あの矢上邸による殺人事件から数日が経過した。さらに塞ぎ混みがちになったスグリのことを百々月は目を離さずにケアし続け、なんとか学校生活でも支障がない程度にまで持っていった。
「すまないね。ここまで世話になってしまって」
「いえ、スグリは私の貴重な友人です。そのためなら助力は惜しみませんよ」
「そうか。ところで君は伊豆に行ったことはあるかな?」
「いえ、旅行とは縁遠い生活だったもので」
藤五郎に呼ばれていた百々月は彼の質問に対して首を傾げながら答える。
「実は私が懇意にしているコンピューター会社のオーナー。金城玄一郎さんがね。とあるプログラムを争奪する推理イベントに参加することになっているんだが君の話を聞いて助力して欲しいと言ってきてね」
「相当、大切なプログラムなのですね」
藤五郎の答えに百々月は真剣な表情で話を聞く。ただのイベントではない彼女の助力を申請してきている時点で向こうの必死さが伝わってくる。
「私もよく知らないのだが
「あぁ、工藤優作さんの作品ですね」
「物凄い人気らしいね」
闇の男爵シリーズなら暇があれば読んでいる。森谷帝二の事件の際に買った本は文字通り木っ端微塵になってしまったが買い直してじっくりと読んでいる。
「……」
あの時のことを思い出すと思わず心臓が早鐘を打つ。不快な感じはしなかったが何か不思議な気分になる。
「どうしたのかね」
「いえ、なんでもありません」
「そうか、まぁ推理系のイベントではあるが伊豆のホテルに泊まれる上にプライベートビーチまである。気分転換には持ってこいだと思ってね」
「ではスグリを…」
「君とならスグリも安心できるだろう」
唯一の心の安らぐべきである家がこんな惨状になってしまえば気分転換は望めない。なら外に出て行くべきだと判断した藤五郎は金城の依頼を利用して楽しんでもらおうと考えているようだ。
「確かに…分かりました。金城様には了承しましたと伝えてください」
「助かるよ。ありがとう」
こうして百々月とスグリの伊豆プリンスホテルにて開催される推理イベントの参加が決定する。だが彼女はまだ知らない、この推理イベントには全ての元凶たる人物も参加していると言うことに…。
ーー
「君があの有名な女子高生名探偵。羽部百々月さんだね」
「はい、お初にお目にかかり光栄です。羽部百々月と申します」
「矢上藤五郎の娘の矢上スグリと申します」
金城玄一郎。立派な口髭を蓄えた初老の男性が彼女たちに今回のイベント参加を持ち掛けた人物だった。
「君が藤五郎のお嬢さんか。お兄さんのことは残念だった、将来有望な男だったのにな」
「はい…」
百々月が了承の返事を伝えてからすぐに連絡が来た。早速、顔を合わせたいと言って来た金城は温厚な態度で二人に接してくれた。
「彼女は使用人の林静江だ。今回のツアーに一緒に参加する」
「よろしくお願いいたします」
「「よろしくお願いします」」
使用人の静江さんと挨拶を交わした二人は早速、本題に耳を傾ける。
「我々は今回狙っているのは闇の男爵と呼ばれるプログラムじゃ。かつて大企業のパソコンに侵入し、データを荒らしまくった幻のコンピューターウイルスがあってな。もちろんそれは発見することも止めることも出来ない完璧なプログラム。あまりにも神出鬼没なため、人々がウイルスに付けた名が闇の男爵」
「闇の男爵…」
「景品の名は明かされていないが恐らく、それが景品と見て間違いないじゃろう。ワシはそれがまた誰かの手に渡って悪用されるのを阻止したいんじゃ。協力してくれ」
「私に出来ることであれば…」
金城の強い思いに百々月は嘘はついていないと判断してスグリを見る。彼女も思いは同じだったようで頷くとその申し入れを受け入れる。
「そうか、ありがとう。それで聞きたい、君ならどう立ち回るかを」
「そうですね。要するに主催者は正体を隠したいわけです、なら一番手っ取り早いのはスケープゴートです。その指針をあえてこちらに向けることで主催者を炙り出しましょう」
「というと?」
百々月の案に三人は興味津々と言った感じで聞く。
「つまり付け入りやすく。怪しそうにすれば良いのですよ」
「なるほど、他の参加者に対してもいいブラフになって一石二鳥ですね」
「えぇ」
「面白くなってきた。四人でアイデアを出し合うとするかのぉ!」
静江も金城もノリノリの様子で案を出し合い。あっという間に時間は過ぎる。そして練りに練った設定で四人はイベントに参加するのだった。
ーー
そして当日。
「んんー。気持ちいいな」
「うん、これも羽部さんのお陰だね」
プリンスホテルのプライベートビーチ。時期が時期なだけあって人が沢山居る中、百々月とスグリはホテルの貸し出し施設から借りた水着を着て海水浴を楽しんでいた。
本来の目的はスグリの慰安、折角海があるのだから楽しまないわけにはいかない。今頃、金城さんたちは他の参加者たちと顔を合わせているだろう。
「でも良いの?ここでゆっくりしていて」
「私たちの存在は後から知られればそれでいい。謎の随伴者たちは後から現れた方が怪しいからな」
筋肉質でスタイルの良い百々月の体にちょっとだけ嫉妬してしまうスグリ。だが彼女も胸は小振りだが良いスタイルを持っている。
「む、なんだ?私のスタイルで嫉妬しているのか?」
「な、そんな事ないよ!」
「ふっ初奴めぇ」
「きゃぁぁ!」
スグリに抱きついた百々月。彼女は突然の抱き付きに耐えられずに倒れ海の中にダイブする。
「酷いよぉ…」
「ははっ。やっぱりお前は眼鏡を外せば美人だな」
「え?」
「勿体ないものだ。その眼鏡で顔の半分が隠れてしまっている」
海水でびしょ濡れになったスグリは眼鏡を外して顔を腕で拭う。それを見た百々月は残念そうに呟く。
「羽部さん。今日はやけにテンション高いね」
「そうか?」
スグリを慰めるための海水浴だったが個人的には百々月にもいい気分転換になっていた。
話を聞いていると相変わらず新一の周りには殺人事件が絶えないようで個人的にちょっと距離を置いていたりする。そんな矢先に矢上邸の事件、覚悟決めても正直キツい。
「そろそろ行くか」
まぁ、この探偵家業も悪くはない。探偵の仕事は殺人事件の捜査以外にもいっぱいあるのだから。
「分かった」
そう言って二人は行動を開始するのだった。
ーー
真っ黒なスーツを纏いサングラスを掛ける。長い髪を団子にして大きな絆創膏を頬に貼り付ける。一応、百々月は有名人。探偵がこのイベントに乗り込んできたとなれば警戒される。そのための変装だ。
「行くか…」
「はい」
「「「探偵!?」」」
(うわ…)
プリンスホテルのロビー。そこで待っている筈の金城の元へ向かっているとそのロビーに驚きの声が響く。
「はい…毛利小五郎と言いますけど」
「毛利小五郎…」
百々月の視線の先には蘭の姿。そしてそのすぐ側にはコナンの姿を見つける。思わず帰りたくなった。だが今回は金城さんの依頼だ。ここは敵として振る舞わなければ、作り上げた設定に忠実に動くのに徹する。
「わ、私。新聞で見たことあるわ」
「あぁ、確か名探偵と言う」
空手の全国チャンプ前田とその婚約者の佐山の言葉を皮切りに集まっていたメンバーたちが騒ぎ出す。
「フン、きたねー野郎だ。代わりに探偵を寄越すなんて」
「いいじゃない、これで闇の男爵候補が減ったんだから」
「じゃが毛利小五郎がいるとなるとお互いに迂闊にボロを出せませんな」
飲んだくれの江原、グラビアのような容姿を持つ上条、そして金城は嫌な顔をする、イベントの内容を思えば当然の反応だといえる。
「なんか有名みたいよ、お父さん」
(ちぇっ…みんな俺のおかげだっつーのに)
小五郎のあまりもの人気に蘭は感嘆しコナンは面白くなさそうにしていると黒服の二人組が背後を通る。
「っ!」
あわてて振り返ったコナンはその二人組を見つめるが肝心の黒服は目もくれずに通りすぎていく。すると目が不自由な老人、金城の元に駆け寄る。
(SPか…)
二人はどうやら女性のようだがなんだかただならない雰囲気を感じる。
(取り敢えず気にしとくか…)
そう思いながらコナンは自分を呼ぶ蘭に付いていくのだった。
ーー
「すまん、ちょっと花を摘みに…」
「あ、はい」
小さな声でプール近くのトイレに突入した百々月はやることを済ませて個室を出る。
「あ…」
「……」
すると同時に出てきたイベントの参加者。佐山明子は驚く、それを見た百々月は道を譲ると自分も外に出る。
ーー
(ヤロォ)
それとほぼ同じ頃。突如、出現した闇の男爵によってプールへと突き飛ばされたコナンは最速のルートで突き落とされた現場に急行したが犯人を見失ってしまう。
(あれは!)
すると廊下の先のエレベーターに乗り込む人影を見つける。それは変装した百々月であった。
(イベント要因としてSPを使ったのか?確かにSPなら行動は自由にできる筈だ)
大きな絆創膏を頬に付けた女性は警戒していない。素早くそばに駆け寄ると盗聴機をズボンに張り付ける。
(あとはバレないようにしねぇと)
案の定、気づいた素振りを見せなかった彼女はそのままエレベーターへと消えていった。
(どんなイベントであれ俺を突き落とすなら相応の理由がある筈だ)
コナンはすぐに盗聴機のスイッチをオンにすると耳を済ませる。
《思ったより手癖が悪いな…》
その瞬間、盗聴器を破壊され雑音が鳴り響く。
(気づかれた。何者なんだ奴は?)
未知の存在に恐怖を覚えたコナンは昇り続けるエレベーターを睨み付けるのだった。
ーー
(そろそろ訴えても裁判に勝てる気がする…そして私の精神に対しての慰謝料を…)
足元に装着された盗聴器をエレベーター壁を蹴って破壊する。
てかあいつ怪しいと思ったらすぐそういうことやるのかは考えない。考えないったら考えない。
(しかし、新一が居るとは予想外だった)
わざわざ伊豆まで来てこんなことに巻き込まれているのは悲しい。まぁ、コナンこと新一の場合、事件まみれで嬉しいなんて…思ってないな。それは狂人の考えだ。
「疲れるなぁ…」
ちょっとお疲れ気味の百々月であった。
ーー
「え、怖い…子供ならではの行動力?」
「まぁ、そういう感じだろうな。子供恐ろしいな…」
プリンセスホテルの屋外レストラン。そこでは豪華な料理が振る舞われそれに百々月とスグリも舌鼓を打つ。
「家の方が豪勢だけどこういう所の食事もいいわね」
「嫌みか?」
「そういう訳じゃなくて!」
まぁ、色々あったが元気そうに食べるスグリを見て安心する百々月。依頼という形だがスグリの慰安旅行としての側面も大きい。事件を解決した百々月は護衛のような形になっているが友人が元気な姿を見てこちらも嬉しい。
「あれ、金城さんの所に…」
「ん?」
ーー
「四年前に死んだ息子の事をな…」
「え?」
金城から不審な言葉が出たのを驚くコナン。それと同時に襟首を掴まれ持ち上げられる。
「しまった!」
「そこまでだな坊や」
百々月に捕まり持ち上げられたコナンは一番警戒する人物に捕まってしまう。
「え、その声は!」
「この一日でお前に聞きたいことがたっぷり出来たな…」
「もも…ハハハハ…」
サングラスを外した百々月の素顔を見たコナンは思わず乾いた笑い声を出すのだった。