「どうぞ、ダージリンです」
「ありがたく頂戴いたします」
森谷邸に招かれた百々月は紅茶と手作りであろうお菓子をご馳走になっていた。それを森谷はパイプを吹かしながら笑顔で眺めていた。
「ご厚意は嬉しいのですがなぜここまで…」
「私の個人的な感傷のようなものですよ。昔、イギリスで君のような女性と出会ったことがある。私が七歳の時だ」
イギリスにあるハイド・パークに従者と訪れたときだ。両親は忙しく森谷の相手をしてくれなかった。その時、当時は18歳ぐらいの女性と出会ったのだ。
金色の髪を持つ美しい女性だった。確か、彼女はフェンシングの達人であった。
「会ったのも数回だったのだがね。とても良くして貰った、その女性ととても似ていたのでね。それに傷だらけだった、心配になりましてね」
「なるほど」
幼き頃の美しき思い出というものか。
「君はジャック・ザ・リッパ―という殺人鬼を知っているかね?」
「えぇ、名前だけは」
確か、イギリスに本当にいた殺人鬼だったはず。確か、新一がコナンじゃなかった頃に話していた気がする。
「売春婦5人を切り裂き、署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけたりなど劇場型犯罪の元祖とされる人物だよ。だが実際に奴が殺したのは何人かも、正体どころか性別さえ分からせずに完全犯罪を行った人物ですよ」
「思い出しました。確か、時代は霧の都ロンドン。産業革命で最も栄えた時代とされる大英帝国の末期。確か、貧富の差が激しく内部では荒れていた時代だと」
確か、そのジャック・ザ・リッパ―は殺した人間の内臓を摘出したという。気になる、生きたまま解体したのだろうか。例えそうだとしたら被害者はさぞかし大変だろう、どんな最期の言葉を口にしたのだろう。どんな思いで解体されたのだろう、気になることは知りたくなる。
「えぇ、私はジャック・ザ・リッパ―を高く評価していてね。ベクトルが違うが物事を最後まで完璧にこなすのは素晴らしい」
確か森谷さんは完璧主義だった。あの時のアフタヌーンパーティーの際にも《美しくなければ建築ではない》と豪語していたほどだ。こういった焦がれるほどの熱心さは私にはないものだ。
「顔色が良くなって来ましたね」
「え、そうでしょうか」
「えぇ、先程まではだいぶ追い詰められていたようですが」
「まぁ、最近は人の死に目に遭遇することが多くて」
「なるほど。貴方は変化を恐れているのですね」
変化を恐れている。確かにそうかもしれない。平凡だった日常が大きなものに塗り替えられた。その事実を見えない何かとして恐れていた。なんとなく納得できる話だ。
「変化は人を成長させます、それには大きな覚悟も必要ですがね。私も今は建築家としての責任を果たしているところです」
「責任ですか」
考え込む百々月を見ていた森谷は静かに立ち上がる。
「どうですか。ギャラリーでも」
「えぇ、お願いします」
ーー
壁に飾られているのは建物の写真。その部屋の真ん中には大きな模型が置かれている。
「我が幻のニュータウン西多摩市ですか」
「あぁ、これは岡本市長に依頼されたものなのですがね。市長が失脚して計画が頓挫したのだよ」
流石は森谷帝二。完全なシンメトリーのニュータウンだ。これ程の規模のものを手掛けるチャンスを失ったのださぞかし悔しかっただろう。
「悔しいですね」
「えぇ、ですが決心が着きました。復讐を果たす決心がね」
「森谷さん?」
急に空気が変わった森谷に戸惑いながらも百々月は少しだけ一歩下がる。
「私は私自身が許せない。私にもっと力があればこんな出来損ないを産み出さなかったというのに」
忌々しげに見つめるのは森谷が若い頃に作ったとされる作品たち。この家たちは知っている。確か、放火魔によって放火された家たちだ。
「まさか、貴方が…でもなんで私に。私が彼と近しい人物だと分かっていたはず」
「お互いに腹の隠し合いはやめましょう。貴方も私と近い人間だ」
「っ!」
全く心当たりのない言葉。だがなぜか、その言葉は彼女の胸に深く突き刺さる。
「一見すれば、君はただの女子高生、だがその裏では正義の象徴として難事件を解決する奇跡の存在。失踪した工藤新一の再来、だが君はそんな称賛を望んでいない。それどころか鬱陶しく思っている」
「そんな事は…」
アフタヌーンパーティーより以前。彼女を見かけたことがある、時間は一瞬だったが印象は抜群だった。彼女と同じ制服を着る生徒たちに囲まれている彼女の顔は酷く退屈そうだった。まるで昔、出会った少女のように。
だからこそ招待状を出したのだ、自分の感じた違和感を確かめるために。
「君は探求者だ。謎を追い求めるものだ、しかし君は真実を追い求めているわけではない」
そしてアフタヌーンパーティーの時、彼女が挨拶を交わしている際に探偵としての活躍を誉められると笑顔に影が入る。だが対照的に時限爆弾の爆破で吹き飛ぶ彼女の顔はとても良い顔をしていた。
彼女は刺激を求めているのだ、味わったことのない快楽を得ようとしている。それは決して称賛によって産み出される訳ではない。
「確かに犯罪の真実なんて私にはどうでもいい。私は自分の身を守るために始めたことです」
あの山荘での出来事は単に自分の身を守るための推理。二度目の推理は親友が自分の力を欲したからだ。
そういえば、なんで私は月影島に行ったのだろう。明らかに殺人予告な手紙だったし、行かないという手は十分にあった。別にあれは巻き込まれた訳じゃない、自ら事件に首を突っ込んだと言っても良いだろう。
そう言えば月影島で思い出した。
「なぜ新一にわざわざ爆破予告をしたんですか。そんなことをしなければ貴方は目的を楽に遂行できたのでは?」
「私は彼に一泡吹かせないと気がすまなかったのだよ。私の夢をぶち壊した工藤新一をね。こうして行動したのは私のためだ、私の譲れない美学のために行った事だよ」
「後悔や思い残りは…」
「ない。私の美学は他の者には分かるまい」
清々しい、ここまで自信満々に自分の犯罪を断言できるとは。これは素直に敬意の気持ちが沸いてくる。コナンや小五郎の話を聞いても結局最後には《私はなんてことを》なんて奴が多すぎる、後悔するならやらなければいい。
なにが間違っていただ、どうせなら最後まで胸を張って欲しい。
「分かる気がする」
彼の思いは実に真摯でシンプル。分かりやすく納得しやすい、誰だって書き損じたら消して書き直す。それが字から建物に変わっただけの話だ。
まて、先程。私は犯罪の真実なんてどうでも良いと言ったのか?ならさっさと新一との関係を断って逃げればいいのだ。これからも何度も人の死に目にあって苦しむ未来を受け入れようとしていたがその必要なんてない。逃げればいいのだから。
しかし私が真実を追い求めていたのは事実、ならなんの為に?真実ではないのなら私って何を知りたがっていたんだ?
そういえば、月影島での最後の夜、私は成美に迫った。矛盾を産み続ける彼の行動に疑問と強い興味を持って行動したのだ。
あぁ、今思えばなんであんなことをしたんだろう。
(面白い、なぜこんなに人の感情というものは複雑怪奇なのだろう。自分自身の思いや感情でさえ分からない。だからこそ面白い、そんなんだから興味が止められていないのか)
「ははっ…」
なぜ邪魔をする。
なぜ躊躇う。
ただ知りたいだけなのに
「はっははは!あっははは!!」
両手で顔を隠して悶える百々月。その様子を黙って見つめる森谷、指の隙間からあらわになる目が再び開かれるとそこにはおよそ人のものではないようなおぞましい目があった。
(今まで、ここまで一つの事に強い興味を持つことはなかった。こんな感情が私にもあったのだな)
だがそれも一瞬、すぐに元通りの普通の目に戻る。
やはり何かが居る。彼女の中におよそ想像のつかないものが潜り込んでいる。そう森谷は確信した、自分と同じ表に出せない何かが彼女にはある。
「かぁごめ…かごめ 、籠の中の鳥は…いつ…いつ出や……る」
一瞬だけ呪詛のように呟いた百々月。次の瞬間、彼女は気を失い倒れるのだった。
ーー
「なにももが居なくなったって!なんで早く連絡してくれなかったんだ博士」
「出なかったのはそっちじゃろう」
無事に東都鉄道の爆破予告事件が解決した頃。コナンは阿笠博士から連絡を受け取り思わず怒鳴るがすぐに言葉に詰まる。
(不味いな…)
百々月が着けていたはずのネックレスからの反応が探知出来ない。もしかしたらあの時の爆発のせいで故障したのかもしれない。いや、しているだろう。あんな爆発に耐えられる機械なんてない。
「あの怪我だ、そんなに遠くまではいけないはずだ」
「そう思って捜しておるんじゃが見つからなくてな」
「いや、待てよ」
もしかしたらとコナンは思考を巡らす。月影島での失踪も彼女は早々に犯人に目星をつけて行動していた。もしかしたら今回も百々月が先に行動しているのかもしれない。
(なら犯人を突き止めた方が先に見つかるかも)
そうなら話は早い。すぐに頭を事件に切り替え犯人に対して思案を巡らすのだった。
ーー
「まさか気を失うとは」
少しカマをかけたつもりで言ってみたがまさかここまでの反応を見せるとは思わなかった。何人もの弟子を育ててきたからこその見識眼がここで役に立つとは思わなかった。
客人用の宿泊室。そこに備え付けられたベッドに丁重に寝かせられた百々月を森谷は静かに見つめる。
「話の続きだが、イギリスで出会った女性はね殺人鬼だったんだよ。両親と一族を皆殺しにしてね、企みをもっている彼女はとても美しかったよ」
気を失っている相手に何を話しているのかと思ったが彼女には不思議と惹かれるものがある。なにかは分からないが不思議とそうなってしまうのだ。
(あの時の眼はあの娘そっくりだったな)
「そして君も彼女には少し劣るが…美しい」
何かに進む人間は美しい、それは男であろうと女であろうと関係ない。
「これは私からの投資だよ」
そうすると森谷は封印した封筒を彼女の服のポケットに忍ばせるとその場を後にするのだった。
ーー
そして暫くした後、放火魔と爆弾魔の共通点が発覚。コナンたちは森谷邸に赴き、コナンは一人で証拠集めを開始する。
「なんだ、この部屋だけ明かりがついている。もも!」
不思議に思ったコナンがその部屋に立ち寄るとベッドで静かに眠る彼女の姿があった。
「睡眠薬で眠らされているのか。やはり、ももは俺より先に犯人に気づいていたんだ」
推理に関してどんどんと成長していく百々月。その姿を見ているのは頼もしいが一人で確証を得ようとするのはあまり誉められたものではない。現にこうして二度も危険な目にあっているのだから。
「これからはもっとももに相談するか。俺とは違う考え方で動いているだろうし。なにか発見があるかもしれねぇしな」
育ちも性別も全く違うからこその思考パターンの違いはどうしようもない。推理小説などを読まないからこそ独特の考えで動いているのだろう。
「おい、起きろ」
「新一か…」
コナンに揺すられた百々月は意識を取り戻す。優しく名を呼ばれたコナンは一瞬だけドキッとしたがそんなこと後回しだ。
「おめぇはここで安静にしていろよ」
「おい!」
そう言い残すとコナンは部屋の扉を開ける。
「起こしといてなんだけど。すまねぇ」
コナンはそう言うと時計の麻酔銃でもう一度、百々月を眠らせると真相を暴き出すためにギャラリーに向かったのだった。
ーーーー
その後、彼女が目覚めたのは次の日の昼頃。入院していた病室に戻されていた。誰もいない病室から見えるのは激しく立ち上る黒煙。目覚めた後、目暮警部に聞いたのだがどうやらベイカシティービルが森谷の手によって爆破されたらしい。
「見たかったな」
その被害者には蘭も含まれ彼女が爆弾を解体したそうだが…正直言うとその時の蘭の顔が見たかった。
「ありがとう。森谷さん、貴方のお陰でしばらくは探偵として生きていけそうです」
死ぬのはどうせ他人。殺されたことに驚かされる事はあるにせよ同情はしない。ただ知るだけ、高校生らしく勉学に励むだけだ。
もしかしたらこの自身に渦巻いている感情の正体が分かるかもしれない。
彼女は歩き始めた。事件の真実についてくる小さなおまけを求めて。人の感情という終わりなき探求を行うために。
その時、なぜか気持ちが少しだけ軽くなった彼女は母がよく歌っていた歌を口ずさむ。
「うしろのしょうめん…だぁれぇ」
第一章 完
次の本編からは第二章 発芽 を開始します。
その前に閑話として百々月覚醒後のとあるワンシーンをお送りいたします。
参考データ
約40年前に発生した猟奇的殺人事件。
家主の夫婦を含む親族、約7名を殺害、家に放火を行った。
犯人は家主の一人娘。その一人娘は犯行の後に自分自身を串刺しにして自殺した。