選抜戦最終日の朝。
サイタマは歯磨きをしているとあるニュースが目に留まった。
それによると、どうやら一輝の試合が一般公開されるらしいのだ。
(へー。今日の試合は見れんのか。)
弟子にしてしまったのなら師匠にも責任が生じるもの。
(行こうかな。)
サイタマもそうを考えて一輝の試合を見に行く事に決める。
しかしサイタマには若干の違和感があった。
ステラと手合わせしたあの日、一輝からは七星剣舞祭代表に選ばれたら連絡をすると言われていた。
それに一輝の事だ。もし自分の試合が一般公開されるのなら、間違いなく見に来るよう連絡をしてくるはずなのだ。
(…ま、まあ一輝の事だし『俺を嫌ってるから呼ばなかった』…なんて事はないよな?…………無い、よな!?)
○
サイタマが会場に着いたのは試合開始時刻ぎりぎりであった。
着いたと同時になり始めたアナウンスを開始の合図だと勘違いして、サイタマが焦ったのは言うまでもないだろう。
(あっぶねぇ……。さっきのは一輝がまだ着いてないってアナウンスだったのか。結果オーライ、なんとか間に合った。)
食べていた風船ガムを膨らまながら通路に立って舞台を見下ろす。
(しっかし、あの一輝が遅刻か。)
何らかのトラブルがあって遅刻したのだろうが、サイタマは一輝は必ず到着すると思っていた。
1年間共に住んだ為、彼の誠実さはよく理解しているつもりだ。
そもそも一輝なら遅刻すらありえない事だとも考えていた。
すると聞き覚えのある声に呼びかけられる。
「───あ、サイタマ?」
「ぶっ!!」
いきなり声をかけられたものだから膨らましていた風船ガムが破けて顔にひっついてしまった。
「なんだ、お前か…。ビビったじゃねぇかよ。」
サイタマはブツブツと文句を言いながら、顔についた風船ガムを取る。
声をかけてきたのはステラだった。
○
サイタマはステラ達に連れられて一般客も数多くいる中、なんとか空いていた席を見つけて並んで座った。
ステラ達、というのは彼女は珠雫、加賀美と共にいたのだ。
「それで…ステラさん?彼は一体、誰なんですか?」
「こいつはサイタマ。イッキのお師匠さんよ。」
珠雫に問われ、ステラはサイタマが一輝の師であることを教える。
「こ、こ、ここ、このハゲで気の抜けたような顔をしている男がお兄様の師匠なのですか!?」
「えぇ!! 黒鉄先輩にお師匠さんいたんだ!……あ、私は加賀美です!よろしくお願いしますー!」
珠雫と加賀美がこのように対照的な対応をしたのはしょうがないことだ。
なぜなら一輝から聞いていた話と全く印象が違ったのだ。
実は珠雫はステラより先にサイタマという師匠の話を一輝から聞いていた。
一輝は「先生はとても強く、そして己の強さに絶対の自信を持っている。僕のあこがれの人だ。正直、とてもカッコイイよ。」と言っていた。
だが実際に見てみれば……
「何、ジロジロ見てんだ?」
「こっ……この人が…。」
「あ?」
風船ガムをクチャクチャかんで、片腕を背もたれに掛けて脚を組んで座っているような行儀の悪い男。
(───聞いていた話と全然違う!!!どういう事ですかお兄様!!)
少し泣きたい気分の珠雫であった。
「……ふぅ、取り乱してすいませんでした。黒鉄珠雫と申します。その節は兄がお世話になりました。」
「お、おう。お前が一輝の妹か。」
冷静さを取り戻した珠雫は自己紹介をし、加賀美が疑問に思っていたことをステラに問う。
「それでそれでステラちゃん。黒鉄先輩のお師匠さんってどれくらい強いの??」
「私がサイタマと手合わせした時に生まれて初めて走馬灯を見たって言えば分かるかしら。あんなに足に力が入らなかったのは生まれて初めてよ。」
「えぇ⁉︎」
Aランクの《紅蓮の皇女》が走馬灯を見るほどの実力をもつという事実に珠雫と加賀美は驚きを隠せていないようだった。
「…てか、俺の事は別にいいだろ。今から一輝の試合だぜ。
なんで一輝は遅刻なんかしてるんだ?あいつに限って有り得ねぇと思うんだけど。」
自分の話などどうでもよい、そんな風にサイタマはステラ達に質問をする。
ステラは一度、珠雫と顔を合わせる。
一輝が遅刻した…いや、赤座によって到着を遅らされたのは深い事情が関わっているため、その理由は気軽に言えないことなのだ。
「……サイタマってイッキと『黒鉄家』の事をなにか聞いたことあるかしら?」
「まぁそれなりに。……それと関係あんのか?」
「ステラさん。お兄様からある程度聞いていたのなら、言ってもよろしいと思います。」
「……そうね。」
ステラも珠雫も一輝本人から一切聞いていなかったのなら、この話はすべきではないと考えていた。
だが、ある程度聞いているのなら。
師匠という立場にいる彼には話しても問題がないと判断した。
「実は───」
○
「ふーん。その赤座って奴が色々とやってんのか。」
ステラと珠雫は説明を終えると、サイタマはそう言った。
「そうです。間違いなく中心となって動いてるのは赤座守です。」
「そいつはこの会場にいると思うか?」
「えぇ、恐らく。」
「写真とかあるか?」
「調べればすぐに出てきますよ………この人です。」
珠雫は生徒手帳で検索した赤座の写真をサイタマに見せた。
「………。」
その写真を見たサイタマは、視線を携帯から観客席に移して全体を見渡す。
すると数秒後、彼が座ってるところよりも高い丁度反対方向の席の方を指さした。
「あいつ?」
「え、誰がですか?」
「その赤座ってやつ、あそこに座ってるのじゃねーの?」
目を細めて見るが、ステラも珠雫も加賀美も肉眼では捉えられない。
例え方向が分かってても、一般客もごった返しになっている中から特定の人物を見つけ出すのは至難の業だ。
「あ…いたいた、ホントだよ!西京先生と理事長先生と一緒に座ってる!」
加賀美が持っていたカメラ越しに赤座の発見を伝えた。
サイタマが指さした方向にズームアップしたのだろう。
(写真で見ただけの男を一瞬でこの観衆の中から的確に見つけるだなんて……。)
珠雫がサイタマへ畏れを感じていると、アナウンスが鳴る。
それは、黒鉄一輝が到着して遂に試合が始まることを知らせるアナウンスだった。
●
『───ご来場の皆さま、長らくお待たせしました!!これより七星剣舞祭代表選抜戦最終試合を開始します!!』
会場のボルテージは一気に上がる。
『さぁ、赤ゲートより《雷切》が姿を現しました‼︎‼︎』
ピンと背筋を伸ばし、リングに姿を見せた《雷切》東堂刀華。
《落第騎士》が出てくる青ゲート、ただ1点を見つめるその姿はまさに威風堂々。
『そして青ゲートより姿を見せたのは、同じく19戦の全てを勝利で飾ってきた《落第騎士》黒鉄一輝選手!!』
一輝は青ゲートから出てくる。その足取りは確かなもので、凛とした背中はまさに普段の彼そのもの。
であるのに。
どこかいつもの黒鉄一輝と違う。
その顔つきはまさに「鬼」。
修羅だと言われれば、誰もが納得する。
そんな思いつめた顔つきだ。
一輝がいつもとは違う覚悟を持ってこの場に臨んでいる証だ。
両雄が対峙。
短く言葉を交わした後、霊装を展開する。
まるでリングで向かい合う両者の緊張感…そして剣気に飲み込まれて行くように、会場は静まり返る。
───いよいよ試合が始まる。
伝家の宝刀を以て栄光の道を駆け抜けて、輝き続ける綺羅星と。
剣に生き。剣を信じ。己を信じ。仲間と、そして最愛の恋人に背中を押されここまで辿り着いた修羅。
天下分け目の七星剣舞祭代表選抜戦 最終試合。
『七星剣舞祭代表。最後の枠を賭けた最後の戦いが今、始まります!!
Let's GO AHEAD!!!』
○●○●
───たった一刀の交錯。僅か一撃の錯綜。
彼らの決着は一瞬でついた。
一輝は開幕と同時に《一刀修羅》を発動。刀華を真正面から斬り捨てにかかる。
対して刀華は一輝を殺す覚悟すら持って《雷切》を振り抜いていた。
一輝が《雷切》の領域、即ちクロスレンジに足を踏み込んで決着を付けようという考えは即座にわかったためだ。
だからこそ己の誇りと信念と自信…そして「目の前の騎士を斬る」という意思を全てを乗せて放つ《雷切》。
この時点では明らかに《雷切》有利。
先に剣が相手に届くはずだったのは刀華だった。
ここで一輝は改めて悟る。
《雷切》東堂刀華を正面から斬り捨てるにはまだ、足りない────!!
《落第騎士》は知っている。
人より遥かに劣る自分がこの場で何をすれば勝てるのかを。
そして覚悟する。
五感の全てを放棄する。必要なのは力の集約だ。
五感も呼吸も全て投げ捨てる代わりに、己の全てを振り絞る。
一分も要らない。
一秒あれば充分だ───。
一輝は加速した時間の中で、そのまま《陰鉄》を振り抜いた。
交わったのはたった一合。
その一合により《陰鉄》は《鳴神》を破壊し、東堂刀華は敗れ去った。
持てる全ての力をたった一秒───いや、たった一刀にのせた《落第騎士》は真正面から《雷切》をねじ伏せた。
敗北した刀華の剣が軽かったかと問われるならば、断じて否だ。
両者ともに刹那に死力を尽くした最高の試合だった。
ただ、刀華の限界ギリギリまで引き出した《雷切》を前に、一輝はその限界すら乗り越えた。
一輝は刹那で進化した。
そこが勝敗の分かれ目であった。
もはやその領域は修羅道などという人が堕ちうる程度の場所ではない。
たった一振りに命をのせて放つ技。
名付けるならば───《一刀羅刹》
●
「イッキ!!」
《鳴神》が砕かれ、決着がついたその瞬間。
ステラが一輝の勝利を確信したその瞬間。
既に彼女は、一輝の元へと走り出していた。
「お、おい。大丈夫か?」
「うぅ……無事で……良かったよぉ………。」
珠雫は極限の緊張から解放されてその場にぺたりと座り込んだ。腰が抜けて動けないのだろう。《雷切》との試合経験のある珠雫だからこそわかる。この試合、一歩間違えれば一輝の首は飛んでいた。それほどに刀華は美しい抜刀を見せた。
サイタマは先ほど赤座がいたところを確認してから彼女らに振り返る。
「さてと、妹はお前に任せるぞ。」
「どこか行くんですか?」
「おう。…スーパーのタイムセールが始まるからな。帰る。」
「黒鉄先輩には会わないで帰っちゃうんですか?」
「あぁ。一輝にはよろしく言っておいてくれ。」
サイタマはそう言って、興奮が残る観客の中へ姿を消してしまった。
●
「ハァハァハァハァ………!!」
黒鉄一輝を騎士の道から追放しようとした張本人、赤座守は未だリングの中央に佇む一輝の元へ行くために青ゲートに向かっていた。
彼はステラになんとか支えられながら立っていたため、狙うとしたら今だ。
今なら黒鉄一輝を潰せる。自らの失敗を揉み消せる。
彼の頭にあるのはその事だけだ。
しかし彼がリングに到達できることは無かった。
「ハァハァ……んぐぅっ!?」
リングに向かうその途中。
青ゲートの入口に差し掛かった曲がり角で赤座は山のように重い何かにぶつかって、思わず尻もちをついた。
山の正体は男。その筋肉の質量から山と勘違いしたのだろう。
その男はじっとこちらを見つめるばかりで何も言わない。
だが、その目に何らかの感情が篭っているいることは明らかだ。
「な、なんだ貴様は!!」
「サイタマだ。」
赤座の前に立ちはだかったのはサイタマ。
彼はステラが走り出した直後に、赤座も席を立って走り出したのを確認していた。
「私の邪魔を…ハァハァ……するつもりか!!!?」
「お前こそあいつらの邪魔すんな。」
「わ、私は倫理委員会の委員長なんだぞ!!!!!」
「貴様のような誰だかしらんハゲが刃向かっていい存在じゃないんだ!! 」
「分かったらそこをどけぇぇええ!」
赤座はそう叫びながら手斧の霊装を展開。
そしてサイタマへ斬りかかり、サイタマの無防備な肩に斧が降りかかる。
だが。当然無傷。顔色一つ変えずに斧を受け止めた。
いや、顔色一つ変えずに、というのは語弊がある。
サイタマは目に宿っていた感情───即ち同情の色を深めて赤座を見つめる。
「なっ、なぜ効かない!?
………そ、そうだ!!私はこれから黒鉄一輝クンと決闘をしないといけないのです!!だからそこをどけ!!!!!男と男の────ッッッ!?!?!?」
「……哀しい奴だな。」
サイタマはそれ以上、赤座の言葉を聞こうともせずに拳を振り抜いた。
顔面に拳がめり込む。
赤座は声も出せないままに吹き飛んで、訓練場の壁という壁の全てを突き破る。
轟音と共に第一訓練場の外まで飛び出した彼が負った怪我は、iPSカプセルでも即座の完治は厳しいだろう。
「頑張ってたんだな、一輝。」
サイタマは赤座から視線を切った後、青ゲートのその奥にいる弟子がプロポーズを成就させた姿を見届けてその場から立ち去った。
○●○●
結局、その後に黒乃と寧音は会場でサイタマに会うことが出来なかった。
会場には多くの人がごった返していて、加えてサイタマが試合が終わってすぐにその場を立ち去ったのだからやむを得ないのかもしれない。
ただ、第一訓練場から数百m離れた場所に気絶した赤座守が転がっていた事はちょっとした騒ぎになった。
彼の顔面には明らかに拳がめり込んだ跡もあり、これはサイタマが一輝、ステラを思っての行動だったのだ、と黒乃と寧音は考えていた。
そして生中継の中でステラへのプロポーズを成就させた一輝は、直後に意識を失い、1週間も眠り続けた。
査問会での疲労、薬物の中毒症状、《一刀羅刹》の反動。
これらを考えると1週間眠り続けたのは当たり前なのかも知れない。
それほどの極限の中で彼は《雷切》に勝ったのだ。
全てを勝ち取ったのだ。
一輝は七星剣舞祭代表に選出され、そして選手団団長に任命された。
全国という舞台に歩を進め、黒鉄一輝の物語は新たな局面をむかえることとなる──────