【完結】また僕は如何にしてゾンビを怖がるのを止めて火炎放射器を愛するようになったか   作:クリス

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 書いていて思うこと。あーもう、素直になれよ!


第七話 けつべつ

 

 

 

 溶接の機材と物資を持って帰還した僕たちは、計画の最終段階にある防火扉の溶接を開始した。奴らが音でやってこないとも限らないので実際に溶接を始めたのは次の日の夕方になってからだった。

 

 バチバチと溶接棒がスパークを発生させ防火扉と溶けて混ざりながら固まっていく。溶接棒のホルダーの先には自動車のバッテリーが二基直列で繋げてある。ちなみにこの機器を作るために学校の駐車場の車が2台動かなくなったことはどうでもいいことだ。目的のための致し方ない犠牲である。

 

 溶接はつつがなく行われた。念のため一階の奴らを爆竹で遠ざけておいたので溶接中に襲われることはないであろう。

 

「よし、ざっとこんなものかね。胡桃君、終わったよ」

 

 扉の端まで溶接が完了したことを確認すると僕は遮光マスクを顔から離し下で脚立を支えている胡桃君にその旨を伝えた。

 

「おー、終わったのか。見せてくれよ」

 

 目につけた遮光ゴーグルを外し胡桃君が溶接した溶接の完成具合を覗いてきた。僕も脚立から降り彼女の横に並ぶ。アークによって融解した防火扉は手で押してもビクともしない。これなら例え奴らが大群で押し寄せてきても防ぎきることができるであろう。

 

「これで、砲弾でもぶち込まれない限りこの扉が開くことはないだろうね。それに奴らは記憶力が弱い。もうここを階段だと認識することはないんじゃないかな」

 

「そういうもんなのか?」

 

 僕は以前、奴らの記憶力及び学習能力がどれほどのものなのか調査したことがある。記憶力に関しては正に鳥頭といっていいもので今回のように通路そのものを壁などで塞いでしまえば以前そこを通っていたことがあっても奴らはそこをただの壁だと認識する。

 

 ただし、学習能力については少しはあるようで同一個体のゾンビに何度も階段を上らせる実験をしたところ初めは転んだりしてまともに上ることも出来なかったが回数を重ねると、どの個体も必ず登れるようになっていた。

 

「以前、実験してみてわかったんだよ」

 

「へぇ~。まあ、よくわかんないけどこれで安全になったってことだよな。でもこの扉はどうすんだ?普通に開くぞ」

 

 彼女は防火扉の子扉を開け閉めしながら僕に言った。彼女の言う通り子扉は溶接していない。

 

「出入り口を完全に梯子に限定するのもそれはそれでまずいからね。一応使えるようにした方がいいと思うよ。前に机でも置いておけば大丈夫だろうしドアノブもないから万が一にも奴らが開けることはないだろう」

 

「それもそうだな。はぁー、終わった終わった。じゃあ、とっとと戻ろうぜ。あっ、バリケードはどうする?」

 

「バリケードは念のために残していたほうがいいと思う。それでもって二階の階段付近を緩衝地帯としておけばいいんじゃないのかな」

 

 僕の提案に彼女は頷いた。どうやら同じことを考えていたようだ。

 

「あたしも似たようなこと考えてたよ。でも、それは後でやりゃいいか。とりあえず帰ってめぐねえとりーさんに報告しようぜ」

 

「ああ、そうしよう」

 

 それだけ言うと僕たちは機材を片づけて扉を後にした。これでもうこの学校で配慮するべき懸念事項は解消された。後は奴らを殺すだけ。彼女達と別れる日は近い。この選択に迷いはない。でも、少しだけ、ほんの少しだけ残念だと思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐倉先生に扉の溶接が終わったことを報告した僕は何故かるーちゃんと一緒に職員室に押し込められていた。職員室は相変わらず汚いが、掃除はしているので少しはましな見た目になっていた。それでも大量殺人の跡地から被災した跡地に変わっただけなので本当に快適に過ごしたければまだまだ手を加える必要があるだろう。

 

「るーちゃん、なにか知っているかい?」

 

 僕は彼女に問いかけた。とは言え一緒に追い出されているということは彼女が事情を知っているはずもなくただ首を振って否定するだけであった。

 

「おじさんとめぐねえが帰って来てからからりーねー達がこそこそしていたのはしってるけどるーちゃんがきいてもないしょって言われちゃったからわかんないや」

 

 彼女が知らないことなど僕も承知なのでこれはただの雑談である。それにしても暇だな。腕時計を見れば追い出されてからもう30分は経過していた。

 

「いったい、何なんだ? 様子を「ひーくん、るーちゃん。おまたせー!」

 

 職員室に由紀君が駆け込んできた。心なしかその顔は何かを企んでいるかのようであった。

 

「遅いではないか。いったい何をこそこそやっていたのかね」

 

「ゆきおねえちゃん。おそい」

 

「う、ごみん。でも、もう終わったよ!じゃあわたしに付いて来てね!」

 

 そう言って僕たちを先導して彼女は歩き出す。向かう先は生徒会室だろう。僕の予想通り生徒会室の手前まで来ると彼女は僕たちに振り向いた。

 

「二人ともここで待っててね。わたしがいいっていうまで入ってきちゃだめだからねー」

 

 彼女は生徒会室の中に吸い込まれていった。彼女が中に入ると何やらごそごそと音がする。まったく見当がつかない。

 

「いいよー!」

 

 どうやら許可されたようだ。僕は横のるーちゃんの方を向く。いつもどおり何を考えているのか今一つわからない表情だ。

 

「じゃあ、るーちゃん。行こうか」

 

「……うん」

 

 そう言って生徒会室に入る。すると突然、炸裂音と共に僕たちに紙テープが飛びかかる。なんだこれは。

 

「「「「せーの、学園生活部にようこそー!」」」」

 

 部屋の真ん中には僕とるーちゃんを除いた全員が待ち構えていた。ホワイトボードにはカラフルな文字とイラストで『学園生活部歓迎会』と描かれている。そして彼女達のその手にはクラッカーが握られていた。さっきの紙テープの正体はこれか。でもいったいなぜ? 僕の疑問を解決するように佐倉先生が一歩前に出た。

 

「二人とも待たしてしまってごめんなさい。少し遅いかもしれないけど貴方たちの歓迎会を開きたいと思うの!」

 

 なるほど、長い時間待たされたのはこの準備をするためか。よくよく観察してみれば生徒会室は紙リボンで飾り付けされさながらホームパーティーのような有様であった。

 

「すごいでしょ!みんなで頑張ったんだよー。りーさんがお料理を用意してめぐねえとわたしで飾り付けしたんだ!あれ?くるみちゃんは何してたっけ「あたしも手伝ってただろーが!」うー、ごみん」

 

「もう、胡桃ったらおこらないの」

 

 そしていつもの如く始まる漫才。我に返りるーちゃんを見れば驚きで目を見開いたままだった。でもその目は輝きに満ちている。

 

「うふふ、由紀ちゃんが考えたのよ」

 

 いつの間にか悠里君が僕たちの前にいた。由紀君が考えたって?

 

「秀樹君とるーちゃんが来てからすぐにね。でも忙しそうでなかなか時間がとれなくて、今日やっと開くことができたの」

 

 気が付けば皆が僕を見ていた。悠里君、胡桃君、由紀君、佐倉先生。みな笑顔に満ち溢れ誰も僕を嫌ってなどないなくて……。

 

「おじさん?」

 

「あら?」

 

「秀樹?」

 

「本田君?」

 

「ひーくん?」

 

 皆が僕の名前を呼ぶ。いったいなんだ。

 

「ひーくん!目から……」

 

 目? 僕は自分の頬を触ってみた。水の感触がする。これは、涙か? でも、なんでまた。

 

「あらあら、秀樹君ったら」

 

「なんだー?もしかして感動して泣いちまったのか?」

 

 あれから一度も泣いたことがなかったのに。もう、泣かないと決めていたのに。一度それを認識してしまえばもう、止まることはなかった。涙が瞳から溢れる。

 

「ち、違う!こ、これは溶接のアーク光で目がやられただけだよ!」

 

 僕の必死の言い訳もこの涙の前では無意味と化してしまうだろう。皆が僕を見る。その目はどこまでもどこまでも優しさで満ち溢れていた。

 

「本田君」

 

 先生が僕の肩に手をやっていた。以前車の中で見た慈愛に満ちた笑顔であった。やめてくれ、僕にはそんな顔を向けられる資格などない。

 

「学園生活部にようこそ。私たちは貴方を歓迎します」

 

 

 

 

 

 僕が泣き出すという珍事が発生したが、このささやかな歓迎会はつつがなく続けられた。みんな、いつも以上に優しかったのが印象に残っている。悠里君の料理はいつも以上に手が込んでいてとても美味であった。その後は僕たちが持ってきたボードゲームを遊び倒した。ちなみに僕が断トツのビリであったことは至極どうでもいいことである。

 

 もう少しだけ、あと少しだけここに残ろうと僕は思ってしまった。僕は許されないことをしているのかもしれない。でも、一度味わってしまったこの喜びを手放すのは、その罪から目を背けても尚、躊躇いを感じてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、僕は散々出ていこうと考えていたのに気が付いたら、ここに来てもう一月は経過しようとしていた。一度その心地よさを知ってしまえば人というのは、どこまでも堕落する生き物であるというのは僕も知ってはいたが、まさか僕自身がその身を以て体験することになるのだとは微塵も思ってはいなかった。

 

 本当ならこんなところで燻っているわけにはいかないのに、あと一日、あと一日だけと何度も自分に言い訳しながらここに居座ってしまった。僕がこうしてぬるま湯に浸かっているだけ奴らを野放しにしてしまう。奴らをこの世から滅ぼすことだけが僕に許された唯一の贖罪の道だというのに。

 

 皆の優しさが僕を昔のどうしようもなく弱くて愚かだった僕に引き戻そうとする。ここに居続けたら僕は人に戻ってしまう。僕は化物でいい。奴らを殺すだけの化物であればいいのに。

 

「案の定大雨だ。奴らがここまで押し寄せてくることはないだろうがね。念のために掃除してくるよ」

 

「ひ、秀樹君?」

 

「本田君?」

 

 皆が信じられないとでも言いたげな顔でこちらを見る。暖かくて優しい日々。でも、それも今日までだ。今日は珍しく今朝から大雨だった。当然、学校に備え付けられた太陽光発電設備は使えないため校内は真っ暗だ。

 

 由紀君は朝からキャンプをするのだと張り切っていた。だが、そんなことはもうどうでもいい。僕は知っている。雨の日には奴らが屋内に集まってくることを。以前、バリケードを破壊された時もこのような大雨だったそうだ。今は強固に溶接された防火扉があるため奴らがいくら押し寄せようが防ぎきることができるであろう。

 

「おい!どこ行くんだよ!雨の日にあいつらが増えることくらい知ってんだろ!」

 

 防火扉の子扉を開けようとした僕を胡桃君が僕を引き留める。だが、知ったことか。僕は奴らを殺す。何匹いようが構うまい。準備はもう整えた。これだけあればここにいる奴らを余裕で皆殺しにすることができるであろう。

 

「何してんだよ!戻るぞ!」

 

 邪魔くさいなあ……。僕の腕を掴んで強引に引き戻そうとする胡桃君を見てそう思う。お前はなぜ平気でいられる? 奴らを見て何も思わないのか? お前だって思い人を殺されたんだろ。だったらお前がするべきことは僕を送り出すことじゃないのか?

 

「うるさいなぁ……」

 

「んだと!」

 

 本当に、本当に優しいなあ。僕なんかのためにここまで怒らなくてもいいのにさ。あまりこういうことは手段は取りたくなかったけど仕方がないか。

 

「お前はいいよなぁ。先輩に止めさせたんだろ?」

 

 彼女は僕の変化に戸惑いを覚えているようだ。そうだそれでいい。

 

「ひ、秀樹。いきなり何言いだすんだよ……先輩って……」

 

「君はさぁ。自分で止めを刺せたからそんなことが言えるんだよ。いいよなぁ。自分で最後を見届けることができたんだろ?」

 

「な、何言ってんだよ。先輩が、先輩がなんの関係があるってんだよ!」

 

 自分のトラウマを抉られたからか胡桃君の表情はひどいものであった。僕は最低だな。女の子にこんな顔させるなんて。死んでも救いようがない。地獄すら生ぬるい。

 

「僕はさ、母さんが目の前で奴らに食われている時に何してたと思う? ただ、息を潜めて奴らが去っていくのを待っていただけだよ。許せると思う? 君は自分でけじめをつけることがことができたからそんな平気でいられたんだろ? そんな君に僕を止める資格があると思うのかい? 君は実に馬鹿だなあ」

 

 何を言っているかわからない。どうしてそんなことが言えるのか。彼女は口にこそ出していなかったが、その表情は彼女の心情を如実に表していた。掴んでいた腕はいつのまにか離れていた。僕は扉を開け外に出た。後ろで何か言っていた気がするが僕にはもうどうでもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一階に出る。僕の予想通り廊下は奴らで溢れていた。僕はイヤホンを装着し音楽を再生する。もちろん音量は最大だ。

 

「お前らはいいよなぁ。何も考えていなさそうでさ。うーうー唸って肉喰ってりゃそれで満足なんだろ?」

 

 当然、答えなど返ってこない。いくつもの濁った瞳が僕を見る。僕は腰のナイフとククリを鞘から引き抜き両手に構える。目標は前方。敵は多数。こちらは一人。だが問題なし。

 

「──オラァッ!」

 

 一番近くにいたゾンビの首をナイフとククリをクロスさせ引き裂く。まずは一つ!そのまま走りながら両手にもった得物を振り回し殺していく。これで四つ!

 

 僕は昇降口に向かいながら目につく奴らを片っ端から始末していく。両手にもった得物を使い僕は死を量産する。気分は宮本武蔵だ。途中、何度か噛まれるも身に着けたレザージャケットに阻まれ僕を噛むことは叶わない。しかし、引き離すのは骨が折れるので自作ナイフを目から突き刺し無力化する。

 

 もう何匹やったか覚えていない。以前の僕なら噛まれることもなかっただろうに。殺した数だって正確に覚えていたはずだ。ぬるま湯に浸かっていた僕は確実に弱くなっていた。

 

「ほぉー、大量じゃねえか」

 

 昇降口。僕の目の前には大量の奴らがいた。僕の言葉に一斉にこちらを向く。そうだ。そうこなくちゃな。ショルダーバッグに入れた火炎瓶を手に取り火をつけずに投げる。瓶が割れ中のガソリンが床にまき散らされる。すかさず二本目の火炎瓶を手に取り投げる。今度は火を点けてだ。

 

「ほら!入学祝だ受け取れ!」

 

 一本目で撒き散らされたガソリンとの相乗効果で奴らは激しく燃え出す。そうだ。この炎で清められればいい。死ね。ただ死ね。しばし、炎を眺めたのち僕は近くにあった消火器で火を消した。もともと火の付きの悪いガソリンなので火はすぐに消すことができた。あとに残るは黒焦げの死体だけ。最高の景色だ。

 

「これでだいたい30は殺れたか? さてお次はどいつだ?」

 

 祭りは始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっかけは一冊のマニュアルであった。見つけたのはただの偶然だった。見つけてしまわなければ僕は、まだ学園生活部にいたのかもしれない。

 

『職員用緊急避難マニュアル』そう銘打たれた冊子。何とはなしに開いてみればそこには数々の衝撃といっていい事実が記されていた。「感染対策は──」、「生物兵器」、「厳重な隔離──」。

 

なんだこれは。その場で激昂しなかったのは奇跡と言ってよかった。僕は、すぐさまこのマニュアルを手に佐倉先生に詰め寄った。

 

「先生、一つ聞きたいことがあります」

 

「なに……かしら本田君」

 

 僕の表情に佐倉先生は困惑している様子であった。もしかして知らないのか。僕はそうであってほしいと期待した。

 

「職員用緊急避難マニュアル。知ってますよね?」

 

 先生の顔が悲痛なものへと変わる。僕の期待は裏切られた。

 

「見て……しまったのね……」

 

「ええ、全て読みましたよ。その上で僕は貴方に聞きたい。何処まで知っていたんですか? 嘘偽りなく答えて頂きたい。事の次第によっては……」

 

 僕は腰の拳銃をゆっくりと引き抜いた。佐倉先生の顔に怯えが見える。僕は銃口を彼女に向け、ようとして寸でのところで手を戻した。お前は今、何をしようとしていた? そんなことをするためにここに来たのではないだろう。結局、銃はホルスターに戻した。

 

「すみません。先生に銃を向けようとするなんて。先ほどの言葉は撤回します。貴方が今から何を言おうとも僕は貴方を咎めません。だから、だから真実を教えてください」

 

 佐倉先生はゆっくりとこちらを向く。その顔は裁判官の前に立つ罪人のようであった。先生は深呼吸した。頼む。お願いだから知らないと言ってくれ!

 

「私が、そのマニュアルに気づいたのは貴方に出会う前よ。正確には、学園生活部ができる少し前のこと……。教頭先生に言われたのを思い出してね。今まで隠してきてごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

 

 よかった。本当によかった。神様は、こんな僕でもまだ見捨てていなかったみたいだ。本当に、本当にありがとう。

 

「よかった。先生。正直に話してくれてありがとう。そして先ほどのことは本当にすみません。はぁー、本当によかった」

 

 僕はすぐ近くにあった椅子に座りこんだ。佐倉先生は呆けたままだ。しばらく呆けた後、先生は我に返り僕に詰め寄った。先生にしては珍しい取り乱しっぷりであった。

 

「そ、それだけなの……?私は、私は今まで貴方たちのことを騙していたのよ!?」

 

 まるで断罪を待つ罪人のように彼女は己の心情を吐露した。騙していた、か。

 

「騙す? 貴方は知らなかったんでしょう。何も知らない人にこれ以上言うことなんてありませんよ。精々、疑ってしまって謝るくらいだ」

 

 僕の言葉が信じられないようだ。大人である自分の責任だとでも思っているのだろうか? だとしたらとんだお笑いだ。

 

「本田君だって読んだのなら知っているはずよ! 知らなかったなんて許されない! だって、巻き込んだのは私たちよ! 誰かが、私がちゃんとそれを見てれば! だから、だから全部「私のせいだ。ですか?」え?」

 

 なんでこう、この学校には面倒くさい性格の人ばかり集まったかなあ? なに、お前が言うなって? それは言わない約束だ。僕は拳を握りしめ立ち続ける先生の前に立った。先生が僕を見上げた。その瞳には涙が滲んでいた。

 

「先生って人には散々、頼れって言うくせに自分のことは、二の次なんですね。責任感が強すぎるのも考え物ですね。ていうか馬鹿なんですか?」

 

「ば、ばか?」

 

 突然の生徒からの暴言に先生は驚いて硬直してしまっているようだ。一々、仕草が可愛らしいんだよ。本当に成人迎えているのか? 硬直する先生を横目に僕はお構いなしに言葉を続ける。

 

「だって、馬鹿じゃないですか。ありもしない責任感じて一人で罪人気取って。何になるんです? かっこつけてるつもりですか? 似合ってませんよ」

 

「え? え?」

 

「どうせ、これを見せたらみんながショック受けると思ったから隠したんでしょ?」

 

 僕は以前として硬直したままの先生から一歩下がるとわざとらしく咳をする。気分は裁判官だ。

 

「でも、責任感の強い先生だから僕が何を言っても聞かないんでしょうね。だから、こう言いましょう」

 

 

 

 

 

─僕は、貴方を赦します─

 

 

 

 

 

 その後は、まあ、大変だった。僕の言葉を理解した途端、年甲斐もなく泣き出した先生に僕はどうしていいかわからず必死に宥めようとするも余計に泣き出してしまう始末。そして泣き声を聞いて駆け付けた学園生活部の面々には僕が先生を泣かしたと思われてしまい、正座と説教のダブルコンボを喰らった。こういう時の悠里君は本当に怖い。

 

 泣き止んで涙でドロドロの先生によってようやく誤解は解けたが、僕は女性を泣かした罰として一週間のトイレ掃除を命じられた。解せぬ。

 

 その後、復活した先生と話し合ってこのことは折を見て全員に話すことに決定し、それまでは二人の秘密にしておくことで手打ちにした。

 

 だが、話はこれで終わらない。舞台は現在に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁて、ここはいったい何のためにあるんでしょうかね」

 

 一階に集まっていた奴らを血祭りにあげたあと、僕は、あのマニュアルに書いてあった地下の避難施設に来ていた。以前から存在自体は知っていたが何のためにあるのかなど考えもしなかった。

 

 マニュアルには15人が一カ月は暮らしていけると書かれていた。探索の結果その通りで大量の備蓄食料を見つけることができた。途中、自殺したと思わしき死体も見つけたが今更すぎるので気にも留めなかった。だが、目的はこれではない。

 

「これか……」

 

 僕の手には薬品の入った一本の注射器があった。そう、初期感染者用の実験薬だ。これさえあれば感染しても初期のうちなら大丈夫なのだろう。僕は手に持った注射器をポケットに入れようとして、結局元に戻した。

 

「駄目だ。駄目だ。こんなものに頼ろうだなんて軟弱すぎる。本当に効くかもわからんのに」

 

 そうだ。僕には、こんなものは必要ない。噛まれたら精々派手に火を点けて奴らを道連れにしてやる。それに僕が使ってしまったら彼女達が使う分が減ってしまう。ありえない話ではないだろう。

 

 ここにもう、用はない。僕は地下を後にした。

 

 

 

 

「ひ、秀樹……?」

 

 僕が地下のシャッターを潜ると目の前に胡桃君がいた。なんだ、わざわざ追って来てくれたのか。

 

「ひっ……!」

 

 彼女は僕の姿を見て詰め寄ろうとしたのだろう。だが、一歩進んだところで止まった。止まってしまった。僕は思い出した。そうだ、今、全身が血塗れなんだ。僕が近づくと彼女は後ずさった。いつも僕に向けてくれていた強気ながらも優しい瞳は今や怯えの感情に支配されていた。そうだ、それでいい。

 

 僕は彼女を無視してそのまま三階に戻った。三階では悠里君が僕に同じように詰め寄ろうと考えていたのだろう。既に三階の階段前で待機していた。心配して来てくれたのだろうか。

 

 でも、知ったことか。僕の姿を見れば皆後ずさった。生存者を助けて戻ってきた時と同じ状況だ。悠里君が後ずさる。これは前にも見た。

 

 音楽室に由紀君がいた。相変わらずピアノに悪戦苦闘している。僕は彼女に近づく。彼女の表情が恐怖に染まった。僕は構わず話しかける。

 

「ごめんな、由紀君。もう、ピアノ教えられそうにないや」

 

 廊下に出る。後ろで僕を制止する声が聞こえる。知ったことか。その足で職員室にいるであろう先生へと向かう。僕の姿を見るなり先生は僕に駆け寄った。なんでそこでその反応なんだよ。怯えるんじゃないのかよ。

 

 先生が何か言っている。もう、僕には聞こえなかった。僕は、地下に備蓄と感染者用の薬があることを伝えそのまま職員室を後にした。

 

 廊下を歩く。一歩足を踏み出すたびに昔の僕に戻るのを実感する。その調子だ。いいぞ僕。そのまま化物に戻ってしまえ。

 

 僕の腰に衝撃が走った。一人忘れていた。そうだ、るーちゃんだ。

 

「おじさん……? どこ行くの?」

 

 その顔は今にも泣きそうだった。泣くことないだろう。もう、姉さんとは離れ離れじゃないだろうに。

 

「ごめんね、るーちゃん。僕は、もう行かなきゃならないんだ。なに、すぐ戻ってくるよ」

 

 僕は嘘をついた。もう戻ってくる気なんてないのに。

 

「うそだもん! おじさんのうそつき! おじさん、しげる先生と同じ顔してるもん! やだよぉ……。もうるーちゃんをおいていかないでよぉ……」

 

 そしてそのまま泣き崩れてしまった。僕は、人でなしだなぁ。でも、仕方がないか。でも、最後に少しだけ、少しだけ優しくしよう。僕は血塗れの手で泣き崩れる彼女を抱きしめた。

 

「るーちゃん、ごめんね。でも、僕はいかなくちゃならないんだよ。僕はここにいちゃいけなかったんだ。でも、僕は臆病だから一度手に入れたものを手放せなかったんだよ。みっともないことにね。そうだ、これを後でみんなに見せてくれるかな?」

 

 僕は予め用意した手紙を彼女の手に握らせた。るーちゃんは俯いて泣いたままだ。本当に度し難い男だこと。

 

 そのまま、背を向け歩く。背中に何かがしがみついている。でも、知ったことか。僕は無視して歩き続ける。いつしかしがみついていたものも離れた。

 

 後ろで何か聞こえた。でも、僕にはもう関係ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は、また独りになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 いかがでしたか?入学祝(可燃性)。この面倒くさい男は結局学園生活部を後にしてしまいました。捻くれ過ぎて意味不明ですね。でも、これでモール組を出せます。では、また次回。

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