り、公民館に向かうのだった。
ーー
「ったく。いつまで待たせる気だ」
無事に公民館に辿り着いた一行だが麻生の友人である黒岩は一向に来ない。小五郎は吸っていたタバコを灰皿に押しつけると悪態をつく。
「やはり歓迎はされませんね。村民も横暴だなんだと言っているし、探偵が来たとなれば警戒もするでしょう」
「それにしてもだ。さっさと話を済ませて宿に戻りてぇのに」
「コナン君は?」
どうやらいつもの如くコナンが消えたようだ。
「また悪い癖が出たんだろう」
「本当にすぐにどこかに行くんだから。ねぇ、羽部さん」
案の定、コナンはすぐに見つかった。廊下の奥の部屋を覗いて入っていたのだ。その部屋には中央にピアノがあるだけで他は何もない。
「広い部屋だな、公民館の裏はすぐ海か」
「このピアノ、汚いわね」
「少しは掃除すれば良いのにね」
「随分と変な部屋だ…」
確かにピアノ一台を置いておくだけにしては大きな部屋だ。すると百々月は部屋の違和感に気づく、部屋は綺麗に掃除されているのに対し、ピアノだけが埃を被っていたからだ。
「まるでこのピアノを避けているようだな…」
「あぁ、駄目ですよ触っちゃ。それは麻生さんが死んだ日に演奏会で弾いていた、呪われたピアノ」
「呪いなんて…」
「麻生さんだけじゃないんですよ。前の村長の身にも同じようなことが」
「というと今日、法事をやる亀山さん」
「はい、あれは2年前の事です」
黒岩現村長の秘書、平田はただならぬ様子でピアノの事を話し始める。
どうやら亀山さんはこの麻生さんが使っていたピアノの上で心臓発作を起こして死んでいたらしい。その死体を平田が見つけたらしいがその際にピアノソナタ「月光」が流れていたらしい。
「それ以来、このピアノは呪われたピアノと呼ばれるように」
(実に興味深い内容だ。呪われたピアノ、確かにピッタリの名称だな)
本当の呪いかどうかはともかくとても興味深い内容に百々月も耳を傾けているとコナンがピアノを弾き始めて平田に閉め出される。
「とにかく法事が終わるまで待っててください!」
完全に怒らせた上に閉め出される。法事なんてかなりの時間がかかるだろうにそれまで待てというのだから明らかにこちらを毛嫌いしているかがよく分かる。
そのすぐ後に医者の成実さんと再び出会い候補者のひとりである清水さんと挨拶を交わすと法事が終わるまで公民館の正面玄関で待っていることにした。
「なぁ、もも。俺が弾いたあのピアノ、何年も使われてないというのに音が正確に出ていた。きっと誰かがこっそり調律してるんだ何かの目的で」
「それを確かめたせいで私達は閉め出されたのだがな」
「悪かったって」
日も暮れたのに今だに外で待ち惚けを喰らっている状況に対し笑顔でいられるほどお人好しでも変態趣味でもない。百々月も表情こそ見せないがいらついているようだった。
「ピアノソナタ月光は三大ピアノソナタの一つだな、全部で第3楽章まである。有名な楽曲だな。15年前の怨念か因縁かは知らないが、ただでは終わってくれないだろうな」
「あぁ…」
不吉であり不気味である、こういったときに悪いことが起きるのは世の常であるだろう。
そんな時だった、公民館中に鳴り響くピアノの音色を耳にしたのは。静かな音色が鳴り響く、この音色は先程、話をしていたピアノソナタ「月光」の音色だ。
「この音色は月光だと?」
「しまった!」
急いで駆けつけるのはピアノのあった大部屋。そこには大勢の人が集まり部屋のドアを見つめていた。この部屋から月光の音が出ている。
「おい、君たち!」
駆けつけた百々月とコナンは水浸しでピアノに倒れている川島さんの姿を発見した。彼の表情は壮絶なもので苦しみに歪ませながら死んでいた。
「死んでいる」
「な、なんだって…」
小五郎が脈を確認すると静かに首を横に振る。その様子を見て全員が驚愕の表情を浮かべた。
「くそっ、あの手紙は満月の夜。月影島で再び、人が死ぬことを予告していたんだ」
「……」
悔しそうに表情を歪めるコナンと静かに目を細めている百々月。
こうして江戸川コナンの最大の転機である《ピアノソナタ「月光」殺人事件》が幕を上げる。しかしそれは後の世を震撼させる人物、羽部百々月の転機ともなった。
同じ道を歩んでいた2人の道がこの事件をきっかけに少しずつずれ始める。
―悪魔は少女に微笑みかける―