【完結】また僕は如何にしてゾンビを怖がるのを止めて火炎放射器を愛するようになったか   作:クリス

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 書いていて思うこと、特になし。


第二十三話 かいせん

「高上が死んだ……」

 

 本田一行が車の修理を終え荷物を積み込みお別れ会を開く日。事件は起きてしまった。高上聯弥の感染、そして死。武闘派は自らのルールに則り彼をすぐさま始末した。だが、一つ不可解なことがあったのだ。いったい彼はいつ感染したのだろうか。

 

「隔離体制は万全だったはずだ。だが、高上は感染した。これは紛れもない事実だ」

 

「どういうことだよ……。噛まれない限り感染はしないはずだろ」

 

「でも、現に高上は奴らになったじゃない」

 

 空気感染という事実を知らない彼らは何故彼が感染したのか見当もつかない。

 

「レン君が最後に外に出たのは6日前です。身体検査もしてます。なのに……」

 

 彼の恋人である右原篠生にとってこの事実は何よりもショックであった。彼女は彼がいたからこ戦うことができたのだ。だが、その彼はもういない。彼女はその目で彼が墓に落ちるのをはっきりと見た。

 

「俺達全員のアリバイも取れている。ということは誰かが感染させたわけだ。そしてこんなことができるのはあいつしかない」

 

「本田、秀樹……」

 

 隔離体制は万全、メンバーのアリバイも証明済み。故に、彼を疑うのは至極当然の流れであった。もう一度言おう彼らは知らないのだ。だが、実際に彼が武闘派を殺す気ならば彼らは初日の内に今まで切り捨ててきた仲間の元に送られていただろう。しかし、事実がどうであれ彼らがそれを知る由もない。

 

「本田君がその気ならもう私たちとっくに死んでいると思うのだけど」

 

「警告のつもりなんじゃねえの? けっ、なにが危険人物じゃないだ」

 

 唯一、彼のことをここに居る誰よりも理解している神持だけは真相に近い考えを述べた。だが、本田秀樹という特大の脅威は彼らの思考を鈍化させた。恐怖は疑いを生み、やがて憎悪へと変わる。至極当然の人間の本能である。

 

「あいつを遊ばせておいたのが俺達の間違いだったんだ」

 

「やるか? でも、あいつ銃持ってるぜ」

 

 武闘派の主な武器は近接武器だ。それに対し相手は自動式拳銃。真面に戦えば勝ち目はない。だが、方法がないわけではない。

 

「人質、あるいはそれに準ずるもの……。一緒に来た二人の女はどうだ」

 

「確かに、あいつらなら俺達でも余裕で対処できる」

 

 彼らの選択、それは人質を取るというものであった。確かに、それは有効な手段だろう。本田秀樹という人間は何よりも仲間を大切にする。それしか方法がないのなら彼は躊躇なく自分の命を絶つだろう。だが、それは本当にそれしか方法がない時だけだ。

 

「あいつは仲間のことが大層大事らしいからな。一人でも捕まえれば俺達の勝ちだ」

 

「あのイカれた筋肉野郎に一泡吹かせてやろうじゃねえか」

 

 殺された仲間の仇を討つため武闘派は立ち上がる。例えそれが全くの勘違いだったとしても彼らはそれを知らない。彼らは自らの内にある恐怖を本田秀樹というわかりやすい脅威に押し付けることで心の平穏を図っているのかもしれない。

 

「きっと犠牲は避けられないだろう。だが、アイツは殴るのなら殴られる覚悟を持てと言っていた。悔しいがアイツ言う通りだ。俺達は覚悟を持って本田秀樹という脅威を打ち破る。それが高上にできる最大級の手向けだ」

 

 彼も少し考えればわかるはずであった。彼がこんなことをする必要がないということを。しかし、悲しいことに人間というのは敵を作らないと生きていけない存在なのだ。彼等もまたこの終わってしまった世界の被害者なのかもしれない。

 

「馬鹿みたい……」

 

 復讐に燃える武闘派をよそに神持朱夏は酷くつまらなそうに呟いた。もう彼女にとって武闘派などという存在は路傍の石程度の価値しかないのだ。選民気取りの男にでかいだけが取り柄の野蛮人。悲劇のヒロイン気取りの後輩。もう何もかもどうでもよかった。

 

「秀樹君、楽しいことになりそうよ……」

 

 だが、きっと今夜は楽しい一日になるだろう。彼女はそう確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、本田君達の準備が終わったことだし、乾杯!」

 

 各自が手に持った紙コップを打ち付ける。グラスではないのでいい響きではないが、それでも十分であった。既に荷物も積み終え、後は明日に備え帰るだけになった。だが、こうして桐子さんたちの粋な計らいにより送別会を開いてくれることになったのだ。

 

「いやぁ、本当に何から何までありがとうございます」

 

「別にいいって、こういうのはお互い様でしょ」

 

 お互い様という次元を軽くと通り越している気がするがまあ、そういうことにしておこう。今更ギブ&テイクなどど騒ぐつもりはない。カップに注がれたジュースを見る。賞味期限間際だと思うが、実際のところ暗所に保存しておけば何年も持つ。僕は一気に飲み干した。

 

 周りを見れば皆思いも思いに遊んでいる。ヒカさんたちは、名前は忘れたが樽に剣を突き刺す玩具で遊んでいた。そばには鼻眼鏡、罰ゲームのつもりなのだろうか。今日は珍しくリセさんも来ていて正に全員集合と言ったものであった。

 

 僕はこういうイベントに慣れていない。というより男女比がヤバくて猛烈に肩身が狭い。七対一は流石に厳しいものがある。学園生活部の皆ならもう慣れてしまったが、ここにいるのはまだ出会って日が浅い人ばかりだ。

 

 少し、外の空気を吸ってこよう。僕はこっそりと部屋を後にした。自慢じゃないが気配を消すのは得意だ。脱出はすんなりと成功した。

 

 

 

 

 

「ただでさえ不味い男女比が更に不味いことになってしまった。これは武闘派と本格的に和解したほうがいいかもしれない」

 

 廊下に出て一人黄昏る。これで煙草でもあったらハードボイルドっぽくていいのだがな。だが、こんなところで吸う気にはならないし、今の僕は煙草を持っていない。

 

 何故こうも男の生存者と出会えないのだろうか。いや、いないわけではないが、僕と密接に関わる生存者は皆女性だ。はっきり言って息が詰まりそうになる。せめて武闘派がもう少し話のできる奴らならいいんだがな。

 

 どこぞの頭の悪い三流小説ではあるまいし、もう少し男に会わせてくれてもいいのではないだろうか。もし神様とやらに出会う機会があったら火炎放射器で燃やしてやる。

 

「こんなところでなに黄昏てるのよ」

 

「なんだアキさんか」

 

 突然、後ろから声を掛けられた。アキさんだった。もしかして心配して来てくれたのだろうか。だとしたら悪いことをした。僕はただ偏り過ぎた男女比についての考察をしていただけにすぎないのだ。

 

「なんだとは失礼ね。突然いなくなるから心配して探しにきたのよ。あんたそんなでかいのに気配隠すのうますぎでしょ」

 

「まあ、必要だったから覚えたまでです。あとでかいは余計です」

 

 僕だって地味に気にしているのだ。別に誰も気にしていないとはいえ時より傍から僕たちを見た時のことを考えると、そこはかとない犯罪臭がして憂鬱になる。

 

「ごめんごめん。で、どうしたの?」

 

「いや、あれですよ。ちょっと外の空気が吸いたかっただけです」

 

 流石に偏り過ぎた男女比に思いを馳せていたなんて言うつもりはない。勘違い野郎と思われるのは心外だ。話を変えよう。

 

「そう言えば貴方は昔、武闘派にいたそうですね」

 

 この事実を知ったのは構内で右原さんと遭遇した日のことである。彼らのやり方に不満があったのか他に理由があったのかは知らないが賢明な判断だと僕は思う。構内の安全は彼らによってもたらされたものであるのは疑いようのない事実であるが、その後がいけなかった。闇雲に人材を消費するのは愚か者のすることである。例え戦えなくともできることなどいくらでもある。悠里がその証拠だ。彼女は今まで一度も奴らと戦ったことはない。しかし、彼女なくして僕たちが上手くいくことはないであろう。

 

「うん、そうだけど。いきなりどうしたの?」

 

「ただ、少し気になっただけです。差支えなければ聞きたいのですが、どうして去ったので? あそこの方が安全だったでしょうに」

 

 聞くところによれば身体検査までしているそうだ。彼らの戦力から鑑みても自身の安全を考慮するなら武闘派に身を寄せるほうが死ぬ確率は低くなる。

 

「あんたはアヤカに会ったことあるよね。あの会議室に居た黒髪の女」

 

「ええ、知ってますよ」

 

 知っているどころか同類認定までされている。明日ここを出ることになるのだが、彼女は終ぞ僕に接触してくることはなかった。もしかして見限ったのだろうか。僕としてはその方がありがたい。

 

「アイツさ、いつもつまらなそうな顔しててね。でも悪い奴じゃなくてほっとけないと思ってたんだ」

 

 過去形ということは今は違うということだろうか。

 

「そんな時、一回だけアヤカが笑ってるの見たことがあるの。もう、見たかな? うちらがお墓って呼んでるところでさ」

 

 あの墓を見て笑ったのか。まあ、あの人なら笑いそうな光景であるのは言うまでもない。人というのは自分より下の存在を作りたがる。死体というある意味この世の最底辺の階層に落ちぶれた者を見て優越感を感じるのは別段珍しいことではない。例えば死ねばいいと思っていた者が歩く死体となっていた場合、優越感を感じない人間はいないだろう。

 

「それで、出て行ったんで? あそこには知り合いも少なからず居たでしょうに」

 

「うん、アヤカはヤバイ奴だったけどいいやつもいた。でも、あのお墓を見続けたらさ、あたしも怪物になっちゃう気がしたんだ。理由はうまく言えないけどね」

 

 その通りだ。毎日、知人、友人だったものの成れの果てを見続けて正常な精神を維持できるとは到底思えない。壊れるに決まっている。精神衛生の観点から考えても武闘派は遺体を燃やすなり埋めるなりするべきだった。彼らの現状はなるべくしてなったと言わざるを得ない。

 

 でも、僕はそれとは別のことも考えていた。神持のことだ。彼女は以前、僕のことを初めての理解者と呼んだ。誰も彼女の本当の気持ちを理解できる者はいないのだろう。たった一人の異端者、外れ者、武闘派という集団に所属していても彼女はきっと孤独だったのだ。僕は少しだけ神持に同情した。

 

「変な話してごめんね。でも、もうあんたらも明日行っちゃうしそこまで気にすることないよね」

 

「いえ、僕のほうから訊ねたので貴方が気に病む必要はありませんよ」

 

「そう言えばそうね。あ、もし帰る途中でスミコに会ったらさ。捕まえておいてくれない?」

 

 スミコ。過去にここに居た女性だそうだ。服飾に関心があり、以前布地を探すと言ったきり今も戻ってきていないそうだ。恐らく、既に亡くなっていることであろう。悲しいことだが割り切るしかない。

 

「ゴスロリだからすぐわかると思うよ。みんな怒ってるっていってくんない?」

 

「ええ、見つけたら必ず」

 

 できないことは約束しない主義だが、このくらいの嘘くらいは言っても罰は当たらないであろう。それに彼女だって本当は分かっているはずだ。分かっていても信じたいのだろう。

 

「ありがと。じゃ、もう戻りましょ。みんなあんたがいきなり消えて心配してたのよ?」

 

 これは、また怒られそうだ。そんな下らないことを考えながら僕たちは送別会にもどるのであった。この人たちとこうするものあと残すところ数時間。僕はこの時間を大切にしたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「突然、呼び出して何の用だ?」

 

 送別会が終わり、夜も更けかけたころ。僕は武闘派に以前、僕たちが出会った会議室に呼び出されていた。目の間には頭護と神持。手紙には謝罪がしたいとの文が書かれており、本来ならこちらから出向くべきなのだが穏健派などとの混乱を避けるために緩衝地帯であるここに来てくれないかとのことであった。

 

「手紙で既に通達していると思うが今回は改めて謝罪に来た。あの時は本当にすまなかったと思っている。リーダーとして謝罪する」

 

 前、出会った時の威勢の良さとは裏腹に今の頭護は本当に申し訳なさそうな表情であった。一瞬罠かと思ったがこれは違うのかもしれない。僕は少しだけ警戒心を下げた。彼は僕に頭を下げるとそのままの姿勢で黙り込んだ。隣には相変わらず酷くつまらなそうな神持が彼を見下している。

 

「頭を上げて下さい。貴方の誠意は確かに受け取りました。いくら身を護る為だったとはいえ僕のしたことは到底許されることではありません。ですので今回の件はこれで水に流しましょう」

 

 また、調子に乗って意味の分からないことを言い出すのならともかく今の彼には誠意というものを感じた。やり方は不味かったとはいえ彼らの言い分も尤もなのだ。ただ、彼らは自分達の領域に入り込んだ侵入者を排除しようとしただけ。警察や自衛隊が守ってくれない以上、自分達の身は自分達で守る必要がある。

 

 僕の言葉に頭護はゆっくりと頭を上げた。心なしか笑顔な気がするがきっとそれは安堵からくるものなのであろう。自分でも分かっているのだ。僕ははっきり言って怖い。そんな僕に怖気つくことなく謝罪したのだ。その勇気は称えられるべきであろう。

 

「そう言ってもらえると助かる。こちらとしても不用意にお前たちとは争いたくはなかった。本来なら全員で来るべきだったのだが各自仕事があってだな。俺達しかこれなかった」

 

 今、少し引っかかるものを感じたが、ただの言葉の綾だろう。言い間違えなどというものは生きていれば誰にでもある。それにしても全員で来るつもりだったのか。流石にそれは勘弁してほしい。こないで正解だ。ふと、気が付けば神持が3人分のお茶を用意してくれていた。何故か異様に笑顔なのが気になるがまあ、僕に対する執着を考えれば別段、不自然でもない。

 

「いえいえ、こんな場を設けてくださったのにそれ以上のことなんて望みませんよ。今回のことはこれで綺麗さっぱり終わりです」

 

 お茶を一口飲む。少しだけ変な味がしたが、恐らく彼女はお茶を淹れるのがあまり上手ではないのだろう。

 

「ああ、その通りだな。これで綺麗に終わったよ。なあ、少し聞きたいことがあるんだ」

 

「なんですか?」

 

 少し、眠くなってきたな。今日は荷物運びで疲れたからな。早めに寝ておこう。明日は早い。頭護は僕を真っすぐ見る。まるで様子を観察するかのようだ。よく見れば二人ともお茶を飲んでいない。それよりも眠い。さっきまでこんな眠くなかったはずなのに。

 

「今朝、高上が死んだ。奴らになってだ。何か心当たりがないか?」

 

「いきな、り……なんの話ですか……?」

 

 駄目だ。眠くて仕方がない。頭護が何かとんでもないことを言っている気がするが頭に入ってこない。これは、まさか……。そう思った時、目の前の男は今までの表情を一変させた。まるでこれは罠にかかった獲物を見る目だ。

 

「く、そ……なに、しやがった……」

 

「やっと気づいたのか。そうだ。お前の飲み物に睡眠薬を混ぜた。悪いがしばらく眠ってもらうぞ」

 

 ここで僕はやっと気が付いた。罠に掛けられたことに。しかし、もう遅い。身体は全く言うことを聞かず頭も朦朧としている。椅子から転げ落ち、床に叩きつけられる。

 

「俺は、もう行く。朱夏、お前はこいつを縛ってここに閉じ込めておけ」

 

 僅かに残った力を振り絞り顔を上げて見れば酷くつまらなそうに頭護を見送る神持の顔が目に入った。これが僕が最後に見た光景であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、侵入成功」

 

 ここは穏健派の拠点。彼、城下隆茂はそこにいた。手にはバールを持っている。和解にしに来たにしては明らかに必要のない道具である。そしてよく見ればわかることであろう。うっすらとバールの先端に血の跡がついていることを。

 

 彼の目的は頭護と神持が本田秀樹を捕獲している間に迅速に彼の仲間または穏健派のメンバーを誘拐することである。予定では既に図書館には頭護と右原が稜河原リセの捕獲に向かっているであろう。

 

「ガキの一匹でも捕まえれりゃこっちの勝ちなんだ。楽な戦いだぜ」

 

 事実、直樹か恵飛須沢を人質にとれば彼はあっさりと降伏するだろう。ただし、その後の身の安全の保障までは分からない。城下はポケットから煙草を取り出すと口に咥えようとした。

 

「くそ、まだいてえ」

 

 が、ガラスで切った口の傷のせいでまたしても彼は煙草を吸い損ねた。ヘビースモーカーである城下にとって今の状況はなによりも苦痛であった。足跡を殺し灯りのない廊下を歩く。バールを構えいつ何がおこってもいいように準備する。

 

「誰?」

 

 ふと、階段から声がした。彼は音の方向を向くとニヤリと笑った。声の主それは恵飛須沢胡桃であった。彼女はトイレの帰り、城下の声を偶然耳にし様子を見に来たのだ。訝しむ恵飛須沢に城下はゆっくりと距離を詰める。

 

「目標発見っと。お前、アイツの仲間だろ? ちょっとこっち来てくれよ」

 

 バールを向けながら脅すように告げる。恵飛須沢は後ずざった。

 

「い、いきなりなんだよ! そんなもの向けやがって!」

 

 事情など何一つ知らない彼女からすれば彼は突然押しかけて来た暴漢に他ならない。背中のシャベルを引き抜こうとする。しかし、手は空気を掴みとるだけであった。

 

「やば、今、部屋に置いてたんだ!」

 

 武闘派の呼び出しに出向いた本田を待ち、帰ってきたら眠るだけであった彼女は全くと言っていいほどの無防備であった。そもそもこんなところに人が侵入するなど誰が考え付くのであろうか。

 

「なあ、おとなしく俺と来てくれよ。なあに、悪いようにはしねえ。俺達が用があるのはあの筋肉野郎だけだ」

 

「秀樹が何の関係があるんだよ!」

 

 筋肉だけで彼と判断する恵飛須沢。当事者がいたらなんと思うことであろうか。このままでは埒が明かない。城下はポケットからナイフを取り出し彼女にその切っ先を向ける。

 

「しらばっくれやがって。まあ、いいから来いよ! 痛い目は見たくねえだろ」

 

 ナイフというわかりやすい凶器を向けられたからであろう。恵飛須沢は一瞬身体を硬直させた。だが、この大学で一年近く生き残ってきた彼にとっては十分すぎるほどの隙だ。すぐさま恵飛須沢の懐まで接近する。

 

「なっ!」

 

 彼女の足に自らの足を引っかけ両手で引きずり倒す。鈍い音が廊下に響き渡る。如何に彼女が戦い慣れているからと言ってもそれはあくまでゾンビ相手であって生きて考える人間との戦闘は一切経験していない。そして、体重、体格ともに遥かに勝る相手に勝てるどうりなどない。恵飛須沢が組み伏せられたのは至極当然のことであった。

 

「な、なにすんだよ!」

 

「俺だってほんとはこんなことしたかねえけどな。こっちも人が死んでんだ」

 

 バールを床に捨てうつ伏せになった恵飛須沢の首にナイフを突き立てる。後は、持ってきた縄で彼女を拘束すれば彼の勝ちであった。

 

「なんのことだよ! あたしたち何もしてねえよ!」

 

 彼女はそもそも高上が死んだことを知らない。当然だ。彼女は、全員なにもしてはいないのだから。だが、城下の目にはそれが見苦しい言い訳をしているようにしか聞こえなかった。

 

「うるせえ! それはこっちの台詞だ。お前らだろ、高上を殺したのは!」

 

 怒りに任せて恵飛須沢の頭を床に押し付ける。見知らぬ男に組み伏せられ床に押し付けられナイフを突き立てられる。いつしか恵飛須沢の目には涙が滲んでいた。

 

「けっ、今更泣いてんじゃねえよ。先に手出したのはお前らだろうが」

 

 恐怖や悔しさが入り混じり恵飛須沢は冷静さを失っていた。本来なら叫ぶなどして助けを呼ぶのが先決である。しかし、見知らぬ大男に力づくで抑え込まれ凶器を突き立てられて抵抗できるほど彼女は強くはなかった。

 

「秀樹……」

 

 彼の名前を呼ぶのは必然と言えた。いくら戦うことができても彼女はただの普通の子供なのだ。だから、恵飛須沢は縋るように、彼の名前を呟く。だが、その声はきっと届かない。城下は縄で彼女の腕を縛る。後は連れて行くだけだ。

 

「ふん、今頃あの筋肉野郎はぐっすり眠ってるころだろうよ。誰もお前を助けになんか来ないってわけだ」

 

 城下は静かに涙を流す恵飛須沢を立たせようと彼女の襟を掴んだ。彼女の涙は誰の目にも届かない、はずであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、それはどうかな」

 

「え? ブフォ!?」

 

 城下は突然何者かに殴り飛ばされた。数m吹き飛ばされ床を転がる。しばらくした後起き上がり襲撃者を視界に収める。

 

「なっ! なんでお前がここにいるんだよ!」

 

 そこには会議室で眠っているはずの男、本田秀樹がゴミを見るかのような形相で城下を睨みつけていた。唖然とする城下に彼は啖呵を切る。

 

「今、胡桃に何をした?」

 

 それは、彼の身の破滅を意味していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、胡桃に何をした?」

 

 目の前の男、確か城下とか言ったな。おかしいな思い切り殴ったはずなんだが思ったより回復が早い。でも、その方がいい。思う存分痛めつけられる。こいつは僕の大切な家族に何をした? 組み伏せ、ナイフを突きつけた。許さない、絶対にだ。

 

「ひ、秀樹!」

 

 よほど心細かったのだろう。とても嬉しそうに胡桃は僕の名前を呼んだ。すぐさま駆け寄り縄を解く。自由になった途端彼女は僕に抱き着いてきた。僕も負けじと抱きしめ返す。

 

「ごめん、もう大丈夫だよ」

 

 彼女は黙って僕を抱きしめ続ける。護ると誓ったのに、これでは約束を果たせない。だけど、後悔するのは後だ。今はやるべきことがある。

 

「う、後ろ!」

 

ふと、背中に衝撃が走った。振り向けば城下が僕にバールを振り下ろしているではないか。だが、痛みは全くやってこない。違うな、怒りで痛みを感じなくなっているのだ。胡桃を襲った糞野郎を睨みつける。

 

「ひっ……」

 

 どうやら全く痛がるそぶりを見せない僕に怖気ついたらしい。だったら初めから襲うな。この屑が。こいつはここで殺さなくてはならない。僕は胡桃を引きな離し奴に対峙する。

 

「胡桃、少し下がっていてくれ」

 

「……うん」

 

 さっきからずっと怯んでいた城下であったが、どうやらやっと正気に戻ったらしい。城下は僕にバールを構える。ふむ、そんなもので僕をどうにかできると思っているのか。でも確かに少し厄介だ。こちらの武器は手に持ったウィスキーの酒瓶のみ。銃もナイフも部屋に置いて来てしまっている。これはたまたまここに来る際に部屋から拝借したものだ。

 

「よ、よく見たら銃は持ってないみたいだな。ヘッ、その酒瓶で何するつもりだ? 乾杯でもしに来たのか?」

 

「ああ、そうだ。お前の死にな」

 

 先に踏み込んだのは城下だ。バールを僕に突き立てる。なるほど確かに、速い。伊達にここまで生き残ってきたわけではないようだ。バールを横移動で避け次の攻撃に備える。

 

「銃がなけりゃお前みたいな筋肉野郎なんか怖くねえんだよ。体育会系なめんじゃねえぞ!」

 

「そうか、こっちだって元文学少年だ」

 

「お前みたいな文学少年がいるかっ!」

 

 バールが振り下ろされる。だが、遅い。僕は必要最小限の動きでそれを回避し、お返しに隙だらけの頭に酒瓶を叩きつける。鈍い音が廊下に響く。

 

「──ッ!」

 

 本気で振り下ろしたわけではないがそれでも中身の入った分厚い酒瓶の威力は尋常なものではない。男の身体が床に叩きつけられる。普通ならこれで終わりだが今日は虫の居所が最高に悪い。

 

「まだ、終わってないだろが!」

 

 倒れ伏した男の襟首を掴み持ち上げ全力で頭から窓に叩きつける。ガラスが割れ、男の顔が血塗れになる。だが、知ったことか。まだ終わらんぞ。

 

「い、いてえええ!」

 

「ほお、まだ気を失ってないんだな。頑丈な奴だ」

 

 だが、そっちの方がいい。痛めつけがいがある。顔中にガラス片が突き刺さり痛みに悶える男の脛を思い切り踏みつける。はっきりと骨の折れる感触が靴底に伝わる。これでこいつは二度と走れないだろう。

 

「アアアアアッ!」

 

 胡桃にあれだけのことをしておいて楽に死ねると思うなよ。ガラスまみれの顔を足で思い切り踏みつける。しばらく踏みにじったのち足を退かす。鼻の骨が折れ曲がりガラス片で血塗れだ。

 

「よかったな。これでもっと男らしくなったぞ」

 

「お、俺が、わ、悪かった……」

 

 男が何か言っている。だが、あまりに声が弱々しくて何を言っているのか聞き取れない。よく見れば僅かに残った力を振り絞ってこちらから距離を取ろうとしているではないか。

 

「おいおい、そっちから仕掛けておいて劣勢になったら逃げだすのか。流石武闘派。やることが違う」

 

 逃げ出そうとする男の肩を足で踏みつける。よく見たら手にナイフを持っているではないか。ナイフごと踏みつける。指が何本か折れただろうか知ったことではない。

 

「──ッ! た、たす、助けて……」

 

「嫌だ」

 

「お、お願いします! た、たすけ「なあ、寒くないか?」は、は?」

 

 今更、命乞いか。僕の家族に手を出して生きて帰れると思ったら大間違いだ。そうだ、いいことを思いついた。僕は手にした酒瓶の蓋を開ける。うむ、いい香りだ。少し勿体ないかな。ウィスキーを傷目掛けて振りかける。絶叫が僕の耳を刺激する。40度超えの強い酒だ。さぞ沁みることだろう。最後の一滴まで振りかけ酒瓶を捨てる。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 もう、戦意など欠片も残っていないようだ。よく見れば男の股間部分が濡れている。ふん、失禁するくらいなら最初から手を出すな。でも、もうこいつの馬鹿面を見るのはこりごりだ。ポケットからライターを取り出し火を点ける。男が僕を凝視する。空気が氷点下まで下がった。

 

「温めてやるよ」

 

「ひっ……」

 

 ライターを振り上げる。後はこいつに叩きつければ焚火の始まりだ。屑には相応しい末路だろう。

 

 

 

 

 

「だ、駄目!」

 

 振り向けば胡桃が僕に抱き着いていた。その目には大粒の涙。僕は今自分がしようとしたことを思い出した。あろうことかこの子の前で人を焼き殺そうとしたのだ。お前は何てことしようとしたのだ。僕がするべきことはこの子を守ることであってこいつを処刑することではない。

 

「もう、あたしは大丈夫だから……。お願いだから、もう、止めて……」

 

 冷水を掛けられたかのように思考がクリアになる。ゆっくりとライターを仕舞い胡桃を引き離すし肩を掴む。

 

「ごめんよ。頭に血が上っていたみたいだ。ありがとう。もう大丈夫」

 

「……うん……」

 

 そのまま胡桃を抱きしめる。この子にトラウマを植え付けてどうする。アイツを殺したいのは山々だが胡桃の心に傷を負わせてまでしたいことではない。しばらく抱き合ったのち、後ろの男に向き直る。まだ、気を失っていないのか。大した男だ。

 

「おい」

 

「は、はい!」

 

 近くの階段を指さす。出ていけという意味だ。だが、男は僕の行為の意味が分からないようで痛みに顔を歪めながらきょろきょろするだけである。これは口で言わないとだめなようだ。

 

「今すぐ、この大学から出ていけ。今度お前の顔を見たらその時がお前の最期だ。もっと燃えやすいものを用意してやるよ」

 

 やっと、理解したらしい。男は何とか起き上がると何度も頷きながら死にもの狂いで走り去っていった。とは言え右足の脛を折られているので歩くより少し早い程度だ。

 

「ひ、ひぃいいいい!」

 

 階段に男が消える。何度も大きな音が聞こえるので恐らく転んでいるのだろう。死なないだけでありがたいと思え。これで、あと三人。男が視界から消え去るまで眺めていると後ろから肩を叩かれた。未だに涙目だが少しは落ち着きを取り戻したようだ。

 

「な、なあ。何があったんだ?」

 

 どうやら、事情は知らないらしい。細かく説明すると時間が足りないので大雑把に状況を教える。勿論、歩きながらだ。

 

「簡単に言うぞ。武闘派が僕たちを狙ってきた。みんなが危ない」

 

「やっぱ、秀樹がいきなり撃ったからか?」

 

 まあ、普通はそう思うだろう。だが、今回は違う。本当なら僕は今頃ぐっすり眠っていたのだろう。その間に奴らは桐子さんたちと二人を捕まえるつもりだったのだ。だが、思わぬ裏切りにあった。しかし、今はそれを説明している時間はない。

 

「それは後で話す。今はみんなを探すぞ」

 

「わかった。二手に分かれるか?」

 

 どうやら胡桃も事態の重大さを理解してくれたらしい。すぐさま自分がするべきことを聞いてくれる。僕は今すぐ武器を取りに行かなくてはならない以上、ここで闇雲に時間を浪費するわけにはいかない。二手に分かれるのは悪くない選択である。

 

「頼む、シャベルは絶対に持っていけよ」

 

「おう! 任せておけよ! てかさっきの奴大丈夫かな?」

 

 僕がやったのだけでも脛、指骨折に顔に大量の裂傷、打撲、酒瓶で殴ったので脳震盪も起こしているだろう。恐らく、無事に大学を抜け出せたとしても命は助からない。だが、それを言うのは流石に憚られる。

 

「まあ、殺してはいないんだし。生きてるんじゃないの?」

 

「そ、そうだといいな……はは」

 

 引き攣りながら胡桃は笑った。その後、僕たちは桐子さんたちと美紀を探したがどこにも見当たらない。既に捕まってしまったと考えていいだろう。逃げ出しているといいのだが。

 

 

 

 

 

「あたしは図書館探してくる」

 

「ああ、気を付けてくれ」

 

 各自部屋に戻り胡桃はシャベルを僕は武器を吟味する。胡桃はシャベルを取りに行っただけなのですぐさま出発できるが、僕はそうもいかない。廊下を去っていく彼女を見送り僕は再度自分の装備を確認する。

 

 まず、腰にホルスターとククリナイフを装着。ホルスターに5906を差し込む。次に以前、ヘリが落ちた際にヘリのパイロットが身に着けていたタクティカルベストを着込みポケットに12ゲージのバックショットと5906の弾倉を仕舞う。

 

 モスバーグ590を手に持ちローディングゲートから一発ずつ弾を込める。8発込めれば弾倉は一杯になる。フォアエンドを勢いよく操作し初弾を装填すればいつでも発砲可能だ。後は、ショルダーバッグにありったけの火炎瓶と爆弾を詰めれば準備完了。

 

 廊下に出て時計を確認する。まだ武闘派が異変に気が付くまで余裕があるだろう。折角向こうから誘ってくれたパーティなのだ。盛大に盛り上げてやるとしよう。手始めにあの墓がいい。

 

 

 

 

 

「おめでとう、武闘派の諸君。これでお前たちは僕の敵になった」

 

 さあ、戦争の時間だ。

 




 いかがでしたか? 遂に武闘派との戦いが始まります。それとお知らせがあります。もしかしたら大学編は完結後チラシの裏に移行するかもしれません。その際は事前に通知するので御容赦ください。

 では、また次回に。

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